「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」 作:なごりyuki
「歌劇の舞台で活躍したいと夢を語っていた貴女が、それを実現して立派になっていることに、私も嬉しく思いますわ」
「あぁ、ありがとう。正確に言えば、私が立っている舞台は歌劇というのとは少し違う。今の私は歌手の一形態だからね」
「でも、観客に感動を与える職業という意味では、その尊さも大変さも同じでしょう?」
「それは全ての職業に当て嵌まるさ。自分だけが特別と思えるほど、私はもう純粋じゃないよ」
「あら。謙虚ですのね」
「人に支えられている自覚と感謝を、常に持っているだけさ。エミリア。今のキミが、冒険者になるという夢を実現していることを、私も嬉しく思っているよ」
「えぇ。ありがとう。……とはいえ私も、真に夢を掴んだとは言えませんけれど」
「そういえば、最終的にはクランを立ち上げたいと言っていたね? でもそれは、叶えた夢の延長線上にあるものだろう? もう半分は達成したも同然じゃないか」
「夢は現実になると、その道の険しさも現実味を帯びるものですわ。宝くじが当選したとしても、喜んでばかりもいられないのと同じですわね」
「あぁ、なるほど。なるほど……。うん。その通りだね。叶えた夢は往々にして、もっと深刻な苦悩と苦労を与えてくるものなのかもしれない」
ソファに腰掛けて談笑するエミリアとマリヴェルは、非常に寛いだ態度で言葉を交している。互いに僅かな遠慮を持ちながらも、この再会を喜び、懐かしさを噛み締め合っている。そんな雰囲気だった。
ときどき、話題を探すような気遣いめいた沈黙が降りることもあるが、その静けさには棘が無く、安らいだものだった。むしろ、何も喋っていない間にこそ、彼女達の絆が結び直されているようにも見えた。
他人同士では決して共有し得ない、濃密な空気が彼女達の間にはある。
「キニス……いえ、アッシュ……。あの2人は、いったいどういう関係なのです?」
やや訝しむような表情のサニアが小声で尋ねてくる。
「あれだけ親密な態度を共有するのは、ただの知り合い、友人というだけでは不可能でしょう」
「そ、そうですよね。僕もそう思います」
小声でアッシュも応じるが、エミリアとマリヴェルがどのような間柄なのかは判然としない。そもそも2人の過去を知らないのだから、当然ではあった。
「おや、どうしたんだいキミ達。こっちをチラチラと見て」
ひそひそと言葉を交わすアッシュとサニアに気付いたマリヴェルが、悪戯っぽい笑みを向けてくる。
「むむむ……! ちょっとサニアさん、アッシュさんとの距離が近くありませんこと?」
続いてエミリアが深刻な顔になって、抗議するような口調で言ってくる。
アッシュとエミリアが顔見知りであり、何度も冒険を共にしていたことは、マリヴェルにも明かしてあった。
それにエミリアが、アッシュが女装してマリヴェルの特別警護についている今の状況を、『鋼血の戦乙女』からの信頼もあって既に知っていたことも。
おかげで今は、アッシュは自分のことを偽る必要が無かった。変声用の魔導具も使わずに済んでいる。
「私とアッシュとの距離が、近い?」
サニアが怪訝そうな、不思議そうな顔になってエミリアを見た。
「……いえ。アッシュと私との距離感は、常に適切ですよ」
真面目な顔のサニアが軽く鼻を鳴らし、すすっ……とアッシュに寄り添うように体を寄せてくる。アッシュは軽く仰け反ってしまう。
「おい貴様ァ……!」
エミリアが片方の眉を吊り上げて、恐ろしい声を出した。
その様子を眺めていたマリヴェルが、「おや……?」という顔つきになって、エミリアとアッシュを交互に見た。次にアッシュとサニアを見比べながら、「あぁ、そういうことか」といった感じで何度か頷いた
「なるほど。ふふふ。そうか、なるほど。アッシュ。キミはサニアとだけでなく、エミリアとも親しい仲みたいじゃないか」
今までとは少しニュアンスの異なる笑みを浮かべたマリヴェルが、“親しい仲”という部分を強調しながら、意味深というか興味深そうというか、ちょっと目をキラキラとさせながらアッシュを見詰めてくる。
「アッシュ君はソロ冒険者らしいけれど、エミリアはパーティに所属しているのだろう?面白い状況だ。実はキミ達には、隠れてた個人的な付き合いがあるとかッ?」
どうやらマリヴェルも、アッシュとエミリアの関係について気になっているようだ。好奇心の籠った彼女の瞳が爛々と輝いている。
「えぇ、はい。僕とエミリアさんは――」
控えめに頷き、アッシュが応じようとしたときだった。
「その通ぉぉぉりですわ、マリヴェル……。どうやら歌姫となった貴女の目は、曇りなき真実を見抜いてしまうようですわね」
ほとんどアッシュの言葉を遮るような勢いで、芝居がかった口調のエミリアがソファから立ち上がった。
「私とアッシュさんの関係を一言では表すならばッ、そうッ、まさにッ、一心同体、運命的ベェェェェスト・パァァトゥナァァァ……!! 澄み渡る空よりも清らかでェェ! 海よりも深ァァい絆で結ばれた仲ですわッ!!」
力強く断言したエミリアは「ンフゥゥゥ~……!」と熱っぽい息を吐き出しながら、紅の縦ロールを豪快に、艶やかに、悩ましげにかき上げた。その大袈裟な仕種を眺めていたサニアが、憮然とした半目になってボソッと溢す。
「……貴女が勝手に言っているだけでは……?」
「えぇと、でも、確かに僕は、エミリアさんに凄くお世話になっています」
エミリアのテンションには置いてけぼりにされてしまうが、事実に対してはアッシュも素直に頷いた。
「ほうほうほう……! ンンン、なるほどねぇ~!」
腕を組んだマリヴェルは何度も頷き、茶目っ気たっぷりの横目でエミリアを見遣った。
「アッシュ君が同行してくれる冒険の中で、エミリアはアッシュ君のことを気に入ってしまった、というワケだね?」
「いいえ……、それは違いますわよ。マリヴェル」
きっぱりと言い切るエミリアが、真面目くさった顔になってゆるゆると首を振った。自らが確信したこの世の真実を語るような、重厚な口振りになる
「私とアッシュさんの愛の物語は、出会ったその日からパワフルに始まっていたのですから」
「…………貴女が勝手に言っているだけでは……?」
僅かに下唇を突き出しているサニアが半目になり、ボソッとした言い方で繰り返した。
「まぁ……、あれだな。エミリア。その熱量と自信の溢れ方は、ちょっと気味が悪いな。だが、そうか……。うん。人生を謳歌しているようで、本当に何よりだ」
若干、引き気味になったマリヴェルは苦笑しつつ、ふっと遠くを見遣るような目つきになる。
「昔からキミは、そんな感じだったな……。変わらずに自分を貫けるその強さは、私の憧れるところだ」
記憶のなかにある眩しい景色を懐かしむようなマリヴェルに、アッシュは今まで気になっていたことを尋ねてみた。
「あの、お2人はどういった経緯で、御知り合いになったのですか?」
「んん? あぁ、そういえば、その話がまだだったね」
軽く笑ったマリヴェルはソファに凭れ直し、「話しても構わないかい?」というふうに、エミリアの方を視線で窺った。
何かを言いかけたエミリアは、アッシュとサニアの方を一瞬だけ見て、視線を下に落とした。そして「まぁいいか」と自分を納得させるように軽く息を吐いて、ゆったりと紅茶のカップに口をつける。
その優雅な態度と表情を了承として受けとったのだろうマリヴェルも、小さく頷き、紅茶で唇を湿らせてから「実は」と続けた。
「エミリアは、もともと貴族だったのさ。そして私も。幼馴染という方が正しいかな」
「えっ……」
貴族――。
今までアッシュにとって無縁であったその言葉が、言葉の方から近づいてくるような感覚があった。
「そ、そうだったんですね」
言いながらアッシュは思わず、上品に紅茶カップに口をつけるエミリアを見詰めてしまう。サニアも軽く目を瞠っていた。
そういえば、初めてトロールダンプで出会ったときのエミリアの振舞いにも、何処か気品と優雅さを感じたのを思い出す。
エミリアが漂わせていた、あの微かな高貴さ。その正体が、彼女の生い立ちからくるものだったのだと分かった。
奇妙な納得と驚きのなかで、アッシュとサニアは目を見交わし合い、取り敢えずといった感じで居住まいを正して、2人に頭を下げようとした。
「おっと! キミ達、せっかく仲良くなってきたところなんだ。そう畏まらないでくれたまえよ!」
慌てた声を上げたマリヴェルが、軽く手を振りながら弱々しい苦笑を口許に過らせた。
「もう私達は貴族としての籍も立場も無い。……ちなみに私の家は、今はもう借金まみれで没落寸前だ」
「私の家も零細貴族ですし、似たような状況ですわね」
紅茶のカップを手に俯き加減のエミリアも、小さく鼻を鳴らす。
今の2人の表情からは、貴族としての立場や、かつての家族に対する未練は窺えない。だが、思い入れや懐かしさまでを放棄したわけではなさそうだった。
「当時、私達が暮らしていた領地は隣り合っていたからね。両家の関係は良好だったし、それを維持するための御家同士の付き合いの中で、私とエミリアは互いを見つけたんだよ。それで交流を育んできたのさ」
軽い口調のマリヴェルはそこまで言ってから、「ンンン~? おやおや、キミ達ぃ~」と茶目っ気のある笑顔をアッシュとサニアに向けてくる。
「なぜ私達が貴族でなくなったか、気になって仕方がないという顔だねぇ」
「そ、それはまぁ、はい……」
思わず素直に頷いてしまったアッシュの隣で、慎み深いサニアが真剣な顔になる。
「そのような踏み込んだ話を私達にされて、問題は無いのですか?」
「真面目だなぁ、サニアは。あぁ。全く問題無いよ。実のところ、別に隠す必要も無いし、別にシリアスな意味も無いんだ。いっそのこと白々しいくらいに。なぁ、エミリア?」
マリヴェルの態度は気楽そうだが堂々としていて、何ら後ろ暗いことがないのだろうと分かる。
「えぇ。身内の絶縁、勘当、そこから追放などというのは、零細貴族でも珍しいことではないですもの」
あっさりとした口調のエミリアは、また紅茶に口をつける。実に優雅な仕種だった。
「はっはっは! もう答えが出てしまったねぇ! でも、その通りだ。私とエミリアにも色々とあってね。私達は貴族という枠から放り出されて、其々の人生を歩んでいる真っ最中というワケだ」
マリヴェルは自分達の過去の詳細を省きつつ、この話題に区切りをつけて笑い飛ばそうとしているようだった。もうここで、この話は終わりだというふうに。
だが一方でエミリアの方は、まだこの話題から立ち去るつもりは無いのか。不意にエミリアが、アッシュのことを見た。真っ直ぐに。そして、微笑みを浮かべる。
「このことは、いずれ、アッシュさんには話すべきではないかと思っていましたの」
「僕に、ですか……?」
「えぇ。本当なら、ダルムボーグでの戦いの後、すぐにでもお話したほうが良かったでしょうけれど」
そのエミリアの穏やかな口調から、彼女が言わんとすることはアッシュも察することができた。
ギギネリエスによって乱暴に曝されてしまったアッシュの過去に対して、エミリアもまた、自分の過去をアッシュと共有しようとしてくれていたのだ。カルビやネージュが、アッシュにそうしてくれたように――。
ただ、エミリアとアッシュが2人きりになるような機会には、今まで恵まれなかったのも事実だ。こういった過去の打ち明け話をするタイミングが遅れてしまったことを、今のエミリアは詫びてくれているのだ。
「む……、話を広げてしまった私が言うのもなんだが……。いいのかい、エミリア……?」
ちょっと真面目な顔つきのエミリアの様子から、マリヴェルも何かを察したのだろう。少し焦った顔になった。
「えぇ。不思議な感覚ですが、この場にいる方々にでしたら、私の昔話を聞いて頂きたいと思いますわ」
この話題に触れた時から、もとよりそのつもりだったのかもしれない。エミリアはサニアにも微笑みかけた。無言のサニアは真面目な表情で、エミリアに身体を向き直らせる。
それは誠実な傾聴の姿勢であることに間違いなかったが、エミリアの方は「そんなに真剣に聴いていただくほどのことでもありませんけれど……」と小さく苦笑を溢し、ゆっくりと口を開いた。
「貴族であった頃の私の名は、エミリア=アイゼンローズ=レアボルド。零細貴族、レアボルド家の末の娘でしたの。ただ、これもよくある話ですが……」
この話を深刻な空気を作りたくないのだろう。特に表情を作っていないエミリアは口調も軽く、どこか淡々としていた。
「どうやら私は、当時のレアボルド家当主と、ある侍女との子だったようです」
どのような相槌を打って反応すべきなのか、アッシュには分からなかった。ただ黙って、エミリアの過去を想うしかなかった。
「……母は私を産んだときに、亡くなったと聞いています」
押し黙っているサニアも、ただエミリアを見守っている。泰然としているマリヴェルも、どこか見守るような眼差しをエミリアに向けている。
「幼い頃の私は誰からも疎まれ、存在を無視されるか、腫物を扱うようにしか接されなかったですわね」
複雑な笑みを口許に漂わせたエミリアは、訥々と語ってくれた。
産まれた瞬間に殺されてもおかしくなかったエミリアだが、当主の気紛れの慈悲か、或いは罪悪感からか、随分と可愛がってくれたこと。
だが、エミリアには魔法を扱う才能が無く、すぐに身内の中でも孤立し、敵も多く、安らぐ時間が殆ど無かったこと。
亡くなった母譲りであるらしい美貌と恵まれた体格が、その孤独に拍車をかけたこと。
「私は、私という存在の迷惑さを肌で感じていましたわ。だから、いつも思っていました。……私は一体、何なのだろうと」
自らの過去の光景を苦しく思い出すように、エミリアは伏せた眼差しに険しさを滲ませている。
「そんな私にも、あるとき転機が訪れたのです」
エミリアはそこで、俯きがちに微笑んだ。今度は記憶の中に、何か眩しいものを見つけたように。
「数多の小貴族の例に漏れず、レアボルド家の領地も、魔物の被害に悩まされることが度々ありましたわ。魔物討伐を専門としている『正義の刃』なら、貴族からの依頼もあることでしょう」
「……貴族領兵の方々と共闘するような依頼は、何度も受けたことがあります」
僅かに眉間を曇らせたサニアが頷いた。
「領地を護ることは貴族の使命と言えど、魔物被害が散発すれば簡単なことではありません。領内兵力だけで町村を防衛し続けるには、自ずと限界があります」
「えぇ。広域で散発的な魔物被害を、完全に食い止めるというのは現実的ではありません。レアボルド家も、領地と人々を護るために、冒険者の方々の協力を必要としていました。そして……」
ゆっくりと瞬きをしたエミリアはそこで、記憶の中から大切なものを取り出すような間を置いた。
「誰にも必要とされなかった幼い頃の私は……、ただ居るだけで嫌悪の対象となる、まるで悪臭そのもののような存在だった私は……、どこまでも自由な冒険者の方々に強く憧れました」
目を伏せたエミリアが、言葉に力を入れるのが分かった。
「魔物と戦う彼らは、些細な価値観から解放されていました。無論、契約と依頼のもと、自由であるということに責任を負っていましたが……。それでも、自分の正義をどこまでも貫いている姿に、私は強く惹かれたのです」
気付けばアッシュは、無言のままで頷いていた。
エミリアの言葉に共感したというよりも、彼女が過ごしたという過去の境遇に、アッシュの内部が共鳴したような感覚だった。
アッシュの脳裏には、ぼんやりとした景色が、味気ないほどの現実味を帯びてチラついていた。
恵まれた体格の少女が、煌びやかな貴族の屋敷の中で孤立し、立ち尽くす姿を。無力感に組み敷かれて、疎外感の底に沈んでいく少女。エミリアという女性が通過してきた、棘と悪意に満ちた孤独――。
その経験を癒やして乗り越える方法を、貴族であった頃の幼いエミリアは、“冒険者”という職業に見出したのだ。
自分という存在が他者の価値観から遊離していても、義務を果たすという貢献の中でなら、自分は認められるのではないか。“役割”を得た自分という存在ならば、この世界において“正しさ”を帯びるのではないか。
幼い頃のエミリアが抱いた冒険者への憧憬とは、恐らくはそういった素朴な期待だったのだろうと感じた。そしてその心情も、アッシュは慎みながらも同情し、理解できる気がした。
気遣わしげにエミリアを見詰めているサニアも、ゆっくりと何度か頷いているマリヴェルも、エミリアがまだ語っていない過去の影の細部にこそ、今の彼女を支える苦悩があることを察している風だった。
「――そぉぉしてェェ……! 冒険者を目指すべく己を鍛えはじめた私の人生は、煮え滾るような圧倒的な充実と成長の毎日でしたわ……ッ!!」
黙り込んでしまった面々の空気を吹き飛ばすように、エミリアが声を張った。自信と力を漲らせる彼女の意識が、過去から、現在に戻ってきたように。
「我が家には魔術講師が定期的に訪れていましたが、高度な魔法を扱えない私は、とにかく肉体強化の基礎魔術を極める術を徹底的に学びましたの。やはり、力こそがパワァァであり、アクティビティィィですからね!」
「……まぁ、言わんとすることは分かります」
唐突に騒がしくなったエミリアに、サニアがちょっと煙たそうになっていた。エミリアが鷹揚に頷く。
「えぇ。あまりにも近接戦闘術を重視した特訓を続けるあまり、家を追い出されましたの」
「……なるほど。貴族籍を剥奪された理由までもが、貴女の戦闘スタイルとズレが無いということですね」
「当然ですわ。貴族などという枠の中にいては、私は私自身の正義を、余すところなく貫くことができませんもの。いずれ冒険者になるために家を出ていくつもりでしたし、放り出されてしまったことも、寧ろ好都合でしたわね」
「その強かさも、今のエミリアさんらしいように思います」
アッシュが素直な感想を口にすると、サニアも渋い顔で頷いてから優しい苦笑を漏らした。マリヴェルも可笑しそうに小さく笑っている。
「私がエミリアと知り合うことになったのも、丁度、エミリアが肉体的なトレーニングに励み出した頃だったかな」
懐かしむ口振りのエリシアが、顎を撫でてエミリアを一瞥した。そして、アッシュとサニアに肩を竦めてみせる。
「兄弟、姉妹達が魔術を編み上げる訓練に精を出しているのに、エミリア一人だけが筋トレをしていた光景は今でも思い出すよ」
古い友人の失敗談でも語るかのような気軽な口調のマリヴェルに、エミリアが軽く鼻を鳴らして言い返す。
「貴女も似たようなものだったでしょう? 貴女の場合は筋トレでは無くて、歌唱訓練や歌劇の稽古のようでしたけれど」
「はっはっは! そういった芸能分野にのめり込み過ぎたことが原因で、家を追い出されたところまでキミと一緒だねぇ」
言い返してくるエミリアに笑い声を立てたマリヴェルは、また遠い目になって薄く息を吐いた。
「……産まれに難ありと周りから疎まれ、貴族でありながら魔法を扱う素質が無かったことまで、キミと一緒だ。だからこそ当時の私達は、互いに特別な親近感を覚えていたのだろうけれど」
「改めて思い返してみると、今は随分と遠い所まで来たような気がしますわ」
「あぁ。そうだねぇ……。私も、王都の小さな劇場で歌劇をやっていたところを、ケイスに見つけて貰った。それでここまでやってきたけれど……。今のキミのように強くはなれなかったよ。エミリア」
不意に、マリヴェルが寂しげに羨むような口振りになる。一方のエミリアは、肩を竦めるついでのように軽く息を吐いた。
「最も尊ばれる“強さ”というのは、他者にどれだけ優しくできるかで測られますのよ。マリヴェル。貴女が多くの人に求められているのは、貴方が歌で表現する感情や想いに“優しさ”があるからでしょう」
「ふふ。その迷いのないところを、私は友として誇らしく思うよ。……偶像として世界に応答するしかない今の私にとっては、少し眩し過ぎるくらいだ」
俯いて笑みを浮かべたマリヴェルの言葉の端々に一瞬だけ、暗鬱なものが滲み出した。
「なぁ、エミリア。叶えた夢を充実に生きるキミと、叶えた夢の陥穽に嵌った私とでは、その“強さ”の意味や価値も変わるような気がしないかい?」
その問いかけの意図を掴み損ねたのか。エミリアは訝しそうに眉を下げたまま、すぐに答えられなかったようだ。
冗談に紛らわしきれなかったマリヴェルの苦悩が、その言葉の奥に居座っているのをアッシュも感じた。サニアも黙ったまま、エミリアの応答を見守っている。
「……はっはっは! いや、すまない。妙なことを口にしてしまったね」
颯爽とした笑い声で場を取り繕ったマリヴェルは、少し心配そうな顔になっているエミリアに軽く手を振った。
「忘れてくれたまえ、エミリア。気を許せるキミに久しぶりに会えて、少し甘えてしまっただけだ」
「……悩み事があるのなら聞きますわよ? 私達は友でしょう?」
「はは。有難いことを言ってくれるね。あぁ。そうだな……。強いて言えば」
快活な表情のマリヴェルはそこで、明らかに声を揺らした。瑞々しい花が急速に枯れて、萎んでいくように、その声音も細く絞られ、掠れていく。
「自分が狙われているという恐怖が、今は最高潮だということかな。……死ぬのは怖いよ。凄く怖いんだ」
自分を見失いながら死ぬのは、猶更だ。そう言い足した彼女の笑みは強張っていて、何かに必死に耐えているふうでもあった。
「私はもう、自分の死を、自分そのもので死ぬこともできない気がしていてね。だって、歌姫やアイドルなどという私のアイデンティティは、他者に拠らねば確立しえないだろう? ……実のところ、もう私は、一人では自分自身を支えられないんだ」
笑みの形だけを何とか保っているマリヴェルは、弱々しく喉を鳴らした。もう笑うしかないというふうでもあり、深い諦念が染み渡っていた。
「こんなときに、弱音を吐いてしまうのは……。私は自分で思っている以上に、キミ達のことを好きになっているようだ」
「……誓って、お護りします」
すっとサニアが頭を下げて、それにアッシュも続く。
非法と暴力によってその身を狙われていることに対して、マリヴェルが何も感じていない筈がなかった。
それでも気丈に振舞い、望まれた歌姫としての役割を演じてきろうとしている彼女の強さこそは、貴族らしい高貴さと高潔さの証に思える。
「マリヴェル、貴女は私にとって大事な友人ですわ。貴女が世間からどう見えていようと」
エミリアが立ち上がり、マリヴェルの傍にそっと腰を下ろした。そして、エリシアの肩を抱いて、頷きながら微笑みかける。温和なエミリアの口調に、頬を強張らせたマリヴェルも顔を上げた。
「あぁ……。そう言ってくれるひとが居るだけで、救われるよ」
悲しげで追い詰められたような、無念で、もどかしそうな、色々な言葉を飲み込む代わりに笑みを浮かべようとしているような、そんな複雑な表情のマリヴェルは、ゆっくりとエミリアと抱擁を交わす。
「ありがとう。エミリア。キミに会えてよかった。女神に感謝を……」
それはきっと、過去と現在に向けられた言葉なのだろう。彼女達の時間と関係が、またここで結び直されようとしているのだとアッシュは思った。
「それに、キミ達にも……」
エミリアとの抱擁を解いたマリヴェルが、今度はアッシュとサニアの前まで歩いてきた。そして両腕で、アッシュとサニアの2人に腕を回してくる。
マリヴェルの身体が密着してきてアッシュは少し焦ったが、彼女の肩が震えていることにはすぐに気付いた。
彼女の肉体のか細い震えには、死というものに対する深甚な恐怖が――自分が何者なのかという答えを、永遠に奪われてしまうという恐怖が――色濃く滲んでいた。懸命に生きれば生きるほど、その絶望は大きいはずだった。
「ライヴは明日で最後だ。無事に終えられるよう、明日もよろしく頼むよ」
右腕でサニアを、左腕でアッシュを掻き抱くような姿勢のマリヴェルが、懇願するような弱々しい声を溢す。
「はい。身命を賭して、貴女の盾となりましょう」
マリヴェルの肩にそっと手を回したサニアが、親しみを込めた言い方をする。彼女たちもまた、この数日で友となったのだろう。
「僕も、必ずお護りします」
まだ体の震えが治まらないマリヴェルを抱き返すことはしなかったが、代わりに、アッシュも出来るだけ穏やかな声で応じる。
虚像である“女性冒険者キニス”としての言葉は、同時に、間違いなくアッシュのものでもあった。アッシュは虚像の中から、冒険者としての自分の意志と正義を遂行できる。
――では、体温を持って実在する目の前のマリヴェルは、どうなのだろう?
舞台に立つ“歌姫である彼女”が歌声を響かせるとき、そこに、彼女が意図しないものが付着してくるのは想像に難くない。アッシュ達に比べて、彼女が相手にしているものは大き過ぎる。世間を、多くの人々を振り向かせるほどに。
マリヴェルが入り込んでいる構図そのものが、歌姫であるという事実のなかに彼女自身を飲み込んでいく。彼女が、彼女であること意味や価値を、“歌姫”という役割自体が塗り潰していく――。
そんな陳腐な想像がアッシュの頭を過ったあとで、ケイスが語っていた生命保険金という無機質な言葉が残響する。無造作で寒々しい世界が、優しい沈黙に包まれているこの部屋を一瞥したように感じられた。
アッシュを片腕で抱いてくるマリヴェルの、その無防備な体温の奥からは、強張った彼女の鼓動が伝わってくる。
実存は本質に優先する。
あのリエラの言葉を思い出す。
実存の仕方や性質が世間から強制されるとき、その本質は無かったことになるのだろうか。
実存の仕方が世界から是とされるのであれば、本質としてのマリヴェルが違和や苦しみを感じたとしても、それは幸福な贅沢に変換されるのだろうか。
泥沼にはまり込んでいくようなこの自問自答を打ち切り、アッシュは自分の声を意識して繰り返した。
「……必ず、お護りします」
そして、この翌日。アッシュもまたマリヴェルと同じように、自らの実存と本質を問われることになる。