「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」 作:なごりyuki
ローザ達の関係を解消して、打ち切りたいというアッシュの申し出に対し、彼女からこんな反応が返ってくるとは思っていなかった。
てっきりローザのことであるから、「そっか。うん。……わかった」といった感じで、後腐れの無い、上級冒険者らしい潔さを見せてくれるのだと半ば確信していた。
だからアッシュは、隣で唇を突き出して腕を組み、ぷくーっと頬を膨らませているローザを見て、かなり戸惑ってしまう。
「今の話を要約するとさ」
腕を組んだままのローザは前傾姿勢になって、アッシュの顔を覗き込んできた。
「もう、これからずっと、アッシュ君が同行してくれないってコトでしょ?」
ちょっと怒ったような顔のローザだが、声音自体にはアッシュを責める響きは含まれていなかった。
「まぁ、はい……。そういうことになりますけど」
僅かに身を引いたアッシュも、短く答えて頷く。
むっとした顔になったローザが、ぷいっとそっぽを向いた。
「じゃあ、やだ」
「そ、そんな子供みたいな……」
アッシュが反応に困っていると、不意に向き直ってきたローザが、アッシュの左手首あたりを、ぎゅっと掴んだ。
アッシュの肌に走る紋様に、ローザの掌が触れている。ひんやりした感触だった。
「でも……、アッシュ君の言ってることは、私も分かる気がする」
何処か遠い目になったローザは、アッシュの左腕の紋様を見詰めながら「父さんも、似たようなことを言ってたよ」と、懐かしむような優しい声で続けた。
「“冒険者業界は凄く危険な分だけ、来る者を拒まないし、個々の冒険者の素性には頓着しない。無関心で冷酷な業界だけど、放っておいてくれるっていうのは、ひとつの優しさだ”……ってね」
その言葉を発したローザは、父の姿を思い浮かべているのだろう。彼女は遠くを見る目つきのままで、唇の端に小さく笑みを過らせていた。
「今までのアッシュ君はさ、冒険者としての義務とか責任の中に、自分自身を埋め込んじゃおうとしてたんでしょ……? アッシュ君の人生とか感情とかっていうものを全部、“冒険者”って言う大きな枠の中に預けちゃうような感じで」
慎重に、そして真摯に言葉を選んでくれているふうのローザの瞳には、潤むような優しい光が佇んでいた。
「……そう、ですね。確かに、そんな感じです」
アッシュは怯むようにローザから視線を逸らして、控えめに頷いた。だが、ローザの体温がアッシュから遠ざかることはない。彼女の右手は、まだアッシュの左手首のあたりを強く掴んでいる。
「アッシュ君が私達のパーティの誘いを断ったのも、今なら納得できるよ。ソロで冒険者を続けてたのも、自分自身を薄めていくためだったんだね」
アッシュの考え方について肯定も否定もしないローザは、何度か小さく頷く。
「……でも、私達はアッシュ君を見つけちゃったからね」
大事なことを確かめる言い方だった。
「私達をトロールダンプで助けてくれた日のことは、私も無かったことにはできないよ。冒険者っていう“役割”のなかで、アッシュ君の存在が、どれだけ薄れていったとしても……」
アッシュの左手首を握るローザの手に、力が籠められていくのが分かった。皮膚に伝わってくる彼女の体温には、アッシュをこの世界に繋ぎとめるような存在感に満ちている。
「だって、アッシュ君は此処に居るんだから」
そう言ったローザの声は、アッシュの胸を強く押し込むような響きを持っていた。「……あと、謝るのが遅くなっちゃんだけどさ」と、ローザは言葉を続ける。
「さっきアッシュ君が言った通り、クレア院長から色々と話を聴かせて貰ったんだ」懺悔するように言うローザは、「勝手にアッシュ君のことを探るようなことしちゃって、ごめんね」と頭を下げてくれた。
「いえ、そんな……。謝って貰うようなことではないですよ」
アッシュは緩く首を振りながらも、ローザの真剣さに僅かな戸惑いを覚えていた。
アッシュはもう、今日この場で、ローザ達との関係を終わらせるつもりだった。孤独の身に戻るつもりだった。他者との関りを極限まで削るつもりだった。
誰に近寄らず、誰も近づけさせなかった頃の自分に、戻るべきだと――実体と過去を持つ“アッシュ”ではなく、無名の、“最低等級の冒険者”として、自身の存在を改めて薄めていこうと思っていた。
だが、今の状況は全くの逆だ。
アッシュの過去を知ったローザは、よりアッシュの内面に近づいてきている。アッシュの左腕を、ローザの右手がまだ掴んでいる。もう離さないとでも言うように。
「……やっぱり私も、アッシュ君のことが知りたくてさ」
微笑みを保ったローザは、そこで呼吸を置いた。大事なことを話す為に、気持ちを落ち着かせるような間の取り方だった。ローザの真摯な眼差しを、アッシュは少しだけ怖いと思った。
今でさえローザ紡いでくれる温かい言葉を、どう受け止めていいのかも覚束かず、半ば狼狽えているような状態なのだ。
これ以上、ぐらぐらと揺れているアッシュの内部に踏み込まれては、どう応答していいのか全く分からなくなってしまいそうだった。
もう、何も言わないで下さい。
アッシュは懇願するように、そう口にしようとした。
自分のような者は、これ以上、もうローザの優しさを受け取ってはいけないと思った。だが、アッシュの喉は微かに震えただけで、言葉を閊えさせてしまったかのように声が出てこない。
「私には、アッシュ君の過去を否定する権利なんてない。アッシュ君が、自分の過去を振り返って苦しむことを否定する権利も……。きっと私は、アッシュ君を救えない」
黙り込んでしまったアッシュの、その迂闊な沈黙をそっと拭うように、ローザが柔らかい声で言う。
「でも、……ギギネリエスが言っていたことだって、間違ってると思う。アッシュ君が冒険者を続けることは無意味でも、無価値でもないはずだよ。だって、少なくとも私は、アッシュ君に会えて良かったって思ってるもん」
奥歯を噛みしめたアッシュは、笑みをつくることもできなかった。
ローザの言葉は、アッシュの過去に少しずつ接続されて行こうとしている。温かい彼女の声音が、胸に沁み込んでくる。
そのぬくもりに対して、アッシュは無力だった。アッシュが自分自身に向ける悲観と絶望よりも、ローザが向けてくれる親密さの方が、遥かに深みがあったからだろうか。
何も抵抗できないまま、打ちのめされるしかなかった。
「アッシュ君が自分の過去を責めて、苦しんで、それで冒険者として生きる道を選んでくれたから、私達はこうして出会って……、今はこんな風に真剣な話だってしてるんだもん。私の過去も、ううん……、カルビも、ネージュも、エミリアの過去だって、……何か1つでも違えば、私達は出会うことすら出来なかったんだから」
そう話している時のローザの表情には、自分の言葉に酔っているような高揚も揺らぎもない。優しいながらも落ち着いている。確信と、それ以上の感謝がある。
「無意味で無価値ことなんて、絶対にないよ」
ローザが言い切る。その言葉に腕を引かれるようにしてアッシュは、いつも見ていた悪夢の最後に、ローザ達が出てきたことを思い出した。
暗く冷たい石室の魔法合金の扉を破った彼女達が、アッシュのことを助けにきてくれるという、あの陳腐で幼稚な夢の変質。だが、それさえも、無意味で無価値ではないのだと言って貰えているように感じた。
「……どうしてローザさんは、そんな風に、僕に優しくしてくれるんですか?」
自分の動揺を持て余したアッシュは、ローザの方を見ることができないまま訊いた。
「そりゃあ、アッシュ君のことが好きだからだよ」
あまりにも迷いのないローザの口振りに、胸の中の何かを突かれたように感じた。アッシュは思わず顔を上げて、ローザを凝視してしまう。
「あ、あれ……、な、なんか、告白みたいになっちゃった」
悪戯っぽく照れ笑うような表情になったローザは、「ぇへへへ」と、くすぐったそうに肩を揺らしてから、少し赤くなった頬を指で掻いた。
その無邪気な少年にも似た仕種には、ローザのことを遠ざけようとしていたアッシュの心の内側まで、軽々と飛び越えてくるような遠慮の無さも同居していた。
「でも、アッシュ君のことが好きなのは本当だよ」
そう言い切るローザの凛とした眼差しは、アッシュの過去にも向けられているのを感じた。
「それにアッシュ君だって、今まで私達のパーティのために頑張ってくれたしさ、優しくしてくれたじゃない? だから私だって、アッシュ君のことを気遣うし、大事だって思うのは当然じゃん」
お姉さん風味の快活な口調になったローザは、「でも、大事なのはさ」と、これから話すことの重要さを強調するように言葉を切った。
それから、強張ったままのアッシュの心に、優しく振れるように微笑んだ。
「アッシュ君が私のことを優しいって思ってくれるなら、それは翻って、アッシュ君が自分自身のことを優しいって、認めてるってコトだよ。だって、そうでしょ? 私は、アッシュ君から貰ったものを、そのまま返してるだけなんだもん」
「そ、……んなことは、ないと思います」
何とかそう答えながらもアッシュは、自分の内面の、その奥深くにあるものが強く揺すられるのを感じていた。
自分でも触れることのできない心の深部に、ローザの言葉と温もりが届いてくる。無残なほどに歪んでいて、罪を重ねてきたアッシュの過去に、違う意味を与えようとしてくれている。
「僕は、優しくなんて……。僕はただ、冒険者という“役割”を演じることを、優先してきただけです。僕が生まれてきた理由を、あとから理屈で埋めるような……、惨めなぐらい言い訳じみていて、卑劣で、そんな……綺麗なものなんかじゃ、ないです」
受け止め損ねそうになったローザの言葉を、なんとか抱え直しながらも、否定しようとした。ローザの言うアッシュの優しさとは、結局のところ、人間的な正しさから出発したものではないのだと。
だが、喉まで出ていたアッシュの言葉を先回りするように、お姉さん風の笑みを湛えたローザが、深く頷いてくれた。
「綺麗とか汚いとか、そんなのは大事なことじゃないよ。アッシュ君の優しさは、私達にとっては真実だもん。アッシュ君の真意が、どうであれ、……ね」
言い諭すようなローザの穏やかさは、アッシュの持つ反論の言葉を、そっと取り上げるようだった。
「そもそもだよ? 何の見返りも求めず、自己満足も放棄して、誰かに尽くすことを真剣な喜びにするのなんて、ぜったい無理だよ。嘘くさいって、そんなの」
ローザは気楽そうに言うが、その目はアッシュを見詰めている。彼女は目を逸らさない。
「気遣いとか思い遣りとかってさ、心の中にある暗い部分とか、誰にも言えない負い目とか、物凄く辛くて苦しい経験とか、そういうところから生まれてくるんだよ」
これも父さんの受け売りなんだけどね、と断りを入れたローザを、また少し遠い目になって言葉を続けた。
「本当に優しい人っていうのは、自分の苦しみに真剣に向き合った人だ、……って」
言いながらローザは、その父の追憶を大事に握り締めるように、ゆっくりと息を吐いた。
「アッシュ君は、自分は優しくないって言って、自分のことを否定したけどさ。……それこそが、アッシュ君の誠実さの証明だと思うよ」
潤むように澄んだローザの瞳は、アッシュを見守るように凪いでいた。
「アッシュ君の身体が造られたものであっても、どんな過去があっても……、私はアッシュ君のことを、もう嫌いになんてなれない」
ローザが紡ぐ言葉は、暖かい陽射しのような温度を持って、アッシュの胸の内に差し込んだ。アッシュの生きてきた時間の全体に、彼女の存在が触れるのを感じた。
「クレア院長からの話を聴いてから私は、アッシュ君と改めて出会い直してる気持ちだよ。私の知ってるアッシュ君と、そして、私の知らないアッシュ君と……」
アッシュの内部に澱んでいた黒々とした記憶や葛藤が、音もなく溶け落ちていくのを感じた。ひた隠しにしてきたアッシュの過去は救われないものだが、少なくとも、目の前に居るローザには繋がっているのだと思った。
「私はね、アッシュ君が“強い冒険者だから”好きなんじゃないよ。アッシュ君が、“アッシュ君だから”、好きなんだよ」
強く静かに言い切るローザの眼差しは、アッシュを見詰めて居ながらも、アッシュの過去にも目を凝らそうとしているかのようだった。
“冒険者のアッシュ”ではなく、“人形であり器であるアッシュ”も、ローザは認めてくれている。会えてよかったと言ってくれた。
アッシュの暗く穢れた部分が、ローザに必要とされる今のアッシュを形作ったのだと分かった。
アッシュが生きてきた時間の全ては、絶対に美しいものにはならない。だが、目の前に居るローザによって、全く別の意味を持とうとしている。
「……僕は」
俯きながら首を振ったアッシュは、そこから言葉を続けることが出来なかった。
ローザにとってのアッシュは、無意味ではなく、無価値ではなかったのだ。その事実の温かさで胸が満たされて、色んな感情がぐちゃぐちゃになった。
自分の中に渦巻く感情の、どれを選ぶべきなのかも分からない。どんな表情を浮かべていいのかも分からない。自分自身を保てない。
「ぼ、くは……」
喉の奥が震えるだけでなく、指先と顎も、微かに震えてくる。鼻の奥がツーンとしてきた。胸の奥が痙攣している。呼吸も細かく揺れて、掠れている。
こんなことは初めてだった。何かが、コップから水が溢れるように、身体の奥から何かがせり上がってくる。鎮まらない。抑えられそうにない。
これは。どうすれば、いいのだろう。
初めてのことで、対処の仕方が分からない。
自分でも手の届かない感情の奥が揺れてしまって、苦しい。
苦しくて苦しくて、たまらない。
これは、ローザの所為だ。
ローザが優しくしてくれるから、アッシュは動揺するのだ。
このままでは、ぐらぐらと揺すられるアッシュの内部は崩れ落ちてしまうと思った。
そうしたら、どうなるのか。分からない。それが怖くなった。目の奥が熱くなってきた。何かを考えるのが難しいぐらい、頭もぼんやりしてくる。
「もう……、僕に優しくしないで下さい」
きつく奥歯を噛みながらアッシュは、もうローザから離れるべきだと思った。彼女の澄んだ優しさは、アッシュの中に眠っていたものを起こしてくる。今まで使われることがなかった心のどこかに、血が通い、新しい何かが芽吹きそうになっている。
駄目だと思った。
そうなれば、アッシュは、アッシュでなくなってしまう気がした。
「僕は、ローザさんのことなんて……、嫌いです。大嫌いです」
必死にローザを遠ざけようとしたアッシュの声は、自分でも情けなくなるほど弱々しく、濡れるように霞んでいた。
「もう、顔も見たくありません。だから僕に、構わないでください……っ」
結局、左手首を握ってくるローザの手を振り払うこともできないまま、アッシュは俯き、胸の内で掻き混ぜられる感情の嵐が静まるのを、無力なままで、ただ待つしかなかった。
「……アッシュ君はさ、ひとを傷つけるのに慣れてないでしょ?」
微笑んでいるローザは、どこまでも落ち着いていた。慈しむように言うローザは、今までアッシュの手首をしっかいと掴んでいた手を、ゆっくりと解いた。
それからすぐに、隣に座るアッシュに身体を寄せて、ぎゅっと抱きしめてきた。あっという間に、アッシュはローザの腕にくるまれてしまう。
「あ、あのっ、ローザさん……っ」
焦ったアッシュの言葉は、ローザの穏やかな声音に出口を塞がれてしまう。
「嫌いって言われた私なんかより、嫌いって言ったアッシュ君の方が傷ついてるように見えるよ」
アッシュは自分の頬に、ローザの胸元の柔らかさを感じた。温かくて柔らかなローザの膨らみから、彼女の鼓動が伝わってくる。
その拍動の響きは、アッシュの胸の内側まで届いた。ローザの鼓動は残響して、アッシュの心音と混ざり合う。暗い記憶で満たされてきたアッシュの内部を、ローザが温め直してくれるかのようだった。
「私は、アッシュ君のそういう人間らしくて、あったかいところが、大好き」
そのぬくもりに抱かれたまま、アッシュは自分の中になった何かが、折れるのが分かった。無抵抗のアッシュは、ローザを抱き返すこともできずに、ただ茫然と、麻痺したように彼女の体温を受け取っているしかなかった。
「アッシュ君の過去は、アッシュ君の一部だよ。アッシュ君の全部じゃない。これからだよ。これからアッシュ君は、また少しずつ違うアッシュ君になっていくんだよ」
もうローザには、何かを隠すことはできそうになかった。アッシュの全てが、彼女の体温に包まれている感覚だった。
「いつかアッシュ君の過去が、アッシュ君の未来に繋がるときが来るよ。その苦しみから出発したアッシュ君の優しさが、誰かを支えるときが来るんだと思う。……私達を助けてくれたみたいにね」
そこで言葉を切ったローザは、「ねぇ、アッシュ君」と、今までと少し種類の違う、明るい声を出した。
「またこれからも、私達と一緒に来てよ。もうさ、アッシュ君が居ないと、何て言うか、調子がでないよ。カルビもネージュ、エミリアも落ち込んじゃってさ。きっと、冒険どころじゃなくなっちゃうから」
アッシュを抱きしめたまま、「へへへ」っと笑ったローザは、そこでゆっくりと息を吸って、吐いた。その呼吸に合わせて膨らむ彼女の乳房が、アッシュの胸にも鼓動を伝えている。ローザとアッシュの体温が、境目を失って同じになる。
「アッシュ君の意思が第一だから、やっぱり無理強いも出来ないし、お願いするしかないんだけど、これからも――」
親密な愛情の籠ったローザの抱擁は、アッシュの今までと、そして、アッシュの現在を肯定してくれていた。
「――お姉さん達のパーティに、同行してくれないかな?」
呆然としたままのアッシュは、もうローザの温かさを振り払うことができなかった。ただ、掠れた声が漏れた。
「そんなふう、に……、ぃ、言わ、れたら、僕、は……」
ローザを抱き締め返すことも出来ず、アッシュはただただ肩を震わせ、手の中にある5等級のプレートを握り締めようとした。だが、手が震えて、プレートを落としてしまう。それを拾い直す余裕も無かった。
もう限界で、堪えきることが出来なかった。
声と喉が震えて、視界が濡れる。胸が弾んで息が掠れた。目から何かが溢れてくる。アッシュの内部から、何かが突き上げてくる。感情が崩れ落ちて、形をなさないままで零れ落ちていく。
アッシュは自分自身の状態に狼狽する暇もなかった。冷静さも、思考も、言葉を選ぶ社会性も、何もかもが、ローザの優しさに押し流されてしまった。
自分の身体と心がバラバラになってしまうような、――崩れていくアッシュを、ローザの温もりが繋ぎとめてくれているような、そんな感覚に見舞われた。
「ぼ、く……は、う、ぅ、ぁ……、ぁ、あ、あ、あ、あ……!」
抱き合うアッシュとローザの体温の狭間で、嗚咽に滲んだ言葉が消えていく。アッシュの額のあたりに、ローザの頬が触れている。彼女は何も言わず、更に腕に力をこめ、ぎゅっと抱きしめてくる。苦しいぐらいだった。
「う。う。う。う。う。ぅ。ぅ。あ。あ。あ。あ。あ。あ」
安らかで、柔らかなローザの胸の中で、アッシュはその人生の中で、ようやく涙を赦されたように泣いた。身体の奥底から突き上げてくるものに任せて、アッシュは泣き声を上げる。
「あー……。あー……。あー……。う。う。あ。あ。あ。あ。あ。あ。あ」
それは産声のように激しく、アッシュ自身が上手く息ができないほどだった。
今のアッシュは、アッシュという存在の全体として、ローザから求められていた。生きていることを赦されて、望まれていた。
――エルンの町で出会った、あの無垢なモニカのように。
指先に残る、あの小さなモニカの指の感触が、アッシュの体温と一つになるのを感じた。その感覚は間違いなく、アッシュが未来に持って行くことができる、大切な心の部品に違いなかった。
気付けばアッシュは、5等級の認識プレートを握っていた手で、ローザの肩に手を回していた。縋るように。しがみつくように。
ローザの腕の中でアッシュは、涙を流す自分と出会い直した。いや、涙を流せる自分がいることを、ローザに教えて貰ったのだ。
嗚咽に言葉を奪われながら、アッシュは思う。
この溢れくる涙の在処を。この温かな感情の源泉を。
僕が、僕自身を愛する根拠にはできないだろうか。
僕が僕である限り、失われることのないこの温度を。
僕が生きているということ、それ自体を。
いつか、愛おしいと思えるように。