「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」   作:なごりyuki

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歩み直し、創り直す一歩

 私は何なのか。

 私は今まで、いったい何を見ていたのか。

 

 それはこの数日、私の胸中に木霊し続ける設問だった。

 

 私は左腕と右脚を失ったものの、命に別状は無かった。ただ、傷口の損傷の激しさと魔力汚染による影響で出血を繰り返していた。そのため、今も『慈悲の院』での治療が続けられている。

 

 片脚、肩腕を失くすという負傷の大きさもあり、クラン『正義の刃』に私が復帰する目途も立たない中で、今日はマクネム総隊長が訪れてくれていた。見舞いであり、現状の通達だ。

 

 普段なら護衛をつけたがらない彼女だが、今日はルフルを含む数名のメンバーを連れてきているらしい。ただ、『慈悲の院』を含む神殿内に物々しい気配を持ち込むことも躊躇われるということで、ルフル達は神殿の入り口で待機させているとのことだった。

 

「そうですか。ジュードは、廃棄冒険者に……」

 

 ベッドの上で上半身を起こした私は、腕を組んで立つマクネム総隊長を見上げる。

 

「あぁ。ネクロマンサーからの精神操作を受けていたとはいえ、歌姫に瀕死の重傷を負わせてしまったのは彼だ。ギルドとしても流石に、無罪というワケにはいかないようだ」

 

 廃棄冒険者。それは、冒険者としての資格を完全に奪われたことを意味する。そうなればもう、ジュードは『正義の刃』には所属していられない。強制的な除名処分となる。

 

「ジュードは、アードベルで冒険者活動を続けるつもりなのでしょうか? 私は彼に会って、話をしなくてはなりません。いえ、謝らなければ……」

 

「あぁ。そのことなんだが」マクネム総隊長が、言い難そうに視線を揺らした。

 

「ジュードは身一つで、帝国辺境に向かったよ。魔物討伐労働に従事することに決まってね。既に帝国内のギルドからの了承も得て、配属される部隊も決まっている」

 

 私は軽く息を飲んでしまう。

 

 帝国領土は王国よりも広大だが、その分だけ抱えている問題も多い。その最もたるものが、領土内に散在するダンジョンの管理不足だった。

 

 広がり過ぎた領土内での民族間の対立はもとより、人々の生活に関わる治安維持や食糧についても行き届いているとは言えない状況では、そもそもダンジョンを管理しきるだけの余力が帝国にも無いのだ。

 

 ダンジョンから湧き出た魔物は野生化し、数を増やして人々に被害を齎す。

 

 無論、帝都を始めとした発展した街、兵士や冒険者による防衛、防壁が構築されている町村では安心して生活が送れるのだろうが、そうではない集落や寒村は少なくないはずだった。

 

 帝国の正規軍も、定期掃討として魔物を狩っている。だが、それでも追い付かない。この兵力の不足を補うために、犯罪者や廃棄冒険者を集めて強制労働的に魔物を狩らせているのだ。

 

『枷と剣』。たしか、そんな名前の部隊だったはずだ。

 

 帝国軍属の戦闘集団ではあるが、その実体は戦闘奴隷である。そこに配属されるため、ジュードは向かったのだという。自ら志願したのだろうか。

 

 私は、気付けば何度も唾を飲み込んでいた。

 

「そう、ですか……。では、何か連絡を取り合う方法?」

 

「悪いが、私では思いつかない」

 

 マクネム総隊長は降参するように首を振った。

 

「ジュードが組み入れられるのは、帝国軍内で厳格に管理された集団だ。特に、訳ありの人間が集められた部隊でもある。そこに外部からの連絡が通されるなんてことは、余程のことがない限りは無いだろう」

 

 私は黙るしかなかった。ただ、ジュードに会って話がしたかった。そう願ってから、自分自身の勝手な熱意に奥歯を噛んだ。

 

 今のジュードが、私に会いたいなどと思うだろうか。彼と幾つも言葉を交わしていながら、彼が死霊魔術に操られていることに気付きもしなかった私になど……。

 

「今日はジュードのことに続いて、きみに伝えねばならないことがある」

 

 マクネム総隊長が表情を僅かに引き締めた。その様子から、どのような要件なのかは察しがついた。

 

「……私の退団か、何らかの裁判に関することでしょうか」

 

 私が先に口を開く。この話には、私から触れるべきだろう。マクネム総隊長は一瞬だけ目を伏せてから、緩く息を吐いて頷いた。

 

「いや、裁判にはならなったが……。誰かから、この件の話を訊いたのかい?」

 

 優しい苦笑を浮かべた総隊長を見詰めて、私は首を振った。

 

「いえ、ですが、こうして総隊長が態々足を運んできくれているのです。私の所属に関する要件であることは予想できます。いえ……、そうでなければ不自然でしょう」

 

 私は間髪を入れずに言葉を継いだ。

 

「歌姫マリヴェルを護れず、瀕死の重傷を負わせてしまった責任の所在は、間違いなく私にあります」

 

 そう言い切った私を見据えた総隊長が、苦笑のままで眉間を絞った。口許の笑みは辛うじて残っているが、モノクルの奥にある眼差しは険しい。私は頷く。

 

「あのとき、アッ……いえ、キニス=グレイモアは、舞台上で歌姫を襲撃した少女を制圧し、主犯であろうネクロマンサーを追い詰め、捕縛することは叶いませんでしたが、退けました。彼女は自らの任務を果たしています。それに比べ、私は……」

 

 私は残った腕で拳を握る。総隊長が何かを言おうとする気配があったが、それを遮るようにして、私は言葉を継ぎ足していく。

 

「私は、ただ……見ていたのです。地面に倒れ込んだまま。歌姫マリヴェルの身体が、無残にも損なわれるところを」

 

 声が震えていることは自覚していた。だが、止まらなかった。内側からせり上がってくるものがあった。それを噛み殺す思いで、声に力を籠める。

 

 この数日、耐え難い無力感に苛まれてきた。虚無感と喪失感に閉じ込められていた。斬り飛ばされた左腕と右脚の痛みは鈍く、それが余計に惨めだった。私は、いったい何なのだと。

 

「私は護れませんでした。歌姫も……。そして、ジュードのことも……」

 

 言い終えた私を包んだ沈黙に、とてつもない喧しさと棘を感じた。痛みを覚えて俯く。

 

「きみだけの責任ではない。冷静になりたまえよ」

 

 総隊長の声は、今まで聞いた中で最も厳しい色を帯びていた。それに、優しさも。

 

「今回の件では、貴族達からの追求の声も大きい。巨大なネクロスライムの御蔭で、歌劇場の損壊具合も深刻だ。普及作業が今も続いているし、市街地の建物の修繕も必要だ。だが、観客にも市街地住人にも人的被害が出ていないのも事実だ」

 

 大事なものを此方の手に握らせてくるような総隊長の口調には、重みと説得力があった。

 

「最も重要で偉大なこの戦果は、事件の収束のために動いた全員で分かち合うものであり、賞賛されるべき勝利だ。この認識は、どのような責任追及の土台にも敷かれていなければならない」

 

 もともと弁護士を目指していたというマクネム総隊長は、自身の信条をクラン運営にも浸透させている。その正義の価値基準は、やはり利益よりも人命を最上位に置いていた。

 

 そういった正義ぶったクランの運営方針は、ありきたりで凡庸だった。目新しさもなく、似たようなクランも多い。

 

 だが、他者優位が透徹された信念が結束を帯びて、魔物被害から人々を救い続けてきた『正義の刃』は、いつしかアードベルでも有数の大所帯クランに成長していた。

 

 それでも内部分裂や派閥争いのようなものが起きないのは、マクネム総隊長の類稀なカリスマ性によってではなく、その人間的な深みに忠誠を誓うクランメンバーが集うからである。

 

「しかし、歌姫マリヴェルが傷ついたことに関しては、間違いなく私に責任があります」

 

 反論するように、私は言葉を差し込む。

 

「ジュードの異変に気付けなかったのは、私の落ち度でもある。この責めは、きみが一人で背負うものではないよ。そのことは、私もギルドに申し入れている」

 

 こんなときこそ、総隊長の言葉は個人的になる。仲間としての想いを帯びている。だから響く。その優しさが、今の私には苦しかった。

 

「……私が裁判に呼び出されるような事態にならなかったのは、やはり総隊長の御蔭なのですね」

 

「その程度のことしかできなかったんだよ。部下であるきみを護れなかったことに変わりはない」

 

 総隊長は伏し目がちに首を振る。無念を飲み込むような間があって、また息を吐いた。眉間を絞った総隊長は、開けてあった窓の外に眼を向ける。

 

「貴族の面々からの追及が強くてね。歌姫の護衛は女性冒険者で固めろと、喧しく注文を付けていた連中は特に。歌姫が傷ついたことに、怒り狂っている様子だった」

 

 ふわりとした緩やかな風が吹いてくる。部屋に満ちた陰鬱な空気を撫でるように。

 

「だが、歌姫は順調に回復して、すでに意識を取り戻している。今の事態を知った彼女は、負傷したきみに向けた感謝と、それに、この事件に関わった全て人達に向けた謝罪の声明も出してくれた。個人的な感情で動くファンの貴族達を、彼女は止めてくれたんだ」

 

 総隊長の言葉を聞きながら、医療魔導具研究所に運び込まれたマリヴェルのことを想う。

 

 日常を共にしてきただろうケイスに裏切られ、そのケイスを亡くし、また自分自身も深い傷を負った彼女は、それでも私を助けてくれたのだと分かった。私は助けられてばかりだ。

 

「……最終的な落としどころとして、私が退団という形になったのですね」

 

「あぁ。騒ぎ立てる貴族達は黙ってくれたが、それでも、何らかの責を負わねば納得できない者も多かったようだ。最終的にはギルドが間に立って、この決定に落ち着いたんだよ」

 

 そこまで言った総隊長は、無力感に苛まれた苦々しい声を洩らした。「きみを護れない私にも、責任がある」必死に握っていたものを思わず取り落としたような、そんな呟きだった。

 

 恐らく、いや間違いなく、総隊長は自分も退団するとギルドに申し入れたのだろう。だが、『正義の刃』を実効的に運営している彼女が退団することには、ギルドもアードベル行政部も許さなかったはずだ。

 

 だからこそ、今の私に面と向かって事実を告げてくれていることが、総隊長が負った責任を果たすということに違いなかった。組織の長としての仕事が山積みのなかで、私に会いに来てくれたのだ。

 

 虚無感に苛まれていた心の内に、感謝が溢れる。ありがたいと思った。私はベッドの上に起こしていた上半身を、深く曲げて頭を下げる。

 

「最後まで、御迷惑をお掛けしました」

 

「……私のほうこそ、力の足りない総長ですまない。赦してくれ」

 

 総隊長が私に頭を下げてくれる。私は首を振るより他ない。

 

「赦すも何も。こうして守っていただけたこと、決して忘れません」

 

「いや、できるだけ早く忘れてくれて構わないよ。恩を着せるつもりは、私には毛頭ないからね。……それと、これを」

 

 総隊長は、ようやく普段らしい軽口を取り戻しながら、アイテムボックスから小型のケースを取り出し、ベッドの横に備え付けられたテーブルに置いた。

 

「ヴァーミルから預かったものだ。『鋼血の戦乙女』がクランとして、きみに渡したいもののようだね」

 

「私に、ヴァーミルから……?」

 

「あぁ。中身は分厚い書類だ。機械術士が製造した義体を、キミに提供したいという旨の内容だと言っていた」

 

 呆然としてしまった私を見て、総隊長が可笑しそうに小さく笑みを浮かべた。

 

「ワイバーンがファイアボールを食らったような顔になっているぞ。差し出された厚意に、戸惑っているという様子だね。……おっと、しまった」

 

 私が何かを言い返すよりも先に、部屋の扉がノックされた。そこで総隊長が私の方を見て、拝むようなポーズを作った。本気のケアレスミスを詫びる顔つきだった。

 

「すまない。彼を……いや、彼女を此処に呼んでいたことを、すっかり忘れていたよ」

 

 私は混乱しつつ、ノックされたドアと総隊長を見比べた。

 

 今回の事件のこともあり、外部の人間では私に面会できないよう神殿側に頼んである。『慈悲の院』で私が治療を受けている部屋は、基本的には関係者以外は立ち入りが禁止されているはずだった。

 

 この扉をノックしているということは、総隊長が呼び立てた人物だということだろう。だが、何となく、予感できるものがあった。胸が軋むように高鳴り、そして痛んだ。

 

 彼に会いたい。今は、彼に会いたくない。そんな相反する想いが一瞬だけけぶって、すぐに消えた。総隊長に促されてドアが開かれて、彼と目が合った。

 

 いや、今は“彼女”と表現するべきだろう。

 

 そうか。確かに“彼女”ならば、マクネム総隊長に声を掛けられていても不思議ではない。外面的にも不自然なところはないだろう。私とともに、歌姫の特別警護に当たったのだから。

 

 負傷している私の姿を見た彼女は、痛みを堪えるように表情を強張らせた。だが、すぐに微笑みを浮かべて頷いてくれる。自分の表情に、私に対する余計な同情や憐憫を持たせたくなかったのだ。

 

「初めてお会いします。僕は……」

 

 彼女は総隊長に向き直って頭を下げようとしたが、それを総隊長が制した。

 

「あぁ。理解しているよ。キニス=グレイモア。忙しいところ、今日は呼び立ててしまってすまなかったね」

 

 総隊長の方から握手を求めながら、短く自己紹介を済ませる。クラン『正義の刃』の総隊長、マクネム=ジェルーテ。その名を前に、彼女も多少は緊張しているようだった。

 

「いやぁ、しかし……」

 

 キニスとの握手を終えた総隊長が顎に手をあて、展示されている芸術品を矯めつ眇めつするようにして、キニスの姿を左右から眺めた。

 

「実物を目の前にすると、ある意味で圧倒されるとうか、見事というか、まるで騙し絵でも見せられているようだ」

 

 可憐な彼女が、実は女装した男性であることは総隊長も当然だが知っている。だが、実際に彼女の姿を目の当たりにしてみると、衝撃を受けるのも理解できた。

 

 私も最初に見た時は、ワケがわからなくなりそうだったのを覚えている。

 

「あの……、この恰好でお会いするようにと伝えて貰っていたのですが、不味かったでしょうか?」

 

 あまりにじろじろと見られるので、キニスも不安になってきたのか。髪や顔を手で触りながら、居心地が悪そうに尋ねていた。私も「総隊長」と諫めるように声をかけてしまう。

 

「あ、あぁ、いや、そんなことはない。寧ろ、その恰好でなければ、表に控えさせている私達のクランメンバーが、この部屋まで通さなかったはずだ」

 

 はっとした総隊長は軽く笑ってから咳払いをして、穏やかながらも表情を引き締めた。

 

「……実のところ、きみには職務としての話や、重要な案件、裁判沙汰になりそうな懸念事項を共有するとか、そういった件で呼び立てわけではないんだ。ただ、どうしても直接会っておきたくてね。その機会を作るには、今しかなさそうだったんだよ」

 

 キニスの目を見据えた総隊長は、改めて姿勢を正した。

 

「職業的な遣り取りは、ギルドを通せばいくらでもできる。だが個人的な感謝を心から伝えるタイミングは、今しかない」

 

 キニス=グレイモア。その嘘を纏った虚像でなければ、総隊長がこの場に彼女を――彼を呼び立てることはできなかっただろう。

 

 アッシュ=アファブルは、今回の事件には無関係な冒険者だからだ。歌姫を完全には護りきれなかったという責任も、書類上はキニスという虚像に帰属する。

 

「きみがキニスである、今だからこそだ」

 

 静かに、深く、厳かささえ感じさせるほどに深く頭を下げた。キニスの方は見るからに面食らっていて、何度も瞬きをしながら身体を引いている。

 

「サニアを救ってくれたこと、そしてジュードを止めたことも、本当に感謝している」

 

 はっきりとそう伝えた総隊長は顔を上げてから、掌に便箋を取り出した。アイテムボックスから取り出されたのだろう便箋には、封蝋も何もない。個人的な文章か。

 

「これを、今のきみに受け取って貰いたい。この場でしか渡せないものだ」

 

 私はそこで、不意に胸が痛んだ。

 

「ギルド経由での文章の遣り取りでは、中身を検められる可能性もある。まぁ、誤魔化す方法も無いではないが、差し出し人の強い要望でね。直接、きみに渡して欲しいと頼まれたんだ」

 

 誰が、誰に向けたものか。なんとなく想像がついたからだ。

 そして、やはり私の想像通りだった。

 

「我がクランの、元3番隊隊長のジュード=フォルエンから、きみに。返事は不要だ。そもそも届ける術がない」

 

 その名を聞いたキニスは目を僅かに見開き、総隊長の手から便箋を受け取った。大事そうに、両手で。総隊長が微笑みを深めつつ、懐中時計を取り出した。今の時間を認めて、疲れたような息を吐いた。

 

「本当なら、きみと話したいことは山ほどあるんだが……。実はこれから、ギルドの方にも顔を出すこといなっているんだ。こんな短い遣り取りのために、きみの時間を使わせて申し訳なかったよ」

 

「いえ、僕の方こそ、マクネム総隊長にお声掛けいただけて、大事なものを受け取らせて貰いました。ありがとうございます」

 

 今度はキニスが深く頭を下げようとするのを、やはり総隊長は右手で制しつつ、その右手をアッシュの左肩に置いた。総隊長はアッシュの隣を通り過ぎる。

 

「礼など言わないでくれ。今日は私の我儘に付き合わせたようなものだ。この埋め合わせは必ずするよ。それから」

 

 すまなさそうな苦笑で言いながら、そっと屈んだ総隊長がキニスに顔を近づけた。口づけでもするかのように。抑えた声で耳打ちをするために。それでも、私には聞こえていた。

 

「出来れば、サニアのことを気に懸けてやってくれ」

 

 間近くにある総隊長の瞳を見詰め返したキニスが、神妙な顔で頷いた。引き結ばれた彼女の唇の無言から、確かな誠実さを受け取ったのか。

 

「……頼むよ」

 

 安堵したような小声で頷き返した総隊長は、すぐに私に振り返った。いつも庶務室で見せていた、あの飄々とした笑みを浮かべている。総隊長が仕事をするときの顔だった。

 

「また来るよ、サニア。それまでにケースの中身を確認しておいてくれると助かる」

 

「了解しました。今日は、御足労を――」

 

「堅苦しい挨拶はいい。引き続き、身体を休めてくれたまえ。ではキニス、また会おう。……今日はありがとう」

 

 総隊長はキニスに頭を下げてから、部屋をあとにした。

 

 残される形となったキニスと私は、黙ったままで目を見交わした。だが、私はすぐに目を逸らしてしまう。会いたかった。会いたくなかった。

 

「顔色は、だいぶ良くなりましたね」

 

 私にも小さく頭を下げた彼女が――、いや、もう私と二人だけなのだ。アッシュと呼んでも構わないはずだ。彼が私のベッドの傍に歩み寄った。

 

「……傷の治癒が少し遅れているのは、やはり心配ですけど」

 

「問題はありません。回復自体は順調です」

 

 私はアッシュの方を見ないまま頷いた。引き攣った微笑みを何とか口許にだけ浮かべて、目線だけを動かしていた。無意識に、アッシュが手にしている便箋に視線が吸い寄せられる。

 

 あの便箋。ジュードの手紙。その内容を知りたい。そう願ってしまう。今になってジュードのことを、彼の事をもっと知りたい、知っておくべきだったと後悔している自分が、愚かで滑稽に思えた。

 

「アッシュ……。その」

 

 手紙を見せてくれませんか。そう喉元まで出掛かった言葉を、唇を噛んで飲み込む。アッシュに向けられた――キニスに向けられたジュードの言葉を、私が盗み見るなど。

 

 ジュード。私にも、何か言葉を下さい。今の私に。なぜ、私には何も残してくれなかったのですか。その心情を察する資格さえ、私にはないのでしょうか。ジュード。

 

「あの、こちらは……?」

 

 俯いて黙りこんでいる私を気遣ってか、アッシュは私の傷を巡る話題から離れた。手の中にある便箋を大事そうにローブに仕舞いながら、ベッド傍にあるテーブルに置かれたケースを見ている。

 

「あぁ。ヴァーミルが総隊長に預けていたもののようです。私の義腕、義足を用意してくれるという旨の書類らしいのですが、まだ内容には目を通していません」

 

「えぇ、ものすごく大事なものじゃないですか!? こ、こんな無造作に置いてあると、危なくないですか? いや、書類そのものが盗まれたところで問題はないかもしれませんけど……!」

 

 私よりも遥かに動揺し、そして『鋼血の戦乙女』達からの厚意の有難さ、それに対する感謝のようなものを声に滲ませたアッシュは、おろおろと視線を泳がせつつも微笑んでくれた。

 

「ヴァーミルさん達が用意してくれるものなら、安心ですね」

 

 まるで自分のことのように安堵した口振りだった。

 

「えぇ。望むべくもない、本当に有難い申し出です。ですが、私は……」

 

 この少年の深い優しさは眩しく、温かく、今の私は追い詰められるような圧迫感を覚えてしまう。同時に、彼にしか明かすことのできない想いが口から零れ落ちてしまった。

 

「私は、ヴァーミル達からの申し出を断ろうと思います」

 

 私はケースを横目に見ながら微笑み、奥歯を噛み締める。「えっ……」分かりやすく、アッシュが言葉を詰まらせていた。

 

「ど、どうしてですか?」

 

 やはり私は彼の方を見れないままで、首を振った。微笑みを必死に維持する。

 

「今の私が受け取るには、過ぎた厚意です」

 

「そ、そんなことはないはずです。サニアさんは」

 

「えぇ。私は、マリヴェルを護れませんでした」罅割れて掠れた自分の声が、別人のものように聞こえた。「それに、仲間であったジュードのことも……」

 

 アッシュが黙り、私もその沈黙に付き合った。窓からは緩やか風が舞いこんでくる。重く沈んだ空気のなかに、涼やかな揺らぎを残していく。

 

「こういった厚意を受け取る資格が、自分には無いと……。そう、サニアさんは考えているのですか?」

 

 寂しげに眉を下げたアッシュが訊いてくる。そこで私はようやく、彼の目を見詰め返すことができた。微笑みが強張ってしまって、どうしようもなかった。頷く。

 

「私だけの責任ではないと、総隊長からも厳しく言われました。……しかし、その理屈に納得することと、受け入れることは別です」

 

 真っ直ぐに私を見ているアッシュが、もの悲しそうに目を細めている。相槌も無く、ただ懸命に私の言葉に耳を傾けてくれている。彼に甘えるべきではない。だが、もう止まらなかった。

 

「エルンの町で、貴方に打ち明けた通りです。私は自分の命をどう使うかという問題に没頭するあまり、仲間の……ジュードの異変を見落としました。仲間としても、隊長として失格です」

 

 残った右手で、着ている被術衣の裾をベッドの中で握り締める。

 

「結局私は、誰かのためにと剣を振るいながら、自分のことしか考えていなかったのでしょう。……何も、見えていなかったのです」

 

 ジュードの部隊に属していたメンバーを責めるつもりは、一切ない。

 

 寧ろジュードは、部下達に見せる態度については、私に見せるときよりも一層気を遣っていたに違いない。どこまでも普段通りに振舞っていたはずだ。

 

 その苦労を察するべきは、やはり同じ隊長格の人間であるべきであり、より長い時間の訓練と演習を共にした私の役割だった。それを果たせなかった。

 

「私は愚かにも、今になって必死になっているのです。ジュードのことを理解しようと。知りたいと」

 

 声が震えて仕方がなかった。

 

「ジュードは、私には何も言葉を残してはくれませんでした。……正直に言っていいでしょうか、アッシュ……。私は、そのことに本気で動揺しています」

 

 言葉にすることによって、私のなかにあるものが照らされるような感覚だった。

 

「私は、また自分だけが助かったように思うのです。あのとき、両親を見捨ててしまったときのように……」

 

 私は、私の内面は、両親に背を向けたときから変わっていないのではないか。あの光景の罪悪感から逃れる為に剣を振るい、強さを求めた。誰かの為の剣になりたかった。

 

 その志が、自分が生き延びたことの言い訳のような欺瞞に満ちたものでも、それは尊いのだとアッシュには教えて貰った。救われていた。私は自分が生きることを肯定できた。

 

 だが、傍に居たはずのジュードの人生に大きな傷がつくことを、防ぐことができなかった。私の自己没頭が、私の視野を奪っていたのだと思う。

 

「もしも私が、このように弱くなければ……。私が、私でさえなければ、もっと違う結果になっていたはずなのです」

 

 私は、自分の心の内にある最も深い所から、何か汚いものを引き摺り出して、曝け出すような気分だった。もう言葉が出てこない。私は吐き出せる言葉を汲み尽くしてしまった。

 

 私の傍でアッシュは、ただ静かに頷いている。また沈黙があった。私は、失望されただろうか。だが、後悔はなかった。開き直りと自暴自棄にも似た精神作用のせいか、心には空虚な鈍さが広がるだけだった。

 

 アッシュは何かを決心するように何度かゆっくりと瞬きをして、それから微笑んだ。自嘲的で、だが親密さを帯びている。

 

「同じようなことを、僕も考えたことがあります」

 

 それが口先だけの、通り一辺倒な慰めの言葉ではないことは、異様なほどに落ち着いている彼の目を見れば誰でも分かるだろう。私は息を飲んだ。

 

「今回の件で、僕の生い立ちが少々複雑であることは、サニアさんにも気づかれていることだと思います。サニアさんの前でも、僕が死霊魔術を使ったり、口から別人の声を発したりしていましたし」

 

 新鮮な悪夢を思い返して、苦々しく肩をすくめるようにアッシュは言う。だが、伏せられた彼の眼差しには、ひどく醒めた光が宿っている。自分自身を冷静に受け止めている者の目だった。

 

「え、えぇ。そのことについては、いずれ時間を置いて尋ねたいとは思っていましたが……」

 

 アッシュが死霊魔術を操っていたり、他者の意思を内部に携えているような様子を見せていたことは確かに気になっていた。

 

 だが、軽々しく話題にするつもりはなかった。エルンの町では省かれてしまい、聞く事ができなかった彼の過去。その深みに関わる現象だという確信もあったからだ。

 

 しかしアッシュ自身が、私に向けて打ち明けようとしてくれている。私の苦しみと同じ深さと場所にまで潜ってくるように。或いは、彼自身が生きてきた時間を、無防備に明け渡すように。

 

「実は僕も、あのアナテという少女と同じなんです。ネクロマンサーによって造られた……死体人形なんです」

 

 潜められたアッシュの声は部屋の沈黙によって、却って冴えた響きを残した。私は呆然とアッシュを見詰めてしまう。

 

 彼が自ら語ってくれた内容と、以前に彼の口から聞いた“教団”という言葉が、恐ろしいほどの納得感を持って私のなかで繋がっていく。

 

「僕は自分のことを、どうしようもなく穢れた存在だと思っていました」

 

 彼は微笑みを崩さず、動揺から立ち直り切れていない私から目を逸らさず、何度か小さく頷いた。

 

「僕が、僕でさえなければ……。罪悪感と後ろめたさに苛まれることなく、周りの人達からの優しさをもっと穏やかに、大切に受け取れるのにと、呪うように思ったこともあります」

 

 自分自身の存在を疑う苦しみは、私も理解している。常に携えてきた。あぁ。彼はどのような気持ちで、そんな言葉を口にしているのだろう。

 

「ですが今では、僕は僕なのだと、自分のことを受け容れられるようになりました。僕はこれからも、僕自身になっていくのだと教えて貰ったんです」

 

 落ち着いた彼の話す速さは、ゆっくりとしたものだった。大事なものを紡ぎ出すような真剣さは、私に向けられた言葉であると同時に、彼自身が本気で信じている言葉である証に違いない。

 

「自分自身との関係に苦悩するサニアさんも、これからも続くサニアさんの一部なのだと思います。サニアさんの真剣な自己没頭を後悔して、過ちだと断じても、それはサニアさんを網羅しないはずです。善悪ではなく、ただ、一つの選択の結果です」

 

 今の彼が語っているのが、私に向けられた単なる慰めではなく、彼自身の血肉と熱を帯びた想いだと分かる。私は残った右拳に力を入れ直す。じっと彼を見据える。

 

「サニアさんが自己を見つめ続けることで、自分自身と過去との関係を前向き捉え直そうとしていたことを、僕はエルンの町で教えて貰って知っています」

 

 ふっと、彼が微笑みを深めた。

 

「その営みを否定する必要は、決してないと思います。サニアさんが自分と向き合った時間こそが、魔物被害から人々を救ってきたサニアさんに繋がっているはずですから」

 

 エルンの町のときと同じように、彼の言葉は私の過去を肯定してくれる。それを素直に受け取ることに抵抗があるのは、やはり、私が私でなければという思いがあるからだ。

 

「……サニアさんは、ジュードさんの異変に気付けなかった自分を強く責めていましたが、それは翻って言えば」

 

 彼はそこで、確信をこめた言い方になった。

 

「サニアさんが、ジュードさんのことを本当に大事に想っていた証だと思います」

 

 そこで私は、抱えている自責と苦悩に裏打たれているものに、本当に今更になって気付いた。いや、気付くというよりも痛感した。頭で理解するのではなく、確かな感触として。

 

「サニアさんが自分を責める権利を奪うことは、僕にはできません。でも、サニアさんが他者に向けていた真摯な信頼や献身、大切にしようという想いまで否定する必要はないはずです」

 

 私の苦悩の深みにあるものこそが、苦悩そのものへの答えになるのだと分かった。私は、失いかけていた自分自身という人間への信頼を、自己嫌悪の底に拾うあげる思いだった。

 

「アッシュ。あなたは」

 

 私は下唇を噛んで俯いた。身体の中から、何かが込み上げてきていた。

 

「……優しいのですね」

 

「それは誤解ですよ。優しいと言ってもらえる僕は、間違いなく虚像です」

 

“キニス=グレイモア”という嘘を纏っている彼は、少しだけ笑って首を緩く振った。

 

「でも、その誤解を本当にするために僕は、僕になりたいと思っています」

 

「……私もです」

 

 気付けば、右手をベッドのなかで握り締めていた。自分自身を握り締めるように。

 

 両親を見捨てた、あの日――両親から命を救って貰った、あの日。

 

 生き延びた罪悪感は、普通の生活に対する希求を私から奪った。私の命は、魔物を斬るために生き延びたのだと意味を求めた。そして実践してきた。

 

 剣の腕を磨き、クラン『正義の刃』で部下を率いて、曰く“剣聖”などと呼ばれて、多くの魔物を斬ってきた。命の使い途を求め、求めているものだけを見て、多くのものを見過ごしてきたのだろう。

 

 だが今の私には、もう何も残っていない。ただ、傷ついた私の身体だけがある。疲れた心を照らしてくれる、彼の優しい言葉に慰めを経験していた。

 

「腕と脚を失った私はもう、“剣聖”などではありません。クランからも退団を言い渡される身です。今まで纏っていたもの全てを脱いだ今だからこそ……私も、私自身になってみたいです」

 

 自分自身という人間と、新しい関係を築いてみたい。

 

 口にしながら、私の心の深みにも、そんな願いが潜んでいたのかと驚いた。

 

 夜の暗がりに爆ぜる火花と、遠ざかる両親の背中。脳裏に浮かぶあの日から、私は随分と遠くまで来てしまった。

 

 そして今、あの悲劇が導いた“剣聖”という名から解かれた私は、洗い出されたかのような孤独な心持ちで、自分の胸から届く声を聞いた気がした。

 

「今の私は……、もう何者でもないのですね」

 

 気付けば私は、ベッドから腕を伸ばして、アッシュが羽織っているローブを握っていた。縋り、しがみつくように。声が震えて顔を上げられない。

 

「いえ。サニアさんは、此処にいますよ」

 

 そのときだった。アッシュの腕が私の身体を包んでくれた。その温かな抱擁には、何らかの感情や躊躇が無かった。彼の体温と言葉以外の、余計なものが付着していなかった。

 

 恐らく彼も、誰かにこうして抱き締められ、同じ言葉を掛けてもらったことがあるのだろう。彼の胸の内に灯っている温もりを、大切な言葉を、分けて貰ったように感じた。

 

「ぁ、アッシュ、わ、私は……」

 

 震えてどうしようもない声で言いながら、心が開いていく音を聞いた気がした。そこで限界だった。私は、アッシュの胸の中に崩れ落ちるように顔を埋めてしまう。

 

 涙が出た。誰の涙なのかわからないほど、溢れて仕方なかった。両親を失ってから、初めての涙だった。新しい、私の涙だった。

 

 嗚咽が漏れるのを堪えながら私は、この傷ついた身体に、言葉にならない想いが満ちるのを感じていた。

 

 しがみ付く右手の先に、アッシュの体温を思う。今の彼が、例えどのような嘘を纏っていても、虚像であっても、そんなものは関係が無かった。

 

 実存する彼の温もりを通じて、私は、私が在ることを想う。

 私は、この少年を愛している。

 

 

 






いつも支えて下さる皆様には、本当に感謝しております……。
第一部完結まで、もう少しだけお付き合い頂ければ幸いです。
今回も最後まで読んで下さり、ありがとうございました!
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