「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」 作:なごりyuki
『“アッシュ。聞こえるかい? アッシュ。アッシュ”』
僕の名を呼ぶ声。僕の腕に抱えられた、ルフルさんの口からだ。ルフルさんの声と混ざった、ギギネリエスの声。
僕の存在を掌握しようとするように、ワザとらしく何度も呼んでくる声。無視はできない。僕は腕の中にいるルフルさんを一瞬だけ見た。
汗ばんだ赤い顔のルフルさんが、僕の眼差しを受け止めて怯むように息を詰まらせるのが分かった。僕は目を逸らす。
今の僕の身体は、ルフルさんの半身と魔術的に接続されている。ギギネリエスの死霊魔術の応用らしい。ルフルさんの人形遣いのスキルによって、僕の身体は動いている。
ただ、ルフルさんと僕が接続されているのは、肉体だけではない。精神的な部分でも、かなり深く接続されている。
僕の意識の中には、ルフルさんが生きてきた時間や光景、経験が、細やかな感触を伴って息衝いている。僕の精神は既に、ルフルさんの人生を経験していた。
同様にルフルさんの意識も、僕が生きてきた過去や感情を経験しているはずだった。ルフルさんの内部に、僕という存在が差し込まれてしまった。
でも、今は余計なことを考えるときではない。僕にはすべきことがある。
『“おや? おかしいな。まだ同期は維持されてる筈だけど……。お~い。アッシュ~”』
再び、ルフルさんの声が混ざった、ギギネリエスの声。僕は通路を駆けながら応じる。ルフルさんの方は見ないまま。
「……聞こえていますよ」
『“そうかい。そりゃあ良かった。まだ通信用魔導具の機能が復活してないだろう? ヴァーミルの姐さん達がお前と連絡を取ろうとしても繋がらないってんで、俺がこうして中継してるんだよ”』
軽薄だが深みのある、よく通る声。黒ローブの少女を挟んで、アッシュの背後についてきているセツナとサニアにも、この声が聞こえている筈だった。
僕を追ってくる黒ローブの少女も、朗らで狂気的な笑みのまま、ギギネリエスの声に耳を傾けている気配がある。
『“魔導具全般を使用不可にしちまう、あの妙な魔法円の影響なんだろうがねぇ。通話用魔導具の調子が戻らないお前達と連携を取るためには、やっぱり俺の力が必要だったってワケさ”』
恩着せがましい言い方をするギギネリエスに、僕は反応しない。無言によって先を促す。お喋りに付き合っている場合ではない。
僕達の背後からは黒ローブの少女だけでなく、不定形に繋がり合ったゾンビ共の濁流まで追ってきているのだ。
僕は肩越しに振り返る。黒フードの少女は、僕に追い付こうとしてこない。僕との距離を保って追ってくる。
少女は、自身の背後を追走してくるセツナさん達には見向きもしない。飽くまで僕を狙っているようだ。だが、ここでは存分に戦えないと理解しているはずだ。
少女が本格的に襲い掛かってくるのは、間違いなく、劇場の外に出てからだろう。
『“さて、ここからが大事な話になる。お前が抱えてる歌姫さんを、安全なところまで連れて行かなきゃならないだろう? その為に、ヴァーミルの姐さん達が彼方此方に連絡を飛ばしているよ』
「僕達は、どう動けば……?」
『“簡単さ。お前達はそのまま走って、歌劇場の東出口から出ろ。ジュードっていう『正義の刃』の隊長さんが、部下と一緒にそっちに向かってる。合流するんだ』
ルフルさんの口から出てくるギギネリエスの声は、のんびりとした口調だ。それでいて、悠然とした冷静さがある。
『“ジュードって隊長は、率いてた警邏隊も連れてる。すぐに分かるさ。そんでもって、歌姫さんと剣聖さんを預けろ。二人にはその場から離脱して貰うんだよ”』
「分かりました。……では、あの黒ローブの少女は僕が足止めします」
僕は駆けながら頷く。ギギネリエスが軽く笑った。
『“あぁ。頼むよ。俺たちがそっちに到着するまで、まだもうちょっと掛かりそうでねぇ。お前の援護を本格的にする前に、まずは俺たちもジュードって隊長と合流する手筈なんだ”』
「えぇ。理解できます。僕達よりも、マリヴェルさんの安全が優先ですから」
僕は応じながら、再び肩越しに振り返る。黒ローブの少女の向こうで、セツナさんに抱えられたサニアさんと目が合う。彼女は僕に何かを言おうとしたようだが、その言葉をぐっと飲み込むように頷いてくれた。
『“あと、セツナちゃんにはアッシュと協力して、黒ローブの女の子の相手をして欲しいみたいだよ。あぁそれと、ルフルちゃんが居ないとアッシュも動けないからねぇ。ルフルちゃんも、アッシュと同行ってことで”』
自分の口から出てくる男の声にルフルさんが頷き、僕のことを腕の中から見上げてくる。
ルフルさんの眼差しには、先程のような僕に対する怯みは見えなかった。少しだけ笑みを浮かべて頷いてくれる彼女からは、僕に対する気遣わしげな優しさを感じた。
肉体と精神が僕と同期しているこの状況を、ルフルさんは受け入れてくれている。だからこそ僕も、自分の役割を全うしなくてはならない。
僕はセツナさんを振り返る。両手に手斧を携えて笑みを浮かべる、黒ローブの少女の向こう側。
サニアさんを抱えるセツナさんが、斬りつけてくるような眼差しを僕に向けていた。了解の意が籠められているのは明白だった。
『“あぁ、それと……。お前を追ってきてる女の子だが、どうやらレーヴェスの奴が、俺の作った魔人シリーズを参考にして作ったっぽいよ? つまり、お前の模造品ってわけだ。やけに白兵戦に特化してやがるし、魔術回路も色々と身体に仕込んであるようだが、……まぁ所詮は模造品だ”』
ルフルさんの声を使い、緊張感のないお喋りを続けるヤツの言葉に冷たい笑みが混ざる。
『“お前の力を見せてやろうじゃないか”』
ギギネリエスの声に籠る親身な邪悪さが、僕の中に入ってくるのを感じた。僕は、ルフルさんの、セツナさんの、そしてサニアさんの視線を感じていた。それら全てを無視して駆けていく。
今の自分の“役割”のために。
振り払えると思ったわけではない。
『“取りあえず、ここからの流れは分かったかい? そろそろ東出口だ。さっきも言ったように、まずは歌姫さんを預けるんだよ。全てはそれからさ”』
ルフルさんの口から出続けているギギネリエスの声に、僕の腕の中にいるマリヴェルさんが心苦しそうに眉間を絞っていた。
「……私の為に、すまない。どうか皆、無事でいてくれ」
心の底から絞り出すような、歯を噛み締めて真剣な祈りを捧げるような声で、マリヴェルさんが言ってくれる。
僕達は言葉で応じず、目線と頷きだけを返した。打ちのめされた彼女の心に、どこまで寄り添えるのかなど分からない。だが、僕達は彼女の言葉を確かに受け取っていた。
ほぼ同時だった。僕達は劇場の東出口から駆け出す。
「こっちだ……!」
豊かな緑で覆われた敷地内へと走り出た僕達を迎えてくれたのは、大剣を背負った男性だった。兜はしていないが、クラン『正義の刃』が採用している騎士風鎧を纏っている。
大柄な彼がジュードなのだろうとすぐに分かった。彼の周囲には、同じく『正義の刃』のクランメンバーであろう騎士風装備の者達と、数名の冒険者たちの姿があった。
一瞬だけ、僕は目を見開いてしまう。そこにリーナさんと、ロイドさん、レオンさんの姿があったからだ。
そうか。彼らも、歌劇場周辺の警備役に参加していたのか。そしてジュード隊長の率いる警邏隊に組み入れられ、この場に同行したという流れなのだろう。
「歌姫とサニアは俺達が預かる……!」
ジュード隊長は、部下であろう騎士風装備の者達を引き連れて、こちらに駆け寄ってくる。
「サニアは俺が担ぐ! 歌姫には担架を用意しろ!」
違和感があった。
部下達に素早く指示を出すジュード隊長は、マリヴェルさんを抱えている僕の方を見ようとしない。明らかに歌姫マリヴェルさんではなく、サニアさんを探している風だった。
それに、ジュード隊長の表情と声音が一致していないのだ。部下達に指示を出す口調には、誠実さと緊張がある。真剣だ。一方で、彼の表情自体に動きがない。不気味なほどに。
だが、そういった違和感を相手する暇はない。
「あぁはははッ……!!」
背後から迫ってくる少女の脅威が、何かを考える時間など与えてくれない。
「歌姫をこちらに……!」
僕に駆け寄ってきてくれたのは、アイテムボックスから担架を取り出していた『正義の刃』のクランメンバーが3人、その護衛を兼ねてだろう、リーナさん、レオンさん、ロイドさんの3人だった。
「お願いします……! どうか、マリヴェルさんを連れて遠くに……!」
変声用魔導具が機能していないが、僕は構わず声を出す。必死に伝える。片腕で抱えていたマリヴェルさんを担架に預けた。瞬間的に目が合う。彼女が何かを言う気配があったが、対応はできなかった。
すぐ背後まで迫ってきていた黒ローブの少女に向き直り、彼女を引き付ける必要があったからだ。
僕は即座に踵を返す。片方の腕でルフルさんを抱え直し、マリヴェルさんを抱えていた方の手の中に杖を召び出す。
「ルフル副隊長……!」「副隊長……!」
騎士風装備の男性達が、ルフルさんを呼ぶ声がした。
「あーしには構わず、マリヴェルさんをヨロ~…!」
僕の腕の中で、ルフルさんがウィンクするのが分かった。背後で「え、アッシュ……?」というリーナさんの声が聞こえた。間髪を入れず、黒ローブの少女が踏み込んでくる。
「ああAAAははははぁぁ……ッ!!」
少女が放ってくるのは手斧の連撃だ。それを杖で弾いて、受け流し、捌いて、半円を描くように下がり、更に下がって、下がって、黒ローブの少女を徹底的に引き付ける。
ルフルさんの人形遣いとしてのスキルが、僕の動作全てを支えてくれていた。
これでいい。一先ずは。
マリヴェルさんを担架に乗せた『正義の刃』のクランメンバー3人が、ジュード隊長を追ってこの場を離れていく。その護衛としてのリーナさん達も。そういう手筈なのだ。
視界の隅で、リーナさんが何度か僕を振り返っているのが見えた。それに、セツナさんから奪い取るようにして、サニアさんを肩に担ぐジュード隊長の姿も。
担がれたサニアさんは苦悶の表情を浮かべ、何らかの抗議の声を上げていたが、それを無視してジュード隊長は走り去っていく。もうセツナさんには目もくれない。
剣呑な表情のセツナさんも、負傷者を粗雑に扱うジュード隊長の態度に違和感を覚えたようだが、それも一瞬のことのようだった。
彼女はすぐに、既に黒ローブの少女と切り結ぶ僕の姿を認めて、すぐに追ってきてくる。これも手筈通りだ。
僕はそのとき、黒ローブの少女と目が合った。彼女が目を細めた。無邪気な照れ笑いの表情で、唇をゆっくりと舐めて湿らせる淫靡な仕種を見せる。
この少女は、離脱しようとしているマリヴェルさん達を追おうとはしない。徹底して僕を狙っている。少女にとって、僕という存在は特別なのだ。感覚としてわかる。
――僕にとっても、彼女の存在は特別だからだ。
僕は姿勢を落としながら、黒ローブの少女との距離を保ちながら、この場を離れる。僕は少女を引き摺って行く――引き摺られていく。
そのうち、セツナさんが少女の横合いに並んだ。
「……借りを返すぞ」
前傾姿勢で駆けながら居合刀の柄に手をかけた、セツナさんの低い声。僕に対してか、それとも、あの黒フードの少女に向けられたのかもしれない言葉よりも、ほんの1秒。
轟音。振動。歌劇場の東出口が爆発したように粉々になる。崩落する建物。濛々と上がる粉塵と砕けた石材の山を押し退け、ずるずるずるっ……っと這い出すように流れ出てくる。
ネクロゴーレムというよりも、ネクロスライムとでも表現すべき、不定形のゾンビの塊だ。大きい。まるで小山のようだが、まだ育つのか。
『UUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUU……ッ!!』
無数に折り重なるように融解している、屍たちの声が木霊する。まるで、この土地そのものを、この土地に住まう生き物を全て呪うかのような、怨嗟の大音声だ。
劇場内から出てきた巨大なネクロスライムは空の下、もう僕達を追いかけてくることは無かった。もっと大量の生者に死を与えるべく、街の市街地の方へと這って行こうとしていた。
居合刀を構えて疾駆するセツナさんは、視線だけネクロスライムの姿を認めて舌打ちをした。僕達が装備していた通信用魔導具の機能が復活したのは、そのときだった。
『敷地内外にいる冒険者達は、ネクロスライムの動きを止めるべく応戦しなさい……!』
『負傷者を連れて離脱する際には、付近の人造兵と機械獣、冒険者達の協力の要請を忘れないでね』
『ギルドへの報告もお願いしますわ~。街に居る冒険者の皆さんにも、力を貸して貰わないと~』
アルキスさん、オルキスさん、リエラさん達が、他の女性冒険者達に指示を出している。
即応する女性冒険者達の応答。戦闘に参加する旨の報告が多数。ギルドに向かう、少数の撤退者。負傷者。死者は無し。上級冒険者達の手慣れた対応。
全員が其々に役割を熟し、流れるように遂行されて噛み合う。それらの一連の流れに、停滞した時間は皆無。
スムーズな反撃。反撃のための戦力の分散。分散された役割。
役割を帯びた其々の戦いへと、僕達は入っていく――。
僕を狙う、笑みを湛えた脅威。黒いフードの少女が、その翡翠色の瞳に異様な輝きを宿して向かってくる。
少女を引き付けていた僕は、そこで足を止めた。片腕で抱えて居たルフルさんを地面に降ろしつつ、庇う位置に踏み出して杖『リユニオン』を構える。
ルフルさんはまだ立ち上がれない。片膝立ちで、右腕と右手を動かし、僕の身体を動かしてくれている。彼女の身体の半分を、僕の意識が動かしている。
ルフルさんの身体に燻ぶる快楽を、魔術的に接続されている僕も感じていた。だが、酷く遠い。虚しさを覚えるほどに。人形という言葉が頭に過る。今の僕は、間違いなく人形だった。
僕は正面から少女の手斧を受け止める。受け流して、彼女の体勢を崩す。その隙を狙う。脇腹に杖を打ち込む。だが、これを少女は防いだ。僕は追撃しようとする。少女は跳び下がって距離を取った。つまらなさそうに。
僕の代わりに、少女に踏み込んだのはセツナさんだった。
「散れ……ッ!!」
既に居合の構え。セツナさんが斬撃を放つ。
赤い魔力。斬撃の帯。一瞬のうちに8閃。
少女は防御として、濁った魔力の奔流を纏う。魔力の微光と揺らぎは、即座に幾条もの鎖へと練り上げられていた。分厚い防御結界。攻撃にも転じられる、少女の魔力具現化。
まるで蛇の群れのような鎖の束。セツナさんの斬撃を受け止める。或いは、大きく斬り飛ばされて霧散。鎖で防御しきれなかった斬撃が、少女の頬と首の後ろ、脇腹を僅かに裂いた。
半秒の攻防。だが、少女は怯まない。傷などお構いなしに僕に踏み込んでくる。彼女は再び魔力を纏う。セツナさんの斬撃を弾いたものより、密度と凶暴さを増した鎖の結界。
遠くでネクロスライムが咆哮を上げている。敷地内の木々をへし折りながら、街に向かおうとしている。その巨大な脅威を背景にして、黒ローブの少女が僕に向かってくる。あまりにも真っ直ぐに。
少女は僕を狙う。僕だけを狙ってくる。焦がれるように。
ならば僕は、ルフルさんから離れる。こっちに来ればいい。
「……化け物めっ」
呻いたセツナさんが状況を察してくれた。傍にいたルフルさんを腕に抱えて、さらに離れてくれる。
ルフルさんの指から伸びる魔力の糸は、まだ僕と繋がっている。まだまだ糸は切れない。感覚として分かる。
まだルフルさんと距離をとっても問題無い。僕の身体を動かせる。そのとき、何か言いたげなルフルさんと目が合う。
僕は頷くしかない。ルフルさんの人形遣いとしてのスキルを、僕は全面的に信じる。
「私ね、レーヴェスから教えて貰ったわ」
少女が踏み込んでくる。
疾風のごとく距離を詰めてきた少女は、両手に握った手斧をグルグルと回しながら笑っている。無数の蛇のような、濁った緑色の鎖の束を引き連れて、僕に飛び掛かってくる。
僕は下がる。赤い顔ではにかむ少女は、僕を見ている。僕だけを見ている。
先程よりも濃密に、もっと激しく、より獰猛に。少女を中心とした鎖の嵐。巨大な質量の渦。周囲の空間を薙ぎ払い、打ち据えるような乱打。
少女の朗らかな笑顔。手斧。既に目の前。
僕に撃ち込まれる。刃と、少女の声。言葉。
「貴方って、私達みたいな人形を壊してきたんでしょ? “器”としての性能を証明するために、自分と同じ死体人形を殺戮してきたんだよね? たくさん、たぁくさん、数えきれないぐらいに」
黒ローブの少女が無邪気に言ってくる。手斧での連撃と共に、鎖の束が荒れ狂う。僕を押し潰そうとする。猛襲。猛打。それを僕は受け止め続ける。
僕は杖で弾く。受け流す。躱す。逸らす。巻き込み、打ち払う。下がる。横に足を捌く。半身で前に出る。撃ち返す。その間にも、少女は陶然と僕を見つめ続けている。
「レーヴェスは言っていたわ。貴方ほどの性能の“器”は、もう製造されないんじゃないかって。“魔王の器”として完成されていて、誰もが恐れる存在だったの、調律で台無しされた哀れな死体人形だって」
黒ローブの少女の声に、打ち込みに、熱が籠っていく。僕は黙ったまま彼女を見詰める。目を逸らさない。彼女と拮抗する。だが、すぐに押され始める。この少女は強い。
ルフルさんの人形遣いのスキルで身体を動かしている僕は、防戦に追い込まれる。耐える。耐え続ける。少女と向き合い続ける。
「私はね、“本当の貴方”に会いたい。時間を越えて、“昔の貴方”に会ってみたい。今の貴方でも、十分に強くて素敵だけど……。今の貴方は、私に遠慮しているでしょ?自分以外の全てに、世界に、周囲にある景色と常識に気を遣ってる。自分を隠してるよね? 我慢してる……、ううん、調節してるって感じかな?」
僕の杖『リユニオン』と、彼女の手斧、彼女が纏う鎖が、ぶつかり続けている。僕と彼女の間の空間には、無数の火花が咲き乱れ、踊り狂っている。衝撃が僕の身体を伝う。骨と筋肉が軋む。
躱しきれなかった彼女の斬撃が、鎖が、僕の腕や肩、頬、額、脇腹、胸の肉を削る。膨大な魔力を帯びた斬撃。打撃。それらは僕が着込んでいる防具をボロボロにした。
“どんな魔物の牙でも貫けず、破れない”と銘打たれた、非常に頑丈なローブも、ボディスーツも、容易く斬り裂いてくる。破いてくる。僕はすぐに血塗れになった。
セツナさんが僕の援護に入ろうとしてくれるのが分かった。
だが、吹き荒れる鎖がそれを阻む。鎖は僕にも押し寄せる。それを打ち払う。避ける。だが、同時に繰り出される少女の斬撃を捌けず、躱せず、僕の身体の肉が抉られていく。
「でも、もういいよ。自分を隠さなくても。私はね、貴方の全部を受け止めたい。私には、我慢しなくていいよ? 貴方の全部を見せて。貴方が奥に隠しているものも、残さず解放して」
上目遣いになった少女は、ねだるように言う。甘く淫らな声。囁くように。僕の存在を抹消しようとするかのような、手斧の乱打。鎖の奔流。激しさを増す。無垢なる殺意。
僕の身体が削られていく。僕は血塗れになる。“キニス=グレイモア”という虚像の僕が、肉体ごと剥がされていくような感覚。
「自分の力を示す。それが、私達の最上の幸福だよ。道具という存在としての。人形という存在としての。自分自身を、その存在理由と設計哲学で満たすことでこそ、“私達”の価値と意味は証明されるんだよ。この一瞬だけでも。それが“私達”にとっての、生きるってことなんだよ」
笑顔の少女。真剣で切実な口振り。
人形からの。道具からの。死体からの。
そういった枠組みから、跳び越えるための言葉たち。
少女は得難い瞬間を求めている。
僕との戦闘の中で、生きた証を、この時に刻むような。
僕の身体に奔る傷が、彼女の存在を証明している。
「貴方なら、貴方なら……、使い捨てられることで、道具としての役割を全うする私の価値を認めてくれる。ううん、認めざるを得ないはずだよ。否定したくても、心の底では理解できるはずだよ」
道具としての少女は今、その主によって使い捨てられるという用途のなかで、自身の存在理由と存在価値を余すところなく満たしていた。
彼女の存在は今まさに、どこまでも充実しているのだと思う。少女の瞳。僕を映す、翡翠の輝き。曇りが無い。自分自身の存在を賭して、僕に問いかけてくる。
「だって貴方は、自分を証明するために、私達と同じ死体人形を殺戮してきたんだもの」
僕が引き連れている光景。他者を破壊する生々しい感触が、僕の手の中に蘇った。
次の瞬間には、僕の左側の視界が消えた。真っ暗になった。
斧を食らったのだ。顔の左半分が吹き飛ばされた感覚。
顔から流れ出る血で、僕の体の前面が温かく濡れる。
遠くで悲鳴のような声。鎖の嵐で足止めされる、セツナさんの悔しげな声。僕の身体を操りながらも、何とか魔法を詠唱しようとしているルフルさんの声。
でも、2人の声はよく聞こえない。少女の声だけが僕の正面から、阻むものなく響いてくる。
「それなのに“今の貴方”は、善良であろうとしてる。善意で自分を正そうとしてる。駄目だよ。そんなの。だって貴方は、自分と同じ人形達を殺戮してきたのに」
手斧の乱打を繰り出し続ける少女は、劣勢の僕を責めるのではなく、説き伏せる口調だった。僕の反抗を飲み込むような、柔和な害意。
僕は彼女の打ち込みに耐え切れず、片膝を着いてしまう。回し蹴りがきた。僕は横倒しにされる。地面に身体を叩きつけられるが、即座に起き上がる。
僕の身体からは、夥しい血が飛び散っていた。地面が真っ赤だった。
「貴方に殺戮されて粉々に破壊された人形達にも、貴方のように生きる可能性があったのに。そういう尊い未来の全部に、完全な死によって蓋をしてきて生き残った貴方だけが、自分の命と人生だけに、善良な意味と価値を付与しようとするなんて」
いつのまにか荒い呼吸をしていた僕は杖『リユニオン』で、彼女と対峙し続ける。
彼女の言葉を受け止め続ける。少女は僕に斬撃を打ち込み続けながら、僕の存在と過去、罪を確かめる口調で続ける。
「貴方が貴方の事を大事だと思うことは、貴方の過去と矛盾するよ? 自分と同じ境遇の者達を、貴方と同じように生きられたかもしれない者達を殺戮してきたのに、今更自分だけが正しさを纏おうなんて」
僕の身体が、少女に追い付かなくなってきていた。
少女の手斧を捌く動きが遅れる。隙を衝かれ、超至近距離まで踏み込まれる。少女の殴打を食らう。僕を殴り倒した少女が楽しそうに肩を揺らした。
僕はすぐに起き上がる。彼女の振るう手斧が、踊るように魔力の帯を引いている。それから逃れる。
「どうするの?」
僕への問い。
僕だったかもしれない少女からの。
どこかで、何かが違っていればと僕は思う。
偶然の加減によっては僕こそが、襲撃者という彼女の立場にあってもおかしくなかった。或いは彼女もまた、誰かを護る僕の立場にあったかもしれない。
少女の姿をした、僕の未来だった可能性との再会。
僕が手にした杖『リユニオン』と、少女の手斧が火花を散らし続けている。
「貴方は選ばないといけないよ。昔みたいに、死体人形の私を殺すか。それとも、自分の罪を認めて、私に殺されるか。ねぇ。どうしたい? 善良に生きようとする今の貴方にとって、私という存在は絶対に無視できないはず。私は、貴方の過去を突きつけてるんだから。向き合うしかないよね?」
僕が生きていたかもしれない暗い場所からの、問いかけ。
僕の罪を清算するのか、それとも、まだ生きるのかと。
「私は、貴方と同じ場所から来たの。貴方と同じ死体人形として言うよ。貴方には善意を行使して幸福になる資格なんてないんだよ。何をどう取り繕っても。私を殺しても、私に殺されても、貴方は“自分の本質”から逃れられない。克明になるだけだよ」
凄まじい力で手斧を振り回す少女は、僕との打ち合いの中で目を細めていた。血塗れの僕の表情と言葉を待っている。僕の抵抗と無言を、心の底から味わっている。
「あぁぁあぁ~~……。あぁふふふふぁ~~。キモチイイなぁ、ゾクゾクするっ……」
僕を見詰める少女の声が、嬌声のように上擦る。戦闘の中で赤らめた頬が汗ばみ、艶が増している。
「今の私、貴方の過去も未来も内面も、全部を犯してる。めちゃくちゃにしてるっ……。ねぇ? 貴方はどう? 私を殺すにしても、私に殺されるにしても、貴方の人生の意味と価値は、ここが終点だよ? 行き詰まりだよ? もう何も無いよ? あぁはは」
舌なめずりする少女の息が荒くなる。僕との打ち合いによる疲れでは決してない。興奮と高揚によるものだ。その証拠に、彼女の攻勢は更に強まる。僕を押し込もうとしている。
「ねぇ。ねぇ。貴方の善良さの最後なんだから、いっそのこと、貴方の全部を出してよ。私には我慢しないで。私は今、生きてるの。貴方が生きようとする姿を見せてよ。そんな貴方を壊すことで、私は道具としてだけでなく、私自身の人生が完成するの。あぁあぁああ……。ねぇ、はやく……!」
濡れるような少女の声に、親密さが満ちる。攻撃の激しさが増す。
僕の身体を本格的に破壊しようとしているのだと分かる。
僕は、目の前の少女に必要とされていた。どこまでも熱烈に。強烈に。その存在を懸けて、少女は僕を求めていた。
そして少女もまた、僕に必要とされたがっているのではと思った。彼女にとっての、生きるという言葉の意味を満たすために。道具ではない彼女の“個”を満たすために。
「このまま終わりなんて、つまらないよ。がっかりだよ。だから、本気を出してよ。私には隠さなくていいの。安心して。私は貴方を嫌いになんてならない。どんな貴方でも受け入れるよ。だから、ほら……、出して、出してよ」
僕を焼き尽くすかのような、少女の攻勢。縋りつくような、僕を求める声。少女が肉薄してくる。至近距離での打ち合いになる。少女の強さに、僕は明らかに押されていく。僕は下がることも出来ず、ただ耐えるように死を待つ。
蕩けたような少女の顔が、僕の目の前にある。
いつかのローザさんの声が、僕の心に響いていた。
僕が引き摺ってきた景色を包み込むように。
僕は、此処にいる。
「出して。全部出して。出して。はやく。はやく……! ほら、ほら、出しちゃえ。ほら、もう、出る? 出そう? 出せ……、出せ、出せ、出せ……!」
「“ケヒヒヒヒ”」
血だらけの僕の口から出た笑い声。打ち合いで押し切られ、手斧で粉砕される直前の僕の感情とは、一切連動しない声。
一瞬だけ、少女が攻撃の手を緩めた。訝しげに眉を顰めている。
「“随分と熱烈なアプローチを受けてるみたいだねぇ、アッシュ”」
どこまでも楽しそうな、おおらかな邪悪さを発散させるギギネリエスの声。
「“邪魔しちまったが、イイ感じにお前の身体を中から弄り終えたところだ。ナイスタイミングだよ。……ってなワケで、お望み通り、ちょっと見せてやろうじゃないか”」
僕の声が言う。僕では再現できない、陽気な冷酷さで。
「“お前にインストールされてる、とある魔王の力を。まぁ、出力できるのは精々3%ぐらいだけどねぇ。この騒ぎを落ち着かせるには十分だろう。サポートしてやる”」
僕に装填されていたもの。
ギギネリエスによって起動しようとしているもの。
僕と一体化しているもの。
僕の意志に関わらず、僕の本質に関わるもの。
それが僕の内部で膨れ上がり、傷だらけの身体の隅々までを満たす感覚があった。
「“さぁて、父さんからのアドバイスだよ。アッシュ。お前がどんな力を振るおうとも、お前の心が、お前自身の安全装置になってるんだ。それは俺が一番よく分かってる。だから、今は世界に気を遣わなくていい。お前の役割を果たせ”」
僕はギギネリエスの声を、血と一緒に吐き出す。目の前の少女が見詰め返してくる。ローザさんの言葉を胸の内で握り締める。
僕は、此処にいる。
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修正作業が長引いており、御迷惑をお掛けしております。申し訳ありません……。
今までの内容に大きく加筆修正を加え、幾つかの新規更新を挿入する形で修正作業を行って参りました。近況ノートで報告させて頂きましたが、今回からは新規投稿として更新させていただいております。
不定期更新ばかりですが、また皆様にも楽しんで貰えるよう精進して参ります。
いつも支えていただき、本当にありがとうございます!