Infinite stratos / False prophecy   作:✕せんたくだま

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55 約束の果てに

 

 

「……ちーちゃんは?」

 

 無数の空中ディスプレイが浮かぶ薄暗い一室に、若い女性の声が響く。左右で別々のキーボードを叩き続けるその手が休むことはなく、それどころか視線入力まで使って常人を超えた並列作業を行う彼女──束の表情は険しい。

 

『織斑くんのところに……しばらくは話しかけられないと思います。それと──』

 

「なに?」

 

()()()()()()()。彼の胸に……2回もISの武装で貫かれたのに、バイタルも何もかも普通で』

 

 SOUND ONLYとだけ書かれたウインドウの一つから聞こえてくる真耶の声に、束は眉をひそめた。一夏がオルトロスに刺し貫かれ、その後暴走した後でもう一度自分を刺したことは束だって見ている。だが、いざその身を救出してみれば、意識が無い以外は何処までも健康であるという結果だけが得られる。まるで何もかも起こらなかったかのようでありながら、2箇所分の穴の空いたISスーツだけが惨劇の証拠だった。

 事態の収束から6時間。束は自ら切断したコアネットワークの修復や、負荷で身を焼いたクロエの手当て、文字通り瓦解した一夏とラウラの専用機の検査など、諸々の対応に追われ続けている。IS学園の中では千冬に次いである程度話の通じる関係になってしまった真耶からの情報が、慌ただしい彼女の重要な情報源だった。

 

 束は数人分のバイタルサインが並ぶウインドウを一瞥する。真耶の言う通り、一夏のものは平常そのものだ。気を失っているだけで、いつ目を覚ましてもおかしくないとすら思える。これは今回の事件で傷を負ったラウラや楯無についても同じだった。

 

「IS側の強制的な形態移行に巻き込まれて治った……? まあ何にせよ目覚めてからじゃないと分からないね。……そもそも事態が交通渋滞起こしてて何が何だかだけど」

 

『……ISが暴走したって、そういう話だったじゃないですか。なのに、どうして私はバイドが来たときみたいに気分が悪くなって……あの、博士、沢村くんは……』

 

「何回聞かれても答えは変わらないよ。目下調査中だから結果待ってて。こっちも後手に回されすぎてキレてるんだからさ」

 

 何度も声を詰まらせながら呟く真耶に対し、束は冷ややかだ。ナノマシンで自分の脳に命じて強引に冷静さを保たせている。これは関心が薄いからでは決してない。感情を昂ぶらせて怒ることが何より非効率であると理解しているが故の振る舞いだった。

 

 何度めかのループ再生が空中ディスプレイの一つで始まった。オルトロス鎮圧後のガルーダに起こった一部始終の監視カメラ映像だ。

 

(前から妙な相性関係が見られたアクアナノマシンを取り込んだ直後に、瞬間的にセンサーを振り切る空間の曲率変動と、ガルーダを中心に広がる黒い球体……ステレオタイプなブラックホールって訳じゃあるまいに)

 

 解放されたラウラが教員たちによって回収された直後から、ガルーダの表面温度は急激に上昇していた。このままパイロットを蒸し焼きにしてしまいそうな勢いに、千冬がスプリンクラーを起動して冷却を試みたことが記録されている。しかし、その散水用タンクの中には楯無のアクアナノマシンが含まれていて、これがまた何らかの相互作用を生んだことには束も思い至った。

 

 問題は、その後。

 何故か現場に姿を現した楯無のISからナノマシンの製造ユニットがもぎ取られた後、僅か10秒の間にガルーダを中心とした空間異常が起こる。真っ黒い球体が周囲の物質を呑み込みながら拡大し、ピット入り口ギリギリの場所で止まったかと思えば、跡形もなく蒸発した。

 アリーナの中心から半径数十メートルに渡って球状に抉り取られ、中心にはレッドポッドだけが残されていた。ISであるガルーダはコアとパイロットを含めて一切の反応が見られず、他の武装と一緒に消滅したものと考えられている。

 約束に反して、ショウは帰ってこなかった。

 

「一つ、興味深いことを教えてあげるよ」

 

『……何ですか、それ』

 

「あの真っ黒い玉が出現した瞬間、全世界の重力波観測施設が揃って寸分違わず同じエラーを吐いてるんだよね。要するに空間が広範囲に渡って歪められたって証拠……なんだけど、観測結果を現行の理論に当てはめると、太陽系が丸ごと引き裂かれてないとおかしい規模ってことになる」

 

 真耶の困惑したような息遣いが束のスピーカーを震わせた。

 

「そしてそれに伴って消えたバイド体の湧出……手のひらの上で核爆発を起こしながら周りにほとんど被害を出さないようにするような行為が、果たして一介のISコアにできるのかな? そんなエネルギーゲインを出せるような仕様にはしてないし、ここまでのデタラメがやれるような稼働経験を積む時間なんて──、

 

 

 ────()()

 

 カチリ。束の頭蓋骨の中で何かが噛み合いそうな感覚があった。既にそれらしい仮説が無数に脳内を這いずり回っているが、それらの全てが確証に欠けた出来損ないばかりである。

 

「──すぐ、そっち行く。迎えはいらないから全員見張ってて、特にロシア女を」

 

 天才の瞳の中で、黄金色の粒子が踊った。

 

 


 

 

 すべてが終わった後。あるいは、何も始まっていない頃。

 IS学園の遊歩道に楯無は立っていた。時刻は夕方で、部活でランニングをする者や、単に学園を見て回ろうと歩く者など、通行人が多い賑やかさのある時間帯だった。

 だが、誰一人として生徒会室の楯無を見向きもしない。意図して無視しているというよりは、そもそも存在に気付いていないのだ。更に、彼女の目に映る生徒たちは、とても生徒に見えなかった。

 

 日付は4月の上旬。彼女が始めて彼と顔を合わせた日。

 何処へ行けば良いかは、初めから分かっていた。

 

(見間違い、というわけではなさそうね……)

 

 目に映るのは、ぐちゃぐちゃになった肉塊たちが蠢くだけの、グロテスクな景色。廊下には血と瓦礫と何かの肉片が何処までもぶちまけられていて、とても彼女の知るIS学園とは思えなかった。この壊れた景色は自分の立っている本当の景色の上に重なっているらしく、ボロボロに見える建物が実際に崩れてくることはないようだ。

 すぐにでも目を逸らしたくなる生理的な嫌悪感に襲われるが、一体何処を向けば逃げられるのだろう。目を閉じている以外に安住の地と呼べるものはなさそうだった。

 見慣れた生徒たち。見慣れた景色。だけど…………なぜ?

 

 道すがら、道場から出ていく一夏と、恐らくは箒であろう肉塊が見えた。いっそ不自然に感じられる。この異常としか見えない景色の中で、何も知らない様子の一夏だけはキレイな白い制服を纏っていて、ひどく浮いて見えた。

 

(未来が見えない、完全なイレギュラー……?)

 

 不意に脳内に湧き上がった言葉は、いつかショウが言っていたことで、あるいはこれから聞くことでもあった。

 他の人間に対して距離を置いたり無関心であろうとしていたショウにとって、数少ない例外の一人が一夏だった。単に同じ境遇だからというだけでは説明できない、彼から一夏への好意の正体を、楯無も千冬も掴みかねていた。

 その理由が、これだとしたら? 今見えている景色が、彼の見ている全てだったとしたら──。

 

(織斑くんだけはマトモに見えたとしたら、他を無視したくなるのも納得かしら)

 

 目的地──食堂までたどり着いた楯無は、自分の目が信じられなかった。

 耳に入ってくるのは、生徒や教員たちの賑やかな声。

 鼻をくすぐるのは、食欲をそそる料理の香り。

 だというのに、視覚だけが侵されている。

 人でないものだけが転がっている。

 

『──だから言われた通りここに押し込まれてるんだろうが。それで良いんじゃないのか?』

 

『良くないから言ってるの。こんな窓際なんて、狙撃してくださいって言ってるようなものよ? 今は私が見てるから良いけど……』

 

『入学前にはここが安全だと言われたが』

 

 憶えのある喋り声につられて窓際のテーブル席まで進む。そこには、誰とも目を合わせようとしないショウと、彼の無防備な振る舞いを咎める楯無──どちらも異なる時点の2人が座っている。その場のノリで妙に量の多い料理を頼んでしまって、美味しかったがカロリー過多に少し困ったのを憶えている。

 ……そうだ。このときは、この得体の知れない男の内面を引き出してやろうとあれこれ試していたんだった。度を越したこともやってしまった気がするが。

 

 何となくテーブルを覗き込んでみると、過去の楯無は気にせずショウの方を向いているが、ショウは一瞬だけこちらに視線を合わせてきた。その瞳孔がギョッと小さくなり、雄弁にもこう言っていた。

 ──どうしてお前がここにいる?

 

 そんな時だった。

 

「──よお。そっちはそっちでやらせといてさ、こっち座れよ」

 

 隣のテーブル席から、背もたれを挟んで男の声が飛んできた。今目の前でなあなあな喋り口調を変えないショウと全く同じ声で、全く違う声色。妙に芯があって、初めて聞くような感じがある。

 

「…………ええ、そうね。そうさせてもらうわ」

 

 楯無は隣のテーブル席に座って、目の前の男──ショウを真っ直ぐ見据えた。20代くらいの、濡羽色のセミロングヘアをした長身の男。1年生の制服が似合わない老成したような雰囲気を漂わせる、奇妙な男。

 ショウもまた、真っ直ぐ楯無を見ている。どこか優しさの色の見えるその瞳は、あいも変わらず漆黒に染め上げられていた。だが、今となっては楯無は何の感覚も憶えなかった。得体の知れない漆黒の正体を、ここまで歩いてくる時に理解してしまったからだ。

 不気味で何もない暗黒なのではない。無数の景色が重なって、互いが互いを塗りつぶし合って、そうして何一つ光が通り抜けられなくなるまで全てが揃った漆黒。目詰まりを起こした可能性の色だった。

 

「やっとね、漸く貴方の前までたどり着けた気がするわ。今まで何度でも顔を合わせてきたのに、銃弾も言葉も交わしてきたはずなのに、まるで無意味だったと思えるくらい」

 

「本当は、全部俺一人で片がつくはずだったんだけどな。頭の悪い沢村ショウは砲台と観測手だけ揃えて、肝心の射手を考えちゃいなかった訳だ」

 

 楯無はちらりと窓を見た。あの日の夕刻の学園ではなく、真っ黒いヤドリギが絡まった大樹が遠くにそびえている。不思議とその中腹に自分自身が立っているのが分かって、きっとあそこから、自分がそうしたようにバイドを射抜くのだろうと思った。時間というものが独りでに過ぎていかないここでは、別におかしなことではなかったからだ。

 現に、隣のテーブル席には別の時間の自分がいるのだから。

 

「アレで、全部終わるの?」

 

「いんや、単なる時間稼ぎでしかねえんだなコレが。けど、稼がないとアイツが這い出てきてゲームオーバー。6月の時点じゃアレとやり合えるだけの戦力を生み出せなかったから、苦肉の策っていうか。

 ──世知辛いもんだろ、()()()()()()()?」

 

 彼女の(イミナ)を口にする一瞬、青年の姿が幼い男の子に変わったように見えた。気の所為かどうかは重要ではない。

 

「ここでそれ言われると鳥肌立つんだけど……。でもまあ、同じ場所に立った以上は受け入れるしか無いかしら。……随分と、酷い景色の中で生きてきたのね?」

 

「……同情するか?」

 

「まさか、私の方が同情してほしいくらいなんだけど」

 

 ははは、言えてる──笑うショウはテーブルに両手を投げ出した。

 

「……マリコと出会ってからさ、人間が人間に見えなくなっちまったんだ。アンタも同じものを見ちまったようだけど、要するに何時でも何処でも『とまれ』の標識が視界の中をうろつくようなものさ。()()()()()()()()()()()()()()()、ってな」

 

「その時からコアと繋がれてたの? ISに乗れたのは今年からって……」

 

「ああ、別にISに乗れなくたってコアは近くの人間のことが分かるからさ。俺に関してはサイバーコネクタが頭に埋められてるから、それ越しに色々覗かれたんだろうな」

 

 フレームなんて無くともその気になればISコアはその辺の土塊で身体を作るくらいのことは出来るしな、とショウは自分のこめかみを小突いた。

 表向きは皮膚越しに神経信号を読み取る非接触センシングとして知られるサイバーコネクタだが、これは表向きの規格だ。頭蓋に穴を開け、中にマイクロマシンを流し込んで脳と外部とを繋ぐケーブルを形成する侵襲性の高いインターフェースが、本物のサイバーコネクタである。

 ショウの母親が仕込んだという非人道の技術は、元々歪んでいた彼の運命を更に捻れたものへと変えたのだ。

 

「……何時でも頭に見たくない未来が流し込まれる。それが重なり合って、目に付く人間は誰一人として人間に感じられなくて、逃げるまま生きてたらこうなった──。

 ──あ、今それだと誰がこのループを始めたのか分からないって思っただろ。その辺の因果は割とどうでも良いんだ。俺らが知覚するような大雑把な世界のことを、この宇宙のシステムは気にしてないから。でなきゃバイドなんてデタラメが存在してられるわけがねえしな」

 

「全員、死体か何かに見えるんでしょ。それで、どうしてか織斑くんは、というかあの姉弟が例外で……」

 

「ほら、真っ暗闇の中で一カ所だけ光に照らされてたらそこが安地だって思うだろ?」

 

 楯無も全く同じものを経験したから分かってしまう。一度()()なると、見える人間が人間と認識できない。そこにいるのが人間だと理性で分かっても、こんなぐちゃぐちゃの死体や侵された怪物が人間であるはずはないと、本能が金切り声を上げる。

 論理と感覚の二律背反。人間の精神を車裂きにするダブルバインドがどれほどの苦しみか、楯無はいずれ分かってしまう。

 

「その割にはまあまあマトモそうな振る舞いしてたじゃない。すぐに居なくなるのは誰もいないところで泣きベソかいてたから?」

 

「まあそんなとこ。ほら、演じるのも御子の役目だから。後はまあ……親父を悲しませたくなかったんだよ。俺みたいなおかしいやつを、友人の子供だからって引き取ってくれた人をさ、本能的に人間と思えないとしても、悪い気にさせたくなかったっていうか」

 

 ワサビ好きもその一環か、と尋ねると、ショウはゆっくり首肯した。曰く、泣きたくて仕方ないときに涙の理由を上書きするためだったらしいが、それとは別に好きになってしまったと困ったように笑っている。

 

「……それだけじゃないでしょう。貴方は捨てられたくなかった。生まれ持った才能を搾取されなければ食事にすらありつけなかった貴方には、他者に望まれるまま振る舞うしか生き方が分からなかった……そうでしょ?」

 

「……グッサリきたな、暗部特有の尋問術か何かか? ひどくない?」

 

「当然の報いでしょ。これでもかなり優しくやってあげてるんだから、感謝してほしいくらいなんだけど」

 

 バイオリンでも弾いてあげましょうか? 世界一小さいやつ……。

 楯無は、テーブルに広げられたショウの手を指で突いた。ゴツゴツとした大人の男性の手の感触と、柔らかい子供の指の感触が重なって感じられた。

 

「……ねえ、マリコって、一体何なの? 貴方を散々に苦しめて、ここまでのメチャクチャを繰り広げられるような存在が、本当にただのISコアなの?」

 

「始まりはな。ただ、俺は間接的とはいえそこらのパイロットよりもずっと長く関わってきたし、それだけマリコは経験を積んでた訳だ。特にイメージファイトが大きいか。

 そうして濃密に過ごしながら、俺たちは一つの終末を予測した。何かの拍子にバイドの本体が現れる可能性だ」

 

「今回はレクイエムの暴走がキッカケだったけど、他に何かあり得たの?」

 

「さあね。ここから見える範囲じゃ分からないが……ともかく、いざ事が起きたらおしまいだ。俺は死にたくなかったが、奴らが来たら死んだ後だって酷いことになると予想できてたから、ありったけの要素技術とまぐれ当たりの奇跡に期待して、どうにか運命を捻じ曲げられるような手段を生み出す必要があったのさ」

 

「私から奪ったアクアクリスタルで自身を機体ごと全てナノマシンに置き換えて、コアの持つ能力を最大限発揮出来るようにして……」

 

「ああ。ナノマシンとなったコアは全体が縮退してて、一部と全体が同じ振る舞いをする。後は空間を捻じ曲げて作ったループに自分(ナノマシン)をばら撒けば、なんと複数の時間にマリコは偏在出来るようになる。そうなると色々な場所を観測できるようになるから、数えるも悍ましい同時並列によってマリコは何処までも自分を作り変えることができた。いずれバイパスパイルを這い上がってくる琥珀色の瞳孔を異層次元の奥底まで追い返すためにな」

 

「でもそれだと、私が過去の貴方に会ったのはどういうこと? 未来に対処するのに貴方の過去を弄らせる意味なんて、私にお涙頂戴するくらいのものでしょうに」

 

 言葉のトゲがエグいぞおねーさん……。苦笑いでたじろぐショウがテーブルをパンと叩くと、いつかと同じ料理──隣のテーブルで食べられている肉々しいメニューが瞬く間に現れた。

 互いに何の合図もなくそれを食べ始めた。ここでも味覚は有効らしく、早速舌鼓を打つが、いくら飲み込んでも全く食べた感触のしない気持ちの悪さに箸が止まった。

 

「俺から見れば未来や過去を見たり見せたりってのが副産物だが、マリコからしたらどうだろうな。案外そっちが本命だったのかも知れないけど……まっ、ループになった時点で始まりなんて意味ないから知りようが無いわな」

 

「カミサマの考えることなんて人間には計り知れないものね……はあ。それで、もうここから戻ってもいいの?」

 

「もうとっくに戻ってるようなモンだけどな」

 

「──え?」

 

 


 

 

「──ッ、げほげほっ」

 

 

 グチャグチャになった重力の中で、楯無は眩しい電灯に叩き起こされた。酷いニオイがして、天井で歪み続けるトラバーチン模様と、視界の端に映る淡色のカーテン、やんわりと背中を受け止められる感触が彼女にここが何処であるがを教えている。

 

「更識さんっ!」

 

「おお、やっぱり効くんだコレ。そのザマじゃICU送りにするか迷ってたんだけど」

 

 2人分の声。知っている声。そして、鼻をつんざく異臭。

 漸く落ち着いてきた思考が、ここが学園の医務室で、どうやら自分は気付け薬の類で目を覚ましたらしいと理解した。不安げな表情で覗き込んでいる真耶の顔の奥に、妙な試験管を顔の前で弄んでいる束の姿が見える。

 楯無は、痛む首を動かして周囲を見回した。この医務室のベッドにいるのは、自分一人らしい。

 

「ぁ……あの、えっと、ショウは……」

 

 真耶は露骨に俯いて、救いを求めるように束の方を見る。天才は首を横に振った。

 

「……君が倒れた後、ガルーダを中心にアリーナの一部が消滅したんだよ。ポッド以外残さずにね。異層次元まで探してるけど今まで何の痕跡も見つかってない」

 

「ウソ、だって私は……あの男を連れ戻して、セシリアさんと山田先生のところに連れてこようと──ぅぐっ!?」

 

 言葉を遮るように、楯無の身体を苦痛が襲った。単なる痛みではない。風を拗らせてしまったときのような、漠然と全身を蝕まれているかのような熱感と痛みとだるさ。もしも身体の何処かを切り離して楽になれるのなら、そうしてしまった方が良いのではないか……そんな考えが浮かぶような、形のない苦悶が広がる。

 起こしていた上体を支えられなくなった彼女の背を、咄嗟に真耶が支えた。

 

「無理、しないでください……寝ていても話すことはできますから」

 

「医師免許なんて無いけど一つ宣告しておくと、()()()()()()()()()()()だ。全身の神経を暴走したナノマシンが侵してるから、何もしなければそれなりに酷い最期を迎えるだろうね」

 

博士っ!

 

 楯無を寝かせた真耶が束に掴み掛かったが、まるで動じる様子は無かった。ショウは行方不明、目の前で命の危険に曝されている楯無を見ても飄々とした様子の天才を、この教師は許せなかったのだ。

 

「時間がないんだよ。受け入れられるようになるのを待ってたら確実に死ぬだけ。

 ──で、提案ね。余命までに君の身体を治せる存在はこの世にいないだろうけど、私にはそれができる。今この場でね。治す代わりにキミはガルーダに近付いて知ったことを全て話して。シンプルな取引でしょ」

 

「死ぬんですか? 私……」

 

「一般にアクア・ナノマシンが人体に不活性ってのは実験に裏付けられた正しい話だけど、より強力な干渉作用の下では事情が変わってくる。今まで何も気にせずナノマシンに自らを曝露させてきた君の全身には、多量のそれらが蓄積してたんだよ」

 

 束はどこか厳かな雰囲気で語る。

 楯無の専用機《ミステリアス・レイディ》が扱うアクア・ナノマシンは安全性が示されていたものだが、それはレイディがナノマシンを制御下に置いていればの話だ。楯無から制御を奪い取り、製造プラントまで手にしたガルーダとマリコの近くに立ってしまった楯無は、皮肉にも自分の体内のナノマシンまで干渉を受けてしまった。人体の繊細さなど意に介さない強力な命令が、体内のナノマシンを暴走させ、彼女の身体を蝕む病原体のようなものへと変えたのだ。

 ……その末路は、恐水症にも似ているという。

 

「もう少し性能の良いナノマシン・コンダクターを積んどくべきだったね。けど、逆に言えば君の身体にはガルーダの命令が刻まれているはずだ。……『見た』んでしょ? ショウとマリコが何をしたのかを」

 

 束の鋭い視線に射抜かれた楯無は、所在なく真耶の方を向くが、彼女の瞳には抑えきれぬ期待の色が宿っていた。恥じるようにすぐ目を逸らしてしまった真耶も、命を盾に恫喝してくる束も、知りたくてたまらないのだ。ショウの考えを、成そうとしたことを。

 

(何も知らなきゃ、自分も同じことを考えたんでしょうね)

 

 ショウに想いを寄せていたことを知っている楯無は、真耶を責める気にはなれなかった。自分は彼を連れ戻そうとして、それをし損ねたのだから。

 

「本当は脅すようなこと言うまでもなく治したいんだけどね。キミは無事にいっくんを救い出してくれたし、くーちゃんも五体満足で帰ってこれた。善く働いてくれた相手に報いないのはポリシーに反するんだけど……もう、手段を選んでいられないようだから」

 

「……分かりました。全部、お話します。彼が何を見てきたのか、何をしようとしていたのか」

 

 ひと呼吸おいて、楯無は口を開いた。

 

 


 

 

 永劫に続く現在の中で、楯無はショウから多くのことを聞いた。彼が推察する限りのアアルの正体や、この空間の正体と発生させるための方法、ここへ来る前に残してきた幾つかのメッセージなど、順番に話していれば何年も掛かりそうなことを、彼女は全て頭に収めることができた。

 外の時間を基準にすれば現在という一瞬の中に全てが収められてしまうこの場所では、何百年何千年と過ごそうが、何がどの順番で起ころうが、全て同じことだったからだ。

 

「ねえ、バイドって、一体何なの? どうしてあんなものがここにやって来るの?」

 

 楯無がそれを尋ねたのは、テーブルに並んだ味と触感だけしかない料理を食べきったときのことだった。

 

「それを話すなら……河岸、変えんぞ」

 

「何処に行くの?」

 

「アンタも行った場所」

 

 立ち上がったショウに続いて向かった先は、真っ黒いヤドリギが絡み合った大木の中腹、呑み込まれるように中程から突き出した、「本物のガルーダ」の上だった。かつて楯無が琥珀色の瞳孔を射抜いたそこからは、もうバイドの気配は感じられない。その代わりに、遠い空の向こうに奇妙な機械の塊が浮かんでいるのが見えた。今まで見たことのない形だ。

 

「ここでの時間と同じように、いつ始まったことなのかは俺にも分からねえ。多分論じる意味もないだろうが、とにかく()()はこの宇宙にやって来た。異層次元という地の底から、こちら側に悪夢が芽を出したんだ」

 

「違う宇宙からやって来たってこと? 元々いなかったはずの外来種みたいに」

 

「恐らくはな。気付いた頃にはバイドはこの宇宙に広がっていた。俺らの存在する3次元の領域までハッキリと進出してないだけで、少なくともこの銀河の範囲はそうなってる。一掃する手段は現状見つかってない。

 ……けど、世の中カミサマってのはいるらしくてな、バイドが来るのと同時に助け舟も来ていたらしい」

 

 ショウはガルーダの操縦席に腰を据えた。

 

()()は、恐らくバイドと戦うための兵器だった。こちらの宇宙に紛れ込んできた連中を追い掛けて、殲滅することを試みたらしいそれは、結局バイドを倒し切るには至らなかった」

 

「早速話が終わっちゃったんだけど?」

 

 ……終わるどころか始まってもねえよ。苦笑する彼は続ける。

 異なる宇宙からやって来たその兵器は、束やアアルたちによってボロボロの状態で発見された。異層次元の奥底で、倒しきれなかったバイドから身を隠すようにして、それはずっと見付けられるのを待っていたのだ。

 

「紛れもなく別宇宙のテクノロジーだ。当然解析が試みられたが、元々壊れていたそれから得られた情報は微々たるものでさ、兵器の名前すら全部は読み取れなかった。だから、束たちは僅かに得られたデータから修復を試みて、その正体を探ろうとしたんだ。どうにかしてバイドをこの宇宙から葬り去る方法が無いかってな」

 

「その名前って、もしかしてC2? あの、変なメッセージを送ってきた相手の……」

 

「ご明察。その兵器の名前がC()()()()()()()()2()()ってことだけは分かったから、暫定的にそのまま呼ぶことにした訳だ。本当の名前はもしかしたらChocolate Creamかも知れないし、Credit Cardかも分からない」

 

「少なくとも、その本当の名前とやらが貴方のネーミングセンスよりマシなことを祈りたいわね」

 

「うわ、ひっでえ。……まあ、別に名前なんて呼んで通じれば何でも良いから、それ以上気にするやつはいなかったんだよ。

 そうして少しずつ進む修復作業が功を奏して、C2は多くの情報をくれるようになった。分かったのは、R()()()()()()()()()()()そのものがC2に刻まれていて、そこからバイドに対抗する兵器が生み出せるということ。この『本物のガルーダ』を象って生み出した『ISのガルーダ』の機能にお墨付きをくれたりとかな」

 

 ショウはコクピットの中をぐるりと見渡して、それから楯無に視線を向けた。

 

「ガルーダの設計が明らかに時代に合ってないって噂があったけど、納得ね。他の宇宙の技術なんて、人類史と比べるものではないもの。

 ──もしかして、グランゼーラのISは全てそうなの?」

 

「そうなるな。更に言えばウチのもの以外にも数多くある。I()S()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()がな。グランゼーラがサンデーストライクを安値で世界中にばら撒いたのも、Rシリーズの傍系として開発が進められたOF計画も、全部この地球にバイドを駆逐できるだけの戦力を整える計画の一端……束やシア、アアルが各々考えて実行してることだ。

 ……アアルって言って通じてるか? 笛持ちとか呼ばれてたバイド兵器を使うアイツだけど」

 

「嫌というほど思い知ってるから気遣い無用よ。全く……人を食ったみたいな振る舞いの理由はそれか」

 

 露骨に嫌な顔をした楯無をショウは軽く笑い飛ばした。感情に乏しい生き方に慣れた彼には、万華鏡のように表情をコロコロと変える彼女のことが少し羨ましかった。

 

「C2から系譜に連なる兵器を復元する試みも続けられた。アレコレこちらの技術で埋め合わせるにも限界があるから、向こうの宇宙で使われてた現物を持ってこれるなら最高だってな。……まあ、それでも再現できたのは半端な残骸でしかなかったわけだが────そういう流れもあって、今のC2は外側に色んな機械がゴテゴテ取り付けられた謎の塊みたいになってる。ほら、ここから見えるアレがまさしくC2そのものだよ」

 

「随分と近くに見えるけど、私でも行ける?」

 

「無理だな。ここからなら色々飛び越えて観測できるが、実距離は想像するも恐ろしいくらい遠くの異次元にある代物だ。束やシアでも時期を合わせないと辿り着けないらしいから、専ら遠隔の通信越しでやり取りするしかねえのよ。コアネットワークもその一つ」

 

 呆れたように瞑目した楯無は、コクピットに収まったショウの上にドカンと座り込んだ。ぐえ、という悲鳴が聞こえた気がするが気にしない。

 

「……はあ。これでも私、更識の当主なのよ? 日本だけじゃなく世界的に裏の話は粗方知れるようにアレコレしてるってのに……何も知らないじゃない、私」

 

「向こうだって知られちゃ困るから秘密にしてるんだろ。俺だって、ここからアレコレ試しながらじゃないと知れなかったことばかりだし……何でも侵食しちまう別宇宙の怪物が地球に攻めてきてるなんて、一般に広まったらそれこそパニックよ」

 

「そうやってコソコソ隠れてる割にはあまり成果出てないようだけど。4月だって貴方たちがギリギリで治めたようなものだし、今回は空間を捻じ曲げて強引に足止めなんてことやらされたし……」

 

 そんな時だった。ショウは楯無の肩を掴んで、その顔を覗き込んだ。何に塗り潰されているのかも分からぬ漆黒の瞳孔が、彼女の魂を呑み込まんと広がっている。

 

「コイツはさ、戦争じゃねえんだよ。思想だの、権力だの、欲だの、そんなもののための戦いじゃない。明日も人類が生きていられるか、死んだあとも眠っていられるか、そういう生存競争だ。

 確かにこの世は碌でもない場所だ、守りたいなんてこれっぽちも思わん。……けどさ、何度も死んで何度も戦って、その中で高潔に生きようとするやつは確かにいたんだ。絶望と失望は沢山あったけど、数多くの試行がそれだけで形作られてたわけじゃない。だからさ、そういう人たちがいるのに、こういう何でも出来そうな立場にいる俺が何もしないなんて、できねえだろ?」

 

「ショウ……」

 

「────みたいなでまかせに引っ掛かるのはこの場で卒業しような更識現当主。俺はそこまでキレイな聖人君子ではない」

 

 咄嗟に楯無はショウの頬をつねった。顔色一つ変えることなく言葉は続く。

 

「さっきも言った通り、これは生存競争だ。キレイなお題目や理想論じゃあ、人は動かせても運命は変えられない。必要なのは泥臭い殺意とギラついた狂気だ。

 ……俺はさ、見えるものを片っ端から汚染していく奴らが許せねえのよ。人より少しばかり多くのものが見えちまうから。今度はホントだぞ?」

 

 


 

 

 それは世界の片隅で、他のすべてから隠れるように。

 

「……それで、今日のことについての説明はあるんだよね、エスプリ」

 

 医務室から抜け出して屋上の隅に座り込んだシャルロットは、骨のへし折れた片腕を庇いながら通信デバイスを睨みつけている。電話の相手は彼女に悪事を命じたフィクサー、デュノア一族の親族を名乗るエスプリという男だった。

 今日は有り得ないことの連続だった。自分の命じられたことは、身分を偽って学園に乗り込み、少し悪い噂を流してショウを孤立させ、モンブランと名の付いた変な兵器を彼の乗機ガルーダに叩き込むだけ。それがどうして、行方不明者まで出す事態に繋がるというのだろう? そんな酷いこと、起こすつもりは毛頭無かったのに。

 だが、エスプリの言葉は信じ難いものだった。

 

『何か問題でもあったかな? 君は私の望んだ通りの結果を齎してくれた。感謝の他に言えることがないほどだ』

 

「問題って……みんな、死にかけたんだよ? 僕だけじゃない、一夏も、ラウラも……それにショウは消えちゃった。スキャンダルを起こすのが目的であって、こんなテロじみたこと」

 

『うん。それは何の問題でもないと言っているんだよ()()()()

 

「は?」

 

『少々予定より被害が大きかったようだが、()()()()()()()I()S()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事実は残った。学園で起こることは機密にされやすいから、隠蔽されづらいように大筋さえ固めてしまえば、残りの出来事は些事と言って差し支えないだろう。腕を怪我したらしいが……これについては災難だったね』

 

「それなら、僕がショウにしたのは……」

 

『あまりネットは見ない性格だったかな? 今や彼の評判は地に落ちている。それを擁していたグランゼーラもだ。君は何一つとして無駄なことをしていないし、その結果として今の成功がある。ラファール・リヴァイヴの市場地位は脅かされることなく、今後もデュノアは発展していく。もはや邪魔になる企業は現れないだろう。何と礼を言ったら良いか……今度はこちらが約束を果たす番だね。君の母君は責任を持って治療しよう』

 

 お大事に。そう言い残して通話が途絶える。

 シャルロットは、だらんと手を床に垂らした。力が抜けて通信デバイスが転がった。

 空虚だった。褒められているはずなのに、ちっとも嬉しくない。それどころか、惨めで仕方がなかった。自分の為したことは、明らかに悪だ。母を救うために否応なしに行ったとはいえ、母に胸を張って話すことは到底できない。

 

「……」

 

 ピリリ、と腕が痛んで視線を引き寄せた。腕を支える三角巾とギブスが少し擦れるだけでも、声を上げそうになる。医療用ナノマシンを投与して強引に骨の接合を早めている今、反動となる疼痛を抑える痛み止めだけが、今この瞬間において唯一彼女に優しく振る舞ってくれる存在だった。

 そんな自分を労って医務室まで連れて行ってくれた簪のことが頭に浮かんだ。彼女はいい人だ。自分なんかと関わって良い相手じゃない。なんてことはない普通の生徒がああやって振る舞えるのに、自分は痛みを耐えながら、ただ裁きから隠れて待つことしかできないのだ。

 

「地獄って、どういう場所なんだろうね」

 

 


 

 

「馬鹿げてる……おかしいよ、そんなの」

 

 滔々と楯無の口から溢れ出す、異常な場所の異常な出来事を聞いて、真耶はつい堪えきれずに呟いた。ずっと届いてはいないと思っていた彼女の気持ちは、確かにショウに伝わっていて、けれど、それは何処かのループの中の話でしかなくて。彼が真耶と「出会う」ことは始めから有り得ないと決まっていて。

 信じたくはなかった。

 

「幻覚だよ。そんなこと、あるわけがない。更識さん……あんなことがあったから、現実じゃないことを見てしまうのはおかしくないから……」

 

「私もそう思います。これが現実じゃなくて、ショウも帰ってきていて、何も始めから起こらなかったらどれほど……だから、博士。確かめてください。今から話すことを」

 

 震える手が楯無の肩を掴んだ。その口先だけの心配が、単なる現実逃避に過ぎないことが分からない人間はこの場にいない。それどころか、楯無は鋭い視線を自分に向ける束に、判決でも言い渡すように呟いた。

 

「第一に……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の、貴女ですよね。博士」

 

「え?」

 

「……続きを聞こうか」

 

「そもそもレクイエムは、この宇宙の外から紛れ込んだバイドを追って送り込まれたC2という兵器を復元するためのシステムです。ISコアの中に、C2の残骸に分子レベルで刻まれていたテクノロジーと基幹システムを組み込んで、全く別の形に変貌させる」

 

 楯無は続ける。

 不思議な感覚だった。「向こう側」での出来事を大雑把に思い浮かべようとすると何のイメージも湧かないのに、順序立てて思い出そうとすると芋づる式に続きがつらつらと溢れ出てくるのだ。明らかに人間の脳に収まりきらない時間の長さを話しているのに、一度口に出せばすぐに忘れてしまう。無限に続くパンチテープのある場所に重なった、読み取りヘッドの先の記述だけが楯無の記憶にあって、そこから少しでも外れた場所の情報は記憶にないのだ。

 

「レクイエムシステムが持つ基本的な性質として、C2から引き継いだ『バイドを滅ぼす』命令があります。バイドを倒す兵器を蘇らせるためにこれは不可分で、だからこそ今日の出来事が起こった。……勿論、そんな危険なものをそのまま搭載できるはずはありません。大元のシステムはバラバラに裁断して、いざという時にだけ起動できるように安全措置が施されていました」

 

「──それを今日、誰かが起動した。それも私の仕業だと思う?」

 

「いいえ……貴女がしたのは、全てのISコアにレクイエムの断片を仕込んでおいたことです。コアの自己成長に従ってC2を復元できるだけのテクノロジーに到達させて、最後に特別な機体に全てをまとめ上げさせるために」

 

 ISコアは動力確保の過程でバイド体を汲み上げてしまう──その性質を、本来なら楯無は知らない。だが、彼女には推理できてしまう。何も分からない真耶だけが置き去りだった。

 

「更識さん……? 一体何の話を」

 

「束博士。貴女はその役割を白式に押し付けるつもりですね。特別なあの機体に、それを扱う織斑くんに、C2が持つ『R戦闘機』というテクノロジーを全て注ぎ込む器の役目を……」

 

「どうしてそう思うのかな。あれは倉持が作り途中で放棄してた機体を動く程度に弄っただけの──」

 

「──あれは零落白夜なんかじゃない」

 

 品定めをするような怪しい笑みを宿した視線を向ける束の言葉を遮るように、楯無が声を絞り出す。

 

「織斑先生の単一仕様能力(ワンオフ・アビリティ)はエネルギーを消去するだけで、物質まで食い尽くすようなものじゃない。何より、1機に1つの能力が2つも被るなんてこと、有り得ないんです。……だから、答えはこうです。白式に暮桜の後継機のフリをさせて、貴女はその本来の役目を覆い隠そうとした。今日たまたまそのベールが剥がされただけで、貴女にはそれを明かすつもりなんて無かったんです。

 ──あれは、ISだけで復元したフォースそのもの。そうなんですよね」

 

 楯無は、精根尽き果てたように口と目を閉じた。全身を蝕む痛みがどっと押し寄せてきて、それ以上は何も話せる気がしなかった。頭の中では何処までも膨れ上がる記憶が渦巻いているというのに、それを排出する能力がもうなくなりつつあるのだ。

 そんな彼女を前に、天才は顔を手で覆って、短く鼻で笑った。空気がゾッと冷えていくのを、真耶は背筋の震えで感じた。

 

「……さっきの言葉を取り消して、今すぐ君の首をへし折りたい気分だね。大正解も大正解だよ。隠してきたことをこんな抜け道でペラペラと」

 

「博士……?」

 

「ああ、気にしなくていいよ。ちゃんと褒めてるから。

 ──いやしかし、未来かあ。デタラメの対策にやるデタラメとしては想定以上だね。確かに白式は特別だし、私は全てのISコアにレクイエムシステムを組み込んでる。いつか必要なデータが集まった時にまとめて起動して、C2の復元とISの進化を実現するための布石としてね。……少なくとも、今日みたいなことは私の管理下じゃ起こらない。誰かが横から手を突っ込んできた確信があるし、(ハラワタ)が煮えくり返りそうだよ」

 

 少し、束の声が震えているのを真耶は感じ取った。通信越しでは人を食ったように冷徹なこの天才が、目の前でその内に秘めたおどろおどろしい感情を滲ませようとしているのが恐ろしくて、けど、この天才を以てしてもショウを救えなかった失望がそれでも勝る。

 

「じゃあ、沢村くんも、貴女の手のひらの上だったんですか? ここまでの目に遭わされることも、更識さんと一緒に有り得ない情報を脳に流し込まれて、最後は消えてしまうことも……?」

 

「まさか。だから驚いてるんだよ。……そうそう、治療の話だったね。色々確証を得られるだけのことは聞けたから、早速進めようか。

 ──あ、念のためロシア女をお手洗いに連れてっといて貰えるかな山田真耶。確実に()()()()()()から」

 

 

 

 

「あのまま放置して本当に良かったんですか? 酷く痙攣してたのに……」

 

「そりゃ全身の神経にへばりついたナノマシンを無理やり血管とリンパ管まで誘導するんだよ? 痛いんだか気持ちいいんだか知らないけど開始10秒で失神したのは偉いと思うね。鎮静剤も打ってあるし、後はISに触れずに1週間安静にするだけ。さもなければ余命タイマーがもう一度動き出すよ」

 

 楯無の治療は無事に完了した。急激な荒療治に乙女がしてはいけない顔で気を失った彼女のことは、もう天才の思考からは放り捨てられている。とてもいい顔を向けることのできない真耶だが、ではどうすればよかったのかと聞き返された時の返事を持ち合わせていないため、それ以上のことは言えなかった。何事も、黙って博士(ドクター)に従うしかないのである。

 

「体内のナノマシンにガルーダの命令がどうとか、言ってましたよね」

 

「次に目覚めた時に向こう側の記憶が残ってるかって? 是非とも残っててほしいけどね。アレでベラベラ秘密をバラすような立場じゃないだろうし、真偽はさておきあの頭に刻まれた情報には価値があるから」

 

「彼女はストレージデバイスでも何でもありません。一人の生徒なんですよ……!」

 

「それ、学園の外でも同じこと言える? 特に更識の小娘ともなれば──あれ、そもそもロシア女がどういう立場か知ってたっけ?」

 

 鋭く白色LEDが照らす遊歩道を歩きながら、真耶は弱弱しく首を横に振った。

 

「ならそのままでいいや。少なくとも、キミがご執心のショウにとって、あの女の実家は敵でしかないもの。私でも最近やっと調べが付いたことだけど、白々しいよねえ?」

 

「何ですか、それ……」

 

「仁義なき抗争の歴史、とだけ言っておこうか。火傷で済まないから触れない方がいいよ」

 

 2人の次の行く先は、今日の出来事のグラウンド・ゼロ──第3アリーナだ。余りにも大きい事件であるだけに、この後で国際IS委員会の査察が入るのは必至で、だからこそ現場を荒らされる前に現地を見たがった束の希望が故だった。

 

 非常灯の照らす廊下とピットを抜け、内部に通じるゲートまで来たところで、2人の目に飛び込んできたのは酷く現実離れした景色だった。

 何も無い。普段なら模擬戦が繰り広げられている砂地が中心から綺麗に抉れて、その下の構造材が地層のごとく露出している。半球状の断面はアイスクリームをディッシャーで掬った後みたいに綺麗で、ここまで丁寧に物を切り離せる方法などこの世にないとすら思えた。

 

「これで、何か分かるんでしょうか……」

 

 真耶は祈るようにかがみ込んで、大穴を覗き込んだ。当然ながら、そこにショウはいない。いたとして、マトモな姿で残っているはずもない。絶望を咀嚼できていないタイミングの彼女にとっては、本能的な行動だった。

 

「いや、何も。ただ、有り得ないことが確かに起きたんだって、この目で見ておきたかったんだ」

 

「いつも何処かに隠れている人の言葉とは思えませんね」

 

「皮肉ならもう少しウィットを鍛えなよ。……一つ、確信したことがあるんだよね」

 

 不意に振り向いた真耶の目に飛び込んできた束の顔は、ひどく悲しげで、「不甲斐ない」という言葉が貼り付けられているようだった。

 

「ショウは、私の同類──あるいはそれになり損ねた天才だってことが。私以外、この世に一人としていないと勝手に諦めてたのに、探せば意外にも近くにいたんだよ。

 ……何処かに隠れてばかりって言ってたね。全くもってその通り。もう少し早く彼に会って、言葉を交わしていたら、何か変わったのかと思うと──」

 

 それは孤独の告白。生まれながらに自分と他者の間に横たわる越えようのない、才能という名の壁を前にし続けた彼女にとって、それを乗り越えて来る相手だけが価値ある存在だった。いつしかそれは当たり前になっていて、自分から向こう側を探す意味などないのだという諦観が、より彼女を孤独で閉じた存在へと固めていった。

 もしかしたら別の道だって……。異なる可能性を過剰摂取したであろうショウが、少しだけ羨ましい。

 だけれど。

 

「──やめてください」

 

 自然と、真耶の手が束の襟首を掴んでいた。開き切った漆黒の瞳孔が、天才の至極色の瞳を真っ直ぐ見据えている。

 

「彼を呪わないで。普通じゃないナニカをこれ以上背負わせないでください。一人で勝手に苦しんでただけだとしても、今から型にはめて在り方を決めるなんて、あんまりじゃないですか……」

 

「マトモに話せた試しもない相手のことを分かったつもり? 思い上がりも────ッ?!」

 

 ふわり。真耶の身体が浮き上がって、1秒後には背中と後頭部から慣性が突き抜けた。胸元に受けた強い衝撃が感触として残っていて、どうやら突き飛ばされたのだと理解する。視界がぐわんぐわんと揺れて、背中だけが見える束はこちらに意識を向けていない。

 ──その向こうから振るわれた華やかな色の剣を、必死で受け止めていた。

 

「チィッ、もう仕掛けてきたか()()()()ッ!」

 

「──それが分かってるなら『ここに来ない』って選択もできたと思うんだけどなあ? まあ、それは無いって分かってたけどさ」

 

 剣の持ち主は、真っ黒いISだった。少し幼さの残る少女の声が嘲笑混じりに(サエズ)る。

 両肩に浮かぶ禍々しい非固定部位(アンロック・ユニット)に、腰に集中した大型スラスター、パイロットの顔を覆う暗紫色のラウンドバイザー……何処か見覚えがある外見だったが、IS学園の教員を以てしても公式記録にそんな機体が登録されていたという記憶はない。()()()()という言葉さえなければ、どこぞのテロ組織が保有していた秘匿機体と見分けは付かないだろう。

 

 さっきまで誰もいないと確認していたはずの広い廊下に現れたそれは、堂々と大振りの剣戟を見舞ったのだ。天才らしからぬ隙の突かれ方をした束は、顔を歪ませながら剣を振り払い、間合いを取った。

 それを見た黒いISの少女は、ISを解除して慇懃に一礼した。

 

「さてさて、遅れましたが自己紹介。国際IS委員会直轄組織、IS管理機構より参りました。監察官の(ヒイラギ)嶺奈(レイナ)です。こう見えて国家代表相当の権限が付与されていますので、ご承知おきくださいね」

 

 胸元まで伸びた濡羽色の髪と、猛禽のような金眼。スラリとした立ち姿には、中学生みたいな背丈には似合わぬ鋭い気配が漂っている。見目麗しいその顔立ちは日本人らしいアジア系だったが、その割には顔のパーツに統一感が見られない。

 レイナは、その顔にペタリと笑顔を貼り付けて束の方を見ていた。その視界に、真耶は含まれていない。

 

「憲章でガッチガチに縛ってあるはずの管理機構がこんなに早く出張ってくるなんてね、一体どういう錦の御旗を織り上げたのかなあ?」

 

「単純な話ですよ。『重要極まりないIS学園が繰り返し問題に見舞われており、かかる事象には要注意人物である篠ノ之束が関わっている可能性が高い』って委員会の御歴々に言ったら、首を横に振る人はいませんでしたし。

 ……要するに怪しい悪の天才を正義の騎士サマがとっ捕まえに来たぞ~! って建付けです。生死は問わないそうですよ?」

 

 ──国際IS管理機構。

 それは、ISコアが発表された直後の動乱において、国際IS委員会に対する束の提言によって生み出された暴力装置だ。ISを平和的なスポーツの世界に縛り付けるという表向きの建前において、それを守らずに生じるであろうISを用いた国家間紛争に対する武力介入と鎮圧を行うために存在する。いわば実行力のある証のようなものだ。

 束によって提供されたISコア1500個のうち、どの国家よりも多いIS委員会への割り当て分である200個を保有することで、常に世界を監視する理想的な「世界の警察官」を実現している。一方でISコアが発表されてから今日までの9年の内に介入が行われたことはなく、憲章によって活動が厳しく制限されていることがその所以であった。

 それが、事件が起きた当日に介入してきた。国際IS委員会の直轄組織にあたるIS学園の問題ともなれば、同じ身内のこととして腰が軽いのだろうか、と真耶は推察した。

 

「わあ、丁寧なご説明どうも。……で、それ聞いた私が両手上げて床に膝突いて『ははーっ御代官サマっ!』って言うと思う?」

 

「悪いようにはしないから是非ともそうしてほしいんだけどなあ。ほら、やっぱり優れた存在が上に立つべきでしょ? それを実践している()()が殺されそうになってるなら、助けるのは後輩として当たり前かなって。これでも私って、同類愛は強い方だからね」

 

「……つまんないナルシシズム。ふざけてるでしょ。私はお前の同類でもなんでもないよ」

 

 場を静寂が支配する。不快そうに顔をしかめる束の眼には、レイナの貼り付いた笑顔が緩やかに歪んでいくのがよく見えた。

 目の前のことのはずなのに、真耶にはこれが違う世界のことに思えた。束もレイナも、どっちもマトモじゃない。ショウのことを考え続けるあまり、2人から似たものが感じられるようだ。そういう意味では、ショウと束が同類というさっきの言葉は間違っていないのかも知れないが、天地がひっくり返っても認めたくはなかった。

 

「同類でもなかったらお前みたいな身勝手なクズ女、とっくの昔に殺してるよ。状況わかってる? 正義は私。『生殺与奪の権は我にあり』なの」

 

「……化けの皮が剥がれたみたい」

 

「わお、すっごい豹変っぷり。先輩に対する口の利き方がなってないんじゃないの? 親の姿が是非とも見てみたいんだけど」

 

────なーんてねっ! 冗談冗談!! やだなあもう真に受けないでよ。私がそんな酷いこと考えるはずないじゃないですか。……あ、そこの教師は黙ってなよ。邪魔」

 

 レイナは再び笑顔を貼り付けようとしたが、真耶のつぶやきに対する侮蔑がそれを半端に終わらせた。教師の身からしても、彼女が格下と見た相手を徹底的にナメるタイプの子供であることはハッキリと分かっていた。

 

「……まあ、口だけ言っても説得力ないだろうし、私のISを紹介しようかな。セブンス・ヴェール!」

 

 レイナの身体を暗黒のISが鎧う。両手には鮮やかな色の剣が握られていて、先ほど束に襲い掛かったときの姿そのままだった。

 束にはセブンス・ヴェールの各所にどの技術がが使われているのかが即座に分かって、それが彼女を余計に不快にさせる。

 

「……徹頭徹尾、よその技術とアイデアのツギハギなんだね。何の美しさもオリジナリティもない、ボロ雑巾め」

 

「そのアイデアの出処なんて全部アンタのものなんだから、自分の脳みそをボロ布扱いするのはやめたほうが良いと思うけどなあ」

 

「…………おいで、()()()()()

 

 今度は束の身体が光に包まれる。暗闇に溶け込むレイナの姿を暴くような輝きが収まると、そこにあったのは落ち着いた暗紫色のISだった。

 全体としては、ヨレヨレのローブに身を包んだ異教の司祭のようにも、神楽に臨む神職にも見える。一般的な装甲と呼べるものはほとんど無く、代わりに布のようにヒラヒラと形を変える薄い膜が全身を飾っていたからだ。フェイスベールのような出で立ちのラウンドバイザーはシアンカラーで、頭の両側に付いた試験管状のパーツの中では黄金色の粒子が踊っている。手にした黄金色の錫杖の周囲にも、同じ粒子が纏わりついていた。

 

「うっわ~。賢者(ワイズマン)って、ナルシストなのはどっちよ。ウケるんですけど」

 

 暗黒と紫が衝突する。鮮やかな剣戟と黄金の錫杖が紗蘭と音を立てて何度も火花を散らし、にわかに非常灯だけしか光源のない廊下が昼間のように明るくなった。近接の押し付け合いでは決着が付かないと察した両者は、即座に射撃武装を起動する。

 互いに、青い光でできた六角形の列を放った。

 

「武装まで同じか……!」

 

「お揃いうれしいねえ~。あ、そういえば織斑姉弟の病室は制圧したから。たった今ね」

 

「あ?」

 

「なんてことを……ッ」

 

 管理機構という大組織が動いているのだ。監察官らしいレイナだけがここにいて、他に誰もいないということはあり得ないことだった。今の今まで、束も真耶も目の前のこの女に意識を取られていただけのことだ。

 親友の危機。咄嗟に突きつけられた言葉が隙になって、束の脇腹が浅く斬りつけられた。

 

「ぐうッ……」

 

「だから本気にしないでって言ったじゃん。事件の鎮圧に来たんだから、片っ端から安全確保すんのは当たり前でしょって」

 

 真耶は反射的にISを起動した。尊敬する先輩が、自分の弟の危機を必死に支えようとしているのに。許せない。

 屋内向きの火器を呼び出して、レイナに向ける。額面上は味方に弓引く明らかな敵対行為。知ったことか。キレて行うのではない。冷徹に、ルールを破り捨てる。

 ──だが、それ以上真耶の手足が動くことはなかった。全身の関節に光でできた鞭が絡みついている。

 

「動かないで」

 

「あー、うん。そのまま取り押さえといて()()。退場させちゃっても良いけど」

 

 レイナのセブンス・ヴェールと対照的な、純白の装甲で全身を鎧うIS。突然に現れたそれが、真耶を背後から縛り上げていた。

 バイザーの類は無かったが、代わりに西洋の甲冑のように顔から全身の全てまでを覆う全身装甲(フルスキン)の設計と、背面に直付けされた真っ黒い大型スラスターが目を引く。

 

「……今なら何も記録されません。言い訳が立つここで止まってください」

 

「誰ですか、貴女は……!」

 

「管理機構の者です。今は隊長とだけ」

 

 真耶の視界には、その純白のISの名前が浮かび上がる。

 

「TL-3N ナルキッソス……! 私の設計図を盗み出したな。今ので誰の仕業か大分絞り込めたぞガキンチョ」

 

「無理無理。今更推理したって全部手遅れだってば。……とにかくこれで分かったでしょ? アンタの負け。大人しくお縄につきなよ」

 

「黙れよ。これで首を縦に振るのは赤ベコだけだっての」

 

「もうちょっと躾がいるのかな……あー面倒くさい。そういえばグズのセカンドはどうしたの? ここにいるはずだけど」

 

「誰のことですか、それ……」

 

 チラリとレイナの視線が真耶に向いた。その呼び名が誰を指しているか、彼女にはすぐに分かったが、まともに答えてやろうとは思わなかった。彼はそんな名前ではない。

 

これだから劣等種は……ショウって名前の男がいたでしょ。2番目の男性操縦者。そいつの身柄が見つからないんだけど。まさか教員が知らないなんてこと、あり得ないよねえ?」

 

 ナルキッソスから伸びた鞭が、真耶の首筋に絡む。命か、返事か。突きつけられていると思った。

 

「──手遅れはそっちって分かってないらしいね。()()()()()()()()()()()

 

「あ?」

 

「どうせお硬い役所の無能どもに彼のことなんて扱えるわけないんだもの。私の手元にあった方が何万倍も有効活用できるに決まってるじゃん」

 

「それ、渡してくれたら見逃すって言ったら?」

 

「冗談。それより鏡みたら? 『私はショウのことが気になって仕方ありましぇーん』ってでかでかと書いてあるけど。ふふっ、ひっどい顔~!」

 

「──ッ」

 

 言葉よりも早く、レイナは束の顔面目掛けて手持ちの剣を投げた。下手な銃よりも速く飛来する刃が彼女の頭に届いた時、その姿が黄金色の粒子と共に消える。

 真耶のラファールからも、束の反応が消えたのが見えた。それは、レイナが相手を取り逃したのと同義であるとすぐに分かった。

 隊長は真耶の拘束を解いて、すぐにレイナの下に駆け寄って呟く。

 

「亜空間潜航です。追いますか?」

 

「……。ああ、うん。お願い! 気が利く人がいて安心するなあ~」

 

 青筋をピクつかせるレイナは、取り繕ったように明るい声で隊長に答える。そのまま行動を始めようとした背中に、秘匿回線(プライベート・チャネル)で続けて呟いた。他の誰にも聞こえないような声量だった。

 

「──今このタイミングで束を逃がす理由なんて無いだろうが。ちっとは頭使って動けよ不倫女」

 

 


 

 

「──なあ。本当にこれで良かったのかよ」

 

 何処までも続く純白の真砂と、真上に広がる暗黒の空。

 変わらぬそこに、ショウが立っていた。

 

「楯無は約束を果たすためにここまで来たんだぞ。アレコレとお膳立てして呼び付けたとはいえだ」

 

 もう、楯無はこの場にいない。正確にはこの現在にいないだけで、ループに巻き込まれた楯無も、何処かでバイドを射抜かんとしている楯無も、同時に存在するのだが。

 

 ──戻ってるようなものって、どういうこと?

 

 ──少なくとも当座の目標だったバイドの撃退は上手く言ったんだ。ループも解けて、現実でアンタは目を覚ます。そうなる前のアンタもここに残り続けるが……全部同じアンタさ。

 

 ──ならダメよ。まだ何の約束も果たせてないのに。

 

 ──沢村ショウを連れ戻して、みんなの前で洗いざらい吐かせる、か?

 

 ──そう。一人でで勝手に苦しんで、思わせぶりに生きてるだけのあの人に、向き合わせないといけないの。

 

 ──なら、俺を連れていけばいいだろう。目の前にいるぞ

 

 ──いいえ、できないわ。だって。

 

 終わった会話が残響となって木霊している。あらゆる現在が重なり合うために、耳を傾ける限り無数の言葉がここには存在するからだ。ショウは怒りを滲ませながら、空を見上げている。

 

「……聞こえてなかったとは言わせねえぞ。『貴方じゃない』ってな。アイツは、楯無は、お前に会いに来たんだぞ。俺なんかじゃなくてな」

 

 誰に向けられた言葉なのか、それを知るものはいない。いないはずだ。

 

「──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()() 沢村ショウ。ずっと隠れたまま、システムの一部にでもなったつもりかよ」

 

 いつまでもつらつらと喧しいやつだな。盤面にいない相手に向かって喋りかける異常行為に付き合ってあげたいなんて思うやつがいるのかよ。目の前の相手だけを見てろよ。果せもしない約束の事ばかり気にするのはやめろよ。

 誰だよ。

 

 

 

 

 

「俺だよ。()()()。お前に全部押し付けて、勝手に逃げ出したクソ野郎だ」

 

 

 

 




ブラックホールに消えた奴がいる


 お久しぶりです。そして何度も遅れてしまいまして申し訳ありません。
 突然忙しさを増したリアルと呪いのように消えまくる執筆データに苦しみながら投稿した今回。章の終わりということで大体2万字オーバーの中に色々種明かしと伏線の仕込みをしています。

 詳しいことは近い内に投稿予定の設定集で語れたらと思いますが、ようやく変な時空から脱出することができました。時間のループや未来視といった、一見すると単なるチート行為にしか見えない概念をどうやって違和感なく組み込めるか……そんなチャレンジが実は本作の根幹部分にあって、話の進行の関係で今章にそれが一気に寄せ集められる形になってしまいました。

 時間を自由度の一つにして操作し運命を捻じ曲げる、という大掛かりなことをやっている裏で、実は今回の事件のキッカケはちっぽけな企業間競争の一部でしかなかった、というのも個人的なお気に入りポイント。ドミノだって最初の一枚は慎ましく倒れますからね。

 今までチラホラ画面端に映っていた黒いISの少女ことレイナも登場しました。滅茶苦茶に性格が悪いです。彼女の行動目的は一体何だったのか? というのは今後描ければと思いますが、彼女が盤面に出てきた時点で話のテイストが大きく変わるということだけここに書いておきます。

 さて、これも詳細は活動報告や設定集の時に書こうと思いますが、今後続く5章以降について、更新頻度を不定期に変えさせていただこうと考えています。
 理由としてはリアルの忙しさが最も大きく、色々慣れるまで安定して書き続けられる保証がしづらい状況です。むしろ今まで毎週1万字オーバーを投稿していた自分が信じられないのは秘密……。

 ここまで追い続けていただいた読者の皆様には感謝を。今後とも投稿を続けて参りますので、どうぞよろしくお願いいたします。

オリキャラの描写比率について……

  • 主要キャラならバンバンちょうだい!
  • 原作キャラの掘り下げに必要なだけ欲しい
  • なるべく原作キャラだけが良い……
  • 拷問だ! とにかく拷問せよ!
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