そこで戦い続ける一人のプレイヤー。いずれ『黒の剣士』という二つ名を与えられるキリトは、ある日、一人の青年と出会った。
これは、二人の剣士が出会い、分かり合い、すれ違い、ぶつかり合う。
二刀流の剣士と二刀流の侍の戦いの記録。
FGOのサムレムコラボイベントを読み終え、書きたくなった作品です。現代に生まれた伊織モドキをSAOにぶち込みました。
※Fate/SamuraiRemnantのネタバレを多数含みます。
ダメな方はブラウザバックを推奨します。
「俺はイオリ。用心棒の真似事で、日銭を稼いでいる身だ」
彼がそう声をかけて来たのは、突如デスゲームとなった《ソード・アート・オンライン》の中でキリトがベーターと呼ばれてから、しばらく経過したある日のことだった。
その日、キリトはアインクラッド二十層にある村でとあるクエストを受けようとしていた。その内容とは、村の食料を狙って森からやってくるモンスターを討伐するという、いかにもRPGのゲームにありがちなお助けイベントだ。
クエストを受注し、いざモンスター退治に行こうとしたキリトに彼は声をかけてきた。
青碧色の長着に黒い袴、雪駄を裸足の状態で履いたザ・和風といった恰好をした剣士というよりも侍に近い姿のイオリと名乗った青年。どこか我欲に乏しい冷静沈着そうな顔をした彼は、キリトの前に現れると、自身の目的を語った。
「この村には俺も世話になっている。相手がえぬぴーしーとはいえ、村の危機を見過ごすことはできない。魔物に襲われ多く人が血を流す。それは悪しきことだ――俺にも貴殿の仕事を手伝わせてほしい」
「いいのか? このクエストの報酬は1プレイヤーにしか与えられない。経験値くらいしか手に入らないぞ」
「ああ、構わない。それに厄災を目の当たりにしつつ、知らぬ存ぜぬでは、人の道に反する」
「……分かった。手を貸してくれイオリ。俺はキリトだ」
「忝い。未熟な身であるが、期待に応えられるよう剣を振るうとしよう」
それが、いずれ【黒の剣士】と呼ばれるキリトと【剣鬼】と語られるイオリの出会いだった。
イオリの戦いを間近で目にしたキリトはそれを『異常』と表現する他なかった。
キリトはSAOプレイヤーの中でも最前線で戦う攻略組の一人であり、今までにも多くのプレイヤーの戦い方を見てきた。攻撃は最大の防御とでも言いたげに防御を捨てて攻撃力に全振りする者、速さに重視を置くことで手数の多さと回避力を高める者、防御を高めることで仲間の盾となる者。
しかし、キリトの知る全ての戦い方にイオリは当てはまらなかった。いいや、これは正しい表現ではない。正確には全てが当てはまっていたというべきだろう。
地のような固い守りを見せたかと思えば、水のように滑らかな速さでモンスターを翻弄し、風のように自由自在に刀を操り、火のように烈火の如く敵を切り裂く。
それでいてモンスターの攻撃を完全に見切り、その全てを回避や防御、時には刀でいなしたり、カウンターを決めることでむしろダメージを与えることもある。
一つのパーティーでするべき働きを全て一人で担当し、その上でそれら全ての技量が攻略組のプレイヤーと比べても遜色がない。未だソロで最前線を戦い続けているキリトだからこそ、その異常さにはすぐに気付かされた。
それだけでも十分驚くべきことなのだが、イオリの異常性はこれだけでは済まなかった。
まず、《ソードスキル》を使用していない。
ソードスキルとはSAOでの戦闘の初歩中の初歩とも呼べるギミックである。習得した武器スキルの準備動作を行うことで発動し、そのあとは体が勝手に動いて攻撃を行う。その速度と威力は通常よりも上回り、戦いにおいてこれを使わないのはもはや一種の縛りプレイとも言える。
欠点としては、発動終了時や中断した場合に硬直が発生し、動けない時間が生まれてしまうことだが、それを差し引いてもソードスキルの恩恵は大きい。実際、キリトの知る者の中にソードスキルを使用しない者などいない。
だが、イオリからはキリトが見る限り一度もソードスキルが発動したようなモーションが出ることはなかった。それはつまり、最前線のプレイヤー並の剣技をアシスト無しで扱えるということ。これがゲームの世界だからこそ、それはあり得ないことだった。
疑問に思ったキリトはソードスキルを使わない理由について聞くと、イオリはなんでもないかのように答えた。
「俺は体を勝手に動かされるのも、勝手に止められるのもあまり好みでなくてな。つまるところ、俺はそのそーどすきるというものとは相性が悪いのだろう。それに不得意とする分野を欠点を作ってまで鍛えようとも思えない」
それは、キリトを含めた全プレイヤーの戦い方を否定しているようなものだった。確かにソードスキルには《技後硬直》が生まれるため隙が発生することは避けられないが、それを明確に欠点と考えたことはキリトにはなかった。
なぜなら、
例えるならば、ターン制の対戦ゲームで『どうして1ターンに一回しか動いちゃダメなんだ?』と当たり前のシステムに疑問を抱いているような感じだ。
これだけでも十分驚くべきことなのだが、イオリの底はこの程度ではなかった。次にキリトが驚かされたことは、イオリが
刀というもの自体はSAOの中でも珍しいものであるが、存在しないわけではない。しかし、二刀流というものは『今』のSAOではあり得ないことだった。
ソードスキルにも様々な種類が存在するが、現状そこに二刀流はない。とある条件を満たせば特定のプレイヤーに発現する《ユニークスキル》であるのだが、そんなことを知らない今のキリトからしてみれば、イオリの二刀流には目が点になるほどに驚かされた。
一刀だけでもソードスキルを使わずに戦うのは困難だというのに、それを二刀で行うなど正気の沙汰とは思えない。しかし、それをイオリは難なくやってのける。
キリトはそれをリアルで剣道をやっていたからではないかと推測し、イオリに聞いたのだが、詳しくは教えてもらえなかったけれど、剣道ではないがそれに近いことは師から学んだことがあると話してくれた。
今までの常識が破壊されるような驚きの連続をキリトが経験しながらも、二人はついに目的のモンスターがいる場所にまで辿り着いた。
ここは、モンスター側に同情するべきだろう。近くの小さな村を襲おうとしていたら、最前線をソロで戦うあたおか剣士とソードスキルに頼らない無自覚チート侍が討伐に来たのだ。もし、そのモンスターに心があったのなら、きっと『ちょ、えっ、なんなのこいつら!? 帰って!』と涙目になっていたに違いない。
大したダメージも与えられず敗北した虎系のモンスターは肉と毛皮だけを残して消滅していった。
「……終わったな」
「そうだな。助かったぜイオリ。お前がいなきゃこんな楽には勝てなかった。本当にクエスト報酬はいいのか? 少しくらいなら分けられるかもしれないぞ」
「不要だ。所詮俺には過ぎた代物、この褒美はキリトが受け取るべきだろう」
「そっか、じゃあ遠慮なくいただくぜ」
元よりイオリは世話になっている村を守るためという善意でキリトに同行していただけで、報酬を受け取るつもりは最初からなかった。だとしても、二人で戦ったというのにそれを独り占めするというのはキリトの心境的に複雑だった。
それでも、報酬はいらないというイオリの思いを知り、二人は報酬を受け取るために村へ戻ることにした。
「おっ、そうだ。その前に俺とフレンド登録しないか?」
「……ふれんど?」
そこでキリトはイオリにフレンド登録の提案をする。フレンド同士の間で出来ることがあるとすれば、互いにメールのように連絡が取れることぐらいである。
当然フレンドというぐらいなのだから、そこそこ仲良くなった証明のようなものでもあるのだが、それぐらいにはキリトはイオリにこの短時間で心を許していた。
「イオリには世話になったからな。今度は俺の方が手伝わせてくれ。まあ、お前の強さなら助けはいらないと思うけどよ……」
「いや、ありがたい。その時がきたら是非とも力を借して欲しい」
「おう、任せとけ!」
無表情なイオリの顔に僅かな笑みが浮かび、それにキリトがサムズアップして答える。そして、いざフレンド登録しようとしたところでイオリはとあることに気がついた。
「ふむ……キリト。ふれんど登録とはどうやるんだ?」
「お、おう……そこからか……」
その後、キリトの地道な説明によってフレンド登録を済ませた二人は、村に戻ってから報酬を受け取り、お互いに別々の道を歩んでいった。
それから先も、数々の危険な戦いがあった。
多くと出会い、多くと別れた。その中には善人もいれば悪人もいた。どうしようもない悪人の命を奪ってしまうこともあれば、何が何でも救いたいと望んでなお、救えなかった優しい人との交流もあった。
まさに常在戦場。人の命が容易く消える戦場をキリトは数えきれない程に経験した。
そんな中でも、キリトとイオリの交流は未だ続いていた。
拠点を例の村から移したイオリは本物の用心棒のようにその剣の腕を活かし、多くのプレイヤーからの依頼を受け、数えきれない人を救ってきた。決して攻略組のように名が知れ渡るという程でもなければ、一定数のファンが生まれるようなこともない。
強者の目が届かない場所にいる力なき人々を救う。目立った活躍のないイオリのことは精々『そういう奴がいるっぽい』という噂程度にしか広がらなかった。
それでも、ソードスキルを使わない二刀流の侍の噂となれば、攻略組もその存在を無視できない。SAO最強とも呼ばれる《血盟騎士団》を筆頭に多くのギルドが噂の人物を手に入れるために、捜索を始めた。
当の本人であるイオリはそんなことまったく知らずに普通に用心棒的活動を続けていたものだから、正体はあっさりバレてしまった。
そうなってしまえば当然、様々なギルドがイオリを自分達の陣営に引き込むために勧誘を試みた。しかし、その全てをイオリは断った。中には決闘を申し込んで強制的にギルドに引き込もうとした者もいたが、変幻自在の剣技に硬直時間なし、しかも単純に強いとかいうふざけた戦い方のイオリに敵う者はいなかった。
なんとかギルド勧誘の嵐を退けたイオリだったが、そこまで目立ってしまっては放置されるわけにもいかず、気づけば半強制的に攻略組のメンバーに入れられていた。キリトはそんなもの無視してしまえばいいと言うが、何かと正義感の強いイオリはそれを拒絶せずに受け入れてしまった。
それから先は、友人としてだけでなくお互いの背中を預ける戦友としてキリトとイオリの関係は続いた。最初の方はイオリが無理矢理攻略組のメンバーに強制参加されていたことに、不快感を感じていたキリトだったが、実際に共に戦えばこれ以上ない頼りになる味方だと理解し、共にクエストを受けることも増えた。
他にも、キリトはSAOで新たに得た友人達をイオリにも紹介した。
アスナとはお互い料理が得意という共通点があってすぐに意気投合し、シリカにはリアルに妹がいるらしく意外にもなつかれ、リズベットとは刀を自作していることから何度か専門的な会話が弾み、クラインは自分と同じ刀使いということもあってギルドに誘うも流れるように躱され、エギルとは元から知り合いであったようで紹介するまでもなく、アルゴには気持ち悪いくらいに興味を惹かれてちょっとしたストーカーのようなことをされていた。
キリトとアスナが結婚した時なんかは、真っ先に駆け付けて祝い、キリトに親しい人に贈る簪の作り方まで教えてくれた。
キリトは本気でイオリのことを頼りになる友人として信頼していたし、イオリも方も同じだった。キリトを友人としても共に戦う仲間としても認め、心の底から信頼していた。その信頼関係の固さは第三者から見ても明らかだった。
そんな強い信頼を置いているからこそ、キリトには不安があった。
最初にそれを感じたのは、アインクラッド最大の殺人ギルド《ラフィン・コフィン》のリーダーであるPoHがイオリによく言っていた言葉だった。
人を殺す側と人を救う側。正反対の二人はまるで引き付けあうかのように何度もぶつかり合い、剣を交わした。必然的に、イオリと共に行動することの多かったキリトもPoHとの対面は何度かあったのだが、その際PoHは何度もイオリに似たようなことを言うのだ。
「お前は俺と同類だ」「すぐにその化けの皮を剥いでやる」「本当は気づいてんだろ。いい加減本性を見せろ」
所詮は殺人鬼の言葉。キリトもまともに受け取るつもりはなかったが、どうしてもその言葉が頭の中から離れることはなかった。PoHの人間性はどうあっても理解できるものではないが、それでも一つのギルドのトップだ。ただの馬鹿ではない。
奴がそう言うならば、イオリには少なくとも
それからしばらくして、その不安が増す事態が何度もあった。
フロアボスと戦う時、高レベルのプレイヤーと
むしろキリトには、どこか楽しんでいるようにさえ見えた。普段あまり表情を崩さないイオリであるため、他の者は気づいていなかったが、キリトだけはそれに気づいた。そして、なんとなく解ってしまった。
イオリは
しかし、確証はない。キリトもそんなことがあるわけがないと断定し、見て見ぬふりをし続けた。
最後に、キリトに最大の不安を与えるきっかけになったのが、ある日にイオリ自身の口から告げられたとある言葉だった。
その日、キリトはイオリが拠点としている町に行くと、イオリは人気のない場所で刀を振るっていた。本来、SAOにおいて素振りなどの鍛錬はほとんど効果はない。勿論、無意味というわけではないが、ステータスがものを言うこの世界では実践が一番の成長方法となる。
それでも、リアルの時からの癖のようなものだと言って、イオリが早朝の剣の鍛錬を怠らないことをキリトは知っていた。
「よっ、イオリ。精が出るな」
「――キリトか」
キリトは声をかけると、その声に反応したイオリは刀を鞘にしまって鍛錬を終える。
それからしばらく雑談を続けてから、キリトはとあることを告げた。それは、少し前からイオリに感じていた違和感。友である自分が止めなければ、取り返しのつかない程までに増大すると感じたもの。
「イオリ……はっきり言うぞ。今のお前は間違ってる」
「キリト?」
「お前は、優しさを捨てるべきじゃない」
確かなことはない。それでもキリトは、きっと今のイオリが何か大切なものを捨ててしまったのだと解ってしまった。
「いつからそうなったかは知らない。でも、お前は
以前のイオリと今のイオリには、強さという面を除いて明確な違いがあった。それは、敵に対する躊躇いのなさ。以前は敵であっても情けをかけてしまうこともあった。しかし、今のイオリからはその甘さを感じられない。
昔と違って、敵を殺すことに特化しているようなイオリをキリトは見ていられなかった。
確かにイオリは、ただでさえ人間離れしていた剣術に更に磨きがかかっている。だが、その原因が成長ではなく、何か大切なものをそぎ落とした結果だというのを、キリトは察したのだ。
「キリト……優しい、か。お前は俺をそう云うのだな」
「ああ。お前は強く、そして優しい奴だ。だから、そんなに強いのに相手の気持ちを考えることができてる」
相手の気持ちを理解するなんて、この容易く命が消える世界では不必要なのかもしれない。それでも、キリトはそれが人間として大事なものであると考えていた。それを捨ててしまえば、キリトが好んでいないSAOのクリアだけを目的とした奴らと同じになってしまう。
イオリにはそうなって欲しくない。それがキリトの心からの望みだ。
しかし、そんなキリトの願いも虚しく、返ってきた言葉は否定を意味するものだった。
「確かに俺は、相手の考えを窺っているよ。常にそうだ。いつだって俺は、相手の気持ちを想いながら振る舞っている。だが違う。違うんだ、キリト。そうする理由は、俺が……優しい――からではないと思う」
「イオリ……」
「至極単純。もっと分かりやすい理由だよ……そう、単純だ」
今までにない冷たい声色で、それが当たり前であるかのように、イオリは言った。
「――すべては、俺が、勝つ為なんだ」
一瞬その言葉の意味を理解できず、キリトは絶句する。
これまで、イオリは欲とした欲を見せてこなかった。そんなイオリのことだから、勝利とはただの結果でしかなく、自分から求めてはいないのだろうとキリトは考えていた。しかし、それは大きな間違いだった。
「刀を振るい、勝つ為だ。技を用いて、殺す為だ。正確に。精確に。寸分の狂いなく。眼前の敵を確実に仕留める為、理解は、俺にとって必要な行程の一つ。敵味方の区別を付ける前に――俺は、相手を理解する。いつでも殺せるように」
イオリという侍は、どこまでいっても武人なのだ。勝利するために全力を尽くす。『誰かを想いやる』という過程も、結局のところその一つに過ぎない。
「結局、つまらぬ未熟者の無分別だ。だから……謂うところの、優しさとは違うと思う」
お前のこともそう見ているとでも言わんばかりな視線に、キリトに一瞬悪寒が走る。つまり、キリトはイオリのことを理解しきれていなかったのだ。一側面だけを見て、そういう人物であると決めつけた。それが、大きな誤算であるとも知らずに。
「確かに、俺は余分を捨てた。そう云う覚悟をした。単に余分な癖、愚かな無分別を捨てただけだ。災害にも並ぶかもしれん敵達を相手取るなら、最早、俺ごときの思考は余分だ。邪魔だ。だからこそ、そんなモノは切り捨てて、俺は、俺を
イオリの中には、キリトが想像すらできないようなナニカが隠れていた。今まで、隠れていた……意図的に隠していたそれが、何かをきっかけに表層に現れてしまった。
それがどんなものかをキリトは知らない。ただ、自分にとってもイオリにとっても良くないものだということだけは分かった。
「ただ、それだけのことだ」
「…………
「ああ。それだけだ。お前達とこの
「そう、か……。お前はそう言うんだな。イオリ――」
キリトは言いたいことがいくつもあった。しかし、今どんな言葉をキリトがかけようとも、イオリが考えを改めることはない。それを嫌でも理解させられ、押し黙る他なかった。
「――さて、わざわざ来てもらったというのに、何のもてなしもないのは悪いな。長屋へ寄ってくれ。茶くらいはだそう」
そう言って、まるで今までの問答がなかったかのように、いつも通りな様子でイオリは自分の拠点へ向かって歩きだす。そんなイオリの後ろを、キリトは何とも言えない暗い雰囲気を漂わせながらゆっくりとついていった。
「イオリ……お前の心が、俺には分からない」
キリトがイオリに対して大きな不安を抱えたまま月日は過ぎ、運命の日は訪れた。
75層フロアボスモンスター攻略戦。
今までの経験から、アインクラッドでは25層ごとに強力なボスが用意されていると予測されるため、今回の75層も同様だと考えられた。そのため、ヒースクリフを筆頭にした五ギルド合同パーティーは二十人のプレイヤーを偵察隊として送り込んだ。
結果は……全滅。
『偵察』を目的としたプレイヤー達が撤退することすら許されずにその命を散らしていったのだ。ヒースクリフはそれをボス部屋が結晶無効化空間からだと推測し、現状集められる最大の戦力を集めた。
そこには、ギルド《風林火山》のリーダーであるクラインや戦闘は本職ではないエギル。結婚したことで最前線から離れていたキリトとアスナ、そして当然、イオリの姿もあった。
そんな、現SAO最強の軍隊が揃い、ついに75層フロアボスモンスターとの戦いが幕を上げた。
ボスの名はスカルリーパー。骸骨のムカデのような姿をした巨大なモンスターだった。たった一撃で10レベル離れたプレイヤーのHPを全て削るその姿はまさに
当然、苦戦は避けられない。目の前で仲間の死を目撃し、プレイヤー達は誰もが冷静でいられず、ただ生き残るためだけに我武者羅に戦った。
無限とも思えた激闘の果て、ついに第75層フロアボスモンスターであるスカルリーパーがその巨体を四散させた。しかし、誰一人として歓声を上げる者はいない。
皆、倒れるように黒曜石の床に座り込み、或いは仰向けに転がって荒い息を繰り返している。
「何人――やられた……?」
ぐったりと座り込んでいたクラインが、掠れた声でキリトに聞いた。その隣で仰向けに寝転がって手足を投げ出していたエギルも、顔だけをキリトの方に向ける。自然にその場の視線はキリトに集まった。
キリトはマップを呼び出し、表示された緑の光点――ボス戦に参加していたプレイヤーの数を数える。出発時の人数から犠牲者の数を逆算して……
「――14人、死んだ」
告げられた残酷な事実に、この場にいる全員が表情を曇らせた。
ここにいたのは全員が歴戦の名だたるプレイヤーだ。いくら《転移結晶》が使えなかったとはいえ安全な戦い方をすれば、おいそれと死ぬことはない。それでも、死んでしまった。しかも、14人。
これで漸く四分の三。まだこの先に25層もある。これから毎層ごとに、同じ数の犠牲を出していってしまえば、最後にラスボスと対面できるのはたった一人……ということもあり得る。
そうなった場合、残る可能性のあるプレイヤーは現状、二人しかいない。
キリトは視線を部屋の奥に向ける
そこには、他の者達が全員床に伏す中、背筋を伸ばし立つ紅衣の男――ヒースクリフ。そして、そのすぐ近くには床に座り込むも、既に息を整え終えた侍――イオリがいた。
ヒースクリフもイオリもダメージを負ってはいるものの、HPバーは未だイエローゾーンに達しておらず、グリーンゾーンを維持していた。
ヒースクリフはキリトとアスナが二人がかりでどうにか防ぎ続けたスカルリーパーの巨大な骨鎌を単独で捌ききり、イオリは大量に購入したハイポーションを戦いながら飲み続けるという人間離れした戦い方を見せたのだ。
数値的なダメージに留まらず、疲労困憊な様子を見せても不思議ではない……筈なのだが、二人には、精神的な消耗など皆無と思わせるものがあった。もはや、驚きを超えて笑いがこぼれてしまう。
キリトはぼんやりとヒースクリフの横顔を見つめ続ける。男の表情はあくまで穏やかだ。無言で、床にうずくまる血盟騎士団のメンバーや他のプレイヤー達を見下ろしている。
悔やむような、悲しむような視線。
「……いや、違う?」
しかし、そこでキリトは自分の間違いを悟った。
ヒースクリフのあの視線はそんな慈愛に溢れたものでは決してない。傷ついた仲間を労わるものでなければ、キリトと同じ土俵に立ってすらいない。
言わば、そう――ゲーム画面の向こう側で動くキャラクター達を見るような。
「ッ……!?」
刹那、キリトの全身を恐ろしい程の戦慄が貫いた。
意識が一気に覚醒し、指先から脳の中心までが急速に冷えていく。一度生まれてしまった嫌な推測がみるみる内に鮮明となり、真実味を増していく。
キリトはかつてヒースクリフとデュエルをした時の、恐るべき超反応を思い出す。イオリの異常性に慣れてしまい当たり前のように受け入れてしまっていたが、あれは人間の……否、SAOのシステムに許されたプレイヤーの限界速度を超えていた。
そこに彼の日頃の態度を重ね合わせると、疑惑は着々と確信に変わっていく。そして、最悪の仮説が完成してしまった。
その証明は、今この瞬間、この状況であればたった一つだけ存在する。
キリトは警戒しつつヒースクリフのHPバーを見つめる。過酷な戦いを経て大きく減少している……が、半分にまでは達していない。イオリのように回復しまくっているわけでもないのに、ギリギリの所でグリーン表示に留まっている。
キリトはデュエルの時、そのHPが半分を割り込もうとした寸前、ヒースクリフの表情が険しさを表す様に動いたのを思い出す。あれはHPバーがイエロー表示になる事を恐れたのではない。
真の理由は別にある。
頭の中で情報を整理すると、キリトはゆっくりと立ち上がり、一瞬だけヒースクリフの近くに座る戦友に視線を送る。それだけで意図を理解してくれたのか、少し驚いたように目を見開いてから、覚悟を決めたように頷いてくれた。頼れる友人の反応に安心したキリトは自身の愛剣である《エリュシデータ》を強く握る。
それから、キリトは最低限の動きで低空ダッシュの準備姿勢を取る。まだヒースクリフは気づいていない。チャンスは一度、失敗すれば二度はない。
一度だけアスナに視線を向け、内心深く謝罪したキリトは勢いよく地面を蹴ってヒースクリフに接近する。発動するソードスキルは片手剣の基本突進ソードスキル《レイジスパイク》。威力の弱い技だ。命中してもヒースクリフの命を奪うまでには至らない。
それでも、完全に不意を突いた一撃を高レベルプレイヤーであるキリトが放ったのだ。それを回避、または防御できるプレイヤーなどいるわけがない。
――はずだった。
視界の外から迫る剣尖に、直前で気づいたヒースクリフは目を見開いて驚愕の表情を浮かべたが、以前のようなありえない速度で大盾を構え、迫る剣を弾いたのだ。確実に当たったと思っていた不意打ちを防がれたことで、キリトの顔は驚愕に染まる。
「流石だな。でも……」
ギリギリで防御が間に合ったヒースクリフはどこか勝ち誇った表情を見せる。しかし、これをキリトは想定していないわけではなかった。元より、ヒースクリフが異常なほどに強いのは承知していたことだ。
異常なプレイヤーには同様に異常なプレイヤーをぶつければいい。
キリトには、犯罪者プレイヤーに堕ちる可能性があるにも関わらず、躊躇い無く動いてくれる友がいる。
「イオリ――!!」
「――任された!」
キリトの剣を防ぐために盾を構えたことで、動きを封じられたヒースクリフの背後に青い影が回り込む。それはキリトの友であり、唯一ヒースクリフと正面から戦うことのできるプレイヤ――イオリだ。
背後に回られたイオリの存在に気づき焦るヒースクリフだったが、キリトの剣を防いでいるため振り返ることも出来ず、無防備に晒されている背後を斬り上げられた。
その直後だった。キリトの想定していた最悪の未来が的中したのは。
イオリの刀がヒースクリフの背を斬り裂こうとした――寸前で、刀は目に見えない障壁に激突し、イオリとヒースクリフの間に紫色のメッセージが表示された。
【Immortal Object】
システム的不死。
それは、死に怯えるプレイヤーにはあり得ない。あってはいけない属性。キリトとのデュエルの時、ヒースクリフが恐れたのは、まさにこの加護が暴露されてしまう事だったのだ。
その場にいたキリト以外のプレイヤー達が驚きのあまり絶句する。攻撃したイオリも例外ではなく、この結果に表情を崩している。それはつまり、ヒースクリフがこの世界における絶対的なルールに守られているということの証明に他ならないからだ。
「システム的不死……って、どういうことですか……団長」
目の前に映る光景が信じられないかのように困惑するアスナの声にヒースクリフは答えない。険しい表情でただキリトとイオリを睨んでいた。
これがNPC相手であったならば、そうおかしなことでもないだろう。しかし、ヒースクリフはプレイヤーであり、ましては絶対壊せない建築物等であるわけがない。
ならば、自然と導かれる答えは一つ。
「これが伝説の正体だ。『他人のやっているRPGを傍から眺めるほど詰まらないことはない』……そうだろ、茅場晶彦」
キリトの言葉に、すべてが凍りついたような静寂が周囲に満ちた。今まで自分達に希望を与え、導いてくれた存在が、他の誰でもない自分達を地獄へ落とした悪魔だと分かり、多くの者が絶望する。
それでも、正体を見破られたヒースクリフに焦った様子はない。むしろ、この状況を楽しんでいるようにさえ思える。
「確かに私は茅場晶彦だ。つけ加えるなら、この城の最上階で君達と戦う最終ボスでもある。本来なら90層で明かすはずだったのだがな……」
「き、貴様ァ! ふざけるな!! 我々の忠誠を虚仮にして!!!」
今まで多くのプレイヤーが死んできた。この場にいるプレイヤーの中にも親しい人を目の前で失った者も少なくはない。だというのに、その犯人であるヒースクリフはネタバラシが早くなったと、残念そうな仕草を見せるだけ。
その様子に、怒りに耐えられなくなった血盟騎士団の幹部が背後から攻撃を仕掛ける。
しかし、ヒースクリフが
攻撃を仕掛けた男に麻痺のバッドステータスがかかり、地に落ちる。そして続くように次々に攻略組のプレイヤー達が倒れていく。クラインやエギル、アスナも例外ではない。そして最後まで立っていたのは、キリトとイオリ……そして、ヒースクリフだけとなった。
倒れるプレイヤー達に視線を送ることもなく、余裕の笑みを崩さないヒースクリフは口を開いた。
「……なぜ気付いたのか参考までに教えてもらえるかな……?」
キリトはゆっくりと自身が感じた違和感について話す。
「――最初におかしいと思ったのは例のデュエルの時だ。最後の一瞬だけ、あんたは余りにも速過ぎた」
「やはりそうか。あれは私にとって痛恨事だった。君の動きについ圧倒されてしまいシステムの《オーバーアシスト》を使ってしまった」
ヒースクリフは納得したように頷き、ほのかに苦笑する。たったそれだけの違和感から、この真実にまで辿り着き、犯罪者となる覚悟を決めたキリトを一人のゲームプレイヤーとして心の底から賞賛しているのだ。
そして、今度はイオリの方へと視線を移す。真実に気づいたのがキリトであっても、実際にヒースクリフが茅場晶彦である証明をしたのはイオリである。ならば、イオリもキリト同様に真実に辿り着いていたのだと、ヒースクリフは予測していた。
「俺はキリトのように器用な
「……何?」
しかし、そうではなかった。
「俺はただ……信じただけだ。キリトは無意味に他者を傷つける男ではない。ならば、そこにはそれ相応の理由が存在する。俺はそれを信じて貴殿を斬ったにすぎない」
この返答には、流石のヒースクリフも言葉を忘れた。
イオリは目の前の男の正体が茅場晶彦である確証どころか、疑問すら感じていない状況で、それが信用できる者の為だからというだけで、人を斬る覚悟を決めたのだ。
当たり前のように出来ていい行動ではない。普通の人間が持つはずの躊躇いや恐怖という感情が抜け落ちている。
「本当に……君には驚かされるばかりだ。ソードスキルを使わないだけでなく、二刀流をユニークスキルなしで使いこなし、信じる友のためならば躊躇いなく禁忌を犯そうとする。キリト君は良い友を得たようだな」
「ああ、あんたにはないものだよ」
「ふっ、それは違いない」
聞き方によってはかっこよく聞こえるかもしれないが、要するに『友達いないだろ』という問いに『その通りだ』と答えてるだけなのだが、誰もそこにツッコむ者はいない。
イオリという人生初の理解不能な存在に触れたヒースクリフは慌てるどころか、研究者として、よりイオリという人間に興味を持ち、知りたいという欲が生まれた。しかし同時に、自分ではイオリの全てを理解することは出来ないと本能的な部分で察し、残念そうに感じる。
「さて、こうなってしまっては致し方ない。私は予定より早めに最上階の《紅玉宮》で君達の訪れを待つとしよう。だが、君達には私の正体を見破った報酬を与えなくてはな。君達の内どちらかに、ここで私と戦うチャンスをあげよう。無論不死属性は解除する。私に勝てばこのゲームをクリアし、全プレイヤーがこの世界からログアウトできる……どうかな?」
まるで餓死寸前の動物の鼻先に餌をぶら下げるかのように、ヒースクリフはそんな全プレイヤーにとって魅力的な提案を二人に与えてきた。
安全性を重視するならば、ここは引くべきだろう。ヒースクリフはゲームマスターであるものの、一人のゲームプレイヤーでもある。自分が言った言葉を無下にすることはない。つまり、キリト達が勝てば本当にSAOは終わり、全プレイヤーを解放してくれるのだろう。
しかし、ヒースクリフの言っていた言葉を信じるならば、彼はSAOの管理者であると同時に最後の敵なのだ。それはつまり、今よりも多くのボスと戦い成長したプレイヤーでなければ戦いにすらならないと断言してもおかしくない。
普通のゲームであっても、それまでのボスを無視してレベル上げも強力な武器も何もかも足りない状態でラスボスに挑んでも勝てるわけがない。もしその条件で勝利を手に入れられたならば、それは余程のプレイスキルと幸運を持っているプレイヤーだけだ。
不可能に等しい勝利条件であり、受けるべきではない。それを理解してなお、ヒースクリフの提案をキリトは無視しきれない。
『私に勝てば、すべてのプレイヤーがログアウトできる』
ここまで来るのに数えられない程の命が消えた。その中には、キリトの目の前で死んだプレイヤーも少なからずいる。きっと、これから先も多くの死がプレイヤー達を襲うだろう。しかし、今この戦いに勝てさえすれば、これから先出るであろう死を防げるのだ。
今まで何度も目にした多くの『死』の光景が走馬灯のようにキリトの脳裏に流れ始める。そして、彼ら彼女らのような人をこれ以上生み出していけないと、ついに覚悟を決めた。
「良いだろう、茅場晶彦。その決闘、受けて「キリト。待ってほしい」――イオリ?」
しかし、それを手で制して止めたのはキリトがアスナと同等の信頼を置くイオリだった。
イオリはキリトに視線を向けず、ヒースクリフを睨むように見つめる。そして一歩前に足を踏み出すと、静かに口を開いた。
「ここは俺に任せてほしい。キリトも分かっているはずだ。ヒースクリフと最も相性が良いのは俺だ。ならば、戦うべきは俺だろう」
「それは……」
それが正論であると理解していたキリトは俯く。相手はこのゲームの全てを知るゲームマスター。当然、全てのスキルが頭に入っているはずだ。そこには、キリトの扱う片手剣スキルも二刀流スキルも含まれる。
つまり、ヒースクリフに勝つ為の最低条件はスキルを使わないこと。ならば、常日頃からソードスキルを使用しないイオリ以上の適任者はこの場にはいない。
むしろ、イオリが勝てなければ誰も勝てないと言っても過言ではない。
それをイオリ自身も理解していたからこそ前に出たのだが、キリトからしてみればイオリは本当に最後の切り札なのだ。出来れば自分が負けてしまった時のために少しでもヒースクリフの戦い方を知って欲しかった。
「案ずることはない。俺は負けないよ。必ず勝って、お前達の元に帰ると約束しよう。故に、ここは俺に剣を振るわせてくれ。頼む、キリト」
「……イオリ」
キリトのそんな心配を察したのだろう。イオリは不安そうな表情を見せるキリトと向かい合うと、迷いのない瞳でそう言って僅かに頭を下げる。
「ダメだ、イオリ。そいつの話に乗るんじゃねぇ!」
「そうよ、イオリ君。勝てるわけないわ!」
イオリと親しい者がそう声をかける。しかし、それでイオリが止まる奴でないというのは、彼と最も親しいキリトが理解していた。ここで、どれだけ言おうともイオリは止まることはないし、無理矢理に止めることも実力的に不可能である。
だからこそ、キリトが今与えるべき言葉は否定ではなく激励だ。
「……それは、剣士としての矜持でもあるのか?」
「ああ、かもしれん。或いは、意地かもな。ここで奴と剣を合わせねば、俺は前へと進めない」
真剣な顔で見つめてくるイオリの心に、ただSAOを終わらせたいという気持ち以外の別の願いが宿っていることをキリトは見抜いた。
しかし、それを口にすることはない。それを口にしたところで、結果が変わらないことはもう分かりきっている。
「……相変わらず頑固な奴だ。好きにしろ。だが、その代わり誓え。必ず生きて戻ってくると。お前にはまだ、生きてやるべきことがある筈だ。違うか?」
「元より、道半ばで斃れるつもりは毛頭ない。俺を信じろ。必ず、生きて戻ってくるよ」
「……ならいい」
キリトはその覚悟を否定することなく背中を押すことに決め、笑顔を浮かべながら己の拳を突き出す。その拳にイオリも自身の拳を合わせると、ヒースクリフに対して再度向かい合った。
そこで、二人の会話に今まで言葉を挟まずに大人しく待っていたヒースクリフがついに口を開いた。
「話は済んだかい。では問おう。私と戦うのはどちらだ」
「――俺だ。アインクラッド最強の剣士、ヒースクリフ。俺は貴殿に真剣勝負の死合いを申し込む」
「ふっ……よかろう」
こうなることが分かっていたかと言うような薄い笑みを浮かべると、ヒースクリフは左手でシステムウィンドウを操作した。直後、ヒースクリフとイオリのHPが全回復する。
「やはり、決闘というからには条件を五分にしなければな。それとも、ハンデが欲しかったかい?」
「いいや、不要だ。真剣勝負と言ったのはこちらだ。これが、お互いにとって最大限の力を振るえる状況であるならば、異論はない」
「なるほど、やはり君は……」
そこで、ヒースクリフは初めてイオリに対してどこか同情するような視線を向ける。今まで見ることのなかったその表情に、イオリとキリトが違和感を抱くも、すぐにヒースクリフの顔は余裕の笑みに切り替わる。
そして、キリトから離れて二人はお互いの得物を構えると、数メートル程距離を空けて向かい合う。
「さて――それでは、改めて名乗りでも上げるかい?」
「いいかもな。大分時代遅れやもしれんが。では……」
二人はこの戦いが一種の儀式であるかのように、名乗りを上げる。
「二天一流、イオリ。ここに最強である貴殿との果たし合いを所望す!」
「いいだろう。神聖剣、ヒースクリフ。その挑戦、受けて立とう!」
高らかに上げたその声と同時に、二人は戦闘体勢へと移る。誰もが息をのみ、音が消える。
「いざ、尋常に――」
「――勝負!」
二人が同時に地を蹴り、相手に向かって剣を繰り出す。イオリの刀とヒースクリフの剣がぶつかり合い、火花が散る。それでも二人の攻撃は止まらず、流れるような連撃が二人の間で交わされる。
しかし、その全てを躱し、防ぎ相手の体へと届くことはない。刀と剣、刀と盾がぶつかり合い激しい光と音を発する。高速で移動しながらの高度な戦闘。それが何十合も続いていく。
それでいて、両者共にソードスキルは放たない。元よりソードスキルを使用しないイオリは兎も角、ヒースクリフが使わない理由は単純だ。
ソードスキルを放てば高い攻撃力を得られるだろうが、その一撃でイオリのHPを全て削りきるのは不可能。最悪、0ダメージで防がれる可能性すらある。そうなった場合、硬直時間で仕留められるのはヒースクリフの方だ。
お互いが一歩も引かない攻防の中、突如イオリはその場の誰もが驚くような行動を取った。
「ッ……! 刀を収めただとっ!」
戦闘中にも関わらず二本の刀を鞘に収めたのだ。敵を前にして刀を収めるイオリの姿は、キリトを含めたプレイヤー達だけでなく、ヒースクリフをも驚かせる。
直後、更なる衝撃がプレイヤー達を襲った。
「――空の型」
小さくイオリがそう呟いた瞬間、イオリの体が掻き消え、目にも止まらぬ程の超連撃がヒースクリフを襲ったのだ。
「なんだよアレ……速すぎる……」
驚愕のあまり漏れ出たキリトの言葉は、その場にいる全ての者の心の声を代弁したと言ってもいい。
元から、イオリの速さはシステムに許されたプレイヤーの移動速度を超えているような気はしていた。スキルなしでソードスキルと同等の速さで動けるのだから、誰も目から見ても異常に映ったことだろう。しかし、それですら遅いと言えてしまう程の超スピードを今のイオリは出していた。
今のイオリはもはやSAOというゲームそのものの限界を超えてしまっている。あまりの速さにゲームの処理速度が追いつかず、残像までもが生まれてしまっているのがその証拠だ。
《空の型》
イオリが扱う四つの型全てをレベルアップさせた上で、同時に扱うことで高レベルかつバランスの取れた居合を特徴とする型。この型はステータスという面においては、キリトとそう大差ないイオリが体の扱い方という一点を極めたことで、瞬間的にとはいえシステムの限界を容易く超える速度を生み出しているのだ。
あまりにも速すぎる動きと連撃に、あのヒースクリフですら攻撃する隙も作れずに防戦一方となる。ただ、まだヒースクリフにはイオリに対抗できる手段は残っている。
《オーバーアシスト》
十分の一秒ほど時間を停止させ、ワンアクションほどをコマ送りのごとき超高速で動くことのできる開発者にのみ許された特権。それを使えば、速すぎるイオリの動きにも追いつけることはできる。
しかし、ヒースクリフはそれを使わない。
決闘を受ける際、イオリはこれを『真剣勝負』と言った。このイオリの速度は、厳しい鍛錬と経験を積んでようやく手に入れたものだ。それに、開発者という権限を利用して追いつこうなどというのは、あまりにも卑怯なやり方だからだ。
もはやそれはヒースクリフのただプライドだ。これほどの剣士相手には、反則的な技を使ってではなく、己の力だけで勝ちたいと望む意地でもある。
故に、ヒースクリフはただひたすらに守り続けた。永遠に続く攻撃などない。いずれはイオリの動きが止まる瞬間が必ず現れる。それはほんの一瞬かもしれない。それでも、その瞬間を見逃さぬため、ヒースクリフは防御に全力を注いだ。
それでも、イオリの超連撃を完全に防ぐのは不可能に等しい。どれほどの防御力があろうと、四方八方から迫りくる連撃を防ぎきるには盾と剣が一つづつでは足りなかった。少しづつ、だが着実にヒースクリフのHPバーは削れていく。
むしろ、ここまで防ぐことが出来ていること自体が異常なのだろう。視界で捉えることを諦め、直感と経験、予測に頼ってイオリの刀を視認するよりも早く防ぐことのできるヒースクリフでなくては、ここまで耐えきることなど出来ていない。
きっと、キリトが同じことをやろうとしても同様のレベルまでには至らないだろう。
そして遂にヒースクリフのHPバーが半分に突入し、初めてイエローに入ったところで、ついにその時は訪れた。
「ここだ!」
一瞬、ほんの一瞬であるが動きを止めたイオリを見逃さなかったヒースクリフは剣を突き出した。すぐに反応して僅かに体を逸らしたイオリだったが、剣を避けるまでには至らず胸に大きな赤いエフェクトの切り傷をつける。それと同時にHPゲージが大きく減少し、イエロー手前まで削れた。
初めて攻撃を当てたことで、ヒースクリフはニヤリと笑みを浮かべる。余裕の笑みではない。内心では冷や汗が凄いことになっている。それでも、初めて攻撃を当てたことに気が緩んだのだ。
だが、彼は一つ大きな勘違いをしている。
イオリが一瞬動きを止めたのは、疲れたからでも、攻撃を中断したからでもない。
「はぁああああ!!」
その瞬間、ヒースクリフはゲームの世界でさえ起こるはずのない現象を目にし、思考すら吹き飛ばされた。
イオリがその手に持つ刀は二本のみ。にも関わらず……ヒースクリフへと迫るのは六つの斬撃。連撃ですらない、完全なる同時攻撃。今までのイオリの異常なスピードを加味したとしても、信じられない光景にヒースクリフは呆然とする他ない。
回避不能、防御不能の六つの斬撃はその全てがヒースクリフの体へと突き刺さり、イエローだったHPバーを一気に削り、その色をなくした。
「――秘剣・燕返し」
イオリは己の奥義の名を呟くと、戦いに勝利したことで緊張感が一気のほぐれ、膝をつく。
「……これは敗け、だな」
そんなイオリに対して、ヒースクリフは未だ立ち続けたまま呟いた。その体は光に包まれ、消滅する前兆なのだとその場にいる全員が理解する。
「安心してくれ。私は通常のプレイヤーよりも消滅が遅いだけで、そう遠くない内に消滅する。この戦いは君の勝ちだ。――見事だ、イオリ。しかし、最後に一つだけ聞いておきたい……」
敗北し、これから先には死が待ち受けているのに、ヒースクリフはこれ以上とない清々しい笑顔を見せていた。それほどまでに、イオリとの戦いは彼にとって満足のいくものだったのだろう。
「SAOは……この世界は……君が満足するものだったかい?」
「それは……」
ヒースクリフの言葉にイオリは言い淀む。その様子を見て、ヒースクリフはイオリの心の底からの望みを理解した。
「ああ。やはりそうなのか……君は生まれる時代を間違えたのだな」
そう言うと、ヒースクリフは先程のように左手でウィンドウを操作しはじめる。イオリは刀に手をかけるも、「安心してくれ。これ以上無駄な足掻きをするつもりはない」というヒースクリフの言葉に刀から手を離す。
今までのヒースクリフの性格から、本当に心配の必要がないと判断したからだ。
それから数秒して、イオリの視界内にとあるウィンドウが出現した。それを確認したイオリは目を丸くし、ヒースクリフを見つめる。その瞳からは『一体何のつもりだ』という怪しむような視線が感じられる。
「
その言葉を最後に、ヒースクリフの体はパリンッという音を立ててポリゴンへと変わった。消滅するヒースクリフをイオリはただ見つめる。
本来ならば、ここでゲームがクリアされたことを伝えるアナウンスが鳴り響き、全プレイヤーが《ログアウト》する……はずだった。
ラスボスであるゲームマスターを倒したのだから、このゲームは終わる。それが本来の道筋だった。ヒースクリフの最後の行動によって
「おい、なんでログアウト出来ないんだよ!」
「おかしいだろ、茅場は死んだんだろ!」
それを知らない攻略組からは動揺の声が漏れる。皆それぞれウィンドウを出現させ、そこにログアウトの項目がないことに焦り、狂乱する。そんな彼らを、イオリはただ冷たい瞳で見つめていた。
ログアウトできない状況にも関わらず、全く焦った様子を見せないイオリに先程のヒースクリフの言葉から、嫌な予感を感じていたキリトが声をかける。
「……イオリ。お前もしかして、ヒースクリフから、
キリトのその言葉にその場にいる全プレイヤーがイオリに視線を向けた。それに対してイオリは何も答えない。ただ、
そう、ヒースクリフはその命の灯が消える直前、自身の持つゲームマスターとしての権限を全てイオリに譲渡したのだ。先程イオリに表示されたウィンドウはそれを知らせるためのものだった。
「やっぱりそうなんだな、イオリ。なら、その権限を使ってSAOを終わらせるんだ。それは今のお前にしかできない」
周囲が驚愕する中、ただ一人キリトだけは冷静にそう告げる。その声は誰がどう聞いても落ち着いているように思えるが、内心は違う。キリトの脳裏には、拭いきれない不安がこびりついていた。
実際、キリトの言葉は正しかった。ゲームマスターとしての権限を持つイオリならば、すぐにでもこのデスゲームを終わらせることができる。ヒースクリフはその選択もアリだと考えた上で、イオリに自身の権限を譲渡したのだ。
「……いや」
しかし、イオリから返ってきたものはキリトの望んでいたものではなかった。
「SAOは、終わらせない」
今まで自分達を苦しめ、多くの人の命を奪い、力のなかった者を無理矢理戦わせたこの最悪のゲーム。それを終わらせる手段がありながら、イオリは拒絶した。
当然、この場にいるキリトを除いた他のプレイヤーはイオリの言葉に衝撃を受け、唖然とする。イオリが言いたいことを理解できる者は、きっとこの場にはキリトしかいない。
「SAOが続くことで大勢の人々が死ぬ……悪しき事、許されぬ事だ、それは解る。だが……これ以上、見て見ぬふりはできない。平穏の世に在って、渇きに渇いた己が内の『剣』を」
全てを裏切る覚悟を決め、固く揺るがない意思を宿し、イオリはその言葉を口にする。
「キリト……俺は――SAOを『災い』として残し続ける」
それは同時に、キリト達との決別を選ぶ宣言でもあった。
「な、何を言ってるの、イオリ君。言ってる事が分からないよ……」
アスナがそんな震えた声を絞りだす。イオリの言葉を信じたくないのだろう。その顔は真っ青に染まっており、目は焦点が合っていない。他のプレイヤーもアスナ程ではないとはいえ、予想外過ぎる言葉に騒然とする。
ただ一人、キリトを除いて。
「……そうか」
「驚かないのか、キリト」
静かに頷いたキリトはイオリに正面から向かい合うように立った。
「驚かないさ。お前はそうするしかないだろうと、分かっていた」
その両手に二本の剣を握りしめて。
向かい合う二人の姿に、周囲は一触即発の気配を感じ、先程のイオリとヒースクリフの決闘の時以上に静まり返る。
「……日向の如く穏やかで、人の道を尊ぶ。余人は、そう云う風に俺を見る。お前もだったな?」
「……」
「もう一度云う。俺は違う。そうではないんだ。人として正しくあろうとは思う。情も、心も、人の世には有益なもの。終生穏やかに、佳く生きるための最善手。まさに呼吸のようなものだ。それは解る。解っている。故にこそ従った。だが……それが目的だったことは一度もない。夢に見た事もない。俺の目的は今も昔も変わらない。変えられない。欲とするものはただ一つ」
頭上を見上げ、今までの己の生き方を振り返るようにイオリは語った。
「――
イオリの言葉が静まった空間に響き渡る。誰もがその信じられないその欲望に、何も言葉を発することができない。それを理解することすらできない。
「だから、キリト。俺はやはり、
それは酷く単純で純粋な感情。この世界の誰よりも強く在りたいという誰もが持ちうるその願望が、イオリは異常な程に大きかった。キリトにも剣で頂点に立ちたいという願望はある。しかしそれは、イオリの『それ』とは比べ物にならない。
「……だから続ける。SAOは、続ける。数多の強者を生み出し、集うための『災い』として。
そう言って、イオリは腰に差した刀を握り、居合の型で構える。それに応えるかのように、キリトも二本の剣をイオリに向けて構える。
それはまさしく、今この時より二人が戦いを始めることを意味していた。《初撃決着》でも《半減決着》でもない。相手の命を奪い合う死合い。それを、友であるイオリとキリトは行おうとしていた。
二人のHPバーはイオリのゲームマスター権限によって全回復されている。もう、イオリは引くつもりはないのだろう。
イオリの方は勿論そうだが、キリトもいつかはこうなることを心のどこかで察していた。一番最初にイオリの戦いを目にしたあの日から。圧倒的な才能に心の底から震えたあの日から。きっと、いつかこの男と本気で戦わねばならない時が来ると、キリトは感じていた。
「……キリト!」
「……イオリ!」
二人はお互いの名を叫ぶと、同時に地を蹴った。イオリの二本の刀とキリトの二本の剣が衝突し、鍔迫り合いが発生する。両者が叫び声を上げ、火花が散り、その力は拮抗し続ける。
力では互角だと悟った二人は、すぐさま互いに距離を取り、再度衝突する。超至近距離で高速の打ち合いが始まった。攻めて、いなされ、躱される。攻められ、いなし、躱す。二人の戦いはどんどん過激化していき、加速する。
そんな剣戟の中、二人はただ、相手の事を想っていた。
(やはりお前は、輝いている――)
(俺はお前を、憐れまない――)
極限の戦いの中、加速した思考でイオリとキリトは剣を通して繋がっていた。相手の言葉が口にせずとも剣を通して伝わっているかのように、お互いがお互いの心の声を聞いていた。
(その願いを、叶えてやれたらどれほど良いか)
(その願いを、捨ててくれればどれほど良いか)
その心の声に呼応していくかのように、更に二人の剣は加速する。その速さは、もはや他のプレイヤーには僅かにしか視認できていない。
(だが――)
(俺達の願いは、未来永劫交わることはない)
(お前に、出逢ってしまった)
(俺は、俺のすべき事を捨てられない。俺は、俺に後を託した多くの命に誓って、SAOを終わらせる)
(乱世なき世であるのに……俺は、剣の頂へ至る道を、再び望んだのだ)
ヒースクリフすら圧倒する剣技を得たイオリに呼応するように急成長するキリトは、もはやイオリの空の型の速度にまで追いつけるようになっていた。それは、
(だから、お前の友として)
(すなわち、ただ剣の鬼として)
イオリという例外が現れたことと、そのイオリが新たなゲームマスターとなったことでSAOは
その結果、全てのプレイヤーに限界を超える可能性が生まれたのだ。しかし、実際にそこに至れる者はその唯一の例外であるイオリを最も知り、こうして剣を合わせたキリトだけだろう。
(――お前を斬る、ただお前自身のために)
(――お前を斬るより、もはや道はなし)
互いの覚悟を理解した両者は、更に剣の過激さを増していく。数十秒前に比べて異常な急成長を見せるキリトだったが、成長するのはキリトだけではない。イオリもキリトの剣の動きを観察し、自分の欠点を理解することで、打合う度に成長していく。
もはや、この戦いは当事者である二人にしか理解できない。
外から見守る者ができるのは、少しずつ減っていく両者のHPバーをただ見つめることだけ。
「やめて……もうやめてよ!!」
アスナが大粒の涙を流しながら、そう訴えるも、その声が二人に届くことはない。いや、届いているが、それでも二人に止まるつもりがないのだ。これはもはや、どちらかが斃れるまで終わらない戦い。それをキリトとイオリは理解しているからこそ、アスナの声を聞き入れることはない。
その事実にアスナは地面に手を着き、震えた声でただ涙で地面を濡らし続ける。キリトとイオリが友としてどれほどの信頼関係を築いてきたか、それを一番近くで見てきたアスナだからこそ、二人が争っていることに耐えられなかった。
アスナの叫びも虚しく、戦いは更に苛烈さを増していく。お互いの集中力も切れてきたのか、それとも更に二人が成長したのか、HPバーも始めより大きく削れ、遂にイエローゾーンに突入していた。
(……この程度か、キリト。違うだろう! もっと、俺に見せろ――!)
戦況を有利に進めていたのは、イオリの方だった。キリトも信じられない成長速度を見せてはいるが、それでもイオリのあらゆる状況に対応した剣術とギリギリ反応するので精一杯だった速度にキリトは間違いなく追い詰められていた。
「どうした!
「……言われなくても、見せてやるよ!」
イオリの刀とキリトの剣がぶつかり、再度鍔迫り合いの体勢となるとイオリは叫んだ。その直後、数メートルの距離を取ったキリトはとある動作を取ると、その両手剣にペールブルーの閃光を纏わせる。それは、ソードスキルを発生させたエフェクトだった。
「来るか!」
それを視界に入れたイオリはついに来たかと、瞼を閉じ、今までキリトがその技を使った光景を脳裏に思い浮かべる。
二刀流上位剣技――《スターバースト・ストリーム》。
今まで、キリトが二度だけ使用してみせた二刀流スキル。連撃数こそ、二刀流最上位剣技の《ジ・イクリプス》の24連撃には大きく劣る16連撃だが、その使い勝手の良さからキリトが奥の手として使うスキルだ。
高速で放たれるその連撃は一度でも当たれば、二撃、三撃と次々と襲い来る剣の回避は困難となる。しかし、その分大きな弱点が存在する。その一つに、初撃が他のソードスキルと比べて遅いというものがある。
遅いと言っても、一秒に満たない誤差のようなものであるが、その僅かな差であっても、イオリの速さがあれば十分に割りこめる。
イメージを済ませたイオリは目を見開き、突進するキリトの一撃目が襲いくる前に懐に潜りこむ。そして、自身の最大の技を叩き込んだ。
「ここ!」
《秘剣・燕返し》
ヒースクリフにとどめを刺したイオリの秘剣。あまりの速さから限定的にシステムのバグすら引き起こし、二つの剣に対して六つの異なる剣筋を僅かな時間差もなく、完全に同一のタイミングで放つ不可避の剣技。
六方向からの斬撃がキリトを襲う。ソードスキルを発動し、隙だらけのキリトではこれを避けることはできない。
しかし、イオリは一つ大きな間違いをしていた。
確かにソードスキルは発動したが、それは
キリトは右手で握った剣を左下から切り上げ、六つの斬撃の内一つにぶつけた。その次の瞬間……
イオリの左手に持つ刀が折れ、消失した。
それは特段不思議な現象でもない。スカルリーパー、ヒースクリフ、そしてキリト。これほどの強敵との三連戦を刀の手入れもせずに流れるように行ったのだ。
イオリはよくても、イオリの刀が保たなかった。むしろ、よくこれほどまで保てたものだ。多少は良い素材を使っているとはいえ、イオリの刀はキリトの剣のように高い耐久値を誇るわけではない。
それを分かっていたからこそ、真正面からではイオリに敵わないと悟ったキリトは、敢えて刀に対してソードスキルを放つことで、残り僅かであったイオリの刀の耐久値を削りきったのだ。
そして、その刀の消失と同時に、キリトから見て右側から迫って来ていた三つの斬撃が消滅する。
同時に六つの斬撃を放つイオリの燕返しだが、それを生み出しているのはイオリの持つ二本の刀である。斬撃を同時同撃に放つ技であっても、その刃が消えてしまえば当然のように斬撃も消滅する。
それでも、まだ斬撃は半分残っている。しかし、イオリの秘剣は六つの同時攻撃によって相手の回避ルートを全て潰す技。それはつまり、逆説的に考えれば一つでも斬撃に穴が開けば、回避は不可能ではないということ。それが半分も消えれば、今のキリトであれば余裕で回避できる。
ソードスキルを発動させたまま、イオリの左手側に回り込むようにして斬撃を回避したキリトはイオリに向かって左手に握った剣を突き出した。
そこで初めて、イオリは自分の判断ミスを理解した。
キリトが発動したソードスキルはスターバースト・ストリームではない。同じ二刀流スキルではあるものの、それは連撃数では大きく劣るが、初撃が他の二刀流スキルに比べて早い《ダブルサーキュラー》であった。
燕返しの動作を中断できなかったことと、左手に持っていた刀が消失したことで、イオリはその攻撃を回避することができず、そのまま突き出せれたキリトの剣に胸を貫かれた。既にイエローゾーンにまで突入していたイオリのHPバーはみるみるうちに削れていき、レッドゾーンに突入してそのまま色をなくす。
「――なぜ」
先程のヒースクリフ同様にイオリの体を光が包みこむ。身体も半透明になり、残った刀を握る手の力も緩め、カランッと地面に刀を落とした。自分の負けであることは解った。それでも、イオリはその疑問を感じずにはいられない。
あの場、あの状況で、キリトがスターバースト・ストリーム以外のソードスキルを使うなどとは考えもしなかったからだ。
「――お前の言う通り。勝つ為に、
その答えは今までイオリがやってきたことだった。キリトは敵ではなく、友としてイオリのことを想い。あの状況でイオリがどう行動するかを考えたのだ。それは、敵同士の間柄では絶対にできない勝ち方。最後までイオリの友として戦ったキリトだからこそ引き寄せられた勝利。
「ああ……それは、勝てないな」
それを理解し、イオリはキリトに勝てない理由を悟った。剣だけでなく、心の方でもイオリは敗けたのだ。
全身から力が抜け、キリトにもたれかかるように倒れる。
「生まれる時代を、間違えた」
呪いの言葉かのようにそう呟いてから、イオリは語り始める。
「己の我を殺し、欲を殺し、太平の世の空気を拒んだ。それこそ、息をしない屍のように。剣の道は、潰えていたんだ。だが、剣として、お前に打ち壊された。まさに望んだ通りの人生だ」
勝負に負け、命はそう遠くない内に尽きる。それでも、イオリの顔には曇りが晴れたかのような笑みが浮かんでいた。
「――長い、夢のようだったが」
「イオリ……」
「あの日……この世界の死が現実のものへと変わったあの日から、ずっと続く……月に焦がれるような夢だった」
剣に生き、剣に死ぬことにイオリは躊躇いがなかった。それでも、数ある『死』の中で自分が最も恵まれた最期を得られたことに喜び、満足した。
「――なんだ。剣であっても、これ以上はない……友に、恵まれることがあるじゃないか」
絞り出すように、イオリがそう最期の言葉を吐くと、イオリの体を先程以上眩い光が包み込み、その体をポリゴンへと変えた。
「アインクラッド標準時11月7日15時15分、ゲームはクリアされました。繰り返します、ゲームはクリアされました。現在をもちまして、全てのデータは固定されます。プレイヤーのログアウトを開始します」
同時にアインクラッド中にアナウンスが流れる。何度も何度も繰り返し、ゲームがクリアされたことを告げるそのアナウンスは響き続けていた。
(本来なら、俺が――ヒースクリフと戦って勝利する"もしも"も、あったんだろう。でも、これでいい。かけがえのない大切なものを手に入れた。これ以上は望めない――イオリ。俺は、お前こそが、きっと……)
既に消滅した友に向かって、キリトは心の中で言葉を残す。楽観的なIFに想いを寄せる必要はない。どれだけ願っても、どれだけ望んでも失ったものは帰ってこない。それは、嫌という程この世界で教えられてきた。
だからこそ、忘れてはいけない。
そういう男がいたことを。剣の為だけに生き剣に斃れた最高の友が己にはいたのだと。キリトは自身の心にイオリの存在を刻み付けるように、そう自身に言い聞かせ……この世界から、去っていった。
一人の……現代に生きる侍がいた。
彼は、求めるものが人の道であったならば、必ずや幸福に生きられたただろう。仲睦まじい家族と暮らし、多くの出会いに恵まれ、親しき友と苦難を乗り越え、愛する者と最期まで生き続けられたに違いない。
しかし彼は、剣の道を求めた事で全てを捨てた。
平和な現代において、どれほど剣の道を極めようとも、意味はない。これから先に戦はなく、人の道しか残されていない。争いの時代は終わったのだから。
それを分かっていながら、彼は剣の道を選んだ。誰にも理解されないことを承知の上で、この先に幸福がないと承知の上で。己の願望を殺し続けながらも、心の奥底ではひたすらに剣の渇きを潤す戦いを望み続けた。
運が悪かったのは、その機会を得てしまったことだろう。
数々の強者と巡り合ってしまった。命を賭けた死合いの味を知ってしまった。それが、彼が押し殺していた願望が再び現れるきっかけとなった。
剣として生きる彼を止められる者はいない。かけがえのない友ですら、彼にとっては倒すべき敵となる。
そんな彼の最期の相手が、悪意を向ける敵ではなく信頼する友であったことは、幸運だっただろう。剣の道を求めるために全てを捨てた彼が、最期の一瞬だけ、失ったものの大切さに気付くことができたのだから。
だからこそ、彼は満たされた。
剣の道に生きるという願いはこの上ない形で叶ったのだ。一切の迷いなく、望んだ通りの人生を駆け抜けた。それが、他者の共感を得られるものでないとしても、彼は自信を持って己の生涯を誇ることができる。
彼の話は、後に出版される《SAO事件記録全集》にも語られている。
『変幻自在の剣』『居合の達人』『生まれる時代を間違えた侍』様々な書かれ方をしているが、最も彼に相応しい二つ名として、多くの人は彼をこう呼んだ。
――剣鬼。
……もしも。
もしも、仮に、
願いを叶えて生涯を終えたはずの彼に、他の願いが宿るとしたら。
それは、きっと――今度こそ、友の願いが叶うことを望むだろう。
だって、
月に焦がれるような夢は――たった一度で良いのだから。