「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」   作:なごりyuki

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誤解としての出発

 

 

 

「完成~! ショートツインテのアッシュ君!」

 

「やッッば、めちゃ似合うじゃん!」

 

「わぁ~! かぁ~わぁ~い~い~!」

 

「そ、そうですか? 自分では分からないのですが」

 

“ケンタウロス”2階にある大部屋の談話スペース。女装を済ませたアッシュは、ルフル、マリーテ、ステファの3人に取り囲まれ、たじたじになっていた。

 

 クラン『鋼血の戦乙女』が所有している大型高速馬車“ケンタウロス”は、馬車というよりも陸を走る客船に近いかもしれない。

 

 魔導機械術によって製造されたその車体は、内部の広さを確保しつつ前後に長い筒状になっていて2階建てだ。

 

 1階にはトイレやキッチンスペースが備えられ、広々とした個室が10部屋並んでいる。2階はゆったりとした大部屋となっており、談話用のテーブルセットと仮眠スペース、更には簡易シャワールームまで完備されている。

 

 かなり豪華というか、この非常識なほどの機能性を備えたこの車体は、当然の如く巨大だ。もはや建築物に類するスケールだろう。普通の馬では引くことなどできない。

 

 だが、魔導機械術士達の技術は、この車体を馬車として運用することを可能にしていた。

 

 車体底部に装着してある高位魔導具が常に重力魔法を発動させているため、車体が地面から浮き上がっているのだ。

 

 これにより車体重量で街道を傷つけることもなく、他の馬車とすれ違う際にも、街道から完全に外れて道を譲ることも可能としている。

 

 更に、この“ケンタウロス”を引くための馬は、魔術的な品種改良と筋骨強化によって誕生した、超大型の軍馬達だ。

 

 新種として生み出されたこれら大型種の馬は『タイタン』と呼ばれ、温和な性格でありながらも、夜目が非常に利いて肝が据わっており、並みの魔物を遥かに凌ぐ筋力とスタミナが特徴だった。軍属動物としての優秀さから、他国の軍からも是非欲しいと注文が集まっているらしい。

 

 そんなタイタン達が引いてくれる“ケンタウロス”は、重力魔法によって浮き上がっているだけでなく、前後左右への推進力も発生させることができる。そのため、どんな悪路でも走破するだけでなく、タイタン達への負担も大きく軽減しているのだ。

 

 並みの馬車などよりも遥かに上回る高速移動を可能にしている“ケンタウロス”だが、車輪を必要としていない車内は殆ど揺れないし、かなり静かだ。魔導機具による空調も効いているし、かなり過ごしやすい。下手な安宿などより遥かに快適だろう。

 

 ただ、ルフル達に囲まれているアッシュにとっては、落ち着かないことこの上無かった。

 

 もちろん彼女達に悪感情や悪印象を抱いているわけではないのだが、彼女達のキャピキャピとした勢いに圧倒されてしまう。

 

 彼女達もアッシュと同じく、王都からアードベルまで歌姫を護衛する任務に就くことになっていた。

 

「もう何回も言ったけどさ~。無自覚なのは勿体ないってアッシュく~ん。お洒落の楽しさに目覚めたら、きっと世界が広がるよ~?」

 

 はしゃぐように言うマリーテ=ルノティフが訳知り顔になって、腕を組みながらうんうんと頷いた。

 

 カルビよりも身長は低いだろうが、マリーテも高身長な女性である。

 

 鼻筋が通ったすっきりとした美人顔も、切れ長だが少し垂れ気味の目も蠱惑的だ。サラサラとした赤紫の髪を後ろで束ねているのも、颯爽とした雰囲気があって似合っていた。

 

 ローザ達とはまた違った感じの、格好良いお姉さんといった感じだ。

 

「まぁ、アッシュ君は素材がいいからねぇ~。男の子の恰好でも、女の子の恰好でも、薄味でバッチリ決まっちゃうのは羨まし~」

 

 マリーテに続き、おっとりした声を楽しそうに弾ませたのはステファ=シェルルだ。

 

 艶のある褐色の肌、猫のようにくりくりとしていながらも何処か眠たそうな目、クリーム色のセミロングの髪が印象的な彼女も、少女然とした笑みを浮かべてアッシュを眺めてくる。

 

「あーし的には~、アッシュ君はカッコイイ系よりも、可愛い系の方が似合うと思うんだよね~」

 

 言いながらアッシュの目の前に移動してきたのはルフルだ。彼女は艶のある唇をぺろっと舐めてから、アッシュが着けたウィッグを正面から弄るために手を伸ばしてくる。

 

「ほら、こんな感じで~……」

 

 アッシュの目の前で無防備な前屈みになったルフルは、やはりというか、暗黄の魔術装束の胸元を大胆にはだけさせていて、その露わになった胸元、そして谷間が、ずずいっとアッシュの目の前に突き出されるような状態になる。

 

「ツインテールを片方だけにして~……、ほら! あーしとお揃い~!」

 

 にしししっと悪戯っぽくルフルが、アッシュの顔を覗き込むように笑いかけてくる。彼女の豊かな白い乳房も、アッシュの目の前でたぷたぷと無邪気そうに揺れ動いた。

 

 ……前にもこんなことがあった気がするが、居心地が悪くて仕方がない。マリーテとステファの2人も、小洒落た濃紺色の魔術士装束の胸元をはだけさせ、大胆に着崩しているので余計だ。

 

「おー! いいじゃんいいじゃん!」

 

「う~ん、素材の味が生きてるぅ~!」

 

「だしょ~~!?」

 

 ハイタッチをしながら『うぇーい!』などと楽しそうな彼女達だが、王都に到着するまでは護衛する対象もいないので、その間にリラックスして英気を養っているふうである。

 

 歌姫や事務所スタッフを迎えたあとは、気を休める暇など無いはずだ。

 

 そのことを思えば、ああやって緊張を緩めるタイミングにメリハリをつけるのも、精神的なスタミナの維持というか、長期の任務をこなすための一種の技術に違いない。

 

 ルフル達の無邪気な明るさの奥にある、その職業的な冷静さは間違いなく信頼できるものだ。エルンの町で彼女達と共闘したアッシュは、それを知っている。

 

“王都からアードベルまでの護衛も、女性冒険者で固めるように”

 

 歌姫の事務所側からの要望に応じるべく、クラン『鋼血の戦乙女』が主体となり、『正義の刃』の女性メンバーが同行し、そこにアッシュも加わっているという状況だ。

 

 そしてルフル達は、クラン『正義の刃』の中でも特に優秀だとして、この任務に選抜されたメンバーだった。白兵戦はサニアに、魔術戦はルフル達が担当することになる。

 

 歌姫の関係者を共に護衛するにあたって、アッシュが女装することはルフル達には明かすことになった。これはギルドと先方事務所の意向だ。

 

 特別警護役のうちの1人が女装しているという情報を伏せ、あとになって露見しては不要な混乱を生みかねない。護衛任務に影響が出るような、そういう余計なリスクを減らすためだというのはアッシュも理解できた。

 

 王都に向けて走っているケンタウロスは2台。そのうちの1台にアッシュ達が乗り合わせて、あとの1台にはヴァーミルやシャマニなどが乗り合わせているという状況だった。

 

 ちなみに会場警備役のローザ達は、ケンタウロスには乗り合わせてはいない。アッシュと彼女達は別行動である。

 

「そ、そろそろ王都も見えてくるらしいので、髪型は戻しておいた方が……」

 

 アッシュはウィッグに触りながら、それとなく、元の髪型に戻しましょうとルフル達に提案する。そこで、また別の人物が面白がるように言ってくる。

 

「もう少しぐらいならぁ、そのままでいいじゃなぁい。とっても可愛いし」

 

 談話スペースの隅にゆったりと腰掛け、優雅に脚を組んでいたチトセだ。蒼いメッシュが入った長い黒髪をかきあげた彼女が、「んふふ」と笑みをみせる。

 

「今のアッシュ君は、どこからどう見ても女性冒険者だもの。髪型なんて些末な問題よぉ~?」

 

 チトセの声音は甘ったるく間延びしながらも、凄まじい妖艶さが籠っている。彼女が纏っている黒の霊術士装束も、東方の着物をベースにしたものなのだろうが、とにかく露出度が凄い。

 

 豊満な乳房が今にも零れそうなほどに胸元が開いているだけでなく、鳩尾あたりから臍の下あたりまでもがバックリと開いている。更には、スカート部分には太腿が丸出しになるぐらいに深いスリットも入っているのだ。

 

 女性的な魅力に溢れた悩殺的な肢体を、これでもかと見せつけるかのような格好だ。ただ、チトセ自身の佇まいが落ち着いているからか、決して下品な感じはしない。

 

 露出しているチトセの瑞々しい肌の白さと、霊術士装束の濡れたような黒とのコントラストは煽情的であるだけでなく、神秘的な繊細さ、高貴さがある。

 

 とはいえ、チトセの服装はどこを見てもエッチな要素しかないのは間違いない。

 

「まぁ、髪型を多少変えたぐらいなら、護衛任務に支障は無いでしょうけれど……」

 

 ウィッグの髪に片手で触れたアッシュも、彼女の目だけを見て応じた。

 

「んふふふ。でしょう~?」

 

 そんなアッシュの内心の苦労を見透かしているふうのチトセは、くすくすと笑いながら妖しい流し目を送ってきて、ゆっくりと脚を組み直してみせる。

 

 彼女の太腿はスラリとしていながらも、ムチムチとした肉感、そして無駄のない筋肉質な迫力を備えていて、どこまでも煽情的だ。

 

「ちょっとチトセさぁん! セクシー過ぎぃー!」

「えっちぃ仕種でアッシュ君を誘惑するのは禁止ですって!」

「そうそう~! 抜け駆けは駄目ですぅ~!」

 

 ルフル、マリーテ、ステファが順番に抗議の声を上げた。

 

 一方のチトセは「抜け駆けなんて、そんなつもりは無いわよぉ」と甘ったるい声音で小さく笑みを溢しながら、また脚を組みかえた。明らかにアッシュに見せつけるための動作だ。

 

 あんな風にアッシュのことをからかってくるチトセも、『鋼血の戦乙女』に所属する、凄腕の医療霊術士、また呪術士でもある。

 

“教団”による調律で弱り切ったアッシュの身体を癒してくれたのも、ダルムボーグで瀕死状態のアッシュを救ってくれたのも彼女だ。

 

 王都に向かうこの“ケンタウロス”に彼女と乗り合わせることになり、アッシュはすぐに彼女に礼を述べ、礼を述べることが遅くなったことを詫びた。

 

 そのときのチトセは、「いいのよ。気にしないで」と微笑んでくれた。「タイミングを作れなかったのは私の方だし。でも元気そうでよかったわぁ」と。

 

 そして、「……“あの男”の件は、この任務が終わってから話しましょう」と優しく、落ち着いた口調でアッシュに言ってくれた。

 

 “あの男”――ギギネリエスに関する話題をチトセが慎むことにしたのは、乗り合わせているルフル達や、護衛任務に参加する一部の『戦乙女』たちが、ダルムボーグでの真相を関知していないからに違いない。

 

 アッシュは、チトセに気を遣わせてしまっているのを感じていた。

 

 王都に向かうこの旅の中でも、チトセは度々アッシュのことからかってくることがあった。あの気安い態度はチトセなりに、今のアッシュのことを見守ろうとしてくれていたのだろう。

 

「……おい、貴様」

 

 そんなチトセとは対照的に、やたら鋭い眼差しをアッシュに向けてくるのは、チトセの妹であるという、セツナ=アオギリだ。

 

 シャマニやヴァーミルと同様、軍服然とした『鋼血の戦乙女』の制服を纏っている彼女は、アッシュ達のいる談話スペースから少し離れた場所で腕を組み、壁に背を預けている。

 

 彼女の腰までを流れるような黒い長髪はチトセと同じだ。だが、セツナの髪には紅色のメッシュが入っている。切り揃えられた前髪と長身、刺々しくも美しい赤紫の瞳が印象的な女性だ。

 

「前にも言ったが、チトセ姉様が優しいからといって色目など使ってみろ。その場で首を刎ねてやるからな」

 

 吐き捨てるような低い声で紡がれる言葉が、脅しではなく宣告であるということは誰でも分かるだろう。

 

 ケンタウロスに乗り合わせてアードベルを出発してから、アッシュに対するセツナの態度はずっとこんな感じだ。積極的に悪罵されたり無視されたりすることは流石に無かったものの、とにかく彼女はアッシュのことが気に入らないらしい。

 

「や~ん! セツナさん、怖~い!」

「そんな仏頂面を続けてると、元に戻らなくなりますよー」

「ね~? セツナさんも美人なんだから、勿体ないよね~」

 

 アッシュを庇おうとしてくれたのかもしれない。

 ルフルとマリーテ、ステファが、唇を尖らせてぶーぶー言う。

 

 その3人に対し、眉間に皺を刻んだセツナが目線だけを向ける。まるで斬撃そのもののような眼差しだった。かなりおっかない。

 

「や、や~ん……、セツナさん、こ、怖~い……」

「えぇ……、怖ぁ……」

「ひ、ひぃん……」

 

 手を取り合ったルフル達が身を寄せ合い、震えあがる。

 

 実は王都までの旅の中で、こんな遣り取りは何度もあった。もはや慣れてきているのか。セツナも軽く鼻を鳴らした。

 

「そろそろ、お前達も気を引き締めておけよ」

 

 低い声で言う彼女の組んだ腕の中には、木製の柄と鞘が特徴的な刀剣が存在感を放っている。

 

 居合刀というのか。あの刀身の反りは、瞬間的に刀を抜き打つのに適したものなのだろう。アッシュが扱っている長刀よりは短いものの、大振りには刀剣に違いない。

 

 クラン『鋼血の戦乙女』に所属する女性メンバー達は、魔導機械術によって設計開発された専用武具を扱うという話は、以前もヴァーミルから教えてもらった。

 

 だがセツナは、というかアオギリ姉妹は、東方由来の独自の武具や魔導具を扱うようだ。

 

「んもぅ~、セツナったら。そんな風にアッシュ君を警戒しなくとも大丈夫。王都までの度の間も、彼はずっと紳士だったでしょう? ……ねぇ?」

 

 困ったように眉を寄せたチトセは、アッシュの方に視線を流しながら、腕を組んで頬に手を当てるポーズを作った。……ああやって組んだ腕で、豊か過ぎる乳房をたっぷりと持ち上げて強調してみせるのはワザとなのだろうか。

 

 そこでセツナが、すぅっと片方の目を細めるのが分かった。

 彼女の赤紫色の瞳が、チトセとアッシュの間を静かに往復する。

 

 チトセが見せるセクシーポーズと、それを前にしたアッシュの反応を見比べているのだ。ここでアッシュが鼻の下でも伸ばしていれば、居合の斬撃が飛んできていたに違いない。

 

「と、取り敢えず、僕が紳士であるかどうかは置いておくとして……」

 

 アッシュはチトセの方をあまり見ないようにしながら、セツナに向き直る。

 

「この任務に参加させて頂いている間は、僕も最善を尽くします。変な気を起こして、皆さんの邪魔になるような真似は決してしません」

 

「何を当たり前のことを」

 

 アッシュを見下すような目つきになったセツナは、斬りつけてくるような口調だった。

 

「私は貴様のことを信用していない。姉さまに対して、汚らわしい欲望を少しでも感じさせる素振りを見せれば、そのときは――」

 

「それは杞憂というものです」

 

 セツナの言葉を遮った冷然とした声は、落ち着いていながらも鈍い険のある響きがあった。

 

「アッシュの素行の清さは、貴女の同僚の者達も保証しているところでしょう。彼を特別警護役としてギルドが認めた事実も、彼の人柄が清廉であることの証左に他なりません」

 

 2階の大部屋へと上がって来たサニアだ。彼女の鈍色の瞳は、無機質で拒絶的な光を湛えながらセツナを捉えている。

 

 王都に到着する前の精神統一のため、一階にある自室で瞑想をしてくると言っていた。あれが2時間ほど前だったような気がするが、今までずっと瞑想をしていたのだろうか。

 

「王都までの道中、アッシュに対する貴女の態度を見ていて常々感じていたのですが……。個人的な感情を任務に持ち込んでいるのは、セツナ、貴女の方ではありませんか?」

 

 しかし、瞑想を終えて内面を落ち着かせてきたにしては、サニアの声は珍しく感情的に聞こえる。腕を組んだままのセツナがせせら笑った。

 

「ほう……。個人的な感情で、この男に女装させてまで任務に招き入れたのは、どこの誰だ?」

 

 一瞬だけ、ほんの微かにだが、サニアが視線を揺らしたように見えた。

 

「……歌姫の護衛に関しては、彼の腕を見込んでの推薦したまでです。他意はありません」

 

「ふん。どうだか」

 

「はいはーい! やめやめ!サニアもセツナさんも、そんな喧嘩腰になっちゃ駄目だって!」

 

 言い合うような気配になったサニアとセツナの間に、快活な声を滑り込ませたのはルフルだった。

 

「そーそー。私達はこれから協力して、歌姫さん達を護衛するんですから。ビジネスパートナーってやつですよ」

 

 ルフルに続いたのはマリーテも肩を竦めて、サニアとセツナを落ち着かせるように見比べた。切れ長だが垂れ気味の彼女の目も、今はやけに凪いでいる。朗らかな人柄ながら、彼女の肝が据わっていることを伺わせる目つきだった。

 

「仲良しこよしのズッ友状態になるのは無理でも、せめてギスギスしない程度には落ち着かないとねぇ~。お仕事中は猶更だよ~」

 

 ふんわりとした笑顔を浮かべたステファが、うんうんと頷いてみせる。

 

 ゆるふわ声のステファの言い方は、この場全体を緩やかに包み込むようだった。落ち着いた柔和さを崩さない彼女の御蔭で、緊張しつつあった空気が解れた。

 

「……えぇ。分かっています」

 

「ふん。言われるまでもない」

 

 サニアとセツナの2人が、互いにそっぽを向いた。

 

「ルフルちゃん達の言う通りよぉ、セツナ~。そんな風にツンツンしてたら、任務に支障が出ちゃうかもしれないでしょぉ~?」

 

 この場の遣り取りを見守るように微笑んでいたチトセの言い方は、聞き分けのない子供に言い聞かせるようだった。

 

「わ、私は別に……」

 

 顔を歪めたセツナが何かを言いたそうにしていたが、結局は何も言わず、むすっとして黙り込んだ。拗ねたのではなく、何を言ってもチトセには響かないと判断した様子でもある。

 

「噛みつくような物言いになってしまったことを謝ります。セツナ」

 

 一つ息を吐き出したサニアが、セツナに向き直って、すっと頭を下げた。だが、頭を上げてすぐに、彼女は声音をやや引き締めて言葉を繋いだ。

 

「しかし、アッシュが信頼に足る人物であることは間違いありません」

 

「書類上や実績で見れば、そうなのだろうな。……だが、この男が信頼できるかどうかは、私自身で判断させてもらう」

 

「あ、あの……!」

 

 またセツナとサニアの間に火花が散りそうになるのを感じ、今度はアッシュが割って入った。

 

「ギルドからの僕の評価がどのようなものであれ、今回の任務では、護衛対象者となる方々の安全が第一ですから」

 

 アッシュは自分自身に聞かせるつもりで言いながら、サニアとセツナを交互に見た。いや、彼女達の方がアッシュよりも背も高いので、交互に見上げる形になる。

 

「正直なところ、僕はこういった任務に参加させて頂くのも初めてですし、皆さんの足を引っ張ることもあると思います。でも僕は、ただ自分の役割に実直である以外にありません」

 

 アッシュは静かに言い切ってから、ちょっと驚いたような顔になっているルフルやマリーテ、ステファ、そして、どこか眩しそうに目を細めているチトセとも目を合わせた。

 

 最後にセツナに向き直り、軽く頭を下げる。彼女が如何なる理由でアッシュを毛嫌いしているのかは分からない。

 

 だがこの任務において、他者の命を守るべく誠実であろうとする姿勢を、疑われてはならないと思った。。

 

「もしも、この任務における僕の姿勢が不誠実であると、そうセツナさんが判断されたのなら――」

 

 セツナと敵対する意思が一切無いことを、そして、この任務に自身の身体を差し出すつもりで、アッシュは小さく笑み返す。これから彼女と協力し、共有する時間を、せめて険悪なだけのものにしたくないという思いもあった。

 

「僕のことは、いつでも斬ってくれて構いません」

 

「む……っ」

 

 微かに呻くような声を洩らしたセツナが、ぎゅっと眉間を絞ってから何かを言いかけ、だが、すぐに口を引き結んでそっぽを向いた。少しだけセツナの頬が赤いように見える。

 

「アッシュ」

 

 洞穴のように暗い目になったサニアが、横からボソッと言ってくる。

 

「そのような無防備で優しい笑顔を向けるのは、私に……、私だけにはできませんか?」

 

「……えっ?」

 

「ぃ、いえっ、何でもありません。気にしないで下さい」

 

 少し慌てたように言うサニアの顔つきは、苦いものを噛み潰したような、それでいてちょっと寂しげだった。ルフルとマリーテ、ステファは難しそうな顔になって目を見合せている。

 

「……な~んかサニアって、アッシュ君のことになると不審者ムーブが多くなるよね……」「普段が冷静沈着で冷たい感じだから、余計に目立つというか……」「ジュード隊長が見たら泣きそうだよね~……」

 

「あ、貴女たちも、何をヒソヒソと言い合っているのです!」

 

 慌てたようにサニアが声を上擦らせるのを見て、片方の頬に手を当てたチトセが「そう言えばぁ~……」と楽しそうに肩を揺らした。

 

「この旅の途中で、サニアちゃんがアッシュ君に向ける眼差しは、ちょっと寂しそうなのに熱っぽくて、ねっとりとしてたような気がするわねぇ。それに妙に興奮しているというか、鼻息も荒かったような~」

 

「ちっ、チトセまで何を言うのですかっ!?」

 

 何かを思い返すように視線を宙に上げているチトセに、朱に染まった頬を引き攣らせたサニアが抗議する。

 

「まるで私が、今の可憐なアッシュの姿を見て、ぎゅっと抱き締めたいであるとか、家に連れて帰りたいであるとか、そういった邪念を抱いているような物言いはやめていただきたい」

 

 余りにも真剣な表情と声音になったサニアが、ものすごい早口でまくし立てる。

 

「あらぁ、それはごめんなさいねぇ」

 

 チトセは余裕のある微笑みを深めている。サニアの様子や発言を面白がりつつ、聞き流している様子だ。

 

 ただ、サニアの方は真面目くさった顔のままで、ルフル達を見回し、それからアッシュにも力の籠った眼差しを向けて来る。

 

「これも念のため言っておきますが、護衛任務が本格的に始まる前にアッシュと2人きりになるチャンスが無いかったではないかと密かに憤慨しつつも落胆しているとか、そんなことも決してありません。……勿論、アッシュは分かっていますよね?」

 

 問い質すような口調で捲し立てるサニアに気圧されつつも、アッシュは取りあえずといった感じで頷くしかなかった。

 

「え、えぇ。それは、まぁ……、はい」

 

「…………ではアッシュは、私と2人きりにはなりたいとは思わなかったのですね?」

 

 声から抑揚が消したサニアが、急に無表情になった。

 

「えっ」

 

 アッシュは素の声を漏らしてしまう。今の彼女の瞳はアッシュを映しつつも、まったく動きが無い。暗い水を湛えた井戸のようだ。

 

「あのさぁ、サニア……。言ってることが支離滅裂だし、追及がしつこくて怖いんだけど」

 

 苦笑するルフルが話を切り上げて、マリーテとステファも肩を竦めつつ、またヒソヒソと言い合っている。「……あの調子だと、2時間の瞑想が必要だったのも頷けるね」「効果はあんまり無かったみたいだけどね~……」

 

「まったく。賑やかなことだ」

 

 この場の空気が緩み切ってしまう前に、顔を顰めたセツナが横目でアッシュを見下ろしてくる。

 

「……他者の命を預かる以上、貴様ぐらいの気構えで臨んで当然だ」

 

 セツナは言いながら鼻を鳴らして、大部屋の窓に目を向けた。ルフル達やチトセ、それにサニアもそれに倣う。

 

「あ、見えてきたじゃん!」「あーぁ……。この旅も終わりか~……」「お仕事の時間だねぇ~」などと、ルフル達が思い思いに言いながら伸びをしたり、首や腕を回したり、気持ちを引き締めるように軽く息を吐き出してりしている。

 

 ケンタウロス2階の大部屋からは、堅牢かつ荘厳、威風堂々としていながらも、どこか傲慢な印象さえ与えてくる白亜の壁が見えてきていた。

 

 王都グランツェーレ。

 

 ある“勇者”の末裔、ライゴット=シンバ=グランツェスが、玉座を据える巨大都市である。

 

 アッシュから見えている防壁は、王都市街地を堅牢に囲う六芒星型の城壁だ。その城壁の向こうに聳える巨大宮殿めいた城と、そこに付随する尖塔の群れが、傾きかけた陽光を受けて白く輝いている。

 

「相変わらず、外からの見てくれだけは立派で綺麗よねぇ~……」

 

 醒めたような目になったチトセが、薄い笑みを浮かべていた。元々は王都で医術魔導師をしていたチトセだが、彼女は王都に対してあまりいい思いを抱いていない様子だ。

 

 あの反応からして、過去に王都で何かあったのだろう。見れば、セツナも険しい表情で王都を睨み据えている。

 

 ただ、すぐに余計な感情を振り落とすように軽く頭を振ったセツナは、「既に把握しているだろうが」と事務的な確認口調でアッシュ達に振り返った。

 

「私達は王都の門は潜れん。許可が出ていないからな。歌姫マリヴェルとは、王都の東門で合流する。その後の事だが……」

 

 それにすぐに応じたのは、普段通りの沈着さを取り戻した様子のサニアだ。

 

「彼女は、こちらのケンタウロスに搭乗するのですよね?」

 

「そうだ。歌姫と、彼女が所属する事務所の社長が、私達と乗り合わせる」

 

 引き締まった声を発したセツナは、アッシュとサニアを見て、それからルフル達を視線だけで見回した。

 

「あとの事務所関係者は、ヴァーミル達が乗り合わせているケンタウロスに搭乗して貰うことになっている。私達全員で、歌姫たちをアードベルに安全に送り届けるのが最初の仕事だ。……旅行気分から切り替えておけよ」

 

「モチよ!」「あ、モチってのは、勿論って意味ね?」「りょ~!」ルフル達が明るい声で返事をして、クラン『正義の刃』式であろう敬礼の姿勢をとった。

 

「それこそ、言われるまでもありません」

 

「はい。心得ています」

 

 冷然としたサニアも静かに頷き、それにアッシュも続きながら、ウィッグの髪型を元に戻した。

 

 アンダーリムの眼鏡をかけ直し、チョーカー型の変声用魔導具を装着してから、この任務のためにギルドが用意してくれた認識プレートを首から下げる。

 

 この認識プレートは『2等級・銅』を表し、そこに刻まれている名前もアッシュのものではない。刻まれているのは『キニス=グレイモア』という、架空の女性冒険者の名前だ。

 

 表面上、アッシュは別の人間として生きることになる。必要性という理屈の上から、もっともらしい嘘を纏うのだ。

 

 虚像となったアッシュは今、本来のアッシュとして生きることを赦されていない。アッシュ個人の戦闘性能だけが求められている。

 

 皮肉にもこの構図自体は、アッシュが“教団”に居たころの状況と、相似関係にあるように思えた。

 

 だが今のアッシュは、“僕は僕なのだ”という明確な答えを実感として携えている。誰かに必要とされ、それに応じようと努める自分に愛着を持ちたいと願っている。

 

 だからこそ、嘘と誤解の中でしか生きられない、この『キニス=グレイモア』という偽りの自分もまた、大事にしたかった。

 

 自分自身の体温を確かめるつもりで、アッシュが身体の横で拳を軽く握ったときだった。

 

 不意に、微笑みを浮かべたチトセと目が合う。ただ、その彼女の笑みは先程までのような、からかうようなものではなかった。

 

“教団”から救い出されてすぐのアッシュの姿を、チトセは知っている。

 

 自尊と共に生きることすら放棄する寸前だったあの頃のアッシュを、クレアと共に癒してくれたのは彼女だ。チトセは今のアッシュの心情を深く察し、そこに前向きな変化を見て取り、喜んでくれているようでもある。

 

「よろしくね。“キニス”ちゃん」

 

「……はい。此方こそ」

 

 変声用の魔導具の効果で、アッシュの声は幾分か高いものになっていた。女性らしい繊細さを帯びている。自分のものではない声――。それをアッシュは、ただ受け入れる。

 

「んふふ。それじゃあ、降りる準備をしときましょうかぁ」

 

 アッシュから視線を外す寸前、優しげに微笑みを深めて見せたチトセは、そのエッチな身体をゆらゆらと揺すりながら徐に立ち上がった。

 

「……あらぁ?」

 

 だが、再び大部屋の窓へと向けたチトセの目が、そこで一気に鋭くなる。

 

「あれは……」

 

 遠目にだが、アッシュも気付いた。

 

 王都の防壁門から出て少し離れた位置には、広々としたスペースで地面が舗装されてある。複数台の大型荷馬車などを停めておいたり、大人数の乗合馬車の乗降場所としても利用できるように整備されているのだ。

 

 そういった公共のスペースを、今日は歌姫たちが場所を借り切っている筈だった。

 

 歌姫の姿を一目見ようと詰め掛けたファンたちで混乱が起きないよう、今日は王都内から東門への出入りも含め、通行規制が敷かれている。そういう手筈だった。

 

 通行規制で他の馬車を別の門へと誘導しておくことで、この大型馬車のケンタウロスでも、可能な限り王都まで近付けるようにする意味合いもある。

 

 しかし、あれは――。

 

「既に戦闘が始まっているな。相手は、……レイダーの類か」

 

 望遠魔導具を取り出し、王都の東門を見遣ったセツナが忌々しそうな舌打ちをした。その直後だった。王都の東門の前で、パッ、パッ、と何度か光が散った。

 

「不味いよ。相手に魔術士がいるっぽい」

 

 強張った声を出したのは、セツナと同じく望遠魔導具を取り出しているルフルだ。

 

「見たトコだと、炎と雷属性かな」

「高威力、広範囲って感じだね~……」

 

 マリーテとステファも緊張した目を見交わしながら、戦況を見極めようとしている様子だった。同時だったろうか。

 

『私達も、あの場の状況は望遠魔導具で確認した。貴族の私兵集……、一応は騎士団を名乗っている集団が、歌姫たちを護ってくれている。だが、既に劣勢だ』

 

 この場には居ないヴァーミルの声が響いた。

 

 見れば、セツナとチトセの耳元に魔法円が展開されていた。彼女達が耳に装着している、通信用魔導具のものだ。

 

『我々もすぐに加勢する。特に、ア……、いや、キニスとサニアの2人は、まず歌姫のもとへ向かってくれ。状況によっては、彼女を連れて場を離脱してくれて構わん』

 

 冷静な口振りのヴァーミルに、サニアが短く応じる。

 

「了解しました。状況次第で、私はキニスと共に場を離れます」

 

「もしも負傷していた場合、その治癒は僕が」

 

 そうアッシュが言い添えると、魔法円の向こうでヴァーミルが頷いてくれる気配があった。

 

『あぁ。頼りにしている。……あの騎士達の様子では、治癒も回復もアテにはできそうにない。身に着けている装備品は一級品のようだが、もう総崩れ一歩手前だ』

 

『お行儀のいい騎士サマ達じゃ、人を襲い慣れたレイダー共の相手は荷が重そうね』

 

 溜息交じりで鬱陶しそうなこの声は、シャマニのものだ。更に別の女性達の声が続いた。

 

『護衛なら腕の立つ連中を揃えるもんじゃないの? 使えないだけならまだしも、邪魔になられたら敵わないんだけど』

 

『歌姫には貴族のファンも多いから、その子飼いの騎士団か何かって話じゃなかったかしら。……実戦経験も乏しそうな様子だし』

 

『歌姫を護るための戦力を正規軍から割いてくるのも、現実的ではありませんからねぇ。せめて上級の冒険者でも雇っていれば、もっと状況は良かったのでしょうけれど』

 

『でもまぁ、あの惨状はウチらの責任問題にはならないっすよ。ほら。ウチらの仕事は、王都に到着して、歌姫さんをケンタウロスに乗せてからっす。到着予定時刻よりも90分以上も余裕があるんすよ。今からレイダー撃退なんて、完全に時間外労働っす』

 

 ヴァーミルやシャマニと共に、アッシュ達とは別のケンタウロスに乗り合わせている『鋼血の戦乙女』のメンバー達のものだ。

 

「でもぉ、もうすぐに王都に着いちゃうから。そうも言ってられないわよぉ?」

 

 自由で長閑な物言いをするクランメンバー達を纏めるように、チトセが言い聞かせる口調になる。

 

『ふん……。分かってるわよ』

『えぇ。理解してるわ』

『歌姫を襲っているレイダー達は皆殺し、ですね』

『いやいやいや! 駄目っすよ! せめて何人かは生かしておかないと!』

 

 チトセとセツナの耳音に展開している魔法円は、そこで消えた。通信が切り上げられたのだ。

 

「何としても歌姫を護る。降りたら死ぬ気で走れよ」

 

 表情を消したセツナが、居合刀を握り直しながらケンタウロスの一階へと向かう。険しい表情で頷き合ったルフル達と、優雅な足取りのチトセが続く。

 

「アッシュ……」

 

 敢えてその名で呼んでくれたのだろうサニアが、隣に立って頷いてくれる。彼女の鈍色の瞳は静謐だが、鋭い光が佇み始めている。既に心身を戦闘状態に切り替えている者の目だった。

 

 手の中に『リユニオン』を召び出しながら、アッシュも頷きを返す。

 

 “キニス”という名の感触、着心地にはまだ慣れない。だが、纏った嘘を生きること自体には、もうアッシュは慣れている。

 

 あとは引き受けた誤解を、事実に変えようとする努力と実践が必要だった。

 

「えぇ。僕達も行きましょう」

 

 変声魔導具によって象られたアッシュの――キニスの声が合図になったかのように、王都の門を目指すケンタウロスが、また速度を上げた。

 

 

 

 










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