「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」   作:なごりyuki

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双剣の治癒術士

 冒険者の楽園などと呼ばれるだけあって、アードベルでは日々、多種多様な武器や防具、魔法道具が製造されている。

 

 そんなアードベルの“職人街”でも、最高峰の武器職人と名高いローザベルス=ハリオルは、『慈悲と涙の女神“ルミネーディア”』を強く信仰しており、治癒魔法の効果を上昇させる効果を持つ杖や錫杖を、刀剣などよりも好んで製作することでも有名である。

 

 ローザベルスが造り出した杖の中でも、アッシュの持つ「リユニオン」は特に異質な存在だった。

 

“再会”の名を持つこの杖は、“出会い”と“別れ”を意味する「エンクエント」、「パルティダ」と名付けられた、2本の短剣に姿を変えることができる魔法武具だ。

 

 アッシュの右手に握られたエンクエントは、真っすぐな剣身と清廉な象牙色が特徴的で、左手に握るパルティダは漆黒の剣身を持ち、禍々しく湾曲した形状をしている。

 

 この二振りの短剣はアッシュの手によく馴染むだけでなく、とにかく頑丈で、滅多なことでは曲がったり折れたりしないし、刃毀れ一つしない。それに、めっぽう斬れる。

 

 ドーム状のフロアを占領しつつあるトロール達の合間を、アッシュは縫うようにして走り抜け、跳び越え、すぐに辿り着いた。

 

 カルビとネージュ、それに、彼女達を取り囲みつつあるトロール達のすぐ近くまで。

 

 もしもカルビとネージュが、先程までのように大振りな得物を巧みに操り、トロール達を蹴散らしているのならば、アッシュはここまで近付くことはできなかった。息の合った彼女達の、苛烈かつ精密な連携に割り込むような真似は、明らかに2人の邪魔になる筈だった。

 

 だが、シャーマンが出てきた今は違う。

 

 強力なデバフ、バインド系統の魔法によって身動きを封じられている2人は、間違いなく防戦に追い込まれている。

 

 彼女達を圧倒しようとしているのは、大柄で狂暴そうなトロールは6体。

 カルビが3体を相手にして、あとの3体をネージュが相手をしている。

 位置的に、カルビの方がアッシュに近い。

 

 そのカルビに襲い掛かっているトロール3体のうち、最も近くに居る1体の背後から、アッシュは迫った。

 

 アッシュの動きが速過ぎるからか。

 

 ついさっき、アッシュに跳び越えられたトロール達も、アッシュに間をすり抜けられたトロール達も、何が起きたのか理解できていないようだった。

 

 そしてそれは、カルビとネージュを仕留めようとしていたトロール達も同じだった。彼らはアッシュの接近に気付いていない。いや、小柄なアッシュの存在自体に、そもそも気付いていないようだった。

 

 アッシュの目の前にいるトロールも、大戦斧で防御姿勢を取っているカルビに、手にした棍棒を叩き込もうとしている。その無防備な背中に詰め寄ったアッシュは、トロールの背中を駆け上がり、跳び越えていく。

 

 その際に、トロールの側頭部にエンクエントを深く埋め込み、即座に引き抜いた。

 

「GU、O……!?」

 

 やはり、何が起こったのか分からないといった声を漏らしたトロールは、前のめりに倒れ込んだ。

 

 その時には既に、アッシュは近くに居た別のトロールの斜め背後から、気配を殺して接近し、またエンクエントとパルティダを振るっていた。

 

 アッシュは2体目のトロールを追い抜きざまに跳躍し、その左の脇腹と左脚を切り裂き、左腕を斬り飛ばしつつ、顎から脳を目掛けて短剣を突き入れながら、このトロールの後頭部に着地。即座に3体目のトロールの頭頂部に向かって跳び移り、首を刎ねた。

 

 カルビを仕留めることに夢中だったこのトロール達は、絶命するまで、いや、最後までアッシュの存在には気付いていないようだった。

 

 2体目のトロールがようやく、「GUAA!?」と苦悶の唸りを漏らし、時間差で倒れる。同時に、3体目のトロールの首が地面に落ちた。

 

 猛接近してきたアッシュに気付いたカルビは、大戦斧を盾にした姿勢のままで身体を反らせ、ぎょっとした表情になっていた。

 

 トロールと戦っている最中だったネージュも横目で目を見開き、一体何ごとかとアッシュを凝視している。

 

「なっ、何だお前!?」

 

「僕は、えぇと……ッ!」

 

 明らかに驚いた様子のカルビにそう訊かれても、アッシュが自己紹介をしている暇はなかった。残りの3体のトロールが、前と左右の3方向から挟み込み、ネージュに武器を振り下ろそうとしている。

 

「く……ッ!」

 

 再びトロール達に向き直ったネージュが、瞬間的に顔を歪めるのが分かった。

 

 残った3体のトロール達の武器は、大剣、大鉈、鎖付きの戦鎚だった。

 

 身動きが碌にとれないまま、あの大振りの武器で3方向から攻め立てられれば、あの大槍でも全てを捌き切るのは難しいだろう。

 

 ネージュが着込んでいる蒼と黒の鎧で受けるにしても、トロール達の攻撃を至近距離で受ければ無事とはいかないはずだ。

 

 彼女の全身鎧が優れた魔導防具であっても、シャーマンの魔法によるデバフ効果が掛かっていることも考慮すれば、受けられない。

 

 カルビが咄嗟にネージュのカバーに入ろうとしたが、バインド魔法の影響か、すぐに膝が崩れてしまった。「クソが……ッ!」悪態をついたカルビの大戦斧では、届かない。

 

「僕が出ます……!」

 

 そうカルビに応じるよりも先に、アッシュは右手に握っていたエンクエントを鋭く投げ放った。

 

 大鉈を振り上げ、ネージュの右側から踏み込もうとしていた、戦鎚トロールに向けてだ。このトロールは兜を被って胸鎧を身に着けていたが、関係なかった。

 

「BUGA……ッ!?」

 

 エンクエントの真っ直ぐの剣身が、兜ごとトロールの眉間をガツンと貫いた。

 

 兜トロールは頭にエンクエントを生やしたままで、ゆっくりと後ろに倒れ込んでいく。これで都合4体のトロールを無力化した。だが、まだ2体が残っている。

 

 ネージュの正面の大剣トロール。

 それと、ネージュの左側。大鉈のトロールだ。

 

「GUUOOOOッ……!!」

 

 鎧を着込んでいる大剣トロールは、頭に短剣を生やして倒れていく兜トロールを押し退けるようにネージュに迫った。その攻撃は容赦も何もない、豪快過ぎる大剣のフルスィングだった。

 

 エンクエントを投げ放つと同時に飛び出していたアッシュが、ぐいっとネージュを抱き寄せるように庇っていなければ、ネージュは大ダメージ必至だったろう。

 

 鎧を着込んだネージュの体は、それなりに重かった。だが、間に合った。ギリギリだった。一瞬前までネージュの上半身があった空間を、トロールの大剣がブォォォォン!!と通り過ぎていった。

 

「っ……!」

 

 ただ、トロールが振り抜いた大剣は完全に空振りしていたわけではない。その切っ先は、ネージュを庇ったアッシュの右肩の肉と骨を大きく削っていた。

 

 アッシュが着ている灰色ローブも斬り裂かれ、アッシュの右腕の肩口から、派手に血が飛んだ。砕けた骨の破片が、血に混じって弧を描く。

 

 激痛と共に、ネージュを抱えていた右腕から力が抜けそうになる。

 

 だが、それがどうしたという感じだった。

 アッシュにとって苦痛は、慣れ親しんだ感覚だった。

 思考よりも、意識が冴えてくる。

 

 アッシュは咄嗟に、左手に握っていたパルティダを逆手に握り直した。そして左腕でネージュを抱え直す。手にしたパルティダでネージュを傷つけないよう注意を払いながら、再び跳び下がった。

 

「ぁ――!?」

 

 驚いたような声を洩らすネージュを抱えたまま、アッシュは素早くトロール2体から距離を取る。至近距離でネージュの視線を感じた。だが、彼女に何らかの反応を返す余裕は無い。トロールが追撃してくる。

 

 今度は大鉈のトロールだ。シャーマンの護衛を務めていたところから見ても、他よりも戦闘力の高いトロールなのか。巨体ごとぶつかってくるような鋭い踏み込みだった。

 

 「MUGUUAAAAA――ッ!!」

 

 躱せなかった。次はより深く斬られた。ネージュを庇うように左に跳んだアッシュの背中、右肩の後ろあたりだ。アッシュの背中の肉が抉れる衝撃が、鎧を着込んでいるネージュにも伝わったのかもしれない。

 

「貴方……!」

 

 アッシュの腕の中でネージュが切羽詰まった声を出し、近くに居るカルビも唾を飲むような気配を感じた。ただアッシュの意識は、すぐに大剣トロールと大鉈トロールに戻った。

 

 アッシュは、自分の体がどんどん軽くなっていくのが分かった。

 

 ヤツらは大きく振り抜いた武器を構え直そうとしている。

 ネージュを抱えたアッシュは、肩越しにその隙を見逃さなかった。

 

 腕の中のネージュを地面に座らせると同時に、アッシュは息を薄く、小さく吸った。吐かずに、そこで息を止める。重心をすっと下げてから、無音のままで体を翻した。

 

 身体を倒して地面を蹴ったアッシュは、大剣トロールとの距離を一瞬で盗む。次の一瞬で半円を描くようにしてその背後に回り込み、跳躍し、トロールの肩を足場にして、しゃがみこむ姿勢をとった。

 

 それら一連の動作が速すぎて、大剣トロールにはアッシュが消えたように見えたのかもしれない。実際に、大剣トロールは反応できておらず、アッシュの姿を探すように首を巡らせようとしていた。だが、出来なかった。

 

 トロールの肩に乗ったアッシュが短く息を吐きながら、その頭頂部にパルティダを突き入れたからだ。

 

「GI……ッ!?」

 

 短い呻き声を漏らしたトロールは身体をびくっと硬直させたあと、アッシュを肩に乗せたままで、ゆっくりと前のめりに倒れた。

 

「MUa!?」

 

 大鉈のトロールは、そこでアッシュの危険さのようなものを感じたのかもしれない。ネージュではなく、アッシュを正面に見据えようとしたが、これも出来なかった。

 

 既にアッシュはこの時、大剣トロールの頭頂部に突き刺したパルティダを引き抜きざまに、その柄を噛み、トロールが取り落としていた大剣の柄を足先で蹴り上げ、左手で握り込んでいた。

 

 間髪を入れず、アッシュは鉈剣のトロールの懐まで無音で潜り込み、手にした大剣を突き上げるようにして、その喉首に叩き込んでいた。

 

「BU、GeEEッ!?」

 

 鉈剣トロールは、吹っ飛ぶようにして仰向けに倒れる。

 

 6体のトロールを始末したアッシュは、噛んでいたパルティダを左手に持ちかえて、自分の体を見下ろした。

 

 千切れかけた右腕と、斬られた右肩、それに背中が熱い。傷口から血が溢れて身体を濡らし、ボディスーツの中が血だまりになっている。治癒しなければ右腕は使えそうにない。

 

 とりあえずといった感じで、止血用の初級治癒魔法を素早く唱えた。左手に握ったパルティダの感触を、掌の中で確かめる。アッシュにとって、この金属の持つ冷たさは、生命を砕く感触よりもよっぽど実在的だ。

 

 痛みはある。傷も深い。

 だが、身体は動く。

 

 うん。

 問題無い。

 まだまだ戦える。

 

 ――まだ殺せるだろう?

 

 不意に頭に響いた声を追い出すように、アッシュは軽く頭を振った。

 

「……怪我はありませんか?」

 

 アッシュは逆手に握ったパルティダの血を振るい、ネージュとカルビに向き直る。

 

「ぃ、いや、怪我っつーか、お前、自分の心配しろよ……」

 

「私達はともかく、貴方の右腕が……っ」

 

 呆然とした様子でアッシュを見つめているカルビと、悲痛な表情を浮かべるネージュの2人には、大きな怪我はない様子だ。ただ、シャーマンが発動させた拘束用の魔法円は、依然として彼女達の喉や手首、足首に嵌ったままである。

 

 彼女達を弱体化させ続けている拘束魔法を解除するには、やはりシャーマンを倒すしかないのだろう。だがとにかく、彼女達が無事で良かったと思う。

 

「いえ、僕は治癒術士ですので、これくらいは平気です」

 

 自分の血で塗れたローブを見下ろしつつ、アッシュは出来るだけ自然な笑顔を作って、明るい声を出したつもりだった。

 

「平気って、お前……」

 

 顔を歪めて絶句するカルビと、アッシュの右腕を辛そうな表情で見詰めてくるネージュに対し、アッシュはどんな表情をして見せればいいのか分からなかった。

 

 どうも自分の言動は場違いで、今の状況にそぐわないものなのだろう。だが、そんな気まずさを暢気に味わっている場合ではない。

 

 このドーム内の戦闘は、まだ終わっていない。

 寧ろ、激しさを増してさえいる。

 

 ただ、今までアッシュの存在に気付いてさえいなかった他のトロール達が、動揺と共にざわついているのが分かった。トロール達は恐らくアッシュのことを、突然発生した、無視できない戦力として認識したようだ。

 

「アッシュ君! 大丈夫!?」

 

 魔導ショットガンをぶっ放すローザの大声が響いてくる。

 

「此方の2人には、大きな怪我はありません! 大丈夫です!」

 

 すぐにアッシュも声を張って、離れた位置に居るローザへと答える。

 

「いや2人も大事なんだけど、アッシュ君の怪我のこと……!」

 

 少し怒ったような顔になったローザは、今まで使っていたショットガンに加えて、大型の拳銃型のものまで取り出して、徹底的にシャーマンの動きを牽制してくれている。

 

 とにかくローザが魔法弾を連射してくるので、シャーマンはその魔法弾の無力化に専念するしかなく、アッシュやカルビ、ネージュ達に向けて魔法を準備することができていない。

 

 それどころか、今ではローザの方が押している。打ち消してくるシャーマンの詠唱を上回る速度で、魔導銃を連射しているのだ。

 

 今も、シャーマンが打ち消し損なった魔法弾が発動する。

 

 ローザが魔導拳銃で撃ち出した魔法弾だ。炎熱系の魔法か。発射された後、空中で魔法円が展開されるのはショットガンの時と同じだが、そこから発生するのは、分裂して飛んでいく巨大な火球の群れだった。

 

 ボンボンドドン!! と重低音な破裂音を響かせ、火花を散らす炎弾。それらが拡散しながらザァァァーっと降り注ぐようにして、シャーマントロール達へと飛んでいく。魔法の炎は濁った山吹色で、ドーム内を明るく照らした。

 

 めちゃくちゃ派手だし、見た目通りの威力も備えているのはアッシュにも分かった。熱波が顔に吹きつけきて、左腕で顔を庇う。

 

「GUUURA――ッ!!」

「GIIIIIIHHHIIIIIII――ッ!」

「MUUUGUUUEEAAAAHH――ッ!」

 

 シャーマンは防御陣を展開して爆炎を防いでいるので、ローザの攻撃はやはり決定打になっていない。

 

 だが、周りにいるトロール達は火達磨だった。無事なトロール達ですら、若干の怯みを見せている。ここにきて、確実に奴らの動きが鈍った。或いは、ローザはそういう効果を期待して、炎熱魔法弾を選択しているのかもしれない。

 

 とにかくローザが援護に回ってくれたおかげで、カルビとネージュを庇うことができたのは明らかだった。

 

「ムォオオオオッホッホッホッホッホーーーーーォォォァア!! 流ァァァ石はローザさん! この(わたくし)が見込んだだけのことはありますわ! さァ、このままトロール達をギッタギタにして差し上げましょう!」

 

 漆黒の大盾を操るエミリアは、魔導銃を撃ち出すローザを鉄壁の防御でトロール達から守りつつ、熱いエールを送っている。文字通りの盾役として、エミリアはまさに完璧だった。

 

「そうしたいのは山々なんだけどね……ッ!」

 

 だが、攻勢に出ていたローザの優位もここまでだった。

 

 魔導銃の強力な魔法弾も無限ではない。弾薬は必ず尽きる。魔導銃の使用者であるローザの魔力もまた、無限ではない。

 

 その瞬間は、間もなく訪れた。

 

「……!」ローザの構えたショットガンが沈黙する。拳銃もだ。「ぅ、く……!」

 

 ついでに、ローザの身体も横によろよろっと泳いだ。ローザは魔導ショットガンを杖のようにして地面につき、なんとか踏ん張ってみせる。

 

「ローザさん!」

 

 盾を構えたままのエミリアが、咄嗟にローザの体を支えた。だが、ローザの魔力切れが近いことは、アッシュから見ても明白だった。ローザの顔は瀕死の病人のように蒼白で、その唇は青黒くなっている。

 

 そんなローザの消耗した様子を見て取ったシャーマンは、そこで勝利を確信したのかもしれない。

 

 ヤツは獣と爬虫類を足したような顔面に笑みらしきものを浮かべ、手にした杖をローザに向ける。そして再び何かを唱え始めた。

 

「GARU、GUGAGUMUMUGU……NUGU、MU、GA……GIGO!」

 

 だが、先程のバインド系の魔法詠唱とは違う。あれは攻撃魔法か。シャーマンの胸の前辺りに、どす赤い魔法陣が編まれ始めている。巨大な魔力の奔流だ。濁った光が溢れて、ドーム内を錆色に染めていく。

 

 ローザは、あのシャーマンは爆発系統の強力な魔法攻撃を使えると言っていた。それによって、ダンジョンの通路が崩落したのだとも。

 

 シャーマンは恐らく、バインド系統の魔法で拘束するのではなく、ローザを守るエミリアごと、魔法で吹き飛ばそうとしているようだった。その証拠に、エミリアとの距離を詰めようとしていたトロール達が、一斉に下がり始めている。

 

 今だ。

 

 そうアッシュは思った。

 今こそ自分が動く時だ。

 

 状況を見ろ。

 そう自分に念じる。

 

 今のローザは、魔力切れ寸前で魔導銃を撃てない。そのローザを庇うエミリアは、シャーマンの魔法攻撃の標的になっている。

 

「くそ……! 駄目だ! 魔法陣が外れねぇ!」

 

「エミリア! ローザを連れて逃げて……ッ!」

 

 アッシュの傍にいるカルビとネージュも、まだ動きを拘束されている。術者であるシャーマンが健在のために、バインド系統の魔法効果も継続したままだ。

 

 だが、アッシュは動ける。まだ戦える。

 身体を前に倒し、駆け出す。

 右腕は動かないが、構わない。

 

 決死のローザが作ってくれたこの好機を、逃がすつもりは無かった。

 

 アッシュは疾駆しながら、左手に握っていたパルティダを、刃が顔の右側にくるように噛んだ。これで左手が空いたので、シャーマンとの距離を詰める途中で、倒れた兜トロールに突き刺さったままのエンクエントを左手で回収する。

 

 アッシュは姿勢を前に倒しながら、口でパルティダの柄を強く噛み、左手でエンクエントを握り締めた。

 

 シャーマンの周りに居るトロール達が、駆けて来るアッシュを見てざわついた。攻撃魔法を詠唱しているシャーマンも、途中でアッシュを一瞥してくる。だが、ヤツはすぐにローザとエミリアの方へと視線を戻した。魔導銃を撃ってくるローザの排除を優先したのだ。

 

 

 ローザが撃ってくる魔法弾の対処に追われていたシャーマンは、アッシュの戦闘を見ていなかったのだろう。小柄なアッシュなど、このフロアのトロールの数から見れば、脅威にはならないと踏んだに違いない。

 

 少なくとも、シャーマン自身が対処する必要は無いと判断したのだ。

 

 アッシュは今まで、他の冒険者達からも雑魚だチビだのと言われ続けてきた。あのトロールも同じだ。その油断に、今は感謝した。

 

 駆ける速度を上げる。もっと。もっと疾く。

 

 背後でカルビとネージュが何かを言っている気がしたが、アッシュは彼女達の言葉を置き去りにする。

 

 とにかく優先すべきは、ローザとエミリア守ることだ。つまりは、シャーマンを仕留めることだ。だがそれは、今はやけに簡単に思えた。だって、シャーマンを中心としたトロールの集団は、もうアッシュの目の前だ。

 

――お前は道具だ。

――お前は人形だ。

 

 それでも構わないと、今は思う。

 何らかの“役割”の中に入り、それを果たせるのなら。

 僕が何者であるのかなど、関係がない。

 

 僕は道具であり、人形である。

 冒険者として生きる、魔王の“器”。

 その出来損ないであり、不全なガラクタ。

 

 でも、それでいい。

 今の僕には、できることがある。

 

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