新年を迎え、2週間ほど経った1月の半。激しい潮風を浴びて痛みや痒みを覚えるほどに冷えた身体のまま、俺は都心へと向かう列車に乗り込んだ。
そうして運良く空いていた席に腰を下ろしたところで、座面下に備えられたヒーターが、その温かな空気を吐いて血中に熱を乗せて、外から真芯へと緩やかに俺の身体を温めていく。
そのことに一抹の心地よさを覚えつつ列車に揺られていくと、次第に俺の瞼は重みを持ち視界はまどろんで行き、遂に車両の走行音を遠くに意識を手放すこととなった。
次に意識が戻った時、何故か目の前の光景は乗り込んだ時とは違う、よく見知った路線のものに変わっていた。
「なん……で……?」
見間違うことのない光景に、戸惑いの言葉を溢してしまう。なんせ高校の3年間、学校に通うために乗ってきた車両の景色が目の前にあるのだから。
走っている場所も、内装も、乗り込んだ物とは大きく違っている不可思議な状況に内心で慌てていると、静かな列車の走行音に紛れて、こちらへと近づいてくる足音が聞こえてきた。
普段なら気に留めることもない音に、状況が状況のせいか思わず視線を向けてしまう。
「隣、いいかな?」
視線の先、茶の制服を身に纏い、猫の耳みたいな髪型が目を惹く少女がこちらへ問いかけをなしてくる。俺はその少女を見て、激しく動揺してしまった。この少女もまた今の景色同様、俺の記憶にある人物。高校の時に、出会った……。
「座るね」
俺が返答する前に断りを入れて少女は、俺の真隣に腰を下ろした。それと同時に、夏の夜空のような爽やかな香りが俺の鼻腔をくすぐり、1つの記憶を蘇らせていくこととなった。
傍に座した少女と、出会った日の記憶を——
高校生活も佳境に入った3年生の夏前。いつもの様に帰路に着き、駅へと向かった俺は徐に足を止めることとなった。
「——星のコドウを そっとつかまえたなら その手で抱きしめて」
駅前の広場で、真紅のギターをかき鳴らし朗らかに歌う1人の少女。そんな彼女の歌声に、聴き入ってしまった俺は、歌が終わったところで自ずと拍手を送っていた。
「ありがとうございます!」
「こちらこそ、素敵な歌が聞けてとても良かったです」
「えへへ〜」
天真爛漫、という言葉がピッタリな少女の朗らかさに当てられつつ、面白い子だなと思っていたところ、不意に少女から問いかけられた。
「ねぇキミ、高校生だよね? 何年生?」
「うぇ……ああ、俺は3年生だが」
「本当?! 私も3年生なんだ! 同い年だね!」
距離感覚が狂っているのでは無いかと疑うほど、グイグイ来る少女に戸惑う俺。あってせいぜい数分なのにこれ程までに親しく接してくるのを見て、逆に心配になって来た。距離感詰めすぎて変な人に捕まったりしないかとか。
後々になって、これらの思慮も初対面時に抱くものとしてはおかしなものだと感じた。
「同い年……ですね」
「この辺に住んでるの?」
「ここから少し離れたところに……」
心配な気持ちを抱える俺のことなどお構いなしで質問攻めしてくる少女。結局この日は、用事があると言って強引に切り上げた。この時の帰り際、「また見に来てね!」と言われたことが、やけに頭に残っている。
それから数週間後、俺はまた駅前で少女の歌に耳を傾けていた。日課、として。
「毎日聴きに来てくれるね?」
「……まあ、そうだな」
「そんなに好き?」
はぐらかすような返答をしていたら不意打ちとも取れる質問を突きつけられ思わず吹き出してしまった。
「……え、っと」
「私の歌を聴いてるの」
「あー、うん……好き、だよ」
不意打ち気味の質問に、1人勘違いを抱えていたことに羞恥心を覚えた。なんでこんな気持ちになっているのか、その訳も分からないまま、さらに月日は過ぎていった。毎日登校して学校生活を行い、下校時に駅によって彼女の歌を聞く。
だがそれを繰り返し年の瀬に近づいた頃、受験の追い込みにより駅に寄ることは無くなってしまった。
そして受験を終え再び駅前に足を運んだ時、そこに彼女の姿はなかった。当たり前だ。彼女も同じ受験生なのだから。
それをわかったていたのに、どうにもやるせなくて、後悔した。しっかりと、別れも告げられていないことが。
結局俺は、高校とは違う方向の大学へと進学してしまい、現在に至るまでこの駅にはは足を運んでいない——
目の前にある少女の姿は、俺が最後に見たあの日——受験期前の姿そのままだ。
どうして俺の前に現れたのか。どうしてここなのか。分からないことが連鎖して、自分でもよく分からなくなって来た。そんな時、傍らの少女が口を開く。
「ごめんね、しっかりとお別れが言えなくて」
淡々と告げられた謝罪の言葉に驚愕した。なんで、なんでキミが謝るんだよ……。
「謝らなきゃいけないのは俺のほうだよ……」
彼女の言葉に対し首を横に振りながら返答する。謝りたいことは沢山ある。しっかりと目を見て話せなかったし、正直な気持ちも言えなかったし、別れも言えなかった。何より、名前すら聞けなかった。全部全部後悔してる。言いたいことはたくさんある。なのに、言葉にできない。
内心はこれだけ荒んでいるのに、口からは無意識に言の葉が溢れた。
「俺、本当は——」
言葉を発しかけたところで、大きな踏切の音が響き渡り、辺りが眩く照らされていく。そうして俺の言葉が掻き消され視界が白く染まっていく最中、柔らかく微笑んだ彼女は名乗ってくれた気がした——
遠くから呼びかける声と、何かにゆすられ感覚で意識を取り戻す。
「お客さん、終点ですよ」
ぼやける視界がとらえたのは、ランプを片手に困った顔をこちらに向けてくる駅員さん。
すいません、と謝罪しながら立ち上がった俺は、降車しつつ車内を一瞥してみる。すると、1番最初に乗った列車の物に戻っていた。
アレは夢だったのか、と戸惑いながらも暗く冷たいプラットホームに降り立つ。
どこまで流されて来たのかを確認するため携帯を取り出してみると、埼玉の北西部のようだ。
どのようにしてこの場から家へ戻ろうかと考えながら、一度改札の外へと出ていく。幸いにも、終電まではまだ数本残っているため帰れないこともない。
僅かな安堵を感じつつ再び改札に入った俺は、灯りの少ないホーム上で夜空を見上げる。阻害する光源がないため、帷には無数の星が写っていた。
「戸山……香澄」
チカチカと光る星を眺めながら、脳裏に浮かんだ名前を口にする。初めて発する名前なのに、何故か知っている。不思議に思っていると、折り返しの列車の扉が開いたため中に乗り込んでいく。
そうしてまもなく走り出した列車に揺られながら、もう一度あの場所に足を運んでみようかと考えた。
彼女にまた、会えるのではないかという淡い期待を抱いて。