東河内の地にて、彼は生まれた。
周囲が血生臭い。人間が焼ける臭いも漂い、正直いい気分じゃない。
だがそんな事を意に介さず、俺達は馬で駆け続ける。
周囲を敵の旗が徐々に囲み始める中、俺はこの現状に酷い既視感を覚えていた。
前にも、今回と同じ戦況の中に俺達はいたのだ。
前方には一族の惣領である弟がおり、俺達は最後尾の殿軍として馬で駆けている。
先程まで連戦を行なっていた事で味方の損害は激しく、俺自身も多くの傷を負ったままだ。
連戦相手である室町軍は大将を討たれた事で混乱が大きく、多くは散り散りになって壊走している。
しかしその中でも一部は既に立て直し、せめて我々を討ち取る事で汚名返上をしようと図っている。これも我が軍が敵と比べて少数だった弊害だ。被害が甚大な相手と、無傷な相手の差が酷い。
なので纏まり始めた敵軍の手にかからぬよう、俺達は戦場から撤退中なのだ。
だがこのまま行くと、間違いなく敵に追い付かれ、大半が討ち取られるか自害する事になる。
せっかく史実よりもマシな未来を目指したというのに、ここで史実と同じく当主が亡くなり壊滅すれば楠木一門の弱体化は避けられない。
ここは誰かが残り、殿として敵を足止めするしかない。
そう納得すると、不思議と俺は馬を止めていた。
俺の突然の奇行に驚いた郎党達も馬を止め、それは前方を走る本隊にも伝わった。
異常を感知し、騎馬が一騎後方へと向かって来た。
本隊の後方へ馬を走らせたのは楠木家の現当主、楠木五郎正行。
俺の異母弟であり、父上の嫡男だった青年だ。
「兄者!そんなとこで何をしておられるのですか、早う行きましょう!」
「五郎、お前は先に行っとれ!」
「なっ、兄者は如何するんですか?!」
「バカタレ、ワシぁここで殿に気まっとるやろが!」
「なりませぬ、そのような事をしては義姉上も悲しみまするぞッ!」
「嫁の涙は嫌やけど、それよりも一族の離散の方がワシは嫌じゃ!三郎、そのバカを連れてはよ離脱せぇ!」
「なっ、三郎、それにお前達もやめろっ!今ならまだ兄者達を連れて逃げられるだろう!待っ、兄者っ、兄者ァッ!」
兄弟や郎党たちに抑えられ、遠ざかって行く弟を見る。
その顔色は憤怒と絶望で彩られており、俺達の姿を捉えて離さない。
前は俺が五郎と同じ立場にあったので、弟の気持ちは手に取るように分かる。
俺は家族にこのような思いはさせまいと励んだが、少しばかり足りなかったらしい。
結局弟にもかつての自分と同じ絶望を味合わせ、人生のほとんどを共に過ごした郎党までをも巻き込んでこの地に留まっている。
そしてこの場に残った郎党の中には、実弟である次郎正末の姿もあった。
「兄者は酷いなぁ。俺にも逃げろって言ってくれへんのか?」
「すまんな次郎、お前等も。お前等にはワシの死出の旅路に付き合うてもらうからな。」
「悲しいなぁ。もう団子屋のみっちゃんに会えへんやないの」
「向こうで待ってたら60年後くらいにまた会える。せやからそん時までの辛抱や」
「相変わらず人使いが粗うて敵わんわ。自分等もけったいなもんやなぁ、こんな人を主人に定よって」
「もう仕えて30年以上経ちますからなぁ。我等もきっとそのけったいな主人に毒されたんでっせ」
「お前等好き勝手言いよるなぁ。でもお喋りはここまでや、カンカンになった敵さんの大軍の登場やで」
戯言で明るい空気を害するように、後方からは敵軍の足音が聞こえて来る。
敵の追手が既に近い事を誰もが理解し、各々が頷き合っている。
「ほな、また後で会いましょうや!」
「この後は宴会や!美人な姉ちゃんぎょうさん呼んで騒ぐさかい、自慢できるようドッサリとお土産稼ぐで!」
『応ッッ!!』
号令をかけると、百人にも満たない郎党達は各々戦の準備をする。
敵を急襲するためにそれぞれが森の中に入り、敵を挟撃するために散る。
そして迫りくる敵の中には細川、今川、佐々木など様々な家紋が見える。
「室町時代のオールスターみたいなメンツやなぁ。」
アホな感想を抱いた俺は敵が近くまで来たところで味方に合図を送り、そのまま番ていた矢を上等な鎧を纏った武将に向けて放つ。俺の矢は見事に乗馬していた敵将の首に刺さり、佐々木氏の武士はそのまま落馬した。
唐突に指揮官を失った佐々木氏の前衛は混乱し、こちらは残りの矢を放ち可能な限り敵の将校を討ち取っていく。
しかし連戦の影響で残っていたのはわずかな矢だけであり、数人討ち取ったあたりで矢は尽きてしまった。
「河内での戦やのにここまで補給が厳しいとは、ままならんもんやな。ほんま京都に集まる物資を好きに使える足利が羨ましいわ」
俺は再び合図を出すと、郎党達は混乱が冷めない敵軍に向けて飛び出した。
そして白兵戦に持ち込み、不意を突いて確実に敵を屠って行く。俺の郎党達は畿内でも無双の一党として著名だ。鎌倉の倒幕以前から各地で戦を繰り返し、元弘の乱以降河内をはじめとする畿内各地は激戦が連日繰り広げられた。
その全てに従軍したのが我々であり、百戦錬磨の兵を率いていると胸を張って言える。
しかしいくら鍛え上げられた精兵とはいえ、戦い続ければ敵の増援が到着してこちらが壊滅する。
戦いの中で再び合図を発すると、生き残った郎党は再び森の中へと駆けていった。
俺はどさくさに紛れて敵から奪った矢を番え、森の中にまで追ってきた敵を射殺する。
ここから始まるのはゲリラ戦だ。俺達は敵を誘い込み、殺した後でその武器を利用して少しでも長く時間を稼ぐ。敵もこの先続く森に接した道で我々を無視して行軍した場合、いつ同じように襲撃されるかと警戒し続けないといけなくなる。
奇襲で少ない数の指揮官クラスの武将を討ち取られたんだ、この先またそれが繰り返されるとあっては敵兵の士気にも大きく影響するだろう。
だからこそここで1人でも多く、こちらの兵士を減らしておきたいはずだ。
その分だけ本隊が逃げる時間を稼げる。最前線にいたのは佐々木氏だが、今頃は既に今川や細川も到着しているだろう。俺が見た限り、短時間でまともに立て直しができていたのはこの三家の率いた軍だけだ。細川は軍というにはあまりにも少数だが。
それに俺達が壊滅したとして、敵は他の兵士が森の中に潜んでいないか確かめる時間はない。
「オノレェ!あの腐れ楠木が、必ず我が手で惨たらしく殺してやる!」
少し離れた場所から敵の怨嗟の声が聞こえる。確か佐々木の嫡男の声だ。前に奴が父親の付き添いで洛中を巡っている時に会った事がある。
「なんじゃ佐々木、親子共にかぶき過ぎて気まで狂ったか?」
俺は隠れていた場所から姿を現すと、僅かな供回りしか連れていない佐々木秀綱と対峙する。
どうやら俺を追って飛び出して来たらしい。連中の後方からは味方を探すような声が聞こえる。森に入ったバカの保護を急ぎたんだろうな。上がアホだと下も苦労するもんだ。
「そこか、この腐れ楠木!許さ─────」
「戯けが、森で敵が隠れとんのに自分から敵に居場所を晒してどないするんじゃ」
そのまま佐々木の恨み言を聞く事なく射殺する。
「父親に似ず、かぶいていたんは言動だけらしいな。おかげで死に様は随分と阿呆やな。」
死者を侮辱するのは趣味じゃないが、これが伝われば後続の佐々木氏の連中も怒りでこっちに食い付くだろう。現に郎党は顔を真っ赤にしながら佐々木の遺体を運ぶ者と、俺を殺すために迫って来る者に別れている。
俺のほうに来たのは4人なので、しっかり敵を攪乱しながら狩っていく。
一応俺も官位を賜りそれなりに有名なので、俺に嫡男を殺されたとあれば佐々木氏はこちらに食い付かざるを得ない。細川も多くの一族を俺達に殺されているため、その戦闘の数々で先鋒を務めて多くを葬った俺は是非とも殺したいところだろう。
今川に至っては以前の戦で前当主の今川範国、そしてその嫡男である今川範氏の両名を殺したのが俺だ。
この森の中に飛び込んで俺を討ち取る理由なんて、いくらでもあるだろう。
付き合わせる郎党には悪いが、こいつらはしっかりとここで足止めをする。
幸か不幸か、俺はこの時代である程度は知名度のある存在になったのだ。
その俺を殺して名を挙げたい連中も、復讐をしたい連中も多くいるだろう。
ならその心を心を上手く利用するしかない。これで目的が達成されるのなら、これまでの俺の人生も報われるもんだ。
佐々木氏の家臣をまた1人殺害し、俺は決意を新たにした。
1人でも多く敵を道連れにし、敵を出来る限りここに引き付ける。
これが成功すれば、俺の生涯の夢も実現するんだ。
俺の夢はたったの二つ。
楠木氏の史実よりもマシな未来と、この時代で俺に出来た家族の幸せだ。
そのためならばここで足利の兵と心中するのも悪くない。
あの世で嫁達にどつき倒される未来しか見えないが、そこはもう甘んじて受け入れよう。
◇
楠木太郎正之。
彼は楠木正成の長男であり、次期惣領として期待され育てられた武将だった。
大和国の大神神社の社家である三輪氏の娘を母の持ち、幼い頃から特異な神力に通じた子供だった。
そんな正之に転機が訪れる。それは正之がまだ11歳の頃だった。
彼の父の下に京の公家から縁談が舞い込んだのだ。相手は時の帝である後醍醐天皇の腹心、万里小路宣房の娘だった。
正成はこの時後醍醐の倒幕計画に賛同しており、畿内であらゆる謀略を張り巡らせている途中だった。そんな正成と連絡を密にするため、帝は腹心の娘を介して連絡を取るようにしたのだ。
こうして嫁いだ娘は正成の正室となり、正成の後継者は彼女の産んだ男児が継承する事となる。
はじめは正之の与党や家中も反対していたが、正之自身が家督と惣領の地位の継承を拒否したために楠木氏家中は問題なく纏まることに成功した。
この後に楠木氏は更に後醍醐天皇との関係を更に密にし、鎌倉幕府の打倒を成し遂げる事となる。正之もその戦乱の中で多大な武功を挙げた。
これは後世で軍神と崇められる楠木正成の庶長子、楠木太郎正之が残酷な世界で己の大望を果たすために足掻き続ける物語である。