「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」 作:なごりyuki
魔導ショットガンを杖にして立ち、エミリアに肩を貸して貰った体勢のままのローザは、トロール達の集団に肉薄するアッシュの姿を、ただ茫然と眺めてしまっていた。
いや、目を奪われていたというか、思わず見惚れていたというべきかもしれない。
シャーマンが爆発系の魔法を詠唱し、ローザとエミリアを吹き飛ばそうとしている最中であるのに、この場から逃げようという意識が働かなかった。
ローザを支えるようにして立っているエミリアも、同じような様子だった。
とにかく、あのアッシュという少年は、ローザの常識の枠を超えている。
僕は逃げ足が速いんです。
9階層でローザと出会ったアッシュは、曖昧な表情でそう言っていた。あの言葉が、嘘でも誤魔化しでも、比喩でも何でもないことをローザは確信した。
ドーム状のフロアを駆け抜ける彼は、疾いというか、ローザの目の焦点が追い付かない。
あれだけのスピードで動くことができるなら、うろついているトロール達など全て素通りできるだろう。上位トロールと遭遇するまでは、余計な戦闘自体をこなす必要が無いはずだ。
だがそれは、トロール達から怯えて逃げ回って、隠れて、やり過ごすという意味とは、きっと違う。
彼の持っていた杖が、二振りの短剣に変わったことには驚いた。
だが一方で、カルビとネージュに襲い掛かっていたトロール達を、瞬く間に狩り尽くしてしまった彼の強さに対しては、背中が寒くなるような納得感もあった。
巨大ツルハシを持ったトロールからローザを助けてくれたときも、さっきの投げ槍を受け止めて投げ返してくれたときも、アッシュが見せた身のこなしは、明らかに戦闘に慣れ親しんだ者の動きだった。
最低等級である5等級。
戦闘には向かない治癒術士。
それらの肩書は、アッシュという少年の一部でしかなかったのだ。
そして彼だけが、このフロア内で何者にも縛られていない。
彼は無表情のまま、疾駆している速度を一切殺すことなく、シャーマンを守るように並み居るトロールの群れを――トロール達の脇を、横合いを、股の下を、すり抜けていく。
厳めしい岩の隙間を、清流が音も無く滑り落ちていくかのように。
アッシュが狙っているのは、やはりシャーマンだ。ローザ達に向け、攻撃魔法を編み上げようとしているシャーマンを仕留めようとしている。
だが、そう簡単にはいかないかもしれない。
シャーマンの周りを固めるように居並んでいるトロール3体が、アッシュの前に立ちはだかろうとしたのだ。
あの3体は、魔法を扱うシャーマンを守るための前衛、或いは壁役、いや――、雰囲気からして、シャーマンの親衛隊といったところだろうか。
他のトロール達に比べて身体が更に大きく、頑丈そうな鎧で全身を固めている。それに、手にしている剣や盾なども武器も重厚で、見るからに手強そうだ。
だが、アッシュは全く怯んでいない。
呼吸の気配すら感じられないような、静かな表情を崩していない。
腕と背中の傷も浅くはない筈だが、彼は平然としている。
黒い短剣を口に噛んで、白い短剣を左手に握った彼は、周囲のトロールの達をすり抜けてきた速度よりも、より鋭く親衛隊トロール達に踏み込んだ。
極端な前傾姿勢を維持しているアッシュの姿がブレて、次の瞬間には、もう親衛隊トロールの目の前にいた。
瞬く間に懐に潜り込まれた親衛隊トロールのうち1体は、「MUGUA!?」と驚いたような声を上げつつも、咄嗟に片脚を持ち上げようとしていた。
ぎっしりと筋肉の詰まった、あの丸太のように太い脚で、小柄なアッシュを蹴飛ばすか踏み潰そうとしたのだろう。だが、親衛隊トロールが繰り出そうとした脚での攻撃は、空振りにすらならなかった。
その時にはもう、アッシュは跳躍していた。
物理的にそんな筈はないのだが、少し離れた場所にいるローザには、一瞬でアッシュが4人に増えて、一斉に親衛隊トロールに襲い掛かったように見えた。
この4人のアッシュはすぐに掻き消えたあと、親衛隊トロールをすり抜けるようにして、その背後に、またアッシュは1人で現れた。そうとしか見えなかった。
ほぼ同時だったろうか。
片脚を上げようとしていた親衛隊トロールの軸足が切断され、大剣を持った右腕が宙を舞って、ついでのように首が飛んだ。アッシュが振った剣の動きは見えなかったが、すれ違いざまの刹那に、複数回の斬撃を放っていたということだ。
あれだけ分厚くて強靭な肉体を持つトロールの肉体を、あの頑丈そうな鎧ごと、どうやったらあんなにスパスパと斬れるのか理解不能だった。
アッシュの持つ、あの短剣の切れ味が凄まじいのか。
いや、短剣を扱うアッシュの技術が途方もないのか。
恐らく両方だろうと、ローザはぼんやりと思う。
だって、アッシュは止まらない。
首を失った1体目の親衛隊トロールが倒れるよりも先に、彼は次の親衛隊トロールに襲い掛かっていた。
仲間が一瞬で解体されたのを目の当たりにして、呆気に取られていた親衛隊トロールの2体目は、瞬間的に詰め寄ってきたアッシュに反応すらできていなかった。
アッシュは静かな表情のまま、この2体目の親衛隊トロールに正面から斬りかかる。――かのように見えた時には、アッシュは既にトロールの首の付け根のあたりにしゃがみこんでいた。
まるで瞬間移動だった。
無音のまま、2体目の親衛隊トロールの両腕と首が斬り飛ばされる。
それを見て、最後に残った親衛隊トロールの3体目が、ようやくアッシュの危険さを認識し、怯えらしきものを見せつつも、手にした剣と盾を構え直そうとしていた。
だが手遅れだった。
トロールが戦闘態勢を整え終わったのは、鋭く跳躍したアッシュが、そのトロールの肩に着地し、飛び越えていったあとだった。アッシュは飛び越えるついでに、トロールの後頭部に短剣を埋め込み、引き抜いていた。
あっという間だった。
シャーマンを守っていた親衛隊トロール3体が全滅した。
時間にして、4秒か5秒くらいだろうか。
えぇ……。嘘でしょ? なに今の……?
や、カルビとネージュを助けてくれたときも、かなり凄かったけどさ……。
さっきよりも動きが疾くなってるというか……。
アッシュ君、ちょっと強過ぎない……?
立ち尽くしているローザの頭の隅に、ようやく動揺と驚愕が過り始める。
上級冒険者になるまでには、それなりにローザも修羅場は潜って来たつもりだった。ヤバい魔物と戦った経験だって両手じゃ足りない。凄腕と言われる冒険者の戦いを間近で見たことも在ったし、共闘したことだってある。
それに、ローザの仲間であるカルビやネージュ、それにエミリアだって、冒険者の中ではかなり強い部類だ。彼女達はトロールを相手にしても、1体1ならまず負けないし、多対1でも押し返せる。
だがアッシュの強さは、そういったものとは質が違うような気がしてならなかった。
そもそもアッシュとトロール達の間に、戦闘と呼ぶような何かは起きていなかった。
アッシュが一方的に、無造作に、無味乾燥とした死をトロール達に与えただけだ。
彼の内部にある何かが、あの二振りの短剣を通じて外界に触れるとき、殺戮とも解体ともつかない、壮絶な戦闘技術となって解放されているかのようだった。
悲鳴を漏らす間もなく親衛隊トロール達が解体されたせいもあって、ドーム内には残響する音も殆どない。
薄暗がりのフロア内は、やけに静かだった。
だから、地面に膝を突いているカルビが、「スゲェな、オイ!」と少し興奮したように溢すのがローザにも聞こえた。
そのカルビの隣で同じように膝を突いているネージュも、「速いだけじゃないわ。凄い剣術……」と何か美しいものでも見ているかのような、眩しそうな目つきになっている。
「惚れそう……惚れた」何故が涙ぐむような声を洩らしているエミリアに、「や、そんな場合じゃないから」と軽くツッコミを入れた御蔭で、ローザは少しだけ冷静になれた。
一方で、親衛隊らしきトロール3体を瞬く間に殺戮されてしまったシャーマンも、もうローザとエミリアに向けて魔法の詠唱などしていなかった。
いや、まさしくシャーマンにとっても、“そんな場合”ではなくなったのだ。
アッシュとシューマンとの間の距離は、もう6メートルぐらいしかない。近い。シャーマンは完全に、アッシュの殺戮圏内に捉えられている。
「U、GU……GU……!」
アッシュの超人的な速度と動きを目の当たりにしていたシャーマンは、手にした水晶玉を取り落とし、ガクガクと身体を震わせながら、後退りしている。
もはや悠長に呪文を唱えている暇などないと悟ったのだろう。低く呻くだけで、魔法の詠唱を始める気配は微塵もない。今にも逃げ出そうとしている様子だ。
そしてそれは、このフロアに残っている他のトロール達も同じだった。
普段はとにかく好戦的で他種族に容赦のない彼らが、今は威嚇の唸り声すらあげていない。小柄なアッシュに対して攻め込むことができず、明らかに逃げ腰になっている。
このフロアに不穏な静寂を齎したアッシュは、血に濡れた灰色のローブを揺らしながら、完全な無表情のままで、絶命したトロール達の残骸を軽く見回していた。
そして怯えているシャーマンに、すぅっと視線だけを向けた。
そのアッシュの眼差しに、ローザは鳥肌が立った。
息が詰まり、怖いとさえ思った。ショットガンを杖にして持つ手が震え、エミリアに支えられた肩も震えた。エミリアも気圧されたのか。後ずさる寸前のように息を飲んで、僅かに上半身を仰け反らせている。
静かに佇んでいる今のアッシュは、圧倒的で異様な存在感を纏いつつある。
ローザと出会って腕を治療してくれた時のアッシュの雰囲気は、なんとなく冒険者らしくない、ちょっと頼りなさそうなものだった。ただその分だけ、とても優しげで、彼の青みのある灰色の瞳には、確かに穏やかな温もりが宿っていた。
だが今の彼は、全く別の精神の持ち主にしか見えなかった。
シャーマンに向けられるアッシュの目は、無機質でありながらも澄み渡っていて、残虐さや冷酷さを含んでいない。殺戮を楽しむ衝動を見せるでもない。ただ無感動な判断と、無慈悲な行動だけを予感させる、温度の籠らない目つきだった。
「GIHII……!」
そんな恐ろしいアッシュの眼差しを正面から受けたシャーマンは、とうとう悲鳴を上げて踵を返し、背中を向けて逃げ出した。周りに居る他のトロール達を見捨てるようにして、“大階段”に向かって駆け出そうとしたのだ。
下の階層にもいるであろう、他の仲間に助けを求めるつもりなのかもしれない。
その無防備なシャーマンの背中を眺めていたアッシュは、また音もなく歩き出した。
1歩。2歩。ゆったりとした足取りだった。3歩目で、アッシュは静かに姿勢を落とした。直後には、必死で逃げようとしているシャーマンの背中の、すぐ近くまで踏み込んでいた。
ローザにはアッシュの動きと言うか、シャーマンとの距離が縮まっていく過程が見えなかった。それは周りのトロール達も同じだったようで、シャーマンを守ろうとか、アッシュの動きを阻もうとか、そういう反応が全くできていなかった。
一瞬で終わった。
逃げようとするシャーマンをすり抜けるようにして、アッシュが追い越した。やはり、そんなふうにしか見えなかった。
「U、……、GUEee……」
低く呻いたシャーマンが、ゆっくりと前のめりになっていく。シャーマンの側頭部と頭頂部から血が溢れたのは、ヤツが倒れてからだった。
倒れてピクリとも動かなくなったシャーマンを一瞥したアッシュは、無感情な眼差しでトロール達の群を睥睨する。
別にアッシュは威嚇したわけでもないはずが、その視線だけで、トロール達が一斉に2、3歩程下がった。超然としたアッシュの存在感に引き摺られるようにして、このドーム内の静寂も分厚さを増していく。
いつのまにか戦闘も止んでいた。
誰かが息を飲む音が、やけに大きく聞こえる。
それがエミリアのものであったとローザが気付くのと同時に、自分も呼吸すら忘れて窒息しそうになっていることにも気付いた。
ローザは唇を舐めて湿らせてから、大きく息を吸って、吐いた。土と埃の匂いがするし、血の味のする口の中もザラついた。腕で汗を拭いながら、周囲を見回そうとしたときだった。
カルビとネージュの方から、薄いガラスが割れるような音が聞こえた。
見れば、2人の動きを拘束していた魔法円が砕け、その破片が霧散し、消滅しようとしているところだった。これは術者であるシャーマンが倒されたからだろう。
2人は体の自由が戻ったことを確かめるように、手を握ったり開いたり、軽く腕などを回しながら互いに顔を見合わせていた。そしてすぐに立ち上がり、残っているトロールの群れに対して戦う姿勢を見せる。
「よォし! シャーマンさえ居なくなれば、もうアタシ達の勝ちだな!」
大戦斧を肩に担ぐように構え直したカルビが、着込んだ鎧に炎を纏わせる。
「……えぇ。早く片付けて、彼の治療を急ぎましょう」
ネージュは静かな表情でトロールを見据え、そのあとで僅かに唇を噛んで、アッシュの傷を心配するような視線をチラリと向けていた。
シャーマンによって動きを封じられていた2人だが、大きな負傷もなく、まだまだ戦える。アッシュが味方であると分かり、その戦意も十分だった。
「アッシュさんの傷もですが、ローザさんの魔力も回復しないといけませんわねッ!」
ローザを守るように盾を構え続けていたエミリアも、今が攻勢に出るチャンスと見たようだ。
「もう少しの辛抱をお願いしますね、ローザさん! この私《わたくし》もォ、残りのトロール達を撃滅して参りますわ!」
「いや、そこまで徹底的に戦わなくても、もう一押しで向こうは崩れそうだよ。……でも、ありがと。私は大丈夫だから」
前衛のエミリアは健在だし、後衛として魔導銃を連射していたローザ自身も、魔力消費は激しいものの無事だ。ローザ達のパーティは誰も戦闘不能には陥っていない。
一方、強力な魔法を扱うシャーマンと、その親衛隊を瞬く間に惨殺されたトロール達の群れには、大きな動揺が走っているのが見て取れた。
彼らは互いに顔を見合わせて周りを見渡し、何事かを唸り声で交し合って、既にじりじりと後退しはじめている。
復活したカルビ、ネージュの強さについては、彼らも十分彼らも理解しているはずだ。アッシュの対しては理解不能だろうが、それでも彼らにとっては脅威に違いなかった。
もうトロール達は前に出てこようとしていない。
間違いなく、トロール達はこのフロアから撤退しようとしている。
この好機を、ローザは逃さなかった。
魔力切れ寸前でグロッキーに近いが、あと一発ぐらいなら撃てる。
ふっ、と鋭く息を吐いたローザは、エミリアに支えられながら魔導ショットガンを撃ちだす。狙ったのは、撤退しようとしているトロール達の群れの、その無防備な横っ腹だ。
「GIII、GUUOOOoooo……!!?」
「Nu、GUUUAAAaaa……!!?」
撃ち出された氷結魔法弾が展開され、瞬時に6体のトロールが霜に覆われて凍てついた。その周りにいたトロール達も、発生した魔力と冷気の壁に押し飛ばされて、ゴロゴロと地面を転がる。
これが決定打になって、トロール達の群れは一気に潰走状態に陥った。彼らはバタバタと撤退しはじめる。トロール達は“大階段”を転げ落ちるように逃げていくものが大半で、残りはこのフロアの出入り口に向かっていた。
緊張と戦闘の気配も、このフロアから見る見るうちに引いていく。
「トロール達が逃げ出すところなど、私《わたくし》、初めて見ましたわ……」
ローザを守るために体を支えなおしながら、エミリアは困惑と安堵を混ぜ込んだような苦笑を浮かべた。確かに、勇猛かつ獰猛なトロール達が逃走する光景などは、ローザも初めて見た。
「珍しいこともあるもんだね」
軽口めかして応じつつ、ローザは周囲に視線を巡らせる。
“大階段”やフロアの入り口から、他のトロールが押し寄せてくるような気配は無かった。やはり静かだ。敵意のない静穏さが、このフロアにもゆっくりと満ちて来るのが分かる。
危険な状況は乗り越えた。
そう思っていいようだ。
緊張の糸が完全に切れかけて、ローザは身体から力が抜けそうになりながらも、深呼吸をもう一度した。まだ気を抜いてしまうわけにはいかない。
「アッシュ君の傍に行こう。傷を回復して貰わなきゃ」
声を引き締めてローザがに言うと、エミリアも大袈裟なほどに真面目な表情をつくって頷いた。
「え、えぇ! そうですわねッ!」
いや、頷くよりも先にローザを片手で抱えて、アッシュの許へと走りだした。
「治癒魔法にせよ魔法薬を使うにせよ、アッシュさんにゆっくりと治癒して貰うには、傍で誰かが壁役に徹する必要がありますものねッ!? つまり! 私の出番ということなのですから! あぁ! アッシュさん! あんなに大きな傷を負って……ッ! 私《わたくし》が抱きしめてあげないと……ッ!!」
興奮した様子の早口のエミリアは、左腕で大盾を引き摺り、右腕でローザを抱えているが、物凄い足の速さった。
「や……、抱き締められるよりも、エミリアが盾役に徹してくれてる方が、アッシュ君も助かると思うんだけど……」
運ばれながらローザは軽くツッコんだときには、カルビとネージュの2人が、先にアッシュの傍に歩み寄ろうとしているところだった。
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第9話まで読んで下さり、ありがとうございます!
アッシュとローザ達の関係など、少しでも皆様に面白いと感じて貰えれば幸いです。
また、この後の展開にも興味を持って頂けましたら、
★評価、応援を寄せて頂ければ、作者が泣いて喜ぶほど大変励みになります。
今回も最後まで読んで下さり、ありがとうございました!