02.覚醒
――なにか、聞こえる。
ゆらゆらとたゆたう心地よい微睡のなかで、小五郎はただそんなことをぼんやりと思った。
――なにか、声が……。
「こォら! アンタいつまで寝てんの!」
ばさりと布団をはぎ取られ、小五郎の顔に白く輝く朝陽が直撃した。
「ぐあっ……!」
あまりの眩しさに両手で顔を覆い、小五郎はさながら地獄の底から這いあがってきた幽鬼であるかのように呻き声を上げた。
布団を片手に、そんな彼を見下ろすのは彼の母親である。御年43歳。
彼女はごろごろと畳の上を転がる息子をアホな子を見る目で一瞥すると、
「さっさと支度するんだよ! 英理ちゃん、もう待ってるんだからね!」
そう残して、どしどしと階段を下りて行った。
部屋に残るのは、顔を抑えて呻く小五郎ただ一人。
「……ぐうぅ、くそ。なんだぁ……?」
そんなことをつぶやきながら、小五郎はようやく覚醒してきた頭で考える。
(俺は――)
途端、蘇る記憶の数々。
ホテル。天使像。爆破。ヘリ。狙撃。炎。そして――死。
「――どぅわぁああっ!!」
叫び、飛び起きる。
(そうだ! 俺は、死んだはず!――なのに、これは一体……?)
まさかあの後、救助されて助かった――?
一瞬、そのようなことを考えるが、それにしては何か様子がおかしい。
きょろきょろと見渡して、そこで初めて、そこがかつての己の部屋――実家の部屋であることに気が付いた。
「俺の……部屋?」
訝しげにつぶやいて、首をひねった。
かつての小五郎の部屋は現在、実家にて物置部屋になっているはずだった。端午の節句に使う兜とか鎧とか、古い新聞だとか雑誌とか空き箱だとか……そういうガラクタで溢れ返っているはずだった。
それが、なぜ、こんなにも片付いているのだろう。
――いや、別に綺麗に片付いているわけではない。畳の上には洗濯済みらしき柔道着や、漫画本、雑誌、ボードゲームなんかが散らかっているし、机の上には参考書らしきものが積まれている。
これは、片付けたというよりも、まるで、昔の部屋に戻ったかのようで……。
と、そこで小五郎は思い出した。
「そうだ! 母ちゃん……!」
先ほどに己を起こしたのは、母親だった。しかし、現在66歳にしてはいやに若く感じた……というか、あれは昔の記憶に見えるまだ若りし日の母親そのものではないか……?
いや、そもそもである。
小五郎は己の体をまさぐった。どこにも目立つ傷跡はないし、痛みも残っていない。
脳裏に浮かぶは、最後の記憶。ホテル最上階で炎に包まれた記憶……。
あの状況から、このような綺麗な体で助かるわけがない。
あまりにもわけのわからぬ状況に、小五郎の頭の中がぐるぐると渦を巻き始める。
そのときだった。
「――なにしてんのよ、あんた」
すぐそばの入口。母が開けっ放しにしていった襖の向こうで、一人の少女が呆れたような表情で立っていた。
生まれついての栗毛を頭の後ろで三つ編みのポニーテールに纏め、黒い大きな眼鏡をかけた少女。彼女が着ている青いセーラー服は、見覚えがある。小五郎の通っていた中学校の当時の制服だ……――と、いうか。
「うげぇ!? え、英理ィ!? おま、なに、ええ!? 若ッッ!!」
小五郎、盛大に混乱する。
彼の目の前に立つ少女は、遥かな記憶の中にある、かつての妻の姿、そのものだった。具体的には中学校三年くらい。
そして、自身を指差して素っ頓狂な叫びを上げる幼馴染を前にして、妃英理は盛大にため息を吐いた。
「なに意味のわからないこと言ってんの。どうでもいいから、さっさと準備してよね」
そう言い残して、彼の母親と同じように、再び一階へと降りて行った。
残された小五郎は、ずっと彼女を追いかけていた人差し指を引っ込めて。
ふと、部屋の隅の姿見を見やった。
「――――って、俺も若ァあ!?」
「さっきから何やってんのよ!? 近所迷惑以前に恥ずかしいからやめなさい!!」
そして階段を駆け上がってきた(まだ若い)母親に怒鳴られた。
◆
記憶の中の姿そのままの母親に怒鳴られたのち、急かされるままに部屋にあった学ランを着こんだ小五郎は、一階の居間にて座らされて――そして、固まっていた。
目の前のテーブルには、湯気の上る朝食が用意されている。
英理はというと、そばの椅子に座ってブラウン管のテレビでニュースを見ている。
すべてが、かつての記憶のなかの日常、そのものであった。
チラリと、壁の柱に掛けられている月めくりカレンダーを見やる。
平成元年、つまり1989年の2月1日。
小五郎の認識での昨日までが2012年であったことを考えると、ここは、おおよそ23年前の世界となる。
そしてこのころはつまり、小五郎は15歳で中学三年生の時期であった。
(しかし……)
これは本当に現実なのだろうか。
目の前の朝食、白米と味噌汁と昨夜の残り物らしき肉炒め。それらは温かで、そして実際に一口食べてみれば、旨い。味も感じる。
たしかにそれは、自身を育て上げた母の味だった。
その母も、そして妻も、自身さえも当時の背格好年齢となって、ここにいる。
明らかな現実感を伴って、それらは小五郎の目の前に広がっている。
だが――。
(現実であるわけがない……)
味噌汁の水面をじっと眺めたまま、小五郎は黙考する。
(俺は38歳で、けっして15歳なんかじゃねえ。もう立派な大人で、英理とも結婚して、娘も、蘭も生まれて、刑事やめて、……探偵になったんだ)
味噌で着色されたその椀の中では対流効果が確認できた。ぐるぐると蠢くその水流を眺めながら、小五郎の気分はどんどんと落ち込んでゆく。
(そんでもって、あの夜、炎に囲まれて、俺は――)
「あッ! 手が止まってる!!」
振り返った英理がそう指摘して、そこで彼女は小五郎の顔色に気が付いた。
「……ちょっと、あんた大丈夫? 顔真っ青よ」
言って近づき、自然に彼の額へと片手を当てる。
「熱はないみたい。……でも、今朝からたしかに、なんか様子おかしかったし……」
口を押えて考える英理。そこに小五郎の母親が顔を見せた。
「あら、英理ちゃん、どうかしたの?」
「それが、おばさん。こいつ、なんか具合悪いみたい」
そばで黙り込む小五郎を指差して、そう伝える英理。
彼の母親もそんな小五郎をのぞき見て、
「あらホント。全然食べてないわね」
そんな二人の様子をただじっと眺める(普段とはかけ離れた)大人しい息子を見て、彼女もなんだか心配になった様子で、
「小五郎。あんた今日、学校休むかい?」
そう聞いた。
小五郎も、まさかこんな状況で学校に行けるわけがないので、うなずく。
「じゃあ、あたしは学校に連絡してくるわ。英理ちゃん、本当にごめんなさいなんだけど、今日はひとりで登校してくれる? 小五郎、アンタは部屋で寝てなさい」
そう言って、彼女は居間を出て行った。廊下でダイヤルを回す音が聞こえる。
残った英理が、
「……大丈夫? 階段上れる?」
そう聞いてきた。どうにも今の小五郎は、彼女の目には「今にも倒れそうな」様子で映っているらしい。
たしかに、中学の頃の小五郎とくれば病気などほとんどかからずに、毎日を騒がしく過ごしていた。それが突然にこうも大人しくなってしまえば、心配にもなるだろう。
だが、
「……大丈夫だ」
そんなことにまで気を回せる余裕など、今の小五郎にはなかった。
彼はそれだけ言って彼女を突っぱねると、ひとり、のそりと立ち上がって居間を出てゆく。
廊下で、母親が電話口になにか会話しているのが横目に映る。
「――そうなんです。ええ、たしかに。あのやんちゃがすっかり大人しいんで、もう、吃驚しちゃって!」
学校の担任とでも話しているようだった。
ギイ、と軋む階段を上がりながら、小五郎は片手で頭を掻きむしる。
(なんなんだ、これは……。死の際の夢にしてはおかしいし、だが、現実なわけが……)
まったくもってわけがわからぬ未知の状況に、小五郎は頭がパンクしそうだった。
今はただ、一人になって、静かに考えたかった。
と、いうわけで三年越しの本編第一話です。(マジヤベェ
分量や内容少なかったりするのは、リハビリも兼ねてる感じで……。すみません。
以降はたぶん内容も濃くなりますから!(濃くなるとは言っていない
そして重ね重ね、エター繰り返して本当にすみませんでした。
きっとこれからは大丈夫です(無根拠
【注意】(2017/02/07追記)
なお、ねつ造設定として、早速に原作の年代を好き勝手にいじりました。すみません。
どうしても高校生小五郎を「平成の明智小五郎」にしたかったので(昭和だとちょっと……)、彼が高校一年時を平成元年に沿え、いわゆる原作時期を2012年とさせていただきました。
これに伴い、ほか原作キャラクタたちの生年月日も少し後ろへとずれ込むことになります。(例:沖野ヨーコ 原作はおそらく1976年生まれ → 今作では1991年生まれ)
どうかご容赦お願いいたします。(世紀末の魔術師とか、これ劇場版はできねえってことだな。)
【追記】(2017/02/08)
一晩明けて読み直して、「うーん……?」と今更ながらになったので、大幅に改稿いたしました。初版においては青山剛昌先生の短編「プレイ イット アゲイン」を拙くもイメージとしての参考にしていた気が(今となっては)するので、ゆえにおそらく明るい雰囲気になってしまったように思います。
前話となる序章から地続きにしては少し変な印象ですよね。というわけで、改稿です。
初版の後半部分に関しましては、完全に気が逸った作者の失策でした。連載当初の初心を思い出し、もう少し丁寧に物語を進行させていこうと思います。(あ、エタるフラグというわけではないので安心してください。)