「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」   作:なごりyuki

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実在の意味、誤解の中に

 

 

 

 頭の奥に鈍痛が響く。

 

 今日の俺は、やはり妙だ。いつもと違う。俺の身体と意識が分離しているような、この浮遊感。俺の意志と感情が、身体に伝わっていない。

 

 景色が動くのを、ただ見せられている感覚。ただ観客席に座って、ぼんやりと舞台を眺めているような。任務に対する緊張感、集中力や使命感といったものが実感できない。

 

“貴方を手駒にできたことは、幸運でしたよ。本当に。本当に”

 

 頭が痛んだ。痛みの中から声が届く。それが奇妙な現象だとは、なぜか思えなかった。寧ろ、柔らかに響く男の声が、俺を評価してくれている気配に喜びを感じていた。

 

“もう人間のフリをする必要はありませんよ。まずは歌姫を殺しなさい。剣聖は後回しです。とにかく、歌姫さえ死ねば……。歌姫の死体を……!”

 

 男の声が強烈な希望と焦燥を帯びて、俺の頭の奥で鳴る。

 

 俺は何か、俺の感知できない場所から魔力を受け取っているようだった。瞬間的に、俺の身体には力が充溢した。ミシミシと筋肉が鳴る。肉眼で見えるほど、ドス黒い魔力が溢れ出る。

 

 何らかの強化魔術だろうか。俺の身体は、俺の意思を離れて動く。

 

 担いでいたサニアを無造作に放り投げた俺の身体が、大剣を引き抜きながら、歌姫を乗せた担架に踏み込んでいっても、まるで他人事のような気分だった。

 

 突然の俺の行動に、警邏隊のメンバーも反応が明らかに遅れていた。呆気に取られているという感じだった。俺の身体だけが、出所の分からない殺意を帯びている。

 

「ぐぁ……ッ! ジュード……ッ!?」

 

 地面に叩きつけられたサニアが血を撒き散らしながら、呻きを混ぜた声で叫んだ。彼女の声が俺の背中に刺さる。だが俺は、俺の身体を止められない。

 

「た、隊長!?」

 

「何を……!?」

 

 担架を担いでいた部下達は、ぎょっとしたように動きを止めていた。彼らは哀れなほど無防備だった。簡単に殺せる。だが、殺したくないと強く想った。

 

 俺の身体は、俺の意志に反応してくれた。

 

 俺の身体は部下達を大剣で斬らず、剣身の腹で打って昏倒させた。派手に吹き飛ばした。起き上がってはこない。だが死んではいない。殺さずに済んだことに、俺は鈍い安堵を覚える。

 

 だが、そんな他人事のような安心感を素通りするように、まだ俺の身体は動いていた。

 

 担架から零れ落ちた歌姫が、驚愕の表情で俺を見上げている。俺の身体が、その歌姫に向けて大剣を振り下ろしつつある。俺はやはり、殺したくない。殺したくない。

 

 自分の身体が、大剣を振り下ろそうとするのを必死に抑える。動きを止める。その隙に、歌姫が手をついて立ち上がろうとする。俺から逃げようとする。それでいいと思った。

 

“死体のくせに生意気ですね。私のコントロールに逆らうとは”

 

 男の声が、部下達を殺さなかった俺に言ってくる。

 死体……? 俺が……? どういうことだ……?

 分からない。何も。俺の意思が遠い。感情が鈍い。

 現実的な感触が薄い。

 俺はだた、俺の身体に振り回されている。

 

“歌姫が持っている結界発生用の魔導具も、今なら機能停止している”

 

 男の声が、俺の身体に命じてくる。

 

 俺は操られている。

 そういう感覚が、ようやく意識のなかに上がってきた。

 

“今なら容易く殺せます。ですが、首から上は大事です。狙うなら――”

 

 俺の身体は、大剣を振り下ろすのではなく、突き出す。

 逃げようとする歌姫マリヴェルの背中に向けて。心臓に向けて。

 

 同時だった。投げナイフが俺の肩口に向かって飛んできた。

 

 俺の身体は避ける。

 ナイフが頬を掠めた。俺が突き出した大剣の切っ先もブレる。

 

「あっ……ぅ……!」

 

 それでも俺の大剣は、歌姫の左脇腹を砕き抜いていた。感触で分かる。致命的な損傷に違いない。歌姫が倒れる。もう起き上がってこない。起き上がれないだろう。

 

 ここまで5秒程度だっただろう。

 そのあとに訪れる、1秒未満の静けさ。

 あまりにも濃密な静寂に俺は閉じ込められる。

 

 遠くで暴れる、巨大なネクロスライムの呻きだけが聞こえた。

 実在的な脅威と、破壊の音が打ち寄せてくる。

 

 ここは、まだ戦場だ。

 なのに俺は、いったい何をやっているんだ。

 

 そう問いかける間もなく、俺は3人の冒険者に取り囲まれた。警邏隊メンバーに組み入れた、優秀な冒険者たち。

 

「応援を……!! 歌姫マリヴェルが負傷……!! ジュード隊長が……!!」

 

 リーナ=エルジス。片手剣と魔術属性を付与した短剣の両手持ち。戦闘センスも悪くない。彼女は通話用魔導具で声を飛ばしている。必死な顔だった。

 

 彼女のパーティメンバーであるロイド、もうひとり、レオンもだ。

 

「くそったれ、何がどうなってやがるんだよ……!」

 

 杖を手にしたレオンは悪態をつきながらも詠唱に入り、同時に、倒れた歌姫に高位魔法薬を使用していた。歌姫の身体が魔法円に包まれている。

 

 だが、もう助からない。俺の大剣は、彼女の左脇腹を大きく抉っている。胴体の半分を破壊するほどに。心臓の一部すら砕いただろう。霊薬エリクシルでも間に合わない。死ぬだけだ。

 

「ジュード隊長……! なぜ、こんなことを……っ!」

 

 俺と同程度の大剣を扱う、大柄のロイドが睨んでくる。そういえばロイドは、投げナイフも最近は扱うようになったと言っていたな。そうか。

 

 さっきの投げナイフは彼のものか。彼らを隊に組み入れた警邏中は意外に平和だったから、見る機会はなかった。だが、なかなかいい腕だと思った。

 

「ジュード。貴方は」

 

 背後から、呻くような声。苦しげに掠れたサニアの声だった。

 

「自分が何をしたか理解しているのですか……」

 

 俺は肩越しに振り返る。サニアは立ち上がってはいたが、戦闘は無理だろう。右腕と左脚の傷は深い。彼女の足元の草むらは真っ赤だ。血だまりに濡れている。

 

 明らかに動揺しているサニアは、それでも剣を構えていた。だが、そこに普段の剣聖らしさはない。あの厳粛で厳正で、研ぎ澄まされた威圧感も、冴え冴えとした静謐も、彼女は取り落としていた。

 

 俺は胸が痛んだ。

 いや、少し違う。俺の胸の奥底にある、何か汚らしい部分が疼く。

 

 あぁ。可哀そうに。サニア。きみは剣聖ではいられなくなったんだろう。きみは、少し弱くなった。そんなふうに思う。きみらしくない。

 

 俺の身体には今、俺のものではない力が漲っている。今の俺なら、きみを殺せる。そんな気がする。そうすべきだという気分だった。

 

 だって、きみは、俺にとっての標だった。理想さえ超えた、完全な偶像だった。きみの向かう景色こそが、俺が求める情景だった。

 

 そんなきみが、完全に変質してしまう前に。俺がこの手で、きみを永遠にしてしまおう。それが正しい。きみは俺のなかで、決して汚されない剣聖になればいい。

 

 ……おかしいな。

 どうして俺は、こんなことを考えるんだろう。

 

“貴方の潜在的な狂気には、私が強化施術を行う価値がありました”

 

 柔和な男の声。必死に笑いを堪えてるような震えがある。

 俺の身体には更に魔力が注がれてくる。いったい何処から……?

 見れば、俺の足元には不気味な魔法円が展開されていた。

 俺の身体は、足元の魔法円から微光を吸い上げていく。

 

“貴方は私にとって、女神からの贈り物でしたよ。こんな大逆転が起きるなんて”

 

 俺を肯定する囁き。

 

“もう歌姫は死にます。死にますよ。えぇ。助かりません。貴方の御蔭です”

 

 俺を褒めながらも、どこまで侮蔑する口振り。

 

“私がそちらに転移するまでに、剣聖も殺しておいてください”

 

 温和な命令口調。残忍な指示。

 俺の意志というよりも、俺の身体が服従している。

 俺の愚鈍な意思は、ただの観客に過ぎなかった。

 

 強化された俺の身体は、男の声に忠実だった。瀕死の歌姫になど目もくれず、その歌姫を庇う位置に立ったリーナ達のパーティにも関心を払わず、俺はサニアに迫る。

 

 剣聖を殺せという命令を遂行する。

 俺の正面に陣取っていたリーナやレオン、ロイドを置き去りする。

 

 今までの人生のなかで、最も鋭い踏み込みだった。

 

「くぁ……!」

 

 傷口から大量に出血しているサニアだったが、俺の大剣を受け流す。下がりつつ、応戦する。斬撃を返してくる。でも、弱い。弱い。弱い。遅い。遅い。

 

 俺は圧倒する。“剣聖”を。俺が憧れていた彼女を。力に任せて。暴力で。圧していく。俺の脳裏には、今までの思い出がチラつく。サニア。凛とした、きみの姿が。表情が。

 

 きみの全てを、俺が永遠にする。俺だけのものにする。誰にも渡さない。誰にも触れさせない場所に、きみを連れて行く。この大剣で。俺の剣で。俺の命を懸けて。

 

 今まで観客だった俺の意思は、その欲望によって、操られている俺の身体と一体化しようとしていた。それを必死に堪える。俺は、俺の身体を止めようと藻掻く。

 

 だが、間に合わない。

 

「ぐ……ぁあ……ッ!」

 

 俺の大剣が、剣聖に届いた。彼女の剣技を押し破った。サニア。彼女の左腕が飛んだ。次の瞬間には、彼女の右脚を斬り飛ばす。俺の剣が、彼女を斬った。

 

 彼女は立っていられない。倒れるしかない。傷口から血を撒きながら。絶望と悲しみに満ちた顔で。その凛然とした眼差しに、自分を責める涙さえ浮かべて。でも……。

 

 きみは俺を憎むのではなく、哀れむように見上げてくる。俺が、何かに操られていることを見透かし、俺を救えなかったことを謝るように。可哀そうに。可哀そうに、サニア。

 

 もういい。もう大丈夫さ。俺が、きみを楽にしてやるから。

 

 こんなことを考えたくはないと願いながらも、俺の身体が、倒れたサニアに大剣を叩き込もうとする。出来なかった。

 

「はぁぁああああああ……!!」

 

「おおおおおおおおお……!!」

 

 リーナとロイドの二人が、俺に追い付いてきた。突進してくる。まず先行していたのはロイドだった。俺と同等の大剣の一撃。躱せない。受け止めざるを得ない。

 

 倒れたサニアに踏み込もうとしていた俺は、ロイドの打ち込みによって押し退けられる形になった。俺はロイドの大剣を圧し払う。横合いから即座にリーナが攻めてくる。

 

 身軽さを活かしたリーナの、片手剣と魔術付与がなされた短剣による連撃。手数によって俺の動きを縛り、そこに大柄なロイドが大剣を叩き込んでくる。

 

 いい連携だった。だが、今の俺には通じない。

 

 俺の身体から再び、ドス黒い魔力が吹き出す。力が溢れる。打ち込んでくるロイドの大剣に、俺の大剣をぶつける。押す。圧しきる。ロイドの体ごと吹き飛ばす。

 

「うおおお……ッ!?」

 

 吹っ飛んでいくロイドを視線だけで一瞥したリーナは、そこで攻めてくる手を止めた。下がる。下がっていく。倒れているサニアの方へ。俺は追おうとした。そこに魔法攻撃がくる。

 

 こちらを睨んでいるレオンだ。

 

 見れば彼は、瀕死の歌姫を護るべく、土魔法による堅牢なドームを構築していた。その内部で彼は高位魔法薬を連続使用しているのか、歌姫は今も治癒魔法円に包まれている。

 

「手加減しねぇぜ……!」

 

 俺の周囲、地面に浮かび上がる巨大な魔法円。複数。土魔法か。歌劇場内の、均された土の地面。一気に泥濘に。そこに影。土くれで造型された何か。魚。巨大な。巨大過ぎる。サメ。

 

 GAAAAAAAAAAAAHHHHHH……!!!!

 

 地面から飛び出してくる。俺に向かって牙を剝く大口。サメ。その巨体。群がってくる。俺を叩き斬る。破壊する。大剣を振り回す。乱舞させる。

 

 魔力を帯びる俺の斬撃が、迫ってくる怪魚を悉く砕いた。破砕した。割り砕いた。岩と石、土くれ、砂利になって飛散ったサメ共を横目に、俺はサニアを探す。リーナとロイドを探す。

 

 俺から少し離れた位置。リーナとロイドは、倒れたサニアを庇う位置。俺を阻む位置。

 

 二人は魔法薬を既に使用しており、サニアの傷の回復を行っていた。無駄なことを。どれだけ治癒しても、彼女の腕と脚は生えない。彼女はもう戦えない。俺の敵ではない。

 

「私の傷は構いません……! マリヴェルを連れて離脱を……!」

 

 上半身だけを起こしているサニアが、悲鳴に近い声で指示を出している。だが、逃げられない。今の俺の身体は、この場の全員を逃がさないだろう。全員を殺せる。殺す。

 

「えぇ。その通りです」

 

 男の声。柔和だが、安堵と焦りを綯い交ぜにしたような震えがある。すぐ背後から。そうか。転移してきたのか。禁忌魔法の使用者。俺は振り向く。男が立っている。

 

 書類で見たことのある顔と姿。

 たしか、歌姫の専属治癒術士。

 裏切り者モッグス=レーヴェス。

 今の俺を操っている、ネクロマンサー・

 

「今の貴方の戦闘力ならば、アナテの代わりも務まりそうです。優秀な道具ですよ」

 

 男の顔は汗まみれだ。俺は褒められている。俺の身体が、男の声に喜んでいる。俺の意思とは関係なく。俺の身体は、もう俺のものではない。

 

 俺の意思は、ただ身体に残っているだけの付録だ。

 

「しかし、まだ歌姫も剣聖も殺せていないのは残念ですね……。急げ。早く皆殺しにしろ」

 

 ネクロマンサーの男、レーヴェスは両手を広げる。鼻息が荒い。安堵しながら焦っている。明らかに急きながら、両手の掌に魔法円を展開する。

 

 死霊魔術か。分からない。

 だが、俺の身体は男の声には逆らえない。

 俺の身体からは、まだドス黒い魔力が溢れ出ている。

 

 俺は、いつの間にか、俺の身体を――。

 俺の人生を、この男に奪われていたのか。

 そのことに対して、怒りも、憎しみも湧かない。

 俺が、このレーヴェスという男の支配下にあるからか。

 

 あぁ。苦しい。

 

 俺の意志と感情が、俺の身体から遠い。

 

 俺は何の実感もないまま、歌姫を、サニアを殺すのか。

 やめてくれ。助けてくれ。誰か、助けてくれ。

 死体となった身体に閉じ込められている、俺の意思の叫びに。

 

「“あぁ。俺なら、助けてやれるよ”」

 

 また別の声が応じた。レーヴェスのものではない。

 もっと悠長で、暢気で、邪悪な気配を滲ませた声。

 

「“丁度いい感じになってるじゃないか”」

 

 猛然と俺に迫ってくる影。小柄な影が、この声を発していた。俺の身体は臨戦態勢を取った。迎え撃つ。俺に肉薄してくる。ひとり少女。キニス=グレイモア。

 

 サニアと共に、歌姫の特別警護役だった冒険者。纏っている装備はボロボロだ。それに、眼鏡もしていない。あの顔立ち……。どこかで見た気がする。いや、今はどうでもいい。

 

 極端に姿勢を落として駆けてくるキニス。もう俺の目の前だ。両手に手斧を握っている。疾い。疾すぎる。俺は大剣を振る。掠りもしない。潜られた。懐に入り込まれる。

 

 俺は下がる。手斧の初撃を避ける。二撃目は食らう。左の肘。破壊される。俺は片手で大剣を振る。キニスは無表情に俺を見据えながら、俺の大剣を挟み込むように手斧で打ち込んだ。

 

 俺の大剣が折れて砕ける。破壊される。次の瞬間には、手斧での連撃がきた。俺の右肘。右股関節。左太腿。左膝。斧が埋め込まれる。俺の肉と骨が壊される。

 

 強い。俺がそう思いながら倒れるよりも先に、キニスは片手の手斧を投げ放っていた。死霊魔術を展開しつつあった、レーヴェスに向けて。

 

「おおっ……!?」

 

 レーヴェスの肩口に向かって飛んだ手斧。レーヴェスは間一髪で避ける。代わりに詠唱が中断された。そこに割り込んでくる声。

 

「サニアッ!」

 

 もう泣いている声。6番隊副隊長のルフル。かなり消耗している様子で、クラン『鋼血の戦乙女』のメンバーであるセツナに肩を支えられている。

 

「遅かったか……!」

 

 この場の状況を素早く見回したセツナの方は、打ちのめされたように顔を歪めていた。

 

 だが彼女達は、すぐに動いていた。土魔法のドームで防護されている歌姫と、次の攻撃魔法を準備しているレオンを庇う位置に陣取った。

 

 これで、サニアも歌姫も、十分な壁役を前にして治癒魔法薬の効果を享受できる状況になった。だが、歌姫の方は助からない。あの損傷だ。

 

「“また会ったねぇ、レーヴェス。どうしたんだい? そんな必死な顔をして戻ってきて」

 

 そのとき、おおらかな邪悪を振り撒く声が響いた。キニスの口から、明らかに彼女のものとは違う声音。

 

「“忘れ物かい? 俺も探してやろうか? ……と言いたいところだけど、その必要もなさそうだねぇ”」

 

 キニスの口から出続ける。男の声。異様な光景だった。リーナやロイド、レオンの3人も、呆気に取られたようにキニスを凝視している。動揺に飲まれて動けていない。

 

 それでも恐慌に陥ったり恐怖の色を見せないのは、キニスという少女が味方であるということだけは分かるからだろう。

 

 セツナとルフルの2人は、今のキニスの様子に驚いた素振りも見せない。何が起きているのか既に知っているふうだった。

 

 目に涙を溜めているサニアも、キニスの口から発せられる声には反応していない。だが、押し黙ったままでこの場を見守っている。それしかできないというふうに。

 

「“くくく……。まぁ、気持ちは分かるよ。大事な仕事が失敗に終わっちまったと思ったら、一転してイイ感じに成功しそうな可能性が出てきた。これはテンションも上がるよね~”」

 

 身体の要所を幾つも破壊された俺は、うつ伏せに倒れたままキニスを見上げていた。周囲の状況を素早く見回し、歌姫とサニアの状態を確認した彼女は、俺を無表情に見下ろしてくる。

 

 決して少女では発せない様な声を発しながら、その瞳には複雑で真剣な感情が渦巻いているのが見て取れた。怒り、悲しみ、憎しみ、その全部を抱きながら、どれも選べていない目つきだ。

 

 このキニスという少女も、もしかしたら俺と同じなのか。何者かに、内部を占拠されているのか。身体を、あの邪悪な声の主に操られているのか。

 

 いずれにせよ、ただ己の身体に振り回されることしかできず、何の感情も実感できず、もはや肉声すら出せない今の俺に比べて、この少女の眼差しは遥かに人間らしい。

 

 今の俺は死体のようだ。いや――。俺は多分、本当に死んでいる。死んでいるから、こんなことになってる。操られて、大切なひとを、守るべき人に大剣を向けてしまった。

 

 俺を操っていたレーヴェスは、キニスを睨みながら、噛みつくような顔になっている。屈辱に耐えながら何とか体裁を保つために笑みを浮かべようとして、失敗したように。

 

「最初から、こうなることを予見していたのですか……?」

 

 ぐらぐらと震えたレーヴェスの声。嗜虐的な余裕も柔和さもなく、ただ乾いている。

 

「“いや、違うよ。でも、ここに倒れてるジュードってヤツが、半死半生の奇妙なゾンビだってことに気付いてね。お前にとって、起死回生の一手になるだろうってことは推察できたよ”」

 

 俺を見下ろす無表情のキニス。その口から発せられる、ゆったりとした男の声だけが場違いだった。

 

 半死半生のゾンビ。その言葉が頭の中に沁みこんでくる。理解はできない。だが、麻痺したような俺の意識が、奇妙なほどに納得していた。すんなりと受け入れた。

 

 俺は、ゾンビだったのかと。俺は……。俺は……。

 

 遠くからは、ネクロゴーレムの吼え声が届いてくる。この世の全てを呪うような、折り重なった苦悶の叫び。

 

「でも、残念でしたね」

 

 耳を塞ぎたくなる怨嗟の束が木霊してくるなかで、レーヴェスは笑顔のままで奥歯を噛み締めている。凄まじい形相だった。

 

「あなた方では、私は捕まえられない」

 

 吐き捨てるようなレーヴェスが、積層型の魔法円に包まれていく。俺は魔法の知識に詳しくはないが、それでも分かる。あれは高位な転移魔法だ。

 

 詠唱の素振りが全く無かったところ見るに、この場に居ない何者かが、レーヴェスを回収しようとしているのだろう。最初から脱出路を確保していたということだ。

 

 憎悪と敵意ではち切れそうな、どぎつい笑顔に無数の皺を作ったレーヴェスが、吐き捨てるように言ってくる。

 

「いつか必ず、狩りを返しますよ」

 

「“いや、別にいいよ。俺に気遣いは無用だ。さっきも言ったろう”」

 

 のんびりと男の声が言う。レーヴェスを逃がすことには何も感じていない風でもある。キニスも動かない。倒れたままの俺を警戒しつつ、レーヴェスが消えていくのを見据えていた。

 

 恐らく彼女にとっては、この場でレーヴェスと本格的に戦闘するよりも、負傷したサニアと歌姫マリヴェルの――俺が大剣によって傷つけた彼女達の――治癒の方が、圧倒的に優先されるのだろう。

 

 だからキニスには、レーヴェスを追う素振りが無い。

 

「“……でも、一応は忠告しといてやろう。大人しく捕まったらどうだい? あとで後悔すると思うけどねぇ”」

 

 最後の一言だけ、というふうに男の声が言い添えた。魔法円に包まれて、その姿のほぼ透明にしていたレーヴェスが投げつけるように言い残していった。

 

「余計なお世話ですね。貴方のような犬になる気はない」

 

 直後には、レーヴェスの姿が消えた。忽然と。逃げられた。逃した。途端に、俺の身体から力が抜ける。

 

 今まで俺の身体を支えていた何かが、一気に引き抜かれたように。身体の半分が、死に直したように。

 

 気を失いそうになる。失いそうになるだけで、意識は残っている。寧ろ、今になって意識が身体に追い付いてきた。視界が涙で揺れた。呼吸が恥ずかしいぐらいに震える。

 

 俺を操っていたレーヴェスが去った影響か。

 俺の意識が、現実的な感情と良識を取り戻していく。

 

 あぁ。あああああ。あああああああ。

 俺は。俺は。俺は。何を。何てこと。俺は……。

 

 奈落に落下していく気分だった。あまりにも取り返しのつかないことをしてしまった。その実感が、死体であるらしい俺の身体を、俺の心を圧し潰してくる。

 

「すまない。助けてくれ」

 

 気付けば俺は、目の前に立つ少女に――キニスに頼んでいた。

 俺の右目だけから、今までにないほどに涙が溢れる。

 

「どうか、サニアを……。歌姫を……」

 

 俺のことなど、どうでもいい。そんなことより。

 彼女達を、どうか……。どうか……。

 

「“あぁ。心配しなくてもいい”」

 

 俺に応えたのは、キニスではなく男の声だった。

 

「“この歌劇場は、もう俺の領域だ。安心するといい。俺の魔力が届く範囲では、誰も死なない。いや、ちょっと違うな。絶対に死ねない。そういうルールを敷いた”」

 

 身体の要所を破壊されて這い蹲るしかできない俺には、天上から響く救いの声に聞こえた。

 

「“かなり古い死霊魔術で、『デスベッド・インヴァース』っていう術式なんだがねぇ。治癒と時間凍結、反魂の属性を併せ持つ死霊魔術さ。使うと滅茶苦茶に疲れるし、消耗魔力も回復しにくいんで滅多に使わないんだが、まぁ、今回は特別サービスだ”」

 

 半笑いの声には、既にこの戦況の片付けに入っているような気楽さがあった。

 

「“つまり、心臓をちょっぴり破壊されちまってる歌姫さんだが、あれじゃあ死なない。死ねない。何故かって? 死んでいく肉体の時間を止めて、魂を留めてるからさ”」

 

 俺の心は、もうこの声に縋りきっている。助けてくれという懇願の目で見上げるしかない俺の傍に、キニスがしゃがみ込んだ。

 

「“同じことがアンタにも言える。魂は留まってるが、半分死体だ。完全には死んでない。だからこそ治せる。他のレイダー共も一緒さ。まぁ、待ってるといい”」

 

 男の声を発しながら彼女は、手にしていた手斧をアイテムボックスに収納した。代わりに取り出したのは、白と黒の金属棒を複雑に組み合わせたような杖だった。

 

 治癒魔法用の杖なのだろう。その先端に澄んだ魔力光を灯した彼女が、うつ伏せに倒れたままの俺に向けて掌を向ける

 

「……ひとまずは、痛みを消して止血を行いました。傷の治癒、それから死霊魔術による支配の解呪は、少しだけ待っていて下さい」

 

 キニスが発した声は、さっきまでの男の声とは違っていた。見た目通りの少女の声でもない。少し低い。少年のものと言った方が納得できる声音だった。

 

 俺を見詰める彼女の表情には、深い慈悲と自省があった。歌姫とサニアを傷つけた俺に向けるべき負の感情を慎みつつ、真剣に俺の身を案じていることを感じた。

 

「すまない……。本当に、すまない……」

 

 今の俺は、彼女と目を合わせられない。耐えきれないほどの罪悪感に喘ぐように、そして這い蹲るように、頭を何度も下げるしか俺にはできなかった。

 

「今の貴方の苦しみに、僕では寄り添えません。でも」

 

 はっきりとした声で言ったキニスが、うつ伏せに倒れる俺の左手を握ってくれた。大きくはないが、しなやかな筋肉がついた手だった。

 

「僕は、貴方が無事で良かったと思います」

 

 そう俺に伝えてくれたキニスは、歌姫とサニアの治癒のために駆けていく。

 

『OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO――!!』

 

 無数の人間の悲鳴と苦鳴、呻き、嘆きを縫い込んだようなネクロスライムの咆哮が響き、倒れている俺の身体を打ってくる。

 

 周囲の空気さえ濁り腐るような大音声のなかを、キニスは真っ直ぐに突っ切っていく。小柄ながらも揺るがない彼女の背中を、片目だけの涙で歪んだ視界で俺は見詰める。

 

 身が焼かれるような自責の念に閉じこめられている今の俺が、せめて孤独ではないことを彼女は教えてくれた。

 

 今もまだ半分死んでいる俺の身体の内側で、彼女の声と言葉はどこまでも実在的に残響している。

 

 

 

 

 

 






今回も最後まで読んで下さり、ありがとうございました!


今までに投稿した内容に大きく加筆修正を加えさせていただいております。修正作業が長引き、先日は挿入投稿で記事が上がってしまい、読者の皆様には大変ご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありませんでした。

不定期更新ばかりではありますが、また読者の皆様にも読んでいただけるよう精進して参ります。いつも温かい応援をいただき、本当に感謝しております!


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