スリザリンの面汚し   作:減らず口

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春の訪れ

 あの晩以降、フィニアスがリーマスを避け続けたかというとそうではなかった。確かに数日の間は、羞恥と興奮の残滓が遠く離れた場所にいるはずのリーマスの気配にすら敏感に呼応し、所かまわずフィニアスを悩ませた。しかし、感情と官能の嵐が去ってしまうと、その後には捨て鉢な青空が広がった。奇妙に晴れやかな気持ちに支配され、フィニアスはリーマスを受け入れた。そして、自分がひとたび受け入れられたことを知ると、リーマスは猛烈にフィニアスを求めるようになった。

 

 リーマスの私室で、あるいは庭園の物置小屋で、二人で抱き合っている間、フィニアスには過去も未来もなかった。それはリーマスも同じようだった。今の快楽を貪ることは喜びであった一方、いつも後ろめたさを背負っているような感覚を拭い去れなかった。そしてこれもまた、リーマスも共有するものであったようだった。

 

 リーマス・ルーピンは、恋人の空虚な心を知ってか知らずか、夜ごと独自のやり方でフィニアスに喜びをもたらした。

 

 過去にフィニアスを愛した男たちは皆優しかった。マグルであった彼らはフィニアスのスクイブとしての苦悩など知る由もなかったが、その睫毛の陰に見え隠れする沈鬱な眼差しに、もれなく庇護欲をかき立てられたのだった。恋人の繊細な心と肉体を壊さぬよう、彼らは極めて紳士的にフィニアスを愛撫した。しかし当人にとっては、その心遣いは不満の種にしかならなかった。なぜなら、魔法力を失った時にすでにフィニアスの魂はバラバラに壊されていたからだ。どれだけ細やかな愛情をかけられても、それは廃墟に降り注ぐ陽光のようなもので、それで過去の栄華が取り戻せるものでもない上に、かえって虚しさや惨めさを際立たせるだけだった。

 

 実のところ、彼らは首や手足のもげた人形を後生大事にこねくり回しているに過ぎなかったのだ。その滑稽な姿をフィニアスは冷めた目で見ながら、何も言わずにただ身を任せていた。彼らは惜しみなく愛を与え、当然のことながら、それにフィニアスが呼応してくれることを期待していた。だが一向にその兆しが見えないとなると、彼らの心が離れるのも時間の問題だったし、フィニアスの方も、去る者に追いすがるつもりもなかった。そんな行為が許されるほど、自分が価値のある存在であるとは思っていなかったのだ。

 

 完膚なきまでに引き裂かれた心を癒せるのは、優しさではなく、むしろ苦痛と恥辱だとフィニアスは考えていた。どうしても真っ当な愛は自分には分不相応だという思いがぬぐえなかったのだ。

 

 己の乱れる姿を耳元で嘲弄される屈辱や、脅しつけられ、求める物をあけすけな言葉で口にさせられるおぞましさを想像すると、得も言われぬ高揚感で恍惚となった。自分は生きていてよいのだ、という実感がきっと得られるはずだ。

 

 また、恐怖を抱きながらも、身体的苦痛への憧れもひそかに胸の内にくすぶらせていた。何であれ、理性を強制的に放棄させられ、快楽に窒息することによって、壊れて散らばっていた自我のかけらが集まり再び形を取り始め、虚ろな心が満たされるように思えたのだ。無論、それで再び出来上がる自我は、しょせん歪な奇形にすぎないことも十分承知していた。

 

 過去の恋人たちの中にはフィニアスの内なる望みに薄々感づいている者もいたが、それに十全に応えられる者はいなかった。世の中にはそのような愛情の示し方があることは知っていても、まさか自分がそれを与える側になろうとはまるで想像ができなかったのだ。

 

 その点、リーマスはフィニアスが求めるものを完全に理解し、それを与えることに全力を傾けることができる稀有な存在だった。とはいえ、それは決して無償の愛などではなく、リーマス自身の浅ましい欲望を満たす手段でもあった。人狼として数限りない拒絶を経験してきたリーマスにとって、まともに愛し愛される関係などは幻想であった。支配こそ最善の愛情表現だった。

 

 フィニアスはリーマスとの関係に完全に溺れていた。これこそが自分の求めていた唯一の幸せである――そう確信するほどに。しかし、ただ一人だけ、セドリック・ディゴリーの前でだけ、何故か気まずさを禁じ得なかった。

 

 罰則の期間を終えると、ディゴリーは待ちかねたように庭園に戻ってきた。ちょうど寒さが緩み始め、庭園に出ての仕事が始まる季節のこと、自然と顔を合わせる機会も増えていた。セドリックと一緒にいる時に限って、何故だかリーマスとのあれこれが鮮明に脳裡に浮かぶのだ。春の柔らかな日差しの許で、前夜の生臭い愛の営みを暴かれる恥ずかしさに、思春期の少年のように耳まで赤くなりそうになるのだった。

 

 ディゴリーに何の遠慮が必要だろうか。フィニアスとリーマスが昨夜どんな形で交わっていようと、この一介の生徒には何の関係もないはずなのだ。それなのに、ディゴリーの真っ直ぐな灰色の目に見つめられると、いたたまれない思いにさいなまれるのだった。

 

 三月が過ぎ去り、四月が訪れた。ひときわ輝きを誇る季節を前にして、庭園を彩る色も少しずつ多様さと複雑さを増してくる頃合いであった。太陽の穏やかなきらめきの下で、ためらいがちな笑顔を見せているセドリック・ディゴリーがいた。

 

「決勝戦、ご一緒しませんか?」

 

 もしよければですけど、とセドリックは付け足した。明日からのイースター休暇が終われば、すぐにクィディッチ杯の決勝戦が控えている。グリフィンドール対スリザリン。折しもリーマスがグリフィンドールの応援席で観戦することをマクゴナガルに強要されたと愚痴るのを聞いたばかりであった。君と一緒に見たかったのに、と。さすがにフィニアスが寮の応援席に入り込むことははばかられるので、今回は観戦自体を見送ろうかとも考えているところだったのだ。

 

「私は構わないけど、君は寮の友達と見に行かなくていいのかい?」

 

 そう聞くと、セドリックは苦笑いを浮かべた。

 

「ええ、みんなグリフィンドールを応援する気満々で。僕はもっと試合を批評的に見たいんです。来年のために」

 

 その相手として私がふさわしいと、この少年は考えたのだろうか。そう訝しむ少し意地悪な心を感じ取ったのか、セドリックは慌てて付け加えた。

 

「本当に、駄目だったら構わないんです。でも前回の試合では色々お話しできてとても楽しかったから、できれば次もと思ったんですけど」

 

 そうだ。あの日は自分も楽しかった。己の不遇を忘れてしまうほどに、目の前の白熱した試合に夢中になったのだ。クィディッチ。心を責め苛む過去からの刃は、いつの間にか骨抜きにされていた。それどころか、決勝戦の盛り上がりを想像するだにワクワクするような気持が沸き起こってくるのだった。フィニアスとしても、もう誘いを断る理由はなかった。

 

「そうだな。せっかくだしご一緒させてもらおうかな」

 

 セドリックは顔をぱっと明るくして、「やった!」と手を叩くと、植え替えたばかりの水仙の群れに水をやりに行ってしまった。フィニアスはその姿を見送りながら、はて、この場合どちらのチームを応援するのが筋なのだろうと考え始めた。普通ならば自分の出身の寮を応援するのだろうが、自分などが――面汚しと呼ばれた自分などが――大っぴらにスリザリンチームを応援などして許されるのだろうか?

 

 入学してからの順風満帆な数年間は、紛れもなくスリザリンはフィニアスの中心にあり、また拠り所でもあった。しかし、魔法力を失ってからというもの、スリザリンはフィニアスの苦しみのすべてであった。所属する生徒たちが、手段を選ばず不名誉な面汚しを排除しようとしただ。これは逃げようがあったが、やがて緑と銀で飾られた蛇のエンブレムが目に入るだけで、耐え難い苦痛に襲われるようになった。責め苛むのは、自分自身なのだから逃げ出すことも叶わなかった。それでも、こうなったのは己のせいであるという自責の念があったから、フィニアスは何も言わずに耐えようとしたのだ。アルコールのもたらす夢うつつの中で、いつかすべてが元通りになる日を思い描いていた。また、あの楽しかった日々が戻ってくることを――

 

 ふとフィニアスは我に返った。楽しかった日々?本当にそうだったのだろうか。家門のより一層の繁栄のための下準備に汲々とする日々。名門の子は将来の権力を下支えしてくれる家来を探し、そうでない子たちはより広くて丈夫な傘を探す。純血の繁栄という一つの目標に向かって、皆一丸となっていた。確かにスリザリンでは、真の友を得ることができるかもしれない。この目標をともに目指す資格のある者であるならば。

 

 しかし、フィニアスがこの資格を失った後、ともにいてくれたのは誰だったのか。それはグリフィンドールのリーマス・ルーピンだった。そして今、セドリック・ディゴリーの真っ直ぐで暖かい、守護霊のような銀色の瞳が――

 

「そうだ、ペティボーンさん」

 

 振り返るとセドリックが戻ってきていて、件の銀色の瞳を曇らせていた。何か言いたそうだが、言葉が出てこないという様子だ。手にした杖からは水仙に水をやった後のしずくが垂れている。フィニアスは何も言わず、セドリックが口を開くのを待った。

 

「あの時のこと、謝らないといけないと思っていたんです」

 

 セドリックが何のことを言っているのかが咄嗟に分からず、フィニアスはきょとんとした。その様子を気分を害したと勘違いしたのか、セドリックは慌てて言葉をつなげた。

 

「僕、昔ペティボーンさんに何があったか知っていたのに、勝手に浮かれてしまって――ごめんなさい。本当はもっと早く謝らないといけなかったのに」

 

 ああ、あの時のことか。ハリー・ポッターが箒から転落したおかけでハッフルパフが勝利した試合の翌日のことだ。あの頃は、クィディッチと聞いただけで焼け火箸をあてられたように辛かった。だからつい嫌味など口走ってしまったのだ。

 

「いや、あれは私も大人げがなかった。それに」

 

 今度はフィニアスが言い淀んだ。常々思っていることでも、いざ口にしようとすると度胸がでないのは誰しも同じだろう。

 

「いつか言わないといけないと思っていたんだ。その、レイブンクロー戦の君のプレーは素晴らしかった――負けてしまったのは残念だったけど――あの試合を見て久しぶりに心が震えたよ。もう自分自身がプレーすることはできないけど、やっぱりクィディッチは嫌いになれないと思った」

 

 セドリックはただじっと耳を傾けている。

 

「魔法力を失ってからというもの、魔法に関係するものすべてを憎んでいた。特に大好きだったからこそクィディッチは余計に憎んでいた。見るのも嫌なくらいに。だけど君のおかげで一つ憎むものが減った――ありがとう」

 

 セドリックは面食らった顔で目をぱちぱちさせていた。フィニアスはにわかに顔に血が上るのを感じた。私は一体何をしているのだろう、こんなことを言っても困らせるだけなのに――

 

「僕は何もしてないですけど、明日の決勝戦、楽しめそうなら何よりです」

 

 驚きから覚めたらしいセドリックが、目を細めて笑った。その微笑みを見て、フィニアスののぼせた頬にはなぜかさらに血が上ったのだった。

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