「……この作品、悪くないかもね」
春は始まりの季節、と誰かが言っていた気がする。新たな出会いに溢れているこの季節が、あたしは好きだ。
父さんに誘われて出かけた展示会も、新たな出会いに満ち溢れている。いろんな感性によって生けられた作品は、いつだって新鮮な刺激を受けられる。
この作品、もう少し近くで見たいかも。あたしはそう思って作品の方へと近づく。その時、誰かとドン、と肩が触れ合った。
あたしは咄嗟にぶつかった相手に謝ったが、どうやら相手側はひどく気が動転しているようだった。大丈夫ですか、と声をかけても反応はなく、ただぶつぶつと何か独り言を呟くばかり。
「ああ……私としたことが、なんたることだ……意図せず女性に触れてしまうだなんて、風紀のふの字もない……私は、一体、どうすれば……いや、悩んでいる暇はないのです。私は、青柳承知は、常に正しく有る必要がある」
「は?」
「責任を取ります」
「は?」
「名前も知らぬままこのようなことを申し上げることをお許しください。そちらの黒髪のお嬢さん、私と結婚しましょう」
「はぁ!?!?!?」
そう。春は出会いの季節だ。だけど、その出会いは決して全てが良いものとは限らないらしい。
〜
「蘭さん、朝から風紀が乱れていますよ」
「そう」
「そう、じゃなくて。赤メッシュなんていけませんよね? 蘭さん。いいですか? 日本人女性の髪の毛は生まれたままの色が一番美しいとされているのです。その風紀を乱す野蛮な赤色はなんなんですか? 蘭さんは、本当の美しさをご存知でない?」
「少なくとも承知さんよりは知ってると思うけど。このメッシュ、あたしのアイデンティティだから悪く言うのやめてくれる?」
それからというもの、この謎の求婚者である
いつも風紀、風紀とよくわからないことを口にして、承知さんが思う風紀を崩すような言動をしたらその首にかけている笛を鳴らされ注意される。そんな毎日だ。
彼の暴走具合にはあたしもだいぶうんざりしていて、今になっては適当にあしらうようになった。まともに付き合ってたら、絶対精神持たないし。
「えっ何はさみ!? なんではさみ持って近づいて来るの!?」
「風紀を乱すその赤い染髪を切ろうと思って……」
「えっ無理無理怖すぎ! いくらメッシュが気に入らないからってハサミで切ろうとすることある!? 承知さん、正気!?」
「ええ、承知はいつでも正気ですよ」
なぜか髪切りハサミを持ってきた承知さんは、無理やりあたしのメッシュを切ろうとしてくる。
あたしは必死に抵抗するが、承知さんは本気であたしのメッシュを切ろうとして来る。資格を持たない人間が無断で他人の髪を切ろうとするリスクも考えないで髪を切ってこようとするの、本当に頭がおかしいと思う。いや、肩が触れ合っただけで求婚して来る時点で察せばよかったんだけど。
「あのさ、本当にやめてくれる? 人のメッシュにケチつけた挙句ハサミ向けるとか人間のやることじゃないよね。どうかしてると思うんだけど」
「ppppppppp! 婚約者に向かってそのような刺々しい言葉遣いはいけません。蘭さんがそんな品のない言葉遣いをするなんて、承知お兄さんは悲しいです……」
「いや、あたし何も悪くないでしょ。てか、そもそも承知さんと婚約した記憶一切ないんだけど?」
だいたいそうだ。あたしは、この承知さんの身勝手な求婚に返事などしたことは一切ない。それなのに、承知さんは勝手に婚約者ヅラをして風紀を正してくる。
これには流石のあたしもノイローゼになるっていうか、そもそも赤の他人に風紀を求めるのとかおかしいし。承知さんは別に学生なわけでも風紀委員なわけでもないのに、どうしてそこまで風紀にこだわるんだろう。
「け、喧嘩はだめだよ! 蘭ちゃん、承知お兄さん……! ほら、お互い熱くならずに平和に話し合おう?」
「つぐみ……」
「つぐみさん……」
このままヒートアップしていくあたしと承知さんを止めたのは、つぐみだった。つぐみは、あたしたちが争った時いつも間に入って止めてくれる。本当に申し訳ないっていうか……いつもごめん。
でも、あたし何も悪くないよね。あっちが過干渉なだけだよね。まあ、それを言ったら争いの火種になりそうだから、もう言わないけど。まともに相手したほうが疲れるの、どうにかしてるよ。
つぐみが承知さんを宥めている間、モカとひまりは呆れたようにこう口にした。
「蘭〜、今時自転車をヘルメット付きで運転する人とか絶対ヤバいよ〜。モカちゃん、蘭が心配だよ〜……」
「うんうん、それにいつも鳴らしてるあの笛もどうしようもないくらいダサいもん! あまりにもセンスなさすぎっていうか……」
「ダサくねーし!」
「あっ聞こえてたんだ……」
やっぱ、ダサいよね。モカとひまりも、そう思ってるよね。本人は否定してるみたいだけど。
そんなあたしたちを見て、承知さんはまた大きくため息をつく。多分この調子だと、また文句を言って来るんだろうな。
「全く、なんですか皆さん。この風紀を乱すことしかしない身なり、言葉遣い、全くもって蘭さんのご友人としてふさわしくない」
「モカちゃんはかわいいのでセーフで〜す」
「そんなわけないでしょう! なんですかそのパンの量! このままじゃ太ってしまいますよ! いいのですか!?」
「モカちゃんの胃の中はブラックホールなので大丈夫で〜す」
あー、承知さん、モカにだけはなぜか弱いんだよね。めちゃくちゃ悔しそうに唇噛んでるけど。めちゃくちゃ悔しそうにハンカチ噛んでるけど。
まあ、確かにモカはこういうタイプの人を上手にコントロールしやすそうな気がする。なんていうか、承知さん、無駄に真っ直ぐなところあるし。
「ひまりさん、そのスイーツはなんですか? もうそろそろ、晩御飯の時間ですよね? 間食はいけませんよ?」
「いやでもモカも食べてたし……ちょっとぐらいいかなー、って思って……」
「いいえダメです。こんな時間に食べたら太ってしまいますねそれどころか夜ご飯が入らなくなってしまいますねいけませんねこれは承知お兄さんが預かっておきます」
「えっ……」
「ああ、素晴らしいですよひまりさん。風紀をちゃんと守れています。えらいえらい」
な、納得いかないよ〜! とひまりは嘆くが、まあこうなった承知さんがスイーツを返してくれることはないだろう。多分返してくれるとしても、夕ご飯の後カピカピになったスイーツを返されるだけだ。
ああ、承知さん、さっきとは打って変わって晴れやかな表情してるな。多分この調子だと、いつもの「アレ」が来るだろう。
「風紀 is All Green.」
意味がわからないワードを口にした挙句絶妙にフニャフニャする、謎の現象。あたしは承知さんのこれがいつまで経っても理解できない。
これには、他のみんなも反応に困ってるっていうか。ほんとごめん。
「ああ、いつものだ……」
「今日もフニャフニャしてますな〜」
「相変わらずキモ……」
「キモくねーし!」
てか承知さん、怒る時は死ぬほど子供っぽいのなんなんだろう。なんて言えばいいのかな、融通は効かないし頭は固いし、それなのに変に純粋だから、どう扱っていいのかたまに悩むんだよね。
でも、それとこれは別。流石に干渉しすぎるのは人としてどうかと思うし、いい加減それに気づいてもらうべきだと思う。
「てか、さっきひまりのスイーツ奪ったでしょ。あれ、普通にありえないからね普通に。他人に干渉するのいい加減やめなよ。みっともないよ」
「モカちゃんも、さんせ〜。いくら風紀のためとはいえ、人のものを取るのは流石にダメですな〜」
「うんうん、ありがと二人とも〜! ってことで……返してもらっても……?」
あたしたちは、三人がかりで承知さんを諭す。承知さんは、俯いたまま何も話さない。
少しの時間落ち込んだ後、承知さんは申し訳なさそうな顔であたしたちを見る。ああ、ようやくわかってくれたんだ。
「すみません、蘭さん、青葉さん、上原さん。私が間違っていたようです」
「……別に、分かればいいから」
「なので……私は自分に嘘をつかないことにします」
「……は?」
「優しく言ってりゃ調子乗りやがってこの愚民どもが! そんなに他人の厚意をコケにするのが楽しいか!? そんな奴ら、全員風紀の名の下に粛清してやる!」
「だ、だめだよ承知さん! 相手は女の子だから、落ち着いて……!」
「おっとすみません羽沢さん。羽沢さんは、風紀のあるべき姿を体現した正しきお方です。どうぞお通りください」
「そ、そうじゃなくて……! 承知さん、暴力はダメー!」
暴れる承知さん、それを抑えるつぐみ。逃げ回るあたしたち。この場はたちまちカオスになった。
本当になんなんだろ、この人。なんなんだろ、この性格。なんであたし、この人に付き纏われてるんだろう。気が遠くなっていく。
そこに、巴がやってくる。巴もつぐみと一緒に怒り狂う承知さんを落ち着かせてくれて、あたしたちは一命を取り留めた。
「よし、承知さんの怒りも落ち着いたことだし! 喧嘩なんかするぐらいなら、ここはパーっとみんなで仲良くラーメンでも食べに行こうぜ?」
「ラーメン!?!?!?あんなカロリーの塊のような食事を!?!?!?そんなの、風紀が乱れています。乱れすぎています! 宇田川さん、ラーメンという食事を食べるだけで寿命が五十年縮む可能性があることをご存知で!? そんなものを蘭さんに食べさせて、本当に良いのですね!?」
「あ、あはは……そうっすね……大変っすね……」
「宇田川さん、あなたはダメです。これじゃあ不健康山カロリーマシマシ子です!」
不健康山カロリーマシマシ子……不健康山、カロリーマシマシ子か……なんだろう、本当にこの人は全てのセンスが等しくダサいっていうか……いや、今はそんなこといいか。
とりあえず、この人をどこかに追いやってからあたしもラーメンを食べに行こう。そう決めたあたしは巴にそのことを伝えて、承知さんと二人で歩く。
「ところで承知さん、あたしと本気で結婚する気なの」
……それは、ずっと気になっていたことを、改めてこの場で聞くための口実でもあったんだけど。
承知さんは、嘘をつかないタイプだ。いや、厳密に言うと嘘をつけないタイプだ。でもまあ、たとえその言葉に偽りはないとしても、きっとそこまでの覚悟は決めていないと思う。
そうであることを、あたしは願いたかった。
「ええ、本気ですよ。この前はお父様の元にはもう伺いましたからね」
「は?」
「お父様、快く承知の存在を承知してくださいました。やはり、蘭さんを今まで育てたお方だ、どこまでも正しさに満ちたお方ですね……」
「あのさ、本当にやめて。マジでやめて。承知さんは無意識にやってるんだろうけどだからこそ無意識に外堀埋めてくのやめて」
「正しいことが正しく行われる。それこそ、社会の本当に有るべき姿ですからね」
「いやそうじゃなくて」
何もかもが信じられなかった。あたしの頭は、だんだんとホワイトアウトしていく。そんなあたしに構うこともなく、承知さんは橋の上から、大きな声でこう叫ぶ。
「正しいこと、最高〜〜〜〜〜!!!!!」