境界廻戦~闇夜に輝く魔眼~   作:ノワールキャット

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第8話_対戦

物心付いた時、既にソレは認識していた。

 

ソレは、ふよふよとシャボン玉のように飛び、奇怪な声を出す存在だった。ソレが酷く昔から耳障りだった。けど、その嫌悪感に反して好奇心のほうが勝ってしまい、結局ソレを目で追ってしまう。

それが昔の私だった。

 

「また、空を眺めているのかい?」

 

母の腕の中で私がソレを目で追っていた時、父は穏やかな笑みを浮かべながら私に語り掛けて来た。

 

「零は空を見るのが大好きだね。ひょっとして...空に何か居るのかな?」

 

全身を黒で覆い尽くしたその服装は、朧気な記憶にも拘らず、記憶の中に強く残っている。いや、それだけではないだろう。

突出した才能を持つわけでも、一際優れた容姿を持つわけでもなく、何か特別な力を持つわけでもなかった父は、ただ、誰よりも優しかった。当たり前のように人を慈しみ、私が健やかに生きることを願った。

 

きっとこの優しさが、私には堪らなく嬉しかったのだ。だから、異常の存在だった自分を肯定出来た。嫌いだった自分を、少しだけ好きになれた。

きっと母も同じだったのだ。人を寄せ付けない、少し尖った性格をしている母が、父と話すときに丸くなるのはこれが理由だろう。

 

存在しているのか、曖昧な感覚しか持てない私は、当たり前のように肯定してくれる父が、この世界に存在していると教えてくれた。

 

「何も居ないよ。ただ、空を眺めているだけだ」

 

凛とした、涼やかな声が聞こえた。

自分と瓜二つな顔立ちをした母が、淡い微笑みを浮かべながら、私の顔を覗き込んだ。

 

微笑んでくれる顔が大好きだ。

私の手を握ってくれる優しい手が大好きだ。

暖かい腕の中で眠るのが大好きだ。

 

視界に入る異物は目障りで、うっとおしくて、好きにはなれなかった。だけど気にはならなかった。

だって、こんなにも自分は両親に愛されて幸せなのだ。例え自分が何か特別だとしても、そんなことはどうでもよくて、直ぐに頭の片隅から消えてしまうほどだった。

忘れてしまうほど、私はこの世界で生きることに喜び、幸せと嬉しさに満ち溢れていた。

 

だけど、こんな幸せは、泡沫の夢であることを思い知らされた。世界は思っていたよりも、理不尽で、残酷で、脆いということを、私は幼子であるにもかかわらず知ったのだ。

 

 

何の気配も悟らせずに、ペントハウスに降り立った男に、両儀は咄嗟に身構えた。

 

身長は190cmの日本人にしては法外な長身で、口元に笑みを浮かべる包帯で目を隠した男は、軽薄という概念が形となって服を着て、人間として生活しているような、不気味で薄気味悪い存在だった。

何者かと訪ねて返って来るのは自分は呪術師だとという的を得ない回答。

 

「やっと見付けたよ」

 

そう呟くと、トン、と無駄の無い動きでペントハウスから飛び降りた男。それに対して両儀は更に警戒した。自身が気配を察知出来ないどころか、その動きは極め抜かれた武人の動きだ。一つ一つの動きに無駄が無く、それでいて隙が無い。

 

「そんなに見ないでよ。照れるじゃないか」

 

自分を食い入るように見続ける両儀が面白いのか、分かりやすく口角を上げて喜ぶその男は、依然として警戒心を顕にし続ける両儀に対して次のように切り出した。

 

「2級術師と準2級術師を戦闘不能に追い込み、ここ最近の布都観市で最近呪霊を祓ってるの君でしょ?」

 

「...」

 

両儀は何も答えない。男が言っていることは理解出来なかったが、心当たり自体はあったからだ。

 

2級術師と準2級術師は恐らくは階級のことだろう。そして男が言っている人物、つまりは階級で呼ばれた者達に心当たりが両儀にはあった。

この男が言っているのは、以前廃園となった植物園で異形の群れを殺していた時に自身に投降するように言ってきた二人組の男女のことだろう。

 

自身と同じエネルギー(呪力)を纏って戦う彼らは、自身と似たような存在だと察することは出来たが、自身に投降を求めてきた男の言葉から、何らかの組織に所属していると思い至るのは比較的容易だった。何らかの組織に所属している場合、確実に面倒事に発展すると考え、逃げに徹しようとしたのだ。しかし、間が悪いことに二人組で行動していた彼らは、本格的に自分が逃げる前にもう一方の人物と合流してしまい、止むを得ず交戦状態に突入してしまった。

 

フードを深く被っていた為、顔は見られていないと思うが、一刻も早くその場を去りたかった両儀は早急に2人の意識を刈り取ってその場を後にしたのだ。

 

「流石に無視は酷くない?」

 

自分の心境を目の前の男は察しているだろう。

肯定しようと、否定しようと関わりがある事実は変えられない。先日の件に関しては、上手くやれば追及を逃れられるかもしれないが、この男は自分が殺した化け物に関しても追求してきた。

 

これに関しては誤魔化しようがない。

何故なら、たった今、男が呪霊と呼んだ存在を殺したからだ。

こうやって姿を見せたということは、少なくとも両儀に呪霊のような超常の存在を殺せる能力があると確信したからだろう。両儀の目の前に姿を見せたのがその証拠と言える。

 

「其処を退け」

 

「ん?」

 

「其処を退けと言った」

 

「いや無理」

 

意味の無い言葉の応酬。

この子供の癇癪のような要求程度で此の場を退くならば、元から追跡も待ち伏せもしなかっただろう。

 

「君は知らないだろうけど、上は君の身柄を拘束するように全術師に通達してるの。しかも呪詛師だったら捕縛を超えた殺害命令だって出てる。

出来ることなら、僕は君を殺したくないし、手荒な真似もしたくない。大人しく僕に捕まってくれないかな?」

 

瞬間、背筋が凍るような感覚を覚えた。体全体が強張り、頭の天辺から足の爪先に掛けて、まるで錘が括り付けられたように重くなった。足は泥沼に嵌ったように動かなくなり、腕は鉛となったように垂れ下がるように固まった。

 

これは錯覚だ。

感じたこともない相手の威圧感に体が驚いているのだ。

直感で只者ではないということは分かっていた。生物としての格が違うことも分かっていた。だが、その認識は間違っていなかったが、誤りだったと言える。

 

この男は、常に死に触れ続けてきた両儀とは別ベクトルで異常な存在なのだ。両儀とは異なる異常な世界で、彼は深い、奥底で生きながら、笑っていられるような怪人だ。

彼が不屈な精神力を持っているわけではない。彼にとっては異常こそが、日常であり常識なのだ。そして何より、この男の最も異常な部分は...異常を楽しんでいる(・・・・・・)ということ。

 

異常を忌避する両儀とは決して相容れない、両儀とは真逆の人間。

両儀は異常を嫌い、普通を尊ぶ。何故なら普通の幸福を知り、助けられたから。この男は普通じゃない世界を謳歌し、地獄の底でタップダンスを踊れるような異界の住人。

 

それに両儀にとっては聞き逃してはいけないことが聞こえた。この男は自分に、拘束もしくは殺害命令が出ていると言った。

厄介なことになった、と両儀は歯噛みした。

何らかの組織体系があることは察していたが、どうやら想像以上に闇深いらしい。殺害命令が呪詛師?だった場合の条件付きとは言え、こんなにも簡単に殺人の許可が出るということは、余程常識とは剥離された組織体系をしているのだろう。

 

目の前の男の言葉に両儀は頭を痛めていたが、男は両儀の心情を知ることは無く、新しく爆弾を投下した。

 

「言っておくけど、戦いたく無いのは本心だ。そこは断言しよう。君だって不用意な争いは避けたいでしょ?ねぇ、両儀零(りょうぎれい)くん?」

 

「...ッ!」

 

両儀元い零は一瞬だけ体が固まった。波の立っていない水面に、水滴が落とされたように動揺が走り、やけに冷たい汗が頬を伝った。

まさか自分の名を知られているとは思わなかった零にとっては予想外、この一言に尽きる。

 

「君のことはこっちである程度把握してる。まさか退魔の家系だとは思ってなかったよ。とっくの昔に廃れて無くなってると思ってたからねー」

 

退魔の家系を知っている所を鑑みるに、はったりの類も無くなった。自分の名前、退魔の家系...ここまで知っているとなると、自身の家族構成を知っていても不思議ではない。

 

零が頭を悩ませていると、男はコツコツと靴音を鳴らしながら零に近付いた。それと同時に零も僅かに後ずさる。

 

今の零にとっては未知の存在。相手の一挙一動に敏感に反応してしまい、例え手や足を僅かに動かすだけでも精神的に大きな負担が掛かる。

 

「もう一度言うけど、大人しく僕に捕まってくれないかな?捕まってくれるなら身の安全は保証する。抵抗するなら、少しだけ痛い思いをしてもらうことになるけど...どうする?」

 

身の安全...これも疑わしい限りだ。

第一相手のことも、所属している組織のことも何一つ知らない零からして見れば、はいそうですか、と簡単に首を縦に振ることは出来なかった。

そして、身の安全を保証するとして、身の安全が命だけの保証(・・・・・・)だった場合、目も当てられない。隔絶された空間に監禁されるという事態になったら笑えない。この男がそんな気が無いとしても、簡単に殺害命令を出す組織だ。絶対にマトモなモノでは無い。

 

「最後にもう一度だけ聞くよ?...投降する気はある?」

 

投降は絶対に出来なかった。投降した所で自分の身の安全が確約されていない上に、殺害も許可されていることから鑑みるに、自分の存在は目障りなはずだ。

身の安全の保障?ただでさえ目の前の男は境界を踏み越えた人間だというのに、そんな言葉を信用出来るはずがない。淡い期待はしないほうが身の為だろう。

 

この男の所属する組織は間違いなく碌な思考をしていない奴らしかいないだろう。そんな奴らだったら、家族に手を出すことも平気でやるに違いない。

 

なら、尚更投降するのは無しだ。勿論捕まることもアウトだ。そして、自身が投降しないと分かったら、男は今すぐにでも自分を捕らえようと動くはずだ。

 

出来るならば、気配を消した上で縮地ですぐにでもこの場を去りたいが、目の前の男がみすみすそんなことをさせるとは到底思えない。下手に逃走して隙を晒し、そこを突かれて捕らえられるような事態になったら目も当てられない。

リスクしかないが、前のように相手を気絶させ、その隙に逃走するしかないだろう。かなり分が悪い戦闘になるが...。

 

零は覚悟を決め、ナイフを相手に向ける。

 

「はぁ...まぁ、分かっていたけど...」

 

此方に投降する気が無いと分かると、目の前の男は頭を掻きながら、「気乗りしないなー」と気怠げな雰囲気で答えた。

嘘だ。気乗りしないのは間違い無いだろうが、それが本心というわけでは無いだろう。

 

「じゃあ...ちょっと痛い目見て貰おうか」

 

その一言を皮切りに、男からエネルギー(呪力)が立ち昇り、対して零はより魔眼の力を引き出した。

 

先程のように使い熟せるかは分からない。何時ゾーンのような状態が切れ、また暴走を始めるかもしれないが、そのようなリスクは承知の上だった。手加減して戦える相手ではないと感じたからだ。

 

呼吸を整え、足に力を込める。ナイフを逆手に持ち、相手を見据える。そして、零は足に込めた力を一瞬にして放出し、瞬きの間に斬り掛かった。

 

 

零は、五条との間合いを超人的な速度で一瞬にして詰め、ナイフを降りかぶった。

 

(やっぱり速いな。天与呪縛のアイツほどじゃないけど、単純な走力なら僕より上だ。この速度に付いて来れる術師はそういない。でも...)

 

「まだまだ青いね」

 

五条は何てことのないように回避して見せる。確かに動きは速い。動き全体に無駄が少なく、中学生という歳から見れば、よく研鑽されていることが分かる。が、それでもまだまだ荒削りな面が目立つ。

 

元から呪力の絶対量が低いのか、呪力の扱いに長けているのか、この際どちらでもいいが、呪力の漏出が限りなく少ない。だが、0(ゼロ)でない以上、五条の眼で捉えることは容易。例え相手の動きが見えなくとも、僅かに漏出した相手の呪力の軌跡を辿り、長年戦い続けたことで培われた戦闘経験から、相手の動きを予測するのは決して難しいことではない。

 

(只の斬るや殴る程度ならそこまで警戒する必要は無い。仮に当たっても致命傷にはならないし...この程度なら無下限を使う必要も無いかな)

 

零の攻撃は空を斬るが、零は相手が攻撃を回避する程度は予想していた。故に、零は瞬時にナイフを持ち替え、横に振った。

そしてその攻撃も五条は後ろに下がるだけで、回避する。

 

(直死の魔眼は殺傷能力が高過ぎて使えない。それに相手の能力が未知数の今、使う場面を慎重に選ばないとダメだ。

アイツが何時から居たのかは分からないが、仮にあのキメラの奴を殺す前後の辺りの時に居たとしたらこっちの手札は相手に割れてるも同然。せめてもの願いは魔眼の能力が完全に露呈していないことだな)

 

直死の魔眼は数ある魔眼の中でも頂点に君臨するほどの希少性と能力を誇る。物理的距離による制限はあるものの、この眼によって殺せない存在はほぼ皆無であり、例え常識から外れた存在であろうと『死の線』さえ断ち斬れば、殺すことは容易だ。そう、容易なのである。

 

人を殺すことに強い忌避感がある零にとって直死の魔眼は拷問器具でしかなかった。生物であろうと、無生物であろうと、問答無用に死を可視化するこの眼は、悉く零の精神を摩耗させた。視界に映る全てが、手で触れるだけで簡単に殺せる存在だった。おまけにこの世ならざるモノが自分にだけ見えるときた。

 

それが後押しとなり、さらに精神的に追い込まれた。

 

魔眼殺しで魔眼の能力をある程度は抑制出来るとは言え、そう簡単に克服出来るものではなかった。そこに更に追い打ちを掛けたのが、自分にだけ見える異形の存在。

 

強い疎外感と異物感。

 

唯でさえ擦り切れていた心が更に擦り切れ、自分が異常な存在だと嫌でも認識させられた。

視界に映る全てが『死』で溢れ、視界の全てが『死』で塗り潰された。人も、動物も、超常も、何もかもが死で埋め尽くされ、零の見る世界には『死』しかなかったのだ。

 

(何時まで魔眼が使えるかは分からない。不確定要素を含む状態で使うのは危険。万が一にでも暴走を起こしたら私の敗北は確実!)

 

零の方針は決まった。

加減の効かない魔眼はまず間違いなく相手を殺す。故に魔眼の能力を使わずに相手を無力化する。

その為に、まず魔眼の能力を出来る限り抑えて『死の線』や『死の点』と言った視覚情報をカットした。そして、ナイフは相手への牽制目的で使い、直接相手に攻撃する手段は手や足の二つのみにする。

 

一方の五条は零の変化を敏感に感じ取っていた。

 

(...何だ?少しだけ眼の色が薄くなってる?眼の能力を抑えた?それとも時間制限?

普通に考えれば術式発動までのインターバルだけど...六眼で術式が視えないから、僕の眼と同じ特異体質の類か?いや、視えないなら幾ら考えた所で平行線を辿るか。現時点では視界と絡んだ術式を持つと考えておけばいいか)

 

五条は一先ずそう結論付けた。六眼でも視えない零の術式。眼にまつわる術式を持っているのは確かだが、その肝心の術式が視えない。故に詳細な情報が分からない。

術式ではないことも考え、六眼のような特異体質の可能性も考慮した。それならまた話は変わるが、五条は六眼以外でそう言った類の眼がある話を聞いたことがなかった。

 

眼や視界に関する術式ならばそれなりの数があり、呪術界でもオーソドックスな術式と認知されている。

例えば禪院家には視界に入れた相手の動きを止める術式が確認されている。更に広義的に見れば自身の視界を画角とし、予め24分割して作った動きを自身にトレースする投射呪法(とうしゃじゅほう)や、五条の後輩が扱う、対象を7:3に分割した長さの内分点を強制的に弱点とする十劃呪法(とおかくじゅほう)など、自身の視界に限定すれば、対象とした相手に何らかの効果を及ぼす術式はそれなりの数があり、比較的メジャーな術式だ。

 

しかしそれは全て術式での話。六眼のような類の眼が他にあるのかと問われれば、呪術の歴史や術式に関して豊富な知識量を持つ五条でも絶対にあると答えることは出来なかった。

 

そう思考に耽る五条の眼前をナイフが掠めた。それを五条は刃先が当たるギリギリで回避する。

零はナイフを振った反動を利用し、そのまま五条に向けて回し蹴りを喰らわせるが、五条は片腕で受け止める。そして五条は零の蹴りを受け止め、空手になっている手で零の足を掴み、投げ飛ばした。

 

「グッ!」

 

突然襲って来た浮遊感と重力の圧力に零は苦悶の声を上げた。

 

現在、零の居る高さは10m以上にも上る。零の体重が軽いこともあるが、通常、一般人が人を投げた所で、3mも投げられないだろう。10m以上も投げられるのは五条の恵まれた体躯と磨き抜かれた技術、卓越した呪力操作が併さったことで成立した結果だ。

 

空中に投げ飛ばされた零。そのまま落下すると思われたが、零は自然落下で屋上に体が落ちる前に空中で体を捻ることで体勢を整えながら落下の勢いを落とし、更に空を蹴る(・・・・)ことで勢いを完全に殺した。それによって危なげなく着地し、無傷で生還した。

 

常人ならば為す術無く落下していただろうが、零は今まで磨き上げた、神業と称すべき技術を以て無傷で生還した。打ち所が悪ければ、最悪死に至ることもあり得た高さをだ。

 

五条は零の動きを目隠し越しに眼を細め、冷静に分析していた。

 

(あの歳では想像も付かないほど洗練されている。空中での動き、勢いの殺し方...どれも精密な動きが求められる高等技術!それに空を蹴ったアレは僕の無下限の応用に近い代物かな?いや、似ているだけで本質は別物か)

 

先程見せた零の動きを五条は完全には理解出来ない。

もちろん五条は自身の術式を利用すれば、空中浮遊や空中移動を実行することは容易い。しかしそれはあくまでも術式を利用した話だ。呪力による肉体強化込みで考えたとしても、肉体だけであの動きは五条でも出来ない。

 

理解は出来ない。故に五条は、零にソレが出来る能力があるとだけ憶えた。

 

五条が冷静に動きを観察している間に、零は着地した瞬間、一呼吸で五条との間合いを詰めた。

その素早さに五条は場違いな感心を抱きながら、すぐさま迎撃に移る。

 

零が次に放ったのは拳による打撃。ソレを五条は腕で受け止めなかった(・・・・・・・・)

受け止めたはずの腕に衝撃が来なかったことに五条は一瞬だけ唖然とする。その僅かな一瞬の隙を突き、零は五条を蹴り上げる。だが、五条はその蹴りを難なく受け止めた。そこに零はまるで食い込むように足に力を入れると同時に空中でやったように体を捻って勢いを付けた。蹴り上げていた足を滑らし、もう片足で裏回し蹴りを決めた。その蹴りも当たり前のように五条に躱されるが、零による攻撃はまだ終わっていない。

 

五条に向けて裏回し蹴りをした反動で、体が傾くがそれは計算済みだ。倒れる前に右手で体を支え、ブレイクダンスの要領で足を交差するように動かし、五条の顎目掛けて蹴り上げた。しかしそれも易々と躱され、逆に片足を掴まれてしまう。

 

捕まえた、と言わんばかりに笑みを浮かべる五条。それに対して零は、本来なら急いで振り解くべき状況で掴まれていないもう片足の方を五条の肩に掛けた。そして、瞬時に足と体を曲げ、次の瞬間には五条の顔が真横にある場所まで一気に詰めた。

 

その動きに五条は僅からながら驚いた。

 

五条は立場上、呪霊の祓除以外にも呪詛師の捕縛及び殺害の任務を受けることもある。

高専による正規な訓練を受けた所で、2級、準1級で頭打ちになる呪術師が大多数を占める中、正規な訓練を受けずに独学で呪術を磨かなくてはならない呪詛師ではそもそも2級レベルの実力すら身に着けられない者がほとんどだ。

故に、碌な矜持(プライド)や覚悟も持たず、圧倒的な力を持つ存在を前にすれば、ほとんどが自己保身に走り、命乞いするのが大半を占める。悪足掻き、背を向けて逃げ出す呪詛師は数多いが、この逃げの場面で攻勢に打って出るのは五条からしてみれば、あまり無い経験で何処か新鮮であった。

 

急接近し、五条との距離はほぼ0(ゼロ)になった。五条は零の足を掴み、零は五条に組み付くように状態となっている。互いに相手の動きを封じ込める状態となった今、勝敗を左右するのはどちらの力が相手より勝るかだ。

まず、単純な力比べなら、零は圧倒的に不利だ。五条との体格差が大きく、元々の力の差が大きい上に、呪力による肉体強化を含めたとしても、呪力の絶対量で五条に大きく劣る零は、例え呪力による強化術が五条と同等以上に行えるとしても、呪力出力で競り負けるのは目に見えている。

 

互いの有利不利を組み付く状態になってから1秒経たずして五条と零はほぼ同時に把握した。そして、そんな状況下の中、先手を打ったのは零だった。

 

いくら攻撃を仕掛けようと、防がれ、往なされてしまうなら、限界まで近付き、回避不可能な距離で相手に攻撃を仕掛けるのが有効だと零は考えた。

速さを乗せ、絶妙な角度で拳を打ち込んだのは相手の頭部。そして狙うは脳震盪。

外部より強い衝撃を加えられ、脳が揺さぶられることでそれは簡単に引き起こされる。引き起こされることで生じる症状は一時的な意識障害と記憶障害の二つ。

 

背丈が190cmはある五条の頭部を狙うのは難しいが、相手に組み付き、上体が相手の頭より高い位置にある今、その問題は解決している。

この距離なら外すことは無いと、零は五条の額目掛けて拳を打ち込んだ。

 

「あ〜、僕に態々組み付いたのはこの機会を狙う為か。捕まって身動きが取れない可能性も高いのによくやるよ。ま、頑張り賞って所かな」

 

「!?」

 

零は驚愕し、目を見開いた。零が打ち込んだ拳は五条に当たる寸前で止まり、動く気配が無い。まるで見えない壁が五条と零の間にあるかのように、零の攻撃を防いだ。

そして、この攻撃が決まると思っていた零は予想外の方法で攻撃を防がれたことに理解が追い付かず、一種の放心状態に陥った。その放心は五条にとっては大きい隙となったと同時に、零が敗北する最大のピンチを生み出すことになった。

 

そこからの五条の行動は早かった。最初は眼前に迫っていた拳を掴み、引き剥がすように上体を引き離す。そして、掴んでいた足と一緒に投げ飛ばした。目の前で起きた理解不能の現象に一瞬惚けたが、すぐに元の平常心を取り直すと、危なげなく着地した。次の攻撃に備えて構えようとした瞬間、零の眼前に何処迄も澄んだ蒼色(・・)の輝きが目に映った。

 

かれこれ10年以上は見ていない、果てしなく続く色鮮やかな空にも匹敵する輝きに目を奪われ、次に感じたのは、自身が凄まじい力で引っ張られる感覚と腹部を襲った強烈な激痛だった。

 

「ガッ!?」

 

突然の出来事と腹部に激痛を残して、零は屋上の床に叩き付けられた。真面に受け身を取ることも叶わなかった零は勢いよく背中を叩き付け、重苦しい衝撃音を響くと同時に激痛が走る。

 

(い、一体何が起こった...)

 

痛みによって意識を失うことはなかったのが不幸中の幸いだろう。攻撃を阻んだ謎の壁に澄んだ輝きを放つ群青、引き寄せられた感覚に続いて襲って来た痛み。

予想だにしない出来事が続け様に起こり、零は再び放心状態に陥りそうになった。しかし、攻撃がまだ続くかもしれないと思い、痛みを無視してすぐさま起き上がった。そして、その零の予想はすぐに的中した。

 

「グッ!」

 

立ち上がった零を襲ったのは先程体験した引き寄せる攻撃。右側から強力な引力を感じると、再び視界内に蒼色の輝きを映し、碌に踏ん張れないまま五条の元まで凄まじい勢いで引き寄せられる。

 

「そ〜れ!」

 

五条の軽快な声と鳴ったのは、バキッという、まるで骨が折れたかのような音。その軽快な声とは裏腹に、防御に使った零の腕はミシミシと骨が軋み、衝撃を逃がせずに頭の芯にまで響いていた。

 

「ッ!?」

 

腕に響く衝撃と走る痛みに零は眉を顰めた。胴体にでも当たれば、自分の意識を確実に狩り取った一撃だ。

 

(寸前で防御したね。『(あお)』の引き寄せで体を動かすのが難しいはずなのに、左腕で右腕を支え、完全に守り切った。おまけに右腕で頭を隠して万が一にも頭が狙われても守り切れるように。

それだけじゃない。呪力での肉体強化も無闇矢鱈にやるんじゃなくて、かなり効率良くやってる。こんなことは並の呪術師には出来ないことだ)

 

一撃の重さに零が歯噛みしていた一方で五条は、零が見せた一連の動きを冷静に分析し、感心していた。

 

五条が使ったのは『蒼』と呼ばれる無下限呪術の術式効果の一つだ。

対象物と術者の概念上の相対距離を『無限』にすることで自身に攻撃が当たらなくすることが最も基礎的な運用である。そして五条が使ったのは、その『無限』を強化することで発生する現象だ。

-1の虚構という矛盾を作り出すことで生じるその現象は強力な吸い込み反応であり、虚構を作り出した空間を起点に周囲の物を引き寄せる、収束の力である。

 

先程した攻撃は『蒼』による吸い込みで零を引き寄せ、そこに呪力で強化した拳を打ち込んだのだ。

ただの呪力強化の打撃と侮ってはいけない。現代最強を冠する五条の打撃だ。並の呪術師の攻撃よりもずっと威力がある。

ここに『蒼』の吸い込みの反応も重ねると、その威力は何倍にも跳ね上がる。真面に喰らえば特級呪霊でも一撃で消し飛び、人間相手に使えば、手加減した状態でも肋骨の粉砕や内臓破裂を引き起こすだろう。

 

今回はあくまでも生きた捕縛が目的な為、『蒼』までは使わず、呪力強化のみにした上で手加減もした。それでも一発でノックアウトするほどの最低限の威力はある。

 

それでも零は耐えた。

 

『蒼』によって引き寄せられ、防御に徹するにも動きにくい状況下の中、衝撃こそ殺せなかったものの、肉体に対するダメージをほぼ0(ゼロ)にした。

 

(僕の攻撃を受け止めた箇所に呪力の大部分を集中させて肉体強度を上げて防御力を高めた。残りは手や肘などに呪力を流して衝撃に対して耐え切れるようにした。

コンマのミスも許されない、繊細な呪力操作が要求されるはず...一部でも調整をミスったら、最低でも骨が折れる。それでも彼はやってのけた。

こんな芸当は一朝一夕で出来ることじゃない。やっぱり彼には呪術師としての大きな才能が秘められている!)

 

零が五条の攻撃を耐える為に行なった一連の動作に、五条は更に高揚した。

五条に次ぐ卓越した呪力操作に、防御の為にとった対応力、一般人を上回る身体能力、その身体能力を更に底上げする磨き抜かれた体術。

 

20年以上も呪術界で生きて来たが、ここまでの能力を兼ね備えた呪術師はそうそうお目に掛かれることではない。呪術界全体で見ても、彼ほどの実力を持つ人間が一体どれだけ居るだろうか?

 

元より絶対数が少ない呪術師。1級以上の呪霊を祓えるほどの呪術師となると更に数が減る。その中でも隔絶した能力を持つ特級呪術師は片手にも満たない。

 

だからこそ五条は思う、彼には呪術高専に来て欲しいと。

 

五条の夢は腐りきった呪術界の変革だ。

別に五条の手に掛かれば腐敗し切った上層部を葬るのは簡単だ。だけどそんなやり方では誰も着いては来ない。だから求めた。

 

自分に置いてかれることのない強い術師を。

 

しかし今の呪術界にそんな戦力は何処にも無い。なら、無いなら作ればいい、育てればいい。だから柄でもない教師を始めたのだ。強くて聡い術師を育てる為に。

 

彼が居れば、自身の夢にまた一歩近付く。彼ならば、新しく変わった呪術界を牽引していく存在になってくれる。

 

(そう、なって欲しいんだ。だからもう諦めてくれないかな。僕だって必要以上に君を痛め付けたくはないんだ)

 

五条は自身の性格が悪いと思っている。零がこうして対抗している理由を察しながらも、見逃さずに心を折るような真似をしているのだから。

 

(君からしたら、得体の知れない人間からの勧誘だ。そりゃあ逃げたくもなるよ。だけど、高専に来ることは君の身の安全にも繋がる。

まだ4級や3級なら話は変わっていたけど、1級だ。低級の呪霊や呪詛師とは脅威の度合いが違って来る)

 

4級や3級なら特段警戒する必要は無かった。そぐらいのレベルならば特段珍しいことではなく、寧ろありふれた話だ。だが1級は駄目だ。呪詛師にしろ呪霊にしろ、差はあるが、死ぬ人間の数が倍以上に増える。もし仮に、1級呪霊が村落にでも出現すれば、一晩で全滅する。

 

両儀零は1級と推定される呪詛師として見られている。まだ2級と見られていれば、比較的に穏便な措置が取られていたかもしれないが、もう手遅れだ。呪詛師と認定されれば、死刑になるのは秒読みで、既に穏便で済ませられる境界線を超えてしまっている。穏便に済ませようにも、あまりにも事が大きく成り過ぎた。

 

「ねぇ、どうする?もう勝てないって分かったでしょ?君じゃ僕に攻撃を当てられない。

これ以上抵抗するなら、こっちだって君を呪詛師として処理せざるを得なくなる。君だって...処刑は嫌でしょ?」

 

我ながら意地の悪い質問だと思う。

選択肢を示している訳でもなく、最善の道を示している訳でもない。五条がやっていることは脅迫と何ら変わらない。

 

「投降するなら今だよ?今投降するなら、こっちはもう君に手出しはしない。逆にまだ抵抗するのなら、骨が二、三本折れる覚悟はしてもらうよ」

 

殺すつもりは毛頭ない。殺してしまっては本末転倒だ。だから心を折る。その為に無下限の手札を切ったのだ。

 

相手は三流というわけではない。少し考えれば、五条の狙いに気付くだろう。そして五条の狙いに気付いた時、出来ることならこれ以上戦闘を続ける意思が相手から消えることを願った。

 

(不可視の壁に対象を引き寄せる力...どういう原理だ?

引き寄せる力はまだいい。蒼い光が能力発動の合図なら、タイミングさえ間違えなければ、ギリギリ躱せる。問題は攻撃を妨げた不可視の壁!

アレの常時展開が可能かどうかで大きく話が変わってくる!もし仮に、常時展開が可能だとして、今まで使わなかった理由は何だ?エネルギーの消費が多い?それとも何らかの条件があった?いや、だとしたら何が条件だった?戦闘中に特に条件を満たすような要素があったようには思えない。強いて言うなら私と接触したことぐらいだが...そんな単純な話じゃないだろう。そもそもアイツの実力を鑑みれば、攻撃が当たる前に回避なり受け止めたり、受け流したりすることは簡単なはずだ。ならどうして?)

 

五条と零の実力には明確な差が存在する。

 

呪力量、呪力操作では零が劣り、仮に呪力操作が五条と同等レベルで行えるとしても、呪力量に絶対的な差がある為、呪力出力で結果的に遅れをとることになる。呪力による肉体強化を無しで考えた場合でも、体格差が大きく、苦戦は免れないだろう。そして最も明確な差があるのが戦闘経験だ。

 

体術を主体に攻め立てる者、術式で攻め立てる者、圧倒的な手札と物量で攻め立てる者、呪術師らしく狡猾に、嘘を混ぜて騙し討ちをしてくる者。

それはもう多種多様な方法で攻めて来る呪霊と呪詛師を相手に五条は20年近く戦い続けている。この時点で零との戦闘経験は10年以上もあり、更には戦う相手が画一的であった零は、五条のように豊富な戦闘経験が培われることは無かった。

 

(実力の差は明確。手早く終わらせに来たのか?何の為に?

アイツが殺すつもりだったらとっくに死んでる。さっきのパンチで、防御した腕が折れ曲がっていてもおかしくはなかった。何だったら追撃することもなかった。アイツの言葉を信じるなら、私を殺すつもりはなくて、あくまでも私の捕縛が目的。捕縛...生きたまま...!

不可視の壁で攻撃を防いだのは、攻撃が通じないことを私に認識させる為!そしてアイツの狙いは私の精神を削ること!)

 

五条の狙いを看破し、零は歯を噛み締めると同時に選択を迫られた。

現状、不可視の壁...無下限の壁を突破するには零は直死の魔眼という最凶の手札を切る必要がある。しかしいくら直死の魔眼と言えど、殺せないものは存在するのだ。

 

無下限呪術の存在を知らない零は当然その術式効果も知らない。効果範囲も効果時間も何もかも知らない零にとって、直死の魔眼が効くかどうかは賭けで、殺せないものだった場合、打つ手が無くなり万事休す、対抗手段が無くなる。

仮に通じるとしても、何時まで使い熟せるかがあまりにも不透明であり、タイミング悪く暴走を起こせばその瞬間に零の敗北は決定する。

 

直死の魔眼を使うかどうかを、零は今この瞬間に決めなくてはならない。

 

直死の魔眼の使用を決意しても、それが相手の防御を突破出来るとは限らない。仮に突破できるとしても、暴走という名の時限爆弾を抱えながら戦闘をしなくてはならない。

 

直死の魔眼を使用しない場合、暴走するリスクは無くなるが、その分相手の突破口を開くことは不可能となるだろう。

 

零は選択を迫られた。

どちらを選択してもリスクが高いのは変わらない、最悪の二択どちらかを選ぶ選択を。




主人公の動きに色々と疑問を持つ人がいるかもしれませんが、そこは両儀の人間だからと納得してください。執筆者は格闘技などやってはいないので、基礎やら体の動かし方は全く分かりません。
後、主人公が五条と徒手空拳やナイフを使って戦闘出来たのは、五条が全自動の無下限を使っていなかったからです。端的に言えば舐めプです。
人間相手に直死の魔眼を使いたくなかった主人公と戦闘を成立させるには、五条自身が無下限のバリアを切らないといけなかったので。

次回決着です。
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