「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」 作:なごりyuki
かつての魔王戦争時代において、魔王達は勇者達との戦いに備えるべく、異世界から土地や文明、人々や建築物、食材や習慣、知恵や知識などを強制的にこの世界に持ち込み、独自の改良を加えていった。
特に、『チキュウ』と呼ばれる異世界から取り込まれた技術は、魔導機械術や魔法金属術といった分野が発達する礎となった。
この『チキュウ』から得られる知識や技術が無ければ、各都市部の下水処理施設や廃棄物処分場などの安定した運用は実現しなかっただろうと言われている。
この異世界の建築様式を取り入れているというローザの邸宅は、豪邸である筈なのに、見るからに豪華で豪勢といった感じではない。住みやすさを重視したという感じだった。
一方で、その立派な建物に相応しい広々とした庭には、石を並べたり植え込みの配置によって、人工的な景色を造っている場所があったり、屋外用の椅子やテーブルが並べられている場所もあった。
機能美を追求しているふうである建物と比べると、庭の雰囲気は少々華やいだものだった。ただ、その雰囲気の違いにはチグハグなところがなく、静かだが品のある暮らしを匂わせていた。
「外から見ても凄く立派でしたけど、こうして敷地内に入らせて貰うと、もっと圧倒されちゃいますね……」
ローザ達の後ろを歩いていたアッシュは、相変わらずキョロキョロとしながら強張った声を溢してしまう。
門から玄関までは白い石畳が整然と並べられており、ちょっとした公園の遊歩道みたいだった。
とんでもないところに来てしまった、というのが正直な感想だ。ローザ達について歩くのを躊躇うぐらいである。
「そんな緊張しなくていいって。私達だけしか住んでないんだから」
肩越しに振り返ったローザが、硬い表情をしているアッシュを見て可笑しそうに笑った。
「そうだぜアッシュ。もっと肩の力を抜けよ」
喉を鳴らしたカルビも、ローザに続いてアッシュを振り返る。
「そういう貴女は寛ぎ過ぎよ……。アッシュ君も住むようになるんだから、これから下着姿でリビングをうろつくのは禁止ね」
険しい目つきになったネージュがカルビを見据え、重大なルールを確かめるように言う。
「えぇ。もちろん、絶対禁止ですわね」
真顔になったエミリアも頷き、「分かってるっつーの……」とカルビが顔が歪めたところで、アッシュ達は玄関についた。
アッシュは着ていたローブを脱いでから埃を払い、畳んで手に持ちながら、小さく深呼吸をした。
それはカルビが言ってくれたように肩の力をぬくためのものではなく、どちらかと言えば、別世界に踏み入るまえの心の準備のためだ。
だって、もう玄関の雰囲気からして凄い。
ローザ邸の玄関扉は木製で、その光沢ある木目は質素でありながらも、いかにも高級そうだった。玄関ホールには魔導器具の照明が備えられており、広々としているだけでなく、建物の奥に続く廊下も壁もピカピカだ。
靴を脱ぐ場所があり、土足で上がるのは禁止なのだと分かった。靴を脱ごうとしていたアッシュに、「はい、これ。アッシュ君の」と、軽い口調で言うローザが白いスリッパを手渡してくれた。
恐らくだが、アッシュが住まうようになると決まってから、用意してくれたものなのだろう。見た感じで分かるが、アッシュの足に合うサイズだ。
「わざわざ用意してくれたんですね。ありがとうございます」
礼を述べてスリッパを履いたアッシュは、本当に異世界に迷い込んだような気分になる。
新しい靴下を履いてきてよかったと平凡なことを思っているうちに、ローザがリビングに案内してくれた。
やはり広い。重厚な雰囲気のソファが並んでいて広々としているが、余計な贅沢さを感じさせない。置かれている家具は少ないものの、どれも質素でありながら上品さがあった。
リビングの奥に備えられているキッチンスペースには、高性能な魔導調理器具が備えられている様子だった。堂々として立派な断熱冷蔵器、製氷器、コンロ、温水器なども見える。
上品な木製のテーブルと、そこに不揃いに並んだ椅子の配置を見て、この空間こそが、彼女達の生活の中心なのだろうと思った。
えんがわ――縁側というらしいが、ローザがそう呼んでいるスペースには縦に長い窓が並び、たっぷりとした日の光を家の中に招き入れていた。
汚れや曇りの無い透き通った窓からは、美しく整えられた庭園を眺められるだけでなく、窓を横にスライドさせて開けると、リビングからそのまま庭に出ることもできるようになっている。
「キッチンとか冷蔵機のなかにあるものは、好きに使ってくれていいよ~」
軽快な口調で言うローザは、帰ってくる途中で買って来た大量の食材をアイテムボックスから取り出し、断熱冷蔵器へと押し込んでいく。
「えぇ。ありがとうございます。此方のキッチンにあるような高性能な調理器具は使ったことがないので、また後で使い方を教えてください」
「おう。任せとけよ」
嬉しそうな声を出したカルビが、ソファに腰を下ろしながら唇の端を舐めた。
「アッシュの作ってくれたメシをこれから毎日食えると思うと、もう今から腹がなりそうだぜ」
「……カルビさん貴女、大事ことを何も聞いていませんのね?」
ローザを手伝って食材を冷蔵器へと移していたエミリアが、呆れ顔でカルビに振り返る。
「食事については今まで通りという話は、帰ってくる途中でしたところでしょう」
「アッシュ君が当番をしてくれるのは、今日から2日間。それ以降は、またローザからの順番になるから」
人数分のお茶の用意をしてくれているネージュが振り返って、下目遣いになってカルビを睨んだ。このローザの家での食事は、基本的には当番制だとアッシュも聞いている。
「そ、そうだったか……?」
そんなこと初めて聞いたというふうな声を出したカルビは、捨てられる寸前の子犬のような顔になってアッシュを見た。
「え、えぇ。お部屋を借りるという話と一緒に、食事の当番についても決めて貰っていたはずです」
アッシュが頷いて見せると、項垂れたカルビが「そ、そっかぁ……」と、心細い言い方をした。「何をそんなに動揺してるのよ」と、ローザが苦笑して眉を寄せた。
「いやだって、そりゃあお前、楽しみにしてたもんよ……。いや、でもまぁ、冷静に考えればそうだよなぁ……」
ソファに座ったままのカルビは考え事をするように床を睨み、ブツブツと言い始める。
「アッシュにばっかりメシ作って貰うのは、お姉ちゃんポジションの身としても、ちょっと考えもんだよな……」
「アッシュ君が来てくれて嬉しいのは分かるけど、その鬱陶しいお姉ちゃんヅラはどうかと思うわ。ちょっと落ち着いたら?」
不味そうな顔のネージュは呆れ口調だった。カルビが眉間を絞って顔を上げて、突き刺すようにネージュへと指を向けた。
「おいネージュ。人のことを浮かれポンチみてぇに言うんじゃねぇよ。お前だって、アッシュが家に来ることが決まってから、料理本を山ほど買ってきてたじゃねぇか」
「な、何で知っ……!?」
思わずと言った様子で声を張りかけたネージュは、一瞬だけアッシュの方を視線だけで見てから「……か、買ってない」と低い声で、むすりと答えた。
そっぽを向いたまま腕を組むネージュの顔がやたら赤くて、それを面白がるように鼻を鳴らしたカルビが、「ウソを吐くんじゃねぇよ」と意地悪な言い方をした。
「こういう話をするいい機会だ。いいことを教えてやるぜ、アッシュ」
「は、はい、何でしょう?」
「実はな」
そこで言葉を切ったカルビは、ゆったりとソファに座り直して足を組み、それから唇の端を歪めながら、ネージュに向けて顎をしゃくった。
そのカルビの動きに釣られたアッシュがネージュの方を見ると、ネージュは腕を組んだまま、僅かに怯んだように身を引いている。
「アタシ達の中でな、一番の料理下手が、そこのネージュちゃんなんだよ」
「うっ……!」
視線を揺らしたネージュが、喉の奥で呻くような声がした。
だが、すぐに『余計なことを言うな』というふうに、槍で刺し殺すような鋭すぎる視線をカルビに向けた。それに気づかないフリをして、アッシュは眉を下げて微苦笑を浮かべる。
「得意不得意は誰にでもありますよ。ネージュさんは何でも器用にこなしてしまうような印象を持っていたので、ちょっと意外ですけど」
アッシュが言うと、「器用だって? このポンコツが?」と、半笑いのカルビが肩を大袈裟に竦めた。
「アッシュ、お前はべらぼうに強いけどよ、人を見る目がねぇな。フライパンだの鍋だの駄目しちまうのも、だいだいコイツなんだよ。酷いモンだぜ? ついこの前も盛大にキッチンを――」
「黙れ……ッ!」
愉快そうにネージュの失敗談を語り出そうとするカルビに向かって、顔を真っ赤にして目を釣り上げたネージュが飛びかかった。相変わらず、もの凄い早業だった。
ネージュはソファに座るカルビに覆いかぶさるように襲い掛かり、いつかのように、カルビのほっぺたをぎゅぎゅぎゅー!と抓りまくった。
「あだだだだででゅぁぁぁッ!!?」
「うるさい……ッ! この……ッ! 黙れ……ッ!」
「あ、あの、お2人共、ケンカは……!」
ヒートアップするカルビとネージュを前に、アッシュはおろおろしてしまいそうになったが、そこでエミリアが軽く肩を叩いてくれた。
「アレはアレで、あの二人独自のコミュニケーションのようなものですから、今は見守っておきましょう」
優しい口調のエミリアが、手の掛かる妹を見るような目でカルビとネージュを見詰めているのが印象的だった。……いや、あれは諦念と達観の眼差しだろうか?
「ごっ、ごめん! やめへやめへ!!」
悲鳴交じりにカルビが謝りだしたところで、冷蔵機に大量の食材を詰め込んでいたローザが「ねぇ2人とも~、遊んでないでこっちを手伝うか、お茶でも用意してよ」と、不満そうに振り返ってくる。
その後、何とか落ち着きを取り戻したネージュと、痛そうに頬を擦るカルビが紅茶とお菓子を人数分用意してくれる。それらを御馳走になってから、アッシュはローザの家の中を改めて案内して貰う流れになった。
ローザの家は3階建てで、とにかく広くて綺麗だった。
2階にローザの部屋があり、3階にカルビとネージュの部屋があった。更に地下にも広い部屋があって、そこはローザ専用の魔導工房であるという。浴室とトイレは1階にあり、どちらも広いだけでなく、やはりピカピカで驚いた。
第8号区には上流階級の人間が住宅を構えることが多い区画なので、アードベルの中でも、上下水や光熱に関わる魔導機械設備が特にしっかりしている。水回りのトラブルに関しては機械術士が即座に駆けつけて修理、修繕をおこなってくれるという。
だから、たっぷりと水やお湯を使っても心配ないというのは理解できる。理解はできるのだが、何と言うかローザの家の浴室は、アッシュの中の常識をちょっと超えていた。
乳白色をした石造りの浴槽と床はとにかく綺麗で、カビが生えていたり、汚れが目立つような箇所もない。そして、もはや此処で生活できるのではないかと思う程の広さだった。
養護院の浴室もそれなりに広かったが、ローザの家のものはそれを完全に上回っている。ローザ達が全員で入っても、まだまだ余裕がある。あり過ぎる。
壁際にはシャワーが備えられた機能的な蛇口が4つもあって、浴室の隅には排水用の溝が深く掘られているようだった。シャワーと蛇口付近の床タイルには頭髪用、身体用の液状石鹸が幾つも並んでいる。あれらは其々に、ローザ達の私物なのだろう。
「あぁ、アッシュ君のタオルとかも用意してるから」
脱衣所のクローゼットから、ローザが白いタオルと籠を取り出して、浴室の扉の隣に置いてくれた。籠には液状洗剤と、身体を洗う用のタオルとバスタオルが、綺麗に畳んで収められている。至れり尽くせりだった。
「あ、ありがとうございます……」
アッシュは半ば呆然としながら頭を下げつつも、ここで生活することの実感を掴むことが出来ずにいた。自分が住まうことになる場所とは思えず、ほとんど観光しているような感覚だった。
それに、奇妙な違和感があった。
今まで案内されてきたローザの家の中には、本来ならあるであろう彼女たちの生活感が、驚くほど乏しいのだ。
冒険者という職業柄、ローザ達が家を空けている時間が長いということもあるのだろうが、それにしても、この邸宅の内部は片付き過ぎている。
2階には書斎もあったが、ローザの自室以外は空き部屋ばかりだ。3階も同じような様子で、カルビとネージュの部屋以外は全て空っぽのままか、物置になっていた。
1階のリビングに居た時には感じなかったが、この邸宅の広大さの端々には、まるで空き家のような寂しい静けさが居座っている。
明らかに複数人で暮らすための邸宅であるのに、そこに住まうローザ達の人数が少な過ぎるからだろう。
ふとアッシュは思う。この邸宅はもしかしたら、もっと大所帯のクランが所有していたのだろうか?
「……あぁ、そうそう。ウチってさ、定期的に清掃業者に入って貰ってるんだ。ちょっとお金もかかるけど、この家を自力で全部きれいにするのは、さすがに現実的じゃないでしょ」
ローザは苦笑しながら教えてくれた。
「8号区で家を維持するのって、半端じゃなくお金が掛かるからさ~。私って、この家を手放さないために冒険者をやってるような感じだから」
……今のところはね。最後にそう付け足したローザは、おどけるように肩を竦めた。彼女の声音は、いつもよりも硬かった気がする。
だが、その強張りが何を意味しているのかまでは、アッシュには分からない。
そもそもアッシュは、ローザのことを殆ど知らない。
知っていることと言えば、ローザが2等級の上級冒険者であることと、優れた魔導機械技術者らしいことや、魔導銃の扱いを認可されていることぐらいだろうか。
いや――、あとは、彼女に父親がいたということを、アッシュは知っている。
冒険者業界は、個々の冒険者の素性には頓着しない。
その無関心さは、ひとつの優しさだ。
アッシュがローザから貰ったあの言葉は、ローザの父の言葉なのだと思い出しているうちに、アッシュが使わせて貰う部屋へと案内された。
そこは、1階の奥まったところにある部屋だった。
やはり広い。ベージュの壁紙には染みひとつない。壁際にはテーブルと椅子が1組あって、傍にはシングルのベッドが置かれていた。大きめの窓には澄んだガラスが嵌められていて、外の庭がよく見える。
「一応は来客用なんだけど、殺風景な部屋だし、アッシュ君の好きにアレンジしてくれていいよ」そう言ってローザは、部屋を見渡してから笑みを見せてくれた。
「3階の物置みたいになってる部屋から、何か使いたいものがあったら持ち込んでくれてもいいしさ」
「……ありがとうございます。お世話になります」
背筋を伸ばしたアッシュは、改めて頭を下げて礼を述べる。すると、傍に居たカルビが唇を尖らせながら、わしゃわしゃとアッシュの頭を乱暴に撫でてきた。
「だーかーらー。そんな他人行儀で丁寧な礼なんてやめろっつーの。アタシ達だってお前に助けられてるんだからよ。もっと寛げよ。つーか、もうずっとウチに居ればいいじゃねぇか。なぁ?」
「……何で貴女がそんな偉そうなのよ」と顔を顰めたネージュが半目になって、やれやれ顔のエミリアも、「そもそも、ここはカルビさんの御家じゃないでしょう」と尤もなことを指摘した。
渋い顔になったローザも腕を組んで「そうなんだよね」と低い声で頷いた。
「な、なんだよ……。3人してアタシのこと悪者にしやがって」
拗ねたように鼻を鳴らしたカルビは、いつものようにアッシュと肩を組んできた。やはり身長差のせいで、アッシュは肩を抱き寄せられるような形になる。
「アタシに優しくしてくれるのは、もうアッシュだけだ。今日は一緒に寝ようぜ。な?」
芝居がかった哀れっぽい声で言うカルビに、アッシュも苦笑しながら冗談で付き合う。
「じゃあ、ベッドは使って下さい。僕は床で寝ますね」
「何でだよ。そうじゃねぇよ。添い寝をしようって言ってんだよ」
やっぱり拗ねたように言うカルビだったが、別に気を悪くした風でもなく、その声音自体は気楽な弾み方をしていた。
「まぁ、今はベッドで寝たいっていうよりも、本格的に腹が減ってきたよな」
カルビは横目で窓の外を見て、「いい時間になってきてるだろ」と、のんびりとした声を出した。アッシュも、カルビの視線を追ってから気づく。窓から差し込んでくる陽の光には、淡く橙色が滲み始めている。夕刻が近づいているのだ。
その後、ローザ達と一緒に夕食を作り、食事を終えてからも、また他愛のない話で彼女達は盛り上がっていた。
まず話題に上ったのは、ギギネリエスを捕らえた冒険者として、ローザ達の名前がギルドから公表されたあとのことだ。
賞金の使い途について話しているうちに、『賞金首のネクロマンサーを生け捕りしたとなれば、ローザ達のパーティも、今までのようなトラブルを呼びまくる厄介者という評判が払拭されるのではないか』という話へと流れた。
「そうなったらさ、私達のパーティに加わりたいって冒険者も、それなりに出てくるかも」「とは言ってもよぉ、面接とか実力テストは必要だろ?」
「実際に仲間にするかどうかは、慎重であるべきだと思いますわ」
「えぇ。無条件でパーティメンバーとして迎えるのは、少し怖いものね」
それなりに酒も入っていたローザ達は皆、明るい顔をしていた。そのうち、「じゃあ実力テストは、アッシュとの模擬戦とか、どうだ? なぁ、アッシュ」なんて、冗談めかしたカルビが話を振ってくる。
「ぼ、僕がですか……?」
驚いたアッシュが自分自身に指を向けるのを見て、ローザ達が面白がった。
「アッシュ君と模擬戦なんかやったら、みんな目を丸くするだろうね」
「テストにならない可能性もあるわ。アッシュ君が相手をコテンパンにし過ぎてね」
「提案しといてなんだが、タイマンでアッシュに勝てるヤツなんざ、そうそう居ねぇか」
「えぇ。最終的に、合格者が出ないパターンですわね」
彼女達の華やいだ雑談は食後も暫く続き、彼女達が飲む酒の量も増えていった。その酔いが進むに任せて、話題もコロコロと変わっていった。
そもそも、ギギネリエスの賞金が本当に出るのかどうか。もしも出なかった時には、今度はどこのダンジョンを攻めようか。
いや、まずは資金補充の意味も込めて、ダンジョンを攻めるよりも、ギルド掲示板で依頼を探すのもいいかもしれない。
あぁ、そうだ。美食街に新しく出来たカフェにも行こう。職人街で、新しい装備も欲しい。
そうした彼女達の会話は、ずっと盛り上がっていた。彼女達はアッシュにも意見を求めたり、さっきみたいな冗談を振ってきたりして、アッシュはたじたじになってしまう。
だが、この場にアッシュが居て当たり前であるような雰囲気は温かく、嬉しかった。
そのうち、「じゃあ明日は、久しぶりにみんなで色々とお店を回りに行こうか」ということになり、「それなら、入浴を済ませてそろそろ寝ましょう」という話になって、食器や調理器具の片付けはアッシュが引き受けた。
ローザ達も手伝ってくれようとしていたが、「いえ、ここは僕にさせて下さい」と、アッシュはこれを丁寧に断った。当番としての仕事をこれ以上手伝ってもらうのは申し訳なかったからだ。
調理器具の扱い方やキッチン設備の使い方については、夕食を用意する際に教えて貰っていたし、夕食の片づけはスムーズに終わった。そのタイミングで、ローザ達も入浴を済ませてリビングに帰って来た。
彼女達と入れ替わりで浴室を使わせて貰ったアッシュは、まずはシャワーで身体を洗った。温かい湯を後頭部に浴びながら、アッシュは、浴室に向かう際にかけられたカルビの言葉を思い出していた。
「アッシュ、ちゃんと身体を温めて来いよ。お前は冒険者として、アタシ達の為にガチで命を張ってくれて、一緒に血を流してくれてんだからな。それを考えりゃ、同じ風呂を使うことぐらい些細なモンだろ? 男だとか女だとか、妙な気遣いはいらねぇぞ?」
カルビがそう言ってくれたあと、軽く笑ったローザとネージュ、エミリアも頷いてくれていた。
とはいえ、彼女達の体温や気配が余韻として残っている浴室に足を踏み入れるのは、やはり緊張した。気恥ずかしさ以上に、妙な気分になりたくなかった。浴槽の湯は、また掃除や洗濯に再利用されるらしいし、アッシュが入らなくても無駄にはならない筈だ。
そのことに安堵しつつ、アッシュは無心でシャワーを浴びて、身体を洗った。用意してくれていた液状石鹸は、泡立ちも香りもよくて驚いた。
今までアッシュが1人で暮らしていたときには、ほとんど入浴などはせず、魔法である『浄化の霊炎』を使うことで身体や衣類の清潔さを保っていた。
だが、清潔なお湯で身体を温めて清める方が、気持ちが安らぐのは確かだった。
自分の肌がじんわりと温もっていく心地よさは、魔法では味わうことができない贅沢だ。冒険者居住区にも規模の大きい入浴施設が幾つかあるが、どこも利用料が高額に設定されているのも分かる。
ローザの家の浴室には、清掃用の魔導装置が天井にあって、無人になると作動するようになっているらしい。この魔導装置は浴室用の『浄化の霊炎』といった性能で、浴室の汚れを消し去り、水気を払ってくれるのだそうだ。
高級魔導機械術の便利さに感嘆しつつ、寝間着として用意してきた黒のシャツとズボンに着替えた。
脱衣所からリビングに戻って来て時計を確認すると、もう深夜になろうとしている時間だった。入浴を終えてリビングで寛いでいたローザ達も、そろそろ自室に戻ろうとしていたタイミングでもあった。
浴室を使わせて貰ったことに礼を言うと、ローザは眉を下げるように笑って、ひらひらと手を振って見せた。
「お礼なんていいって。また明日ね。おやすみ~」
「おやすみなさい。アッシュ君」
「アッシュさんも、よい眠りを」
リビングから出て行こうとしている彼女達はルームウェアに着替えていて、リラックスした恰好をしていた。
桃色のショートパンツに白シャツを着たローザは、手にフード付きのパーカーを持っていた。ネージュは薄青色のキャミソールの上にカーディガンを羽織り、薄青色のパンツ姿だ。
エミリアは相変わらずと言うか、どこのパーティに出席するのかという具合の、黒いナイトドレスだ。
女性服のブランドなどには全く詳しくないアッシュだが、彼女達が身に着けているものが高価であることや、お洒落でセンスのいいものであることは何となく分かった。
ただカルビだけは、ダボっとした黒いシャツを着ているだけだった。胸元もガバっと開いていて、下着をつけているのは下半身のみだ。健康的で筋肉質な太腿が眩しかった。
そんなカルビがアッシュの肩を組んできて、「じゃあ、アッシュ。今からアタシの部屋に行くか?」などと言ってくるので、アッシュは顔を引いて「えぇっ」と、ほとんど身構えるような声を出してしまう。
「何が“じゃあ”なのよ?」
ネージュが肩越しに睨むように振り返り、「そうだよ」と冷めた声を出したローザも半目になってカルビを見ていた。
「というか、下着が見えるような恰好は厳禁だと昼間に決めたばかりでしょうに……」
露出度の高いカルビの姿を煙たそうな顔で眺めるエミリアだったが、彼女のナイトドレスだって胸元が開いているし、スカート部分にも深いスリットが入っていて、随分と蠱惑的だった。
ローザとネージュの2人もエミリアに視線を映し、「人のこと言えないと思うけど」という表情を向けていた。
ただ、何かを言い合うような流れにならず、ローザ達は互いに軽い笑みを交し合って階段の方へと歩いていった。途中で、4人はアッシュにもう一度振り返って、手を挙げたり、振ったりしてくれた。
「おやすみなさい」
そんな彼女達に、アッシュも軽く頭を下げた。
おやすみなさい。
その言葉を誰かに言うのは、養護院に居たとき以来であることに気付く。気恥ずかしさと共に、奇妙な納得感を覚えた。
“教団”に居た頃のアッシュも。
養護院で過ごしていたアッシュも。
ソロ冒険者として生きてきたアッシュも。
そして、今こうしてローザ達と共に過ごしているアッシュも。
それらは、当たり前だが同一人物だ。
この肉体には、明確に時間的な繋がりがある。
だが、その精神の在りかたは微妙に異なっている。
今のアッシュは、過去の、どの自分とも違う。
違うということを、自覚できる。
そのことを嬉しく思うのと同時に、慣れ親しんだ自問の言葉が意識を掠めていく。
――僕は、何者なのだろう。
アッシュはゆっくりと息を吐きながら、誰も居なくなったリビングの照明を絞った。
薄暗くなったリビングは静まり返り、アッシュが居るにも関わらず、空き家のような静寂が、みるみるうちに満ちていった。縁側と呼ばれていたスペースの大きな窓からは、月明かりが優しく降り注いできている。
用意して貰った部屋に向かう前に、アッシュはその大きな窓の前に腰を下ろす。照明によって浮かび上がった夜の庭園も、やはり調和された光景で美しかった。
アッシュは、これからのことを考えようとした。
これからのこと――。
まず頭に浮かんだのは、ギギネリエスに関することだ。
あの男は、これからどうなるのだろう。
ネクロマンサーとしての特質的な魔力を解明する目的で、王都の魔術研究機関にでも連れていかれて解剖でもされるのか。それとも、何らかの人体実験の素体にでもされるのか。
或いは、ギギネリエスと関わりのあった者達を調べるために、自白魔法と拷問を受けるのかもしれない。そうなれば、ギギネリエスとアッシュの関係も、改めて白日の下に曝されることになるのではないかと思った。
アッシュが人造人間であることや、教団によって肉体的にも精神的にも調律を受けて居たことは、別に隠す必要はない。
アードベルの行政機関、神殿管理や法務に関わる王都の省庁には、養護院にアッシュを預かる際に、必要な説明と報告はクレアが行ってくれている筈だった。
あのとき、冒険者ギルドの上層部を含む治安維持機関が、もしもアッシュの存在を危険極まりないものと判断していたのであれば、あの地下牢でアッシュは処分されている筈だった。
だが、自白魔法によって加害意思の無いことを何度も確認されたアッシュは、この世界に生きることを赦された。
当時も、教団が魔術的な人造生物を拵えるのは珍しくなかったため、どうやらアッシュも、彼らの非道の下に生み出された哀れな孤児として見做されたようだった。
それはつまり、この世界の法と秩序、常識や良識に従うことで、アッシュは“人間”として認められることとなったのだ。
人造人間としての力を抑制する魔導拘束具は常に装着した上で――養護院には他にも子供たちも居ることを考えれば、これは当然の処置だったが――養護院に入ることも許された。
ただ、人間らしさというものから逸脱していた自身の過去を顧みたとき、アッシュは、自分が社会の中で“人間”として生きていくことは難しく思った。アッシュは冒険者として生きることを決めて、この世界に何とか馴染もうとした。
そのために必要なことは、上級冒険者となって華々しい活躍をすることでも、危険な依頼を受けた報酬としての大金でもなく、ただ粛々と職業的な義務と貢献に尽くすことだと思った。
それが冒険者としての――“人間”としてのアッシュの役割だと思った。
だが、ギギネリエスが取り調べを受け、アッシュが死体から製造されたということが改めて分かれば、そして、より特別な過程を踏んで作成された“人形”であるとアッシュが見做されたのならば……。
アッシュが今まで通りの生活を続けるのは、やはり難しいのではないかと思った。
そもそも、“人間”であることを剥奪される可能性もある。
アッシュも研究対象として王都に呼び出され、生ける屍の文字通り、死体人形としての扱いを受け、いくつもの人体実験の材料となることを命じられるもしれない――。
そんな陰惨な想像が次々と浮かんできて、アッシュは緩く頭を振った。自分の過去に纏わるものに対し、無闇に悲観的になり過ぎている自分に辟易する。
ギギネリエスに関することは、まだ何も定かではない。今はギルドからの知らせを待つしかないのだ。
気付けばアッシュは、夜空を見上げながら大窓の前の床に座り込んでいた。片膝を立てるように座り直し、もっと現実的なことを考えようとした。
例えば、『慈悲の院』に入っていたこともあるが、クラン『鋼血の戦乙女』のメンバーに会うことが出来ずにいることだ。
瀕死になったアッシュを高位治癒魔法で救うべく神殿まで運んでもらったことや、チトセから応急治療を受けたことに対する礼も言いそびれたままである。
それに、リーナ達のパーティとも顔を合わせていない。彼女たちにも、貸し宿から家具を持ってきてくれたことに礼を言わねばならない。
神殿で傷を癒してくれたクレアとも、実は碌に会話もできていなかった。
『慈悲の院』から出る前に、クレアに会うべく何度か彼女の仕事場に向かったのだが、その度に、彼女は接客中であったり、他の用事で養護院を留守にしていた。
お世話になりました。
ありがとうございました。
この2つを言えていない人たちが、今の自分には多過ぎる。
そのことを反省すると同時に、アッシュは、今の自分が多くの人に助けられていることを改めて実感した。こうしてローザの家に住まわせてもらっていることもそうだ。
借りている部屋代はもう支払ってあるので、その分はローザの家に住まわせてもらうつもりだった。礼儀的な意味でも、彼女達の厚意を誠実に受けとめるためにも、明日や明後日にこの家を出ていくのは憚られた。
だが、ソロ冒険者であるアッシュが、ローザ達のパーティの拠点に住み続けるというのは、何か違う気がした。何がどうというワケではないが、アッシュにとっては、何かが相応しくない気がした。
ローザ達からの厚意には戸惑う部分もあるが、彼女達に必要とされることは嬉しい。それは間違いない。だが、彼女達との距離が近づくにつれ、もう少し離れなければとも思う。
同時に、今のアッシュは彼女達との適切な距離を見失いつつあるが、彼女達と居ることによって、新しい自分を見つけ始めてもいる。
アッシュは、自分自身の内面が混乱していることを自覚していた。奇妙な感覚だったが、揺れ動いている自分の内部に向き合うことは、決して不快ではなかった。
アッシュは今でも、自分の過去を消化しきれていない。
目の前に置かれたこの世界において、正しい自分の在り方が分からないでいる。
それでも、この世界の常識や道徳を、自分自身から引き剥がすつもりはなかった。自分という存在に折り合いをつけ、少なくとも善良な冒険者でありたかった。
もっと言うならば、ローザ達のパーティに相応しい自分になりたかった。戦力としてというだけでなく、もっと人間的な成長や成熟を伴った何者かとして、彼女達に同行したい。
……あぁ、そうか。
僕はローザさん達のことが、本当に好きになってたんだな。
そんなふうに、やはり平凡なことを思いながらアッシュは月を見上げている。
あの日、ローザに抱き締めて貰ったときのことを思い出す。
アッシュ君は、これからもアッシュ君になっていくんだよ。ローザは、そう言ってくれた。アッシュの過去が、未来に繋がる時が来るのだとも。
今日のこの夜を、いつか懐かしく思う時がくるのだろう。
その時に、僕はどんな想いで、この夜を振り返るのだろう。
思考が流れるままに月を見上げていると、結構な時間が経っていたようだ。
「……おい、アッシュお前、まだ起きてたのかよ」
証明を絞ったリビングの中に、カルビの声が飛び込んで来た。
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不定期更新が続いておりますが、
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