104年後からの今   作:requesting anonymity

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83.自慢の息子

 デヴォン州、オッタリー・セント・キャッチポール村郊外。一度見れば忘れない「隠れ穴」やチェスの(ルーク)みたいなラブグッド父子の家からほど近い位置に、その家族は住んでいた。

 一昨年までは、夫婦と一人息子の3人家族が、幸せにそこで暮らしていた。

 ディゴリー家という一族は、18世紀には魔法大臣を排出すらした由緒正しく誉れ高い魔法族の家系である。現在この家に暮らしているエイモス・ディゴリーとて魔法生物規制管理部で長年に渡り素晴らしい仕事をしていて、美しく優しい妻を持ち、一人息子のセドリック・ディゴリーは外見にも性格にも欠点が見当たらず各科目の成績も優秀でハッフルパフクィディッチチームのキャプテンを務め三校対抗試合のホグワーツ代表に選ばれた、大勢の友人に愛される素晴らしい青年だった。

 

「私の息子だ」

 

 エイモス・ディゴリーがそれだけ言って指し示した写真の中から、爽やかな好青年のセドリック・ディゴリーは女の子たちが放っておかないだろうなと確信させる笑顔をこちらに向けている。

 ひとつも明かりが灯されていない家の中で、写真の中のセドリックの笑顔だけが輝いていた。

「見てやってくれ」

 エイモスにそう促されて写真を眺めながら、シリウス・ブラックは必死で考え続けていた。何を言えばいいのかと、何を言ってはいけないのかを。

 写真の中のセドリック・ディゴリーを褒めてもいいのかどうかすら、判らなかった。

 

 どのような態度を示せばいいのやら判らないから、シリウス・ブラックはセドリックが写った写真をただただじっと見つめ続ける。

 

 今回シリウス・ブラックがディゴリー家を訪問したのはもちろんアルバス・ダンブルドアから手紙で依頼されたのが理由ではあるが、不死鳥の騎士団へ勧誘するためではなかった。

「誰に頼まれてなぜここに来たのかを教えてくれるかシリウス・ブラック」

 そう問うたエイモス・ディゴリーの声は小さく、低く、抑揚がほとんど無かった。

 

「手紙の送り主はアルバス・ダンブルドアだが、元々の依頼者はあなたの上司だ。魔法生物規制管理部部長ネリダ・ロバーツが神秘部部長にミスター・ディゴリーあなたのことを『心配だ』と相談し、神秘部部長がダンブルドアに『品物』をリクエストした。あなたに届けるべきだと」

 

 アルバス・ダンブルドアの名前を出してもいいのかどうかシリウスは一瞬迷ったが、嘘や隠し事は今なによりも避けなければいけない言動だと、そう考えて包み隠さず経緯を説明した。

 

「ダンブルドア」エイモスの声からは僅かながら怒りが漏れている。「私の息子を死なせたダンブルドアが、私に何の用があるというんだ。放っておいてもくれないのか」

 

 やはりエイモス・ディゴリーはダンブルドアに対して怒りを覚えていたかと、シリウス・ブラックは己の予想が当たってしまったことを嘆いた。

 エイモスとてそれが逆恨みだとは理解しているのだろうがそれでも怒らずにはいられないのだろうと、シリウス・ブラックは推察していた。なにしろアルバス・ダンブルドアは三校対抗試合を開催した側の人間であり、出場選手の安全について責任を負っていた筆頭のひとりなのだから。

 

 ダンブルドアにはセドリックの命を守る義務があったのだ。

 

 死喰い人バーテミウス・クラウチ・ジュニアがアラスター・“マッド‐アイ”・ムーディに成り代わって潜入しているのをダンブルドアが見落としてさえいなければセドリックは死なずに済んだはずだと、なんなら迷路の中央で優勝カップと共に待機していてくれるだけでよかったのにと、エイモス・ディゴリーはアルバス・ダンブルドアを恨んでいるのだ。

 

 なぜ息子が死ななければいけなかったのかと。

 

 そしてシリウスが予想した通りに、エイモス・ディゴリーはかつて自分がホグワーツの生徒だった頃に1年間だけ代理教師を務めに来た例のあのおかしな神秘部部長をも、恨んでいた。

 あなたがあと1年早く闇の魔術に対する防衛術の教職を横取りしに来ていればセドリックは死なずに済んだはずなのにと、エイモスはどうしてもそう考えずにはいられないのだ。

 

 もしそれが実現していれば確かに死者など1人も出なかっただろうとは、シリウスも思った。

 

「何をしに来たシリウス・ブラック。ハリー・ポッターの自慢話か?」

 エイモス・ディゴリーの目には、虚ろな怒りが宿っていた。

 しかしシリウスは怯まず、自分は依頼された仕事を完遂するべきだとようやく覚悟を決めた。

 

「ネリダ・ロバーツ部長とあの先生がアルバス・ダンブルドアに依頼しダンブルドアの頼みでハリー・ポッターが提供した品を、あなたに届けに来た。三校対抗試合の最終競技でセドリック・ディゴリーと共に優勝カップにたどり着いてから城に戻るまでの、ハリー・ポッターの記憶だ」

 

 シリウスがそう説明した瞬間エイモスの目は大きく見開かれたが、その双眸に宿ったものは決して希望の光などではなかった。

 エイモスは今、2年前に三校対抗試合が終了した直後から現在までずっと欲しい欲しいと願っていたものをようやく手に入れたのだ。

「私はあの時観客席にいたんだ」エイモスの抑揚の無い言葉は今や発言ではなく、漏れ出た心のそのままだった。「セドリックならきっと優勝できるはずだと、ボーバトンのお嬢さんにも名高いビクトール・クラムにも、ハリー・ポッターにも勝てるはずだって信じていたんだ。だから競技開始からしばらくして落伍者発生を示す『ペリキュラム』の赤い光が迷路の中から空へ発射された時、私と妻は『やった!』と喜んだんだ。落伍したのはセドリック以外の誰かだと確信していたから」

 

 エイモスの目に宿っているものは、ジェームズとリリーが殺されて跡地と化したポッター邸の筆舌に尽くしがたい有り様を見た際のシリウス・ブラックの目に宿っていたのと同じ、ディメンターの口腔のような暗い穴だった。

 ジェームズとリリーは死んでしまった。ジェームズは死んでしまった。私の魂の半分が死んだ。

 しかしハリーだけは生きていたことでシリウス・ブラックの心は寸前で崩落を免れた。

 自分は無実でありハリーを守らなければならないという確信だけがアズカバンでシリウス・ブラックの心を支え続けた。

 

 しかしエイモス・ディゴリーはそうではなかった。

 

 息子が競技から拉致され命の危機にある時も、そして殺されるその瞬間も、エイモス・ディゴリーは妻ともども、うちの子はきっとやってくれるぞと信じて勝利の瞬間を待ち望んでいたのだ。

 もし万が一セドリックが優勝しないなんてことがあっても、あの子はきっと優勝者を誇らしく称えるはずだから自分たちもそれに倣って堂々としていなければならないと、そう考えていたのだ。

 

「ハリー・ポッターが死ねばよかったのに」

 

 エイモス・ディゴリーが漏らした呟きを正確に聞き取ったのにもかかわらず、シリウス・ブラックの心に怒りは欠片ほども沸き起こらなかった。

 あの夜ゴドリックの谷で、破壊され尽くしたジェームズとリリーの家の跡地で、ジェームズの死体をどうしようもなく抱きしめながらシリウスも、今のエイモス・ディゴリーの心を覆い尽くしているものと全く同じ無力感に苛まれたのだから。

 

 自分が死ねば良かったのにと。代わってやれたらどれだけいいかと。

 

 そしてシリウス・ブラックは抱かずに済んだもうひとつの絶望を、エイモス・ディゴリーは抱き続けているのだ。シリウスはあの夜ジェームズとリリーの死体と、破壊された家と、移動させた形跡がある家具類の残骸そしてソファに置きっぱなしの2本の杖を見てその場所で何が起きたのかを、ジェームズとリリーがどのようにして死んだのかを正確に推察することができた。

 推察はあくまでも推察であり一部始終を直接見たわけではないが、事実を正確に推察できているという確信がシリウスにはあった。ジェームズとリリーはハリーを守り通したのだと。

 

 なぜそうなったのかはまるっきり不明だったが、事実としてハリー・ポッターは生きていて、ヴォルデモート卿は影も形もどこにも無かった。

 

 しかしエイモス・ディゴリーと妻はそうではなかった。

 彼らはただ物言わぬ姿で帰還した息子を目撃して、経緯をハリーからの伝聞で知ったのだ。

 エイモス・ディゴリーは息子セドリックが殺された現場がどこなのかも知らなかったし、ハリーとて長々と解説できるような状況でも精神状態でもなく、エイモス・ディゴリーと妻に与えられたのは「ヴォルデモート卿が復活した」という、信じがたい情報だけだったのだ。

 

 死の経緯を正確に知りたいと欲するのは、殺人事件被害者遺族の当然の心の動きだった。

 そして今、エイモス・ディゴリーの目の前にそれがある。

 シリウスがポケットから取り出してテーブルに置いた、クリスタルの小瓶がある。

 

「見られないよりいい」

 

 エイモス・ディゴリーはシリウスを一瞥すらせず呟く。

 ハリーが提供してくれたこの記憶はエイモスにとって最も見たくない辛い光景であると同時に目から手が出るほど見たいと欲した光景なのだと、シリウスは理解している。

 

「知らないままよりいい」

 

 エイモス・ディゴリーがクリスタルの小瓶へと亡者のように伸ばした手は、しかし小瓶を開栓する寸前で死んだかのようにピタリと止まった。

 その瞬間にシリウス・ブラックは自分が憂いの篩を持たされなかったことと、それがこの家にも無いこと、ホグワーツ以外にあるとすればあの忌まわしいグリモールド・プレイス12番地の、触りたくもないので放置しているいくつもの物置き部屋のどこかくらいだろうとそう考えて、今すぐ取りに行って探すべきかと一瞬だけ思案したが、しかしそれは杞憂だった。

 

「見せてくれ…………」

 

 エイモス・ディゴリーが縋るようにそう呟くと、小瓶の栓は霧のように消えた。

 明かりがひとつも灯されていないディゴリー家の屋敷で、テーブルに置かれた小瓶の中からドロリとした銀色のものが溢れ出し、煙のように立ち昇って、部屋全体へと広がっていく。

 数秒で、エイモスの視界もシリウスの視界も、ハリー・ポッターが提供した記憶に覆われた。

 

 セドリックの死を、エイモスは見る。

 

 何もかも灰色で形が無かった視界がドロドロと独りでにかき混ぜられていき、やがて形が定まり色も定まり、景色が現れる。2年前に開催された三校対抗試合の最終競技、その最終局面が。

 

「……クラム?」

 

 記憶の中のハリーが前方に見つけたのは、何かに攻撃を加えているビクトール・クラムだった。

「クルーシオ!!」

「ステューピファイ!!」

 たとえ何を相手にしているのであっても磔の呪文を唱えるのはおかしいなどと考える時間も惜しいハリーがすかさず失神呪文を投射し、ビクトール・クラムは気絶させられて倒れた。

 

 クラムが倒れたのと入れ替わりに、クラムに攻撃されていたものが起き上がった。

 

「セドリック」

 

 記憶の中のハリー・ポッターとそれを見ているエイモスが、同時にその青年の名前を呼んだ。

 

「ありがとうハリー。お蔭で助かった――クラムのやつ、絶対に正気じゃなかった……僕と出くわした瞬間に攻撃してきたんだ……それも『磔の呪文』で……たぶん何か、気をおかしくさせるようなものと出くわして、それを楽には撃退できなかったんだろう……こんなことする奴じゃない……何か、何か良くない魔法か魔法生物の影響を受けてたはずだ。きっとそうだ」

 

 シリウスは、セドリックがどれだけ高潔な人物だったのかを初めて知った。セドリックはこの時、自分に磔の呪文を浴びせてきた相手を、心配していたのだ。

 

「もしそうなら、僕らもそれに気をつけないと。ねえセドリック、『何に出くわした』?」

 競技開始からしばらく後にフラー・デラクールの悲鳴を聞いたことと今クラムがノックダウンしていることで、セドリックとハリーにはこの時ほんの少しの余裕が生まれていた。

 つまり少々話し込んでも、その間に他のライバルがゴールしてしまう可能性はまず無いのだ。

 

「あー、そうだな。情報交換といこう。『尻尾爆発スクリュート』って覚えてるか? 育ちすぎたサソリみたいな、でっかい胴体から尻尾と脚だけ生えてるバケモノ。ハグリッドが育ててたやつ。どうにか逃げてこられたんだ。焦がされたのが服の裾だけでラッキーだった――そっちは?」

 セドリックに訊き返されたハリーも、素直に今まで体験した物事を話した。

「ハグリッドの尻尾爆発スクリュートには僕も出くわした。あいつはお腹のとこだけ柔らかくて、そこに命中させられれば呪文が効くんだ……それでその後ディメンターに出くわしたと思ったんだけど、実際にはボガートだった。ボガートは僕の前でディメンターの姿になるんだ」

 

 ハリーの言葉を聞いて顔をしかめるセドリックを、エイモスは瞬きもせずに見つめている。エイモスの目からはずっと涙が流れ続けている。

 

「そりゃ厄介だな。ボガートなんてものは何に変身しようが『クローゼットからこれが出てくるわけがない』という違和感さえ思い出せれば退治できる。きみのディメンターはその最たるものだ。そこらのキャビネットとかクローゼットからディメンターが出てきてたまるか……けどここじゃあ、何が居たっておかしくないから……なあハリー、なんでボガートだって気づいたんだ?」

 

 この好青年がもう世界のどこにも居ないとは、シリウスも信じられなかった。

 

「守護霊呪文をぶつけたら、すっ転んだんだ。ディメンターが転ぶところなんて見たことない。ねえセドリック、ボガートは『何より怖いもの』の姿になるけど――きみの前では何になるかな?」

 ハリーがセドリックにその質問をした動機の半分はこれから遭遇し得る危機をあらかじめ想定しておくという対策だったが、もう半分は単なる好奇心だった。

 

「…………父さんと母さんの死体かな」

 

 セドリックの言葉を聞いてエイモスが何か言ったが、シリウスには全く聞き取れなかった。

 

「それかきみの死体かもな、ハリー」

 

 あくまでも冗談めかして、セドリック・ディゴリーはそう付け加えた。

 磔の呪文によって負ったダメージと未だ鮮明に残る痛みの余韻に慣れる時間を稼ぎたいのもあるのだろうが、それと同時にハリーの緊張をほぐそうとしてもいるのだと、シリウスは直感した。

 

「――ところで、今までの傾向からして、どっちかがメッチャ近道ってわけでもなさそうだけど」

 並んで立つセドリックとハリーの目の前で、背の高い生け垣の間の道は二股に分かれている。

「障害物ゼロの道なんてないだろうな。最短ルートを選べたとしても何かには出くわすはずだ」

 

 そしてハリーが倒れ伏したクラムを一瞥してから「ペリキュラム」と唱えて救出要請の合図を空へ発射し、セドリックとハリーはどちらからともなく二股に分かれた迷路の先へ左右別々に分かれて進んでいった。それからハリーが生け垣の迷路を進んでいく間も、スフィンクスに行く手を塞がれてなぞなぞを解かされている間も、エイモス・ディゴリーは聞き取れない何事かを呟いていた。

 

「ハリー・ポッターがビクトール・クラムを失神させていなければセドリックは脱落していた。そうしたらあの子は死なずに済んだ――いやダメだ、あのままだったら一体どれだけ磔の呪文を浴びせられていたか――フランクとアリス・ロングボトムが今どんな状態かくらい知ってるぞ……あの子がロングボトム夫妻みたいになるなんて…………でも、それでも生きていてさえくれたら……」

 

 ハリーがスフィンクスのなぞなぞに正答して先へ進むところを、シリウスだけが見ていた。

 そのままハリーは少し進んだところで前方の地面を覆い尽くしていた凶暴な肉食蔓「悪魔の罠」を太陽光呪文(ルーモス・ソレム)で突破して迷路を攻略していき、やがてハリーの前に再びセドリックが現れる。

 しかしまたしても、セドリックは襲われていた。

 

「アクロマンチュラだ! セドリック、呪文は覚えて――ああ、杖が! 逃げろセドリック!」

 

 魔法生物規制管理部の優秀な職員であるエイモスは息子のセドリックがいかなる魔法生物に襲撃されているのかを正確に識別したが、すぐそこに居るように見えるハリーもセドリックも彼らが挑んでいる生け垣の迷路も全ては2年前の光景で既に何もかも終わった過去の記憶を見ているだけだと、理解していてもエイモス・ディゴリーはハリーの記憶の中に残っているだけの最愛の息子に、それでもアドバイスをせずにはいられなかった。

 

 アーサー・ウィーズリーの脱法改造フォード・アングリアくらいある巨大蜘蛛アクロマンチュラはあれでも成体ではないと、まだ子供の個体だとエイモス・ディゴリーは知っているが、そんなことは全く重要ではなかった。

 既に杖を地面に落としてしまっているセドリックは、死に物狂いで逃げ続けてどうにかこうにか致命的な一撃をもらわずに済んでいる。

 

「アラーニア・エグズメイ!」

 

 セドリックは右手をアクロマンチュラへ突きつけて叫ぶようにその呪文を唱えたが、どうやら杖無しでは威力が足りなかったらしく、アクロマンチュラは一瞬怯んだだけで逃げてはくれない。

「アラーニア・エグズメイ!」

 ハリーが一切迷わずにアクロマンチュラへ杖を向けて同じ呪文を唱えるとアクロマンチュラは大きく数歩後退し、その隙にセドリックは杖を拾いに走ることができたが、しかしやはりアクロマンチュラは未だにそこに居て、セドリックとハリーを襲おうという意思を失っていない。

 

「そうか、こいつ――蜘蛛退散呪文(アラーニア・エグズメイ)じゃダメなんだ。ハリー、失神呪文じゃなきゃダメだ! こいつには今、逃げ去る場所なんてないんだ。ここは迷路の中だから。逃げたくても逃げ込む巣が無いから、こいつだって安全のためには僕らを斃すしかないんだ!」

 セドリックは杖を両手で顔の横に構え、真っ直ぐにアクロマンチュラだけを狙っている。

「じゃあ同時にやろうセドリック! アクロマンチュラって弱い呪文なら弾いちゃうんだ。だから蜘蛛退散呪文なんてものが考え出されたんだ! それで、アクロマンチュラにとって僕らなんかの呪文はどれもこれも全部『弱い呪文』のはずだ! じゃなきゃ魔法使い殺し(魔法省分類:✘✘✘✘✘)に分類されてない!」

 

 アクロマンチュラがセドリックとハリーの方へ飛びかかるのと同時に、セドリックとハリーは声を揃えて「ステューピファイ!」と叫んだ。

 セドリックが放った赤い閃光とハリーが放った赤い閃光はどちらも正確にアクロマンチュラの顔のあたりに命中し、吹っ飛んだアクロマンチュラは生け垣の壁に衝突して動かなくなった。

 

 そしてどちらからともなく、セドリックとハリーは自分たちが今いる生け垣の通路は一直線に伸びていて、その一番奥に三校対抗試合の優勝杯が置かれていると気づいた。

 セドリックとハリーは同時に駆け出し、どちらも一切お互いを妨害などしようとしないまま、優勝杯の前まで辿り着いてしまった。

 

「ダメだセドリック……お願いだ…………ハリーに譲るんだ……」

 

 エイモス・ディゴリーは悪夢に魘されているかのようにかすかな声量で、ハリーから提供された記憶の中の我が子に優勝杯を諦めてくれと懇願している。

 そして奇しくも、エイモス・ディゴリーの願いは届く。

 

「きみが優勝するべきだハリー」

 

 セドリックの言葉を聞いて、シリウス・ブラックは己の聴覚を疑った。

 

 こんなにも誠実な青年がなぜ殺されなければいけなかったのかと、シリウス・ブラックですらそう苦悩せずにはいられなかった。

「ハリー、この迷路で僕はきみに2回も助けられた。きみがいなきゃとっくに脱落してた」

「それを言うなら第2種目のヒントだったあの仕掛け卵の謎、きみが助けてくれてなかったら僕は永久に解けやしなかったよセドリック」

 セドリックがそうであるように、ハリーも優勝杯を見ていない。2人は栄光ある優勝杯の目の前で立ち止まって、お互いだけを見つめて「きみが優勝するべきだ」と、互いを説得しあっている。

 

「頼む、ハリー・ポッターお願いだ……やめてくれ……それ以上なにも言わないでくれ……」

 

 エイモス・ディゴリーの目からは止めどなく涙が溢れ続けていて、シリウス・ブラックは記憶の中のセドリック・ディゴリーから目を離せずにいる。

「最初の課題はドラゴンだって、教えてくれたのはきみだぞハリー。きみから教えてもらってなきゃ僕は何も対策できずに本番でいきなりドラゴンに挑んで、そのまま脱落してただろう」

 セドリックの態度はずっと誠実で、清廉潔白そのもので、悪意も他者を陥れるための企みなどもこの好青年の心の中には本当に一片たりとも存在していないのだと理解して、とうとうシリウスの目からも涙がこぼれ始めていた。

 

「さっきのアクロマンチュラは、2人でやらなきゃ無理だったよね。セドリック」

「そうだなハリー。それにあの蜘蛛、あのままいつまでも寝ててくれる保証は無いよな」

 

 そしてセドリックとハリーは視線を交わして、2人同時に答えを出した。

 

「一緒に取ろうセドリック。僕らどっちが勝っても優勝はホグワーツだ」

「『せーの』で同時に取ろうハリー。そうすればホグワーツが優勝校だ」

 

 セドリックとハリーは2人とも驚いて目を見開き、お互いを見つめて笑い合う。

 

「ダメだ! 絶対にダメだ優勝杯に触るんじゃないセドリック!!」

 

 エイモス・ディゴリーが我を忘れたように叫ぶ中、セドリックとハリーは同時に優勝杯を掴み、移動(ポート)キーが起動してエイモスとシリウスが見ている記憶の風景は一変した。

 

 突然の出来事に戸惑いながらも何が起きたのかを理解するべくセドリックとハリーが周囲を見渡しながら言葉を交わしてどうやら知らない墓地に連れてこられたらしいと確認し合っている中、その光景を見ているエイモス・ディゴリーは今や、立っていることすらできなくなっていた。

 

 エイモス・ディゴリーは、理解してしまった。

 

 自分と妻の最愛の一人息子のセドリックはどこまでも良い子で、心の優しい子で、そしてそれはハリー・ポッターも同じで、2人はお互いを助け合いながらここまで来て、だからこそセドリックは死んだのだと。もしセドリックがほんの少しだけでも意地悪だったならハリー・ポッターを出し抜こうと画策して、そして企みは失敗してセドリックは脱落していただろうと。

 

 セドリックの清く正しい優しさは自分と妻が「そうあれ」と幼い頃から言い聞かせていたからこそ培われたものだと、エイモス・ディゴリーは知っている。

 

「私が悪いんだ。育て方を間違えたんだ。もっと狡猾さを教えていれば、そうすれば…………」

 

 それは違うとシリウスが声を張り上げようとした瞬間、どこだか判らない夜中の墓地だった風景が、上下の区別もできないほどに大きく乱れた。

 

「なんだ、何がどうした? ……自分の記憶を改竄するなんて高度な真似が、まだ学生のハリー・ポッターにできるはずがない。ダンブルドアか? ダンブルドアが何か隠して――」

 エイモス・ディゴリーの心の中では極限の悲しみと混乱のあまり怒りにも似た感情が沸き起こっているが、シリウス・ブラックは何が起きているのかを一瞬で理解していた。

 

「違う。違います。違うんだミスター・ディゴリー。これがハリー・ポッターに見えていたそのままの光景なんだ。必死にこの時のことを思い出して、完璧に思い出せてこれなんだ。ハリー・ポッターの額の傷跡は単なる不幸な生い立ちの証拠じゃないんだ。あの傷はハリー・ポッターにヴォルデモートとの迷惑な繋がりを与えていて、ヴォルデモートが感情を爆発させたり、それか単に近くに居たりすると、磔の呪文を浴びたくらいに激烈に痛むんだ。だからハリー・ポッターは、この時、今、周りの景色なんてロクに見えていないんだ。酷い激痛に襲われているから」

 

 エイモスとシリウスが見ている記憶の光景は今や何ひとつ満足には映し出しておらず、ただハリー・ポッターなのであろう人の形をしているようなしていないような影と、それよりももっと曖昧なセドリックであろう影だけが、濃さと暗さにムラのある灰色の風景の中で動いていた。

 ハリー・ポッターはどうにか立ち上がろうとしていて、セドリックは立っている。

 

 景色は全く判らないが、音はきちんと聞こえている。

 

「誰だ、そこにいるのは誰だ! 姿を見せろ!」

 

 セドリックの声が響き、形の全く定まらない滲みきった記憶に、かろうじて色だけがついた。

「ダメだセドリック! 逃げろ!!」

 エイモス・ディゴリーとハリー・ポッターの叫び声が重なる。

 耐えられるはずもないほど痛いに決まっているのに根性だけで起き上がったハリー・ポッターの視界の中央で、セドリックはハリーに背中を向けて、誰かと相対している。

 

 景色もセドリックとハリーの姿も前方の人影も大きく乱れたり鮮明に現れたりを不規則に繰り返していて、細かい部分までは見ることができない。

 

「逃げろセドリック!! 逃げろ!!」

「よけいな者は殺せ!!」

「私の息子が余計なものか!!!」

「アバダ・ケダブラ!!」

 

 エイモス・ディゴリーが声を限りに叫ぶのと、死の呪いを唱える声は同時に聞こえた。

 その声を聞き間違えるシリウスではなかった。

 

「ワームテール!!!」

 

 自分が今見ているものが記憶だということすら頭に無いかのように、シリウス・ブラックは怒りを抑えきれずに叫んでいた。

 エイモスもシリウスも、過去の記憶を見ているのに、杖を真っ直ぐ突きつけていた。

 

 死の呪いを唱える声が聞こえた瞬間エイモスとシリウスが見ているハリー・ポッターの記憶は全てが緑色に光ったし、何か重いものが地面に落ちるようなドサリという音も聞こえた。

 磔の呪いすら凌駕する激痛に苛まれていたハリー・ポッターの視界は全てを克明には捉えていなかったが、痛みのあまり反射的に目を閉じてしまった瞬間もあったのだろうが、それでもセドリックの身に何が起きたのかは明らかだった。

 エイモスとシリウスの視界いっぱいに映し出されているハリー・ポッターの記憶が、再び鮮明さを取り戻していく。

 

「…………私の息子が……」

 

 エイモス・ディゴリーが駆け寄った方向へとシリウスが視線を向けてみれば、そこにセドリック・ディゴリーが斃れていた。

 エイモス・ディゴリーの自慢の息子は、ハリー・ポッターの記憶の中でつい先程まで入学式みたいに爽やかで晴れやかだった大成するべきセドリック・ディゴリーは、地面に仰向けに横たわったまま、始めから命など宿っていなかったかのようにピクリとも動かなくなっていた。

 

 遺体となった我が子を半狂乱のエイモス・ディゴリーが抱きしめようともがいているが、ハリー・ポッターが提供してくれた単なる記憶にそんな機能は無い。

 記憶の中のセドリックはそこにあるように見えるだけで、エイモスの手は最愛の息子の身体を当然にすり抜けて、ただ空中を何度も何度も繰り返し掻き混ぜている。

 

 ハリー・ポッターがピーター・ペティグリューに捕らえられてペティグリューが恐ろしい御主人様に命じられるがままに悪辣な魔法薬を作り上げている間も、その光景をシリウス・ブラックがただの1度も瞬きをせずその目に焼き付けんとしている間も、ヴォルデモート卿が十全な肉体を取り戻して往年の手下共を招集したその時でさえ、エイモス・ディゴリーは地面にうずくまったまま、もう動かない自慢の息子を抱きしめてあげようとして、むなしい努力を続けていた。

 

 ピーター・ペティグリューに御主人様から銀色の義肢が褒美として下賜され、ペティグリューはそれを畏れに満ちた表情で拝領してひれ伏した。

 

 エイモス・ディゴリーはもう二度と我が子を抱きしめることができない。

 セドリック・ディゴリーの端正な顔はもう二度と爽やかな笑顔を浮かべることはない。

 シリウスはシリウスで今やエイモス・ディゴリーのことなど一切見ていない。

 

「ヴォルデモートめ、あくまでも自分の手で、大勢が見ている前でハリーを殺したいのか」

 

 シリウスの呟きはエイモス・ディゴリーの耳には入っていない。

 ヴォルデモート卿の傲慢なこだわりと自負によってハリー・ポッターは戒めを解かれ、自分の脚で地面に立って闇の帝王に杖を向けることが許された。

 

 ハリー・ポッターは呪文を唱えようとしたが、ヴォルデモート卿に苦も無く阻止される。

 

「お辞儀をするのだ、ポッター」

 

 ハリー・ポッターはヴォルデモート卿に決闘の礼儀を強制され、ハリー・ポッターが身体を自由に動かせるようになった瞬間には既にヴォルデモートは緑の閃光を放ってきていた。

 しかしそれはヴォルデモートが卑怯な振る舞いをした結果ではなく、ましてやハリー・ポッターの動きが俊敏さに欠けているわけでもなかった。

 

 ヴォルデモートの杖捌きが速すぎるのだ。

 

 割れそうなほどの激痛に襲われているとは思えないくらいの素早さでハリー・ポッターが逃げ込んだ立派な墓石がヴォルデモートの死の呪いによって粉砕されたが、それを予期して墓石に密着するのではなくかなり距離を空けて、盾にするというよりは射線上に挟むようにして己の身を守っていたハリー・ポッターには、墓石を瓦礫に変えてなお飛び散る死の呪いの余波も届かない。

 

 芋虫を枝でほじくるかのように笑いながらヴォルデモートは次から次へと死の呪いを連射して、墓石の陰から別の墓石の陰へと逃げ続けるハリー・ポッターを追い立てている。

「どうやら逃げ回るのは得意らしいなポッター。母親に戦い方を習ったのか?」

「1歳の赤ん坊に負けたにしては上手に呪文が撃てるんだなヴォルデモート!」

 ヴォルデモートは明らかに己の愉しみのためにわざと回避されるように死の呪いを撃っていて、ハリー・ポッターにヴォルデモートを罵り返す余裕があるのはそのお蔭だった。

 

「つまりそれがお前のどうしても抜けない悪いクセか。ヴォルデモート」

 

 そう呟いたシリウスは今やハリー・ポッターをも見ておらず、ヴォルデモート卿が戦闘する場面を安全に観察できるという貴重極まる機会をできる限り今後に活かすべく、何ひとつ見逃すまいとしてヴォルデモートの一挙手一投足を凝視している。

 

 エイモス・ディゴリーはセドリックの遺体に覆いかぶさるようにして地面へ座り込んだまま、愛する息子の顔だけを見ている。エイモスはセドリックの頬を撫でようとするが、触れることはできない。もはや泣き声すら声になっていないエイモスは我が子の両目を閉じてあげようとするが、エイモス・ディゴリーの手は記憶が投影されているだけのセドリック・ディゴリーに触れられない。

 

 やがて追い立てるのに飽きたのか、ヴォルデモートが正確にハリー・ポッターへ杖を向けた。

 ハリー・ポッターはヴォルデモートの速すぎる動きになぜか反応することができたらしく、ハリーの手に握られている杖も正確にヴォルデモートを狙った。

 

 そしてイチイの杖とヒイラギの杖は同時に互いへと魔法を投射する。

 

「何だ、何が起きてる? …………直前呪文か? なぜ?」

 

 シリウスの声色が急に一変したからか、エイモス・ディゴリーも顔を上げた。

 

「杖と杖の先端同士を接触させた状態でしか機能しない、どんな魔法を使ったかを調べるための魔法だろう。ウィゼンガモットとか魔法法執行部が証拠を得るための呪文だろう。それがなぜ――」

 

 視界に広がっている光景から少しでも情報を得ようと考察を続けているシリウスがブツブツと独り言をつぶやいている中、ヴォルデモートの杖から放たれた緑の閃光とハリー・ポッターの杖から放たれた赤色の閃光は両者の中間地点で正面衝突した途端に黄金色に変わり、衝突点から細い黄金色の光の糸が数え切れないほど大量に舞い広がって、ヴォルデモートとハリー・ポッターをすっぽりと包む球体の籠を形成していく。

 

 ヴォルデモートとハリー・ポッターは光の籠に包まれたまま両者ともに空中に浮かび上がっていて、どうやらハリー・ポッターだけでなくヴォルデモートにとっても予想外の、己の知識に無い現象に遭遇して困惑しているのだと、シリウスは見て取った。

 

 兄弟杖などという専門知識を有している者は、ごく限られている。

 アルバス・ダンブルドア、ゲラート・グリンデルバルド、神秘部部長、神秘部副部長、ヴォルデモート、マイキュー・グレゴロビッチ、シコバ・ウルフ、そしてオリバンダー。杖職人から知識を与えられた者たちと、国際的な名声を得て余りあるほどの技術を持つ超一流の杖職人。

 かのアルトゥーロ・セファロポスを始めとして杖職人の中にすら兄弟杖の秘密を知らない者が散見される以上、シリウス・ブラックとエイモス・ディゴリーが知らないのも無理はなかった。

 

 未知の現象に戸惑いながらもハリー・ポッターはもはや武装解除呪文ではなさそうな何らかの魔法をヴォルデモートへと押し込むべく全ての集中力を杖に注ぎ込んでいて、対するヴォルデモートは周囲の死喰い人たちに「手を出すな!」と一喝した。

 今この光景を見ているシリウスがそうであるようにこの時のヴォルデモートも何が起きているのかを識るべく状況分析を続けていて、それを手下共に邪魔されたくなかったのだろう。

 

 そしてほどなく、ヴォルデモートとハリー・ポッターによる呪文の押し付け合いは、2人の魔法力と技術水準の天文学的な差からすれば奇妙なことに、ハリー・ポッターが勝利した。

 ヴォルデモートの杖は砕け散るのではないかと思わせるほど激しく振動していて、そこから金色のなんらかが飛び出してきた。

 雲か何かのようにも見えるそれは一瞬だけヒトの腕の形になり、すぐにほどけて消える。

 

「ワームテールの奴が貰った義手か。やはりあの杖が放った呪文を新しいものから順に――」

 シリウスがそう呟いた途端、エイモス・ディゴリーは次に何が起きるのかを理解した。

 

「セドリック!!」

 

 ゴーストだとしたら鮮明すぎるセドリック・ディゴリーが黄金色の光に包まれてヴォルデモートの杖の先から現れ、ハリーの傍へと飛んでいった。

 他の何も見えていないかのようにエイモスは息子の姿を追いかけ、その顔を見ようとハリー・ポッターのすぐ背後へ移動した。

 

「ハリー、がんばれ」

 

 セドリックが発した一言に、エイモス・ディゴリーは強い衝撃を受けたようだった。セドリックに続いて長いステッキで身体を支えている老人の姿がヴォルデモートの杖から現れて辺りを見回しているが、エイモスはそんなものを見ていない。

 

「セドリック、セドリック……私は、父さんはお前に、お前が応援しているのに、父さんはハリー・ポッターを――筋違いだと解っていたのに――それでも、どうしても――」

「それはごく自然な、当たり前の、普通の心の動きだミスター・ディゴリー。あなたがハリーを恨んでしまうのも、ダンブルドアを恨んでしまうのも、自然なことだ」

 

 エイモスの言葉を遮ってそう告げたシリウスは、しかしエイモスの方を見ていなかった。

 

 ステッキで身体を支えたマグルの老人フランク・ブライスに続いて魔法ゲーム・スポーツ部に所属していた魔法省職員にしてシリウスの知己でもある魔女バーサ・ジョーキンズが出てきたが、シリウスとエイモスにとってそれは今さして重要ではなかった。もちろん彼らとてヴォルデモートの暴虐の犠牲者であり憐れまれるべき死者だったが、しかしシリウスはそれどころではなかった。

 バーサ・ジョーキンズは何事かをハリーに語りかけているが、シリウスはヴォルデモートが握っている杖の先を、そこから放たれていてハリーの杖と接続されている黄金色の光だけを見ている。

 

「リリー」

 

 ハリー・ポッターの母であるリリー・ポッターの姿が現れても、リリーとは同級生だったのに、シリウスはたった一言呟くように名を呼んだだけだった。

 ヴォルデモートとハリー・ポッターはお互いがお互いへ向けた杖から放たれ続けている黄金色の光で繋がっていて、その光は衝突点で絡まり合いながら複雑に広がって黄金色の球体となってヴォルデモートとハリー・ポッターを包んでいる。

 

 そしてついに、シリウス・ブラックは待ち望んでいた姿を見た。

 

「プロングス」

 

 背が高くてクシャクシャの髪をしたジェームズ・ポッターが、シリウス・ブラックの魂の失われたもう半分が、恐怖で灰色の顔をしたまま杖を握っているヴォルデモートの手元から現れて、生き返ったのだと言われても信じてしまいそうなほど確かな足取りでそこに立っていた。

 

「この黄金色の繋がりが切れたら私たちはほんの少しの間しか姿形を保っていられない。それに生きていた頃のように魔法を使うことはできない。だから私たちがお前のために稼いでやれる時間はごく限られている。移動(ポート)キーのところまで走りなさい。あの優勝杯のところへ。移動(ポート)キーというものは必ず往復するように創られる。片道切符の移動(ポート)キーは原理的に創り出せない。だからあの優勝杯にどんな悪辣な改変がされていたとしても、あれは必ずお前をホグワーツへ送り届けてくれる。そこから出発してここへ来たのだから……ハリー、わかったね?」

 

 ハリーが必死で杖を握りしめながら「はい」とだけ返事をするのを、シリウスは見ていた。

 これがジェームズがハリーに直接施してあげられたたったひとつの教育なのかという悲しみと、無二の親友の姿を再び見られた喜びと、ジェームズとリリーはハリーにもっともっとたくさんのことを教えてあげたかっただろうという虚しさが、シリウスの両目から止めどなく溢れていく。

 

「あいつ、てめーで殺しといておれたちのことが怖いのか」

「他人を虐げる者は、自分が傷つけ蔑んでいる相手のことを、心の底ではとてつもなく恐れているものなんだって、僕の学校の校長先生が前に言ってました」

 マグルの老人フランク・ブライスとセドリックは、ヴォルデモートの恐怖に慄く顔を見ている。

 

「その『校長先生』ってのは、きっとそりゃあ頭の良いお人なんだろうな。あいつとは違って」

「ええ。ダンブルドア校長は僕ら皆の自慢ですからね――そうだ、僕ハリーに頼みが――ハリー、僕の身体を連れて帰ってくれないか? 僕の両親のところへ……」

 

 ハリーはセドリックの頼みを了承し、ジェームズがハリーにだけ聞こえる声量で合図を出した。

 シリウスもエイモスもハリーのすぐそばに居たために、その囁き声を聞き取ることができた。

 ヴォルデモートのイチイの杖とハリーのヒイラギの杖を繋いでいた黄金色の魔法はついに断ち切られ、セドリック・ディゴリーとフランク・ブライスとバーサ・ジョーキンズとジェームズ・ポッターとリリー・ポッターが、その姿を崩しながらヴォルデモート卿と死喰い人たちへと突撃した。

 

 エイモス・ディゴリーはヴォルデモートが怒り狂うのを見た。死喰い人がハリーめがけて一斉に呪いを撃ち込むのを、それが次々に墓石を破損させていくのを、ハリーが死喰い人たちに当てずっぽうで反撃しながらジグザグに走って必死で逃げるのを見た。ハリーがついにセドリックの遺体まで到達し、それを運ぼうとして初めて重さに気づいたのを見た。

 

「どけ! 俺様が殺してやる! やつは俺様のものだ!」

「アクシオ!」

 

 杖を持っていない方の手でセドリックの手首をしっかりと掴んだままハリーがそう唱えて、優勝杯がハリーの方へ飛んでいくのをエイモス・ディゴリーは見た。

 優勝杯と共にハリーとセドリックは消え、ヴォルデモートの怒りの叫びが響き渡る。

 

 そしてエイモス・ディゴリーは、愛する息子セドリックの姿が再び消えるのを見た。

 

 リトル・ハングルトンの墓地も、そこにいるヴォルデモートも死喰い人もハリーとセドリックと優勝杯と共に全てが形と色をなくしていって、数秒で視界は元のディゴリー邸の応接間に戻った。

 

 テーブルの上にはクリスタルの小瓶が元通りに置かれていて、エイモス・ディゴリーもシリウス・ブラックも立ち尽くしたまま、そのあと何十分も微動だにせず、一切会話をしなかった。

 

「出ていってくれ」エイモスがようやく口を開いた。「頼む。今日はもう帰ってくれ。独りにしてくれ。シリウス・ブラック、お願いだ」

 エイモスはどうしても、シリウス・ブラックにお礼を言うことができなかった。

「ああ。私も独りになりたくなってしまった。……また来ることを許してくれるか。私はあなたと話がしたいんだ。もっとあなたの話を聞きたいんだ」

 シリウス・ブラックの申し出にエイモスが返答するには、数秒の沈黙を必要とした。

 

「今日のところは、もう帰ってくれ」

「ああ。また来る」

 

 しかしエイモス・ディゴリーの願いは叶わなかった。

 

 シリウス・ブラックどころかアルバス・ダンブルドアすら知らされていなかったことだが、セドリックが死んだ際の記憶をエイモス・ディゴリーに届けてほしいとダンブルドアへ依頼したあの神秘部部長は、エイモス・ディゴリーを短期間で再起させるために、アルバス・ダンブルドアに一切の相談をしないまま、あろうことか未知数の破綻の可能性をはらむ劇薬の投与を決めていたのだ。

 

「エイモス! エイモス・ディゴリー居ないのかい! それとも居ないフリをしているのかい、出てこないつもりかい、なんだい鍵なんかかけてるのかい生意気だね――ポータベルト!!」

 

 爆発音が響き、エイモスとシリウスは慌てて玄関へと駆けていく。

 解錠呪文(アロホモラ)が発明されるよりも前、16世紀までは盛んに使われていた「錠前爆破呪文」で玄関扉の鍵を破壊してディゴリー邸の中へ押し入ってきたその魔女が被っている帽子には、翼を大きく広げた勇ましい鷲の剥製が飾り付けられていた。

 

 エイモス・ディゴリーとシリウス・ブラックが揃って玄関まで出て行ってみれば、そこには背筋の真っ直ぐ伸びたオーガスタ・ロングボトムが直立不動でエイモスを睨みつけていた。

 

「なんだい暗い家だね明かりくらい点けたらどうだいエイモス」

「何を、なんの――なんの用ですか、マダム・ロングボトム」

 エイモス・ディゴリーはかろうじて丁寧な口調でそう聞いたが、オーガスタ・ロングボトムには容赦や遠慮というものが無かった。

 

「そんなふうにメソメソしてるってことはつまりエイモスお前もう息子の仇はもちろん討ったんだろうね。そうでなきゃイジケて腐って暮らしてる暇なんかあるわけがない。今のお前じゃどれだけ頻繁に聖マンゴへ見舞いに行ったって、お前の嫁に元気なんか分けてやれないだろう」

 

 オーガスタの言葉があまりにも辛辣に聞こえたのでシリウスは抗議しようとしたが、それよりも早くエイモスが、ほとんど泣き叫ぶようにしてオーガスタに言い返した。

 

「あなたには孫がまだいる!!! あなたに私の気持ちが解るものか!!!」

「お前の息子は死ねただろう」

 

 さして声を張り上げたわけでもないオーガスタのたった一言で、エイモスのみならずシリウスも、オーガスタに対して何も抗議や反論ができなくなった。

 

「私はフランクとアリスをあんな目に遭わせた奴らの背骨を引っこ抜いて殺してやるよ」

 

 オーガスタの言葉は、戦うことをやめないという意思表示ではなかった。

「ひとり残らずひねり殺してウチの屋根の上の一番高いところに飾り付けてやるよ」

 

 それは自分がこれから先なにをするかという、決定事項の通達だった。

 

 オーガスタ・ロングボトムには情けや容赦が無いのではなく、ただとっくの昔に覚悟を決めてしまっているだけなのだと、復讐という一点で心を支えて、溢れ出しそうなはずの悲しみや後悔をそれで抑え込んで生きているのだと、シリウス・ブラックは理解した。

 

「それでお前は何をするんだいエイモス。いつまでもそうやってメソメソ泣いてるつもりかい。お前がそうやって潰れた肉食ナメクジみたいにグチャグチャの毎日を送っていくことこそ死喰い人共とヴォルデモートの喜びだってことが判らないのかい。息子の仇を討ちたくないのかい!」

 

「…………時間をくれ……」

 

 打ちのめされたエイモス・ディゴリーは、それだけ言うのが精一杯だった。

 

 一方、次の日の朝。魔法生物飼育学の授業を受けるためにハグリッドの小屋の前に集まったハリー・ポッターを始めとする6年生たちは、そこにマクゴナガルとスネイプとダンブルドアまで揃っていたことで、直感的な不安を覚えていた。

 

 全員来たな着いてきてくれとだけ言ったハグリッドがどんどん森の奥へと歩いて行くので、ハリーとロンは強烈に悪い予感がしていた。

 スリザリン生にも判るくらい機嫌が良いハグリッドは、踊りだしそうな足取りで皆を先導する。

 

 いま歩いているのと同じ道を、ハリーとロンは歩いたことがあった。

 2年生の時に。

 

 そして「その場所」にたどり着いてしまうと、ロンはあの日と同じ顔になっていた。

 ロン・ウィーズリーの恐怖の象徴が、今また目の前に居た。彼の子供たちと共に。

 

 去年「闇の魔術に対する防衛術」の講師をしてくれたあのおかしな先生もそこには居たのに、パーバティ・パチルすらそちらは見ていなかった。

 マクゴナガルに至っては既に杖を取り出していて、いつでも生徒を守る準備ができている。

 

「アラゴグが元気になったんだぁ!!」

 

 ハリーからクリスマスプレゼントを貰ったくらいに嬉しそうなハグリッドが、まるで自慢の息子をついにお披露目できたかのように得意げに、巨大極まるアクロマンチュラを右手で示す。

 禁じられた森のその一角は右も左も地面も頭上も見渡す限りビッシリと蜘蛛の巣に覆い尽くされていて、ハグリッドよりずっと大きいアクロマンチュラが数え切れないくらいそこらじゅうに居て、それらは皆ごちそうが待ちきれないと訴えるかのように鋏をカチカチと鳴らしていた。

 

「あらまあ」

 

 驚きと呆れのあまり、セオドール・ノットは奥様みたいな声が出てしまった。

 

 




 
 いったい誰ならセドリック死後のディゴリー家を訪問して再起を促す権利があるかと考えた時に、思いついたのがシリウス・ブラックとオーガスタ・ロングボトムでした。

 次回、快気祝い。

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