私の神さまは、もう二度と帰ってこない。

1 / 1
偶像崇拝の脆弱性、あるいは信仰の寓意について

 私が音楽に捧げる熱量を維持するには、定期的な着火剤が必要だった。

時々こうして路上で弾き語りをするのは音楽を辞めてしまわないための行為で、大きなターミナル駅の目に留まる場所で自分の編み上げた音を鳴らすことで、他人の生活に干渉して自分を主張したかったのかもしれない。

 

 音楽活動は順風満帆とは言い難い。

誰と組んでも理想の音を作り出せず、固定のメンバーが決まらない以上音源制作も暗礁に乗り上げている。

妥協はしたくない。

けれど、こうも何もかも上手くいかない日々が続けば、間違っているのは自分の方なのか、と猜疑心が鎌首をもたげる。

そうして一度でも克己心が揺らいでしまえば落ちるのは早かった。

自分の音楽に正しさを見出せなくなれば迷いが生じる。

制作はもう1ヵ月も滞っていて、このまま自宅に篭って一向にfix*1に向かわないデモと対峙するのが怖くなって、逃げるように飛び出してきた。

気分転換、言ってしまえば体の良い現実逃避だ。

 

 このままでは音楽を嫌いになりそうだった。

だから私が立っている現在地を確認したくなって、生まれて初めて作った曲を爪弾いた。

父がまだ楽しそうにバンドを続けていた頃、よく父とリサと私でままごとみたいなセッションをした。

シンプルなスリーコード、展開も構成も目を惹くようなものではない。

メロの当て方も滅茶苦茶……それでも、擦れていない純朴で優しい詩。

青い曲、この頃の私は何も分からないなりに、音楽を本当に楽しんでいたんだ。

それは遠い過去のように思えた。

 

 行間のストロークやコードを少し凝ったものにアレンジした所で今の私では退屈に思えるような曲だから、ぼんやりと行き交う人を眺めていた。

忙しない人並み、私がここでどれだけの人の生活に干渉しようとしても、大半は雑踏に紛れて明日には跡形もなく忘れられてしまうノイズにしかならない。

音楽は別に生きていく上で必ず必要になるものじゃない。

見向きもされないことが当たり前、だからこそ足を止めて聴き入ってくれる人との出逢いをより尊ぶことができる。

 

 彼女が、また来てくれている。

SNSで突発的に一言呟いただけなのに、今日もこのためだけにわざわざ足を運んでくれたんだろう。

以前は花咲川の制服を着ていたこともあったから多分同年代ぐらいの子。

長身が目を惹く優しそうな少女が、目を合わせて涙を流して聴き入ってくれている。

 

 曲は、披露した瞬間から私の手元を離れて公共性を獲得する。

酷く私的なことばかりを綴った私の曲が、意図せず誰かの傷に触れたり、誰かの心に愛を分けてあげられていること、この場で強く実感できる。

それは私の血肉になって、なにより活力を齎す。

背筋が伸びる思いがした、音楽を始めた頃の純真な気持ちが心を覆って、やがて厳冬の夜をまるごと包む。

私も制作から目を背けてはいられない、いつでも彼女に恥じない自分でいるために。

 

 名前も知らない少女の生活に想いを馳せた。

今日があなたにとって良い日になっていればいい。

今後も彼女の人生がただ健やかでありますように。

そしてもし、もし願わくば。

どうかこれからも末永く、私の音楽があの娘の人生のすぐ傍にありますように。

そう祈った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それ、もうボロボロでしょう? 玄関には置いておけなくて。 どうしようかしら……」

 

 喉が渇いて、気怠い身体を起こしてリビングまで来てみれば、長い間玄関にあった猫の置物が所在なさげにテーブルの隅に置かれていた。

お母さんが仕事の都合で知り合った骨董品屋さんで取り寄せた、木彫りっぽい材質の猫さん。

手に持ってみれば予想外に軽いから多分木製じゃない。

子猫はアクリルでできた花びらを両手に抱えていて、花の中央の窪みには小さなLEDライトが灯っている。

数え切れない来訪者を出迎えてきた猫さんは、確かにこうしてまじまじと眺めると所々色褪せてしまっていて年季を感じさせる。

この子は一つの役目を立派に終えたんだ。

(それ)にひきかえて、いつまでも俯いてばかりの自分が酷く情けなく思えて自嘲の笑みがこぼれた。

 

 

 

 

 どうすれば良かったんだろう。

自分の信じた正義を貫いたら、あっという間に孤立してしまった。

しがみつくように縋った、大好きだったRoseliaにも突き放されてしまったあの日から、もう何もする気がなくなってしまった。

 

 結局、何一つ守ることができなかった。

自分の中の倫理観とか信念みたいなものが確かなら、貧しい悪意に打ち勝てると信じて戦った。

そうして、自分に残ったのは四面楚歌の教室だけ。

居場所だと思ってたものは吹けば消えるような砂上の楼閣だと気付けなかった。

自分の人生が自分のものだと信じていたかった、今は何もかも敵に見えるから、当分は人になんか会いたくない。

 

 ぼーっと部屋の天井を見つめて、お母さんが作ってくれる美味しいご飯を食べて、たまに家事を手伝って。

それ以外の時間はずっと眠っている。

好きだったもの、嫌いで許せなかったもの、全部手のひらからこぼれてしまったみたいで、今はもう何も感じなくなった。

少し前までは行きたかった場所も欲しかったコフレも道端の小石となにが違うのか分からなくなったから、病院に連れていかれてしまった。

私でも訊いたことがあるような病名の診断が出た。

よく分からない疾患ではなくて良かったのかな、興味がなくてあまり覚えてない。

悲しそうにしてる親を見て胸の奥底が少しだけ痛んだ。

 

 共働きの親は私のために休職してくれた。

お母さんはずっと家にいるようになって、毎日の家事なんて割とすぐ終わるから多くの時間は居間でネトフリの長い海外ドラマとか観てる。

気を遣って私になにも訊かないでいてくれる。

いつまでお休みできるの、って訊けない。

家族と同じぐらい働くのが好きだったお母さんから仕事を奪ってしまった罪悪感で、いよいよ自分が壊れてしまいそうで怖いから。

 

 お父さんも残業しないで19時ぐらいには必ず帰ってきてくれるようになったし、当然お家で夜ご飯を食べるようになった。

夜ご飯は必ず家族みんなで食卓を囲む。

家族らしい団欒を作ろうと意識してくれてるんだって、子どもの私にも分かった。

 

 学習机の上で私を咎めるように五月蠅く鳴っていたスマホの電源を切れば、世界の終わりみたいな静寂が再び部屋を包み込む。

ずっとこのままなら良いのに、どうせ通知欄には傷付くようなことしか書いてない。

私もこうやって静かになりたいな。

もう何も感じなくなれば、向精神薬の副作用にえずくことも、朝焼けに怯えて身を隠すことも、私がいなくても当たり前に周る世界について考えることもなくなる。

"そういう"選択肢は何度も頭を過ぎったけど、生存本能なのか考えるだけで手足が震えてしまってとてもじゃないけど行動には移せない。

今日も一日が無為に過ぎていく。

 

 筈だった。

 

「絵梨ちゃん、その、全部本当のことだから、落ち着いて訊いてね?」

 

「……?」

 

「……Roseliaの友希那ちゃんが来てるの。 絵梨ちゃんに会いに来てくれたみたい」

 

「……ッ……!!!????」

 

 ノックの音に扉を開けてみれば、やけに神妙な顔つきをしたお母さんから意味の分からないことを言われて、向精神薬の効能でぽわぽわしていた頭が一気に覚醒してしまった。

お母さんはユーモアにも寛容だけど、自分から突拍子のない冗談を言うような人じゃない。

でもその内容はにわかには信じがたいぐらい荒唐無稽で、私の小さな脳味噌は一瞬にして混迷を極めた。

 

 湊 友希那さん。

私の、神さまだった人。

 

 呑み込まれてしまうような長い夜から逃げるように家路を急いでいた部活帰りの私は、アコースティックギターと自身の歌声一つで最寄り駅をアリーナに変えた歌姫に心を奪われた。

生きていくことの意味とかそんな大それたこと、まだ子どもの私には全然分からないけど、今までの人生全部を一瞬で塗り替えてしまう青天の霹靂は急に襲い掛かってくるんだって、どこか他人事みたいに思った。

例えばこの先、ワイドショーや週刊誌がどれだけ野卑で低俗な言葉でこの人のことを誹謗したとしても、たったワンフレーズの歌声で全部跳ね返してしまうような、暴力的な引力。

本人が告知していたSNSアカウントを基にして、帰宅してすぐにインターネットで共有されている情報を端から端まで拾い漁った。

湊 友希那さん、真善美の全てを満たす現人神*2の名前。

あの日まで、友希那さんは確かに私の行く道を照らしてくれる篝火だったんだ。

 

 そんな偉大な人が、お家に来ている……?

まだ到底信じられない、だって、理由がない。

私たちは友だちでも身内でもない。

アーティストとファン。

教祖様と信者。

私が一方的に慕って、いや、信奉していただけで友希那さんは多分私の顔も知らない。

まして名前なんて認識してる筈もないんだ。

当たり前だけど、私、友希那さんの前で自己紹介したことないし。

 

「いつもライブハウスで顔を合わせているけど、こうして面と向かって話をするのは初めてね。 絵梨」

 

「ヒュッ」

 

 流石に新手の特殊詐欺かなにかを疑って、何十回もライブハウスで雄姿を拝んできた私が直接この目で確認しようと意気込んで居間に行ってみれば。

そこには本物の神さまが降臨なされていたばかりか、主*3は私の瞳をしっかりご覧になって、名前を呼んで微笑んで下さった。

何が起きているんですかこれは、いよいよ本格的に気を病み過ぎて解像度の高い白昼夢から抜け出せなくなってしまった……?

 

 細身で華奢な体を包み込む宝石よりもピカピカの艶髪。

強い意志を秘めた、大きな琥珀色の瞳。

煙るような長いまつ毛。

目鼻立ちのくっきりした瀟洒で怜悧な妖艶さと、あどけない幼さを両立させた顔立ち。

相変わらず、なんて煌びやかな人なんだろう。

友希那さんがステージに立つんじゃなくて、この人が立つ場所をステージに変えているんだとつくづく思わされる。

確かな指向性を持った音で無秩序な大衆を導き扇動する救世主。

私はいつも、ステージ上で楽器を奏でるように流麗に歌う友希那さんの姿に『民衆を導く自由の女神』というフランスの絵画を幻視していた。

スポットライトの光なんかなくても、佇まい一つで憧憬を集めてしまえる風格が友希那さんにはあった。

過呼吸による酸欠で朦朧とする意識の中、ここで息絶えてしまえたらどんなに幸せなんだろうって罰当たりなことを少しだけ考えた。

 

 

 

 

「あの、さっきは大変なご迷惑をお掛けしました……」

 

「いえ……こうなるかもしれない、とも思っていたから」

 

 数分で意識を取り戻した私は、一応伺った用件が用件なので友希那さんを部屋にお招きしていた。

あまりに恐れ多い、この部屋には何もないから本当の意味で大したおもてなしもできない。

 

 鏡に映った花、湖面に映った月。

古く人間が抱いた幻想的な情景は、見えていても決して触れることの叶わない儚さと一式で描かれた。

身を寄せれば霞と消えてしまう。

けれど今、私の手を握りしめる暖かな体温は、これで弦楽器を弾くだなんて嘘みたいなほっそりとした小さな指先は、ずっと焦がれていた神さまが確かにここにいる証明。

なんか高級感のあるヘアオイルの良い香りすら漂ってきた、失礼だし極力意識しないように努めよう。

 

「体調は大丈夫かしら。 本調子でないなら日を改めても良いのだけど……」

 

「あっ、その、全然! 一向に問題ないのでお気遣いなく!!」

 

「そう……?」

 

 気遣わしげな視線。

旧来の友人や家族に見せるような慈愛を帯びた眼差し。

ステージの外でファンに会っているのに、友希那さんは穏やかで温かくて。

 

 それが少し嫌だった。

多分、呪いたかったんだ。

悪意ばかり振り撒くような独善的で自分本位な人だったなら、ちゃんと憎めた。

知らないところで恨めたのに。

友希那さんは悪者にもなってくれない。

 

 

 

 

 

 一月前の話。

学校にも行けなくなって、ただ居間でぼーっと無感動に窓の外を眺めている私を見かねて、母が私に内緒でRoseliaのライブチケットを用意してくれた。

私が友希那さんの熱狂的なファンであることは家族公認だった。

お父さんは一度だけ一緒にライブにも足を運んでくれたし、普段あまり音楽を聴かないお母さんも理解を示してくれているから、こういうことがあったって不思議じゃない。

それでも、電子チケットが主流のいまどき、機械に疎いお母さんがお父さんに協力を仰ぎながら私のために頑張ってチケットを取ってくれたこと、その無償の愛が嬉しくて、お母さんを抱き締めた。

 

 不登校になってから三週間ぶりの外出は、実際には身構えていたほど怖くはなかった。

それでも、都心に近付いていくごとに増える学生とすれ違うと誰も味方のいない教室を想起させられて、左手でストールを強く握り締めた。

誕生日にお母さんが買ってくれたストールのふかふかの手触りと柔軟剤の香りは、盗まれた心の安寧を少しだけ取り戻してくれた。

凍るような冷気は仄かに冬の匂いを纏っていた。

 

 幾度となく友希那さんのステージに足を運んできたから、ライブが始まってすぐに異変に気付いた。

音が、違う。

 

 Roseliaはもっと粗削りで、いや、演奏技術という意味ではかなりソリッドで確かなものがあるんだけど、個として強力なプレイヤーの寄せ集めという印象があった。

造花で彩られたゴシックなドレスで統一された独自性の強い衣装、抽象的でダークな詩、荘厳さを宿したシンセがリードし、手数の多いメタル的なドラムとフュージョンを彷彿とさせるテクニカルな音像のギターが追随する独特のトラックメイク、堂々たる凛々しいステージングは圧巻のものがあるけど、ファンとしての贔屓目を抜きにすればバンド全体の音はより良いアレンジに詰められる余地があるし、バンドとしては途上も途上、友希那さんという高密度星にも似た強力なボーカルをまだ持て余していた。

初期衝動を楽しむような経過で、今抱えているファンと共にライブを重ねて成長していく段階。

それはRoseliaの結成期間を思えばまだまだ当たり前の話であって、音作りの精度やRoselia特有の魅力をこれから身に着けていくのだと考えていた。

 

 それが、僅かな間にこの仕上がりはなんだ。

一言でいえば、今のRoseliaは『原点回帰』。

ギターを片手に身一つで路上ライブをしていた頃の友希那さんの音像に立ち返っているかのような感覚。

それぐらいに、バンド全員が友希那さんの歌が主役であることを理解して支えている。

 

 多分、バンドのサウンドメイクが大きく変わった。

それぞれの楽器隊が放つ周波数帯域の棲み分けがより厳密になって、以前より粒立ちの良い音で一体となってボーカルを支えている。

 

 ロック畑に身を置きながら大衆に普遍的なポップセンスに重心を置いたこの選択は、強い信頼関係のなせる業だ。

ボーカルが楽器隊に埋もれなくなる、良くも悪くもボーカルだけがバンドのオケから浮かび上がる。

当然より正確なピッチが要求されるし、分かりやすくバンド全体の評価がボーカルの声質とコンディションに強く依存する。

バンドメンバー全員が、安心して友希那さんに全てを委ねている。

Roseliaは正しく友希那さんのためにあるんだ。

 

 だって、友希那さんはステージで笑っていた。

潔癖そうなギターのお姉さんと視線を交わし合って、キーボードの優しそうなお姉さんとアイコンタクトを交わして、ドラムの小さな子と目を合わせて、キラキラしたベースのお姉さんに寄りかかって歌うこともあった。

そこがステージ上じゃないみたいにメンバーとじゃれ合って、純粋にセッションを楽しむ等身大の女の子の姿。

 

 張り詰めた表情で音楽と対峙する友希那さんばかりを見てきた私には、その光景は二度目の青天の霹靂だった。

だってそれは、逆説的に今までの音楽は苦痛と言わないまでも少なくない心労を掛けていたということ。

音楽に心血を注ぐこと。

私は音楽家じゃないからその苦労は分からないけど、ファンとして友希那さんのことなら少しは分かる。

今の友希那さんは今までと比較にならないぐらい伸び伸びと音楽を楽しんでいるように見える。

だから多分、今の方が良い。

 

 じゃあ。

一部の妥協も許さないような、ストイックで張り詰めた今までの友希那さんの音楽に救われていた私はどうすれば良いんだろう。

Roseliaは誰にでも分かりやすくポップな音像のバンドになった、より多くの人の居場所になっていくだろう。

でも、そこから私のつり革は失われてしまった。

友希那さんはもう二度と私に向けて歌ってはくれない、この広いライブハウスで一人きりになったような感覚を覚えた。

私は、もうどこにも寄る辺がない。

 

 

 

 

 

「綺麗な部屋ね。 私の部屋は制作用の機材ばかりが転がっていて目も当てられない惨状が広がっているから、羨ましい」

 

「そんな……私こそ羨ましいです。 私の部屋には、なにもないから」

 

 正直、友希那さんを前に私は複雑な想いを抱えている。

あの日以降、Roseliaの曲は一度も聴けていない。

いっそ思いきり嫌いになりたかった、それが逆恨みの身勝手な独善でも、距離を置く理由として十分なものだと思えた。

 

 私はいつからか友希那さんを神格化していた。

肌を刺すような緊迫した空気感と攻撃的なサウンドは、確かにメジャーの音楽に比べれば粗削りで、なにより自由だった。

何度聴いても心が震えた。

この瞬間のためだけに呼吸をしているんだと本気で思えた。

閉塞感を吹き飛ばして勇気をもらえるような友希那さんの歌声に心酔して、私の眼は濁り始めた。

私にとって友希那さんは自由の象徴だった。

いつまでも一人孤高で、先鋭的なまま刃を研ぎ澄ましていくんだと信じていた。

 

 でも、そうじゃなかった。

本当は気付いていた。

それでも、バンドを統率して激情の歌を奏でるカリスマがステージを降りれば私と何ら変わらない人並みに人に愛を向ける等身大の女の子なんだと気付いてしまえば、この人は私の神さまではなくなってしまうから、私には都合が悪いから、ずっと見て見ぬふりをしていた。

Roseliaのライブを前にして、いよいよ自分を誤魔化すにも限界が訪れた、それだけの話だった。

 

 私はずっと友希那さんを見てはいなかったんだ。

心の劇場に棲まう、私が私のためだけに創造した『友希那さんの形をした偶像』に縋っていた。

目の前にいた友希那さんから目を背け続けて、私の理想を押し付けてしまっていた。

虚しい偶像崇拝の果ては、巡り巡って今自分に牙を剥いていた。

何事にも昇華できないこんな歪んだ気持ちを、私はこれからも抱えて生きていかなきゃいけない。

これは私の罪だから。

 

「!……この照明、かわいい……」

 

 友希那さんが玄関から私の部屋に居を移した猫の置物に関心を寄せていたので、手に取って手渡す。

花びらを両手に抱えた、木彫りっぽい材質の子猫さん。

折角かわいいのに処分したりするのが嫌だったから、役目を終えたこの子は私が引き取った。

アクリルの花びらに隠れた小さなLEDライトから優しい光が灯って、なにもない私の部屋を控えめに彩ってくれている。

 

 随分ご執心な様子の友希那さんに胸の奥底がじんわり温かくなるのを感じた。

そういえばどこかのMCで猫が好きだと言っていたような記憶がある。

こんなに喜んでくれるなら、もっとこういうインテリアを集めておくべきだったな。

尤も、神さまが自分のお家を訪ねてくるなんて生まれ変わっても予想できなかっただろうけど。

 

「この子、絵梨みたい。 ふふっ、持ち主に似るのかしら」

 

「え、私……ですか……?」

 

「ええ。 本当は、今日はあなたにお礼を伝えたくてここに来たの。その……私はあまり話すのが得意じゃないから取り留めのない言葉になってしまうかもしれないけど、訊いて欲しい」

 

 その話題を深く掘り下げることなく、友希那さんは自身の言葉とは裏腹に美しい声で、詠うように滔々と話し始めた。

ある日、友希那さんの元に私の部活の後輩や同級生の子たちが押し寄せたらしい。

彼女たちは音信不通になるぐらい私が塞ぎ込んだことをえらく気に掛けてくれていたみたいで、信じられないことに私が友希那さんのファンであることを知って友希那さんの元へ直接乗り込んだらしい。

確かに、私なら考えもしない大胆な発想。

その節は大変なご迷惑をお掛けして、申し訳御座いませんでした。

 

 まあ正直、互いに生活圏の一致は感じていたように思う。

他学年だけど、同じ学校にRoseliaのギターのお姉さんとキーボードのお姉さんが在籍しているという風の噂が流れてきたこともあった。

それでも友希那さんは当然として、私も特別周囲を詮索しようとは思っていなかった。

同じ街のどこかで過ごしているかもしれない、その程度の認識でいたかった。

神秘性を損なうぐらいなら知らないままで良かったから。

 

「あなたは、あなたが思うより沢山の人に大切にされているのね。 私、生まれて初めて人に土下座されて本当に困ったんだから」

 

「……どうして、そこまで……」

 

「友人は自分を映す鏡だと言うもの。 話を訊いたわ、絵梨は彼女たちのために戦ったと」

 

「あなたが護った人たちは、皆あなたと同じように誇り高い子だった」

 

 視野狭窄とは、正にこのことだと思った。

私がいなくても当たり前に周る世界のことを憎む日々だった。

だけどどうやら、世界はもう少しだけ私に優しいみたい。

なんだ、私にもちゃんと居るんじゃないか、私のためだけに必死に戦ってくれる人が。

 

「あぁ、やっぱり。 ステージでもここでも、あなたのことを泣かせてしまってばかりね……」

 

 

 

 

 

「私の描いた曲は、自分の大切な人のために勇気を持って踏み出したあなたのような素敵な人に、大切にしてもらえているのね。 音楽家として冥利に尽きるわ」

 借りてしまった高級そうな黒いハンカチで涙を拭っていると、棚に飾っているCDに触れて友希那さんは穏やかに微笑んでいた。

私が知る前から販売されていた既に絶版のものも含めて、友希那さんが今まで色んなバンドやインディーズレーベルからリリースしてきた音源を全て並べた私だけの神棚は、何もない私の部屋で唯一のインテリアらしいインテリアで密かな自慢。

 

「……私、友希那さんが思う程綺麗な人間じゃありません」

 

 ベッドの上に置かれた猫さんのLEDライトから灯る控えめな光が、私を照らしている。

この子を引き取ったのは、実際の所もう少し不純な理由だった。

猫さんは何となく私に似ていると思った。

この子は、まるで私が友希那さんやRoseliaに向けていた気持ちみたいだ。

木彫りっぽい質感をしていて遠くから見ると立派だけど、手に取って見ると想像以上に軽くて、材質の質感はフェイクだと気付く。

不純な偶像崇拝は多分、手に取って持てるならこれぐらい。

それでも、私はこの想いを誤りだっただなんて思いたくない。

 

 今どれだけ憎いとしても、今まで私のことを鼓舞してくれたり、私に寄り添って支えてくれた日々が全部消えてなくなるわけじゃない。

『心が激情を訴えているなら武器を取って戦え』と鼓舞してくれた曲は、不安に圧し潰されそうな夜に心の拠り所になってくれた曲は、自分の大切な人のために戦った自分を強く肯定してくれた曲は、今でも私の心の深い所で支えになっている。

生涯忘れずにいたい。

大切な想い出としていつまでも抱き締めていたい。

まだRoseliaの曲を再び聴く気にはなれないけど、ちゃんと大事に思ってる。

 

 だからさっき、私に似てるなんて不意を突かれて心底驚いていた。

間違っているとしても捨てられずにいた想いまで掬ってもらえたようで、嬉しかったんだ。

だから、そんな素敵な人に誤解をさせたままでいることを理性が強く否定した。

その行為は誠実からかけ離れた、私が必死に戦った貧しい悪意そのもの。

人として、このラインを踏み越えたらいけない気がした。

身勝手な欲望で他人に嘘をついて品位を落としてしまえば、多分この命なんかよりも大切なものを失ってしまう。

今嫌われてしまうとしても、本当の私を友希那さんに伝えること。

それが真摯に私と向き合ってくれた友希那さんに私が向けられる誠意だから。

友希那さんはこんな時まで私の勇気の礎だった。

 

「あなたがどう思っていようと、私はあなたに救われていた」

 

 予想だにしていない言葉に、一瞬怯んだ。

思考が完全に麻痺してしまって二の句を継げないでいる私をよそに、友希那さんは嬉しそうに笑みを深めて、私の頬に両手を添えた。

 

「どうすれば伝わるかしら……そうね、あなたが私の音楽に向けてくれた直向きな好意を思えば、私はどれだけ路頭に迷っても迷わずにいられる。 音楽家にとってファンとは、夜闇を照らす篝火なの」

 

「あなたが私を大切に想ってくれているように、私もあなたが大切ということよ。 いつもいつも、本当にありがとう」

 

 崩れていく、私の劇場が、跡形もなく。

緞帳、プロセニアム、メインホール、崩れていく劇場を構成していた全てに手を振った。

私が生み出してしまった『友希那さんの形をした偶像』は、最期に目前の本物の友希那さんと全く同じ、穏やかな表情をして消えた。

随分長い間、本当にありがとう。

間違っていたとしても確かに支えだった。

あなたは私の人生に必要な存在だった。

でも、今はもう必要ない。

 

 きっと駄目なんだ、他人の中に自分の理想を見てはいけない。

私たちは本当の意味で同じ空を見て、同じ海を泳ぐことはできない。

それはとても寂しいことだけど、それが私たちが分たれて生まれてきた意味だと思うから。

*1
ふぃっくす:作曲や編曲、レコーディング等音源制作の過程で「最終稿」「本決まり」といった意味で使用される

*2
あらひとがみ:人間の姿をしてこの世に現れた神さま

*3
しゅ:神を指す言葉 『わが(あるじ)』を意味する




この小説は
『2024年 冬のバンドリ祭』参加作品です
この素敵な企画主催のShiozaki☆Koube様、いつも本当にありがとうございます
冬のバンドリ祭参加者の皆様にも御礼申し上げます 読んでくれてありがとう

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。