復活×ワートリ〜沢田綱吉と迅悠一が血の繋がらない兄弟だったら?〜
ボンゴレ十代目になるためにイタリアに渡った綱吉は、リボーンからとある任務を言い渡される。それはボンゴレが出資している界境防衛組織への視察。ボーダーで綱吉が再会したのは、三年間だけ共に過ごした兄、迅悠一その人であった。
○捏造に捏造をブレンドしているので閲覧は自己責任でお願いいたします。迅の母親の葬儀のシーンもあるので苦手な人はご注意下さい。

現在  悠一19 綱吉16
四年前 悠一15 綱吉12
五年前 悠一14 綱吉11
七年前 悠一12 綱吉9
十年前 悠一9 綱吉6

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親愛なるあなたへ

玄関の扉を開けると、気持ちの良い陽光が花壇を照らす朝だった。朝露に反射して宝石のように輝いている。そうだ、朝食にオムレツを焼こうと、沢田奈々は郵便受けを確認しながら素敵なアイデアに心を躍らせる。

 手紙の束を手に取って、あら、と声が出た。町内会からのお知らせの下にある、一枚の葉書の差出人を奈々は良く知っている。四年前のあの日から、ずっと待っていたのである。

 迅悠一。奈々にとって息子のような男の子。

 もう一度、あら、と声が出た。葉書には写真が印刷されていて、そこには何人かの少年少女と映る彼がいる。

「もう男の子って歳じゃないのね」

 彼が沢田家を去って七年が経つ。記憶の中の少年は、立派な青年へと成長していた。

 沢田家の玄関には三枚の写真が飾ってある。一枚は奈々と夫と実子、沢田綱吉の写真、一枚は奈々と綱吉と子供たちの写真、そして最後の一枚は、長男の小学校の入学式で撮った、奈々と悠一と綱吉の写真なのだ。この家で悠一が過ごしたのはたったの三年だけれど、高校時代の親友の葬式で出会ったあの日から、彼は今でも奈々の息子なのである。

 瞼を閉じずとも、七年が経っていようとも、奈々の眼には少年の悠一の姿が残っている。

「ママン」

 声をかけられて、自分が写真に魅入っていたことに気付いた奈々は、寝ぼけ眼の子供、沢田フゥ太に反射的に微笑いかけた。

「おはよう、フゥ太君」

「写真がどうかしたの」

 そばに来たフゥ太の上背はまもなく奈々を抜かそうとしている。同じ家で暮らしているというのに、男の子の成長速度にはっとさせられる。悠一はどれくらい大きくなったのだろう。写真だけではよくわからない。

「ねぇ、フゥ太君。今度の土曜日なんだけど、ユー君に会いに行かない?」

「ユー君って、僕たちの前にいた人だよね」

「そうよ。ツっ君のお兄ちゃん」

 写真を見つめるフゥ太の眼は、寝起きという点を差し引いても柔らかい。

「ツナ兄のお兄ちゃんならさ、僕たちにとってもお兄ちゃんだ」

 きっと、口にした本人からすれば何気ないひとこと。けれども奈々は涙を堪えるために喉の奥をきゅっと締めなくてはならない。

 沢田の家に来てくれる子供たちは、どうしてこうも皆が優しいのだろう。

 ──奈々さん、お願い。次の日曜日は並盛を離れて。家光さんに連絡をして実家とかに帰省して欲しいんだ。お願いだよ、奈々さん、俺を信じて。

 この家を出てから悠一が連絡をよこしたのはその一度きりである。彼の言うとおり並盛を離れると、隣町の三門は謎の未確認生物によって多大な被害を受けた。死者千二百人以上、四百人以上がいまだ行方不明。気まぐれに出かけていれば奈々がその数に含まれていたかもしれないのだ。隣町の混乱から逃れた奈々は、息子と共に実家のテレビから一連のニュースをただ眺めていたのである。

 奈々の眼に映る悠一の姿は七年前のままなのに、耳に残るのは四年前の懇願するような声である。青年になった彼はどんなふうに微笑って、どんな声をしているのか。会いに行こう。近況を知らせる葉書が届いたということは、彼の周囲も落ち着いたということだろう。

 いま一度、葉書に映る少年少女を凝と見る。そうして気づくのである。何人かの大人の姿があるにもかかわらず、最上宗一がいないことに。

 

 青く清んだ空は、悠一の眼と同じ色をしている。夏の蒼穹は青すぎる。秋の高い空か、彼の生まれた春の空の色がより近い。

 今日、奈々は悠一に会うために三門市を訪れている。地図と葉書の住所を照らし合わせながらフゥ太が先導してくれるおかげで迷わずに川まで来ることができた。川沿いに歩いて行くと、ボーダーのエンブレムが描かれた建物が見えてくる。葉書に印刷されている建物は川の上に建っている。

「事前に連絡はしていないんだよね、会えるかな」

「大丈夫、会えるわよ」

 自信たっぷりに答えると、フゥ太は不思議そうに首を傾げる。

「ユー君の眼にはね、未来が映るのよ」

 ──奈々さんは俺の言うこと信じてくれるの。

 ──当たり前じゃないの、信じるわ。

「奈々さん」

 記憶の中よりもいくらか低くなってはいたけれど、発音は当時のままだった。気遣いと親しみがにじむ、呼びかけである。

 橋の袂まで出迎えてくれた悠一の髪が、風に揺れて、その栗色の髪は、奈々と彼を親子に、悠一を実の兄のように見せていた髪である。

「ユー君、ふふ、大きくなって」

 七年前、十二歳であった悠一の背は奈々より低かったのに、今では奈々よりもずっと高くて見上げないといけない。昔のように抱きしめてあげたかった。あなたの本当の母親にはなれなくとも、彼女と同じくらいあなたを信じていると伝えるために。

 たった三年だけしかそばにいなかった女から抱きしめられても戸惑ってしまうかもしれない、そんな杞憂は、びゅうっと風に吹かれて飛んでいく。

「ごめんね、こうすると奈々さんが泣いちゃうのは視えてたんだけどさ、ずっと会いたかったから」

 奈々の細腕で囲ってしまえた小さな背中が、今では両腕を背にまわしても余るほど大きくなってしまっている。毎日抱きしめながらその成長を見守りたかった想いは口には出さない。彼のやるべきことを応援しようと、彼が沢田の家を巣立ったときに決めたから。

「大丈夫よ、これは嬉し涙だから」

 涙を拭いながらフゥ太を手招く。

「紹介するわ。うちの子なの。ユー君の弟、実はあと二人いるのよ」

「はじめまして、沢田フゥ太です」

 悠一は子だくさんだと破顔して、「はじめまして、お兄ちゃんです。ははっ、迅悠一だよ」とフゥ太の背中を叩いた。

 いつまでも立ち話はなんだからと、悠一は川の上に浮かぶようにして建っている不思議な建物の中へ二人を案内した。特殊な外観ではあったが、内装は普通で、通されたリビングには葉書に写っていた少年少女がいる。

「ここがいまの俺の家で、こいつらは俺の仲間たち」

 小南桐絵、宇佐美栞、烏丸京介、子供は林道陽太郎と名乗り、茶を出してくれたのは木崎レイジという青年であった。

「彼女は沢田奈々さんと息子のフゥ太。奈々さんは俺の第二の母親だよ。俺が最上さんとここに来るまでの三年間、世話になったんだ」

 桐絵という明るい髪色の少女の眉間にわずかにシワが寄って、ああ彼女は知っているのね、と思うと、その眼が向いた先はフゥ太である。

「前に迅が言っていたの。奈々さんはとても料理が美味いって。フゥ太、あなたはなにが一番好き?」

「そうですね──ぜんぶ美味しいから難しいけど、強いて言うなら唐揚げかな──でも豚汁も捨てがたいし、トンカツ──ううん」

「トンカツも美味いんすか」

 顎に手を当てて熟考するフゥ太の呟きに京介という少年の眼が輝き、栞という眼鏡の少女が「迅さんはなにが一番好きなんですか?」と問う。

「俺もフゥ太と同意見。ぜんぶ美味いよ。ま、俺の一番のおすすめはハンバーグかな」

 それを意外がったのは栞だけではなく、鍋って言うのかと思いました、と京介。迅の得意料理は鍋なのよ、と桐絵が教えてくれる。

 鍋──そうか、鍋。彼女はあまり料理が上手ではなくて、奈々が電話で教えた黄金比で作る鍋が得意料理だった──というふうに哀愁に誘われようとしていた奈々の意識を引き戻してくれたのは、フゥ太による「ツナ兄と同じだね」というひとことだ。

「ツナ兄もママンのハンバーグが一番好きだって言ってたよ」

 そうだ、今日は悠一の顔を見て、安心できたらそれを伝えようと想ってここに来たのだ。奈々は改めて悠一の表情を見る。微笑っている。だがそれはあのころのようにではなくて。あのころの不安定だった悠一の面影はすでになく、あるのは、未成年には見合わない不釣り合いな安定である。それを奈々は知っている。血の繋がりを持つ息子、綱吉が、同じく年齢に見合わない安定を身につけてイタリアに渡るのを眼にしている。

「綱吉はずっとあなたからの連絡を待っていたのよ。いまは家光さんの仕事の手伝いでイタリアにいるから、すぐには会えないけれど、声だけでも聞けたらとても喜ぶと思うの」

「会えるよ」

 悠一は微笑う。奈々の知らない大人びた顔で。

「あいつは日本に帰ってくるよ。来月の頭くらいに」

「──ユー君が言うなら、そうなのね」

 どういうこと、と言いかけたフゥ太に被せるように奈々はその言葉を受け止めた。

「ママン──?」

「ユー君の眼には少し先の未来が視えるの。だから、帰ってくるわよ、ツっ君が」

 奈々の持つ確信がフゥ太に伝わったのだろう。二人は顔を見合わせて喜ぶ。綱吉の喜ぶ顔も眼に浮かぶようで、奈々は胸が弾むような提案を持ちかける。

「ねえ、ユー君、うちにご飯を食べに来ない? ランボ君とイーピンちゃんを紹介するわ。それに最上さんにも久しぶりに会いたいの。みんなで食卓を囲んだら賑やかで楽しいわよ」

「うーん、どうかなぁ」

 悠一は頭のサングラスの位置を直しながら言いづらそうにする。

「最上さんはいま遠くにいるから、すぐには来れないんだ」

「それは、残念ね」

「──うん、でも、奈々さんのハンバーグは楽しみにしてるよ」

 やはり悠一は微笑い方が変わったようだ。当たり前か、彼が沢田家にいたのは七年も前のことで、ボーダーに所属しているということは、四年前の大規模侵攻の渦中で奈々には想像も付かない経験をしたのだろうから。テレビ画面越しに見ていることしかできなかった奈々が触れてはいけないものだとしても──奈々は二人目の、悠一の母親である。これは奈々にしかできない、奈々だけの役割なのだ。

「いつでも帰ってきてね、ユー君。あなたはこれからもずっと、私の息子なんだから」

 

2

 

 デフォルト設定のスマホのアラーム音がピッと音を立てると同時に、獄寺隼人は素早くアラームを止めた。時刻は午後の二時四十五分。五十分の集中で固まった体をほぐして腰を上げ、スーツのジャケットを羽織る。

 二時五十分、親愛なるボスの執務室の扉を叩く。

 獄寺が親愛なるボスである沢田綱吉と、山本武の三人でイタリアに渡ってから半年が経つと、どこから手をつけるべきかもわからなかった膨大な量の引き継ぎ作業にも道筋が見えてきた。嵐の守護者は代々ボスの右腕を務めているので、ボンゴレという組織の構造から三百年の歴史、受け継がれてきた伝統、傘下組織の確認など、過去の把握からはじまり、現在、組織が進む未来までもを見据えて学ばなければならない。右腕であり続けるかぎりこの学びが終わることはない。コヨーテ・ヌガーから嵐としての務めを説かれてまもなく、獄寺はそれを理解し心に留めた。

「十代目、お時間になりました」

「もうそんな時間か。ありがとう、隼人」

 執務室を出ると山本が待機していた。三人で応接間を目指す。

 道中の獄寺は無口であった。本来ならば主人の緊張をほぐすことも右腕の務めであるが、これから顔を合わせるがボンゴレ九代目であること、そして普段は本部におらず、ふらりと出かけてふらりと戻ってきては抗争やパーティなどの要件を持ってくることから、獄寺は脳裏でいくつかの波乱をシミュレートせざるを得ないのだ。

「ボーダーを知っているね。三門市にある、近民界からの自衛のために設立された民間組織だ」

 右腕の予感は当たる。主人が受け継いだ呪いのようなそれには遠く及ばずとも。

「ボンゴレはトゥリニセッテの一角として、この星の守護に尽力している彼らに膨大な額の寄付をしていたんだ。綱吉君の代になっても寄付を続けるかどうか、その眼で見極めてくるといい」

 まるで気に入らなければ支援を断ち切っても良いと言いたげであるが、トゥリニセッテの一角の務めならば続けるほかないのではあるまいか。九代目の好奇心に満ちた若い眼が獄寺に向いたのは、獄寺が発言の許可を求めるよりも前のこと。その視線ひとつで獄寺は黙らせられる。孫のように綱吉を可愛がっているが、ボスになるために必要だと判断すれば谷に突き落とすことも厭わない、そういう男であることを獄寺は知っていて、親愛なるボスのためにこの場をどうすべきかと懸念しながら、獄寺は綱吉の横顔を盗み見る。そして沈黙することを決めた。

「なにかが起こる気がするんだ」

 執務室に戻ってきた綱吉は、休憩のお供に獄寺が用意した紅茶で手のひらをあたためながら続ける。

「懐かしい人に会えるかもしれないね」

 それは獄寺と山本に語りかけるというよりも独り言に近いもので、何かを感じている綱吉の、どこか遠くを眺めるような視線からは、瞳の奥に宿る大空の聡明さが感じ取れて、それは普段の親しみが込められた琥珀色とはまた別の一面である。親愛なる友ではなく親愛なるボスとしての横顔を凝と見る獄寺の胸の内に泉のように湧くのは、信仰にも似た忠誠心である。彼が宿す純度の高い炎と同じくらいに透明で清らかな、忠誠である。

 次に綱吉がこちらを見たときには親しみが戻っていて、日本に父を残している山本に「久しぶりに会えるね」と自分のことのように喜んだ。日本の三門市と聞いて獄寺が真っ先に思い浮かべたのは、隣町の並盛に暮らす綱吉の家族である。視察としてボーダー本部付近のホテルに一週間の泊まり込みになっても、一日か二日は彼を母親ときょうだいの元に返してやれたら良い。

「奈々さんに連絡をしてみてはいかがですか」

「それが良いな。俺も親父に連絡するからさ」

「お言葉に甘えて、そうしようかな」

 綱吉は引き出しにしまってあるプライベート用のスマホを取り出し、山本は胸ポケットから取り出してそれぞれが電話をかける。二人とも繋がったようだ。会話の内容から意識をそらすためにティーセットをシルバーのトレーにまとめていると、何かに驚いた綱吉が大きな声を上がる。何事だろう。

「ユー兄は元気そうだった?」

 獄寺はそのユー兄という人物を知っていた。何年か一緒に暮らした兄のような男であると。

 みるみるうちに綱吉の表情がほころんでいく。その様子に獄寺の気持ちもほころぶ。

「うん、うん、そうだね──楽しみにしてるよ。ユー兄が言うならそうなんだろうね」

 親愛なるボスの変化はそれがどれだけ些細なものでも見逃しはしない。幼い頃からピアノで鍛えられた獄寺の耳は、ほんのわずかに固くなった声色を聞き逃しはしなかった。

 楽しそうな山本の話し声がしている。獄寺は凝と綱吉の表情を伺う。

「なにか問題でしょうか」

「ううん、そうじゃないんだ。ただちょっとだけ緊張しているんだ」

 何に対しての緊張だろう。まさか、兄のような男に対してか。

「良かったよ、今回の視察が俺一人じゃなくて。隼人と武の二人がいてくれて」

「光栄です。どこまでもお供致します」

 右腕の予感は当たる。主人が受け継いだ呪いのようなそれには遠く及ばずとも、わかるのだ。嵐の予感がする、と──

 

3

 

「きみが悠一君だね。俺は家光、奈々の夫だ」

 三門から並盛の小学校に転校して数日、時期外れの転校生へ向けられる奇異の視線が和らいだころ、帰り道で悠一を待ち伏せしていたのは見るからに怪しい黒スーツの男であった。

 怪しいけれど、悠一の眼にはその男が、悠一を引き取ってくれた女、奈々にデレデレと甘える姿がウィンドウのように映し出される。

「──はじめまして。迅悠一です。お世話になります」

「俺の身元を証明する未来でも視えたかな」

「そうですね。あなたが怪しい仕事をしている未来も視えていますよ」

「話が早くて助かるよ。今日はその話をしに来たんだ」

 沢田家光はポケットから携帯端末で奈々に電話をし、悠一と親睦を深めるために喫茶店に寄り道することを、悠一の警戒心を和らげるためか、それとも奈々の心配を取り除く目的で、話した。

 悠一が連れて行かれたのは、小学校と沢田家のあいだにある小さな喫茶店であった。カフェ・メニューが書かれた黒板が看板の横に置かれていて、扉を開けると古めかしいドアベルが鳴る。

 店主の男と家光は顔見知りのようで、うちで面倒を見ることになったんだ、と言って悠一を紹介すると、店主は通学路の旗当番をやっているからよろしくね、と膝を折って合わせてきた眼差しにあるのは親しみだけで、同情の色はない。

「さて、奈々の晩飯が食べられなくなるのは惜しいからな、軽いものにしとけよ」

 メニューを差し出されてメロンソーダを指差す。家光はメロンソーダとブラックコーヒーを注文した。

 絵に描いたような翠色のメロンソーダには丸いバニラアイスと赤いシロップ漬けのさくらんぼがのっていて、悠一が年相応に明るい気持ちになると、店主がこれはサービス、と言ってフィナンシェを持ってきた。バターの良いにおいがする。家光はそれくらいなら夕飯に支障はねぇな、と微笑う。

「本当に奈々さんのこと好きなんだね」

「おう、愛してる。だから俺の仕事は秘密なんだよ」

「でもあの子、綱吉があなたと同じ仕事を始めたら奈々さんだって流石に気付くんじゃない?」

 パフェ用のロングスプーンでアイスクリームをすくう悠一は、この当時まだ自分の発言が相手にどのような影響を与えるかを理解していない、哀れなほどに無知な少年であったのだ。

「君の眼に映る未来はすべてが現実になるのかい?」

「ううん、未来は毎日ちょっとずつ変化しているから。でもね、遠い未来が見えたときは当たるよ。お母さんの死は覆せなかった。綱吉の未来も、多分もうどうにもできない」

 まだ幼稚園児である綱吉が大人になるほどの遠い未来、彼は家康と同じ怪しげな黒いスーツに身を包んでいる。それは悠一の眼に赤子のころから母の死が映っていて、どれだけ願っても覆すことのできなかった悲劇から断言できる、現実に起こりうる未来である。

「教えてくれてありがとう。悠一、おまえには話をしておこう。俺の仕事について」

 フィナンシェを食べながら悠一は聞いた。けれども近界民をすでに知っている身からすると、マフィアなんてものはとても小さなものに感じられて、大した驚きはなく、それよりも悠一の脳裏に残るものがある。

 この後、城戸正宗らによって未来視と名付けられる悠一の眼には、自分が沢田の家を離れて玉狛支部で生活することも、スーツを着た綱吉が部下を連れて現れることも、等しく視えていて、最上がブラックトリガーになったあの日から、弟のように思っている少年が、茨の道を進んだ先にボーダーを訪れる未来があることを、心の底から望んでいたのである。

 沢田の家に入って十年、沢田の家を出て七年、最上が事実上の死を迎えてから五年。悠一が心待ちにしていた日は、奈々が訪ねてきた日からちょうど一ヶ月後であった。

 家康が着ていたものと良く似たブラックスーツも、後ろに立つ二人の男も記憶通り。悠一は心の底から安堵する。トリオンが増えたことで未来視の精度が上がったからこそ当時の精度には自信がなかった。けれども誰にも言えない不安の日々は今日で終わり。未来は的中した。

「ボンゴレ・カンパニーの十代目社長となりました、沢田と申します」

 沢田の家を出る悠一の足にしがみついて泣いていた子供が、随分と大きくなったものである。綿毛のように柔らかな、悠一と彼を兄弟に見せていた髪は小綺麗にセットされて、大きな眼はそのままに、オーダーらしきスーツは体にそっているからこそ似合って見えるが、若々しい印象は新卒の社会人というよりも入学したての高校生である。

 上層部との顔合わせは滞りなく行われた。唯我グループと匹敵する多額の寄付を納めてくれているボンゴレ・カンパニーの新社長とその部下二名のおもてなしは、本来なら広報担当・嵐山隊の仕事であるが、城戸は悠一が沢田の家に居候し、彼と兄弟の絆を育んだことを知っているので、接待役に名乗り出た悠一を無碍にはしなかった。血の繋がらない兄がいるとわかれば、きっと寄付を続けてくれるはず。大人たちは兄弟の絆を利用する。そして悠一は、弟心と大人たちの打算をも利用するので、あった。

「これから一週間、皆様の担当となります実力派エリートの迅悠一です。どうぞよろしく」

 日本ではしない握手をしようと右手を出したのはイタリアの挨拶を意識したわけではない。慣れた仕草で悠一の手を握る、綱吉を、引き寄せるためである。

「久しぶりだなぁ、ツナ」

 身長はまだ悠一のほうが高い。肩の位置にくる頭をセットを崩さない程度に撫でる。

「──ユー兄!」

 ──いやだよユー兄、いかないで。

 七年前、玉狛が支部ではなく本部だった時代、悠一は最上に連れられてボーダーに入った。三門と並盛の距離を考えれば沢田の家から通うことだってできたのに、そうしないで家を出たのは悠一なりのけじめであった。視えていたのだ。母の死のように、綱吉がマフィアになるように、いつの日か必ずやってくる、綱吉を利用する未来が。最上がいなくなる未来が視えていたからこそ、悠一はあの小さな手を握り返さなかった。

「すっかり見違えたな」

「それは俺の台詞だよ。十二歳になったら追いつけると思っていたんだ。でも、まだまだユー兄は大きいな」

 母親譲りの童顔は、身長こそ伸ばしても小学四年生と変わらずに、目尻を下げると笑ってしまうくらいにそのままで、イタリアでなめられはしないかと心配になる。

「ユー兄、あのね、隼人と武は俺の部下だけど、部下である前に親友なんだ」

「そうか。改めてよろしく」

 黒髪の山本という男はにこやかに「まさかツナの兄貴に会えるなんてな」と笑ってくれたが、銀髪の獄寺という男は会釈をするだけで悠一に向ける表情は固い。

「さて、いつまでも話しているわけにもいかないからな。そろそろトリオン体の体験ツアーにでも行こうか」

「トリオン体はトリガーによって実体と入れ替わるんだよね。あっ、ですよね。事前に引き継ぎの資料には目を通しましたが、未知のテクノロジーすぎて完全に理解したとは言い切れません。ぜひ、詳しく教えて下さい、迅さん」

 ユー兄の弟のツっ君ではなく、ボンゴレ・カンパニーの新社長に切り替えた綱吉の眼が、悠一の腰にあるトリガーに向く。興味を持ってくれるのはボーダーとしてありがたい。ボーダーが開発したベイルアウト機能付きとは異なる黒いトリガーを、悠一は自分のトリガーホルダーから抜き取った。

「これが俺のトリガーだよ」

 おい、と悠一を嗜める声がする。当たり前だ。この黒いトリガーはたとえ出資者であろうとも簡単に見せて良いものではない。

 子供のころから変わらない大きな眼が見開かれて、綱吉は悠一に奇妙な視線を投げかけると、吸い込まれるようにしてブラックトリガーに釘付けになる。

「──え──?」

 最初に綱吉の異変に気が付いたのは獄寺であった。遅れて山本も駆け寄ってくる。うずくまってしまった綱吉の背中を撫で優しく声をかける様子は、たしかに部下ではなく親友のそれだ。

「うそだ──ありえない、だって──こんなのは──」

 これこそ、悠一が心待ちにしていた光景である。幼い綱吉にこの未来の欠片を見、第一次大規模侵攻後に三門の町を歩いていた綱吉に、この光景を見た。

「どうなさいましたか、十代目」

「気持ちが悪い──だって俺のこれは、生物にしか反応しないんだ」

 代々ボンゴレのボスが持つサイドエフェクト、超直感。未来視によって知られてしまうならば事前に必要な情報を与えるべきだと判断した家光は正しい。ボーダーに骨を埋める覚悟をしている悠一にとって、ボンゴレはマフィアではなく大切な資金源、その情報を他に流しても悠一には何の利益にもならないのだ。

 恐る恐るこちらを見上げてくる綱吉の眼には、可哀想に、涙が滲んでいる。

「──ユー兄──どうしてそれから人の気配がするの」

 上層部を含め、この部屋に居合わせた全ての者が驚きに息を止めるなか、悠一だけは己の口角が上がっていくのを感じていた。

「人の気配ね──誰だと思う?」

「──あの人──あの日、ユー兄を迎えに来た──最上さんて人──」

 笑い声を殺すのが精一杯であった。

 誰だ、ブラックトリガーとなった以上は兵器として扱うと決めた奴は。誰だ、これは事実上の死であると周知した奴は。誰だ、今の技術では人には戻せないと諦めた奴は。誰だ、最上宗一に風刃だなんて名前を付けた奴は。

「迅──これはどういうことだ。説明を求める」

 やはりボーダーの最高司令官は気丈な男である。

「ツナにはサイドエフェクトがあるんだ。生き物に対する直感力が凄いんだよ。どうする、城戸さん、ツナはブラックトリガーを生きた人間だって言ってるよ」

 苦渋の決断で兵器とするしかなかった彼らの想いはそれこそ覚悟と呼ぶが相応しく、友を失った悲しみを材料に、何年もの時間をかけて、必ずこの星を護るための礎とすると立てた誓いが、一人のサイドエフェクトによって、今、崩されようとしている。

 

4

 

「忍田さん、仮眠室を借りるよ。ツナを横になれる場所に運んでやらないと」

 ブラックトリガーは生きた人間である──そうであれば良いと願っていたのに、使うには兵器とするしかないと割り切った、割り切ったはずの未練に打ちのめされていた忍田真史は、迅に名指しされたことでどうにか持ち直して、まだ顔面を蒼白にさせている部下に空いている仮眠室を探すよう指示を出した。

「ああ、九番が空いている。こちらで押さえよう。迅のトリガーを登録しておく」

「ありがとう。さあ、移動しよう」

 いまだ体を起こせないでいる沢田に手を差し伸べようとしていた迅とのあいだに、さっと入り込んだのは山本だ。彼の口元には変わらない微笑みが浮かんでいるけれど、目付きだけがまったく違うものになっている。まるでこれ以上近づくなと言われているような、未成年の子供が宿すには不釣り合いな威圧感に迅が気圧されると、じっと周囲を伺うようにしていた獄寺が口を開く。

「失礼ですが、担当を変えていただけますか。迅さんと最上さんが一緒にいては十代目の回復が見込めませんので」

 忍田は、すぐには言葉が出なかった。自分たちの倫理観のため、組織の秩序のためにと下した苦渋の判断を、こうもあっさりと覆されてしまった衝撃が、胸を打って、呼吸さえままならない苦しみが、喉の奥に詰まっている。

「すごいね、君たちにとってボスの言葉は絶対なのかな」

「ボスだからってのは関係ないっすね」

 ボスだからではなく、沢田の言葉だから。山本が語らなかった言葉の余白が聞こえてくるようであった。

「私が代わりに案内しましょう」

 忍田は自ら名乗り出ると、自分のトリガーで仮眠室の予約を取り直した。

 体格に恵まれた山本が一切の重さを感じさせない素振りで沢田を抱き上げ、額に浮かぶ汗を獄寺がハンカチで優しく拭う。部下であり、親友でありながら、護衛をも務めると見て取れる少年たちの優秀さは、子供を兵士とするしかないこの組織に所属するA級隊員にも引けを取らない。

 道すがら、誰にも遭遇しなかったのは幸運であった。左右を含めて三室押さえてあるので話し声が漏れる心配もない。

 寝かせる前に獄寺が手早く靴とジャケットを脱がせ、頭を枕に誘導する山本の手付きにも沢田への気遣いが滲む。

「施設内に自販機はありますか」

 ネクタイを抜き取った獄寺が訊ねる。

「近くにありますので、買ってきましょう。温かいものでよろしいですか」

「はい、温かいお茶をお願いします」

 忍田が仮眠室の扉を開けると、そこにいたのは迅である。その姿を目にした直後、沢田に寄り添っていた獄寺の目尻が吊り上がり、迅が入室するよりも先に立ち上がる。それを、迅が手で制止する。

「ブラックトリガーは城戸さんに預かってもらいました。温かい飲み物を持って来たんですが、入っても?」

 持ち上げて見せた手にはマグカップがある。獄寺と山本は、凝と迅を見つめ、見極めているような数秒の沈黙を破ったのは、沢田の囁くような呼び声であった。

「ユー兄」

 それが許可となって、迅は堂々と仮眠室に足を踏み入れた。

「ごめんな、ツナ。まだ気分悪いか?」

「ん──そろそろ大丈夫だと思う」

 体を起こそうとする沢田に山本は手を貸したが、獄寺はまだ横になっていて欲しいのだろう、主人の行動に口は出さなくとも眉尻を下げている。表情の乏しい青年かと思っていたが、そんなことはない。

「甘いにおいがする」

「そ、近くの作戦室を借りてココア作ってきたんだ」

「ユー兄のココアだ」

 しゃがみ込んだ迅からマグカップを受け取った沢田がそっと口をつけて、ほうっと肩の力を抜いたように見えた。ユー兄のココア──それに込められた思い出を共有している二人は、似た髪色をしているのもあって、幼い頃は実の兄弟に見えただろう。

「よく寝る前に作ってくれたよね」

「俺の得意料理のひとつだよ。牛乳と砂糖を加えてよく練ると上手くなる。今日のはスティックだけどな」

「ココアも料理に入るの?」

「鍋と火を使うんだから立派な料理だろ」

 その話を聞いて忍田の埋もれていた記憶は蘇る。玉狛がまだ本部であったころ、小南にココアを作ってやっていた。小南は台に乗ってミルクパンを覗き込み、キラキラした眼で出来上がりを楽しみにしていた。仲間を失った悲しみに埋もれていた、確かにあった優しい記憶である。もしかしたら、陽太郎にも作ってあげているのかもしれない。

「さっきはごめんなさい。どうしても見た目と気配のギャップがつらくて。しばらくしたら慣れる──と思う」

「いいよ、慣れなくて。おまえは慣れないで。俺たちは三門のために人がトリガーになるなんて異常な事態を受け入れなきゃいけないけど、ツナは外の人間だから。どうかおまえが感じたものを忘れないでいてよ」

「大事な人だもんね。武器として扱われるのは、悲しいね」

 生物に対して反応するサイドエフェクトがあろうと、未来を視るサイドエフェクトがあろうとも、関係ない。サイドエフェクトとはその名のとおり副作用、いまだ科学では解明できない現象を引き起こす代わりに様々な苦悩がついてまわる。だからこそ城戸と最上はその能力をサイドエフェクトと名付けた。その代償を忘れないために。

 どれほどの類稀なる能力があろうと、迅は子供のままではいられなくて、十六歳という若さで社長に就任した沢田もきっと同じ。ずるい大人は慣れることを強制し、聡い子供たちは受け入れるしかなかった。いつだって残酷な道しか示してやれない不甲斐なさに、忍田はいつのまにか慣れていて、迅が代償を払っていることにも、大人のふりをする子供の痛々しさにも、慣れていた。大人として寄り添ってやらねばならない痛みはとっくに体の一部となり、麻痺した痛覚に与えられた目覚めの一撃、それこそが迅の血の繋がらない弟、沢田のサイドエフェクトが感じ取ったものである。希望と残虐の違いはコインの表と裏のようなもので。

 この星を、三門を守るという大義名分のために犠牲にしてきた子供たち。迅によって導かれた残虐が、今こそ目を覚ませと訴えている。

 忍田は、顔色が随分と回復した沢田の案内を、もう一度迅に任せることにした。

 活動実績報告の後にランク戦ブースを見学しに行くというスケジュールの確認をして、忍田はひと息入れるためにホットコーヒーを買いに自販機に寄った。飲んでいくつもりだったが、二本買って城戸の元へ戻る。鮮明な痛みが残る今だからこそ話さないといけないことがある。

 迅が報告に戻ってきたのは、三人を宿泊先のホテルに送り届けた午後五時過ぎで、ランク戦ブースに居合わせた緑川駿、出水公平、米屋陽介、奈良坂透の協力を得てトリガーの実践的な使用方法を見せることができたそうだ。初日にしては詰め込んだ内容であるが、明日は東春秋にトリオン体における戦略について語って貰う予定なので順序としては悪くない。

「迅──」

 何か言葉をかけてやりたくて、忍田は報告を終えた迅を呼び止めた。

「なあに、忍田さん」

「──お疲れ。明日もよろしく頼む」

 けれども喉まで出かかった言葉は押し込めた。退室する背中を見送り、無人になった部屋で背もたれに体を預ける。まだ業務は続くというのに疲労の蓄積を感じ、体を休めるためにしばしのあいだ脱力する。

 伝えたところでどうにもならない。ただの自己満足には、何の意味もない。

 

5

 

 スポンサー企業にトリオン体における防衛戦略についての講義をして欲しいと言われた東は、最初こそ疑問を持ったものの、相手の名前を聞いて納得した。唯我グループと同等の金額の寄付をしていながら上層部にしかその存在を知られていない企業、ボンゴレ・カンパニーは、あまり表に出てこない裏の存在であるからだ。裏と言ってもヤクザの類ではない。海外の企業なので日本での知名度は低いが、蓋を開けてみれば世界中の大企業を支える株主であり、多岐に渡るボランティア活動──発展途上国での支援学級、戦争被害者、才能ある若者たちへの援助、国境なき医師団への多額の寄付など──に環境保全、世界遺産保護、ボンゴレの支援で成り立っている組織は世界中にある。ひっそりと、けれど確実に、ボンゴレ・カンパニーは世界中に根を張っているのだ。

 約三年前、ボーダーへの出資を決められた九代目と挨拶をしたことのある東は、自隊の高校生と同じ年代である十代目と二人の部下の若さに、内心で思うところがありながらも、得意の──一部隊員からは恐ろしいと言われている──ポーカーフェイスでランク戦の画像をスクリーンに映した。

 昨日、出水、米屋、緑川、奈良坂の協力で模擬戦を実際に見学したようだが、初めてトリオン体の戦いを目にしたばかりでは、初歩的な説明を省くわけにはいかない。

「スコーピオンの強度が弧月よりも低いのは形状を変幻自在に操る設定にトリオンを注いでいるからですよね。トリオンキューブは使用者のトリオンにサイズが比例しますが、スコーピオンの強度も比例するのでしょうか」

 などと考えていたのに、二宮隊と影浦隊の戦闘を見た獄寺がこんな質問をしてきた。

「いいえ、変わりません。トリオン能力が影響するのはトリオンキューブの大きさ、シールドの硬度、ガンナー・スナイパーの弾の威力、マイナーですがエスクードという防壁トリガーの出現数などですね。なので弧月やスコーピオンはトリオン能力が低くとも使えるトリガーなのです」

「ありがとうございます。よくわかりました。限られた者しか使えない兵器では実戦には向きませんね。もうひとつよろしいでしょうか」

「はい、どうぞ」

「隊員の命を守る素晴らしい機能ですが、ベイルアウト機能が何らかの形で封じられた場合の想定などはしているのでしょうか。近界の技術の応用である以上、あちらが対策をしてくる可能性は考えられます。ベイルアウト機能でなくとも、痛覚をいじられたり、誤作動を起こすようハッキング、ジャミング等の嫌がらせを考慮した対策をお聞かせください」

 ボンゴレに渡した資料は東にも共有されている。どれもが初歩的で、唯我グループなどのスポンサーに提供したものと同じであるはずだ。

 東は一瞬だけ呆気に取られたが、すぐにポーカーフェイスを取り戻す。

「申し訳ありません。私はあくまでも防衛戦略の担当なので、その質問に答える立場にはありません。開発室の職員を連れて来ましょうか」

 答えようと思えば答えられる質問でも、支援者を前にして己の領分を超えることはできない。東が獄寺の表情に未知への好奇心を読み取り、聡明な頭脳を持つ若者への興味と大人の対応の狭間で揺れていると、獄寺は何かに気付いたように表情を崩し、隣でにこやかに微笑んでいる沢田を見、恥じらうように視線を手元に固定してしまった。そんな獄寺に、沢田は何かを耳打ちする。東の眼には、沢田の薄い唇が「楽しいね」と動いたように、見えた。

「東さん、実はですね、昨日の予定であったトリオン体の体験が、私の体調不良で延期にさせてしまったのです。なので、この後に改めてお願いしてもよろしいでしょうか」

「ええ、かまいませんよ。体験は開発室で行いますので、先ほどの質問はそのときにでも」

「ありがとうございます」

 東が引き続きランク戦の映像を使いながら解説すると、獄寺は好奇心を抑えて東が答えられる範囲の質問を的確に行うようになった。頭脳派の隊員たちを連れてきたら面白い問答を聞けたかもしれない。自隊の二人を混ぜるにはまだ早いというのに、放り込んでみたい隊長心が疼いていた。

 時計の針が十二時を示したので講義を切り上げると、座学に苦手意識があるらしい山本が大きく伸びをした。それを睨みつける獄寺の眉間のシワときたら、高校生のボーダー隊員を見ているようで、途端に親しみが湧いてくる。

「まずは昼食をどうぞ。迅は十三時に迎えに来ますので」

「東さん、もしよければ一緒に食べませんか?」

 ──超直感というサイドエフェクトは、まだはっきりしたことはわからないけど人の機嫌に関しては影浦くらいの精度はありそうだよ。

 迅の説明は随分と大雑把だったが、沢田の誘いを受け入れた東はいまこの場での思考をやめた。何がどう作用するのかわからない以上、憶測で動くことは負担を強いる行為になるからだ。

「迅さんから聞いていましたけど、東さんが若い隊員から慕われる理由がよくわかりました」

 どうやら、何をどうしても作用してしまうらしい。

 食堂のおばちゃんにおすすめを尋ねれば日替わり定食という答えが返ってくる。これは過去に米屋が試した結果である。なので沢田たちにも日替わり定食をすすめると、沢田はA定食、獄寺はB定食、山本は茄子カレーを選択した。

 昼時というのもあり、食堂には隊員たちで溢れていた。普段は挨拶に寄ってくる者たちも見慣れない沢田たちを遠巻きに眺めている。不意に眼が合った成人組は「御苦労様です」とでも言わんばかりであった。

「凄いですね、ここにいる隊員たちは全員が人型を相手に戦えるんですか」

 箸休めに湯呑みを持つ沢田が言った。

「いいえ、いくらトリオン体が攻撃を受けても痛覚が違和感ほどしかなく、手足が切り落とされても平気だと頭ではわかっていても、慣れることも、恐怖を克服することもできない者はいます。これは良い悪いの話ではなく、向き不向きの問題です。ですから訓令生の段階でエンジニアやオペレーターに転向するんですよ。白い隊服のC級隊員たちは今まさに選択を迫られています」

「隊員たちのメンタルケアはどのようにされているのですか」

「カウンセリングルームには毎日プロのカウンセラーが駐在しています。私個人としては年長者からの声かけは大事にしていますよ。後輩を連れて食事に行ったり、日常的に隊員同士で師弟関係を組むこともありますから、相談しやすい環境作りは意識的に行っています。狙撃手は合同練習もありますので」

 沢田は興味深そうに東の話に耳を傾けている。

「自分が斬られたり撃たれたりするのは平気でも、他人を傷つけられない、という隊員もいらっしゃるのではないですか」

「私の弟子がまさにそうです。ですが彼女は努力と工夫で隊員を続けています」

 ボーダー隊員にとって、攻撃を受ける・当てることは破損に近い感覚である。これはトリオンという物質で構成された仮想体に対する正しい認識ではあるが、人型で戦闘を行う上での正当防衛と言うこともできる。トリオン体の説明を受けた上での沢田の言葉選びは、彼のサイドエフェクトによって導かれたものか、それとも、彼が持ち合わせた気質からか。もしかすると、沢田は戦闘員には向かないのかもしれない。

「あれ、もしかして武君やないか?」

 食事を終えた四人が十三時になるのを待っていると、通りかかったのは、生駒達人で、あった。

「お、茄子カレー食べたん? 美味いやろ」

「逹人さん、お久しぶりです! このカレーめっちゃ美味いですね」

 軽快な会話に東が驚いていると、生駒は「お疲れ様です」と改めて挨拶をする。

「ああ、お疲れ。生駒は彼と知り合いなのか」

「親同士が知り合いなもんで。武君の実家は並盛の寿司屋なんやけど、めちゃ美味いですよ」

 生駒の家は居合道場のはずだが、どうして寿司屋の山本家と知り合いなのか。京都と隣町の並盛では接点も想像しにくい。

「生駒、このあと時間あるか」

「十八時までなら。隊のみんなで飯行くんですよ」

「そんなにはかからないさ。じゃあ、迅が来たら開発室に移動しようか」

 

6

 

 時間ちょうどにやってきた迅と合流し、狙撃手の合同訓練の指導へ向かった東と別れて、皆で開発室へと向かった。トリガーに異常でもないかぎりほとんど縁はないけれど、生駒は自分の名前が付けられた旋空のデータを取るために何度か通った経験がある。

「それにしても、びっくりしたで。武君、いまイタリアにおるんよな? こっち来てから竹寿司行ったら、剛さんに言われてな」

「はい、今はツナんところで仕事してます」

 山本の親である山本剛と生駒の父は剣道と居合道という繋がりを持っているのだ。中学生のころに竹寿司に連れて行かれて山本に出会い、二人はあっという間に打ち解けた。父から剛が優れた剣士であったと聞かされていた生駒は、いつか山本も剣の道に進むだろうと漠然とした意識があり、それは見事に的中した。世界的な大企業で若社長付きのボディガードをしているという山本の顔つきには、昔からの人懐っこさと剣士の鋭さの両方が備わっていた。

 開発室で出迎えてくれたのはチーフエンジニアである寺島雷蔵であった。

 トリオン体の換装体験をするというので、専用ブースに入る沢田を、生駒たちは外から見守ることになった。寺島と迅からスピーカーを通じて指示を出す。

「それじゃあ、まずは換装をしてみよう。大丈夫、爆発しないからやってごらん」

 ボンゴレという支援者に対して迅は随分と砕けた口調である。隣で見守る山本に尋ねると意外な関係を知らされた。

「そんなこともあるんやなぁ。俺と武君がばったり会ったのも、迅と沢田君も、縁があるんやろな」

 無事に換装を終えた沢田は、姿形はなんら変わらない自分を不思議そうに、胴に触れてみたり、足踏みをしたり、歩いてみたりしている。迅からの指示で軽く飛び上がってみると、その体は重力を感じさせない軽やかさで宙を舞うのだ。さぞ楽しいだろう。京都から三門に越してきたばかりのころは、生駒もトリオン体が面白くて本部に入り浸っていた。それにしても──

「沢田君、ええ動きするな。換装したからってすぐ動けるってもんやない。生身の運動神経がよっぽどええんやな」

「あいつらと野球するの楽しいっすよ。今度、達人さんもやりましょう」

「おっ、ええなぁそれ。楽しみや」

 沢田に続いて獄寺、山本の順で換装を終えると、次はセットしてあるスコーピオンを使ってみることになった。スポンサー相手にどれだけの情報提供をしているかなんて生駒にとっては関係のない世界であるが、あなたたちのお金でこんなものを作っているんですよ、と見せるだけでなく使用させてしまうだなんて、アンチボーダーに教えてやりたいものだ。この組織は君たちの想像よりもよほど誠実であると。

「生駒、入って」

 寺島からの指示を受けてブースに転送される。

「それじゃあ、ここからは弧月を体験してみようか」

 スコーピオンとトリオンキューブの扱いをレクチャーしていた迅に変わり、生駒は弧月を握った。

「東さんに教わったと思うけど、弧月は攻撃用トリガーの中でも一番最初に作られたもので、攻撃と防御の両立が叶っている。その代わり形は変えられない。形を変えられて耐久力の低いスコーピオンとは真逆に位置しているってわけ。それじゃあ、弧月人気の秘密とも言える機能、旋空を実際に見せてもらおうか」

 どうして自分が呼ばれたのかさっぱりだったが、こういうことのようだ。ここは一発、気合を入れた華麗な生駒旋空を披露することにしよう。

「もしかして、効果時間と反比例で刀身が伸びるのでしょうか」

「え、見て気づいたの」

「見たから気付きました」

 あっけらかんと答える獄寺は、沢田に説明を求められて「効果時間が短いほど刀身が伸びるようにできているんですよ。つまり、優れた抜刀術であればあるほど大きな刀身が遠くまで飛びます」と、まるで六頴館の生徒会長のような口ぶりである。

「獄寺君、ヤバない? 普通見てもわからんて」

「あいつ大検持ってるくらい頭良いんすよ」

 彼は武と同い年の高校生のはずだ。まるで漫画のような天才と初めて出会った生駒は、表情筋こそ動かなくとも胸の中では興奮していた。

「人の個人情報を漏らしてねぇで、おまえはやってみろよ。できんだろ」

「おし、ちょっと練習させて下さい」

「タイミングさえつかめたらできるで」

 剣士の実力というのは、その立ち姿を見ればわかる。構えを見れば一目瞭然、生駒の見立て通りに、山本は何度目かの抜刀の末に生駒旋空をやってのけた。

 今でこそ光栄なことに生駒の名前がつけられているが、たまたま居合道に励む者がいなかっただけで、山本がボーダーに所属していれば山本旋空という名付けになっていただけのこと。故に迅や寺島のような驚きはなく、生駒の興味はただひとつだけ。

「武君、良ければ五本勝負しいひん?」

「いいんすか、ぜひお願いします」

 武と剣を交えるのはこれが初めてだ。それでも、彼の顔つきと剣をかまえた姿を見れば、これまでの研鑽が伝わってくる。剣を合わせれば、その歴史が。

 時雨蒼燕流は戦国時代に一対多数を想定して生まれた古流剣術である。明治に廃刀令が出ても活人剣に形を変えずに継承されてきた正真正銘の殺人剣。そこまでは生駒も知識としては知っているが、山本の動きは道場で竹刀を振るうだけでは習得できない、生駒と同じ、実戦で刀を振るう者の重さがあって、切って、切られてをくり返すうちに、生駒は考えずにはいられなくなっていた。若社長付きのボディガードとは、一体なにから守るのだろう。銃刀法により刃物を所持できるのはそういった職務、または狩猟の場合のみとされている。美術品として所有する場合はまた別の手続きが必要であるが、居合道で真剣を所有するには銃砲刀剣類登録証明書が付帯されているものでなければならない。それでも自由攻防試合で使うのは模擬刀で、真剣を人に向ける行為は許されていないのだ。重さも形状も日本刀に似た作りになっている弧月を扱うには、それこそサイドエフェクトでもないかぎりはそれなりの時間を必要とする。居合の真剣を持ったことのある生駒には慣れというアドバンテージがあったものの、竹刀や木刀を扱うのとはわけが違う。何度か練習しただけで生駒旋空を習得し、生駒の腹を切りつけ、残り一戦という状況で引き分けるには、日本刀を振り回して人型を切った経験がなければ不可能である。

 山本が扱う時雨蒼燕流は現代に伝わる数少ない殺人剣術である。彼はその技を一体誰に振るってきたのだろうか。

「いやぁ、負けました」

「流石にトリガー使って負けたら攻撃手ランク六位の実績が泣いてまうやろ。でもヒヤヒヤしたで、強いなぁ武君」

 片腕を犠牲に死角から攻撃したから勝てたものの、生身でやっていれば負けたのは生駒の方であった。

 間違いなく山本は生身での実践経験を積んでいる。ただの推測であればと願ったけれど、体に染みついた傷を負わない立ち回りは、そう簡単に隠せるものではない。彼の父親は自分の息子が何をしているのか知っている。でなければ殺人剣術を継承させたりはしないだろうから。

「今度、友だち連れて竹寿司行ってくるな。海鮮が好物なのが同い年におるんよ」

「まじっすか。親父の寿司は美味いんで、満足してもらえると思いますよ。連絡しときます」

「武君は剛さんに会いに行かへんの?」

「一応行く予定ではいるんすけど、最終日の夜しか都合が合わなくて」

「そのことなんだけど」

 残念そうな山本を見かねてか、観戦していた沢田が駆け寄ってきた。

「明日をオフにしてもらう予定なんだ。だから行っておいでよ」

「え、いいのか?」

「親子水入らず、楽しんできて」

 五本勝負の手応えからして、山本が日常的に生身で刀を扱っていることは明白だ。それでも彼は友人兼上司と信頼関係を築いて仕事をこなし、親子の仲も生駒が知るのと変わらず良好なようだ。ボンゴレカンパニーは生駒も耳にしたことのある大企業であるが、その歪さは生駒に強烈な違和感を与えていた。

 狙撃手の合同訓練を終えた東が戻ってきたのはそれからすぐのことで、ブースを出た生駒に、迅は言う。

「それは口に出したらいけないものだよ。彼らはすべて承知しているからね。外野が首を突っ込む話じゃあない」

「──わかった。迅が言うなら、そうなんやろなぁ」

 彼の不思議な眼には、食堂で生駒が通りがかることも、山本と知り合いであることも視えていて、生駒が違和感を覚えることにも視覚情報だけで勘付いていたとすれば、同級の海鮮好きが全力で迅に信頼の針を傾けていることにも頷ける。彼の言葉を借りよう。迅が言うのならば、これは自分が口を出すべきことではないのだろうと、東から各ライフル銃の違いを説明されている山本の横顔から眼を背けた。

 

7

 

「今日から一緒に暮らすことになった迅悠一くんよ」

 黒い服の母親と一緒に帰ってきた見知らぬ少年が沢田家に慣れるにはそう時間はかからなかった。奈々はああいう性格だから次の日には自分の息子のように悠一を起こして朝食を食べさせていたし、悠一は人見知りの激しい幼子を手懐ける術を心得ていた。今となっては未来視というサイドエフェクトが導いていたと気付くことができるが、当時はいとも簡単に綱吉の内側に入り込んできた悠一のことを、生き別れていた兄が戻って来たかのように想っていたのだった。

 九代目によって封印され、九代目によって解かれた超直感は、当時はわからなかったいろいろなものを感じ取らせて、憶測であったものが真実であること、四年前に沢田家が隣町の被害に巻き込まれなかった真相、だけでなく、気取られたくなかっただろう優しい兄の仮面の下の素顔さえも暴いてしまう。なんて浅ましい力だろう。こんなものが代々受け継がれてきただなんて。

 まるで呪いのようは力は、七年前に去った、三年間だけ兄であった悠一が抱える無念を強烈に知らしめた。彼は昔から変わらない。微笑みの下に本心を隠してしまう器用さと、他人を踏み入らせない不器用さを奇跡的なバランス感覚で両立させている。

 そのバランスを今から崩壊させようとしている綱吉はひどい弟かもしれないけれど、血が繋がらずとも、たったの三年間だけでも、実の弟のように愛してくれた男のことを、綱吉は今でも家族だと想っている。たとえこの七年間、一度も帰って来なくとも、その理由さえわかってしまうこの力は、やはりどう考えても呪いなのだ。

 玉狛支部の呼び鈴を鳴らした綱吉を迎え入れたのは、小南という少女であった。彼女は名乗った綱吉をまじまじと見つめて、「奈々さんにそっくり!」と声を上げた。「よく言われます、俺は母似のようで」と愛想笑う綱吉を、彼女は引っ張るようにしてリビングに案内した。そこにはこの支部のメンバーが数人、目当ての悠一はキッチンに立って食器を拭いているところであった。

 洗い立てのステンレスのボウルが、力加減を忘れたのか打ちつけるようにシンクに置かれた。挨拶するよりも先に、悠一をキッチンの壁に追い込むように綱吉は動いた。

「俺が来る未来は視えていなかったでしょう」

「そんなことまでわかるの、おまえのサイドエフェクトって」

「わかるよ、ユー兄が思っているよりもずっとたくさんのことがね」

 背後で小南が、綱吉のことを紹介しているのが聞こえてきたが、会釈をする余裕はない。

「話があるんだ。今日の予定は立て込んでないよね」

「明日でも明後日でもいくらでも時間はあるだろう。視察はまだ続くんだ」

「ユー兄が読み逃してくれるのは今回だけみたい。次はないよ、何だかんだ理由をつけて逃げるくせに」

 悠一の表情にはいつもの微笑みはなく、唇の端を硬くして必死に未来を視ようとしている。彼を追い込めた時点で綱吉の勝ちは確定済みで、いまさら何を視られたところで問題はない。裏社会に関わる不味いものが視えてしまうなら超直感が教えてくれるので、そうなれば眼を塞いでしまえばいい。

「逃げるって、おまえそれは失礼じゃないか?」

「でも事実だよね、ユー兄は俺への罪悪感でいっぱいだからね。わかるんだよ、そういうものだから」

 悠一の顔から仮面の微笑みが完全に消え失せたことを、綱吉はその眼でしっかりと確認した。

「視えていたんだよね。俺が支援者としてボーダーにやってくることも、俺がブラックトリガーを生き物と判断することも、全部わかった上での行動だったんだよね──でも、俺がこれからしようとしていることは視えていなかった。違う?」

「──いいや、その通りだよ」

「良かった。ならサプライズ成功だね。俺はね、ユー兄、あなたの弟としてじゃなくて、ボーダーへの出資者として話があるんだ。俺は、ボンゴレ・カンパニー十代目社長の沢田綱吉は、迅悠一さんにブラックトリガーを人に戻すための共同研究の申し出をするためにね、ここに来たんだ」

 勝手な罪悪感に苛まれて顔面を蒼白にさせていた悠一の、綱吉から逸らされていた眼が、誘いの真意を探るように向けられる。

「ボンゴレからの支援じゃなくて俺のポケットマネーからだけど、お金はあるほうがいいよね。いくらでも使っていいよ。俺にできるのはそれくらいだけど、ユー兄の熱意と──」

 言いながら、綱吉はソファから立ち上がった状態で絶句している眼鏡の男を見据える。

「あなたの協力があれば、この研究は何歩も前に進むことができる」

 ボーダーの創設メンバーであり玉狛支部・支部長を務める林道匠は、鯉のように口をぱくぱくとさせて何かを言おうとしたが、出てくるのは言葉にならない音のみである。

「どうしてだよ、綱吉。俺はおまえを利用したんだぞ」

「わざと俺にブラックトリガーを見せたこと? でも上層部にブラックトリガーへの認識を改めてもらうためには必要だった」

「それでも俺は──」

「どうでもいいんだよ、そんなことは。どうしてもって言うならさ、今夜、食事に付き合ってよ。ユー兄を連れて行くって言ったらね、母さん、ハンバーグを作るって張り切ってたよ」

「──それ、俺に拒否権ないやつじゃん」

 そこまで言うと、緊張の糸が切れた悠一は地面にへたり込んだ。

「俺さぁ、奈々さんに最上さんが死んだって言えなかったんだよねぇ」

「言わなくていいよ。俺の超直感は最上さんに反応したんだから」

 震える声には気付かないふりをした。

「いつかさぁ、俺とツナと最上さんと、三人で奈々さんのハンバーグを食べたいなぁ」

「食べられるよ」

 未来視のサイドエフェクトが見せるのはその名のとおり未来だけで、過去や人の心の内側までもを見通すことはできない。だから悠一には伝わっていないのだ。

 ほとんど父親が帰ってこない寂しさを埋めてくれたのは、間違いなく悠一という兄であった。封印が解かれた超直感は、悠一の兄としての愛情をそのままに綱吉に伝えて、彼が懸命に演じる手のかからない子供の仮面の下で、綱吉と奈々の身の安全を気にかけ、綱吉が進む茨の道を憂いていたことを、奈々との電話をきっかけにわからせてきた。あのときの腹の底から迫り上がってくる恥ずかしいほどの喜びは、悠一との再会にかなりの緊張を与えた。緊張と、ブラックトリガーへの警戒が綱吉をナーバスにさせた原因であるけれど、ココアを持ってきてくれた悠一の罪悪感は痛いほどで、人間らしい葛藤は憧れた兄とはほど遠く、その不完全さは愛おしく、この七年にわたって積み上げられた寂しさや会いに来てくれない悲しみといったものが浄化されていったのだ。

「食べられるよ、みんなで。俺のサイドエフェクトがそう言ってるんだから」

 夏の日に、まだ非力だった綱吉のために開けてくれた、ラムネに浮かぶガラス玉のような悠一の青い眼が大好きだった。その眼に見つめられると、守られているようでひどく安心して、昼も夜も、眠るまでそばにいて欲しかった。

 彼の眼には未来しか映さない。だから大切なことは言葉に出さなければ伝えることはできない。

 悠一という兄ができて幸せだったこと、悠一の大切なものを綱吉も大切にしたいことを、どんな言葉で伝えようか。

 

8

 

 嘘を見抜くサイドエフェクトを持つ男が、少年の言葉を肯定した。未来が視えるだなんて、彼の能力がなければ到底信じられるものではなかった。

 少年は、青い眼をじっと最上に当てて、母親の亡骸を膝にのせて言った。

「俺を連れて行ってよ。強くなってみせるから」

 未来を視る眼を持つという少年、悠一の母の葬儀は、日頃から世話になっているというアパートの大家と最上が中心となって行われた。母子家庭で他に身内もいないというので、悠一と最上、アパートの大家、そして高校時代の親友であるという女の、四人だけの静かな弔いとなった。

 小さな部屋は葬儀屋と三つの供花でいっぱいになるようにできていた。ふたつ隣の部屋から溢れる賑やかさが、こちらの静寂を押しのけるようであった。

「あなたが悠一君ね、はじめまして。私は沢田奈々というの。電話で何度か話したことがあるんたけど、憶えているかしら」

 茶色の短い髪を耳にかけながら、子供に合わせて腰と膝を曲げる奈々の様子は、彼女が子を持つ母親であることを周囲に伝えていた。

「──憶えてないか、そうよね」

 どこまでも優しく悠一を気遣う奈々を、悠一は凝と視ていた。それこそ穴が空いてしまいそうなほどに。

 会場を仕切っている大家に手伝って欲しいと声をかけられた奈々が席を外すと、悠一はポツリと最上に疑問を投げかけた。

「あの人の未来に俺がいた──どうして?」

 唖然としながら奈々の背中を見つめる悠一に、嘘をついている素振りはない。この場に嘘を見抜くサイドエフェクトがなくとも、最上はすでに悠一の眼に映るという未来を信じていた。

 人手のなさから無人となっている受付で芳名帳を確認すると、奈々は隣町に住んでいることがわかった。最上たちの組織がある三門市には電車で通える距離である。

「なあ、悠一。奈々さんの家はどんな様子だった」

「男の子がいた。三輪車を俺が押してやってた」

「それを視ておまえはどう感じた」

「わからないよ、そんなの。俺に兄弟なんていないし」

「兄弟ができたら、嬉しいか」

「──わからない」

 その声にあるのは戸惑いだけで、それ以外の負の感情は込められていないように、思えた。

 頭部の損傷は免れた女性は、たくさんの花に囲まれた美しい姿で出棺された。火葬を待つあいだ、待合室ではお茶と軽食を用意していたが、悠一はそれらに手をつけようとはしなかった。彼の眼にはずいぶんと前から母親の死が見えていて、それを回避できなかったことを悔やんでいる。この先、一生をかけて悔やむのかもしれない。

「私、お手洗いに、失礼しますね」

 四人だけだからとひとつのテーブルを囲んでいると、奈々が席を立った。すると大家も急須を洗いに待合室を出て行った。二人きりで話ができるのはいまだけだろう。母親を亡くした悲しみに打ちひしがれている子供をそっとしておけない現状が憎らしい。

「過去の悲劇じゃなくて、その眼に映る幸福を探すんだ」

「お母さんを守れなかったのに?」

「おまえの責任じゃない。たとえ視えていたとしても、おまえは神様じゃなくてただの子供なんだ。これから先も後悔することは起こるだろう。それはおまえが弱いからじゃなくて、俺たちが無力な人間だからだ。だからこそ、自分の心を守るために幸せを探すんだ。たくさんの幸せで心を満たすんだ。そうやって俺たちは生きていくんだよ」

 子供に理解させるには信頼も時間も足りないけれど、急須を持った大家が戻って来たので、最上は最後に悠一の頭をガシガシと撫でまわした。かなり好きにやったのに抵抗しない悠一を不憫に思っていると、奈々が戻ってきて、その手にはどこから持ってきたのか、アイスクリームがある。

「悠一君、バニラアイスが好きだったでしょ」

 悠一の前に置かれたガラスの器にあるのは、葬儀場の一階にあるカフェのロゴであった。

「──美味しい」

 ひとくち、スプーンでアイスを口に入れた悠一が言うと、奈々は花が咲くように微笑って、それだけではなく、ぐっと唇を噛み締めた。

 収骨を終えると、四人はタクシーで悠一の自宅へと戻った。葬儀屋が小さな祭壇を組んでくれたので、そこに悠一の母を置いた。大家は線香を一本上げると斜向かいの自宅へと戻ったが、その際になんでも力になるからね、と力強く言い残した。

 船を漕ぎはじめた悠一を布団に寝かせた奈々の頬を流れた涙は、出棺でも流さなかった、こらえにこらえた、涙であった。

「この子は児童養護施設に入ると聞きました」

「そうなりますね。私もただ事故現場に居合わせただけなので、申請を出しても家庭裁判所が許可するかどうか──」

 トリオン兵の存在はまだ国に認められていない。捜査が行われたところで、不審死となるだけなのだ。

「それなら、私が引き取ります。悠一君さえ頷いてくれるなら、私が二人目の母親になります」

 不思議な青い眼には、沢田の家に引き取られる未来が視えていたと言うではないか。

 幼子の三輪車を押してやる未来に戸惑っていた悠一を思い出していると、きゅるる、という間の抜けた音がした。最上も奈々も驚いて、音の発生源を見る。悠一はよく眠っている。その腹から空腹を訴える音がしたのだ。

 最上は思わず微笑ってしまった。バニラアイスしか食べていないのだから仕方がない。泣き笑いをハンカチで抑えた奈々は、何か温かいものを作ってあげなくちゃ、と喪服のジャケットを脱いだ。

 

 

親愛なるあなたへ【了】


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