これからも更新はかなり不定期になるかもしれませんが、よろしくお願いします。
今回の話は舞台裏となりますので、眞哉や雪ちゃん、清隆くんなどは出てきません。
時系列は、高育入学前のお話です。
人間とは、千差万別な生き物だ。
容姿、性別、身長、声音、才能――――。
違いを挙げればきりがないが、個々人によってその特色は異なる。それは血縁関係にある親子や双子の兄弟であっても同じ。必ず何かしらの“違い”というものが存在する。
そのちょっとした違いが個体としての差を生む。そして個としての優劣を決め、上下関係が発生する。
その構築された上下関係をさらに発展させていく事で、当事者たちの間で必ず生まれるものがある。
それは『感情』だ。
だが、感情と一言で言っても様々な種類がある。
尊敬、期待、慈愛、憧憬、畏怖、恐怖、嫉妬、嫌悪、憎悪、殺意――――。
感情を抱く事により人は時に幸せを享受する事もあれば、逆に人を破滅させるための原動力になる事もある。
毒にも薬にもなり得るひどく曖昧なモノ。
それが人の持つ感情。
だからこそ、興味深い。
その感情をうまくコントロールし利用する事ができれば、その者の能力を何倍にも引き上げる事ができるからだ。
特に憎悪や殺意といった負の感情を抱く者ほど、その傾向は強い。
そう結論付けた俺は、まずはどれだけその感情が能力向上の飛躍につながるかを確認するために国内外問わず、様々な者たちで実験してきた。
だが残念ながら思ったような成果は上げられなかった。
負の感情というのは、抱き続けるのも抱かれ続けるのも相応のストレスが溜まるため常人では耐えきれないからだ。無理に耐え続けた結果、壊れてしまった者も数多い。
なら次に俺が行う事は、そんな負の感情にも負けない鋼の精神力を養わせる事だ。
名声にも肩書きにも興味のない俺がホワイトルームの研究者へとなったのも、そういった人間を作り出すチャンスに恵まれると思ったからだ。
そして、そんな俺の願いは叶った。
鈴懸眞哉と綾小路清隆。
俺が作り出した最高難度のカリキュラムを生き抜き、常人には理解不能な能力と精神力を手に入れた最高級の
ホワイトルームの稼働停止により清隆の担当からは外れてしまったが、その分眞哉を相手に心置きなく実験できると考えれば、この結末も俺にとってはそう悪い話ではなかったのかもしれない。
元々俺がこれから行おうとしていた実験は清隆ではなく、眞哉の方が適任だと思っていたからだ。
――――心行くまで、実験させてもらうとしよう。
たとえその実験結果が、どのような結末を迎えようと構わない。
必要ならどんな犠牲だって払おう。
その結果
重要なのは、俺が楽しく最後までその実験結果を鑑賞できるか否か。それさえできれば、後はどうだっていいのだから。
それが、俺―――鈴懸鍛治という男の本心だ。
人通りの多い通りの一角に存在する高級マンション。
現在は日も暮れ、通りは帰宅する学生やサラリーマンたちの姿で一杯になる。
いつもなら窓から見えるそんな光景を眺め人間観察に努めるのだが、今日は来客を迎えているため断念した。
家主である鈴懸は、目の前のソファに鎮座する男に改めて視線を向ける。
視線の先にいるのは――――綾小路篤臣。
鈴懸も所属する組織、ホワイトルームの運営を取り仕切っている男だ。
そんな彼は現在、その鋭い双眸に怒りの感情を宿しながら冷ややかな視線を鈴懸に向けていた。
緊迫した空気の中、鈴懸はそんな篤臣の視線など気にした様子もなく、いつもの調子で口を開く。
「こうして直接会うのは久しぶりだな、綾小路さん。それで用件は? アポなしで押しかけてくるなんてアンタらしくもない慌ただしい行動だ。ホワイトルームの再稼働の話は聞いている。それ関係か?」
「……鈴懸。貴様どういうつもりだ」
「どうとは? 一体何の話だ」
篤臣が何を言いたいのか、鈴懸は理解していながらも敢えてはぐらかすような言動を選択する。
そんな鈴懸の態度に篤臣の中の怒りのボルテージが僅かに上昇した。
「とぼけるな、眞哉の件についてだ。これはどう説明する気だ。言い訳があるのなら今の内に聞いておいてやる」
「眞哉に関しては俺に一任されていた筈だ。なら俺がどう扱おうと俺の勝手だろう」
「その結果、眞哉が貴様の下から逃亡した。それでも自分に非はないと?」
鈴懸の発言に篤臣から放たれる圧が増す。
「鈴懸。貴様の作り出した教育カリキュラムは我がホワイトルームになくてはならないものだ。その功績は認めよう。だが、それだけだ。貴様はホワイトルームの一職員でしかない事を忘れるな。貴様を処分するのは俺の采配次第だという事は理解しているな?」
「ああ、勿論だ。アンタが俺の雇い主である以上、決定権はアンタにある。好きにするといいさ。それこそ、つい最近解雇した執事のようにな」
「……貴様」
執事の松雄が最近解雇されたのは噂で聞いた。そしてその辿った結末も。
雇い主に逆らった以上、当然の結果だろう。
増してや篤臣は直江の下で働いていた見習いの時代では、表沙汰にできない黒い仕事も数多くこなしてきた男だ。人を破滅させる手段も知りつくしているだろうし、容赦なくそれを実行に移す事も想像に難くない。
それを理解していながら今の態度を崩さず篤臣を観察していた鈴懸だったが、篤臣の瞳に危険な色が灯り始めたのを察知する。
さすがに挑発し過ぎたかと自分の行動を改め、本当に取り返しのつかない事になる前にそろそろ真面目に答えるかと息を吐く。
「ふっ、冗談だ。真面目に答えるからそれ以上睨むのはやめてくれ」
両手を上げ降参のポーズを取りながら、鈴懸は苦笑を浮かべる。
「さて、眞哉についてだが。奴のこれからの教育に関してどうしていくか、ホワイトルームの稼働が停止したあの日からずっと考えていた事だ」
そう軽く前置きを入れながら、鈴懸は続きを話す。
「眞哉の能力の高さはアンタだって知ってるだろう。βカリキュラムの全てを修了した以上、最早俺がこれ以上教えるべき事はない。もうそのフェーズは終えたのさ。だからこそ今俺が与えるべき事は知識や技術の育成ではなく、培ってきたそれらを実践できる場を設ける事くらいだ」
「……ほう、つまり貴様にはしっかりとした考えがあり、あえて眞哉を外の世界へと放り出したと。そう言いたいんだな」
正確に言えば眞哉が抜け出したのは鈴懸の与り知らぬところで発生したため、放り出したという表現は間違いだ。止める事ができなかったというのが正しい。
さすがの鈴懸も当時は色々と焦りはしたが、とある筋から眞哉が高育の入学試験を受けている事を知り、連れ戻すという選択肢は彼の中から消えた。
眞哉がどこで高育の存在を認知したのかは知らないが、
自分には自分の目的がある。
だがそれを馬鹿正直に目の前の男に話す気はない。
そんな内心での考えはおくびにも出さず、鈴懸は全て計画通りだと頷く。
「今のまま俺の下でホワイトルーム学習を続ける事に意味はないからな。眞哉にはもっと外の世界の厳しさを知ってもらいたい。そのための試練を課している。その結果次第で奴のこれからの人生も決まってくるだろう」
「……貴様の言い分は分かった。だが俺の許可なく勝手な真似をするな。最終的な判断は俺が下す。眞哉を野放しにするかどうかは、まず貴様が眞哉に課したという試練とやらの内容次第だ」
「ああ、それでいいさ。俺が眞哉に課した試練は―――――」
鈴懸から語られる試練の内容。篤臣は黙ってその話に耳を傾ける。
当然、眞哉には試練云々といった話は何一つ伝えていない。
だが、高育へと入学を果たす以上、鈴懸が課そうとした試練に挑まざるを得ない状況は必ずやってくる。
鈴懸はその時を思いながら、眞哉がどのような決断を下し、その精神状態がどうなっているのか、自身と対峙した際に眞哉がどのような反応を見せるのか、数年後に会う息子の変化に期待を寄せる。
「アンタにとっても悪い話じゃない筈だ。眞哉を政治の道具に利用するにも、ホワイトルームの教育者として利用するにも、今のままでは色々と不安だろう。それを補完するための試練と思ってくれていい」
「…………」
篤臣は目の前の男を無言で睨みつける。
眞哉の居場所は月城からの情報で分かっていた。清隆を回収するついでに眞哉も回収すればそれで終わる単純な話だ。二人の処遇はその後からいくらでも決定できる。
だが目の前のこの男の処遇をどうするべきか、篤臣にしては珍しい事に即決できずにいた。
先ほど鈴懸が語った内容は、篤臣にとっても色々と都合が良い部分があったのも確かだ。自身のプランにうまく組み込む事で鬼島に一泡吹かせる事も可能かもしれない。
(……ここで鈴懸を処理するのは簡単だ。だが、松雄と違いこの男にはまだ利用価値がある。泳がせておくのも一興か。それにうまく利用できれば俺の目的に一歩近づくのも事実だ)
篤臣は暫し目を瞑り、考えを纏める。
そして再び瞼を開けたその瞳に、圧はなかった。
「……いいだろう。今回は貴様の口車に乗ってやる。だが、分かってるだろうが、裏切ったら容赦はしない」
「ああ、それは重々承知の上だ。俺もアンタを敵に回したくはないからな」
いけしゃあしゃあと宣う鈴懸に篤臣はふん、と鼻を鳴らし立ち上がる。
もうこの場所に用はないと早々に部屋から退出しようと歩き出す。
鈴懸はそんな篤臣に視線を向け、見送ろうと玄関まで歩き出そうとするも、篤臣はそんな鈴懸に振り向く事もなく、
「――――行くぞ。お前も警戒を解け」
「――――はい」
「――――っ!!」
突如、己の背後から聞こえた声に鈴懸は息を吞む。
急いで振り返ると、一人の少女と目が合った。
歳の頃は14,5歳といったところだろうか。容姿はかなり整っているが、その顔に年相応の表情というものはなく、冷めた目をしている。
一体いつからそこにいたのか、鈴懸は少女が自発的に声を発するまで少女の存在に気付けなかった。
そんな驚愕する鈴懸に一瞥する事もなく、少女は鈴懸の横を通り過ぎ、篤臣の後に続く。
「…………」
そんな二人の背中を見送り、二人が完全に退室した後、鈴懸は先ほどの少女へと思考を巡らせる。
(ホワイトルームでは見た事のない顔だったな……という事は“別枠”で見つけた新たな手駒か。いつから居たのかは不明だが、あの様子だと俺が気付かなかっただけでずっと監視されていたのかもしれない。……ふっ、綾小路さんめ、俺の返答次第では本当に『消す』事も視野にいれていたな)
あの気配の消し方や歩き方には覚えがある。
以前、眞哉と清隆の実践相手に選んだ殺し屋たち。そんな彼らと類似したものを感じた。
そして帰り際にわざわざ声をかけ、少女の存在を己に気付かせたという事は――――
「……警告、か」
篤臣の真意に気付き、冷や汗が流れてきた。
ここへきて初めて感じた死の予感。
思っていた以上に自分は命の危機にあったらしい。
だが、
「悪いな綾小路さん。せっかくの気遣いだが、眞哉の試練の結果次第ではそれも水の泡だ。――――俺は俺の目的のためにアンタを裏切る事になるだろう」
◆
某日某所。
東京でもそれなりの知名度を誇る様々な格闘技を主体に教える総合ジム。
ジムの中は活気に溢れ、時折聞こえる打撃音や掛け声などが響いており、程よい緊張感を生み出していた。
老若男女が入り乱れた空間。
そんな中、ジムの2階にあるトレーニングルームでは、一定のリズムで破裂音にも近い音が鳴り続ける。
そこにはサンドバッグに鋭い蹴りを放ち続ける一人の少年がいた。
ただ無心に蹴りを放ち続ける。
少年から醸し出る異様な雰囲気を恐れているのか、そのトレーニングルームには少年以外の人影はない。
ただサンドバッグを蹴り続ける音だけが響き渡る。
「…………」
左右でそれぞれ百回蹴り終えた所で休憩を挟む。
水分補給を行い、タオルで汗を拭う。
心地よい疲労感を感じながら、彼は明日から通う事になる学校へと思いを馳せる。
不安と期待で溢れる高校生活。
日本政府が作り上げた、かなり特殊な学校。
高度育成高等学校。
そこへ明日から新入生として通う事になっている。
そんな学校で、彼には必ず成し遂げねばならない事がある。
自分の使命を思い出し、思わず表情が固くなる。
無意識に握りしめた拳をサンドバッグに強く打ち付けた。
拳にヒリヒリとした痛みが走る。
乾いた音が部屋に響き渡る中、あの日―――養父から受けた命令が頭の中で再生される。
――――卒業までの間に鈴懸眞哉を退学させろ。
鈴懸眞哉が普通の学生でない事を知っているからこそ、それが如何に難易度の高いミッションなのかを、彼は正確に理解している。
その目的を達成するのは容易ではない。今の彼の実力が当時と比較してどれほど飛躍しているのかも未知数。
これは己に課せられた『試練』なのだろう。
(また会おうとはいったが、お互い望まぬ形での再会になりそうだな、眞哉)
だが、やらねばならない。
この過酷な世界で本当の自由を手に入れるために。
彼―――鬼島志朗は、静かに覚悟を決めた。