名探偵 毛利小五郎   作:和城山

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 こちらは随分後の、「二章 高校生編」の時系列にあたります。


Prologue
0. プロローグ


 暗い路地裏に、女性の悲鳴が上がった。同時に、空き缶を蹴飛ばした甲高い音が二連続。

 二十代前半の若い女性が一人、無精ひげの男に追いかけられている。

 そして彼女にとっては不幸なことに、そこは日中人気が少ないことで知られる、米花工業団地の裏路地だった。

 

 小さな肩掛けバッグを必死に振り回しながら、女性は駆ける。

 狭い路地裏の中を、背後で包丁を振りかざす男から必死に逃げていると、やがてその前に曲がり角が現れた。

 もしかしてその先は大通りに繋がっているかもしれない――。刹那にそう感じた女性は、救いを得たかのような気分になってそこを走り抜けた。

 しかし、彼女が曲がったその先に見たのは、冷たい質感で立ちかまえる、苔いる一つの壁で。

 つまりそこは、行き止まりだった。

 

「……ッ!!」

 

 現実のあまりの無情さに一瞬にして思考が白く染まる女性であるが、すぐ後ろで聞こえた足音に気がつくと、急いでその壁へと駆け寄った。

 

「まったく……手間かけさせやがってよォ……」

 

 女性に遅れて、四十後半に見える一人の男がそう言い角から姿を現す。

 彼の手には、一振りの武骨な包丁が握られていた。男はそれをちらつかせながら、じりじりと後退する女性へと近づいていく。

 

「ほんとによォ……てめえの親父が勝手なことしてくれなけりゃあ、俺だってクビになんかされずにすんだんだぜ……」

 

「やめてッ!! それ以上近づかないでッ!!」

 

 女性は男から必死に距離をとろうとするが、しかしすぐにその背は行き止まりの壁へとぶつかる。

 

「なァに……別に何もしなければ、大した怪我はさせねえよ……ただ、ちょォっとオジサンに付いてきてくれるだけでいいんだ……」

 

 さらに男がそう言い終わったとき、彼は女性にすぐ手の届くところまで歩み寄っていた。

 おびえる女性と、男の血走った目が合う。

 瞬間。

 たまらず、女性は叫んだ。

 頭の奥では、きっと無駄だろうとわかっていたが、しかし、それでも。

 それでも。女性はたしかにその瞬間、助けを求めた。

 自分の窮地を救ってくれるような。小説のような。漫画のような。そんな、ヒーローを。

 心から、求めたのだった。

 

 そして。

 

 女性の願いが天へと届いたのか。

 

 救いが、現れる。

 

「そこまでだッ!!」

 

 唐突に、大きな声が男の背後、この行き止まりの入り口から響き渡った。

 驚いた女性と男がそこを見やれば、そこには高校生くらいの少年が一人佇んでいた。よく見れば、走ってきたのか少し息が荒くなっている。

 

「なンだ、テメェ?」

 

 男がイラつきながらそう声をかけた。息を軽く整えた少年は、制服の襟を正しながら、どこか軽い風に答える。

 

「いやあ、なに。女の人の悲鳴が聞こえたもので、ね。あアと、そこの人。大丈夫ですか?」

 

 突然話を振られ、少し戸惑いながらも、女性は小さく頷く。

 そして男は、そんな少年に対して怒り心頭という様子であった。

 

「あァ? なンだ、その口の聞き方は?」

 

 対し、少年は全く余裕を崩さず、きっぱりとした口調で言い放つ。

 

「生憎だが。俺は、犯罪者に対する礼節なんてものは持ち合わせていない」

「このヤロッ…………まあいい、どうせ目撃者だ……」

 

 男はそう呟くと、両手で包丁を構え、

 

「死ねえええええええええええええッ」

 

 少年へと突っ込んでいった。

 それに、思わず女性は悲鳴を上げる。

 包丁が少年へ。最悪の光景を思い浮かべてしまう。

 

 しかし。

 

 次の瞬間。

 

「――ぐえッ!?」

 

 包丁の刃が少年へと突き刺さることはなく。

 代わりに、男が地面へと投げ飛ばされていた。

 

「……え?」

 

 女性は一瞬、自分の目を疑ってしまう。

 しかし、何度見ても、無傷で佇み両手で襟を直しているのが少年で、包丁と共に地面へと転がっているのは男である。

 ちなみに下がコンクリートだったからか、男は目を向いたまま気絶していた。実にあっけない。

 

「大丈夫ですか?」

 

 唖然としている女性に、近寄ってきていた少年が声をかけた。

 

「え、あ、はい……」

 

 そして、そううわの空で答えてから、女性はやっと再起動する。なにをやっているのだ。この少年は、命の恩人ではないか。

 

「あ、あの……」

「はい」

 

 息を吸い、女性は年下の少年へと勢いよく頭を下げる。

 

「あ、ありがとうございました……ッ」

 

 対し少年は、少し照れくさそうに頬を掻きながら、

 

「いやあ、なに。人として、当然のことですよ」

 

 そんな少年に小さく笑みを浮かべると、ふと女性は彼に尋ねた。

 

「ところで、あなたは一体……?」

 

 さっきから、どうも女性は気になっていた。なぜか、初対面であるはずの少年の顔にどこか見覚えがある気がするのである。

 

「俺っすか? そうですね」

 

 少年はそう言うと、一瞬だけ目を伏せた。が、すぐに自信に満ち溢れたような穏やかな笑みで向き直ると、静かに言い放った。

 

「毛利小五郎。探偵です」

 

 その答えを聞いて、女性はすぐに得心した。見覚えがあるはずである。

 それは、最近メディアで話題の高校生探偵、巷で「平成の明智小五郎」と呼ばれる男の名前であった。

 




2017/02/07 まえがき・あとがき編集
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