名探偵 毛利小五郎   作:和城山

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2. 水晶像

 警察を除いた客らがパーティを楽しんでいると、ふいに会場の照明が暗くなった。

 ところどころで小さくどよめきが生まれる。料理をせっせと皿によそっていた小五郎も驚き、

 

「なんだぁ!?」

 

 と声を漏らした。

 

 と、そこに会場のある場所が複数のライトで照らしだされた。会場の奥に設置されたステージである。

 

「みなさん、大変長らくお待たせいたしました!」

 

 響き渡った声に見れば、ステージ上にスーツ姿の若い男がマイクを持って立っていた。

 

「それでは。いよいよ、今日の主賓。八柳忠久博士と久間錬三郎(きゅうまれんざぶろう)社長、そして彼らの発掘したクリスタル・エンジェル――『オリュンピアの天使像』の登場です!!」

 

 拍手をもってお迎えください! という司会の言葉に続き、ステージ横の暗闇がライトアップされた。明るくなったそこにはすでに八柳と久間、そして防弾ガラスのケースに安置された天使像が、大勢の警官に囲まれて立っていた。

 

 途端、歓声。会場中から溢れんばかりの拍手が広がった。

 

 笑みをたたえた八柳と久間が二人並んでステージ上へと歩み始め、その後ろを警官隊がキャスターに乗せた天使像を慎重に運んでいく。

 

 水晶で作られた古代の像が、会場のライトでキラキラと透明に輝く様子は防弾ガラス越しでもよく見えた。それに蘭は「わあっ」と小さく歓声をあげ、小五郎はステージそばで立つ中森を見ながらワインをあおり、なにが気に食わないのか「けっ」と漏らす。

 コナンは小五郎の横で背伸びをしながら、いそいでひそかにステージ横の奥の扉を確認する。勿論そこは閉まっており、おそらく内部の閂もすでに施錠されているのだろうとコナンは思った。

 

 これにより、窓が割れない以上唯一の出入り口である二つの扉が双方とも施錠され、中森の用意したキッド専用の檻が、今まさに完成したのである。

 

「えー、みなさん。本日はお集まりいただき、まことにありがとうございます。事前に告知をいたしてきましたとおり、本日はこちらの八柳博士が発掘した、世紀の大発見である水晶像『オリュンピアの天使像』の披露会となっております。……」

 

 会場がまた明るくなり、壇上で司会からマイクを受け取った久間が、そのようにしてスピーチを始めた。コナンはちらりとそのそばの水晶像を確認したが、どこにもおかしな点は見られなかった。

 

「こちらの、このガラスケース内に入っているものが、その『オリュンピアの天使像』です。知ってる方も多くいらっしゃると思いますが、なんと今回あの有名な大泥棒、怪盗キッドも狙っているらしい、それほどの、まあ、まさにその価値は考古学的にも美術的にも計り知れない代物となっています。

 ……それでは、このあたりでこれを発掘した本人である、八柳博士にお話を伺いましょう」

 

「いや、どうも。東都大学大学院で教授をしております、八柳忠久といいます。

 それでこちらの水晶像についてですが。そもそも、水晶を扱った工芸品というものは元来珍しいものではないのですが、……」

 

 久間のスピーチは、そこでもう一本のマイクを持った八柳が混じる。スピーチの内容は最初は『オリュンピアの天使像』自体の特異性や価値、そしてその採掘にまつわる苦労やなんやのエピソードであったが、やがて久間と八柳の出会いの話にまで及んだ。

 かれこれ五年来の友人という二人の息の合ったコンビネーションで時折入れられるジョークは、そのたびに会場のあちこちから忍び笑いがこぼれるほどだった。

 

(……あと四十分を切った)

 

 八時二十分を示す腕時計型麻酔銃を見下ろし、コナンはそう頭の中でこぼした。

 キッドのことであるから、おそらくは毎度のごとく予告上の時間ぴったりに現れるはずである。

 先程の小五郎との会話から鑑みるに、今回は午後九時が予告時間であるらしい。

 あと少しだ。

 しかし、怪しい動きをしている人間は今のところ見当たらないな……。

 そうしてコナンがきょろきょろと辺りを見ていると、それに気づいた蘭が声をかけた。

 

「あれ? どうしたの、コナンくん」

 

「え、えーっと……」

 

 突然名を呼ばれたコナンは慌てる。急いで言い訳を考えようとして、そこでその様子に小五郎も気づく。

 

「あ? なんだ、坊主。トイレか?」

 

「そうなの?」

 

 蘭も気づいたようにして小五郎の言葉に乗る。

 

「い、いや、ちがうよ……?」

 

 そろそろ怪盗キッドが隠れて何かを始めるかもしれないのに、ここでこのホールから出るわけにはいかない。コナンは二人の言葉に否定した。

 

 と、そこで、

 

「しっかし、トイレといえば……なんか俺、行きたくなってきたな」

 

 そばのテーブルへワイングラスを置きながら、そのように小五郎が呟いた。

 原因は、明らかに酒の飲み過ぎである。

 

「もうっ! お父さん!」

 

 憤慨する蘭にどうどうと手をやりながら、「んじゃ、ちょっと行ってくる」と言って小五郎はその場を逃げるように離れて行った。

 

「まったく……」

 

 腰に手を当てて息を吐く蘭の後ろで、コナンは苦笑いを浮かべて小五郎の後姿を眺めていた。

 そして小五郎が扉へ着いたところでコナンの顔から表情が消えさる。

 小五郎と警官がなにやら話を付けると、その警官が無線で誰かと通話した後、ゆっくりと少しだけ扉が開いた。そこから小五郎は外へと出て行き、すぐに元の通りに扉は閉まる。

 その様子を、コナンは真顔でじっくりと見つめていた。

 

 

             ◆

 

 

「ふいー。すっきりしたぜー」

 

 一度ぶるりと体を震わせて、小五郎はそう言うとズボンのファスナーを上げた。

 小便器から離れて洗面所へと向かい、手を洗う。

 そしてポケットから取り出したハンケチで手を拭き、なんとはなしに腕時計を確認した。

 

「……そろそろ、か」

 

 怪盗キッドの予告時刻は午後九時。現在時刻は午後八時半だった。

 

 そのまま視線を上げて、正面に設置された鏡を眺める。

 後ろへ流した髪に、少し骨張った頬、鋭い目つき、整えられた口髭……。最近世間で話題の、名探偵毛利小五郎、その人の顔であった。

 

「…………」

 

 と、小五郎はそこで何を思ったのか、鏡に背を向けて洗面台へと寄りかかる。そして背広から煙草を一本取り出すと、オイルライターで小さく火を点けた。

 

「……フゥ」

 

 吐き出した紫煙が天井の換気扇へと吸い込まれていく。

 幸いトイレには小五郎一人しかいないので、誰に見とがめられるわけでもなかった。

 

 ふと天井を見あげ、そのまま換気扇をぼうっと眺める。

 吸い慣れた苦味に心が落ち着いていくのがよくわかった。

 

 小五郎は先程通ったホール出入り口を思い出す。警官に伝えてから実際に開くまでの短くないプロセス、そして扉から感じた異様な重量感。

 それらは小五郎にある場所を連想させた。

 

 ――刑務所。

 

 刑事だった頃、数度だけ面会に訪れたことがある。面会室にいたるまでの所々の扉は電子オートロック式で、それらは鋼鉄の扉の内部に閂が仕掛けられていた。

 

 ホールのあの扉も、おそらくはその類なのだろう。小五郎はそう察する。

 

 水晶像が持ち込まれると同時に扉に鍵をかけ、あとはのこのこと現れた怪盗キッドを逃がさなければそれでこの事案は解決する。

 

 さっきはまだ予告時間まで時間があったから小五郎も出られたが、あと十数分もすれば一切の出入りが不可能となるのだろう。

 

 ……中森も手馴れている。戻るなら、早く戻らねえとな。

 

 と、そこまで思って小五郎は意識せずため息をついた。

 

(――まあ俺が戻ったところで、どうにもならねえと思うがね)

 

 所詮は形だけの名探偵……。小五郎は続けてそう呟いた。

 

 

 ――『毛利小五郎』は、名探偵である。

 

 それは最近にテレビや新聞のニュースを見ている者なら誰でも知っていることであり、実際の事実である――とされていることである。

 世間のほとんどの人間が、「毛利小五郎は名探偵である」という、それを真実だと信じて疑っていない。

 

 

 ――毛利小五郎、彼自身の、ただ一人を除いて。

 

 

 

 

 

 ――事件解決時の、記憶がない。

 

 最初にそれに気がついたのは、今はもう遠く昔に感じられる一年前、それも「名探偵・眠りの小五郎」が世間に認知されるようになるきっかけとなった事件だった。

 

 その事件以前の小五郎は、事情があったとはいえど妻を拳銃で撃ったという事実からくる自責により刑事をやめて探偵を始めたものの、まるでうだつが上がらず、あげくはその妻が家を出て別居を始めるという体たらくだった。

 

 しかし、その事件からは違った。

 

 捜査の最中に突然首筋に違和感が走ったかと思うと、気がつけば事件が無事に解決されたその後で。

 しかも周囲いわく、それを解決したのは小五郎自身なのだという。

 

 ――まったく、意味がわからなかった。

 

 だが、「お父さん、すごかったよっ」と自分をほめる娘や、「毛利君、君ももう立派な探偵なのだな」と感慨深げに言う刑事時代の上司。彼らのきらきらと輝く瞳を前にして「何をわけのわからないことを言っているんだ」と突き返すのは、小五郎にはどうしても憚られた。

 

 それまで娘には稼ぎの少なさや母親の不在から様々な苦労をさせていたし、上司だった目暮にはたびたび酒に誘うなどして気をかけてもらっていた。

 

 そして小五郎自身、自分に対する今までの周囲の目を気にしていなかったわけではなかった。娘の幼馴染がやれ高校生探偵だ、やれ平成のホームズだと紙面上でその活躍が載るたびに、小五郎は内心でひそかに激しく嫉妬し、羨んだ。

 朝、ゴミを出しに出るたびに、近所の奥様がたから向けられる「同じ町の、同じ探偵なのにねえ……」というような視線を、忘れたわけではなかった。

 

 だから。

 

 そのとき小五郎は、「俺だってな、本気を出せばこんなもんさ」と、そんな虚しい嘘を吐いたのだった――。

 

 

 また当時、どこか心の片隅では「もしかしたら本当に自分が事件を解決していて、しかしどこか記憶に障害が生じているだけなのかもしれない」と、そう思っていたのも事実である。

 

 しかし、その後いくらどんな病院へ通おうとも、小五郎のそれがはっきりこれこれこういう症例だと、そう病気扱いされることはなかった。

 

 

 ――脳に異常は見られない。血液検査結果から覚せい剤などの使用も勿論見られない。

 

 ――記憶を失う直前、首筋に鋭い痛みを感じることがある、と仰いましたが、やはり首にもなんら異常は見られませんでした。

 

 ――本当に、記憶がなくなっているのですか?

 

 ――なら、おそらく精神的な問題でしょう。

 

 ――そうでもなかったら、「どんな検査でも検出されない、特定の記憶のみを封印する効能の毒素」を塗ったなにか毒針かなんかで毎度首筋を刺されているのかもしれませんね。

 

 ――まあ、そんな代物があるわけはないですが。……もしかしたら、多重人格の可能性もあります。推理する時だけ、入れ替わってしまうというような。

 

 ――なにか、幼少期でつらいことを経験したことはありませんでしたか?

 

 

 それなりの期間を、病院で体の検査を受け、診療所でカウンセリングを受けた。そうしている間にも次々と事件は起こり、そのたびに「眠りの小五郎」が、小五郎の意識外で活躍した。

 

 やがて医者たちは、そろって小五郎に入院を勧めるようになった。

 

 この頃になると、小五郎はもう、「これ以上検査したってどうせ原因なんてわかりゃしない」と察し始めていた。

 

 これまでの検査やカウンセリングでさえ家族には黙っていたのである。入院などしたらどうしても家族に知られてしまう。

 

 家族は今、「眠りの小五郎」の度重なる活躍に喜んでいる。このままもしかすれば、別居した妻も戻って来てくれるかもしれない、と淡く夢想してしまう程に。

 だから。

 そんな雰囲気に水を差したくなくて、小五郎はひとり、黙ってこの奇妙な症状と付き合い続けることを選択した。

 

 

 

 

 そうして現在へと至る。

 

 皮肉なことに、今まではたいして役に立ってこなかった、むしろ小五郎自身の推理力の低さにつながっていた生来の調子に乗りやすい性分が、ここにきて逆に幸いし、小五郎は誰にもその胸の内を感づかれることなく、自分自身がよくわからないままという道化である「名探偵・毛利小五郎」として、ここまで過ごし続けることができていた。

 

 吸い過ぎて短くなった煙草を洗面器に残っている水につけて消す。二本目の煙草を取り出して、火を点ける。

 

「……フゥ」

 

 深く煙を吐き出して、小五郎はふともう一度時間を確認した。そこで、そろそろ会場に戻れなくなるなと気づく。

 

 どうせ今回も、記憶が抜けてもう一人の自分が活躍する。そして事件が終わり、残った空っぽの自分が賞賛を浴びる。

 

 ……いや、もしかするとその現象が起きるまでもなく、中森がすべて丸く収めてしまうかもしれない。

 

 ――まあ、どちらにせよ。

 

「戻るか……」

 

 力なく呟き、二本目の煙草も洗面器で揉み消す。

 

 そしてトイレを出ようとして、そこで先程まで眺めていた換気扇が目に入った。

 

(怪盗キッドの野郎は、通風孔とか通るのが得意だって話だったな。そういえば……)

 

 いや、まさか。それでもそうそうない。中森だってすでに確認しているはずだ。……

 

 様々な否定文句が脳内を駆ける。

 

 ――しかし、それでも。

 

 ――記憶を失う前に、「俺自身」がなにかやっておきたい。

 

 そう、思ってしまった。

 

 小五郎はそのまましばし躊躇して、

 

(……一応、確認だけはしておくか)

 

 トイレの出口から、トイレ内へと踵を返した。

 

 

 

 

 

「――異常はねえな……」

 

 トイレ内の天井に設置されている二つの換気扇を下から眺めて、そう呟く。

 

「あとは……」

 

 定石なら、不審物のチェックだろうか。

 

 小五郎は、ひとつひとつの個室のドアを開いていった。

 

「どこも異常なし……」

 

 計八つの個室を見終えて、そこで、さあ、やることはやった、と小五郎は内心に言い聞かせる。

 

 なのに。

 

(なんで、こんなに腑に落ちねえんだ……?)

 

 さっき、変に物思いに耽ってしまったからだろうか。

 どうにも、気分がいつも以上におかしい。

 

 腕時計を確認する。流石にそろそろ、会場に入るのは難しいかもしれない時間だ。

 

「はあ……どうしちまったっていうんだよ、まったく……」

 

 ため息をつき、(かぶり)を振る。

 

 と、そこで。

 

 小五郎の目に、洗面台の下部が目に入った。

 

「……そういえば、ここは見てねえか」

 

 他にやることもなくなってしまった小五郎は、ふらりとそこへ歩み寄り、どうせ何もないだろうという軽い気持ちで戸を開けた。

 

 そして。

 

 

「……は?」

 

 

 排水管の下、カッチカッチと不穏な微音を立てる紙袋を発見するのだった。

 




2017/02/07 まえがき・あとがき編集
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