「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」   作:なごりyuki

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思わぬ交差路

 

 

 

 

 流れ者や商人、貴族など、他所から大量の人間が訪れるアードベルには、数多くの娯楽を彼らに提供する場所が無数にある。

 

 特に“ハニーディップ淫楽街”では、王都や他の街では違法となるような強烈な性サービス、賭博、薬物なども認められていたりする。

 

 『どんな欲望でも満たせる。金さえ払えば』という露骨なフレーズで他国でも紹介されていて、今ではアードベルの観光名所のような扱いである。

 

 欲望を金に変換することに長けた淫楽街は、裕福な者達を毎晩のように誘い、貪り、飲み込みながら、巨大な利益を生み出し続けている。

 

 一方で、もっと健全でクリーンな娯楽施設もまた、多種多様だ。

 

 魔導機械術士達が技術を集結して拵えられたバーキャス歌劇場は、そういった娯楽施設の中でも最上級レベルの豪華さと規模を誇っている。あらゆる舞台を演出する音響照明、空調設備などが大陸屈指の性能であることは、ショービジネスの世界でも有名らしい。

 

 そんな豪勢なバーキャス歌劇場だが、貴族などの富裕層向けではない、もっと一般市民向けの歌劇などの公演も随時行われている。

 

 使用されるのはメインホールの巨大舞台ではなく、歌劇場内に幾つか拵えられている小型の歌劇場だ。それでも十分に機能的な空間は、子供たちの遊戯会にも利用されること多い。

 

 バーキャス歌劇場のオーナー、グリウグロット=バムラン曰く、“笑い声の聞こえない都市に未来は無い”とのこと。劇場運営に関わるスタッフ達は皆、“謹直な市民には上質な娯楽を”という、オーナーの理念をまず学ぶという。

 

「ンンンンン~~……!!」

 

 高貴であるのに気取らず、アードベル市民達からも愛され続けているバーキャス歌劇場のメインホール、その大舞台の真ん中に立って手を振るマリヴェルは、男性用の純白のスーツを着込んでいる。

 

 

「みんな……! 今日は私のライヴに来てくれてありがとうッ!!」

 

 マイクロフォンを手にしたマリヴェルの華やかな声が、ホールの上下左右から響いてくる。

 

「今日は、歌姫として舞台に立つコンサートではないけれどね。でも、今の私を、“アイドル”というスタイルで歌う私のことも好きになって貰えれば、これ以上に嬉しいことはないよッ!!」

 

 まさに歌劇の主役といった風情で男装をしているマリヴェルは、降り注ぐ輝かしい照明を全身に浴びながら、満席になっている観客席に手を振った。

 

 湧き上がるような熱い歓声が、広大なホール全体の空気を揺らす。

 

「いや、違うな。もっと嬉しいことがあった。……それは、この場所で出会った皆に、私の歌を聴いて貰えることだッ!」

 

 うねるような熱気が充満しつつあるホールを、マリヴェルの体温を乗せた言葉が掻き混ぜていく。

 

「会いたかったぞーー!!」「マリヴェルーーーーッ!!」「大好きだ! 愛してるーー!」「今日も素敵ですわーー!!」「私を見て、こっち、こっちよーーッ!!」

 

 2階席、3階席までを埋め尽くす観客たちは、手にしたライトペンを激しく振ったり、手作りのグッズらしきものを高々と掲げて、熱烈なアピールを舞台に向けていた。男性も女性もなく、狂喜乱舞の歓声が飛び続けている。

 

 このライヴの1日目に劇場へと殺到してきた彼ら、そして彼女達の殆どが、恐らくは王都から来た者達だとケイスが言っていた。

 

 ライヴの日程を知っていた貴族や大商人、その関係者や血縁のファンが我先にとアードベルを訪れて、この日を待っていたのだと。

 

 実際、その通りなのだろうとアッシュも思った。暗がりの観客席に陣取っている者達の服装は、上品で優雅で洗練されている。そんなふうに見えた。

 

 特に、広々としてラグジュアリーな雰囲気が漂う3階席には、重厚な雰囲気を纏った者たちが陣取っている。あれが貴族達なのだろう。

 

 彼らの恰好は、見るからに飾り立てた貴族衣装ではなく、落ち着いた礼装らしき恰好だ。それでも彼らの存在感は、1階席、2階席の客達たちとは明らかに違う。

 

 ただ、貴族たちであろう彼らも、今は舞台に立つエリシアに釘付けの様子だ。

 

「ハァァーーッハッハッハッハッハァァッ! 既に盛り上がってくれているようで、私も嬉しいよ! やはりライヴは、こうでなくちゃいけない!」

 

 マリヴェルは観客席をぐるっと見回し、また2階席、3階席までを見上げながら、伸びやかで艶のある声を弾ませる。彼女のシャープな美貌は、冴え冴えとした自信に満ちた笑みに彩られている。

 

「できれば私もねぇ、ここに集まってくれた全員に熱いキスをして、タイトなハグをしてあげたいぐらいだ!」

 

 マリヴェルは観客席の彼方此方に投げキッスを飛ばし、自分の両肩を抱くような仕種を見せる。

 

「うぉぉおおっっ!!」「こっちだ……!! こっちにもくれーー!!」「きゃああああッ!!」「私に……、私に投げキッスを……!!」「あぁあぁ……幸せぇ……ッ!!」

 

 湧き上がる怒号。感激で涙ぐむような熱狂。マリヴェルの魅力によって齎される、それらの情緒と感情の爆発。

 

「おおっと! 駄目だよ、みんな! 盛り上がるのはいいけれど、盛り上がり過ぎるのはNONONO! スタァァァップ……ッ!!」

 

 マリヴェルの存在によって過熱するホールが、今度はマリヴェルの声によって静まり返った。観客達が思わず黙り込んだという感じの、それでいて、吹き上がるものを必死に堪えるような熱い静寂だった。

 

 灼熱の静けさを支配するマリヴェルが、そこで茶目っ気たっぷりに続ける。

 

「……私はまだ1曲も歌っていないんだよ? お楽しみはこれからだろう?」

 

 再び、ホールが熱狂の渦に飲み込まれる。そこかしこで歓喜が爆発していた。

 

「それじゃあ、まずは最初の曲と行こうかッ!!」

 

 舞台の真ん中に立つマリヴェルが指を立てて、腕を天に向けて突き上げる。

 

 それはライヴの開始を告げる合図。音楽が流れ始めて、濁流のような歓声が起こる。感情と音が飽和しながら縒り合され、1つの巨大な熱と音となって舞台に打ち寄せていく。

 

 一種のトランス状態に包まれたホール。観客たちはマリヴェルの歌声によって、日常から離れた興奮と幸福の中に連れ去られていく。

 

 間違いなく彼女は、このホール内の広大な空気を支配している。圧倒している。掌握している。

 

「凄いですね、マリヴェルさん……」

 

 その様子を舞台袖から見ていたアッシュも、歌姫マリヴェルという存在に飲まれていた。感覚としては畏怖に近い。

 

 キラキラと煌めくような笑顔のマリヴェルは、ホールに集まった観客達の心に火を点けるだけでなく、その炎で他者の内面を燃やし続け、魅了する才能に長けているのだろう。

 

「……彼女の立ち位置や職業が違えば」

 

 アッシュの隣にいるサニアも、畏敬の念を籠めた眼差しをマリヴェルに向けている。

 

「何らかの組織の、カリスマ的な指導者になっていたかもしれませんね」

 

 呟くように溢したサニアが、腰あたりで手にしているロングソードの柄に手を添え直した。

 

 舞台に近付いてくる不審者がいれば、それにいち早く気付いてマリヴェルを護る。それがアッシュとサニアの仕事だ。

 

 いつでも舞台に飛び出せる姿勢のサニアは、舞台上で堂々と歌うマリヴェルだけでなく、観客席にも注意深く視線を注いでいる。無論、それはアッシュも同じだった。

 

「……ネクロマンサーは、やはり現れるでしょうか?」

 

 杖『リユニオン』を両手で持ちながら、アッシュも観客席を窺った。すぐにサニアが応じてくれる。

 

「少なくとも、このライブが終わるまでの3日間の内に、何かを仕掛けて来ると思っていた方がいいでしょう」

 

 油断のない視線を彼方此方に飛ばすサニアの声は、緊張によって硬く研ぎ澄まされている。既に戦闘を開始している者の声音だった。

 

 ちなみに、このアッシュとサニアの遣り取りは、通話用魔導具によって他の『戦乙女』達だけでなく、歌劇場の内外で警護にあたっているローザ達とも共有している。

 

『で、ですが、もしかしたらの話ですけど、このライヴの最中には干渉してこない可能性もありませんか?』

 

 そこで、気弱そうな声が横から入ってくる。アッシュ達とは反対側の舞台袖に控えているモッグスだ。彼の隣ではケイスが腕を組み、不機嫌そうにアッシュ達を見据えていた。

 

 アッシュ達が装備している通話用魔導具と同じものを、モッグス、ケイスの2人とも装備している。

 

『流石に、舞台上にいるマリヴェルさんを狙うのは無理ですよね』

 

 弱気な感じでモッグスがそう続け、きょろきょろとホール内を見回している。声を微かに震わせている彼は、まだ何も起きていないのに既に怯んでいるような目つきだった。

 

「えぇ。大型の結界魔導具が起動しているのは、僕も確認しました。観客席側から舞台に上がることは不可能でしょう。多分、近づくことも無理だと思います」

 

 舞台袖から客席を見遣り、アッシュが応じる。

 

 魔導機械術の粋を集めて建築されたバーキャス歌劇場は、犯罪や暴力事件を未然に防ぐための魔導具設備も充実している。

 

 肉眼では殆ど見えないが、舞台と観客を隔てる空間には強固な結界が幾重にも発生して聳え立っており、舞台上に立つ者を堅牢に守っている。

 

 この結界の強度は、ダンジョン内で魔物が溢れ出てこないように展開しているものと同等だ。破ることは不可能だろう。

 

 仮にレイダー達が観客達に紛れ、観客席側からの弓矢や投げナイフ、魔法攻撃をマリヴェルに向かって放とうとも、結界に阻まれて一切届かないはずだ。

 

 観客席の入り口、重要な通路を見渡せる位置には、“戦乙女”達が配置されている。暴漢、悪漢の類がコソコソと動き出したとしても、それを見逃すことは無い。

 

 会場の壁面上部の至る所にも、監視防犯用の魔導機械獣のフクロウ達が目を光らせ、ときに会場内を旋回しながら飛翔して、怪しい人物が居ないかを細かく確認している。

 

 彼らには強力な魔力感知器官と、それを打ち消す魔法装備、暴漢制圧用の電撃魔法も内蔵されている。もしも下手人が現れれば、それを速やかに無力化してくれるという手筈だ。

 

「不審なアイテムボックス、武器類を持ち込んでいる者も居ないという報告は、私も聞いています」

 

 アッシュの隣で、軽く頷いたサニアも続く。

 

「入場の段階で、観客の全員が厳しいチェックを受けている筈です。それに、魔力拘束用のリストバンドの装着も義務付けられていますから」

 

 現状を確認し、改めて共有しようとするようなサニアの言い方は、強者然としていて、どこまで沈着だった。

 

 観客の中に紛れたレイダーが、他の観客を人質にする。

 

 そういった事態を未然に防ぐために、劇場内へのあらゆる危険物の持ち込みを禁止している。その上で観客達には、魔法詠唱を強制的に不可能にするための拘束具を装着して貰っているのだ。

 

「もしも違法アイテムボックスを持ち込んでいても、それを使用することはできないはずです」

 

 静かに言い切るサニアが心強かったのか。『そ、そうですよねぇ』と、モッグスが胸を撫で下ろすような声を洩らす。

 

『会場の内外で、警護体制も万全ですし……。やっぱりネネクロマンサーも、このライヴ中に襲撃してくることは諦めるんじゃないですかね』

 

 おどおどとした口調のモッグスが、力の空笑いを浮かべる。

 

『ふん……。万全などという状態はあり得ん』

 

 治癒術士としてのモッグスの腕にはケイスも期待しているのだろうが、戦闘要員としては見ていないのか。ケイスは棘のある言い方をしてから、アッシュ達にも低い声を飛ばしてくる。

 

『キニス、サニア。分かっていると思うが、決して楽観するな。集中力を維持しておけよ。何があってもマリヴェルを護れ』

 

「は、はい……!」

 

「無論です」

 

 アッシュとサニアが応じたあと、耳に装着している通話用魔導具の向こうで、モッグスが何度か唾を飲み込む音が聞こえた。自分の弱気な発言が、ケイスの機嫌を損ねたのかと冷や汗を掻いている気配も伝わってくる。

 

 見れば、ケイスの隣で肩を窄めたモッグスは、居心地が悪そうに目を伏せていた。戦闘が不得手であることを負い目に感じているようでもある。

 

 ケイスの方は、そんなモッグスをサングラス越しに一瞥しただけで、やはり何か声を掛けることもなかった。代わりに、またアッシュ達に向けて低い声が飛ぶ。

 

『それと……、お前達も聞いているだろうが、今日の夜、シャマニとチトセ、ウルズの3人が、一時的にクラン本部に戻ることになっている』

 

 相変わらずケイスの口振りは威圧感たっぷりで、まるで軍人だ。

 

『シャマニとチトセは装備している魔導武具の修理、ウルズは使役する機械獣の一部修繕のためという報告は、俺もヴァーミルから受けた。あの3人が居ない間は、お前達は特に気を張っておけ』

 

「彼女達が現場を離れる間は、さらに11体の機械獣が加わることになっています」

 

 事務的な口調のサニアが、冷えた声で応じる。

 

「ギルドからの応援という形ですが、防犯の面では申し分ないと思いますが」

 

『あぁ。その話は俺もギルドから聞いている。代わりの機械獣を出すというから、奴らには現場を離れることを許可したんだ。ところで……』

 

 そこでケイスの口調に、アッシュ達を探るような響きが滲んだ。

 

『ライヴが始まる前に、ヴァーミルがギルド職員と何やら深刻な顔で話をしていたようだが……。他所で何かトラブルでもあったか? 知っていることがあれば隠すな。答えろ』

 

 刃物の切っ先を突きつけるようなケイスの声音には、吹きつけてくるライヴの熱狂を薙ぎ払うような迫力がある。びくりとモッグスが肩を震わせるのが分かった。

 

「い、いえ、トラブルなどでは無いはずです。特にヴァーミルさんは現場指揮にあたっている人ですし、何かあれば、すぐに僕達にも伝えてくれる筈ですから」

 

 アッシュが怯みつつも応じたあとで、冷然とした事務的な態度を維持しているサニアが続いた。

 

「恐らくですが、不測の事態に備えたいギルドが、劇場の敷地外に冒険者を置いているのでしょう。それについて、何らかの話し合いが行われていたのでは?」

 

『あぁ……、そういうことか。なるほど』

 

 面白くなさそうにケイスが鼻を鳴らす。彼が何を懸念して、何を危惧しているのか見当もつかないアッシュは、戸惑いつつ尋ねた。

 

「えぇと、つまり……、どういうことなんでしょう?」

 

『……簡単な話だ』

 

 面倒そうな口調だったが、ケイスは応じてくれた。

 

『“もしも何かあったとき”に、俺では無く、ギルドの意向で動く人間を用意しているという話だ。……冒険者ギルドの連中としては、マリヴェルよりは寧ろ、観客の貴族共を何としても守りたいだろうからな』

 

 納得しつつも憮然とした様子のケイスは、腕を組んでマリヴェルを見遣った。

 

『警備と警護の体勢を保つために機械獣は使わせてやる。だが、非常時に備えて動かせる人間は、此方でも用意させてもらう……という肚だ』

 

 舞台袖からライヴの様子を睨むように見ていたケイスは、すでに状況を理解しているというより、ただ納得しているふうだった。

 

『ヴァーミルが何を俺に隠していようが、邪魔にならんのなら許容範囲だ』

 

 そこで言葉を切ったケイスは、もうこの話題に興味を失ったように鼻を鳴らした。

 

「意外ですね。貴方はもっと、何もかもを把握していないと気が済まない質のように思いました」

 

 遠慮のない物言いのサニアに、『俺がゴネたところで、状況は変わらん』とケイスは舌打ちを堪えるような言い方をした。

 

『ギルド側が人間を用意しているんなら、それはそれでいい。俺にとっても利用価値はある。まぁ何にせよ、お前達の仕事は1つだ。相手がネクロマンサーであろうがゾンビであろうが、全て斬り伏せろ』

 

 ケイスの命令口調は真摯でありながらも、何処か苦しげだった。ネクロマンサーなどという得体の知れないものに備えねばならないことに、彼も緊張しているのだろうか。

 

 舞台で歌うマリヴェルと、彼女の歌声を全力で受け取ろうとする観客達の盛り上がりと熱狂。それを舞台裏から眺めながら、今度はサニアが口を開いた。

 

「了解しています。……しかし、ネクロマンサーの目的は見えないままです」

 

 今の状況をどう捉えているのか。

 サニアは、それをケイスに問いかけようとしているのだろう。

 

「王都の防壁前に現れたレイダー達の数も、普通ではありませんでした。いくら有名な歌姫であるとはいえ、その襲撃に参加していた者の数が多過ぎる。……何らかの事情を、ケイス社長はご存知なのではありませんか?」

 

 ケイスに向けられたこのサニアの問いは、アードベルに到着するまでに為されるべきものだった筈だ。だが肝心のケイス自身が、それらの質問も議論も許さなかったのだ。

 

 余計な詮索などせず、貴様らは護衛に集中しろ。

 彼にそう命令されれば、アッシュ達も従わざるを得なかった。

 

 だが、ネクロマンサーという言葉を口にした今のケイスならば、何か心当たりがあるのかと尋ねることを許されるのではないか。

 

 雰囲気から、サニアはそう感じたのだろう。

 

 ケイスは再び面倒そうに鼻を鳴らしてから、何かを考えこむような間を数秒だけ置いて、『安直な憶測だが……』と、妙に淡々とした口調で続けた。

 

『エリシアを誘拐して、身代金か、それに代わる何かを要求するつもりなのかもしれん。エリシアの引退か、或いは、俺の命か』

 

 その言い方があまりにあっさりとしていて、まるで自分の命の行方になど興味が無いようでもあった。サニアが質問を続ける。詰問のような口調で。

 

「彼女の生命保険金によって、幾つかの団体が甘い蜜を吸える構図があるようですが」

 

 サニアの問いかけの躊躇の無さはそのまま、命を懸けてマリヴェルを守る覚悟の裏返しだろう。生命保険金という言葉に、モッグスが顔を強張らせていた。アッシュも軽く息を飲む。

 

「……まぁ、マリヴェルを殺害するつもりなら、金によって甘い蜜を吸える連中がネクロマンサーを動かした可能性はある」

 

 舞台から流れ込んでくる非日常的な熱狂の波に曝されながらも、ケイスの声音に籠った硬質な現実感は、どこまでも冴えている。動揺も恐れも窺えない。

 

「ああ見えてマリヴェルは、熱心な女神教の信者でな。神官達が中心となって成立している慈善団体……、まぁ、医療活動を行う団体だな。そういった連中に対して、マリヴェルは少なくない額の寄付を続けている」

 

「もしかして、生命保険金を受け取る権利というのは……」

 

 思わずアッシュも口を挟んでしまう。このライヴの裏に出来上がっている構図に、不気味なものを感じた。ケイスが平然と応じてくる。

 

「そうだ。マリヴェルが弁護士を揃えて作成している遺書内容では、そういう慈善団体の一部も、保険金を受け取る権利が設定されていた筈だ。表向きには発表されていないがな。マリヴェルが死ねば、労せず大金が手に入るという連中は、確かにいる」

 

『しゃ、社長、ライヴ最中の舞台袖でする話じゃないですよ』

 

 か細い悲鳴のような声を洩らしたモッグスが、容赦の無いケイスの言葉を遮る。

 

『マリヴェルさんが死ぬとかどうとかは、今は流石に……。そんなことになれば、専属治癒術士である私の立場がありません』

 

 悲しげに眉を下げたモッグスは、せめて目線だけで非難するようにケイスを見てから、舞台上で美しい歌声を披露しているマリヴェルを見遣った。アッシュもサニアも、それに倣う。

 

 眩いスポットライトを全身に浴び、宝石のような汗を頬や額に輝かせて、観客達を興奮の坩堝に誘い続けるマリヴェル。

 

 その彼女の足元に滲んだ黒い影が、消しようもなく、彼女の動きに合わせて揺らめきながら燻ぶっている。

 

 歌姫。アイドル。

 実体を持つ、マリヴェルが引き連れ続けてきた影――。

 黒々としたそこに蠢く、悪性の感情と邪悪な閃き――。

 

『……何にせよ、ネクロマンサーを動かしている連中の“真意”など、推察しようがない』

 

 溜息を飲むような間を置いたケイスが、この遣り取りを打ち切った。

 

『だからこそ、お前達には期待している。死んでもマリヴェルを護れ』

 

 アッシュやサニア、モッグスに向けられた、ケイスの重々しい命令口調。

 

 ネクロマンサーの脅威に備える今も、いや、今までに一度も彼は、『俺のことも護れ』とは言わなかった。彼が下すアッシュ達への厳命は徹底して、『マリヴェルを護れ』だった。

 

 始まったばかりのライヴに沸く会場と、そこに渦巻く激流のようなテンションとは隔てられた場所で、アッシュ達は自分達の“役割”を再確認した。

 

 

 ――1日目のライヴは、拍子抜けするほど無事に終えることができた。そして、2日目も。

 

 バーキャス歌劇場の内外で、不審者が出たという報告も無かった。ただライヴがあまりに盛り上がり過ぎて、会場内で気分が悪くなった観客が複数でた程度だった。

 

 そういった観客達のなかでも、ライヴの熱気にやられて失神したり、頭痛や眩暈を訴える重症の者達に対する治療は、マリーテやステファ、リエラ、そしてカルビ達が担当してくれた。

 

 治癒魔法は身体への負担が大きいのが難点だが、彼女達の腕前ならば、被術者への負担も最小限に抑えられていた筈である。

 

「さぁて……。明日でライヴも最終日だが、キミ達の御蔭で無事に終えられそうだねぇ」

 

 バーキャス歌劇場内に設えられた宿泊用の部屋。豪勢なベッドの上で伸びをしながら、マリヴェルは気の早い安堵に身体を預けて、大きく息を吐き出している。

 

「ンンンン~……。この歌劇場内の客室も、王都ホテルの有名スィートルームに匹敵する心地よさだし、もう文句の言いようがない。今回のライヴは、私にとってもいい旅になったよ」

 

 美しい歌声の余韻を残した彼女の吐息は、この広く豪奢な部屋の空気を微かに震わせた。ベッドの脇にある大窓の外には闇が広がっており、アードベルの街の明かりが浮き上がっている。

 

「我が儘を言うのであれば、“冒険者の楽園”と呼ばれるこの街を、色々と観光もしたかったのだけれどね」

 

 夜に沈んだアードベルの街を眺めていたマリヴェルは、特別警護役として傍に控えていたアッシュとサニアに視線を流してくる。

 

「無茶なことを言わないで下さい。そんなことが許されるわけがないでしょう」

 

 参ったように眉を下げたサニアが、憮然とした半目になる。この数日間で、サニアとマリヴェルは随分と打ち解けていた。

 

 緊張の中で育まれる絆というのは、平時に比べて成長が早く、より強い結びつきを感じるものだ。そういう感覚は、ローザ達と共に過ごしてきたアッシュも実感として理解できた。

 

「というか……。この遣り取り、一昨日も昨日もやりましたよね」

 

 控えめに苦笑して、アッシュも言い足す。

 

「んん? そうだったかい?」

 

 惚けたように言いながら肩を揺らすマリヴェルは、サニアとアッシュが困るのを見て、それを見て楽しんでいるようだった。

 

「実は、このライヴ期間中の夜に、こっそりと黙って抜け出すことも考えたんだけどねぇ。流石にやめておいたよ」

 

「ゾッとすることを言わないでくださいよ……」

 

 冗談なのか本気なのか分からないマリヴェルの口振りに、流石にアッシュも苦笑していられなかった。

 

「そんなことをされては、私達の立場が無い」

 

 その状況を想像したのか。サニアも勘弁してくれという顔になって首を振っている。

 

「はっはっは。だから大人しくしていただろう?」

 

 アッシュとサニアを蒼褪めさせて満足したのか。くつくつと笑うマリヴェルは、また窓の外を見詰める。暗い窓に映る彼女の表情には、暗がりだけではない翳があるように見える

 

「これでも分別はある方なんだよ、私は」

 

「そうだといいのですが……」

 

 サニアが半目になって、溜息交じりに溢す。アッシュも肩を竦めた。

 

「まぁ、僕達の目を盗んで歌劇場を抜け出そうとしても、すぐに見つかってしまうでしょうけれど」

 

 歌劇場内には防犯用の魔導機械獣が多数うろついているし、それに“戦乙女”達が見回っている。外では女性冒険者達が警護の任務につき、ローザやルフル達を含む、腕の立つ女性冒険者が目を光らせているのだ。

 

 外部の人間が入り込む余地は無い。翻っていえば、誰にも見つからずに歌劇場の敷地外に出るのも至難である。

 

 そのことは、護られているマリヴェル本人もよく理解している筈だった。

 

「あっはっはっは。その通りだねぇ。気分転換に、架空の話を気楽に語りたかったのさ」

 

 命を狙われる緊張の中、多くのものを我慢するストレスに笑顔で耐えているはずの彼女だが、それをアッシュ達に感じさせない。このしなやかな態度こそは、マリヴェルという女性の強さを表しているのだろう。

 

 アッシュの脳裏に、この2日間のライヴの様子が過る。

 

 多くのファンを虜にして、楽しませ、癒し、その心を慰め、勇気づけて、活力と希望を与える……。歌姫でありアイドルという“役割”が、マリヴェルという女性を強くしたのか。

 

 それとも、ファンの存在が彼女を強く支えているのだろうか。いや、或いは――。

 

 アイドルとは“チキュウ”由来の言葉で、偶像という意味を持つらしい。

 

 偶像とは、それ一個では意味を為さない。

 誰かの為に存在してこそ、偶像は意味を持つ。

 

 この偶像という概念に包括されているマリヴェルの孤独が、彼女自身を奮い立たせているのかもしれない。

 

 いずれにせよ、アッシュにとっては敬服するような、凛然とした精神性を持つマリヴェルだが、今は茶目っ気たっぷりに唇の端を持ち上げている。

 

「でも、この歌劇場を抜け出してみたいというのは本心だ。ただ、余計な悪戯をして、ケイスに大目玉を食らうのも嫌だからねぇ。彼は怒ると凄く怖いんだ」

 

「……ケイスさんが怒っているところを想像するだけで、足が竦みそうです」

 

 肩を窄めたアッシュが正直な感想を口にすると、サニアも難しい顔になって何度か頷いている。マリヴェルが可笑しそうに笑った。

 

 モッグスとケイスは別室で休んでいて、彼らにはアルキス、オルキス、リエラの3人が護衛としてついている。それに加え、彼らの部屋の外にも狼型の魔導機械獣2体が配置されている筈だった。

 

 ちなみに、アッシュ達がいる部屋の外には魔導機械獣ではなかう、セツナとルフル、そして、クラン本部から戻って来たチトセが陣取っている。

 

 シャマニとウルズは、クラン本部から戻ってきてからは、歌劇場敷地外の警護に回っている。やはりギルド側が用意した冒険者パーティか、或いは、クラン達との連携のためなのだろう。

 

 いずれにせよ今のバーキャス歌劇場には、招かれざる客は何人も出入りできない。そういう厳重な警護体制が構築されているのは間違いなかった。

 

 ――だが、招かれた客の場合は、少々話が変わるらしい。

 

「おっと、もうこんな時間か。キミ達とのお喋りは楽しいが、時間が早く進んでしまうのが難点だねぇ」

 

 壁の大時計を見てにんまりと笑ったマリヴェルが、ベッドから立ち上がって紅茶を淹れる準備を始めた。

 

 実はマリヴェルは、出掛けられない代わりに客人を呼んでいた。勿論、既にギルドやケイスが許可を出した人物である。

 

「しかし……、貴方のような歌姫が、彼女と知り合いだったことには正直驚きました」

 

 改めてサニアが意外そうに溢すと、湯沸かし器を片手に持ったマリヴェルが軽く片目を瞑ってみせる。

 

「世界というのは、私達が思っているよりも狭いものさ」

 

 客人をもてなす為の準備を進めるマリヴェルは、室内のテーブルにテキパキと茶菓子を用意していく。アードベルの美食街から取り寄せたシフォンケーキだった。

 

 ちなみに、マリヴェルが控えているこの部屋に持ち込まれる物品、特に食物は、精密な検査魔法によって毒物でないことが確認されている。

 

 常識的な範囲での飲み食いぐらいは、せめてもの娯楽としてケイスも認めているようだった。昨日も美食街から、高級ウナギ重と特上寿司が出前としてマリヴェルに届けられている。

 

 今もエリシアが手にしている紅茶やジャムなども、美食街でしか手に入らない逸品なのだろう。この場に呼ばれたマリヴェルの客人とは、彼女にとって特別な相手なのだと何となく分かる。

 

 その客人が、アッシュにとっても身近な人物であったことには驚いた。奇妙な偶然によって錯覚する世間の狭さというものを、アッシュも改めて感じ入っていたときだった。

 

「警護任務中の人間を呼びつけるなんて、随分と自由な振る舞いが許されているものですのねぇ」

 

 マリヴェルの控室に、彼女がノックとほぼ同時に入ってくる。それこそ、親しい仲でなければ許されない振舞いだ。

 

「それに、こぉぉんな豪勢な部屋で寝泊まり出来るなんて……。羨ましい限りですわ」

 

 重装のドレスアーマーを着込んでいる彼女は、大袈裟な溜息と共に腰に手をあてて、なんとも渋い表情になって部屋を見渡している。

 

「傍目にはそう見えるかもしれないが、これでも窮屈な思いをしているんだよ。冒険者になった旧友を呼びつける我が儘ぐらいなら、罰は当たらない程度にはね」

 

 対するマリヴェルの方も、今までに見せたことのない種類の笑顔で彼女を迎え入れた。それは恐らく、長いあいだ表に出ることがなった、歌姫でもアイドルではない、マリヴェル自身の表情なのかもしれない。

 

「会いたかったよ。久しいね、エミリア。元気そうで何よりだ」

 

 こみ上げてくるものを堪えるような、優しい声のマリヴェルに名を呼ばれた彼女――エミリアは、その紅の巻髪を芝居っぽく掻き上げたものの、途中で緩やかな苦笑を漏らして、軽く息を吐いた。

 

「えぇ、私もですわ。マリヴェル」

 

 親しみの籠った彼女達の口調は、互いの間に流れていた時間を解いて、満たしあうようだった。アッシュとサニアは改めて顔を見合せてしまう。

 

 

 

 










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