「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」   作:なごりyuki

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翳り、血はまだ流れず

 

 

「ぐ……ぁ……ッ!!」

 

 俺は飛び起きる。身体を起こす。

 此処は。……宿舎の自室。ベッドの上だ。

 

 窓からは澄んだ朝日が差してきている。

 俺は呆然とする。息が荒い。心臓が跳ねている。

 汗が噴き出している。喉が渇く。

 瞼の裏、それと頭の奥に鈍痛が居座っていた。

 

 だが、それらの感覚が遠い。借りものように感じられる。

 自分の肉体が、まるで自分のものではないかのようだ。

 

 俺は。俺は――。

 俺は、どうなった?

 

 ベッドの上で頭を抱えた。記憶の中を必死に掘り起こす。

 昨日の夜のことを必死に思い出そうとする。

 

 俺は、サニアを尾行していた。それは思い出せる。自分の醜い嫉妬や、精神を削られるような焦燥感も。苦々しく思い出せる。この胸の内に刻み込まれている。

 

 だが、そのあとだ。俺は、振り返ったサニアの視線をさけるために路地裏に入った。だが、そこまでだ。記憶が途絶えている。

 

 何者かの声を聞いた気がする。

 あれは、男の声ではなかったか。

 それとも、ただの気のせいか。分からない。

 どうしても思い出せない。

 瞼の裏に痛みがある。頭も重い。

 

 そもそも俺は、どうやって部屋まで帰ってきたんだ――?

 

 ちゃんと部屋着に着替えている。

 入浴も済ましたのか、汗臭さもない。

 口の中に粘り気もない。

 寝る前に歯も磨いているようだ。

 

 部屋の扉がノックされた。ギクリとする。

 

「ジュード。起きていますか」

 

 責めるような声。サニアの声だ。

 

「今日は、私の隊との合同演習です。寝坊して遅刻とは感心しませんね」

 

「あ、あぁ……! そ、そうだったか!? てっきり、非番だと勘違いしていたよ!」

 

 俺は慌てて声を出す。今まで聞き慣れた筈の自分の声が、自分のものではないように聞こえた。なんだ、この違和感は――?

 

「なるほど……。昨日は珍しく深酒をして宿舎に帰ってきたと思えば、勘違いが故ですか。それで寝坊をしたと」

 

 扉の向こうのサニアが、溜息交じりに言う。

 

「さ、酒……?」

 

 俺には酒を飲んだ覚えなど無い。急に心細くなる。扉越しにサニアが応じてくれる。

 

「覚えていないのですか? ジュード。あなたは自分で言っていましたよ。酒を飲み過ぎたと」

 

「俺が言ったのか? きみに……?」

 

「えぇ。昨日の夜遅くに、私とあなたが宿舎の前でばったりと会ったときに。赤ら顔のあなたは、機嫌良さそうに笑っていましたが」

 

「そ、そうか。あぁ。そう……だったかな」

 

 俺は曖昧に話を合わせる。手で顔を覆う。酒。酒か。ヤケ酒でも飲みに、バーか何かに俺は入ったのか? 分からない。思い出せないままだ。手で顔を擦る。サニアの声が届いてくる。

 

「飲酒については個人の趣味です。私が口を出すべきことではありません。ですが、記憶を失うほどに飲むのはやめておくべきです。明らかに健康を害します」

 

「あぁ。本当にそうだ。二日酔いかな。……頭が痛くてさ。内臓とかいろいろ、感覚が変な感じだよ。ゾンビにでもなった気分だ」

 

「どれだけ飲んだのですか」サニアの呆れ声。

 

「そういえば……。きみも夜に出かけてたんだな」

 

 無意識のうちに訊いていた。サニアは素直に答えてくれる。

 

「マクネム総隊長からの文書を、職人街の工房に幾つか届けてきました。急を要する注文だったのでしょう。あとは魔法薬を買いに。これは個人的な買い物ですが」

 

「そ、そうか。てっきり……」

 

「何ですか?」

 

 愛しのアッシュ君に会いに行っていたのかと思った。

 

 そう冗談めかしてみせるには、今の俺には心の余裕が無い。必死に記憶を掘り起こす。だが、やはりサニアと会話したことなど思い出せない。

 

 本当に俺は酒を飲んだのか……? 俺は普段から酒場に足を向ける方ではないし、酒に詳しくもないし、そんなに飲む方でもない。

 

 いや、だからこそ昨晩の俺は、自分の許容量を超えたアルコールで、一時的にでも苦痛から逃げようとしたのかもしれない。

 

 そう仮定してみると、サニアから聞いた俺の言動とも一致する。

 

「昨日から体調が優れなかったようですが、その影響では?」

 

 俺が黙っていると、扉の向こう側から気遣わしげな声が届いてくる。優しい口調だった。俺の胸が情けなく痛んだ。

 

「大丈夫さ。ただ調子に乗って飲んだだけだよ。多分。だから、すぐに行くよ」

 

 俺はできるだけ明るい声を出す。その声すら調子が外れて、やけに掠れていた。やっぱり、本当に酒を飲み過ぎたのか。今更だが、喉が灼けているような気もする。

 

「そうですか。では、先に始めていますよ。それと……」

 

 扉の向こうのサニアの声が、厳しくも凛としたものになる。普段の彼女の声だった。俺は何となく安心している。俺の知っているサニアの声だ。

 

「あぁ、分かってる。遅刻の罰則だろう? 訓練場50周と便所掃除、あとは、なんだっけ……。まぁいいや。やるさ。ちゃんとペナルティは受けるよ」

 

「えぇ。あなたが反省する態度を見せてくれるのならば、問題ありません。では」

 

 サニアの気配はすぐに扉の前から消えた。訓練場に向かったようだ。俺も急がないといけない。ベッドから立ち上がる。一応は、思い通りに身体は動いてくれた。

 

 やっぱり、昨晩の俺は酒を飲んでいたのだろうと納得する。だとすれば、頭の奥に埋め込まれたような鈍痛も、ただの二日酔いだ。深く考える必要は無い。

 

 俺は日常に戻る必要がある。

 

 バーキャス歌劇場。その周辺警備。規模の大きな任務だ。あと2か月ほどに迫っている。総隊長も言っていたが、準備も訓練も仕上げていく必要がある。

 

 歌姫本人や貴族の客なども来る。当日は平和であればいい。何事かが起こったとしても、被害を最小限まで食い止めて人命を守るのが俺たちの役目だ。

 

 今から気は抜けない。数週間後には、歌姫を迎えるためにサニアも王都に向かうのだ。俺もしっかりせねばならない。

 

 俺は制服の上から軽装鎧を身に付けながら、軽い眩暈を覚える。

 

 目を覚ました時に感じた、あの悪寒や息苦しさ、動悸、それに、自分の体が自分のものではないような気味の悪い感覚が、まだこびりついている。頭の奥が痛んだ。

 

 こりゃあ、マジで酷い二日酔いだ。

 

 俺は一人で軽く笑う。本当にゾンビにでもなった気分だ。大急ぎで身だしなみを整え、愛用の大剣を担いで、足早に廊下に出る。

 

 朝飯は抜きだ。訓練場に向かう。はやくサニアの顔が見たかった。おかしいな。何で俺は今、こんなにも無性に寂しさを感じているのだろうか。

 

 

 

 

 

「アッシュ君が居なくて寂しいのは分かるけどさ……。そろそろ元気出そうよ。ネージュもエミリアも」

 

 朝食を済ませてリビングのソファに凭れたローザだったが、思わず疲れた声を洩らしてしまう。

 

「そうだぜ、お前ら。そんな辛気臭ぇ顔のままで警護任務に臨む気かよ?」

 

 ローザと同じく、リビングのソファに腰を下ろして脚を組んでいるカルビも、今日は珍しく真面なことを口にしている。

 

「ったくよぉ……。今日は天気もいいし爽やかな朝だってのに。お前らのせいで葬式みてぇな空気じゃねぇか」

 

 顔を歪めたカルビが指を向けた先では、エミリアとネージュが生気の無い顔で、ソファに沈み込むように座っている。『ずーん……』といった暗い重低音が聞こえて来そうな感じだ。

 

 さっきから2人はずっと床を見詰めていて何も話さない。ときどき彼女達が溢す深すぎる溜息のせいで、家の中全体が薄暗くなったような気さえする。

 

 クラン『鋼血の戦乙女』、そして“剣聖”サニアを含むクラン『正義の刃』と共に、アッシュが王都へと向かってから今日で2週間ぐらい。

 

 その間は当然、ローザ達はアッシュに会うことができずにいる。

 

 まぁ、そんなことは了承済みというか、分かり切っていたことだ。ちょっとの間、アッシュはローザ達から離れて冒険者としての仕事をする。ただそれだけのことだ。

 

 だが、エミリアとネージュの状態というか症状というか、そういうものがここ数日ほどの間で深刻になってきていた。

 

「……気落ちしていてはならないとは、私《わたくし》も分かっているんですのよ。分かってるのです」

 

 ゾンビのようにふらふらと顔を上げたエミリアが、申し訳なさそうにローザとカルビを見た。

 

「でも……、こう、気になってしまって……」

 

 訪れる未来に怯えたような目つきのエミリアは、縁側の大窓を見遣り、ソファに座ったままで自分の体を抱き竦めるようなポーズになる。

 

「あの“ケンタウロス”で移動中のアッシュさんは、他の戦乙女の方々や、サニアさん達とも御一緒なんでしょう? この世界から隔離されて……」

 

「いや、まぁ、ある意味で隔離はされてちゃいるが」とカルビが、不味そうな顔で溢す。

 

「ケンタウロスって、そういう馬車だしね。護衛用というか」

 

 苦笑してローザも言い足すが、もうエミリアの方は聞いていない様子だ。

 

「ほら……。アッシュさんの愛らしさは、もう魔性ですから」

 

 窓の向こうの青空に向けられたエミリアの緋色の瞳は、若干、焦点が合っていない。だが、その言葉にはやたらと力が籠っていた。

 

「アッシュさんの魔性に惹かれた戦乙女の方々が、こう……、アッシュさんと仲睦まじくなって……、すぅぅぅ……、一夜の過ちと言うか、一線をこえていくというか……、ずっぽり……しっぽりの可能性も……、ねぇ? 無いとはいえないでしょう?」

 

 空虚な眼差しを空に向けたまま、エミリアはぶつ切りになった言葉を溢していく。

 

 そういえば……、ほら?

 ケンタウロスには、お風呂もあるみたいですし……。

 アッシュさんと、お風呂……。

 むほほ……。良いですわねぇ……。

 あぁ、でも、今この瞬間にも……。

 アッシュさんの柔肌に……。

 私ではない、他の女性の手が触れているかも……。

 アッシュさんのお尻に……、誰かが触れて……。

 ああぁん……。もう許せねぇ……。

 勘弁なりませんわねぇぇええ……!

 

 此処ではどこかに目を凝らすようなエミリアの声音は、途中から譫言のようになりながらも、唐突で強烈な怒気を滲ませ始めている。

 

「アッシュおに……アッシュ君の心配をするのか、妄想で興奮するのか、それとも怒るのか、どれかにしなさいよ……」

 

 うっそりと顔を上げたネージュが、横目でエミリアを睨んだ。だがそう言うネージュ自身も、すぐに不安そうに顔を曇らせ、また俯いてしまう。

 

「でも確かに、アッシュおに……アッシュ君が、他の女性と親しくなっていく可能性は捨てきれないわよね……。私達の見えないところで、私達の意志が通じない領域で……」

 

 両手に顔を埋めるようなポーズのネージュも、何もそこまでと言いたくなるような、めちゃくちゃ深刻な声を洩らす。地面に落ちて転がるような重たい口調だった。

 

「そんなこと気にしてんのかよ、お前らは」

 

 半笑いのカルビが喉を鳴らして、紅茶に口を付けた。それから脚を組み替えて鼻を鳴らす。

 

「でもまぁ……。そういう事態になるのも、無いとは言い切れねぇかもな」

 

 腕を組んだカルビは顎をしゃくれさせ、難しい顔つきになって視線を下げた。彼女の美貌は凄絶で狂暴だが、ああいう静かな思案顔も似合うのだ。

 

「アッシュが帰ってきたら、“実はお付き合いすることになったひとができて……”、なんて話をされるかもしれねぇぞ。……クソ。自分で言ってて、何かソワソワしてきやがった」

 

「そこまで関係が進む心配は無いんじゃない? 流石に」

 

 この話題を冗談として片付けたくて、ローザは軽く笑ってみせた。

 

「いつだって最悪を想定するのが冒険者だぜ?」と肩を竦めたカルビが、どこまで本気か分からない口振りで応じてくる。

 

「もうちょい現実的なシチュエーションを想定するなら……。“今回の任務を通じて、実は気になるひとができて……”なんて、アッシュから恋愛の相談をされたりしてな」

 

「んほぉぉお……、想像したらキクぅぅぅぅう……!」

 

 絞り出すような掠れ声を発したエミリアが苦悶の表情で、天を仰ぐように体を仰け反らせた。そしてすぐに、崩れ落ちる身体を投げ出してソファに凭れた。

 

「あぁ~……、ほら、……ほら……、私《わたくし》はもうダメですわ……。ほら……もう、身体に力が入りませんわ……あぁ~ダメダメ……ほら……、心もバキバキに折れて……ほら……もうダメですわこれはもうほんとにダメ……」

 

 口を半開きにして光の無い瞳で天井を見上げるエミリアは、やはり譫言のように言いながら動かない。

 

「……呼吸困難になりそぉ……」

 

 マジで辛そうな感じで顔をくしゃくしゃにしたネージュも、エミリアと同じようなことを想像したのだろう。もう座っていられないといった様子で、横向きに身体を倒した。

 

 ちょうど、身体を放り出すような姿勢のエミリアに膝枕される恰好になる。

 

 大丈夫かな? この2人……。かなり症状が重そうだ。

 警備任務で使い物になるのかどうか、ローザはちょっと心配になる。

 

 歌姫を巡る護衛、警備任務は、日が経つにつれて規模が大きくなってきていた。

 

 ローザ達が警備に就く歌劇場の敷地内だけでなく、歌劇場の周辺地区にまで冒険者を配置することを、数週間前にギルドが決定したのだ。

 

 各号区にあるギルド支部でも、追加人員の募集をかけていたはずだ。敷地外の警備に関しては、女性冒険者だけでなく、男性冒険者も参加できるようになっていた。

 

 また、この周辺警備には『正義の刃』もクランメンバーを多数派遣することも決定している。歌姫のコンサートが開催される日程中は、かなり厳重な警備体制になるはずだ。

 

 大陸各地の大型都市から足を運んでくる歌姫のファン達、とりわけ、超富裕層や指導者階級、貴族層などの観客に被害を出さない為のものなのだろう。

 

 警備をより強化しようというギルドの決定や方針は、突拍子もないことではない。

 

 ただ、そんな張り詰めた空気に、任務とは無関係なことで意気消沈しまくっている今のエミリアとネージュが馴染むかと言えば、ローザとしては首を傾げざるを得ない。 まぁ、仕事の当日になれば気持ちも切り替えてくれるんだろうけど。

 

「流石にダメージを受け過ぎだろ、お前らは。元気出せよ」

 

 軽く笑ったカルビが雑な言い方をする。

 

「出そうと思って元気が出れば苦労しませんわよ……」

 

 萎んで細々とした声を洩らすエミリアは、虚ろな瞳で天井を仰いだままだ。カルビの方を見ようともしない。エミリアに膝枕をされている体勢のネージュに至っては、もう反応すらしない。ローザも苦笑する。

 

「じゃあ元気が出るように、今日の晩御飯は美食街にでも行こっか」

 

「……そうね」

 

 ネージュが横向きになったまま頷いてから、このまましょぼくれていても仕方がないと、気持ちを切り替えるふうに体を起こした。

 

「英気を養うためにも、何か美味しいものでも食べに行きましょう。カルビの奢りで」

 

「ふざけんなテメェ」

 

 即座にカルビが言い返すが、ソファに凭れて天井を見詰めたままのエミリアが、更に被せてくる。

 

「私《わたくし》は高級焼肉が食べたいですわ……。カルビさんの奢りで……」

 

「テメェもふざけんな」

 

 ソファに座って脚を組んだままのカルビは、鬱陶しそうに舌打ちをする。

 

「ったく、調子のいいこと言いやがって……。元気づけてやろうと思ったが、もうやめだ」

 

 不機嫌顔のカルビの右手の中に、何かがあることにローザは気付いた。今の遣り取りの間に、アイテムボックスから取り出していたのだろう。

 

 でも、あれは……。何かの魔導具だろうか。複雑で精巧な魔術紋が刻まれた黒い正方形、それを組み合わせて作った、大きな正方形といった感じの形状だ。

 

 確か、異世界である“チキュウ”の遊具に、あんなものがあったような気がする。名前は恐らく、ルービックキューブだったろうか。

 

「ねぇカルビ。それ、何?」

 

「ん? あぁ、これか?」

 

 ローザの方を向いたカルビは、手の中にあるキューブを一瞥してから、悪戯っぽくニヤリと笑ってみせた。

 

「機械術士がやってる店で作って貰ったんだよ。名前を付けるとすりゃ、“アッシュ・キューブ”……ってな感じか」

 

 その“アッシュ・キューブ”とやらを勿体ぶるように手の中で転がしたカルビは、いいだろ? という顔になる。

 

「や、そんな自慢気な顔されても、そのキューブがどんなアイテムか分かんないから」

 

 半目になったローザは取りあえずツッコむものの、ちょっと気になる。

 

 見ればエミリアとネージュもソファに座り直して姿勢を正し、訝しみながらも明らかに興味を惹かれている目つきで、カルビが手にしているキューブに視線を注いでいた。

 

 この場の全員の視線を独り占めしているカルビは、ちょっと気分が良くなったのか。今までしゃくれさせていた顎を上に向けて、その豊かな胸を反らしていく。

 

「んん~。説明するより、使ってみた方が分かりやすいな」

 

 自分が手に入れたお宝を見せびらかして自慢する口振りのカルビは、キューブを形成する正方形の列をカチカチカチ……と回転させた。すると、キューブの表面に描かれている魔術紋様が明滅するような光を発して、ブゥン……と魔法円が浮かび上がる。

 

 このキューブの上部に展開された魔法円は積層型で、ちょっと小型のラッパに似てるなー、などとローザが思った時だった。

 

『カルビさん。おはようございます』

 

 声が発生した。キューブから。というか、キューブが展開している魔法円からだ。音声再生、いや、正確には音声構築の魔導具か。ローザは思わず、「へぇ」と感嘆の声を洩らしてしまう。

 

 エミリアとネージュが目を見開いて、雷に撃たれたかのようにビクーンと背筋を伸ばしている。まるで奇襲でも受けたかのような反応だった。

 

『今日はいい天気ですし、一緒にお出掛けしましょうか?』

 

 キューブが発生させているのは間違いなく、アッシュの声だった。こちらを信頼してくれているというか、穏やかな親しみの籠った、無防備で優しい声質が再現されている。

 

 妙に得意気な顔つきになっているカルビが、またカチカチカチと、ルービックキューブを回す。次に再生されたアッシュの声というか台詞には、健気さと妖しさが満ちていた。

 

『あ、あの……、今夜は添い寝させて貰ってもいいですか? カルビお姉ちゃん……』

 

「おいおいおいおいおい……っ!」

 

「ちょっとちょっとちょっとちょっとちょっと……!」

 

 馬鹿みたいに深刻な顔になったエミリアとネージュが猛然と立ち上がり、突進するような勢いでカルビに詰め寄っていく。

 

「な、なんだよお前ら……。そんな迫真の目力で迫ってくるんじゃねぇよ怖ぇよ……」

 

 流石のカルビも身の危険を感じたのか。ソファに座ったままで身体を仰け反らせて引いている。

 

「一体なんですの、その素晴らし過ぎる魔導具は……。国宝か何か?」

 

「どこで手に入れたのよ、それ」

 

 怯んでいるカルビを見下ろすエミリアとネージュは、張り詰めた表情のままで、カルビの手の中にあるキューブを凝視していた。何をしでかすか分からない雰囲気を醸し出す2人に、ローザはやんわりと声を掛ける。

 

「2人とも落ち着こうよ……。あと言っとくけど、リビングで取っ組み合いは厳禁だからね?」

 

 この3人が暴れ出したら手に負えないし、リビングが崩壊してしまう。それだけは避けたい。

 

 ローザの想いが通じたようで、エミリアとネージュは渋々と言った感じで目を見交わし、短く頷き、恨めしそうにカルビを一瞥してから、もとのソファに戻っていく。

 

 ただ、やはり興味を滅茶苦茶に惹かれているようで、2人はずっとカルビが手にしてるキューブに視線を吸い寄せられ続けている。……まぁ、気持ちは分かる。

 

「……ったく。お前らはアッシュのことになると、急に理性と知性を失うよな。よくないぜ、そういうのは」

 

 これ見よがしの疲れ顔を作ったカルビが、ソファに凭れ掛かって溜息を溢す。やれやれと肩を竦めるカルビに、ローザも半目を向けてしまう。

 

「そういう自分も、アッシュ君の声でワケの分からない台詞を作ってるじゃん……」

 

「アタシは良いんだよ。アッシュにも一言断ってあるし、この面子だけで楽しむ分には何を喋らせてもいいって言ってくれたしな」

 

 手の中でキューブをくるくると回すカルビは、楽しそうな苦笑を浮かべる。

 

「流石のアタシも、こういうモンを勝手に用意するほどデリカシーに欠けてねぇよ」

 

「それを聞いて安心したわ。いや、まぁ、まだ安心できる状況じゃないんだけど……」

 

 言いながらローザは、横目でエミリアとネージュの方を窺った。2人は餌のお預けでも食らった猛獣のような気配を漂わせながら、黙り込んだままカルビとキューブを見比べ続けている。

 

「それで、そのキューブはどこで手に入れたんですの?」

 

「私もそれが訊きたいわ」

 

 エミリアもネージュも美人で瞳も綺麗だから、ものすごい目力だ。声音も鋭利過ぎる。まるで異端審問だ。カルビは軽く笑って応じる。

 

「あぁ。このキューブは、オーダーメイドだ。さっきも言っただろ? 前に、機械術士がやってる露天に、たまたまアッシュと一緒に立ち寄ったんだよ。そのときに、この魔導具のテストをやっててな」

 

 楽しい思い出を振り返る顔のカルビが、またカチカチとルービックキューブを回す。

 

「なかなか面白そうだったから、アタシは1つ注文したのさ。そこでアッシュの声を幾つか録音して、それを編集できるようなアイテムを作って貰ったっつーワケだ。……こんな感じでな」

 

『カルビさん。そろそろ起きる時間ですよ』

 

 またアッシュの声が再生される。音声にはノイズも無く、透き通るようだ。アッシュの肉声に近いというか、体温や感情などの細やかな性質まで再現できている。

 

「……無粋なことを訊くようだけど、それ、結構な値段したんじゃない? オーダーメイドでしょ?」

 

 恐る恐るローザが尋ねると、「まぁな」とカルビは笑い飛ばした。

 

「でもこのキューブの御蔭で、おはようからおやすみまで、アタシはアッシュの声に癒されながら過ごせるんだよ。いいだろ~?」

 

 嫌味のない言い方をするカルビは、そこで無邪気に自慢してくる。

 

「い、いいなっ!!」

 

「いいなぁ~……!」

 

 エミリアとネージュが、子供みたいな素直な感想を口にする。心底から羨ましそうだった。エミリアの顔は殆ど怒ってるみたいだし、ネージュの方は呻くようなしかめっ面だった。

 

 ……彼女達の感想は素直だが、情緒の方はちょっと不純なのかもしれない。

 

「ちょっとカルビさん、私《わたくし》にも貸して下さいませんこと。おい貸せ」

 

「そうよカルビ。私にも貸しなさいよ。さもないと凍らせるわよ」

 

 その証拠にエミリアは切羽詰まった命令口調になっているし、眉間を絞ったネージュなどは、凶悪な脅し口調になっている。

 

「パーティ同士なんだし、そんな物騒な物言いはやめようよ……」

 

 参ったような気分でローザが間に入ったところで、半笑いのカルビがキューブを回した。カチカチ、カチカチカチッと、リズミカルな回し方だった。2回連続でアッシュの声が再生される。

 

『エミリアさん、一緒にお出掛けしませんか? その……、二人きりで』

 

『ネージュさん、あーん、して下さい。ほら、あーん……』

 

 このアッシュの音声と台詞は、ネージュとエミリアの想像力というか妄想力を起動させ、脳にダメージを与えたようだ。

 

「んぉおおおおお……! 言われてぇぇぇええ……!」

 

 淑女らしからぬ野太い声を上げたエミリアは、悶えるように両手で頭を抱え、沈み込むようにソファに座り込んだ。

 

「……っすぅぅぅーー……、ふぅううううう……」

 

 ネージュは想像の中のアッシュに“あーん”をして貰っているのか。あー……と形の良い唇を開けている。ただ、その想像と現実の寂しさとのギャップの所為で、ひどく辛そうな表情だった。

 

「危ないクスリの禁断症状みたいになってるじゃん……」

 

 ローザは半目になってリビングの惨状を見渡してしまう。一方で、エミリアとネージュの苦悶する姿を面白がっているカルビは、更にキューブを回していく。

 

『あの、実は……、以前から、エミリアさんにお伝えしたいことがあって……』

 

 惨状を呈するリビングのなかに、まるで今から愛の告白でもするかのような、意を決したような健気なアッシュの声が響く。

 

「えっ!? な、なんですのなんですの!?!?」

 

 頭を抱えて呻いていたエミリアが、ガバっと勢いよく立ち上がった。心からの笑みが煮立ち、あふれ出る寸前のような表情だ。

 

 彼女の美しい緋色の目は、瞳孔が開いてながらも焦点が合っていない様子だった。この場所ではない何処かというか、自分の妄想に意識を乗っ取られているような目つきである。

 

『実は僕、エミリアさんのことが……』

 

 そこでアッシュの音声が途切れる。

 エミリアは握り拳を天に突き上げ、フライング気味のガッツポーズをした。

 固唾を飲んでいるネージュの眼差しが、殺人光線のような鋭さを帯びる。

 ローザは呆れ顔になりながらも、もうツッコむはことしなかった。

 半笑いのカルビがキューブを回す。

 

『少し苦手だったんです……』

 

「ぐひぃッ……!!?」

 

 ガッツポーズから一転。肝臓を剣で突き刺されたかのような、濁った悲鳴を上げたエミリアが、ソファではなく床に崩れ落ちる。

 

「死ぃぃぃにそぉぉぉぉお…………」

 

 白目を剝いたエミリアの声は、本当に死にそうだった。

 

 アッシュの告白ボイスが聞けると思ってウキウキしているところに、あんな深刻な声音で拒絶を表明されたら、脳にダメージを負うのも無理もないのかもしれない。

 

 強烈な精神破壊攻撃を受けて苦しむエミリアの姿に、流石のネージュも怯んでいる。

 

「どうだ、ネージュ」

 

 無邪気なカルビに笑いかけられて、ギクッとネージュが肩を震わせたのが分かった。

 

「お前も喰らっとくか。アッシュの失望ボイス」

 

「や、やめておくわ……」

 

「そんな遠慮すんなよ」カルビが親切そうな顔になる。「じゃあ、いくぜ?」

 

「ちょ……、おいっ、ぁ、あの、や、やめて下さいお願います」

 

 さっきまで強気な命令口調だったネージュだが、さすがにエミリアのように脳を焼かれるのは恐ろしいのか。両手を前に出して弱々しい懇願口調になった。

 

「何だよ、つまんねーな」

 

 拍子抜けしたように言いながら、カルビが横目でローザを見てくる。その悪戯っぽい眼差しに嫌な予感がした。「私も遠慮しとく」とローザが口にしようとするよりも早く、カルビがカチカチカチっとキューブを回していた。

 

『ローザさん、今日も可愛いですね』

 

 不覚にもドキッとした。何か悔しい。っていうか、顔が熱い。

 それを誤魔化したくて、そっぽを向いてしかめっ面を作った。

 

「はいはい……」

 

 もういいから、という風にローザは手を振るが、調子に乗ったカルビはニヤニヤ笑いのまま、カチカチカチッと更にキューブを回していく。

 

『ローザさん、可愛い』

『ローザさん、綺麗ですね』

『ローザさん、大好きです』

『ローザさん、おっぱい揉んでいいですか?』

『ローザさん、愛しています』

『ローザお姉ちゃん、好き好き』

 

「ちょ、ちょっとカルビ……! もういいから! やめてってば……!」

 

 顔が赤くなるのが分かってローザが焦ったとき、床の上で寝込んでいたエミリアが飛び起きた。

 

「そうですわよッ!! カルビさん!! 私のときとは随分とボイスの毛色が違うじゃありませんのッ!!」

 

 めちゃくちゃ怒った顔で肩を震わせるエミリアは、力の籠りまくった声で異議を申し立てる。

 

「私にもそういう、こう……、“好き好きエミリアお姉ちゃんボイス”的なものを再生してくれても、いいじゃありませんのッ!!」

 

「じゃあ、今日の晩飯を奢ってくれたら考えてやるよ」

 

「そ、それはあんまりですわっ!」

 

 必死なエミリアの横で、ネージュが不味そうな顔になっている。

 

「……さっきのボイスの中にも、おっぱいがどうとか、アッシュ君が言いそうにないのが混ざってた気がするけど……」

 

「気のせいだろ。気のせい」

 

 わいわいと言い合うカルビ達を眺めながら、ローザは軽く息を吐く。今のうちに頬の火照りを冷ましておきたかったし、妙にソワソワする胸の内を落ち着けたかった。

 

 頭の後ろで手を組んだローザは瞑目して、ソファに凭れた。ぼんやりと思う。

 

 アッシュ君、今頃何してるんだろ。そろそろ王都に到着して、歌姫さんと合流したぐらいかな~。……何にせよ、トラブルに巻き込まれてなければいいけど。

 

 

 

 

 

 

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