錬成の悪魔   作:お父様

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 超久々。


ページ13.チコク

 悪魔に食事は必要ない。

 生まれた時から定められた序列や立場、あくる日も続く『暇つぶし』の甚振り。

 同じ悪魔同士、生まれつきの強弱に従って、強者が弱者を弄ぶだけの日々。

 戯れに殺し、意味もなく殺し、そしてやはり必要性もなく殺す。

 血と肉の腐臭が絶えない冥府、悪魔は皆が人間のいる世界を夢見ているが、それの主な目的は当然、知れた事。

 

「…………」

 

 どうせ今も、冥府にいる悪魔のほとんどが人間を弄び、殺す事しか考えていないのだろう。

 低級、中級の悪魔と、それらを超える悪魔階層の主も。

 それらの現・頂点である魔王ルチフェロも、同じくそうだ。

 未だ冥府に囚われたままの者、悪魔憑きと契約し、仮初の現世を楽しんでいる者。

 想像する同胞の今を、サタナキアは頭の片隅に置いた。

 

「……ううん」

 

 ショーウィンドウに並ぶいくつものパンを睨みながら、サタナキアは分かりやすく悩ましい様子を見せる。

 その穏やかな表情には、かつて冥府の頂点に君臨した際の威厳も瘴気も何もない。

 身体から溢れる魔(マナ)も完璧に抑え込んだ今のサタナキアは、例え高名な悪魔憑きだろうと見抜くのは不可能。

 

「う~ん……」

 

 悩み。

 

「う~~ん……」

 

 小さく唸る。

 どれにしようか、どれを食べようか……そんな素直な感情表現をするサタナキア。

 こんがりと焼けた表面、ふっくらと膨らんだ生地、砂糖をまぶした甘いもの、艶やかな照りを持つもの、それぞれが異なる香りを放ち、どれもがサタナキアの興味を射抜く。

 平界とはいえ王貴界に近い場所に立った店だからなのか、ラインナップはそれなりに豪華だ。

 

「種類が多すぎるな……」

 

 ひとつを指さしかけて、やめる。

 別のものに目を移して、また止まる。

 そんなこんなで、悩む事数分だ。

 

「この丸いもの……いや、こちらの細長いものも捨てがたい……だが……」

 

 しばしの沈黙。

 

「……なぜ人間はこのように選択肢を増やす?」

 

 深刻な顔で呟くその様子は、国家の命運を左右する決断に悩む王のようでもあり。

 同時に、ただの人間の少女の買い物風景でもあった。

 

「これでは、一つに絞れないではないか……」

 

 再び『う~ん』と唸る。

 その様子を、店の内側から店主の老婆が眺めていた。

 

「……いや、待て。この白い粉がかかったものは何だ……甘味か?それとも罠か……?」

(あらあら……)

 

 背筋をぴんと伸ばし、どこか偉そうな立ち方をしているのに、やっていることはただパンの前で悩んでいるだけ。

 しかもその悩み方が、あまりにも真剣で、そしてあまりにも不器用だった。

 悩み、悩んで。

 追加で数分経ってから、ようやくサタナキアは決心した。

 

「よし、右にあるこれをくれ」

「はーい」

 

 果実をふんだんに混ぜた甘い菓子パン、サタナキアはそれを買う事にした。

 注文の承諾と同時に、ショーウィンドウの扉が開かれ、砂糖の甘い匂いと焼きたてのパンの匂いが同時に鼻腔を擽ってくる。

 た(・)と(・)え(・)小(・)さ(・)く(・)と(・)も(・)、サ(・)タ(・)ナ(・)キ(・)ア(・)に(・)と(・)っ(・)て(・)は(・)そ(・)れ(・)だ(・)け(・)で(・)も(・)宝(・)に(・)等(・)し(・)い(・)大(・)切(・)な(・)感(・)覚(・)。

 丁寧に紙で包装されていくパンを見つめながら、サタナキアは淡麗な顔を幸福で染めた。

 

 あの冥府にあったのは無機質な岩盤たち。

 地上に生い茂るような、太陽の香りを含んだ緑の草原など見える筈もなく、温かい土の感触もない。

 

 それどころか、悪魔以外の何も存在しない、『命』の温かみもない、無機質で冷たい籠でしかなかった。

 今、サタナキアの手には『命』がある。

 血が流れているからとか、呼吸をしているだとか、そういう意味での命ではなく、紡がれたもの故の『命』。

 弱者を甚振るしか能のない悪魔とは違う。

 他者を助け、逆に助けられる有限の命を持つが故の、受け継がれる『命』。

 生命も情報も、文化も等しく、それは人間が織り成す立派な『命』である事を、サタナキアは知った。

 

(戯れに低級悪魔の心臓を喰った事はあったが……)

 

 思い出す、食事と呼ぶのも烏滸がましいかつての時代。

 あの時の、この世の不快を詰め込んだようなおぞましい感覚に比べれば、今目の前にある『これ』はなんと甘美な事だろう。

 包装紙越しに伝わるパンの熱、それすらもサタナキアにとっては愛おしく感じた。

 

(む……いかん、流石にそろそろ食べないと冷めてしまう……あぁ、だがしかし……)

 

 せっかく出来たてのパンを買えたというのに、そんな事になればなんと勿体ない事か。

 だがもう少し……もう少しだけ……

 食べてしまえばそれで最後、この愛おしい香りも熱も、既にもう無きものになってしまうのだから。

 

(よし、そろそろ……)

 

 唯一の失念。

 それは、サタナキアが絶対的『強者』である事と、悪魔故の感知能力の偏り。

 傍から見れば、今のサタナキアは手に持ったパンに夢中な一人の少女でしかなく――言ってしまえば、あまりにも『隙だらけ』だった。

 勿論、サタナキアが隙を見せているのは油断でも慢心でもなく、絶対的強者、元魔王であるが故の『余裕』でしかない。

 仮に、今のサタナキアに有象無象の人間が武器と魔法で襲いかかろうとした場合、その悪意ある『魔力』をサタナキアは即座に感知し、直ぐに反撃を繰り出せるだろう。

 

「いただき……」

 

 サタナキアがパンを口へ運ぶその瞬間、物陰から飛び出した影。

 それはするりと、サタナキアの浮世離れした美貌と気配に見惚れ、呆然と立ち尽くす人々の隙間をくぐ抜けながら、サタナキアに近づき、そのパンを奪う。

 

「……ます?」

 

 時間にして数秒。

 警戒するに値しない、ちっぽけな『魔力』に気付けなかったサタナキアは今、パンを易々と奪われてしまったのだ。

 

「あっ、おい待て!」

 

 ショックを受け止め切れていないサタナキアに代わって、近くにいた男が叫ぶが時すでに遅し。

 物陰から飛び出した、ボロボロの布を服代わりに纏った貧しい少女は、あっという間に遠方へ消えていく。

 サタナキアはそれを無言で見つめていた。

 

「…………」

 

 そして、小さく。

 

「……はは」

「じょ、嬢ちゃん……?」

 

 小さく、息が零れる。

 奪われたパンの形と温もりを求め、何も存在しない虚空を握る空いた手。

 瞬きという、『人間』を演じる為に意識して行っている行動すら忘れ、呆然と立ち尽くすサタナキア。

 先程、怒りで声を荒らげた男がサタナキアを見て、思わずたじろいだのはきっと、そんな『人間』の常識から逸脱した気配を、なんとなく察したからかもしれない。

 

「ふ、ふふふ……」

 

 くつくつと沸き上がる意味深な笑い。

 やがて、それは明確な闘争の笑みへと変わる。

 既に人々の注目の先は、窃盗を働いた少女にではなく、サタナキア一人に集中していた。

 

「初めてだ……よもやこの私が、呆気なく……」

 

 焦らされた期待と幸福が消失し、それの空白を埋めるのは圧倒的な好奇。

 

「この私から、奪うとは」

 

 そう、決して。

 決して美味しい食べ物を呆気なく奪われたからだとか、抵抗すらできなかったからだとか。

 気づく事ができなかったからだとか、ましてやちっぽけな魔力しか持たない、ちっぽけで可愛い人間に思わず出し抜かれてしまったから。

 それに悔しさを覚えているだとか、そういう事ではないのだ。

 

 断じて。

 

 断じてそんな小さな理由ではない。

 

「この屈辱、恨み、晴らさでおくべきか……!」

 

 魔法を見繕う癖すらも忘れ、暗い笑みを浮かべながら一歩ずつ、地面を重く踏み込むサタナキア。

 そのピリついた辺りの空気に、周りの人間は思わず後退り、冷や汗を流す程。

 

「逃げ切れると思うなよ、小さき略奪者」

 

 その声音は優しくさえあった。

 だが、その実は――逃れようのない捕食の宣告。

 少女の姿をした元魔王は、奪われたたった一つのパンのために、静かに、確実に『狩り』を始めていた。

 

 ――その時、鳴り響いた王都での『祝賀会』の開催を告げる乾杯の音。

 

 それを、サタナキアは聞き逃していたのだが、これはまた別の話。




 久しぶり過ぎて書き方を忘れてしまったので今回はかなり短め。
 次回以降は以前のように書けると思います。
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