「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」 作:なごりyuki
「GUUURURURURU……!」
「UUUUUGGGuuooooo……!」
「GURURURUuuuu……!」
巨大な獣と爬虫類を足して割ったような外見のトロールは、とにかく優れた戦闘種族だ。
幅も厚みもある彼らの身体は筋骨隆々で、腕と脚が長く、身体能力も知能も高い。その身長も平均約2メートル半ほどもあって、かなり大柄な魔物だ。
また、他種族に対して非常に好戦的な彼らは、独自の鍛冶技術で武器や防具まで製作する。
ローザ達の前に現れたトロール達も、それぞれに胸当てや兜、篭手などの防具を身に付けていた。彼らが手にしている武器も、大剣や槍、棍棒、手斧など、バリエーション豊富だ。
「ちょっと数が多いなぁ……」
目を細めたローザが、通路の前後を交互に見遣った。
「前は5体だけど、後ろはどう? エミリア」
「後ろは……6体ですわね。まぁ私《わたくし》にかかれば、どちらも物の数ではありませんけれど」
右手を腰に当てる格好になったエミリアは、引き摺るように持っていた巨大過ぎる盾を左腕だけで持ち上げ、ダンジョンの床に突き立てた。
ズズゥゥン……ッ!と石畳の床が陥没し、細かい亀裂が走る。
あの漆黒の盾の重さも相当なものなのだろうが、それを片腕で扱っているエミリアの腕力も凄まじい。
自己強化の魔法で筋力を増幅しているのか。
戦闘にもかなり慣れている様子だ。
この時アッシュは、エミリアが首から下げている認識プレートが『4等級・金』であることに気付いた。中級冒険者になりたて、といった等級である。
だが、トロール達を前にしたエミリアの堂々とした態度は中級冒険者という感じではなく、むしろ戦闘を専門にしている上級冒険者の貫禄がある。
もしかしたらエミリアは、何らかの理由で等級を下げられたのか。或いは、等級を敢えて低く抑えているのか。
「無茶は禁物だよ、エミリア」
魔導ショットガンの銃口を下に向けたローザは、前方の通路を顎で指した。
「取りあえず、前のトロール達を倒しちゃおう。前後を挟まれてる状況から抜けないと」
「では、まずは私《わたくし》が前衛として、前方のトロール達を華麗に粉砕してみせますわ!」
一歩前に出たエミリアが、胸を張るように喉を反らせる。
「ローザさんとアッシュさんの御二人は、私の後ろに続いて下さいまし!」
「うん。エミリアが前衛に立ってくれるなら、それが一番堅実かな……。じゃあ私が殿につくから、アッシュ君は真ん中で」
「ぃ、いえ、ここは僕が殿につきますよ。ローザさんは、エミリアさんの援護を」
手にした杖を握り直し、アッシュは咄嗟に申し出た。
だが、ローザは首を縦には振らなかった。
「いいからいいから。お姉さんに任せてよ。アッシュ君は大事な回復役なんだから」
軽い声音のローザはウィンクして見せたものの、その目は酷く落ち着いていた。魔物の群れとの戦闘プランを、すでに頭の中で組み立てている者の目だった。
そこでアッシュは、これが集団戦――パーティ戦であることを意識した。
全員に持ち場があり、それは全て、全員が生き残るためのものだ。
ソロであるならば、アッシュは他者を気に懸けることも必要なかった。必要な戦闘以外を避け、逃げて、自分だけが生き延びればよかった。
だが今のアッシュは、それではいけない。
この場で唯一の治癒術士として、アッシュに求められる今の“役割”こそは、後方支援である。戦闘ではなく、他者の治癒のために無事でいることが求められている。
不意に頭の中で響いたのは、象牙のローブを被った男の声。
――
それを振り払うように、ローザに告げる。
「……では状況によって、僕も、御二人を守るために前に出ます」
最低等級である5等級の、しかも治癒術士である小柄なアッシュが、大型の魔物であるトロールとの戦闘に参加する意思を見せることは、今の状況ではローザも想定していなかったのかもしれない。
「えっ」
驚いた顔になったローザだったが、すぐに力強く頷いてくれた。
「……うん。ありがと、アッシュ君」
「なんて心強い御言葉……!」
目を輝かせるエミリアは、感激したように声を震わせた。
「気高くも心優しいアッシュさんを御守りするためにも、必ずや、この状況を打破してみせますわ!」
「頼りにしてるよ、エミリア。……それじゃ、私達が先手を取ろう」
「えぇ! では……!」
不敵で傲慢そうに、だが優雅に唇を歪ませたエミリアは、大盾を担ぐように重心を落とす。そして地面を蹴って飛び出した。
「行きますわよォォォォッホッホッホッホァァ!!」
石床を踏み砕いて走るエミリアに、アッシュが続く。ローザがその後ろに追従する。
「GURUAA……!!」
「GARURURU……!!」
前方にいるトロール達は、アッシュ達の突貫に一瞬の動揺を見せた。だが、すぐに武器を一斉に構えて横隊になった。
筋肉がぎっしりと詰まった巨体で、アッシュ達を迎え撃つ姿勢である。
「GAA……!!」
「GURRRR……!!」
後方にいたトロール達も吼えて、駆け出し、アッシュ達を猛追してくる。
前方のトロール達と挟み込み、アッシュ達を圧し潰すつもりなのだ。トロール達は身体が大きいから、一歩の幅も広い。グングンと距離が詰まってくる。
GOOOOooooaaaaaaAAAAAAAHHHHHHH……!!
前後から響いてくるトロール達の咆哮は、アッシュ達の身体の芯を震わせるような凄まじい迫力だった。
多分、並みの冒険者達であれば震えあがり、動揺して、尻餅でもついていただろう。
「ドゥオホホホホッ!!」
だが、エミリアは全く怯まない。
勇気凛々にトロール達に突っ込んで行く。
「今の私《わたくし》は、清楚の高みを目指す“淑女”であり、可憐なアッシュさんを守護する“乙女”なのですからッッ! 負ける要素も道理もォォ、微塵もありませんわァァァ!!」
漆黒の重装鎧を着込んでいながらも軽やかに、優美に、激しく地面を蹴り砕きながら、エミリアは一気に前に出た。
後続しているアッシュとローザを大きく引き離すようにして、トロール達の目の前に飛び込んだのだ。無闇に突撃したわけではない。
自分の攻撃にアッシュ達を巻き込まないよう、大きく先行したのだとすぐに分かった。
駆けながら、アッシュは見た。
エミリアが引っ提げた漆黒の大盾から、薔薇の花弁が溢れて逆巻いた。魔力で編まれた花弁だ。
それだけではなかった。あの盾にグルグルと巻かれているゴツい鎖が、ギュララララッ!! と火花を散らしながら解け、しなり、エミリアの手の中に握られた。
「これぞ、“淑女道奥義”ィィ!!」
あの荘厳ささえ湛えた巨大な盾が、瞬く間に、鎖付きの巨大鈍器と化したのだ。
「エクセレェェン★スゥーパァーギガハァァァド★フォルテッシモ★ウルトラゴージャス★ヴァーミリオンビューティフルエナジィィーー★ワンダフォーーーーーーォォオォッホッホッホッホォォォンンンヌゥゥ!!」
やたらと長ったらしい技名を叫びながら、エミリアは身体を横に一回転させ、その巨大鈍器と化したトゲ付き盾を振り抜いた。
超豪快に、思いっきり、何の躊躇もなく、グォォォォォォォォォン!! といった。
巨体を誇るトロール達の縄張りであるトロールダンプは、他のダンジョンと比べても、全体的に通路自体がかなり広い。
その通路の幅ギリギリどころか、通路の壁面をズギャギャギャギャゴゴガガッ……!! と削り取る勢いの大振りでブン回された巨大な盾は、居並んだトロール達5体を、横合いから猛襲する。
「GUEEEAAHHHHH!?」
「BUUUuuGGEEEeeeEEE!!?」
「GIHIIIAAAAA!?」
5体のトロール達のうち、まず前列の3体が、着込んだ防具と肉と骨を盛大に粉砕されながら吹き飛んだ。
まるで風に飛ばされる紙屑のように、ダンジョン通路の壁面に激突したり、床に激しく叩きつけられてバウンドしながら、通路の先の暗がりへと豪速で消えていく。
深紅の花弁を拭き散らしながら振り抜かれた巨大な盾は、勢いをそのまま残して通路の壁に激突し、砕き、抉るようにめり込んで、なんとか何とか止まった。
無事だった残りのトロール2体は、余りにも簡単に殴り飛ばされてしまった仲間達を見送るように振り返り、顔を見合せて、明らかに怯んでいた。
だが、この2体に逃げる暇などなかった。
「ヌゥウウオオオオオッホッホッホッホッォォォァァアア!!!」
漆黒の盾に繋いである鎖をギュォォォン!!と片手で引いたエミリアが、壁面にめりこんでいる盾を手元に引き寄せつつ、さっきとは逆方向に身体を回転させていた。
鈍器と化した巨大盾を再びブン回したのだ。
怯んでいた2体のトロールは、手にした剣や盾を体の前に構え、なんとか防御姿勢を取ろうとした。だが、無駄な抵抗だった。
さっきとは逆方向に振り抜かれたエミリアの大盾は、トロール達の防御ごと殴り飛ばす。
「GUuGEeeeee!!?」
「Ogooooaaaahhh!!?」
悲鳴だけを残して、やはり彼らは石の壁や床に激突しながら、通路のずっと向こうまで転がっていく。
「モォォッホホホォン!! ま・さ・に、完全勝利ですわ!!」
巨大盾に繋がったゴツい鎖を、ギュラララッ……!と左腕だけで引き寄せるエミリアは、空いている右手を顎の下に添えて、また『御嬢様の高笑いポーズ』と取ろうとして、できなかった。
「エミリア、後ろから投擲攻撃が来るよ……ッ!」
ローザが鋭い声を飛ばすのと同時か、少し遅いタイミングで、後方のトロール達が大きく吼えるのが聞こえた。
そうだ。トロール達は前方だけではない。
アッシュ達は挟み撃ちにされている状況である。
後方から猛接近してくる、トロール達の気配。
肩越しに振り返って見れば、背後から迫って来ていたトロール達は身体を反らせ、両手剣や斧など、並の人間では両手で扱うような武器を軽々と投げつけてきていた。
アッシュと出会ったときのローザは、棍棒を投げつけられて腕を負傷していた筈だ。
そして今もまた、トロール達が投げ放った武器の群れが、殺人的な速度と回転を維持したまま、殿のローザ目掛けて飛来してくる。
「僕が壁になります……!」
駆けていたアッシュは踵を返し、背後から投擲されてくる多数の武器から、殿のローザを庇おうとした。
だが、できなかった。
「大丈夫だよ! 想定内だって!」
ニッと唇の端を持ち上げたローザが、足を止めて振り返ろうとしていたアッシュの体を、片腕でひょいっと抱え上げたのだ。
「えっ!?」
小柄なアッシュは何の抵抗もなく、ローザの脇に抱えられてしまう。
その体勢的に仕方がないのかもしれないが、アッシュの横顔に押し付けられるようにして、ローザの豊かな乳房がむぎゅぎゅっと密着してくる。
「ぅわわわ!?」
アッシュが変な声を漏らしてしている間にも、アッシュを抱えたローザはエミリアの傍へと走り込んでいた。
「どうぞこちらへ!」
エミリアは既に大盾を構えて防御姿勢を取っている。
彼女達の連携は完璧だった。
トロール達が投擲してきた槍やら剣やら斧やらが、アッシュ達のところまで飛んで来るが、その全てをエミリアの大盾が弾いてくれた。
ガッツンガッツンドスドスバツバツバキバキィ……ッッ!! と、アッシュの体の芯まで届くような轟音が響き渡る。凶悪で、まさに殺人的な音だ。
だが、アッシュとローザを守るべく構えられたエミリアの大盾は揺るぎもしない。
「小癪で野蛮で下品な攻撃ですこと! もう少しスマートでエレガンスな戦い方を覚えてきやがれですわ!」
勇ましい言い方をするエミリアは大盾を片手で持ちかえ、中断していた『御嬢様の高笑い』ポーズを再開させた。
「私の盾は、ドラゴンが踏んでも砕けることはありません!! そぉぉんな貧弱な威力ではァ、こぉの私《わたくし》のワンダフルセクシーなバッチリボディに、傷一つ負わせること能いませんことよォォォォオオッホッホッホッホッホ!!」
ローザとアッシュを巨大な盾でガッチリと守りながら、エミリアは重厚な鎧ドレスを盛大に翻した。
「ズォオオーーッホッホッホ!! ポォーーッホッホッホゲハッ!? ゲッホゲホ!? ゴホッ! ゥエ゛ッ!!?」
「だ、大丈夫ですか……?」
ローザに抱えられたまま、アッシュは場違いな声を掛けてしまう。
「大丈夫だよ。ホントにいつものことだから」
軽く笑ったローザは抱えていたアッシュを放して、エミリアが支える大盾から顔を半分ほど出した。
「……あのトロール達も、こっちに向かってくるね。ここで退く気は無いみたい」
投擲攻撃を全て防がれてしまったトロール達6体は、倒された仲間の敵討ちをするつもりなのか。
突撃隊列らしきものを組んだトロール達が、『GUUUuuuaaaAAAAA――!!!』と一斉に声を揃えて吼え、猛り、アッシュ達の方に向かって突進してくる。
「あとは、私が引き受けるよ」
ローザは音も無く魔導ショットガンを構えつつ、集中力を高めるように、ふっと小さく息を吐く。そして引き金を引いた。
発砲の瞬間、魔導ショットガンの銃身と銃口の前方に複雑な魔法円が浮かび上がる。
銃声などは特に無かった。だが、アッシュの身体を打ってくるような、短くも激しい空気の振動があった。
放たれた光の散弾はトロール達に届く途中で、幾つもの細かい魔法円となって空中に展開される。
薄暗いダンジョンの通路に、蒼い魔光が奔った。宙にズラッと並んだ魔法円は、周囲の物理法則を捻じ曲げて、魔術という奇跡の現象を現世に招き入れる。
隊列を組んだトロール達に襲い掛かったのは、強力な凍結系の魔法だった。
ダンジョンの壁面や地面ごと、トロール達の屈強な身体が、ザァァァ……っと白い霜に覆われ始める。
「GARU……!?」
「UGOAAAA……!?」
ガチガチと身体をぎこちなく揺らすトロール達は、あっという間に霜に覆われて、分厚い冷気に飲み込まれていく。
強力な魔法弾の余韻として、猛吹雪のような風が吹き付けてきた。
顔を腕で庇ったアッシュの息が白く煙り、頬や耳がヒリついた。寒い。
冷えた空気の分厚い流れが、ダンジョン通路内を荒々しくうねっていく。壁の魔法灯も小刻みに揺れて、埃っぽい空気が掻き混ぜられていた。
「ふぃ~。何とかなったね」
立ったまま凍り付いたトロール達の様子を眺めたローザは、片手でピースサインを作っている。
さっきまでゲホゲホやっていたエミリアは、「ンン゛ッ! ン゛ッ!!」と喉の調子を整えてから、満足げに胸を張り直した。
「当然です! この私がいるのですから!」
「うん。頼りにしてるよ」
苦笑でエミリアに付き合ったローザは、ジャケットのポケット内を確認して、弾薬の残数を把握しようとしている。
そのローザが微かに息を切らし、白い頬に汗が伝っているのをアッシュは見逃さなかった。
魔導銃の魔力消耗が大きかったのだろう。
高価かつ弾数制限のある魔法弾もそうだが、その使用者の肉体的な負担の大きさを考えれば、魔導銃というものは短期決戦用の装備であるのは間違いなさそうだ。
仲間と分断されて孤立したローザが、トロール達に囲まれるのを防ぐために逃走したという話や、アッシュに同行を依頼してきたことにも改めて納得できた。
とにかく、これでトロール達は全滅した。
戦闘は終了だ。
このときは、アッシュもそう思った。
だが、違った。
2等級冒険者としての実力と経験、それに加えて、トロールダンプの9階層の地形が頭に入っているからこそ、ローザとエミリアは判断ミスを犯していた。
意識の死角といった方が正しいかもしれない。
魔導ショットガンによって発生した冷気の余波で、通路の魔法灯は今もなお揺れている。そのため、広い通路がより薄暗くなっていたことも要因の一つかもしれない。
そういった要素が幾つか噛み合った結果、ローザとエミリアは気付き損ねた。
弾薬の残数を確認している、ローザの斜め後ろだ。
岩肌の壁面に穴が開いている。
その穴の内側には、比較的新しそうな空洞が伸びていた。
印象としては、岩盤を堀りかけた坑道か、洞窟通路だ。その暗がりの奥から、1体のトロールが忍び寄るように迫ってきていた。無防備なローザの後ろに。
つい今しがたまで通路を広げる穴掘りでもしていたのだろう。そのトロールは手に巨大なツルハシを握り込んでいた。そしてそれを、ローザ目掛けて振り下ろそうとしている。
「失礼します……っ!」
だがトロールよりも、アッシュが身体を前に倒し、踏み込む方が疾かった。
「きゃっ!?」
一瞬でローザとの距離を詰めたアッシュは、杖を持っていない方の腕をローザの腰に回して抱き寄せながら、そのまま大きく跳び下がる。
「なっ!?」
動揺した声を洩らしたエミリアも、アッシュの行動に反応しきれていない様子だった。
間一髪だった。
0.5秒前までローザの立っていた場所へと、「GURUAAAA!!」と吼えたトロールが、思いっきり大ツルハシを振り下ろしていた。
ドゴン……ッ!! という、身体の内側まで届いてくるような鈍い音が、ダンジョン通路の暗がりに響く。
だが、トロールの大ツルハシが粉砕したのは地面だけだ。
空振りするとは思っていなかったに違いない。呆気に取られたような様子のトロールは、自分がぶっ叩いて砕いた地面と、アッシュに抱えられたローザを交互に見比べていた。
いきなりのことに、魔導ショットガンを片手で持ったままのローザも、アッシュに抱き着くような姿勢になっている。
「えっ、えっ」
驚いた顔のローザは、自分を抱き上げているアッシュの顔を見て、次に大ツルハシを振り下ろしたトロールの姿を認めて状況を理解したのか。
アッシュの腕の中で、蒼褪めたローザが唾を飲み込む気配があった。だが、安堵を味わうにはまだ早い。
大ツルハシを手にしたトロールがすぐに体勢を立て直し、「GUUUUU!」と吼えながらアッシュに猛然と迫って来たからだ。
「GRUAッ!! RUAッ!! GRUAAA……ッ!!」
トロールは手にした大ツルハシを、やたらめったらに振り回しながら、ローザを御姫様だっこしたままのアッシュに躍りかかってくる。
だが、アッシュはこれを全て避ける。
跳ぶように下がり、滑るように下がり、また大きく跳んで下がって、トロールが振り回すツルハシの間合いから外れる。
「ひゃぁ!? にょっ!? うひっ!?」
アッシュが鋭いバックステップを踏むたびに、腕の中のローザが変な声を出した。トロールの攻撃を全て振り切ったところで、アッシュとトロールとの距離は4メートルほど広がる。
大ツルハシを手にしたトロールも、自分よりも素早いアッシュを追うのを諦めかけたのかもしれない。トロールの動きが、アッシュを睨んだままで迷うようにして鈍った。
このチャンスをエミリアは見逃さなかった。
「フヌゥゥゥぅぅんッ!!」
トロールの横から一気に詰め寄り、あの大盾を振り抜いてぶん殴った。完全に鈍器の扱いだった。
「BUGAAAAAAAAAAAA――ッ!?」
鉄塊ともいえる大盾での殴打を受けたトロールは、身体を折れ曲がらせて吹っ飛んでいく。
そのまま暗いダンジョンの通路を跳ねながら転がって行って、既に凍り付いている他のトロール達と激突して止まったようだ。重く低い激突音のあとで、フロアには静けさが戻ってくる。
アッシュは素早く周囲に視線を巡らせ、もうトロールが居ないことを確認した。
「……これで大丈夫そうですね」
軽く息をついたアッシュの腕の中では、「ほぁ~……」と深呼吸をしたローザが脱力していた。ピンチを切り抜けた安堵を、ようやく味わっているのかもしれない。
かと思えば、ローザはすぐにアッシュの腕から飛び降りて振り返るなり、ガバーっと遠慮なく抱き着いてきた。それはもう体当たりに近かった。
「ありがとー!!」
「わぷっ」
ローザの豊かで柔らかい乳房の感触が、再びアッシュの横顔にドドーンと勢いよく激突してくる。
感激した声をあげるローザは、本気でアッシュに感謝してくれているようだ。
ただ小柄なアッシュでは、背も高くスタイル抜群のローザの乳房に埋もれてしまう状態だった。
「っていうかアッシュ君、やっぱり結構強いんじゃん! 同行の依頼をして良かったよ~!」
「あっ、あの、ろ、ローザさん!?」
アッシュは水泳の息継ぎをするような感覚で、何とかローザの体温から顔を逃す。
彼女の無防備さは、アッシュを信頼してくれているからか、それとも彼女が本来持っている人懐っこい性格によるものなのかは分からないが、気まずくて仕方ない。
「ちょっとローザさん! さっきから羨ま……、いえっ、ズルい……、もとい、はしたないですわよ! そうやってアッシュさんに抱き着いたりしてッ!!」
謎の抗議をするエミリアも、「ンフゥゥゥウン!」と鼻息を荒くしたままで頬を上気させている。
「さァ、次は私《わたくし》の番ですわッ!」
当然の権利を主張するような口振りのエミリアは、形のよい唇の端をぺろっと舐めてから、両腕を広げてアッシュにゆっくりと近づいてこようとしていた。
だが、その時だった。
「……微かにですが、金属同士がぶつかるような音が聞こえますね」
ローザに密着されたままで、アッシュは通路の暗がりが伸びる先へと意識を向ける。
「それに、トロールの雄叫びも聞こえてきます」
少し遠くから聞こえてくるそれは、明らかに戦闘の音だった。通路の床や壁を伝って、微かな振動も感じる。誰かが、複数のトロール達と戦っているのだ。
「これ、私の仲間かも……」
ようやくアッシュへの抱擁を解いたローザも表情を引き締め、通路の奥に目を凝らす。
「ここから少し行ったら、もう“大階段”なんだよ」
手にしたショットガンを担ぐように持ったローザは、暗がりに耳を澄ませるように何度かゆっくりと瞬きをした。
「えぇ。確かに、戦いの気配がバチバチビンビンと伝わってきますわ」
アッシュに抱き着く姿勢を残念そうに解いたエミリアが、大盾を左手で持ち上げ、身体を通路の先へと向けた。
それとほぼ同じタイミングだったろうか。
『おいローザ、聞こえるか』
不機嫌そうな女性の声が、ショットガンを持つローザの右手の手袋の中から響いてきた。
『トロール共が待ち伏せしてやがった。だが、さっきのシャーマンの姿が見えねぇ。マジで気を付けろ。近くに居るかもしれねぇぞ』
ローザの手袋の中から聞こえてくる女性の声は、機嫌悪そうに歪んでいながらも落ち着いていた。彼女の声の背後には、激しい戦闘の気配が濃厚に漂っているのにも関わらずだ。
やはりこの声の主である女性も、戦闘を得意とする上級冒険者なのだろう。
「了解ですわ。カルビさん。ネージュさんと、もうしばし耐えていて下さい。このパワフルでシャイニングな私《わたくし》が、すぐに助けに向かいますわ!」
エミリアが真面目な顔で応答すると、指輪の向こうで安堵の気配があった。
『なんだよエミリアか。お前、やっぱり無事だったんだな。心配して損したぜ。……オラァ!』
カルビと呼ばれた女性は、間違いなくトロールと戦っている最中だが、エミリアに向けられた声音にだけは微かな笑みを含んでいて、幾分か柔らかかった。
『……まぁ、そんな言うほどは心配してないけれど』
ネージュと呼ばれていた女性の声も、今までのような冷然とした響きが消えて、気安い雰囲気でそれに続く。
「ひ、酷いですわッ!? こ、これが噂に聞くパーティ追放ですの!?」
「とにかく、まずは合流しよう!」
通信を終えてすぐに、アッシュ達は戦闘の気配がする通路の先へと駆けだす。その最中に、また声が聞こえる。
――
意識の裏にへばりつく声を振るい落とすように、アッシュは頭を軽く振った。
今の僕には、別の“役割”があるのだと。そう胸中で言い返す言葉は、随分と白々しく感触となって胸に沈んでいく。
“大階段”のフロアには、もう目の前だった。