「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」 作:なごりyuki
『“さぁ、アッシュも了承していることだし、遠慮は要らないよ?”』
アッシュ君の口から出てくる、アッシュ君のものではない声。
『“気が向かないなら強要はしないけどねぇ。やるなら急いでくれ”』
俺はどっちでいいよ、という言い方だ。どこまでも余裕な悪魔の囁きだ。ムカつく。でも、今は頼もしい。
「まだ、戦ってくれるのかい……、キミ達は……」
震えて掠れた、弱々しい声。
迫ってくるネクロゴーレムの呻き声に掻き消されそうな、マリヴェルさんの微弱な問いかけ。目の前の全てを受け容れようとしているような、悲愴な表情を強張らせてあーしを見詰めてくる。
彼女に身体を支えられたまま、未だ四肢を魔法円によって拘束されているアッシュ君も、あーしを見据えていた。
強烈な苦痛の中に閉じ込められているのだろう彼は、荒い息を堪えるように奥歯を噛み締めている。その眼差し籠められた、自分の肉体を差し出すという決意と覚悟。あーしに向けられた信頼。
その全部を受け取って、あーしは頷く。魔力で編んだ糸をアッシュの身体に通す。
『“……魔術的な接続を確認。準備完了だ。間に合ったよ”』
アッシュ君の口から出てくる男の声が、そこで低く沈む。威圧的に。冷然に。
次の瞬間には、アッシュ君の声に混ざっていた男の声が急に明瞭になった。同じステージ上で戦闘を続けるサニアやセツナさんの剣撃音、衝撃、決死の気配などよりも鮮明に。
あーしの頭の中に直接響くというか、頭のすぐ後ろというか、耳元というか、とにかく、ゾッとするほど近くで囁かれている感覚。
『さぁて。それじゃあ、悪い悪いネクロマンサーを黙らせてやろうか。その為には、まず――』
同時に、アッシュ君に通した魔力の糸から、あーしに何かが流れ込んでくるのが分かった。侵入されているという表現の方が正しい。反射的な恐怖と戦慄。あーしはそれを飲み込む。悲鳴を噛み殺す。
ビビってる場合じゃない。
人間の上半身の形をしたネクロゴーレムが、もうすぐ傍まで迫っていた。あーしの重装人形6体が前に出て躍りかかる。時間を稼ぐ。
『人形遣いのお姉さん。お前の肉体を借りるよ。あと、ちょっと刺激が強いかもしれないけど、これには耐えて貰う必要がある。いろいろとねぇ。まぁ頑張って』
まるで背後から抱き締められているような声の近さ。頭のすぐ後ろ。男の声が、あーしの内部で響いた。
「はぁ? なにを……」
反射的に問おうとしたが、できなかった。それどころでなくなった。アッシュ君の身体に通した糸から、何かが凄まじい勢いであーしの中に流れ込んできたからだ。
「んぉ……ッ!?」
一瞬、悲鳴みたい嬌声が漏れる。目の前が真っ白になって、チカチカした。股間から脳天に向けて突き抜けるような、凄まじく甘美な痺れが奔った。強張った身体が波打つ。
「ぉ……、ぉお……おっ……!?」
何かがあーしの中を――あーしの精神や自我といったものがある場所を――無理矢理に押し広げて、侵入して、そこにあるものを侵食していく。物凄い速度で。正気を奪うような快楽を伴いながら。
あーしの中に入ってくるもの。それが、アッシュ君の精神内部にあるものだと分かる。それだけじゃない。もう1人分ある。恐らくは、あーしに語り掛けてくる男のもの――。
景色、感情、魔術的技術、思考、思想、それらの膨大な情報が、単なる知識ではなく、確かな実感を伴った“記憶と経験”としてあーしの中に刻み込まれていく。
「ぉ、ぉ、んぉおぉ……っ!」
上擦った声を漏らすあーしの身体がガクガクと揺れる。自我が明滅するような快感。自分の存在を手放すような解放感。無意識のうちに、あーしの口が動いた。詠唱。あーしは今まで唱えたことのない呪文を紡いでいた。
『“haiha灰に。塵はtirini。土はtutuni。風ha風ni。死no淵ni静寂to涙を。新tana言葉wo其処に眠る者ni捧geyo……”』
上擦った嬌声交じりの恥ずかしいあーしの声に、男の声が混じり合っている。その詠唱は、間違いなく効果的な死霊魔術だった。
証拠として、あーし達が操る重装人形6体を押し退け、こっちに迫って来ていた上半身だけの巨体ネクロゴーレムが動きを止めた。ぶるぶると不自然に震えながらだ。
それだけでなく、ネクロゴーレムを構成している死体の群れが崩れるようにして、みるみる内に解け始めた。さらには赤黒い光の粒子となって分解されていく。
空中に霧散していく赤黒い粒子はうねりながら束ねられ、揺らぎながら潮流となって、アッシュ君の身体へと流れ込んでいく。悪夢のような光景。
強烈な性的絶頂のあとのような虚脱感と、焦点がうまく合わない視界の中で、あーしはその様子を眺めていた。
ステージ上に訪れる分厚い静寂。絶体絶命の窮地から拮抗へ。或いは、優勢に。状況の一変。圧倒的な戦力の到来。相手にとっては予想外。最悪のトラブル。
誰もが状況を把握すべく、一時的に戦闘が止んでいた。
サニアが驚愕の表情で、あーしを振り返っていた。
黒ローブの少女がぱちくりと瞬きをしながら、あーしを見ていた。
セツナさんはぎょっとしつつも、油断なくネクロゴーレムには意識を割いていた。
レーヴェスが唖然としたアホ面を晒して詠唱を中断していた。
ケイス社長は何度も唾を飲み込み、後ずさっていた。
ガクガクと震える身体を必死に抑え、口の端から涎を垂らすあーし。
そんなあーしの身体を支えてくれる、強張った顔のマリヴェルさん。
あーしの中に響く男の声だけが、悠然としていた。
“へぇ……。ルフルちゃん。キミは俺が思ったよりも優秀な魔術士みたいだねぇ”。
男の声。あーしの内部で。
男の声があーしの名前を呼ぶ。教えてないのに。
いや、教えるとか教えないとか、そういう問題じゃない。
男の声はもう、あーしの内部に入り込んでいるのだ。
この男の声に、あーしが隠せるものなどないのだという確信。
『“薬物で色々と身体を弄ってるみたいだけど、その成果が出てるよ。努力の賜物ってヤツだねぇ。俺が思ってる以上に、ルフルちゃんは高性能なルーターだ”』
男の声。今度は、アッシュ君の口から。
両腕と両足を魔法円で拘束されたまま、無理矢理に立ち上がったアッシュ君。今まで支えてくれていたマリヴェルさんの腕を優しく解いて、手にした杖を短剣へと変えていく。
それらの動作は全て、あーしの右手の魔術リングに繋がった魔力の糸によるもの。だが――。
あーしの右手。というか、右の上半身が勝手に動く。魔力の糸を操る右手の指が、あーしの意志を離れて動く。
それでも、あーしの意識は感覚する。あーしの右半身を半ば乗っ取っているのは、アッシュ君なのだと分かる。
『“もう感覚的には理解しているだろうけど、一応伝えておこうか。一時的にルフルちゃんの右腕を、アッシュの意識に接続させて貰ったよ”』
男の声。今度は、あーしの内面。耳の奥。
“端的に言えば、アッシュの肉体的な感覚を、一旦ルフルちゃんの右腕に魔術的な信号で送って、それを人形遣いのスキルで出力し直してるって感じさ。まぁ、こういう形態でアッシュを戦力として扱う以上、精神的にアッシュと繋がってるルフルちゃんには、色んなモンが流れ込んでくるだろうけどねぇ。ちょっと我慢して貰うしかないんだが”
のんびりとした口振りで、男の声があーしの頭の中で言ってくる。
それと同時並行的に、あーしの口からも男の声が出ていた。
緊張と静止の中にあるステージの上を、外部から支配するように。
『“懐かしい顔だねぇ。元気みたいで何よりだよ”』
掠れそうな甲高いあーしの声に、男の声が混じっている。
『“ところで、今日はどうしたんだい? お使いにしちゃ、随分と派手じゃないか。裏クランのチンピラ連中を死体人形にして、大規模な陽動に使うなんて。……なぁ、レーヴェス』
あーしに名を呼ばれたレーヴェスが目を丸くして、分かりやすく唾を飲み込んだ。あの怯みは間違いなく本物だろう。
その隙を衝くべくセツナさんが踏み込もうとしているが、レーヴェスの壁役のネクロゴーレムがそれを阻みつづけている。だが、もうあのネクロゴーレム達は有用な時間稼ぎにはなりそうにないと思った。
なぜなら、この“声”の主が、より強力なネクロマンサーであるという確信が、あーしにはあった。
『“既に一個の人間として完成させたアッシュを、強制的に死体モードにしちまうなんて。俺でもできない芸当だよ。中々腕を上げたじゃないか。そういえばお前には、魔人シリーズの廃棄品を売ってやったこともあったねぇ。アレを使って随分と勉強と対策をしたってワケだ”』
場違いな程の長広舌。
『“だが結局、それが仇になった”』
相手のミスを嘲笑うような響き。
『“俺はね、生きてる人形には無理だが、死体に戻った人形には、俺の意識を同期させることができるんだよ。お前はコイツを――アッシュを死体に戻そうとしやがっただろう? 実際に、今のアッシュは死にかけだ。半分以上は死体に戻ってる”』
あーしの口から出てくる男の声は、実に楽しそうだった。ベラベラと喋る口調は不真面目なのに、見透かすような声音は冷静だ。
『……だからこうして、俺はコイツの身体と同期できた。リモートでお前と再会できてるのさ。びっくりしたかい? まぁ、ネクロマンサーとしての俺の特質さ。他にもいろいろとあるが、まぁ、今は置いておこう』
「なぜだ……。貴方は、殺された筈じゃ……」
震えた声を漏らすレーヴェスは、目の前の現実を必死に飲み込もうとしているようだった。ケイス社長は頬を強張らせたまま、レーヴェスとあーしを見比べている。明らかに動揺していた。
『“あぁ。その通りだよ。表向きはね。俺は討伐された賞金首さ。既に始末されてる。でも、実際は違うってコトさ。現実として、俺はお前と再会できたんだ。嬉しく思うよ”』
男の声は、暢気に世間話でも交わすかのようだ。
それを黙らせることができる者が、この場にはいないという現実。
無視できない迫力。聞き流せない威圧感。
聞く者に緊張を強いる、声だけの男の存在感。
誰もが戦闘の最中だが、今は動かない。状況に飲まれている。サニアも、黒ローブの少女も、セツナもだ。武器を手にしたまま、目線で互いを牽制しつつも、やはり動けない。
自分の壁として召喚したネクロゴーレムの裏に隠れるように、レーヴェスが半歩下がった。既に詠唱も途切れさせている。
『“だが、お前の方はゆっくりとしてられないみたいだねぇ、レーヴェス? 状況を見る限り、お前は早いとこ歌姫の死体を持ち去るために、アッシュを含めた残りの連中を殺さなきゃならない。でも、このステージ上の形勢は逆転したように見えるよ?”』
立ち上がって荒い息をしているアッシュ君が、二振りの短剣を手に、あーしとマリヴェルさんの前に立つ。
『“お前は急送の転移魔法が得意だが、あれは禁忌魔法の中でも特に欠陥の多い魔術だ。ここから転移で逃げることができても、距離までは稼げない筈だよ。ギリギリで敷地の外あたりまでだろう?”』
男の声とあーしの声が混ざりながら、ステージ上に響き続ける。観客のいない客席にも、虚しく木霊している。
『“お前にとっての逃走ってのはそこからが本番だが、逃げるワケにもいかないって顔をしてるねぇ。おめおめと手ぶらで逃げ帰ったとなったら、お前自身もヤバいって感じかい? いやぁ、業突く張りな雇い主に飼われると大変だねぇ。可哀そうに”』
快感に支配されているあーしの意志とは関係なく、喋りつづける、あーしの口。
だが、あーしの左半身は、まだあーしの意志通りに動く。左手を動かす。ネクロゴーレムとの戦闘で無事だった3体の重装騎士人形に、防御陣を取らせる。あーしとマリヴェルさんを護る配置だ。
それから、マリヴェルさんを庇うように抱き寄せる。せめて自分の体を、彼女のための最後の盾に出来るように。
その間にも、今度はアッシュ君の口から男の声が出続けている。
『“まぁ、お前のことは哀れだとは思うが、お前の味方をしてやれないんだよ。今の俺は、正義の味方でねぇ。お前みたいな悪い悪いネクロマンサーに対処するのが仕事ってワケだ”』
短剣を手にしたアッシュ君は、すっと重心を落としたが前に出ない。
あーし達を護る位置で動かない。だが、すぐに飛び出せる姿勢。
それらの動作を通じて、アッシュ君の精神と経験が、あーしの内部を通り過ぎていく。
見える。見えてしまう。余りにも克明に。
アッシュ君の過去。アッシュ君が今まで引き摺ってきた、その記憶。
それら全てが、既にあーしの中に入り込んでいる。
昨日のことのように。いや、10秒前のことのような鮮明さで。
1秒も必要無かった。あーしは全てを実感できる。
だってあーしの心は、今のアッシュ君と同期しているから。
アッシュ君の目が見てきた、景色たち。
アッシュ君が通過してきた、光景たち。
苦痛と悲愴、傷と血に満ちた、その生々しさ。
それら全てを、あーしは“既に経験している”。
アッシュ君の身体が通過してきたもの。
強要された殺戮。生き残るための殺戮。
自身の証明としての殺戮。存在する理由としての殺戮。
罪も罰も無く、誰からも顧みられなった惨劇。
善も悪も無く、無機質に繰り返された惨状。
また別の男の声。象牙のローブの、男の声。
出来損ないの人形。死体人形。死体。人形。
お前は無価値。お前は無意味。ガラクタ。不全な存在。
アッシュ君を蝕む、否定の言葉。群れを成す悪意。
それでもアッシュ君は、決断している。
それらを飲み込み、納得して、決意している。
誰かの幸福を手伝うことを。
名誉、栄誉などとは無縁に、ただ匿名の善意として。
一人の冒険者として。この世界に背かず。
自分の人生を、懸命に生き直そうとしている。
その切実な努力の最中にある背中が、あーしの目の前にある。
彼の小さな、だが揺るぎない背中を見て、あーしの目から涙が溢れた。
強烈な快感に喘いで涎まで流しながら、あーしは泣いていた。
あーしは、アッシュ君を抱きしめてあげたくなった。
「……私も驚いていますよ。まさか、貴方ほどのネクロマンサーが犬になりさがるとは」
今まで怯みながら呆然としていたレーヴェスが、張り詰めた表情に笑みを浮かべたのはそのときだった。
だが、目が僅かに泳いでいる。今までとは違う余裕の無い笑みの裏で、今の状況を打開する方法を必死に考えているという風情だった。
『“人生ってのは何が起こるか分からないもんさ。基本的には、思い通りにいかないことばかりだよ。でもねぇ、人生は楽しんだものが勝ちってのも事実だ。だからお前も、このトラブルを楽しんだらどうだい?”』
今度は、アッシュ君の口から男の声が発せられる。レーヴェスが保とうとしている冷静さを無残に削る。
『“スリルを楽しむんだよ。じゃあ、場の空気を読める大人な俺が、ちょいとスパイスを利かせてやろうか。お前を雇っている連中と目論見について、俺が推察してやろう”』
「なに……」
男の声に最初に反応してみせたのは、レーヴェスの傍で険しく眉根を寄せ、ステージ上の戦況を見据えていたケイス社長だ。
『“秩序の塔”』
だが、アッシュ君の口から出ている男の声は、そんなことには頓着しない。完全にマイペース。他者を寄せ付けない凄みに、真実味が宿っている。
そこでレーヴェスの顔色が変わった。鬱陶しそうに舌打ちをしてから黒ローズの少女に命令を飛ばす。
「アナテ……ッ! 今すぐあの男を黙らせろ……ッ!!」
サニアと対峙したまま、ジリジリと此方の様子を窺っていた黒ローブの少女が、ぱちくりと二度瞬きをした。そして淫靡に、だが、見る者に身の危険を感じさせるような満面の笑みを浮かべる。
「えっ、いいの? 彼と遊んでも」
「構わん……ッ!! バラバラにしてやれ!! これ以上喋らせるなッ!!」
「うんッ!! あははッ!」
狂気じみた哄笑を弾けさせた少女が、手斧を握り締めてアッシュ君に迫ろうとする。
「行かせません……!」
それを横合いから阻もうとするサニア。一瞬の判断。
ロングソードに鈍色の魔力を宿し、少女の横合いへと踏み込む。
「……貴女、そろそろ邪魔ね。もう死んで」
黒ローブの少女が、笑顔のままでドスの利いた声を出した。瞬間、濁った緑色の魔力が少女を覆う。その魔力の光が、分厚い鎖の束に変化。吹き荒れるようにしてサニアを襲う。
だが、サニアの剣技がこれを凌駕する。
無数の鎖の嵐、その全てをロングソードで斬り、弾き、凪ぐように打ち払いながら少女に迫る。“剣聖”の踏み込み。少女が笑いながら舌打ち。怒りを灯した翡翠色の瞳。
「ムカつくなぁ……」
サニアと少女が、また一騎打ちに戻る。互いの間にある空間に、火花が踊り狂う。足止め。互いが互いを無視できない実力者同士の、壮絶な打ち合いが再開される。
その様子を目線だけで確認したアッシュ君が、レーヴェスの方へと首を向けて、飛び出す。爆発的な加速。神速の移動。妙な魔術で場をひっくり返されるまえに、セツナさんと共闘してレーヴェスを仕留めるために違いない。
超人的な動きをアッシュ君に与えているあーしの身体には、さっきから快感が奔りまくっている。息ができないほどに。あーしは獣のような呻き声が漏らしながら、キモチよさに流されないように必死だった。
「ルフル……!」
あーしが左腕で抱えた、マリヴェルさんが呼んでくれる。あーしの名前を。その体温が心強い。なんとか冷静になる。せめて思考だけは研ぎ澄まさないと。奥歯を噛み締めたところで、あーしの頭に男の声が響き、それが口から出てくる。
「“俺を黙らせたいのかい? レーヴェス。でも、無駄だよ。本当の俺は此処には居ないんだから。だが、その反応を見ると、やっぱり俺の予想通りっぽいねぇ? 捻りは無いが、まぁ世間にも馴染みやすそうな筋書きだ”」
「“見た感じ、9割以上は上手くいってたんじゃないかい? ”」
さらに今度はアッシュ君の口からも男の声。精神的にレーヴェスを追い詰めるための、ある種の演出。悪魔的な余裕。確信と愉悦。顔を憤怒に歪めて歯軋りをしたレーヴェスが、また詠唱に戻ろうとする。
『“灰ha灰ni……”――』
そのタイミングを潰すように、アッシュ君の口が男の声で死霊魔術を唱えた。上半身だけの巨体ネクロゴーレムを解体、分解した死霊魔術だ。
セツナさんの斬撃と踏みこみを阻み続けていた2体のネクロゴーレム。その巨体が赤黒い粒子となって解け、またアッシュ君の身体へと流れ込んでいく。
穏やかな制圧。圧倒的な力の差。
無防備になる後衛。がら空きのレーヴェス。
その隙を逃さず、セツナさんが飛び込んでいく。
だが――。
「止まれ……っ!!」
レーヴェスは詠唱を放棄して、傍にいたケイス社長の首を掴み、片腕を後ろに捻じり上げる姿勢で盾にした。
「な、なにを……、モッグス……!」
腕を後ろに回されたまま、顔を歪めて呻くケイス社長。この期に及んだ人質。レーヴェス自身もこういった事態を想定していたわけでは無いだろうが、効果的ではあった。
「…………」無言のままのアッシュ君と、「つくづく外道だな……」と吐き捨てるセツナさんが踏み止まる。
再び睨み合う。
『今での分解できないとなると……。あの黒ローブを着た女の子は、お前が手間をかけてプロテクトを掛けてあるようだねぇ。なるほど。アレが、お前が信頼する武器であり防具ってワケかい』
アッシュ君の口から発せられる、あの男の声だけが止まらない。
『“ふぅん……。それで、お前が最初に取り入ったのはそのオジサンか? 哀しい目をしてるねぇ。大方、誰かを生き返らせてやるとか、そういう条件で取り入ったんだろう?”』
アッシュ君の声と混じる男の声は、泰然として明瞭。喉首を掴まれ、腕を捻じられたケイスが、その苦悶すら忘れたように目を見開いた。
「なぜ、それを……」
『“お、当たりか。くく、俺達の業界じゃあよくある話だからだよ。ついでに当ててやろう。レーヴェス。お前が進ませるべきシナリオは、こうだろ?”』
この景色の背後にある全てを見透かすように。
『“ライヴ中に襲われた歌姫は、観客達を逃すために健気な強がりを見せるも殺されちまう。だが、お前達の魔法技術で奇跡の復活を果たし、多くのファンたちに祝福され、望まれ、再びこの世界に舞い戻る……”』
アッシュ君とセツナさんはレーヴェスと対峙しながら、サニアと黒ローブの少女の一騎打ちを見守るように目線を動かしているのが分かった。その間にも、アッシュ君の口から男の声は響き続けている。
『“そして、ここでいう魔法技術ってのが、“秩序の塔”の連中が新しくビジネスで扱おうとしてる生命魔法ってワケだ。まぁ、殆ど禁忌魔法の類なんだろうがねぇ”』
「貴方は……、どこまで知っているのです……」
肉の盾となったケイス社長の身体を構え、レーヴェスは歯を剝いてアッシュ君を睨む。正確には、アッシュ君の向こうにいる男を睨みつけようとしている。
「……モッグ、ス……、私と、……の、約束、は……」
約束――。ケイス社長とレーヴェスの間に、何らかの取引があったのは間違いなさそうだった。喉を掴まれたケイスは掠れた声を漏らしながら、苦悶の表情のままでアッシュ君を見詰めていた。真実を恐れるように。
「“どこまで知ってるかって? 色々さ。俺もお前みたいな感じで動いてたことがあるからねぇ。見えてくる構図と求められる要素は、いつでもシンプルなモンさ。つまりは、非法と違法、そして忌避感を、合法と祝福に転じる手段と犠牲だ”」
男の声に楽しげな笑いが含まれる。息を飲むレーヴェス。何かを察したのか、セツナさんが目を見開いてアッシュ君を見た。
その眼差しを嘲笑うように、今度はあーしの口から男の声。
『“死霊魔術と治癒魔術は、使い方次第で莫大な利益を生む。蘇生と不老を提供するサービスが実現すれば、超巨大なマーケットになるのは間違いないよ。金持ちの王族貴族どもに留まらず、各種業界の指導者層や超富裕層なんかも、死体を見つけたハエみたいに群がってくるのは目に見えてる”』
『“だがねぇ……”』と。
次はアッシュ君の口から。
『“ここで問題になるのが倫理規範だ。どれだけ素晴らしくて金儲けができる魔法技術でも、それが世間に受け入れられないことには無意味だよ。美味しくないのさ。命を扱う商売なんてモンは、最初は誰だって忌避感を抱く。そりゃあ裏稼業として大金を動かすことはできるだろうけどねぇ。表立って扱うことができないなら市場規模は小さいまま。スキャンダルの種にもなるし、顧客層も貧弱だろう”』
ベラベラと滑らかに喋りつづける男の声が、あーしの口に戻ってくる。
『“だが、非業の歌姫様を復活させたとなれば話は変わる。この優しい奇跡は、歌姫の死を深く悲しむファンの連中、特に貴族連中からは諸手を上げて歓迎されるだろうよ。本来なら忌避されるべき生命操作系統の魔法は、この美談によって飾り立てられて、どこまでもクリーンなイメージを持って世に姿を現すことができる”』
「それじゃあ……、私は……」
あーしの腕の中で、マリヴェルさんが唾を飲み込む。その声は、サニアと黒ローブの少女が演じる一騎討ちの音に、容易く飲み込まれそうなほどにか細かった。だが、あーしの口が、男の声で楽しそうに応じる。
『“察しがいいねぇ。そう。つまりキミは生贄なのさ。清廉潔白な悲劇のヒロインとして、社会的倫理っていう壁に穴を空けるためのねぇ”』
鼻息を荒くしているレーヴェスは強張りきった目で、サニアと黒ローブの少女の戦闘を一瞥した。黒ローブの少女を自身の盾にしようとしたのだろう。
だが、サニアと黒ローブの打ち合いは拮抗している。決着が着きそうにない。それを見て取ったレーヴェスが、現状の打開策を必死に探る顔つきで舌打ちをした。
『“蘇生だの不老だのってサービスは、生命の安全を最上の教義とする女神教徒との相性も悪くないのもポイントだ。“あなたの命は掛け替えのないものですよ”って教える女神教が、無残に殺された魂の救済を否定できるワケがない。まぁ教義の解釈によっては反発もあるだろうが、そんなもんは、実際に悲劇の死を経験した歌姫の尊さを前にすれば無意味だ。死の経験者ってのは、生きている全ての者に沈黙を強いるからねぇ”』
あーしの口から流れ出してくる男の声だけが、リラックスして講釈を垂れ続ける。その得体の知れない真実味と蓋然性が、周りの人間を黙らせる。
『“そもそも世論だの世相だのを操作するのは、“秩序の塔”の得意とするところだ。間違いなく、世間は生命操作に関わる魔法を受け容れるようになる。その上で女神教のお偉いさん共が、蘇生と不老を操る魔法技術を認めれば完璧だ。本来なら人道にも倫理にも反するような医療的な魔術サービスが、合法的かつ大衆的な商売になるんだから”』
そこでまた、アッシュの口から男の声が出てくる。レーヴェスを労うように。
『“だが、非合法を合法にするためには面倒な手順を踏む必要があった。それが、今の状況ってワケだ。話は聞いたよ? お前、世間を騒がせるために、王都でもゾンビ化した襲撃者を寄越したんだろう?こういうのは注目度も大事だ。センセーショナルな方がいい”』
「……そこまで分かっているなら、今からでも私と手を組みませんか? ギギネリエス」
ケイス社長を盾にしたままのレーヴェスが、歯を食いしばるような笑みを浮かべていた。
「貴方ほどのネクロマンサーなら、既に“あの方々”から信頼を得ているはず……。私と共に、この世界の真なる支配者の下で力を振るいましょう」
か細い活路を見出したという、レーヴェスの顔。
「この場の全員を殺し、歌姫と剣聖の死体を共に持ち帰るのです……! そうすれば、ダルムボーグでの貴方の失点も挽回できる。貴方は偉大な存在だ。そのような場所で犬になっていてはいけない存在だ。だから私と共に……!」
言いながらも、それが分の悪い駆けであると承知しているという顔。脂汗をびっしょりと掻いているレーヴェスの必死な声音。まるで命乞い。
「モッグス……、俺を裏切るのか……!」
腕を捻じられて首を背後から掴まれたまま、凄絶な形相になったケイス社長が呻く。
「……ギギネリエスだと……。まさか……いや、そうか……。だからシャマニとチトセ達は……」
居合の構えを崩さないセツナさんが刃物のように目を窄め、アッシュ君を横目で見据えた。それからあーしのことも肩越しに一瞥してくる。あーしとアッシュ君の内部に入り込んでいる存在を確かめるような目つき。
……というか、ギギネリエスって……。億クラスの懸賞金が掛かったネクロマンサーだったような。確か、クラン『鋼血の戦乙女』と『ゴブリンナイツ』の活躍で、ダルムボーグで討伐されたんじゃ……?
ぼんやりする頭の隅で、あーしは思う。その頭の中で男の声が笑って、あーしの口から出てくる。
『“……せっかくだが、もう俺は悪いことが出来ないのさ。身体の彼方此方に、マジックキャンセル用の魔導具を埋め込まれちまってる。妙な素振りを見せればソイツが起動して、俺はもとの死体に戻っちまう。お前の言う通り、今の俺は犬なのさ。ピカピカの首輪を嵌められて、行儀よくするしかないんだよ”』
「なら、私を見逃してくれれば……! 貴方を助けにいきましょう……!」
『“いや、いいよ。俺のことは気にしないでくれ。そこまでしてもらっちゃ悪い。お前も忙しいだろう? まぁ、第二の人生ってワケじゃないが、俺は俺なりに適当に頑張るさ。……ってなワケで、お前はどうする?”』
今まで暢気だった男の声が、不意に暗く沈んだ。冷酷な穏やかさを帯びる。
『“抵抗を止めて大人しく捕まるかい? それとも、逃げ帰るか? 俺としては前者をオススメするよ。後者でも歓迎だ。歌姫の命が最優先だからねぇ。それに、お前が転移魔法をスタンバイしてたところで、外に出てきたお前が逃げ切れる可能性は低いと思うよ。外には腕の立つ冒険者がわんさといて、お前が陽動に使ったゾンビレイダーどもも鎮圧ずみだ』
男の声には、まだ笑いがある。他者を追い詰める、冷えた笑いだ。
『“だがまぁ……、お前も逃げたくても逃げれないんじゃないかい? これだけデカい仕事をしくじって逃げ帰ったとなったら、ちょっと笑えない目に遭いそうだし……。あとは最後まで俺達に抵抗するっていう選択肢もあるが、賢いとは言えないよ”』
選択を迫る男の声。あーしの口から。
直後に、一際高い剣劇の音。
サニアと黒ローブの少女が互いに飛び退る。
ステージ上での一騎打ち。その一応の決着。
「ぐっ……」
セツナさんの傍で方膝を着き、息を切らすサニア。右腕と左脚の装甲が断ち割られている。派手な裂傷。大量の出血。
「貴女も強いね。でも、それだけ。怖くない。ちっとも怖くない。楽しくないよ」
レーヴェスの隣に移動する黒ローブの少女は醒めたような顔。平坦な声。剣聖を下し、無傷。両手に握った手斧の刃がサニアの血で濡れている。
「やっぱり、貴方と戦いたい。死体人形同士で、思う存分……」
アッシュ君の方を見た少女が、陶然とした表情になって舌なめずり。淫靡な仕種。戦闘を心底楽しんでいる者の顔。降伏の気配は無し。武器を握りしめたままで、こっちに歩み寄ってくる。
「……アナテ。お前を此処に捨てていく」
目を据わらせたレーヴェスが、覚悟を決めたように溢す。躊躇の無い言い方は、まさに“道具”に向けられた命令のそれだった。快感で霞みが掛かっているあーしの瞼の裏に、人形という言葉と、アッシュ君の過去がフラッシュバックする。
「私達が逃走するための時間を、捨て身で稼げ。必ずだ」
「それじゃあ……、彼が壊れるまで遊んでいいってこと?」
「あぁ。もう死体も要らん。……この仕事は失敗だ。好きにしろ」
「うん、分かったっ!」
黒ローブの少女の、心から嬉しそうな顔。ずっと欲しかった玩具を買って貰った子供の、純粋な喜び。強烈な単色の感情。自らが捨てられることに全く関心を払わないほどに、自身の存在を理解している証。
「あぁ~、んふふふ……。ふふふ。あふふ。貴方と遊ぶのは帰ってからって言われてたから、まだまだ我慢しなくちゃいけないと思ったけど」
黒ローブの少女が、両手に握った手斧をグルグルっと回した。軽やかに。嬉しそうに。肩を小刻みに揺らして唇を舐めながら、アッシュ君へと歩み寄っていく。
「もう我慢しなくていいんだって。遊んでいいんだって。あぁはは。私の全部を使って、貴方と遊んでいいんだって」
「あぁ。壊れるまで遊んでこい」
少女の背中にそう言い捨てたレーヴェスは、盾にしていたケイス社長の背中と首の付け根辺りに、何かを埋め込むように突き刺す。
禍々しい装飾が施されたナイフ。恐らく、ネクロマンサーが死体を収納している違法アイテムボックス。悪用するために改造を重ねられた代物。魔導具が使用できない領域でも、問題無く機能する類の。
「ぐぁあッ……!!」
前のめりに倒れるケイス社長。絶叫。
同時。レーヴェスの前進が幾層もの魔法円で包まれ、掻き消える。
転移魔法。禁忌魔法だ。逃がしてはいけない。
外にいる皆に連絡をしようとして、奥歯を噛む。
未だに赤錆色の魔法円が支配しているこのホール内では、まだ通話用魔導具は使えない。
機械獣たちも起き上がってこない。無効化されたままだ。
そして、新たな脅威。
ケイス社長の身体が、ボコボコッ……!! ズグズグズグッ……!! と歪に波打ちながら、内側から破裂するような勢いで膨らみ始める。
黒褐色の光を帯びるナイフ。魔力の光。それがケイス社長に流れ込む。ナイフに収納されていたものが注ぎ込まれていく。
「ケイスっ……!」
マリヴェルさんの悲鳴。飛び出そうとするマリヴェルさんだが、拘束魔法円で捕らえられてまだ動けない。あーしはマリヴェルさんの肩を強く抱き寄せて、自分の体で無理矢理に彼女の目を覆う体勢になる。
今のケイス社長の変貌ぶりは、見せちゃいけないと思った。
「Gu……! ぅうう、OO、Oaaaaぁぁぁあ……!! GAAA……ッ!!」
着込んでいた上等なスーツが弾け飛び、ケイス社長の身体が人間の姿と形を失っていく。
巨大化し続ける彼の身体は、その内部に無数の死体を送り込まれ、生きながらにしてネクロゴーレムの基礎部分にされたかのようだ。いや、ネクロゴーレムよりも、もっと質が悪いモノへと変貌させられている。
「UUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUU……」
亡者の声を束ねたような大音声。呻きと腐肉の束。無数のゾンビを無節操に繋ぎ合わせて、それを軟体動物のように広げたような冒涜的な姿。死体で編まれたスライムのような――。
その中心部に、ケイスの胸から上。喉首には、未だに黒褐色の魔力を明滅させているナイフ。ケイス自身の整った顔立ちが、全体としてのグロテスクさを強調していた。
「OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO……」
それに、まだ大きくなる。脈打つように。面積を広げようとしえいる。次から次へと死体が継ぎ足されているのだ。このステージ全部どころか、ホール全体を埋め尽くすのではないかという勢い。
『“俺達を足止めするための、気の利いた置き土産だ。さっきみたいに魔力粒子化できないよう、あのオジサンにありったけのゾンビを流し込みやがったよ。劇場内部を封絶してた結界も解けてるし、このまま放っておくと街までゾンビで溢れそうだねぇ”』
長閑な男の声が、あーしの口から漏れる。そのすぐあとで、また別の詠唱が零れた。何かが細かく割れる音がした。見れば、マリヴェルさんを拘束していた魔法円が砕けて霧散している。
『“こっちで拘束魔法円もディスペルした。歌姫を連れて外に出た方がいい。急がないとゾンビの山に飲み込まれちまう”』
直後、誰かに抱えられた。アッシュ君だ。
短剣をアイテムボックスに仕舞い、両手を空けたアッシュ君が、あーしとマリヴェルさんを脇腹に抱えるようにして走ってくれる。あーしの魔法糸を介した、しなやかな動き。
ここから出ます……!
掠れきったアッシュ君の声。険しい表情と凄い汗だ。あーしは何も言えない。相変わらず、バカみたいに快感でビクビクしている。頷くのが精一杯。
あーしと同じようにアッシュ君に抱えられたマリヴェルさんは、涙ぐむような顔で唇を噛み、ケイス社長を振り返っている。
「あははは……! 外に行くのね! うん! 行こう! 行こうっ!」
外に遊びにいく子供のような笑顔で、黒ローブの少女が追ってきていた。両手に手斧。少女を追うような位置につけているセツナさんが、負傷していたサニアを抱えてくれている。
「まずは外に向かう……! 治療はそれからだ……!」
「この程度の傷、問題ありません……! ですが……ッ!」
『『『OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO……!!!』』』
この場の全員を飲み込もうとするように迫ってくる、ゾンビの山というか河。凄い量だ。あっという間に、機械獣の群れも観客席も、劇場の空間が埋め尽くされて飲み込まれていく。
あーしもアッシュ君に抱えられたまま振り返って、うんざりする。レーヴェスを追いかけてる場合じゃない。マジで最悪の時間稼ぎだ。
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