なお、こちらは未完の旧序章となります。稚拙ながらも新序章が通算9話目にございますので、初見の方はそちらからご覧になることをお勧めします。
1. 天空の檻
「わあ、きれい!」
真鍮色の手すりにつかまり、三方がぐるりとガラス張りになっているエレベータから下界を見下ろして、毛利蘭はそう歓声を上げた。
どんどんと遠ざかる大地を眺めながら、彼女は傍の少年へ話しかける。
「ね、コナン君もそう思うよね?」
同じくガラス越しに町の夜景を眺めていた七歳ほどの少年は、子供らしく頷くと明るい声で、
「うんっ! すっごいね。町がきらきらして、すっごく遠くまで見える!」
と、そう言った。そして再び夜景を見下ろしながら、
(こういうのを100万ドルの夜景、っていうんだろうな。――まあ、実際のところは光害以外の何物でもねえ気がするけど……)
そんな情緒のへったくれもないことを胸の内で呟いた。
彼の名は江戸川コナン。見た目こそ幼い少年であるが、その中身はいやに大人染みており、ある種生意気ともいえるそれは、どこか中高生を思い浮かべさせた。
二人の様子を後ろで眺め、長身痩躯の男性――毛利小五郎は、着込んだスーツの首元を直しながら呼びかける。
「おいおめえら、これは仕事なんだ。あんまりはしゃぎすぎるなよ?」
それに明るく「はーい」と声を揃える娘と居候に、「こいつらホントにわかってんのか?」と小五郎は内心で呟いた。
そうこうしているうちに、やがてエレベータは静かに停止する。そして目的の階にたどりついたことを告げるメロディを流しながら、ゆっくりと扉が左右に開いた。
小五郎たちがエレベータから降りると、まず、目の前を真っ直ぐに続く赤いカーペットが目に入る。ふかふかする足元の感触に気を取られながらも辺りを見渡せば、エレベータホールの高い天井からシャンデリア型の電灯がぶら下がっていること、エレベータ脇や廊下の所々に警官が佇んでいることなどがわかった。
「ほう……」
廊下に飾られている絵画や壺などの、いかにも高級そうな雰囲気を眺めながら小五郎は小さく感嘆の息を漏らす。
「こいつあ、すげえな」
そう呟いてから、小五郎は周囲の警官たちに軽く会釈をし、蘭とコナンを連れて歩き出した。
少し経ち、そこでふと、蘭が思い出したように隣を歩く父親へ問いかける。
「お父さん、そういえば怪盗キッドの予告って何時だったっけ?」
小五郎はそれに、胸元から一枚の便箋を取り出して確認する。
「ああと、午後九時だな。遅刻したとはいえ、まだ七時半過ぎだし、十分に時間はあるぞ」
この場合の「時間があるぞ」とは、食事をしたり酒を飲んだりして、パーティを楽しむ時間があるぞ、という意味である。
それを察した蘭とコナンが若干にジト目となるが、小五郎はそれに気づくもあえて取り合わない。
微妙な空気の中、ふとコナンが呟く。
「でも、依頼人のひとも心配性だよね。こんなに警察が張り込んでるのに、さらにおじさんまで呼び出すなんて。……よっぽど大事なものなのかなあ」
廊下に配備されている警官とすれ違いながらの発言だった。
それに小五郎が、
「そりゃおめえ、この毛利小五郎が名探偵だからに――」
親指で自分を指し、鼻を伸ばしながらそう言おうとするが、そこをさらに蘭の発言が遮った。
「そういえばコナンくんは、まだニュース見てないんだよね?」
「うん、そうなんだ」
うなずくコナン。彼はここ数日を阿笠博士や少年探偵団の仲間と共に、長野県へと軽いキャンプに出かけていた。
実はこのときに訪れたキャンプ場で彼は殺人事件へ遭遇したりもしているのだが、これは聞かされていない小五郎や蘭は到底あずかり知らぬ話であるし、また別の物語でもあるのでここでは追及しない。
話を戻せば、この日の昼過ぎに彼がキャンプから戻ってきたとき、小五郎たちはすでに今回の依頼の準備を始めていた。そしてひとりで留守番させることはできないからと、コナンは帰宅して着替えさせられた、そのままその足で現在の会場まで連行させられていたのであった。
そのためコナンは、彼がキャンプをしていたこの数日間に世間を騒がせ、今現在をもってしてライブ中継にてお茶の間を盛り上げているこの状況に、一人ついていけていないのであった。
「今回の仕事の依頼が、怪盗キッドから宝石を守ってくれ、っていう話なのは車の中で言ったよね?」
またうなずくコナンに、蘭は話を続ける。
「今回の依頼人……
「像?」
繰り返すコナン。蘭は頷く。
「そう。大きな、人間大の天使像。きらきらと輝く水晶の像なんだって」
ここでコナンはなるほど、と納得した。人間大の水晶で出来た像。しかも遺跡から発掘された天使像ともなれば、おそらく学術的だけでなく、美術的にも相当に価値のあるものなのだろう。
宝石にまつわる美術品ばかりを狙う怪盗キッドが、新たなる獲物と定めてもおかしくはない。
キッドのヤロー、今度こそ捕まえてやる、とそのようなことへとコナンの思考は流れていく。
そのためか、彼は蘭が次に発したその台詞をあまり気にすることはなかった。へえ、そいつはすごいな、とそう思っただけだった。
「それでね、これがすごい不思議な話なんだけど。その天使像は、月の光に照らしたときだけ、心臓の部分が赤く輝くんだって!」
◆
入り口に立つ警官へ招待状を見せて、無事パーティホールへと入場した小五郎たちは、立食パーティを楽しむ客ら(どれもどこかの大学の教授や研究者、そして財政界に名だたる企業経営者や、マスコミ関係者)へと混じる前に、まず警察関係者へと挨拶をした。
挨拶をした――というよりも、ホールへと入ってきた小五郎を目ざとく見つけるなり、向こうの方から挨拶にきた。
「いやあ、これはこれは! 居眠り! 探偵の毛利さんじゃないですか!」
中森銀三警部は、そう言ってにこやかに右手を差し出した。
小五郎もそれに手を差し出しながら、にこやかに応対する。
「やあ、こいつはどうも! 盗人を十年以上追っていて一度も捕まえられていない、ヘボ! 刑事の中森警部じゃないですか!」
それを聞くなり、中森の額に薄く血管が浮き上がる。彼が握る小五郎の手がみしりと音を立てた。
「へ、ヘボ……? や、それより! ず、随分と遅刻をなさったようですなあ! さすがは迷探偵! 車の中でも居眠りとは、いやあ! 御見それしました!」
それを聞き、小五郎のほうも口角がひくつく。そのまま肩を使って中森の手を握り返した。今度はあちらの手からみしりと音が鳴る。
「いやあ! それほどでもないですよ! なにしろ私は名! 探偵! 一度相対した犯人は、すべて! 捕まえてきましたからなあ!」
そのまま二人は互いに握った手を離さないまま、こう着状態へと陥る。
「「ぐ、ぐぬぬぬ……」」
互いに肩をいからせて相手を握り返しているその光景に、周囲の警官と蘭、コナンは呆れた目を向けることしかできなかった。
コナンは内心で呟く。
(オイオイ。このやりとり、毎回するのかよ)
ちなみに小五郎たちが遅刻した原因は、怪盗キッド出現の予告を聞いてこのビルの下へと集まった、大勢の野次馬やマスコミ関係者たちによって道路が渋滞となっていたからである。
「……しかし、中森警、部!」
少しの間続いたこう着状態だったが、小五郎の渾身によってまた崩れた。中森の顔が苦痛にゆがむ。
「なんです、かな!」
中森が反撃し、今度は小五郎の額に汗が流れる。
「今回はこんなに大勢の一般客がいます、が!」
握り返しながら、小五郎は思った。……これ、いつまで続くんだろうか。
と、そこで小五郎と中森の目が合った。
――そのまま互いの瞳をのぞきあうこと、しばし。
やがて、どちらからともなく、二人は握り合っていた手を同時に離した。
……いいかげんに、どちらの手も赤くしびれて感覚が鈍くなっていた。
右手を振り、襟をただし、ごほん、とわざとらしく咳をして。小五郎は再び中森へと問いかけた。
「それで、中森警部」
「……なんだね」
右手をもみながら、不機嫌な声色で返す中森。
「こんなに一般客がいるんです。もしやとは思いますが、警備のほうは何か問題があったりしませんか?」
辺りを見回しながら、小五郎はそう言った。たしかに毎度のごとく警官の数はやたらと多いが、まさかここまで人が多いのなら、変装が得意とされる怪盗キッドなどは、いともたやすく侵入できるんじゃなかろうか。
ちなみに、キッドが予告上を出した例の水晶像はまだこの場へは現れてはいない。あらかじめ知らされているタイムテーブルでは、もう十分ほどしたら小五郎の今回の依頼人である八柳博士と、そしてそのスポンサーである久間錬三郎(彼は久間財閥の御曹司である)と共に会場入りする予定である。
閑話休題。
小五郎の問いを聞いて、中森はそれを鼻で笑った。
「ハンッ。誰に物を言っとるのかね、君は」
そして、
「水晶像はその周りを厚さ30ミリの防弾ガラスで囲ってあり、更にその取り外し口には計10個の錠! そしてお披露目の時間まで、現在は厚さ50ミリの鉄板でできた金庫の中にある!
金庫のそばには7人の警官! 金庫のある部屋は内側から鍵がかかっており、その扉の外にはさらに10人の警官! 金庫のある部屋には人が通れるような通風口などないし、金庫を搬入する前に調べたが、どこにもおかしな仕掛けはなかった!
こうなるとキッドの奴は、水晶像が金庫から出されるお披露目の時間を狙うしかないはず! しかし! その間、水晶像は――」
凄い剣幕で、これでもかと説明する中森。しかし、そこまで話したところで突然に口を閉じる。
そして、にんまりと気味の悪い笑みを浮かべて、
「――ンン! まあ、ここまででいいだろう。なんにせよ今回、キッドのヤツはなにもできはせん。なにしろ、ネズミ一匹逃さぬカンペキな包囲網だ。
例えるなら、そうだね。現在、ここはまさに天空の中の檻なのだよ」
中森があまりにも自信満々に言いきるものだから、気圧された小五郎はどこかやる気のそがれたような声で、
「あー、そっすか。まあ、それならいいんですよ。ええ」
そう言った。その答えに中森は満足したようにうなずく。
「いやあ、本当に残念だがね。今回、きみの出番はないと思うよ」
中森はそう言い残すと、はっはっは、と高笑いをしながら部下と共に去っていった。
「……なんだ、あいつ」
呟く小五郎に、
「お父さん、元気だしなよ」
蘭が慰めの言葉をかけるが、小五郎はうるせい、とだけ言うと、ワインらしきグラスを配っているボーイのもとへと歩んで行った。
どうも、やけ酒をあおるつもりらしい。蘭はその様子に、「もうっ! これだから!」と呟くと、急いでその後を追いかける。
この後に依頼人と顔を合わせるのだから、その前に酔っぱらってもらっては困るのである。
後には、ぽつんとコナン一人が残された。
(天空の
小さな顎に片手をあて、コナンはひとり考える。ふと見上げた彼の目に、パーティホールの隅に並ぶ窓ガラスが映った。
なにを考えるでもなく、コナンは吸い寄せられるようにそこへトコトコと近づく。
そばまで近づくと、その窓ガラスがいかに堅牢な物かがよくわかった。
見るに、厚さは少なくとも30ミリはある。さらに夜景を透かしてみれば、窓ガラスの中には幾本もの針金が網目を作っていた。
(窓を割ってパラグライダー……ってのも無理か)
踵を返して会場を眺める。今確かめたように、窓はすべて針金入りの強化ガラス。他に出入りできるような場所は、壁や天井、床を破壊しない限りは、コナンや他の招待客が入ってきた扉と、おそらく水晶像を搬入するためのものだろう、ステージ横の扉。その二つだけだった。
先程自分が入ってきた扉まで近づく。
警備する警官に怪しまれないようにしながら、しばらくその扉を軽く観察し――
そこで、コナンは小さく納得した。
「こりゃ、たしかに無理だな……」
なにか廊下の警護班に用事があったのだろう警官が、先程たまたまコナンの目の前でその扉を通った。
そのとき、彼は扉の側面を目撃することになる。
金属製の扉は少なくとも40ミリほどの厚さがあり、そしてその内部に巨大な閂を3つ内臓しているのだった。
扉の外部に閂を動かすための仕組みが見られないことから、おそらくは電子的なロックかなにかだと思われる。
どちらにせよ、こんな刑務所張りの重厚な扉は爆弾でも使わない限りは突破することは難しい。
他には内部の閂を動かす電子的仕組みにクラッキングをしかける方法が考えられるが、今まで散々辛酸をなめさせられ続けてきた中森のことである。その程度の対策はなにか考えてあるだろう。
一度入ったら抜け出せない。たしかにここはキッド専用の檻になっている。
(これじゃ、たしかにおれの出番はないかもな)
コナンはそう思い、――そこで、蘭が自分の名を呼んでいる事に気がついた。
どうも、ようやくコナンがそばにいないことに気がついたらしい。
「はーい、ここにいるよー」
子供らしい明るい声を意識しながら、彼女のもとへと駆け寄っていく。
どうせ予告の時間までに、まだ一時間以上もある。怪盗キッドについては、ひとまず置いておこう。そう考えて、そこで彼はふと思った。
(しかし、あれだな。窓ガラスに、扉に、像を入れるガラスケース……あと金庫もあったっけ。こんだけの準備、中森警部は一体どこからそんな資金を……)
キッドがこんな檻からも抜け出せるのならそれはそれで立派な謎だが、それ以上に中森がどうやってこんな設備を整えたのか。そっちの方が謎かもしれない……、そんなことをコナンはふと感じるのだった。
2017/02/07 まえがき・あとがき編集
2017/02/13 まえがき編集