ちーちゃんの純愛しか勝たん 

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青底翳

 

 窓の外では牡丹雪が揺れ落ち、積もられた小枝は少し歪んでいる。

 私の足音だけ。音の無い病室。真っ白なベッドで仰向けになったままの君は、今日も動かないまま。

 

 

「今日は寒いわね。外、雪も積もってるのよ」

 

 

 貴方に話しかけている。帰ってくるのは、心音が正常であるかを確認する為だけの、冷たい機械のメトロノーム。

 大好きなんて言葉は返ってこない。今でも、ふとした瞬間に、貴方がいつものように本気交じりに言ってくれる気がする。ガラスが風に吹かれる音は、返事じゃない。

 

 今日も私は、貴方の頬を撫でる。酸素マスクに触れないように、暖かさを感じて、今日も大丈夫って。

 

 最後に貴方と話したのは、高校三年の秋。肌寒くなって来た秋の夜に、いつものように私に好意を向けてくれていた。

 私は現役アイドルだから、貴方とは付き合えない。そう言って断ったのに。一緒に居るのが嫌じゃなかったら、僕が嫌いじゃなかったら、ずっと好きを伝えさせてください。なんて、一歩間違えれば、ただのストーカーみたい。そんな距離感に、甘えていたのね。

 

 酒気帯びによる居眠り運転。突っ込んでくる軽自動車から、私を守ろうと突き飛ばした君は、あの日から眠ったまま。

 自動車との全身打撲は何とか回避したものの、衝撃で吹き飛ばされた際に頭を強打。脳震盪を起こし、意識不明の重体。未だ、昏睡状態。

 担当医の先生からも、良い話は聞けなかった。記憶、果ては人格までもどうなるかわからない。そもそも、意識が戻るかも。

 

 寝顔は、いつもと変わらない。傷が減り、見慣れた姿に戻っていくのに。あの日からずっと。

 ねぇ、貴方は今、どんな夢を見ているの?

 良い夢? 怖い夢? 少しエッチだったり、不思議な夢?

 

 

「夢の中でも、まだ、私のこと」

 

 

 好きでいてくれているのかな。君が全く違う誰かのようになったとして、今ここにいる私が、きっと貴方が好きじゃない表情をしていても。それでも君は、好きでいてくれるのかな。

 

 見返りの無い好意を一心に受けていた。今、私の心は、酷く虚しい。からっぽのまま。

 失ってから気が付くだなんて、そんなつもりなかった。ただ、勝手に、何時までも隣に居るんだって思っていた。

 

 天気の良い、秋晴れの朝。病室で包帯だらけになった貴方の横で、貴方のお母さんは泣いていた。

 謝ることしか出来なかった。頭を下げ、唇を噛むだけ。何に謝っているかもわからなかった。でも、そうしたかったんだと思う。

 顔を上げて。千聖ちゃんは何も悪くない。無事に生きていてくれてありがとう。

 嗚呼、間違いない。貴方のお母さんなのね。自分の息子が、この先どうなるのかも分からないというのに、見ず知らずの私を心配するなんて。だから、貴方はこんな素敵な人になったんだ。

 私は、何も知らなかったの。

 

 全て遅かったかもしれない。でも、今からしかできないこともある。

 テレビやドラマで流れる、都合のいい言葉で、自分を奮い立たせた。貴方が私を大事にしてくれたように、今度は、私が貴方を大事にしよう。都合の良い解釈で、貴方に会いに行く。

 

 彩ちゃんと麻弥ちゃんが泣いた日も、日菜ちゃんが何も言わなかった日も、イヴちゃんが優しく手を握ってくれた日も。貴方はずっと変わらない。

 薫が耳元で貴方に勇気を与えた日も、花音が優しく見つめて過ごした日も。やっぱり、貴方は変わらない。

 

 冬が来て、春になり、夏が顔を出し、もう一度、あの日と同じ秋が来て、気が付けば冬。

 聖夜に奇跡は起きず。400日を超えても、病室のドアを開ける度に、現実が教えてくれる。全て遅かったんだよ、と耳元で呟く。

 聞こえないふりをして、何もないように振る舞う私は、きっと滑稽かもしれない。

 強がっている訳じゃない。多分、貴方の好きだった白鷺千聖を演じたいの。そうすれば、好きだって貴方が伝えてくれる気がするから。そうやって、貴方に話しかけるの。

 

 

「冬休みに入ってから、少し仕事を増やしたの。明日は来れないけれど、明後日はまた顔を出すわね」

 

 

 事務所やマネージャーさんは、事故があった日から仕事を減らそうと動いてくれた。パスパレのみんなも、そのつもりだったらしい。

 私は、そうじゃなかった。今の白鷺千聖を、今のままの白鷺千聖で居たかった。毎日、顔を出すことが出来なくても、そうした方が良い気がした。貴方なら、そう言うと思って。

 

 全く同じままだと飽きられるかな。服装や髪型を変えたりしても、貴方は目を覚まさない。

 病室の外で涙が止まらない日もあった。それでも、貴方の目の前では、いつもの調子のまま。気丈に振る舞うこともしない。だって、びっくりするでしょう?

 

 

「人気が出たのは嬉しいけど、貴方に会えない日が多くなるのは……少し、寂しいから。今年の年末は、去年よりも忙しくなりそうかしら」

 

 

 話しかける時は、手を握るようになった。

 握り返してはくれないけど、彼の存在を両手に感じる。いつかの時、握手会の練習と言って、手を握った。その時よりも、細くなったわね。

 

 こうしていると、何に語り掛けているのか、わからなくならない。自分自身を見失わないで居られる。

 自分の生きている意味を考えるようになってから、今更貴方を支えにしていた。

 重い女は嫌いかしら。ごめんなさい。でも、きっとバレないから。だから、貴方に支えていて貰いたいの。私が生きている意味に、私がしてしまったから。

 

 

「今日は、雑誌の取材とパスパレのレッスン。明日は、ロケで神戸。前乗りしても良かったんだけど……やっぱり、顔が見たかったから」

 

 

 随分と、自分でも滅多に言わないことを平気で口走るようになったと思う。口を噤んで暫くしても、少しずつ漏れ出るようになった。貴方の好きなままで、なんて語っていたのに、白鷺千聖が邪魔をする。

 貴方が目を覚まさない。この光景が自分の中で当たり前に変わっていく。頭では思っていないはずなのに、貴方の前では口にしないようなことを言う。

 

 ねぇ、彼が目を覚まさないと思っているの? それとも、彼の前で自分を曝け出したいと思っているの?

 殺そう。自分を。やっぱり、私を好きでいて欲しいから。貴方の好きな私でいたいから。その為だったら、私の本心くらい、殺して見せるから。

 

 少しずつ、私の中から貴方の声が遠くなる。その度に、貴方の好きな白鷺千聖が歪む気がする。

 最初から歪んでいたの? 貴方のせいで歪んでしまったの。私が貴方を、歪ませてしまったのに。

 それら全部を、押しとどめる。飲み込んで、溶かしましょう。

 貴方の前で、こんなことを考えるのは嫌だから。遠くに見える貴方が、寂しい顔をしている気がするの。

 

 枕元の台に置かれている時計の針は止まらない。何百回と同じように話しても、必ず何処かで別れは来る。何時でも逢いに行くのに、終わる時には寂しさがこみ上げる。冬になって、また涙を流す日が増えた。思い出すことが、増えたからかしら。

 

 

「カーテン、閉めてから帰るわね」

 

 

 何も変わらない、いつものように。そうすれば、きっと、起きてくれる時に驚かないで済むと思うから。

 私の声と、物音と、機械音。貴方はここにいるのに、この部屋は肌に溶け込む牡丹雪よりも冷たい。

 

 それじゃあ、またね。それだけなのに、いつも言葉に詰まる。

 だから、何も言わないで貴方の頬をもう一度撫でる。

 貴方の目が、もう一度私を拾ってくれる気がするから。

 

 

「風邪、引いちゃだめよ」

 

 

 この部屋で、バッグを手に取る瞬間が何よりも嫌いだ。

 帰り道は、何時も寒い。何処に居たって、自分の中には底の見えない大きな空洞が空いたまま。貴方に会った後は酷く痛む。

 すれ違う子供を見る私の顔は、笑えているのかな。怖い顔、してないかしら。君みたいに、心の底から笑えるようになれたら、どんなに気持ちが良いのかしら。随分と、前の事のように感じる。

 ひとつの顔は神が与えてくださった。

 もうひとつの顔は自分で造るのだ。

 誰かの言葉を借りるなんて、らしくないってきっと笑われる。きっと、みんなわからないときは、誰かに手を差し伸べてほしい物なの。私、笑えてるのかな。

 

 

「……手袋」

 

 

 バッグの中に、無い。あぁ、病室。貴方の頬を撫でる時。

 そのまま帰っても別に良い。でも、きっと心配してくれるわよね。綺麗な手が赤くなっちゃう、って言うのかしら。随分と下手な真似事。貴方の事を思い出すだけで、少し嬉しくなる。おかしい? 私もそう思う。

 

 自分に都合が良い解釈ばかりするようになったのは、何時からだろう。貴方と沢山話すようになってからかしら。私の事を褒めて、褒めて、褒めて。悪い人。その笑顔が、私を何処か狂わせたの。

 都会で降る雪は、湿っていて重いらしい。木々の枝にのしかかり、それに積もられた枝は重さに耐えきれずに、果てには折れる。その先は、呆気なく枯れてしまう。

 でも私は大丈夫。自分の顔さえもわからなくなっても、貴方の前では白鷺千聖であり続けられるから。

 

 

「ごめんなさい。手袋忘れちゃっ……て……」

 

 

 人生で一番長い三秒間だったのかもしれない。頭に感情がなだれ込んで来て、体が動かない。

 ベッドの上で仰向けになっていた貴方の瞳は、確かに天井を捉えていて、私の方に視線を動かそうとしている。

 

 貴方の前で白鷺千聖でいようとしていたのに、私は今、バッグを投げ捨てて貴方の手を取り、堪え切れない感情を垂れ流すことしかできない。

 

 

「ここ、どこ、ですか」

 

 

 ────────。嗚呼、やっぱり。

 貴方の声。途切れ途切れで掠れている。

 濁る。

 ごめんなさい。貴方がゆっくりと休んでいる間に、私は我儘な女になっていたの。そうよね。何度も私に囁いてくれた、私の中の貴方じゃないもの。

 

 

「おねえ、さん。なまえ、きいて、いいですか」

 

 

 身を割く柔らかい言葉と、心地いい疑問を、私は案外すんなり受け入れている。

 何もかも受け入れているの。目覚めてくれれば、それで全部良いの。貴方が生きている。それだけで良いの。本心。えぇ、本当に。

 

 

「私の名前は、白鷺千聖」

 

 

 顔を上げれば、貴方は私を見てくれている。

 貴方の目は、やっぱり綺麗。

 

 

「貴方の恋人」

 

 

 私は、違うみたい。


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