「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」   作:なごりyuki

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第60話 手を引かれて

 

 

 

 

 

 

 アッシュが泣きだしてから、どれぐらいの時間が経ったのだろう。

 

 短かった気もするし、長かったような気もする。

 

 ただ、泣くとスッキリするという話は聞いたことはあるが、あれは本当だと思った。

 

 アッシュの頭の奥は熱を持ってぼぅっとするのに、ぐちゃぐちゃになっていた胸の中は、不思議なほど静まっている。

 

「……落ち着いた?」

 

 羽毛のように柔らかくて優しい声が、ふわりと降ってくる。ローザの体温と柔らかさに包まれたまま、アッシュは自分の顔を隠すようにして小さく顎を引いた。

 

「……はい。もう大丈夫です」

 

 まだ涙の名残があるアッシュの声は、目の前のローザの肌に溶けていく。

 

「その……、お見苦しいところを見せてしまって、すみません」

 

「謝ることなんてないよ。ローザお姉ちゃんには、もっと甘えてって言ったでしょ?」

 

 やはりアッシュに気を遣わせないためか。

 

 軽やかで明るい声でそう言ってくれたローザは、アッシュを腕に抱いたままで「にしし」っと緩く肩を揺すった。

 

 その拍子に、彼女の大きくて柔らかい、たっぷりとした膨らみも揺れ動いた。

 

 アッシュの頬と顎のあたりで潰れて、もにゅむにゅふにゅんと形を変えているのが分かる。

 

「あ、あの、ローザさん」

 

 泣き終えたことで気持ちに余裕ができたせいで、ベッドの上で抱きすくめられている状況が意識の上にあがってきていた。

 

 密着しているローザの体温には、清潔で華やかな香りが漂っている。液状石鹸の香りなのかもしれないが、顔が熱くなってくる。

 

「そろそろ、腕を……」

 

 この抱擁を解いてくれるよう、ローザにお願いしようとした。

 

 だがローザの方は腕の力を緩めるどころか、「んぅ~?」などと猫みたいな口になって、アッシュの額あたりに頬ずりをしてくる。物凄い密着感だった。

 

「やっぱりアッシュ君の身体って、筋肉があるからかな? 体温が高くて、ぽかぽかして抱き心地が良くってさ~。もうちょっとだけ、このままでいさせてよ」

 

「そ、それはちょっと……」

 

「え~? 何で何で~?」

 

 悪戯っぽくも甘えるような声で言うローザは、この部屋に満ちてしまった慎ましい沈黙を擽って、気まずい空気にならないようにしてくれている。

 

 そのローザの気遣いには感謝しつつも、抱きすくめられたままでは全く落ち着かない。

 

 やはりこの抱擁を解いてくれるよう、もう一度頼もうとした時だった。

 

 部屋の扉が、バゴンッ! と、ノックも無しに勢いよく開けられた。あまりにも遠慮のない開け方だった。

 

「あっ」と素の声を出したローザが、アッシュの抱擁を解く間もなかった。

 

 そういえば、カルビとネージュ、それにエミリアが、遅れて『慈悲の院』に訪ねてくるという話だったはずだ。その通りだった。

 

「久しぶりだなぁ~、アッシュ~!!」

 

 部屋にズカズカと入ってきたのはカルビだった。

 

 狂暴そうなニコニコ顔の彼女は、細身のジーンズを履いて、胸元を大きくはだけさせた黒い女性用シャツの上に、赤と黒の皮革製のジャケットを羽織っている。

 

 アッシュと会うこと自体をかなり楽しみにしてくれていたようで、カルビの張りのある声には、うきうきとした高揚が漲っていた。

 

「カルビお姉ちゃんと会えなくて、寂しかったかぁぁぁぁぁああああああんん!!?」

 

 だが、そんな無邪気で嬉しそうな声は、途中で盛大に裏返りまくった。

 

 ベッドの上でローザに抱き締められているアッシュを発見し、カルビの表情は目玉が飛び出さんばかりだ。そ後だった。

 

「……貴女、静かにしなさいよ」

 

 眉間を険しく絞り、冷酷そのものといった声音で言うネージュが、カルビを横目で睨みながら部屋に入ってきた。

 

「アッシュ君が身体を休めてるんだから。あんまり五月蠅いと、氷漬けにして叩き出すわよ?」

 

 深い青と白を基調としたブラウスと、レディースパンツ姿である。お洒落で落ち着いた服装だった。

 

「ごめんさない、アッシュ君。カルビの馬鹿が騒が、し……く、て……」

 

 カルビから視線を外したネージュは、冴え切った怜悧な美貌に、雪解けの春を思わせるような静々とした笑みを浮かべる途中で、表情を凍りつかせた。

 

 ベッドの上のアッシュとローザを目撃した彼女は、身体をわなわなと震わせながら「な……」とか「さ」とか「ぉ……」などと溢しながら、狼狽するというよりも、何故か傷ついたような様子だった。

 

 「ちょっとちょっとちょっとぉぉぉぉぉん!!」

 

 驚愕しているカルビと、慄いているような顔のネージュの背後から、力強くも凛とした声が部屋に飛び込んでくる。

 

「んもぉぉぅ!! カルビさんもネージュさんも!! なぁぁぁぁにを二人して突っ立っているんですの!?」

 

 張りきった声を上げるエミリアだった。

 

「一刻も早くアッシュさんの元気な姿を、この“淑女EYE”に刻み付けたいというのに! そんなところで立ち止まられたら、私《わたくし》が入れないでしょう!? ……んん、どっこいしょ!」

 

 まるで王宮のパーティ会場に踏み入るような優雅な足取りのエミリアは、カルビとネージュの間を割るようにして部屋に入ってくる。

 

 豪奢な黒いドレス風の装いだった。かなり派手ではあるが、エミリア自身の持つ高貴さの御蔭で、滑稽さや嫌味なところがない。

 

「アッシュさぁぁん!! お待たせしましたわ! 貴方の最愛のぉぉ“エミリアお姉さま”が、ここに推ッ!! 参ッ!! ですわぁぁ……ッ!!」

 

 エミリアは満面の笑みで、彼女の周囲では歓びの結晶がキラキラと輝くようだった。

 

「――というわけで早速ゥ、愛を確かめ合う意味も込めてェェ! 身も心も蕩けるほどの、SWEEEEEETでHOOOOOOOOOOOOTな再会のハグをををぉおおおおおおおぁあああ!?!?」

 

 ベッドの上のローザとアッシュを目撃したエミリアは、ほとんど絶叫に近い雄叫びを上げて身体を伸び上がらせる。その驚愕っぷりは、開いた口から心臓と魂が飛び出していきそうな勢いがあった。

 

「……ねぇ、みんな、ちょっと待って。落ち着いてよ」

 

 アッシュとの抱擁を解いたローザは、ぎこちない苦笑でベッドに座ったまま、3人に身体を向けた。身の潔白を訴えるように両手の掌を上げて「誤解だよ」と続ける。

 

 アッシュも目許を腕で擦い、ベッドに座り直した。涙の痕を手の甲で拭ったところで、カルビが叫んだ。

 

「ずりぃぞ、ローザ!!」

 

 腰に手をあてて指を突き出し、糾弾するような大声だった。

 

「1人だけアッシュと仲良くなりやがって……、しかもベッドの上で! これは許せねぇよなぁ!?」

 

 妙な正義感らしきものを発散させるカルビは、未だに呆然と立ち尽くしているネージュと、白目を剝いて身体を痙攣させているエミリアに同意を求めた。

 

「……えぇ、そうね」

 

 何とか冷静さを取り戻した様子のネージュが、神妙な顔になってから鋭い目つきでローザを見据えた。

 

「私達がギルドに出向いている間に、アッシュ君と、えっちなことをしていたのね……?」

 

 ローザの罪を確かめるような、険しい尋問口調だった。

 

「ハッ!?」と我に返ったように体を震わせたエミリアも、使命を貫かんとするような精悍さを漲らせた。

 

「それはいけませんわよ! ローザさん! アッシュさんを独り占めプレイだなんて! せめて私《わたくし》も呼んでいただいて、じっくりと見学か、もしくは体験学習をさせていただかないと……ッ!!」

 

 ワケの分からないシステムと権利を主張し始めるエミリアは、大真面目な顔つきだった。

 

「いやいや! 何もしてないって……っ!」

 

 即座に否定したローザは勢いよくベッドから立ち上がり、一体何を言い出すのかといった表情で顔を赤くしている。

 

「もうっ、変なこと言わないでよっ! ……アッシュ君とは、いろいろと話をしてただけだって」

 

「ほぉぉ~~~ん……」疑うような半目になって腕を組んだカルビは、アッシュに顔を向けてきた。「なぁ、アッシュ、それホントか?」

 

「ローザに押し倒されて、ぉ、お、お尻を触られたりしなかった?」

 

 ネージュが迫真の目力を込めて訊いてくるが、言いながら自分でも恥ずかしいのか、その白い頬が赤くなっている。

 

「えぇっ!!? アッシュさんを押し倒して……ッ!? それから、形が良くてセクスィィーなアッシュさんのお尻の柔らかさ、しっとり滑らかな肌の感触と体温を、味わい尽くしたですってェェェェェんんん!?」

 

 さっきから声を裏返しまくっているエミリアは、爛々と輝かせた目をバキバキに冴えわたらせながら、現実と妄想の狭間で興奮し始めた。やたら顔も赤いし、「ンフーーッ! ンフーーッ!」と鼻息も荒い。

 

「してないよっ!!」

 

 ローザが赤い顔のままで叫ぶ。

 

「え、えぇ、そんなことは何も……」

 

 両手の掌を上げたアッシュが、苦笑を浮かべて首を緩く振った。

 

 生まれて初めて“泣く”という経験を味わったことを、改めて思う。

 

 ローザの優しさに触れたアッシュは、悲哀や苦痛からではなく、感謝や喜び、安らぎを源泉とした涙を流すことができたのだ。これはきっと、幸福なことなのだろう。

 

「ただ、僕も初めての経験だったので、どうしていいのか分からなかったんですが……。ローザさんが優しく受け止めてくれたので、今はスッキリしています」

 

「ぅえぇっ!!?」

 

 穏やかに言うアッシュの隣で、ローザは強張りきった表情になった。いったい何を言い出すのか、という目つきである。

 

「えっ」

 

 驚いたアッシュも、思わずローザの方を見てしまう。

 

 一方でカルビとネージュ、エミリアの3人は揃って、奇襲を受けたような顔になっている。そして無言のままで3人は顔を見合わせてから、ローザを凝視し始めた。

 

 彼女達の目力は凄まじく、とんでもない大罪人を睨むかのような迫力だ。何とも言えない変な感じの空気になってしまい、アッシュも当惑してしまう。

 

「えぇと、皆さん、何か誤解されていませんか? 実は、さっきまで僕は――」

 

 ローザとの遣り取りも含めて、アッシュは自分が感情のバランスを失い、先程まで泣いていたことを正直に話した。

 

 多少は気恥ずかしかったが、この場で隠すほどのことでもないように思えて、すんなりと打ち明けることができた。

 

 真顔だったカルビとネージュ、エミリアも、彼女達のなかで何か納得するものがあったのだろう。

 

「あぁ……、なるほどな」

 

「そういうことだったのね……」

 

「えぇ。納得しましたわ……」

 

 さっきまでの興奮を沈めた彼女達は何度か頷いて見せて、それ以上は話を広げようとしなかった。

 

「ほらね? 何にも無いって言ったでしょ?」

 

 むすっと鼻を鳴らしたローザが、カルビとネージュを半目で見比べた。

 

 だが3人の方は既にローザの言葉を聞き流している様子で、アッシュに微笑みを向けてきている。

 

「アッシュ君」

 

 ネージュが目許を緩めて、ベッドに座っているアッシュの前で屈んだ。そして左手をそっと伸ばして、アッシュの右腕を掴むように触れてくる。

 

「私にも、何か力になれることがあったら何でも言ってね」

 

 冷たく澄みながらも、その芯に微熱を含んだ声音だった。自身と似た苦境を経てきた者に、手を差し伸べるような響きがある。

 

「そうだぜ~!」

 

 太い声を出してくれたカルビも、ずんずんとベッドに歩み寄ってくる。

 

「お前は遠慮ばっかりだからな。そういうのは可愛くねぇんだよ」

 

 唇の端に微笑を過らせたカルビは横から割り込むようにして、アッシュの前に立っていたネージュを、どんっ! とお尻で押し退けた。

 

 押されたネージュが「うっ……!」と妙な声を出してよろけるが、その間にカルビは艶のある笑みを浮かべて、ドカッと豪快にベッドに座ってきた。アッシュの隣にだ。

 

「カルビお姉ちゃんに甘えたくなったら、いつでも言うんだぞ?」

 

 やけに優しい声を出したカルビは、アッシュを掻き抱くようにして肩を組んでくる。

 

「ぃ、いぇ、僕はもう、お世話になってばかりですよ」

 

「おいおいアッシュ、そういう遠慮が可愛くねぇって言ってるんだぜ~?」

 

 楽しミスを指摘する口振りのカルビは、より強く肩を抱いてくる。

 

 相変わらずの身長差のせいで、カルビの豊かな胸がアッシュの頬と顎の中間あたりに押し付けられ、ぽよぽよと弾みまくった。

 

 カルビは普段のような装甲服姿ではないため、物凄い密着感と共に、彼女の体温が押し寄せてくる。ぅわわわわ。

 

 思わず出そうになった狼狽の悲鳴を飲み込んだアッシュは、身体を硬直させてしまう。

 

「カルビさん、あの、もう少し身体を離していただけると……!」

 

 アッシュが申し入れようとしたところで、傍にいたエミリアが「そこまでですわよォ……ッ!!」と眉と目を吊り上げた。

 

 「いつもいつもいつもカルビさんは距離感が近過ぎますわ……ッ! もう少し慎みを持ってアッシュさんに接するべきですわ! そうっ! この“淑女”たる私《わたくし》のようにッ!!」

 

 まるで演劇女優のような仕種で自らの胸に手を当てたエミリアの隣では、カルビのお尻に押しのけられたネージュも腰に手を当てている。

 

「まぁ、エミリアが慎み深いかどうかは置いておくとして……。前から思ってたけれど、そうやってアッシュ君にベタベタするのを、貴女の方こそ遠慮すべきよ」

 

 威圧的に言うネージュは、突き刺すような勢いでカルビに指を向ける。

 

「分かってねぇなァ」

 

 ただ、カルビの方はアッシュから離れるどころか、「へっ」と鼻で笑った。

 

「アタシはな、アッシュに“遠慮すんな”って言ったんだぜ? そのアタシの方が、アッシュに遠慮にしてどうすんだよ? 距離が縮まらねぇだろうが」

 

 言いながらカルビは肩を竦め、「なぁ?」とアッシュに同意を求めるようにして顔を覗き込んでくる。

 

 アッシュは何と答えるべきか分からず、「そ、それは、まぁ……」などと曖昧な笑みで応じるしかなかった。

 

 カルビの言い分には一定の理解を示したのか。ローザとネージュ、エミリアの3人も難しい顔になって目を見交わし、黙っている。

 

「つーワケで、だ」

 

 その3人の沈黙が、自身の言い分にこそ正当性があると判断したのだろう。カルビはゆっくりと唇を舐めて湿らせた。

 

「じゃあ、アッシュ。これからアタシと添い寝でもするか?」

 

「……えっ?」

 

 肩を組まれたままのアッシュが間抜けな声を出すのと同時だった。

 

 腕を組んでいたローザが「は……?」と眉間に皺を寄せて、下目遣いのネージュが舌打ちをした。「……何がどういうワケですの?」と冷然とした威圧感に満ちた声を発した。

 

「そんなモン決まってるだろ? カルビお姉ちゃんとアッシュが、互いの絆を深め合うための大事な時間が始まろうとしてるワケだよ」

 

 凄むようなローザとネージュ、エミリアの3人を相手に、カルビは全く怯む素振りも見せない。寧ろ、『お前らはそんなことも分かんねーのか』という口振りだった。

 

 アッシュは思わず「えっ、そうなんですか?」と確認しそうになりつつも、はっとした。

 

 ……もしかしたら、カルビは酔っているのか?

 

 前にもこんな流れが無かっただろうか。

 

 そんな疑問がアッシュの頭を過っている間に、カルビが手をひらひらと振りながら、ローザ達3人に向けて順番に視線を流していた。

 

「とりあえず、今からアタシ達がベッドを使うからよ。ローザ達は、ちょっとそのへんでウロウロして来いよ。まぁ、そうだな……。2時間くらい」

 

「いや、行かないけど」

 

 不機嫌そうな顔になったローザが、呆れたように言う。

 

「なら、私《わたくし》は3時間コースを所望しますわ!」

 

 エミリアが再びワケの分からないシステムというか権利を主張し始めて、「そんなの無いから」とローザと一蹴されていた。

 

「……その2時間で何をするつもりなのよ」

 

 腰に手を当てるネージュも、睨むようにカルビを見据えて目を細めている。

 

「そんなモン、言わせんなよ恥ずかしい。なぁ、アッシュ?」

 

「ぃ、いえ、何をするにしても、ローザさん達に2時間も待って貰うのはちょっと……」

 

 苦笑のまま、やんわりと言うアッシュの態度を予想していたのだろう。

 

「じゃあ、このまま始めるか」

 

 やけにしっとりとした声を出したカルビが、アッシュの耳元に唇を寄せてくる気配があった。カルビの体温を含んだ吐息が、耳というか首筋を這っていく感触も。

 

 もしかしたらカルビは、アッシュの耳たぶのあたりを、「はむっ」としようとしていたのかもしれない。だが、それはネージュによって阻まれた。

 

「調子に乗り過ぎよ」

 

 瞬時に手の中に大槍を召びだし、その石突でカルビの左脛を容赦なく打ったのだ。「ゴスッ!!」というか「ゴッ……!!」みたいな、鈍い重低音が部屋に響く。

 

「いぴょっ!!?」

 

 上擦った変な悲鳴を漏らしたカルビは、打たれた脛を庇うような体勢になってベッドから転げ落ちる。

 

「てめっ、ネージュ……!!」

 

 カルビは怒声を上げようとしていたが、すぐに脛の激痛に敗北し、それ以上は言葉が続けることができなかったようだ。

 

 「スゥーーーー……っ!」と情けなく震えた息を吐き出しながらプルプルと肩を震わせ、左脛をおさえたまま、カルビは声も出せない様子で蹲ってしまった。とにかく、めちゃくちゃ痛そうだった。

 

「だ、大丈夫ですか……?」

 

 肩を震わせるカルビに、アッシュはおずおずと声をかける。

 

 だが、カルビの返事が返って来るよりも先に、やけに落ち着いた笑顔のローザに「これぐらい、カルビなら平気だよ」と妙な迫力のある声で言われてしまい、「そ、そうですね……」とアッシュは頷いてしまった。

 

「……あのさ、ネージュ。ひょっとしてカルビ、酔ってる?」

 

 何かを察したようにローザが尋ねると、ネージュが面倒そうな顔になってカルビを見下ろした。

 

「此処に来る前に、ウィスキー入りのチョコを食べたのよ。それも山ほど」

 

「もしかして、ギルドで?」

 

 そのローザの問いに応じたのは、やれやれと言った感じで鼻から息を吐き出したエミリアだ。

 

「えぇ、私達を出迎えてくれたシャマニさんとヴァーミルさんが、お茶菓子に用意して下さっていたんですのよ。それを、次から次へとバクバク食べていたのが」

 

「カルビってワケね」ローザも苦笑で付き合う。すぐにネージュも鼻を鳴らした。

 

「まぁ、高級なお菓子を用意してくれる程度には、幾つも事情の絡んだ話だったけれどね……」

 

「へぇ~……。等級に関係すること以外に、何か複雑な話もしてきたんだ? っていうか、シャマニとヴァーミルが出迎えてくれるなんて、ちょっと物々しいね」

 

「えぇ。今回のギギネリエスの件でね。ローザ、貴女にも大いに関係のある、重要な話だったわ。それに、アッシュ君にも……」

 

 手にした大槍をアイテムボックスに収納しつつ、大事なことを思い出したようにアッシュに向き直った。

 

「あぁでも、先にコレを渡しておくべきね」

 

 ネージュは銀色の指輪をアッシュに手渡してくれる。それがアイテムボックスであり、使い捨ての安物だということはすぐに分かった。

 

「この神殿に入ったところで、リーナ達のパーティーと出会ってね。……これをアッシュ君に渡すように頼まれたのよ」

 

「リーナさん達が、ですか?」

 

「えぇ。アッシュ君に会いに来てたみたい。……でも、あんまり大人数だとアッシュ君も疲れるだろうって言って、今日のところは私達に遠慮してくれたのよ」

 

「そう、……だったんですね」

 

「ダルムボーグで助けてくれたアッシュ君に、お礼を言いたかったのよ。リーナ達とは、ほとんど言葉も交わさずに別れたんでしょう?」

 

 そういえば、と思う。

 

 傷ついたオリビアに生命付与魔法を施したあとのアッシュは、リーナ達とは行動を共にすることなく、すぐにローザ達と合流しに向かった。

 

 ちょうど、クラン『ゴブリンナイツ』のメンバーであるゴブリンの精鋭達が、リーナのパーティの護衛についてくれたことを確認したからだ。

 

 あの時から、アッシュはリーナ達と顔を合わせていない。

 

 ただ、オリビアを含め、リーナ達のパーティが無事にダルムボーグを離れることができていたことは、アッシュは目を覚ましたあとで神官達から聞いていた。だが、彼女達の方からアッシュを訪ねてきてくれるというのは、何だか意外だった。

 

「それで、そのアイテムボックスには何が入ってるんですの?」

 

 興味深いものを見る目になったエミリアが、アッシュの手の中にある指輪を覗き込んでくる。何が収納されているのかは、アッシュも気になっていた。

 

「あぁ。それは……」

 

 ネージュが、少しだけ眉を下げる。何かを躊躇するようなその表情は、これが楽しい話題ではないことを告げていた。

 

「アッシュ君が住んでいた部屋の荷物が入っていると、リーナが言っていたわ」

 

「……えぇと、どういうこと?」

 

 不思議そうな顔になったローザだが、その一瞬あとには、「あぁ」と何かを納得するような声を出して頷いていた。アッシュも軽くため息を吐いてから、「しょうがないです」と、少しだけ肩を竦める。

 

 リーナが届けてくれたアイテムボックスが意味するものは、単純なものだ。

 

 つまりアッシュは、今まで住んでいた部屋を追い出されたということである。

 

「基本的に冒険者居住区の貸し宿は、より高いお金を出す人が優先されますから」

 

 アッシュが支払う部屋代よりも、さらに上乗せした部屋代を払う者が現れれば、当然だが後者が優先される。

 

 アードベルでは流れ者の冒険者も多いため、こういうことは珍しくもない。

 

 他の宿を探す手間を省くため、或いは、パーティメンバーが揃って利用できる部屋数を確保するためといった理由から、金にモノを言わせた冒険者が、他の冒険者の部屋を横取りしたりするのは日常茶飯事である。

 

 こういった場合、同じ部屋を借り続けるためには、アッシュも部屋代を割り増しして払う必要がある。

 

 だが、その旨を宿主に申請しようにも、ここ数日間のアッシュは生死の狭間を彷徨っていたため不可能だった。

 

『金は十分に払うから、とにかく部屋を使わせろ』とせっつく声を、宿主としても無視をするわけにいかない。そういう乱暴な冒険者達も、宿側にとっては金払いの良い上客であることに変わりはないのだ。

 

 ここ数日、ずっと部屋を留守にしていた最低等級のアッシュよりも、割り増しした部屋代を払ってくれる者を選ぶのは当然と言える。

 

「でも……、どうしてこの指輪を、リーナさんが持ってきてくれたんでしょう?」

 

 アッシュが顔を上げると、ネージュが頷いてくれた。

 

「ダルムボーグから帰ってきてからリーナ達は、アッシュ君が住んでいた部屋を何度か訪ねていたそうよ。そうしたら、宿主に声を掛けられたと聞いたわ。『この部屋を使っていた冒険者と知り合いか?』って」

 

「あぁ。……なるほど、そうでしたか」

 

 指に嵌めたアイテムボックスに視線を落として、アッシュは頷く

 

「……僕が部屋の荷物を退かさないと、新しい人が入れませんからね」

 

 この使い捨ての指輪型アイテムボックスには、アッシュの私物が収納されているに違いない。

 

「えぇ。アッシュ君のことを知っているなら、その荷物を届けて欲しいと頼まれたと、そう言っていたわ」

 

 そこまでネージュの話を聴いていたローザが、「ふぅん」と、少し明るい声を出した。

 

「リーナって娘のパーティも、悪い人達じゃなさそうだね。アッシュ君に何度も会おうとしてるってことは、ちゃんとお礼をしたいって意思の現れなんだろうしさ」

 

 言いながら、ローザはどこか嬉しそうだった。今まで孤独だったアッシュの人間関係が、また新しく広がっていく予感を喜んでくれているようでもある。

 

「そのリーナって娘、アッシュ君のことが好きだったりして」

 

 冗談めかして言うローザに、アッシュは「まさか」と苦笑を返すだけに留めた。

 

 「……ローザ、話を掻き混ぜないで」

 

 微妙な表情になったネージュが、話題が逸れていく気配をそっと拭ってから、説明を続けてくれる。

 

「アッシュ君が既に支払っていた家賃がそのまま、その使い捨てのアイテムボックス代になっているみたい。だから、もう宿に戻る必要も無いそうよ」

 

「でも、それはつまり……」

 

 状況を飲み込んだエミリアが眉根を寄せて、ローザと顔を見合せた。ローザも難しい顔になる。

 

「アッシュ君の帰る場所っていうか、住む場所が無くなったってコトだよね?」

 

 深刻さを表情に浮かべたローザに、だがアッシュは緩く首を振った。

 

「いえ、そんなに困ることはないと思います。次の宿を見つけるまでは、路地裏で過ごせばお金もかかりませんから」

 

 衣服や身体を清潔に保つ『浄化の霊炎』と、消費した魔力や寝不足を解消するための各種魔法薬、それに携行食糧をアイテムボックスに揃えておけば、ほぼどんな場所でも野宿は可能だ。

 

 アードベルには貸し宿も豊富ではあるが、空いている部屋を無事にみつけることが容易というわけでもない。それゆえに、アードベルの冒険者居住区では、路地裏に複数人で座り込んで夜を過ごす冒険者も少なくない。

 

「すぅぅゥゥゥゥゥゥゥーーーーッ……!」

 

 住む部屋を無くしたアッシュが、また別の貸し宿を探す手間を想像しようとした時だった。

 

「んふぅぅぅぅぅうううううううん……――!」

 

 迫真の深呼吸と共に、さっきまで蹲っていたカルビが立ち上がった。

 

 やけにゆっくりとした動きで、神妙な表情をしている。

 

 引きかけている脛の激痛が帰ってこないようにするためか、若干のぎこちなさのある動きで、ひょこひょことアッシュ達に向き直った。

 

「あの、だ、大丈夫ですか……?」

 

 アッシュが訊くと、カルビは力強く頷いてみせる。

 

「あぁ、何とかな。アタシじゃなかったら耐えられなかったぜ。……おいネージュ。お前、マジでもうちょっと加減しろよ。アタシの脛がどっか行っちまうところだったじゃねーか」

 

 恨みがましく言うカルビに、「治癒魔法で治せば?」と、半目になったネージュは冷たく返した。白けた顔のローザも「そうよね」と冷えた声を出す。腕を組んだエミリアも、冷めた目で頷いた。

 

 そんな3人を順に見たカルビは、ちょっと怯んだ顔になったが、すぐに「そんな怒んなよ」と降参するように肩を竦める。

 

 懲りてないふうのカルビを、ネージュが横目でジロリと睨んだ。

 

「今は真面目な話をしてるんだから、ふざけたり茶化したりするつもりなら、少し黙っててくれる?」

 

「その真面目な話ってのは、アッシュの住む場所が無くなったっつー話だろ? 聞いてたっつーの。そんなモン、次の部屋が見つかるまで、アタシ達と一緒に住めばいいじゃねぇか」

 

 これで落着だろと言わんばかりのカルビの口調に、アッシュは思わず「えっ」と声を出してしまう。この「えっ」も、今日はこれで何度目だろうか。

 

 ローザとネージュ、エミリアの3人も顔を見合わせて、「それもそうね」みたいに深く頷き合っている。

 

「まぁ、アタシの家じゃなくて、ローザの家なんだけどな」

 

 にぃっと笑みを浮かべたカルビの声音は、楽しそうに弾んでいた。

 

 

 












今回も最後まで読んで下さり、ありがとうございました!
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