2年後もしくは106年前 作:requesting anonymity
ベッドの中で薄っすら目を開きながらむにゃむにゃと唸ったポピー・スウィーティングは、まだぜんぜん朝ではないということだけは直感的に理解していた。
何かが途中だったのにそのまま寝たような憶えが有るような無いような気がするポピーは、果たしてそれが宿題などの絶対に一刻も早く作業を再開しなければいけない種類のものなのか、それとも例えばパフスケイン積み上げ勝負とかの単なる遊びの類なのかを思い出そうとして、ぼんやりした思考回路のまま自分がいま横たわっているベッドの隅々まで探るべく闇雲に手を伸ばした。
「ぷきゅえ」
ポピーがなんとなく上の方へと伸ばした手は何やら柔らかい物の端の骨組みらしき硬い部分をいささか強めに押してしまい、そこから間の抜けた声が漏れたことでポピーはようやく自分が背の高い男性に抱きしめられたままベッドで横になっているという現状を把握した。
ともすれば悲鳴を上げて助けを呼んでもおかしくない状況だったが、ポピーは未だにあまり醒めたとは言えない思考のまま「あなた寝てる間に全然別の外見になっちゃったんだね」とすぐ把握して、もうしばらく抱きしめられるのもいいかと、そう考えて再び青年の胴体に抱きついた。
「もしかしてさ、ポピーちゃん起きてる?」
「あ、起こしちゃった? ごめんね」
囁き声で問いかけられたので、ポピーも囁き声で返した。
「昨日の夜シャーロットとクレアに守護霊呪文教えてーって頼まれた話の続きしていい?」
「いいよ。聴かせてポピー」
「クレアの守護霊ね、あれたぶんツノガエルだと思うんだけど……まんまるの可愛いカエルでね」
「ツノガエルってあの、まぶたがとんがってて、なんでもすぐ食べようとするやつ?」
青年の返答を聴いて、ポピーの瞳が僅かに大きくなる。
「あ、知ってた? ツノガエル。見たことあるの?」
「ううん。ホグワーツに入学する準備をしてる時にね、ウィンストンくんがいろんな本を見せてくれてね、読んでくれたんだけどね、それに絵と説明が載ってたんだ。ホンモノは見たことない」
自分がそう言った途端にポピーが僅かな笑い声を漏らしたのを、青年は聞き逃さなかった。
「あなたと一緒に行ってみたい場所と、見てみたいものが。また増えちゃったな」
今ならもしかして私も守護霊呪文で動物の形の守護霊を創り出せるんじゃないかと期待しながら、ポピーは青年の胴体に顔を埋めたまま、ただ言葉を続ける。
「私もね、おばあちゃんに見せてもらった本で、読んだことあるだけなんだ。ツノガエル」
「じゃあ今から行こっかアルゼンチンのラプラタ川まで」
あろうことかベッドから起き上がろうとした青年を、ポピーはがっしりと抱きしめて制止した。
「ダメダメダメ。だめだよ。言うと思ったけどダメ。あなた今月はホグワーツに居なきゃ。せっかくギャレスのお兄さんたちとか私のおばあちゃんとかが来てくれるんだから。それに明日は――いやもう今日か。今日は――ヘスパーのパパとママが来るんだってあの子から聞いたでしょ? ヘスパーきっと私たちのこともパパとママに紹介したいはずだよ。私も挨拶したいし」
ポピーがこの青年をホグワーツに留まらせようと珍しく説得しているのには理由と企てがあったが、それを今、この青年に対してハッキリと何もかも説明してしまうわけにはいかなかった。
「あ、そうだ。ホグワーツ卒業したすぐ後にさ。世界一周旅行に行くのが伝統だって話、知ってるかな。だいたいは仲良しの同級生と一緒に、卒業記念旅行。その時ツノガエルも見よう。ね?」
少しだけ話題を変えるという方法で青年の気を逸らしながら、あなたと私は卒業旅行一緒に行くよねと、ポピーは暗に意思確認を取ろうとしている。
「卒業旅行かあーー……それいいねえポピーちゃん!」
ポピーから今聞かされた卒業旅行という言葉を受けて青年は、ポピーが「完璧には実現しないだろうな」と理解していた通りに、ポピーの望みとは少し異なる形の希望を抱いた。
「ぼく皆で行きたい。ポピーもセバスチャンもオミニスもアンもアミットもダンカンもルーカンもヘクターもアンドリューもエバレットもアーサーもグレースもネリダもエヴァンジェリンもギャレスもナッちゃんもサッちゃんもアデレードもリアンダーもサマンサもレノーラもウィラもネリーもエヴァンジェリンもクレシダもコンスタンスもエリックもプリシラもヴァイオレットもシャーロットもマルフォイもノットもレストレンジも後あと他にも皆、みんなで。7年生みんなで行きたい」
言うと思ってましたと、ほんのちょっぴりだけ抱いてしまった「2人きりで行けたらいいなあ」という醜い欲深さを待ち遠しさと未来への希望で照らしてかき消しながら、ポピーは青年の挙げた名前の中にあった事実誤認のように聞こえる点を、そうではないと解っていながら指摘する。
「アンは5年生に編入して授業受け直してるんだから、私たちと一緒には卒業しないよ?」
「そんなの関係ないよポピー。だってせっかく元気になったんだから、一緒がいいよ」
私もそう思うけど卒業旅行って卒業してから行くものだし卒業してない生徒には宿題が、などという言葉を、ポピーは口にしない。
「楽しみなことがいっぱいだね、私たち」
「あ。そうだアルバスも連れてこ。僕アルバスにいっぱいいっぱい楽しいもの見せてあげるんだ」
「それは、誰かとの約束?」
「んーん。僕が見せてあげたいだけだよ」
青年とポピーはそこで言葉を切って、お互いの体温を感じながら、お互いを抱きしめたまま、このままもう1回眠ってしまうのもいいかと2人共が考え、そうしても朝食に遅刻なんてしないだろうと互いに希望的観測をして、静かに就寝を試みた。
「あ、ねえポピーちゃんクレアって守護霊呪文やるの初めてだったんだよね?」
しかし既に覚醒してしまった思考回路が、2人に二度寝を許さなかった。
「そうだよ。シャーロットをぎゅーって抱きしめたまま唱えたらね、成功したんだ。すごいよね」
「それですぐ消えちゃったんだっけ。初めてやって成功するなんて、あ……でもそうか。当然、かもしれないな。だってあの2人にしてみれば、最高に幸せな思い出って、今だもんね。それも今日とかその時その瞬間だけとかじゃなくて、昨日もおとといも明日もあさっても、ずっとだもんね」
だったら守護霊呪文も上手くできるかと推察している青年に、ポピーが囁く。
「私も幸せだよ。5年生の時にあの魔法生物学の授業であなたが助けてくれてから、ずーっと」
「これからもっともっと幸せになるよポピー。一緒に、ずーっとね」
そんな言葉を交わしてポピーと笑い合った青年だったが、未だ払拭しきれないぼんやりとした微睡み故か、唐突にまったく別の記憶が脳裏に浮かんできてしまって、いきなり話題を変えた。
「ところでポピーちゃんの杖ってさ。木と芯は何かって訊いてもいい?」
「リンゴだよ。木はリンゴ。芯はユニコーンの尾の毛。親に買ってもらった物で――おばあちゃんじゃなくてパパとママにね――まだ残ってる物って、そういえば杖くらいかも」
ポピーの言葉の最後の方はほとんど聞こえないほど小さかったが、しかしその声色に悲壮感や寂しさなどは込められておらず、ただ現状を述べているだけというような平坦さがあった。
ポピーの過去に起因する悲しさを今この瞬間の幸福さがちょうど打ち消せたのだろうかと、青年はなんとなくそう期待しながら、ポピーに言葉をかける。
「じゃあとっても大切だね、ポピーちゃんの杖は」
「うん。そうだね……そうだね。あなたの杖は何でできてるの? 訊いたことあったっけ」
「フィグ先生から最初に借りたやつはねえ、なんだっけ……あ、いつも使ってるのはハンノキと不死鳥の尾羽根の杖で、その次によく使うのは楓とドラゴンの心臓の琴線の杖と、あとハナミズキとユニコーンの尾の毛の杖でしょ、あとは珍しいやつだとオリバンダーのじゃない杖がね……どうもあの密猟者アメリカで育ったみたいで、キナノキとサンダーバードの尾羽根の杖なんだけど――」
この青年が常日頃から密猟者を討伐し蒐集した杖をいったいどれだけ所有しているのかを思い返したポピーは、そこで遮るようにして質問を割り込ませた。
「あの杖は? あなたが持ってる中でいちばん不思議な、あの杖」
「あー。えっと、待ってね……これでしょ。これはね、古代魔法とね、古代魔法だよ」
青年はポピーとくっついたまま自分の着ているパジャマのズボンのポケットを探り、そこから取り出した金属製にすら見える不可思議な杖をポピーと自分の顔の間に持ってくる。
「木と魔法生物の素材じゃないんだ?」
「そうだよ。芯があるのかもよくわかんない。ゲボるんに訊いてみれば、あの材料からどうやってこれを作ったのかは説明してもらえるかもだけど。それでね、古代魔法を使う時はね、この杖でやるのが一番やりやすいんだよ。それってたぶんこの杖が古代魔法の……なんだろあれ。雫? でできてるからだって思ってるんだけどね。あ、でもゲボるんにもあの材料は見えてたんだもんな? ていうかあれ憂いの篩にしまってあったんだもんな……でもなあ古代魔法ではあった……うーん」
ポピーの質問に答えようと頭を働かせた結果、返って解らなくなってしまったらしいその青年は、入手してから丸1年以上が経過してもはや使い慣れたその杖を、改めてまじまじと見つめる。
「んねえポピーちゃん。憂いの篩に入れる『記憶』ってさ。見える『物』だよね?」
「そうだね。私は5年生の時の魔法理論の授業でフィグ先生にそう教わったし、実際に見せてもらったことだってあるからね。フィグ先生にも、あなたにも」
フィグ先生という名前が青年にとって何より大切な思い出であると同時に痛みでもあるとポピーはもちろん理解しているが、しかしそれでもポピーはその名を話題に出した。無闇矢鱈と避けるのはフィグ先生に失礼だと思える上に、そうすることは徒にフィグ先生を話題に出すよりもこの青年を傷つけてしまうと、ポピーは知っていたから。そしてポピーがフィグ先生と言った時その呼び方に優しさがこもっていたので、青年はむしろ嬉しくなった。
「そうだねえ。……それでさ、ポピーちゃんさ。僕が『感情』を使うとこも、見たことあるよね」
「うん。最初は去年だよね。あなたが見せてくれた。『出したらしまわないとダメ』だっけ?」
「そうだよ。ちゃんと元通りしまうのが一番大切なことで、回収できなくなる使い方するなら、どこから取り出すのかを慎重に選ばないといけない……それでさ、ポピーちゃんにも見えたよね?」
「見えたね。憂いの篩に入れる『記憶』にソックリだった。ドロっとしてて、浮いてた」
5年生でホグワーツに、引いては魔法界それ自体に初めて足を踏み入れたこの「編入生」は、通常なら見ることができない古代魔法の痕跡を肉眼でハッキリ視認できるという稀な才能を持っている。これは古代魔法それ自体を扱う才能を持っているという意味でもあり、ホグワーツでの通常の学びと5年生から編入したという致命的とすら言える学業の遅れを取り戻すための追加の課題と並行して、この「編入生」は古代魔法についても、かつてのホグワーツ教師陣の絵画に教導されて、人知れず学びを深めていったのだ。
そこには試練があり、危機があり、戦いがあり、冒険があり、勝利があり、救済があった。
思いがけない出会いがあり、思いがけない別れがあった。
忘れることのできない喪失があり、忘れることのできない弔いがあった。
しかしそれら全ては5年生の時の話で、今では「編入生」も7年生である。古代魔法について習熟を深めるための修練こそ怠っていないが、ホグワーツそのものや魔法界を揺るがすような喫緊の脅威は2年前という過ぎ去った記憶の中にしかなく、毎日はひたすらに楽しいばかりである。
「古代魔法で、先生たちの、何かこう……ポジティブな『思い』を、取り出して仕舞ってあったのかなあー……良くない使い方があったんだから良い使い方も、っていうか本来の使い方が、あるはずだもんね。それがこの杖なんじゃないかって気がしてきたな……うん。そういうことにしよ」
何も説明してくれないまま自分だけ納得してしまった青年を見つめるポピーは、パフスケインの赤ちゃんに優しくブラッシングしてあげる時と同じ顔をしていた。
「よくわかんないけど、それってつまり、お勉強がんばるってこと?」
「そうだねえ。僕、お勉強がんばるよ」
先生たちというのが誰のことなのかも、良くない使い方があったというのが何の話なのかも、ポピーは質問しなかった。ただ、ポピーは何も配慮したのではなく、単に今まで時々この青年が寝言でそれら「秘密」であろう事柄についてムニャムニャ喋っているのを聞いたことがあるために、それらの内容を仔細にでこそないが概ね、とっくに把握しているために訊かなかったのだ。
秘密にできているつもりらしいから自主的に打ち明けてくれるまでそっとしといてあげよう、というポピーが同級生の友人たちと以前こっそり交わした優しい密約の裏には、既に知っている事柄についてわざわざ質問する必要は無い、という当然の摂理も確かにあった。
「あ、でもね。この杖ね、古代魔法じゃない普通の魔法をこの杖でやろうとするとね、すんごい使いづらいんだよ。ゲボるんもね『特定の使い道でだけ使う杖』だって言ってた」
ゲボるんというのはゲボルド・オリバンダー氏のことだと、ポピーは知っている。
「…………触っていい?」
「そりゃもちろん良いともさ。ポピーちゃんならどんだけ触ってもいいよ」
晴れて許可を貰えたので、ポピーはその不可思議な杖を持っている青年の手を握った。
「杖じゃないのかいポピーちゃん」
「頑張った手だね…………」
「僕の手の触り心地なんてそんなの毎日違うんじゃないかいポピーちゃん」
青年は手の甲を撫で回されながら戸惑い続けているが、ポピーはそんなことを気にしない。
そこでポピーと青年の会話が途切れたために、周囲のベッドで眠っているポピーのルームメイトたちの寝息が、青年の手を撫でているポピーと撫でられている青年の関心を惹いた。
「ウィラが使ってる新しい箒って、あなたが先月あげた『ムーントリマー』だよね」
すぐそこのベッドですやすや寝ているルームメイトの顔を思い浮かべながらポピーが訊く。
「そうだよー。ウィラったらもう既にたっくさんの魔法をあの箒にかけてたみたいでさ。こないだハッフルパフクィディッチチームが練習してた時ちょっと借りて、乗らせてもらったんだけどね、飛び心地がぜーんぜん変わってたよ。スピードも、曲がる時の鋭さも、昇る速さもさ」
同じ寝室をポピーと共有しているハッフルパフクィディッチチームのキャプテンたる爽やかなウィラ・ウィホルトは何年も酷使し続けて限界が来ていた愛用の箒を先月のクィディッチの試合中に自分の頚椎ごと粉砕してしまい、ダンブルドア少年に危ういところで救命されて難を逃れたものの元からオンボロだった箒はどうすることもできず、新しいのを調達せざるを得なかったのだ。
そこにこの杖と同じくらい箒もたくさん所持している青年が助け舟を出して、損壊してしまったものと同じ製造元の「ムーントリマー」を、快く無償贈呈したのである。
周到にもウィラ・ウィホルトは「代わりのムーントリマー」に改造と調整を施す際、事前にホグズミードに赴いて、スポーツ用品店「スピントゥウィッチーズ」の店主から、箒に施す予定の自作魔法がクィディッチのルールの知られざる条項に違反していないかどうかの助言を受けている。
「その日の開店と同時に来て質問攻めにされたって、アルビー・ウィークスさんが言ってた」
「ハッフルパフのクィディッチチーム、今年は優勝できるよね?」
ポピーは半分だけ期待を込めて、もう半分はからかいを込めてそう訊いた。
「んんむーぅ、難しいこと言うねえポピーちゃんったら。僕ねえ
ホグワーツのクィディッチが寮対抗である以上ぜったいに不可能な願望を述べた青年の顔を、鼻と鼻がくっつく距離で見つめたまま、ポピーは愉快そうにクスクスと笑った。
「じゃあ今年も、自分の寮のじゃないクィディッチチームの助っ人するの、我慢できないんだ?」
「そりゃあ僕みんなとチームでやりたいしさ。それに、急にメンバー欠けたせいで本来の実力が出せなくて満足なプレーができないなんてことになったらさ、残念だろう?」
「…………それはそうだけど」
ポピーが規則違反を諌めようとした時、すぐそこのベッドで眠っているルームメイトのアデレード・オークスが「フガ!!」と、やたら大音量のイビキを一声だけ響かせた。
「聞かなかったことにしてあげよう」
ポピーが即決すると、青年も「そうだねえ」と静かに同意した。
「そういやポピーちゃんはローランドさんに会ったことある? ローランド・オークスさん」
「アデレードのおじさん……だっけ。あなたが2年前ランロクの拠点のひとつから助けた人」
ポピーの回答は、話に聞いて知っているだけで会ったことは無い、という意味だった。
「そだよ。コロウ遺跡ってとこでねえ、ゴブリンがいっぱい居座ってたんだ。そんでその奥にねえ、ローランドさんが捕まってたの。囚われのお姫様だったね!」
「その話アデレードから聞いたことあるけど、ホントに危ないところだったんだね」
「うん。殺されなかったのはローランドさんの運が良かっただけだね。アーチーのパパさんはそういうわけにはいかなかったしさ……『アーチー』わかるかいポピーちゃん?」
ポピーはその質問に正しく回答するために、数秒かけて頭の中を探し回る必要があった。
「……ああグリフィンドールの2年生のアーチー・ビクルくんか。ナティが可愛がってる男の子」
「そ。アーチーはねえホグワーツで友達いっぱいできたんだよ。あの子とっても勇気があるから」
ポピーも青年も今は、アーチーとその父親に関する既に過ぎ去った悲劇よりも、もっと楽しい話題について話したい気分だった。だからポピーは聞いた気がするがハッキリとは覚えていないアーチー・ビクルくんの父親の死の詳細よりも、今日これから来る朝について訊くことにした。
「アーチーのママさん、今日は来てくれるの?」
「うん。昨日の夕食の時アーチーがナッちゃんにそう言ってた」
ホグワーツに入学する条件は英国およびアイルランドの未成年魔法族であることだけで、さらに言えば出身が異邦の地だったとしても現在の居住地が英国もしくはアイルランドであるなら問題無く入学資格が与えられる上に、他所から転校してくることもできる。
だからこそ、ホグワーツにはいつの時代も様々な境遇の生徒が居て、どんな生徒もこのホグワーツに入学することで自分が生まれ育った環境だけが世界の全てではないという事実を学び、あるいは自分と同じ境遇の生徒を見つけて安堵するのだ。
中には「何世紀も前からずっと先祖代々みんな魔法族」という家で育った子たちもいるし、両親のどちらかだけが魔法族という家の子たちもいるし、両親のどちらも魔法族ではなく「ホグワーツとやら」の入学許可証なる怪しい手紙を不審な身なりの輩が何の前触れもなく届けに現れたことで魔法というものの存在を知った家の子たちだっている。
裕福な家の子もいるし、そうではない家の子もいるし、逼迫した経済状況の家の子もいるし、学用品を買うお金すら工面できずホグワーツの基金に頼る子だっている。
片親の家庭で育った子だってたくさんいるし、実の両親をまるっきり知らずに育った子もいるし、両親とは離れて別な親族と暮らしている子もいる。
目の前で父親が殺された過去を持つ生徒だって、アーチー・ビクルだけではないのだ。
とりわけナツァイ・オナイとの交流は、同級生の友人がたくさんできたことと同じくらいには、アーチー・ビクルにとって救いだっただろう。
「頑張ってるとこママに見せてあげるんだーって、アーチーすっごく張り切ってた」
「ポピーちゃんもポピーちゃんのおばーちゃんに頑張ってるとこ見てもらうんだろう?」
「うん! おばあちゃんね今日も来てくれるんだよ。私がホグワーツでどう過ごしてるかとか授業受けてるところとかずっと見たかったんだって昨日言ってた」
ポピー・スウィーティングの祖母のその発言は、ホグワーツの在校生の親族皆の総意だった。
「ポピーちゃんが笑ってたらそれだけでポピーちゃんのおばーちゃんは嬉しいんだよ。だってポピーちゃんが笑ってたらそれだけで嬉しくなっちゃうからね、僕だってさ」
同じベッドに横になって鼻と鼻がくっつく距離で見つめ合いながらそんなことを言われると流石のポピーでも少しばかり気恥ずかしくなってしまったが、青年はいたって普段通りの態度だった。
顔赤くないかな私などと懸念しながら、ポピーは話題の変更を試みる。
「ギャレスのパパとママとかお兄さんたちは、今日も来てくれるんだっけ? 知ってる?」
「んとね、ギャレスのパパのグリフレットさんと、三男で闇祓いのエドワードくんと四男で魔法事故・惨事部のコンスタンスくんはお仕事だから来れないって。でも長男のユーウェインくんとママさんとラヴィニアちゃんは『明日も来る』って昨日言ってた。あ、オリュンピアスおばーちゃんとエデュおじも来るって。あと次男のロバートくんは『仕事しに来る』ってさ。変身現代にウィーズリー先生が書いた記事を載っける準備の話し合いとかするんだって」
滔々と説明してくれた青年にポピーが返した感想は、ごく短く率直なものだった。
「ほんとに家族多いねギャレスのおうちって」
「ね。いいよね賑やかでさ」
ギャレス・ウィーズリーが今の会話をもし聞いていたら「きみほどじゃないよ」と青年に言い放っていつも通りの気楽な笑顔を浮かべただろうとポピーは鮮明に想像できたが、しかし女子寝室に男子が入ることは許されていないので、それは起こり得ない光景だった。
「楽しみなことがいっぱいあるねえポピーちゃん」
「そうだね。あなたもしかして今もう、やりたいこといっぱい?」
「うん。朝んなったらまずスリザリンの男子寝室に行ってセバスチャンのお顔をサッちゃん特性の魔法薬でスベスベのプルプルのキラッキラお肌にしてね、ライサンダスのお顔見に行ってね、リトルフットも見てね、ミラベルとエリエザーが世話してくれてるヘビたちの健康診断してね――」
「いいね。ポムも見に行こう。それとムーンカーフたちに水浴びさせてあげて、中国火の玉種のセバスチャンとアンの体調も診て、狼人間のお姉さんと一緒に何か軽く食べよう」
あれもやりたいこれもやりたいアレをやらなきゃと話しているうちに、ひとつのベッドでくっついている青年とポピーは、どちらからともなく、いつの間にやら再び眠りに落ちていった。
次にポピーが気がついた時には、ちょっと目を閉じただけだとポピーとしては思っているものの実際には、とうに身支度を済ませた生徒が寝坊助のルームメイトを急かして起こしにかかっているくらいには、大広間で朝食が饗される時刻が迫っていた。
「おはようポピー。あなた、寝室に男子を連れ込んで同衾だなんて意外と大胆なのね?」
「へ? あ、おはようサチャリッサ」
ルームメイトのサチャリッサ・タグウッドに指摘されてようやく自分が今どのような状況なのかを客観視して「やましい」と理解してしまったポピーはベッドから慌てて抜け出そうとするが、まだ微睡みの中にある青年がムニャムニャ言いながら抱き寄せてきて、ポピーは身動きが取れない。
「ねえ、ねえねえねえ起きなきゃ。起きなきゃダメなんだよ」
「アルバスのほっぺが美味しく焼けたよぉポピーちゃん……」
「こんなとこガーリック先生に見られたら減点じゃ済まないわねポピー・スウィーティング」
サチャリッサはあくまでも厳格な態度で規則違反を咎めるが、それは偏にもうそろそろ起床して朝の身支度に取り掛からなければ朝食に間に合わないかもしれないという焦りだけが原因だった。
欲を言えば自分だってギャレスと同じベッドで寝起きしたいし、さらに言えば単に寝起きするだけに留まらない色々もしたいので、たとえポピーが本当に意中の男子と同衾したとしても自分にはそれを咎める資格など無いと、サチャリッサはしっかりとそう自覚しているのだ。
「ほらあなたも。今すぐ起きたらポピーがブラッシングしてくれるわよ」
サチャリッサがそう声をかけた途端、青年はスルリとワタリガラスに姿を変えた。
「はいお利口ね。その姿でいてくれた方が持ち運びが楽なのよアナタは」
「ねえサチャリッサ私もしかして寝癖すごいかな」
「すごいわよポピー。今年のチャドリー・キャノンズくらい見応えあるわ」
直してあげるから座ってとサチャリッサがポピーに促した頃、ホグワーツに今日もまた在校生の家族や親族たちが一組また一組と、授業風景を観覧しにやって来ていた。
「僕らのヘスパーはしっかりやれてるかな」
「ちゃんと独りで起きられてるのかしらね。お友達に助けてもらってるかしら」
ホグワーツ北門から少々離れた道端に「姿現し」したヘスパー・スターキーの両親が歩き出したのと同時に再びバチンと大きな音がして、燃えるような赤毛の爽やかな男がその場に出現した。
その青年が連れてきた人物こそ、ポピーが一緒に寝た青年をなんとしても今日は遠出などさせまいとした理由だった。
その人物は10代後半くらいに見え、銅を彷彿とさせる鮮やかな赤毛にスラリとした体型と端正な顔立ちをしていて、透き通るような青い目には類まれなる才覚が宿っていた。
そんな赤毛の連れ合いに、ギャレスの兄にしてウィーズリー兄弟の長兄ユーウェインが、出発前にも伝えた最重要事項をいちおう改めてもう一度、確認のためにそっと囁き声で通告する。
「最後にもう1回だけ。いいかい? きみは今日だけは『ウィンストン・ウィーズリー』だ。僕ら兄弟のいとこ、具体的には父の弟の長男で、本日ここには主にギャレスを見に来た。いいかい?」
ユーウェイン・ウィーズリーに連れられて、別に魔法で容姿を変えなくたって親戚だと言い張れるだろうというユーウェインの判断により何ひとつ身元を隠蔽する工夫などしないままホグワーツにやってきたこの青年は、ホグワーツ在校生の誰の家族でもない、正真正銘のマグルだった。
「ああ。こんな機会をくれたこと感謝してる。気になってたんだ、アイツが何をやらかしてるか」
ウィーズリー先生とウィーズリー家の好意によって、17歳のウィンストン・レオナルド・スペンンサー=チャーチル青年は、いま初めてホグワーツ魔法魔術学校へと足を踏み入れるのだった。
【アーチー・ビクル】
ゲーム「ホグワーツ・レガシー」において救出することになる、誘拐被害者の少年。ゲーム本編時点では未就学年齢のようだが、そこから2年後であるこの話ではグリフィンドールの2年生。
目の前でビクトール・ルックウッドに父親を殺されている(ゲーム内で本人がそう証言する)。