「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」   作:なごりyuki

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第74話 素直になれれば1<リーナ視点>

 

 

 

 

 

 アードベルを3重に囲う分厚い外壁から北門を抜け、そのまま北西に向けて少し行くと、見晴らしの良いニアノード草原が広がっている。

 

 魔物と出会うことも少ないが、薬草や霊草の類が採取できる場所でもないので、冒険するには不向きというか、利益の殆どない場所である。

 

 ただ、平穏に開けたこの草原の空間は、魔法戦やパーティ戦の訓練、冒険者同士の決闘などに便利であるということで、アードベルに住まう冒険者達の間では重宝されているスポットでもある。

 

 リーナも何度か足を運んでみて、人気があるのも納得した。他に冒険者が居たとしても、その広大さの御蔭で特に気にならないのだ。

 

 今も気持ちのいい風が吹いているし、雲も疎らな空も高く、青く澄んでいる。寝転んで昼寝でもしたら最高だろう。

 

 ただ、そんな長閑な風景の中にあっても、リーナ達のパーティは極度の緊張感の中に閉じ込めていた。

 

「ハァ……、ハァ……!」

 

 乱れて弾む息を何とか整えながら、リーナは唾を飲み込む。両手に一本ずつ握った木剣を握り直す。左手に握った木剣の方が短く、右手に握る木剣の方が長い。

 

 以前までは両手剣を扱っていたが、思う所があって、今のリーナは双剣スタイルだ。……別に、アッシュの影響を受けたとかではない。断じてない。うん。

 

 だって、ほら。大振りなロングソードは、ロイドが使ってるし。だったら私は、手数重視で戦うのも悪くないとか思って双剣に慣れようとしてるだけで。うん。別に、アッシュに影響を受けたとか、そんなことは全くないんだけど。

 

 誰に向けてか分からない言い訳を胸中でしながら、リーナは唇を舐めて湿らせた。

 

「これが本当の戦闘だったら私達、もう10回は全滅してるよね」

 

 緊張感を解すための軽口に、何とか空元気を籠める。

 

「いや。違うな」

 

 重心を落としたリーナの隣では、大振りの木剣を構えたロイドも息を荒くしていた。リーナも大量に汗を掻いているが、ロイドも凄い。湯気が立っている。

 

「俺達が受けた心臓や喉首への有効打数で言えば、……恐らくは14回は全滅しているぞ」

 

「けちょんけちょんだねえ」

 

 もう笑うしかないといった感じでリーナは肩を揺らしつつも、集中力は切らさない。

 

 ちなみに、リーナとロイドの持つ木剣には、厚めの布とベルトを巻き付けて、殺傷能力を大幅に落としてある。その分だけ重みが増して扱い難いが、訓練用としては丁度良かった。

 

 そう、これは実戦ではない。

 

 アッシュに魔物役を頼んでの、パーティ戦形式の訓練だ。

 

 リーナの後方では、自身の消耗を誤魔化すかのように表情を歪めているレオン、そして緊張した面持ちのままで大汗を掻いているオリビアの2人が、掠れた声で詠唱を重ねている。

 

 訓練中のレオンは、殺傷能力の高い風魔法は使わず、基本的には土魔法でのパーティの援護に徹するようにしているし、治癒魔法を扱えるオリビアも居てくれているので、余程のことが無い限り、この訓練でアッシュが大怪我をすることはない筈だ。

 

 ……まぁ、アッシュにダメージを与えられる気なんて、全くしないけどさ……。

 

 リーナは唾を飲みながら、ちょっと投げやりに思う。

 分かっていたことだが、こうやって目の前に立たれると改めて思い知る。

 やはりアッシュの存在感は、何と言うか……普通じゃない。

 

 臨戦態勢を取るリーナ達の前で、アッシュは草原の中に静かに佇んでいる。黒いボディスーツ姿の上から、野暮ったい灰色のローブを羽織っている格好だ。

 

 その両手には短めの木剣が握られているが、訓練ために剣身には布を巻き、更にその上からベルトを巻き付けている。

 

 だがそれでも、並みの剣などよりは遥かに切れ味があるように感じさせるのは、やはり、それを手にしているのがアッシュだからだろう。

 

 リーナ達とアッシュの距離は、15メートルぐらいか。

 

 リーナは薄く息を吐きながら、木剣を構えたままで更に姿勢を落とす。ロイドも動かず、精神を統一するような薄い呼吸をしている。

 

オリビアの詠唱が完成した。強力なバフ魔法だ。リーナとロイドの足元に魔法陣が浮かび上がり、澄んだ光が筋力と速度を上昇させてくれる。

 

 草原には風が吹いている。澄んだ風が、熱を持ったリーナ達の身体を撫でていく。少し伸びた草が、リーナの足元でふわふわと揺れていた。

 

緊張で張り詰めた空気の中で、風だけが自由に動いている。

 

 低い声を朗々と紡ぐレオンの詠唱も完成し、土魔法で編まれたゴーレムが地面から起き上がった。5体。ゴーレム達の大きさは、ロイドよりも少し大柄だ。壁役には十分過ぎる。

 

 レオンだって魔力を高める修行を続けていて、ダルムボーグの時よりも、より頑強で強力なゴーレムを造り出せるようになっている。それに、レオン自体の魔力量も大きく増えた。この訓練が始まってからレオンはずっと魔法を行使しているが、魔力切れを起こすような気配も無い。

 

 勿論、魔力消費の低い魔法を主体で使っているからということもあるだろうが、それでも十分、レオンの成長を証明している。そしてそれは、レオンと同じく、訓練が始まってから援護・結界魔法を行使し続けているオリビアも同じだった。

 

 だが――。

 

「……クソが」舌打ち交じりに、レオンが洩らすのが聞こえた。息の上がった声だった。「マジで勝てる気がしねぇ」

 

 ぼやくようなレオンの小声。オリビアが頷くような気配と共に、唾を飲み込むのが分かった。それと、ほぼ同時だった。動いたのは5体のゴーレム。

 

 3体のゴーレムが回復役のオリビアを守る陣形になって、残りの2体がリーナ達よりも先行、アッシュに向かって突進していく。

 

 ズシン! ズシン! ズシン! と草原を踏みしめ、重厚な体の割に俊敏な動きを見せるゴーレム2体が、壁のように並んでアッシュに先制攻撃をしかける。

 

 恐らく今の状況は、リーナ達のパーティにとって最高に近い状況での戦闘だ。

 

 前衛であるリーナとロイドは、オリビアのバフ魔法によって戦力を強化されているし、レオンの土魔法によって、ゴーレム達による戦闘補助も完成している。

 

更に後衛のレオンは、既に迎撃用の土魔法を唱えているし、オリビアも結界魔法の詠唱に入っている。

 

 あとは、魔物役であるアッシュにデバフ魔法をかけていれば、戦闘の準備は万全と言える。

 

だが、そこまで完璧な状況をつくるのは、実戦ではなかなか難しい。魔物が寝ているタイミングだとか、そういう隙だらけの状態を奇襲できたときぐらいだろう。

 

 最高の戦闘準備が完了したとは言えないが、それでもリーナ達は今、アッシュからハンデを貰いまくっている。

 

 だが、まだ全然足りて無さそうだというのが実感だった。

 

 それぐらい、アッシュは強い。

 推し量ることさえ難しいほどに。

 

 リーナ達はそれを、身に染みて分からされている最中である。

 

 躍りかかってくるゴーレム2体を前にしたアッシュは、すぅっ……と重心を落とした。それだけで物凄いプレッシャーだった。

 

 実際、リーナの背後にいたレオンとオリビアの詠唱が明らかに乱れていたし、その呼吸の中にも悲鳴らしきものが混じっていた。

 

だが、2人は詠唱を途切れさせてはいない。アッシュに飲まれきらず、集中力を維持している。リーナとロイドも、アッシュを迎え撃つべく半歩だけ前に出る。

 

 その次の瞬間には、先行していた2体のゴーレムが横向きに吹っ飛んでいた。

 

 中々の吹っ飛び方だった。

 当たり前だが、アッシュの仕業だ。

 

 音もなくゴーレム達に詰め寄ったアッシュの、鋭すぎる後ろ回し蹴りだ。1体のゴーレムを横合いから蹴飛ばして、それに2体目のゴーレムを巻き込んだのだ。

 

 まぁ、あの身体能力を誇るアッシュの蹴撃が弱い筈がない。頑丈そうなゴーレムが蹴り飛ばされているのも然もあらんという感じだが、暢気に納得している場合ではない。

 

 蹴りを放ったあとの残心中のアッシュが、こっちを見ている。

 

 ――来る。

 いや、来た。

 

 もうリーナとロイドの目の前だ。

 

 極端な前傾姿勢になったアッシュが、短剣を手にした両腕を左右に広げて、襲い掛かってきている。汗を掻いている上から、さらに冷や汗が吹き出す。

 

怖い。鳥肌がヤバい。だが、重心は上げない。身体を泳がせては駄目だ。怯んで引けそうになる腰を、リーナは気合で落としていた。

 

 アッシュに勝とうなんて思わない。

 でも、せめて、前を見るんだ。

 この訓練の中で何かを掴むんだ。

 そのためにも、前だ。前。前に出るんだ。

 踏み込め。アッシュの動きを見るんだ。捉えろ。

 見逃すな。先手を打て。ロイドと挟撃しろ。

 無理ならば防御を。せめて回避を。

 

 全力でアッシュの動きに集中するリーナは、また半歩前に出ている。そこにロイドが続く。アッシュを止めるべく、リーナとロイドは迎撃姿勢を取っている。

 

 次の瞬間には、アッシュは上に鋭く跳んだ。それをリーナとロイドは目で追った。追ってしまった。

 

 上に跳んだ筈のアッシュの姿が無かった。

 かき消えた。うそぉ。

 残像という言葉が頭を過る。

前衛であるリーナ達は、遣り過ごされたのだ。

 

 やられた、とリーナが思った時には、アッシュは既に後衛であるレオンを殺戮圏内に捉えていた。

 

「ぉ、俺かよっ!?」

 

 身体を仰け反らせたレオンは、思わずツッコんでしまったという風に声を洩らしていた。だが、アッシュの襲撃に対応して魔法を発動させたのは流石だった。

 

 レオンの足元にある地面が、瞬間的にズブズブズブズブズブズブッ……!!といった感じで、瞬間的に泥濘になった。いや、大量の泥溜まりと言った方が正しいかもしれない。

 

 その泥水が巨大な魚の形を取って、“GAAAAHHHHAAAAAAAAAAAAA――!!”と大き過ぎる口を開けて、アッシュに食い付いた。

 

 新たにレオンが覚えたという魔法、“グラウンド・メガシャーク”だ。

 

 あの獰猛な形状をした魚はサメというらしい。実物はリーナも見たことはないし、シャークではないのか、という疑問もあったが、今はどうでもいい。

 

 とにかく、地面から飛び出してきた巨大なサメの大顎は、バクンッッ!! とアッシュに食らいついた。いや、これは訓練であるから、丸呑みにしたという方が正しい。実戦であれば、あの巨大なサメの口に並びまくっている牙でもって、獲物を噛み殺す。

 

それがあの魔法だ。

 

「よっしゃぁあッ!! やっと俺達の勝ちだぁッ! 一矢報いたぞ、この野郎! ざまぁぁぁあああ――」

 

そうだ。魔力と土で編まれた巨大サメは、アッシュを飲み込んだ。そう見えたのに。

 

勝利を確信したレオンが、杖を持っていない方の手で拳を作り、それを突き上げようとした次の瞬間だった。

 

「――ぁぁぁぇええええええっ!!?」

 

いつの間にかとしか言いようのないタイミングで、アッシュが姿を現していた。隙だらけになったレオンの、すぐ背後だった。

 

 アッシュは、サメに丸呑みされていなかった。

 丸呑みされたように見せかけられた、ということか。

 

 渾身の魔法攻撃を回避されるどころか目くらましに利用されたレオンは、驚愕と悔しさを混ぜ込んだ顔で身体を伸び上がらせたまま、反撃も防御も回避もすることもできなかった。

 

 隙だらけのレオンの背後にすっと踏み込んでいたアッシュは、流れるような動作で両手を振った。両太腿、腰、両脇腹、心臓、肝臓、喉首、後頭部の順番だった。

 

アッシュは手にした布とベルトを巻いた木の短剣で、レオンの急所を軽く叩いた。トントントントントントン……という優しげにさえ聞こえる乾いた音が、リーナにも届いてくる。

 

 まるで楽器でも演奏するかのような軽やかさだ。ゾッとする。あれは間違いなく、無慈悲な殺戮のリズムなのだ。

 

 もしもアッシュが手にしているのが、あの白と黒の短剣だったならば。そう思うと、リーナの背筋に冷たいものが伝う。

 

 蒼褪めているレオンも立ち尽くして身体を硬直させていたが、すぐに舌打ちをした。そして降参したように杖を手放す。

 

「クソが……。死んだわ俺」

 

 悔しげな声でレオンが言ったときには、アッシュは次の標的に襲い掛かろうとしていた。オリビアだ。

 

 結界魔法の詠唱中のオリビアは、レオンが編んだゴーレム達に守られていた。だが、そのレオンは既に死んだ。いや、無論生きてはいるが、訓練上では脱落している。なので、レオンは杖を手放して、ゴーレム達のコントロールを放棄している。

 

 つまり、オリビアの壁役だったゴーレム達は、もう役に立たない。

 

 というか既に動きを止めていて、もはや土で出来た案山子である。あれではオリビアは守れない。それを理解するよりも前に、リーナとロイドはもう地面を蹴って駆け出している。

 

 だが、間に合わない。

 

 アッシュの方が遥かに疾い。姿勢を落としたアッシュは、もうオリビアの目の前だ。両手に握った木の短剣を下げて、オリビアに詰め寄ろうとしている。

 

 「ッ……!」

 

 頬を強張らせたオリビアは明らかに怯んでいたが、同時に冷静だった。厳しい神官修行として、リーナ達に同行してくれていただけのことはある。彼女は勇敢だ。

 

詠唱を完成させた結界魔法を発動し、迫ってこようとしているアッシュの接近を阻み、押し返したのだ。

 

 ここでアッシュの動きが止まった。いや、止まっただけじゃない。オリビアを攻めあぐねるようにして、数歩だけ下がる。これは好機だった。少なくとも、そういう状況に思えた。

 

 身体を前に倒したリーナは草原を踏みしめ、アッシュとの距離を一気に詰めようとした。ロイドもすぐ隣で並走している。レオンの犠牲が生んだチャンスだ。これを生かさない手はない。

 

 そこで、リーナは見た。

 アッシュが微かに首を傾けて、こっちを見たのだ。

 あの静か過ぎる、青みかかった昏い灰色の瞳で。

 

 誘われた、と思った。

 だが、もう止まれない。

 

 多分だが、この状況は作り出すのがアッシュの狙いだったのだ。

 

 オリビアが自分自身を守るために結界魔法を発動すれば、同時に前衛を守るための結界を展開することは難しい。そして、発動している結界自体がオリビアを孤立させる。

 

 これで、リーナとロイドの前衛組と、アッシュが対峙する構図になった。つまり、後衛を含めて3対1であったリーナ達の有利が、瞬間的に2対1になるのだ。

 

 まるで影のように無音で草原を移動するアッシュはもう、結界魔法を発動しているオリビアには目もくれない。

 

 あの瞬間移動じみた踏み込みで、リーナ達に迫ってくる。

 ――かと思えば、もうロイドを横合いから襲撃していた。

 

 ヤバい。何もできない。

 接近されるのが速過ぎるし、アッシュとロイドの間合いも近過ぎる。

 駄目だ。ロイドの隣にいるリーナでも、カバーに入れない。

 

「ぬぅ……!!」

 

 ロイドは大振りの木剣を振り回すのではなく、剣身を体の方に引き寄せて防御姿勢を取りつつ、2歩下がった。

 

そのロイドの両方の手の甲や手首、それに肘の横などを、アッシュは木の短剣でトントントントン……と軽く撫で、叩き、抉るような動きで優しく突いた。どれも防具の薄い箇所だ。

 

 ロイドのような大柄な者を相手にする場合、まずは相手の関節から破壊するのがアッシュの戦闘哲学なのか。今のアッシュが手にしているのが本物の短剣であったなら、ロイドはもう剣を握っていることも難しいだろう。

 

 だが、ロイドもただ下がったわけでない。

 

 今のロイドにはバフ魔法の御蔭で身体能力も上がっている。その筋力でもってして膝を曲げてタメをつくり、地面を蹴って、アッシュに突進したのだ。

 

「おおおおおッ!!」

 

 肉体強化を済ませたロイドの、渾身かつ捨て身のショルダータックルだ。

 

訓練の想定上では両腕を破壊されたロイドだが、まだ戦闘不能ではないと主張するかのような咄嗟の反撃だった。

 

 今のロイドとアッシュの間合いは詰まっている。あの近距離から放たれる、大柄なロイドの突進攻撃は点や線でなく、面での攻撃だ。防御はともかく回避は困難な筈だ。

 

速度もタイミングも十分だった。それなのに。

 アッシュには当たらない。掠りもしない。

 

 このロイドの懸命な悪あがきも、やはり読まれていたのだろう。

 

 その場ですっと体を屈めたアッシュは、音もなく跳躍していた。空中で頭を下にする姿勢になって、突進してくるロイドを軽々と飛び越える。

 

勿論、アッシュはただ飛び越えるだけでなかった。

 

 脚を上に、頭を下にした姿勢を空中で取っているアッシュは、ロイドの両側頭部に木剣の先端を、そっと軽くあてがっていた。

 

 無音のままで致命傷を放ったアッシュは、更に空中で身体を一回転させる。そのままロイドの肩に着地、さらにそこから後方へ跳躍して、身体を捻りながら草原に降り立った。

 

 あらゆる動きの無駄がない。澱みが無い。

 

 だが、その着地の瞬間こそは動きが止まる。

 

 リーナはそこを狙った。

 狙うしかなかった。突破口だった。

 

 リーナの身体にはバフが掛かっている。

 文句のつけようのない踏み込みで、アッシュの横合いから迫る。

 タイミングも完璧だ。ドンピシャだった。

 アッシュは膝を曲げた姿勢で、まだ動かない。

 この瞬間だけは、リーナに分がある。

 

 リーナは既にアッシュを間合いに捉えている。

 木剣を振り抜く姿勢に入っている。もう逃がさない。

 

 この訓練が始めってから、初めてのことが起きたのは、そのときだ。

 

 リーナの左手の木剣での打ち込みを、アッシュが両手の木剣で、挟み込むようにして受け止めたのだ。神速で動き回るアッシュが、今回だけは回避をせずに、防御を選択した。

 

いや、違う。防御せざるを得なかったのだ。

 

 いける。いける……!

 このまま、押し切れ……!

 

 確かな手応えを感じたリーナは、そのまま更に踏み込み、右手の木剣で2撃目を放とうとした。出来なかった。アッシュが防御姿勢を維持することを放棄したからだ。

 

 意表を突かれたわけではないが、咄嗟の反応が遅れる。

 

 両手に握っている木剣を手放したアッシュが、打ちかかろうとするリーナの懐に潜り込んできたのだ。

 

 一瞬で間合いを盗まれたリーナの身体が、前のめりに泳いだ。

 

 その不安定な自分の体勢を理解できたのと同時に、「リーナ……!」そう叫ぶオリビアの声が聞こえた。次の瞬間にはもう、リーナの身体は宙を泳いでから、背中から草原に落ちていた。

 

 軽々と投げられたのだ。何をされたのか分からないぐらいに自然に。

 気が付けばリーナは、草原で大の字になって青空を見上げていた。

 

 やけに優しい落下だったのは、アッシュが途中で勢いを殺してくれたからに違いない。東方に伝わる体術には、相手の力の流れを利用する“合気”という武術があるらしい。

 

そういった類の戦闘技術をアッシュが身に着けていても、もう別に驚かない。そんな気力も消し飛んでいた。

 

 まだ心は折れていない。

 だが、折れていないだけだった。

 

 リーナの中で、戦意や集中力が音を立てて萎んでいくのが分かった。

 

「はぁぁぁああああ……」

 

 全身から力が抜けていく。緑の匂いを含んだ風が、少しだけ強く吹いた。熱くなった体が冷やされて気持ちいい。空も青い。凄まじい虚脱感。

 

「駄目だぁ……」

 

思わず声が漏れる。

 

 風だけが通り過ぎていく静けさの中で、黙ったままでレオンも草原に寝転んでいた。大振りの木剣を地面に置いたロイドも、そのまま地べたに座り込んでいた。結界魔法を解いたオリビアも、項垂れるようにしてしゃがみこんでいる。

 

 誰も喋ることができず、少しの間、涼やかな風だけが吹いていた。さわさわと草原全体が揺れて、やけに静かだった。

 

「……今日は、ここまでにしましょうか」

 

 その静寂が重苦しくなる前に、落ち着いた声音でアッシュが言う。

 

 寝転んだリーナの視界の中で、青空を背負うような構図でアッシュが微笑んでいる。汗一つかいていないし、呼吸だって全く乱れていない。

 

 まるで何事も無かったかのようだ。リーナ達の懸命さの跡形など、この草原の風に全て攫われてしまって、なにも残っていない。

 

 落ち込むのも悔しがるのも、何だか馬鹿馬鹿しくなる。それはリーナだけじゃなかったらしい。

 

「あぁ。今日の訓練はお開きにしてくれよ、先生」

 

まず、半笑いの声を上げたのがレオンだった。

 

「残りの魔力がどうこうっつーより、集中力が完全に切れちまってる。もう何も唱えられる気がしねぇよ」

 

 この訓練中、精神的な消耗が最も大きかったのは恐らくレオンだ。

 

 魔物役のアッシュの動きを注視し、予想し、立て続けに魔法を編み続けたのだ。その集中力は、確かにもう限界だろう。レオンは草原に仰向けに寝転がり、風に吹かれるがままだ。起き上がってくる気配はない。

 

 そんなレオンの後に続いたのは、少し難しい顔になったロイドだ。

 

「……気力が尽きたという意味では、俺もだ。まるで勝ち筋が見えん」

 

溜息交じりのロイドは、苦笑を浮かべてアッシュの微笑みを見上げている。まるで荘厳な霊峰でも遠くに見遣るかのような眼差しだった。

 

「ダルムボーグの時に見て知っているつもりだったが……。剣術も体術も、凄まじいな。お前は」

 

 賞賛というよりも畏怖を籠めるような言い方をするロイドに、アッシュは曖昧な表情で首を緩く振るだけだった。ああやって褒められても、全然嬉しくなさそうというか、反応に困っている風でもある。 

 

 そんなアッシュに助け舟を出すわけではないが、この場の空気を切り替える為、リーナは「はいはい! 汗も掻いたし、ちょっと休憩休憩!」と手を叩いた。

 

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 








 今回も読んで下さり、ありがとうございます!
 皆様からの温かい応援の御言葉に、いつも支えていただき感謝しております……。
 
 遅々とした不定期更新が続いておりますが、
 また皆様のお暇つぶし程度にもお付き合い頂けましたら幸いです……(土下座)

 寒い日が続いておりますが、どうか皆様も体調など崩さぬよう、お気をつけ下さいませ。
 最後まで読んで下さり、ありがとうございました!
 
 
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