「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」 作:なごりyuki
「あぁ。ローザ達とパーティを組んだのも、特に深刻な理由があったわけではないけれど……。ダンジョンの内で出くわした時に、“ソロなら一緒に組まないか”って誘われたのよ」
ローザ達の話題になったことで、夕焼け空に視線を投げたネージュの声音にも、ようやく明るい色がついた。だがそれも一瞬のことで、すぐに彼女の声音には翳が差してくる。
「もともと私は、ローザ達と組むつもりは無かったわ。でも、ある条件を飲んでくれるのなら、パーティに加わるという取引をしたの」
「条件、ですか……?」
「えぇ」
そこでネージュは、どこか露悪的な微笑を作ってみせた。
「“私が必要とする時には、ローザ達を雇わせて貰う”という契約よ」
それは、つまり……。
「“教団”に関わる依頼があった場合、その討伐や調査に向かう戦力として、ローザさん達に同行してもらう点、ということですね」
「その通りよ。いわば、同行依頼の一形態ね」
報酬を自分で用意することで、一時的なパーティのオーナーとして振舞うことのメリットは大きい。なぜなら、個人的な目的のある冒険活動に、パーティメンバーを連れて行くことができるからだ。
「もちろんパーティに入れば、ソロに比べて自分の取り分は減るわ。でも、等級を更に上げることに関して言えば、ソロよりはパーティを組んだ方が効率も良いでしょう」
ドライな言い方をするネージュは、「まぁ実際のところは、等級も貢献度も、今は大幅マイナスを食らっているのが現状だけれど」と肩越しに苦笑を浮かべてみせる。
冗談めかした口振りではあったが、彼女の薄青い瞳は、夕日の光を受け止めながら強張っているのが分かった。
アッシュは上手く応答できず、ただネージュの目を見つめながら、無言を返してしまう。その沈黙に耐えかねたように、彼女が言葉を続けた。
「つまり……、私がローザ達のパーティに加わったのは、自分の復讐に利用できると踏んだからよ」
当時の自身の心境について、嘘や誤魔化すことをしたくなかったかもしれない。
「『魔女同盟』に属していたときには、メンバー全員が提示してきた金額も法外で、私個人の希望を実践する機会も無かったわ。でも、ローザ達は違った」
無防備なほどに、ネージュの話す内容は露わになっていくふうだった。
「適正な金額で、私の希望を優先してくれると約束してくれたのよ。それも、理由も深く聞かずにね。都合が良かったわ。彼女達は弱くないし、使えると思ったのよ」
利己心も冷酷な打算も、包み隠さずに打ち明けてくれる。
「……私のことを軽蔑したかしら」
自嘲するように声に笑みを含んだネージュだったが、アッシュの眼差しに怯むように前を向いた。彼女の表情が見えなくなる。
「軽蔑なんて」
少しだけ声に力を込めて、アッシュは眉を下げながら首を振った。
自らの過去を、こうして誠実に語ってくれたネージュのことを軽蔑などできるはずがなかった。
「……養護院にいた頃、僕はその院長先生から『どう生まれたかよりも、どう生きるかの方が大事だ』と教えて貰ったことがあります」
そのときは理解できなかったが、今ならば、その意味が少しだけ分かる気がした。
冒険者として“教団”の支部を襲撃し、壊滅させる。
その行為がネージュにとっては復讐であっても、アードベル市民の視点から見れば、実態としては平和への貢献に他ならない。
「少なくともネージュさんは善良な冒険者ですし、悪徳のためにローザさん達を利用しているわけではありません」
今まで彼女達を傍で見てきたアッシュだからこそ、断言できる。
「むしろネージュさんは、ローザさん達のことを大切にされています。ローザさん達も、ネージュさんのことを必要としているはずです」
言いながら、アッシュは立ち止まる。そのアッシュの少し前を歩いていたネージュが立ち止まって、振り返った。
さっきとは逆だ。今はネージュが、道路に伸びたアッシュの影の中に立っている。
「だから僕は、ネージュさんがローザさん達とパーティを組んだ理由にではなく……、共に過ごした時間にこそ、真実があるのだと思います」
ギギネリエスとの戦いの時でも、彼女はローザ達と最後まで戦い抜いて、冒険者として命を懸けていた。
彼女達の間には、絆とでも呼ぶべき繋がりがあるのだとアッシュは信じていた。
彼女達は共に、多くの危機を乗り越えるために協力し、時にはぶつかり合ったりしながらも、今までパーティを続けてきたのだ。
その中でネージュは、憎悪に生きようとしていた頃の彼女自身ではない、何か、違う自分と出会うことができていたのではないか。
ローザ達に出会ったアッシュが、生きる意味を選び直すことができたのと同じように――。
「パーティを組む切っ掛けが復讐心からであったのならば……。ネージュさんが、ローザさん達のことを大事な仲間として想うようになることは、間違いなのでしょうか?」
アッシュが確認するように尋ねると、ネージュは目を強張らせて、何かを言い返そうとするかのように唇を動かした。だが、口にすべき言葉を見つけられなかったように、俯くように目を逸らしただけだった。
「勿論、僕だって、そんなことはないと思います」
唇を小さく噛んだネージュは何も言わなかったが、今度はアッシュから目を逸らさなかった。潤むように揺れる彼女の瞳は、夕日の色に滲んでいる。
この場を険のある空気を流したくなかったアッシュは、ゆっくりと首を振ってから、口許を緩めた。
「もしもネージュさんの復讐心を軽蔑するひとが現れたなら、……僕にとってそのひとは、嫌悪の対象になるでしょう」
ネージュのことを悪し様に語る者が居たならば、アッシュは善悪や正誤ではなく、そして理屈や道徳以上に、自らの感情でネージュの味方になるだろう。
「僕は、冒険者としてのネージュさんの生き方も肯定したいと思います。そもそも、僕も冒険者ですし」
それはそのまま、アッシュが自身の生きてきた時間を肯定することに他ならない。
ただ、この場にローザやカルビ、エミリアがいたのならば、きっとアッシュと同じことを言っただろう。アッシュは彼女達から貰った優しさを、ネージュに手渡すようなつもりで言葉を続ける。
「“教団”への復讐心が、今もネージュさんに生きるための力を与えているのなら……。僕はその復讐心も、大事にすべきだと思います。だって――」
その復讐心が、結果的に誰かの幸福や暮らしを守るのならば、猶更ではないか。
単純だが、アッシュはそう信じたかった。
冒険者となって、“教団”への復讐を選んだネージュ。
冒険者という生き方と枠組への、消滅と埋没を選んだアッシュ。
この生き方が全くの逆であっても、不自然ではないはずだった。
アッシュもネージュも、互いに選択した生き方の先で、こうして出会うことができた。決して美化できない苦しみとして、互いの心に刻まれている過去も、今こうして繋がることができたのだ。
夕日に染まる屋敷街といった風情の8号区の景色は、アッシュとネージュの2人を見守るような静寂を保っている。
また道路に穏やかな風が吹いた。温もりのある、夕暮れの風だった。それが、今の話題を打ち切る合図となった。
「……ありがとう。アッシュ君」
微かに震える声を発したネージュが、普段のクールビューティーとは違う、ふんわりとした笑みを浮かべてみせる。
あまりにも飾り気のない、無垢な少女が泣き顔を隠そうとするかのような笑みだ。
まるでネージュの纏う時間が一人でに巻き戻り、“教団”に攫われる前の幼い彼女が、今のアッシュに礼を述べているかのようだった。
「いえ……。僕の方こそ。色々と話して下さって、ありがとうございました」
アッシュが頭を下げたところで、何かを飛び越えるような足取りになったネージュが、すぐ目の前まで歩み寄ってきた。小柄なアッシュは、長身のネージュを見上げる形になる。
「あ、あのね、アッシュ君……」
切なげな表情のネージュは頬を茜色に染め、言葉を探しながら視線を揺らしていた。
「は、はい。何でしょう?」
「もう少しだけ……、甘えても、いいかな?」
「え、えぇ。僕で良ければ」
「ぁ、ありがとう……。うん……。あ、あのね……」
大人びた美貌のまま、ネージュの口調と声音が、また少し幼くなったように感じられたのだ。いや、親身になったというべきか。
モジモジとした様子のネージュの声音は涙を兆しつつも、自分の弱さを隠そうとしない無邪気さがあった。それは言葉通り、ネージュがアッシュに甘えようとしているからだろう。
誰かに甘えるのにも、勇気がいる。
そのローザの言葉をアッシュが思い出していると、目の前にいるネージュが唇をぎゅっと噛んで、懇願するような、自分を奮い立たせるような声で言う。
「二人でいるときはアッシュ君のことを、その……、ぉ、『お兄様』って呼んでも……、いいかしら?」
「え」
目が点になりそうになって、アッシュは聞き返してしまう。
「お、ぉに……? 何ですか?」
「え、えぇと、だからっ、その……っ!」
ネージュは真っ赤になって目を逸らしつつ、あたふたとした声を出して俯いてしまった。
「さ、さっきも話したけれど、……私の肉体と実年齢には、大きな差があるの。冷凍保存処置の期間を考えれば、今の私は10歳程度だから」
両手の指先を擦り合わせながら、ぽしょぽしょと言葉を続ける。
「ほぼ間違いなく、私はアッシュ君よりも年下だろうし……」
「なるほど。確かに、そう言われてみれば」
ギルドに登録されているアッシュの年齢は16歳だが、これは登録される際の精査魔術で測定された、肉体年齢の数値だ。他にも血液や指紋など、アッシュ個人を特定するような情報もギルドには登録されてある。
実のところ、アッシュも自身の年齢については正確に把握していない。
だが、“教団”で過ごした期間と、養護院で過ごした期間、それに冒険者を続けていた期間を合わせれば、ネージュの実年齢を上回るのは間違いないだろう。
「やっぱり、その、『お兄様』と呼ばれるのは、イヤ……、かしら?」
しゅん……、となってしまったネージュが、泣くのを堪えるように、むにむにと唇を動かしている。
普段のネージュらしくない、その子供っぽい表情こそは、ネージュが心の奥底にひた隠していた彼女らしさなのかもしれない。
ダルムボーグの夜でも、確かにネージュは幼い雰囲気の表情をアッシュに見せていた。だが、今はもっと遠慮がないというか、自然な感じがする。
実年齢相応の無垢さ、純粋さ。それらをネージュが自分に許すのは、同じ種類の過去を共有しているアッシュの存在が必要だったのだろう。
常識的に見れば、それもやはり悲劇に違いない。
だがアッシュにとっては、それはネージュからの信頼のしるしだった。光栄に思うと同時に、やはり恐縮してしまう。
「いえ、僕みたいなのがネージュさんの兄だなんて、あまりにも様になっていないなと思っただけです。嫌ではありませんよ」
もう降参する思いで微苦笑を返すと、ネージュは弾かれたように顔を上げた。彼女の瞳が余りにもキラキラとしていて怯んでしまうが、アッシュは頷いてみせた。
「ちょっと気恥しいですけど、僕のことは好きに呼んでもらっても構いません」
「そっ、それじゃあ……っ!」
ネージュは下唇を何度か噛みながら、周りに誰もいないことを確かめるように、視線だけで周りを見た。夕暮れの8号区道路には、周りに他の人影はなかった。
その静けさに背中を押されたように、夕暮れ色に頬を染めたネージュが、縋るような足取りで更に一歩、アッシュへと近づき、見下ろしてくる。
それは抱擁寸前のような至近距離であり、思わずアッシュが身体を仰け反らせたのと同時だったろうか。
「アッシュ、ぉ……、お兄ちゃん……?」
「えっ」
「えっ……」
アッシュは再び目が点になりそうになって、強張った声が出た。
だって、『お兄様』と『お兄ちゃん』では、同じ親しみが籠められていたとしても、かなり距離感が違う。そのアッシュの反応を見たネージュの方は、なぜか傷ついたような声を洩らした。
「やっぱり、嫌……、だった?」
「い、いえ、違いますよ? 呼び方が変わっていたので、少し驚いたんです」
アッシュが弁解すると、ネージュは安心したように表情を緩めた。そして呼吸を整えるような間を置いたあとで、もう一度、おずおずと口を開いた。
「ぁ、アッシュお兄ちゃん」
その言葉の響きや感触を、慎重に確かめるようだった。
今まで生きたことのない種類の自分を発見し直し、この束の間、その新しい人生の着心地を楽しんでいるのかもしれない。
そこでアッシュは今更のように、当たり前のことに気付く。
ネージュが“教団”へ復讐しようとするのは、奪われてしまった自分自身と家族との時間を、何よりも大切に思っていたことの証なのだ。
本来の幼さを自分に許した今のネージュは、その途切れてしまった本当の人生の続きを――或いは、その代わりとなるものを、今のアッシュとの兄妹ごっこの中に探しているのかもしれなかった。
彼女の心に潜む傷に、直に触れたような気がして胸が痛んだ。
「アッシュお兄ちゃん」
次に発したネージュの声には躊躇もなく、はっきりとした輪郭を備えている。
「はい。何ですか」
アッシュが応えると、ネージュは子供っぽい声で「ぇへへ」と照れ笑い、小さくはにかんで「何でもないよ」と言葉を続けた。
「さぁ帰ろう。アッシュお兄ちゃん」
軽やかに言いながら、アッシュに背を向けたネージュが歩き出した。
「……えぇ。ローザさんの家に戻りましょうか」
アッシュは、そのネージュの少し後ろを歩きながら思う。
人生の出発点がどのようなものであれ、辿り着く場所がどのような状況であれ、生きてきた過程に意味を与えるのは、常に未来であり続ける。過去が持つ意味合いも、ネージュが生きる限り変わっていく。
未来というものが常に問いかけてくるものは、何を成したのかではなく、どう生きたのかだ。
ネージュが残りの人生を復讐に預けきるような選択をしたとしても、それは彼女が冒険者として善良に生きることと矛盾しない。
アッシュとネージュは、同じ濃さの影を引き連れて、薄暮の8号区を歩いていく。涼やかな夕風が吹いてきて、アッシュが深呼吸をしようとした時だった。
くぅぅ、と可愛らしい音が聞こえた。ネージュが動揺するような気配と、彼女が微かに呻くような声も。見れば、アッシュを振り返ろうとしないネージュの耳が、赤くなっていた。
さっきの音は、ネージュのお腹が鳴る音だったのだろう。この場の空気がふわりと膨らみ、優しい空気が流れはじめるのが分かった。
「そういえば、お腹が空きましたね」
そっぽを見ながら惚けるように言うと、唇を尖らせたネージュが肩越しに振り返り、恨めしそうな目を向けてきた。
「……アッシュお兄ちゃんの意地悪」
不貞腐れたように言うネージュの様子が可愛らしく、珍しくて、そしてそれ以上に何だか可笑しくて、アッシュは少しだけ笑ってしまった。