私は無実だ。
いや、無実より罪深い。
私がやつを秘密の守り人に勧めていなければ…
この無念だけは、吸魂鬼にも奪えなかった。
皮肉なことに、それが私の正気を繋ぎ止めていた。
もはや正気でいることなど何の価値もなかったのに。
だが、見つけてしまった。
ピーター…
お前だけは許さない……
世界がお前を英雄と呼ぼうと構わない。
私だけは忘れない。
お前が親友に何をしたのかを。
森の中で幻を見た。
カイラ・ヴィヴィエールがいる。
あの懐かしい日々から飛び出してきたかのようだ。
私はとうとうイカれたのか?
それでもいい。
やるべきことは変わらない。
あの女がいれば、すべて知っていたはず。
お前が何をしたのかも、
私が何を求めてアズカバンを脱獄し、ホグワーツに来たのかも。
ロンとハーマイオニーの仲は、もはや修復不可能に思えた。
ロンは、前々からクルックシャンスがスキャバースを狙っていたのにハーマイオニーは何もしなかったと激怒しているし、ハーマイオニーはこの後に及んで男子寮のベッドの下は探したのかと言い返したので、それが一層ロンの怒りに油を注いだ。
ハリーとしては、クルックシャンスが食べちゃったんだろうな、と思っていた。マグル界でも猫はネズミを追うものだし、年寄りで弱っていたスキャバースがクルックシャンスから逃げられるとは思えない。
状況証拠からロンの味方をしたハリーにまでハーマイオニーが癇癪を起こしたので、三人はファイアボルトのとき以上にばらばらになってしまった。
ハリーはペットを失って意気消沈しているロンを、ファイアボルトの試乗に誘うことで慰めた。
ファイアボルトは素晴らしかった。
箒はハリーの意思にぴたりと従い、ほんの少し重心を移すだけで鋭く旋回した。この箒があればグリフィンドール対レイブンクロー戦だって楽勝に思えた。
クィディッチ戦当日は前回と違って晴天で、ファイアボルトの初戦を飾るにはこれ以上ない日だった。
対するレイブンクローのチョウ・チャンは優秀なシーカーだったが、ファイアボルトの速度は桁違いだった。チョウがまだ旋回しているうちに、ハリーはスニッチをつかんでいた。グリフィンドール対レイブンクローは、グリフィンドールの優勝で終わった。
夜はグリフィンドールの談話室でパーティだ。
途中でフレッドとジョージがこっそりホグズミードから仕入れてきたバタービールやハニーデュークス店のお菓子がみんなの手に行き渡り、まるでもうクィディッチ優勝杯を手に入れたかのような浮かれようだった。
そんな中でも、ハーマイオニーは談話室の端で一人黙々と教科書と向き合っていた。
ハリーはもう一人参加していないグリフィンドール生がいることに気が付く。
「アビーは?」
「女子寮にいるわ。最近籠もりがちなの」
近くにいたジニーが教えてくれた。
「何かあったのかい?」
「わからないわ。聞いても教えてくれないもの。クリスマス休暇が明けてからずっと落ち込んでるわ」
寝巻き姿のマクゴナガル先生がやってきて強制終了を告げるまで、パーティは続いた。
各々がベッドに潜り込み、寮は静かになった。
ハリーもようやく眠りかけた、そのときだった。
「あああああアアアアッッッッッ!! やめてええええぇぇっっっ!!」
隣のベッドからロンの悲鳴がして、ハリーは飛び起きた。
「シリウス・ブラックだ!!」
蒼白な顔をしたロンが震える手で、ずたずたに裂けたカーテンを指さした。
「ブラックが! ナイフを持ってそこにいたんだ!!」
城は大騒ぎになった。
マクゴナガル先生が談話室入り口のカドガン卿と話し、ブラックはネビルが書き散らかしてた合言葉を使って談話室に侵入したことがわかった。
だが、それだけで事は終わらなかった。
後になってもう一つの噂が広がった。
ブラックは同じ夜、スリザリンの地下牢にも入り込もうとしていたらしい。だがそこでは侵入する前に気づかれて、彼は姿を消したのだという。
太った婦人が切り裂かれた時以上に城中が騒然となった。
ブラックをグリフィンドール寮へ手引きした内通者としてレオノールの名前がまた囁かれた。レオノールは例のあの人の娘だという噂がどこからか広まり、さらにグリフィンドールによく出入りしていたことから、噂はまことしやかに囁かれた。
ネビルが書き散らかしていた合言葉を使ったブラックをカドガン卿が通したことと、今年に入ってからレオノールが一回も寮に顔を出していないことを知っているグリフィンドール生は、その噂を大して信じていなかったが、レオノールが夜遅くに出歩いているところを見かけてしまったハリーは、その噂を聞きながら胸の奥がざわつくのを感じていた。
グリフィンドールでブラックが狙っていたのはおそらくハリーだろう。でも、スリザリン寮にも侵入しようとしたのは理解できない。ブラックは、スリザリンに一体何の用があったのだろう。
「何も変わらない」と言ったのは自分なのに、例のあの人の娘だからと、無意識にレオノールに疑いの目を向けている自分がいる。ハリーはそんな自分が嫌だった。
枝になったコケモモのような赤い実を摘んで、口に入れる。
実が舌の上で弾ける瞬間、微かに鉄の匂いがした。
最初禁じられた森の中に植えていたそれは、最近になって森の境目にも株を分けていた。
まだ試作段階。棘に伝った血を実に集めることはできたが、樹液が混ざるせいか質が落ちるし、記憶が断片化してしまう。
このあたりまで出入りするのは、だいたいいつも決まった顔ぶれだ。
そのまま森の境を歩いていると、最近見た顔がいた。
振り返った少年は警戒心を剥き出しにしてくる。
赤いネクタイだった。
「……ああ、犬のほうか」
廊下で下級生を間違えたあと、私はちゃんと記憶を掘り起こした。
赤いのが兄。スリザリンのほうが弟。
「獅子のほうがスリザリンだなんてね、ややこしいわ」
少年、シリウス・ブラックの眉間に皺が寄る。
「……ここで何をしているんだ?」
低く、刺々しい声だった。
「スリザリンの生徒が、こんな場所を一人でうろつく理由なんてないはずだ」
「その言葉、そのまま返すわ」
肩をすくめて返すと、彼は、ほんの一瞬、口を引き結んだ。
「君こそ、森の近くでいつも何を探しているの?」
彼が頻繁にこの辺りに来ていることは、知っている。
近くには暴れ柳がある。目的が何か、聞かずとも容易にわかる。
「それは、お前には関係ない–––」
突き放すように言いかけて、犬のほうの目が細くなる。
探るような目線だ。
「……まさか、知っているのか?」
「さあ、何のことかしらね」
さっき摘んだ赤い実を、もう一粒口の中に入れた。
やはり、まだまだ改善の余地がある。
彼の視線が揺れた。何かを確かめるように、あるいは疑いを振り払うように。
「リーマスのこと、どこまで–––?」
顔を上げて彼を見下ろすと、シリウスは開きかけた口を噤んだ。
「今日は近づき過ぎないほうがいいわよ。満月だから」
それきり、彼は何も言わなかった。
私は何も問わず、何も振り返らずに歩き出す。
鉄の味が、まだ舌に残っていた。
「人間じゃなくなればいいのよ」
まるで今日の夕飯のメニューを提案するかのような軽さで、あの女は言った。
よく一人で出歩いているのを見かけたスリザリンの二個上。
リーマスの様子を伺いに暴れ柳の近くに行った時にも何度か鉢合わせした。
出会ってすぐに、敵わないと思った。理屈じゃない。自分の中の野性の勘のようなものがそう告げていた。
あの女は絶対リーマスが人狼であることを知っていた。
知っていて、そのままにしていた。
得体の知れないスリザリン生を最初は不気味に思ったが、向こうが何もしてこないのをいいことに、シリウス達は段々とその存在に慣れていった。
ジェームズと二人で、どうしたら狼に変化したリーマスをひとりにしないで済むか悩んで行き詰まっていた頃だった。
「私、対価の得られない仕事はしないことにしてるの。だからこれは手助けじゃなくて私の独り言」
湖を眺めながら、独り言には大きすぎる声であの女は言った。
「貴方達の頭の中は面白いわ。でもちょっと飽きたの」
よくわからないことを言っていた。
そして私達は、動物もどきに辿り着いた。
最後まで手こずっていたピーターも、ある日を境に急に変身できるようになった。四匹でホグズミードを闊歩した、あの懐かしく輝かしい日々。
もはや夢のようだ。
ジェームズはもういない。
赤毛の男の子に叫ばれてグリフィンドール寮から逃げ出したあと、私はほとんど何も考えていなかった。
ピーターは見つからなかった。
城は騒ぎになり、もう一度忍び込めるかどうかもわからない。
くそっ……!
頭の中には、ただ一つの考えだけがぐるぐる回っていた。
––––あの女なら、何か知っているかもしれない。
気づいたときには、地下牢に続く廊下へ向かっていた。
頼るつもりなどなかった。
森で見かけたのがあの女である確証もなかった。
あの女のはずがないんだ。
なのに––––
今、目の前にはヴィヴィエールがいる。
髪が短いことその一点を除いて、あの頃のままのカイラ・ヴィヴィエールがいた。
いや、カイラ・ヴィヴィエールのはずがない。
そっくりな娘か何かだ。
森に乱雑に生えた茨を手入れしていた少女は横目でちらりとだけこちらを見た。
「ああ、犬」
どきり、とする。
あの女はシリウスのことを犬と呼んでいた。
目の前の少女はどこまで知っている?
これは本当に幻ではないのか?
毛皮の薄い鼻面を茨が裂いた痕がヒリヒリと痛んだ。
いや、単に今の自分の外見からそう呼びかけただけか。
「どうしてグリフィンドールに侵入したの? ネズミはもうあそこにはいないのに」
「っ!?」
–––やはりヴィヴィエールは知っていた。
「無駄足だったわね」
少女は他人事のように笑った。
胸の奥で、怒りとも恐怖ともつかないものが膨れ上がった。
こいつは知っている。
ピーターのことも。 私が何のためにここに来たのかも。
なぜだ!?
どうしてだ!?
「……お前は誰だ」
低く唸るような声が喉から漏れた。
犬の喉では、まともな言葉にならない。
少女は初めてこちらをまっすぐ見た。
その目を見た瞬間、背骨に氷水を流し込まれたような感覚が走った。
知っている目だ。
あまりにも昔と同じだった。
違う。
違うはずだ。
あの女はもうとっくに学校を去っている。
こんな年齢のはずがない。
目の前にいるのは、きっと、娘か、親戚か、そんなものだ。
だが、これではまるで––––あの女本人みたいじゃないか。
少女は視線を外し、また茨に手を伸ばした。
まるでこちらなど、最初から大した存在ではないかのように。
「ネズミがどこにいるか、知りたいの?」
あまりにも軽く言った。
シリウスの心臓が一拍遅れて強く跳ねる。
「……知っているのか」
牙の間から獣の唸りが漏れた。
「教えろっ!!」
思わず一歩踏み出していた。
少女はそれを見て、小さく笑った。
まるで、必死に芸を覚えようとしている子犬を見るように。
「でも、教える理由がないわ」
あっさり言う。
「言ったでしょう? 私は対価のない仕事はしないの」
くそっ!!
その喉元に噛みついて吐かせてやろうか!
少女は見向きもしなかった。
風が森を揺らした。
しばらく、二人の間に沈黙が落ちる。
「まあ、頑張って」
少女は投げやりに言う。
「ネズミは臆病だから、意外と近くにいるものよ」
森が静まり返った。
しばらく動けなかった。
胸の奥で、さっきの感覚がまた蘇る。
逃げろ。
犬の本能が、はっきりそう告げていた。
シリウスはゆっくりと後ずさった。
少女はもうこちらを見ていない。
茨の枝を切りながら、まるで庭仕事でもしているような顔をしている。
それが、余計に恐ろしかった。
尻尾が無意識に足の間へ入り込む。
気づいたときには、もう森の暗がりへと後退していた。
ヴィヴィエールには敵わない。
得体が知れない。
昔から、ずっとそうだった。
そして今も––––