時が経つのは早いものですね。
リンバスの小説が読みたいなあ。ムルソー、記念に一本書ける?
「できる」
そんな感じのテンションで書きました。
一応、ネタバレのような所もあるかもしれませんので注意してください。
「……」
何か妙だな、と呟いたつもりだった。
口から言葉が出る代わりに、チクタク音が頭から鳴る。こんな変な身体になってしまったと自覚してから随分経ったけれど、まだ慣れない。起きたばかりは特に。
服を着替え、自室から出て……そこで、何とも言えない違和感を覚えた。周りを見渡しても特におかしいところはないのだけれど、間違えて普段使う道とは別の道を進んでしまったような、何かをしてしまった気がする。
この胸騒ぎに気が付けたのは、これと似たような感覚を過去に感じたことがあったからかもしれない。ただ、肝心のそれがいつ、何のときだったかは思い出せないけれど。
辺りを見渡して、廊下を歩く足を止めてみる。
ついでに腰と顎 (の位置) に手を当て、頭を捻ってみるけど……。
「(うーん、何も分からない)」
ドンキホーテが以前 (と言っても一月ほど前だけど) のように、立ち入り禁止の廊下奥にある扉へと入ってしまった可能性がまず思い浮かんだ。
けれど、それは誤りみたいだね。扉は誰の侵入も拒むかのように固く閉まっていて、異常は無いように見えるから。
どうやら残念だけど、今はこの違和感の原因を分からないままにするしかないようだった。
私は踵を返し、皆がいるはずの座席の方へと向かう。この時間ならもう囚人の中でも数人程は起きていて、集まっているはずだ。案の定、扉を開いてみれば思った通り何人かの後ろ姿が見える。それにちょうど都合が良い事に、今の悩みについて何らかの知識を持っていそうな人物が通路の中央に立っていた。
「(やぁ、イサン。おはよ─────)」
私がその肩に手を乗せようとして止まったのは、その人が自分の知っている人ではないことに気がついたから。
上半身を逸らして振り向いたその人の顔を見る。イサンによく似ているとは思う。黒い瞳に隈、それに対称的とすら思わせる病的なまでに白い肌。
でも肩まで伸ばした黒髪や長い睫毛、何より少し膨らんだ胸。確かに男性の囚人の中では比較的線が細い方ではあったけど、流石にこれほどではなかった。この人は完全に
「(ごめん、人違いだった……いや、というかなんで知らない人がメフィストフェレスに乗っているんだろう?)」
剣契の時 (こちらは、記憶にも新しい)
そして不思議な事に、この人の服装はアフターチームの人やLCCBの人の格好とは違い、見慣れた囚人の格好をしていた。しかもそこそこ着慣れているように見える。
少なくとも、無関係の人物が勝手に乗り込んできたという線は無いと言っていいだろうね……運悪く乗り込んできた敵に鉢合わせた、なんて最悪の展開じゃないみたいでほっとした。
で、この目の前の女性についてだけど、もしかしてイサンにそっくりだしイサンの親戚かな?と思った私へ、彼女は小さく首を傾げて口を開いた。
「
「(……あれ?もしかして私の言葉が聴こえてる?)」
「
「(もしかして、イサン?)」
「仮にイサンなる者が二人居たとて
この目の前の女性は自らの事をイサンと名乗った……私の声は囚人以外には時計がチクタク鳴っている音にしか聞こえないらしいけれど、この人には私の言葉がちゃんと通じているし、信じ難いけど間違いないんだろう。きっと。
戦う立場とは思えないほど細い腕が少しだけ遠慮気味に私の頭を撫でる。なんというか、儚げな女科学者って感じだ。いや、触り方から親愛とかそういうのではないのは分かるけど、私が知っているイサンよりも遠慮が無くない?
取り敢えず何か学者らしい知識探求心に動かされた様子のイサンを離れさせて、他の囚人を探そうと視線を動かす。何が起きているんだろう、それともこれも鏡の可能性の1つなのかな?
いや、こういう場合は私があれこれ考えるよりもファウストに聞いた方が上手く進むこともあるんだよね。幸い、ファウストも朝が早い方だから普段通りなら起きているはず。
ほら、見慣れたセーターと銀髪が見えた。うーん、肩幅がいつもよりがっちりしている気がする。完全に男の人だ。正直、そんな気はしてたけど……銀髪が振り向き、こちらに向ける顔は中性よりだけど非常に整っている。
「おはようございます、ダンテ。前回の出社時間よりも30分ほど早い時間帯ですね。どうやら何かご相談事があるようですが、ファウストは今から珈琲を片付けます。ですので、しばらく思考を整理してお待ちください」
「(……分かった)」
男のファウストの声はとてつもないバリトンボイスで、それなのに容姿は微妙に面影があるものだから、ショックといたたまれなさで脱力してしまった。とはいえこの後の事を考えたら、もうどうにでもなれと余裕が出来たことが幸いだったかもしれないね。
ヴェルギリウスは探すのが怖かったから考えないことにした。どうせカロンが起きてくるまではこっちにもこないだろうし。
○
「……なるほど、つまり今のダンテには私たちの性別が逆だった世界の記憶があると」
「(そういうことだね。私の知るイサンは男性だったはずだし、ファウストも女性だったよ。ドンキホーテも女の人だったね)」
「
「おおお……なんという面白不可思議な……!!管理人殿はやはり不思議な人でありまする!もしや鏡で見た、別の可能性ということは考えられませぬか!?」
この目の前に居る金髪の元気な
こっちの世界のドンキホーテはなんというか、常に全力で振られている尻尾を幻視するような、元気いっぱいの子犬を思わせる感じの美少年だった。三つ編みを流し、髪止めを付けているのはオシャレっぽいけど、よく見るとその髪留めには何らかの絵が書いてあって、格好良さよりも幼さを強く感じる。間違いなく、フィクサー関連のグッズなんだろうね。
とはいえ
そしてファウストはというと、これも目が覚めるような美形の
「ごほん。確かに、鏡はファウストにとっても未だ知らない要素を秘めており、そういったことが出来る可能性があるのは事実です。ですがファウストはその可能性を三つの点から消極的に否定します。まず一つ、ダンテの記憶がその別の世界の観測から得たものとする場合、この世界における以前の記憶と同期していない点。次に、このメフィストフェレスの中で管理・使用している鏡を確認しましたが、何らかの例外的反応が起きていない点。そして最後に、私たちは鏡の影響を受けておらず、ダンテだけにその現象が発生しているという、あまりにも限定的である点。以上の三つより、ファウストは今回のケースに鏡技術は影響していないのではないかと結論付けます」
「(うーん。それじゃ、ファウストは何が原因だと思う?)」
「……さぁですね。ファウストが学習や実体験を積み重ねたことで今のファウストの知識があります。今回も例に外れません」
「つまり、ファウスト殿でもよく分からないということでありますな!……あっ痛ぁぁああっ!!と、当人は何か失言を痛ったあああ!!」
流石に気を悪くしたのか、ファウストの手がドンキホーテの頭の上に被さり、ごりごりと音が聞こえそうなほど強い力で握った。うわあ、痛そう。しかもドンキホーテが動けないようにもう一つの手できっちりと右肩を抑えているし。
随分と暴力的な手に出るなと思ったけど、これはこちらのファウストのコミュニケーションの一つなのかな。イサンもいつものことだと言わんばかりに止める素振りを見せないし、こちたの世界では普段からよくある事なのかもね。
そしてこれだけ騒がしくしていれば当然、他の囚人たちも気が付くだろう。
扉から出てきたのは……凄く目立つ二人組。
かなり筋肉質でそこそこ高身長な
で、もう一人の方は……ピッチリとスーツを着こなした
「あ・ざ」
「疑問。騒がしいが、何かあったのだろうか」
「うむ。ダンテが
「なるほど、状況は理解した。それで管理人様、それ以外にお身体の不調は?」
「(いや、特にはないかな。それで貴女は……ムルソーだよね?それで隣の男性が良秀?)」
「管理人様にとっては"この世界の"という言葉が付くでしょうが、肯定します。必要であれば他の囚人の招集を行いますが」
「(大丈夫、少しすれば皆も来るだろうしね。それより皆から見た私の姿は特に変わらないのかな?)」
「こ・じ・み」
「変化があるか詳しく調べるにはそれなりの器具が必要ですが、ファウストにはダンテの姿が変わったようには見えていません。つまり、明確な外見的変化は生じていないかと」
「管理人殿!一つお聞きしたいのだが、管理人は、もしや女性の当人と会っていたということでありましょうか……!?」
ファウストの折檻から開放されたのか、ドンキホーテが私の前へ飛び出すように聞いてきた。まだちょっと頭の痛みがあるのか、目の端を少し潤ませているね。
確かに別世界の囚人自体は鏡で何度も何度も何度も何度も
「(うん。でも私の知っているのドンキホーテも同じように……うん、賑やかな子かな。あ、フィクサーが好きなのも一緒だったね)」
「あちらの私もフィクサーが好きなのでありまするか!ふおおお!ぜひ!会って語り合ってみたいであります!!」
「
「あは、皆さん面白い話をしてますね〜。性別がどうとか、別の自分とか。路地裏で流行りの占いとかだったりするんですか?」
「(うわっ!?)」
気が付いたら隣にホンルが居た。本当にいつから居たのか分からないけど、その黒と水色と瞳を細めて此方を僅かに見上げていた。意外なことに、ホンルの変化は体格がかなり小さくなったこと以外ほとんど無かった。筋肉が減ったから身長以上に小さく見えているのかな?他の部分に関しては元々中性的な容姿だったから、そう見えるだけかもしれないね。
あ、でもなんとなく、お人形や
「わ〜、どうしたんですかダンテさん。まるで僕に初めて会ったみたいな反応をして。別の僕にでも会いましたか〜?」
「(……なんというか、上から聞こえてくると無意識に思い込んでいた声が、突然下から聞こえてきたから意表を突かれたんだよ)」
「今の管理人様は我々の性別が逆になった、別の世界の記憶があるらしい。そこでは、ホンルの姿は身長の非常に高い男性の姿だった……と管理人様の発言より推測できる」
「(おお……うん、そういうことなんだ。ありがとうムルソー)」
「ああ、それは災難ですね~。たしか、実家のお祖母様の術に似たようなのがあった気がします。性別を変えるだけだったと思いますけど、それだけでも違和感って大きいんですよね。ダンテさんも慣れるまで大変だと思いますけど、頑張ってくださいね」
「(確かに、もう慣れる努力を始めるべきかなぁ)」
ファウストとイサンの方を見れば、まだ何か掴めるほどには分かっていないと言うように、首を横に傾げていた。良秀は興味がもう無いのか、刀を隣の席に置くと頬杖をして目を瞑り出したね。
「(取り敢えず時計を回せるのか、あと人格を制御できるかだけ確認したいんだけど……何人か採光に付き合って貰っていいかな?)」
「承知しました管理人!このドンキホーテ、悪と戦う支度は出来ておりまする!」
「いえ、お言葉ですがダンテ。今はその必要が無いかと思います。というのもメフィストフェレスの燃料が僅かなので──」
バン!と、勢い強く、いや、もはや叩き付けられるように開かれた扉から鳴った音のせいで、残念ながらファウストが何を言ったのか、上手く聞き取ることが出来なかった。
誰が入ってきたんだろう?と思ったけれど、私の頭の中には既に一人の囚人の顔が浮かびあがっている。
「クソがっ!朝から煩せぇんだよ!睡眠すら心置きなく貰えねえのか、この会社は!!」
「はあ。貴女の声が一番煩いのには気が付いていないんですかね?まあ、頭が空っぽなので、自分の声も左から右に抜けている可能性が高い気がしますけど」
予想通りと言うべきか、或いは予想外なのか。視線をそちらに向けると立っていたのは濃い茶髪の
あれはヒースクリフとイシュメールで間違いなさそうだね。ここまで来たら、多分囚人は全員私の知っている性別と逆なんじゃないかな?
二人のうち僅かに身長が高い方、ヒースクリフは何に対しても噛み付き、誰も信用しない一匹狼のような雰囲気を感じるね。見るからに荒々しくて、周囲との協調を唾棄して反発して……もしかしたら男性のヒースクリフよりも尖っているのかもしれない。その差が経験なのか、或いは別の要素によるものなのかは分からないけれど。
それから元が高かったか、身長が随分と縮んだような気がするね。
そして身長が低い方、イシュメールはあの自我心道となっていた鯨の体内で見た、船の上に居た時のイシュメールみたいな感じだ。
特徴的だった夕焼けみたいな長い髪はこちらだとショートくらいに切り揃えられていて、どうやら海から戻ったあとも伸ばそうとしなかったみたい。今の姿だとインテリらしい……というか、身体よりも頭を動かすことを好むような人物に見えるね。あ、こっちはほとんど身長は変わってないんじゃないかな。
二人の言葉には棘があって、少し険悪な雰囲気があった。でも、これまでの皆の性格はそれほど変わっていなかったから、二人もそこまで変わっていないだろうと思ったんだけど、どうやらそれは残念なことに違ったみたいだ。願わくば、関係性はあまり変わっていないといいんだけど……この調子だと望み薄かもしれない。イシュメールと目が合ったからか、彼はこちらに軽い会釈をしてきたけれど、その紺碧の瞳に皮肉げな色が映るのが見えてとても嫌な予感がした。
「おはようございます管理人。皆さん集まって何を話されていたんですか?ああ、この狼
「うるせぇぞドチビ。誰も聞いてねぇことをぺちゃくちゃと喋んな、更に小さくなりてぇのか?」
「……はぁ、これだから脳が海月みたいに空っぽの人は困るんです。会話が成立しないから。少しはその下品な罵詈雑言以外も頭に詰め込む努力をしてみたらどうですか?」
「……よし、ブッ殺す」
「(ちょ、ちょっと二人とも!?)」
やっぱり、二人の変化はかなり不都合な方に起きているみたいだ。ヒースクリフはバットを持ち上げて、隙を見せた瞬間イシュメールに振り落とそうとしていたし、イシュメールはイシュメールで銛を手に取り相手の眼孔目掛け刺し穿とうと低く構えていた。
ヒースクリフは確かに血の気は早かったけれど、ちゃんと道理をもって説明すれば納得……はできなくても自分を抑えることが出来る人物だったし、イシュメールは時折痛烈な皮肉や侮言をするものの、ここまで喧嘩早い人物ではなかったはず。
色々と違和感はあるけれど、とにかく今は二人を止めなきゃ。
このままだとヴェルギリウスが二つの死体を前に、
周囲を見渡しても、何故かみんな恐ろしいほど無関心だった。いつもなら野次馬精神混じりではあるものの、諍いを止めようとしてくれるのに。
もちろん、私の筋力じゃ二人を止めるなんて到底不可能だ。情けないけれど、ここはヴェルギリウスの名前を使ってでも収めるべきだろう。
「(二人とも、ストップ!ヴェルギリウスの話を忘れたの?)」
「……チッ」
「……」
二人が構えから攻撃に移ろうとした瞬間、ヴェルギリウスの名前を聞いてピタリと止まる。本当にギリギリで間に合った。だけどヒースクリフは舌打ちをすると顔を向けることすらもせずに座席の端へ腰掛け、イシュメールは舌打ちこそしなかったものの「余計なことばかりするんですね、呆れました」と言わんばかりの視線でこちらを見つめ、ヒースクリフの前の席へと座った……どうして私がこんな目に?
というか、なんで今更こんな些細なことで殺し合いに発展するほどの喧嘩をするのだろうか?
少し気持ちが落ち込んだが、次に入ってきた人物達を見た時、私のささくれた心が優しく癒されている気がした。*1
「おっはようみんな〜!あれ〜?朝から皆暗くない?何かあったの?」
「お、おはようございます皆さん……だ、ダンテさん?どうして感極まったみたいにカチカチと早く時計音を鳴らしているんですか?」
「(いや、なんというか仲良くていいなって)」
「え?いや、別に僕たち、そこまで仲良くはありませんよ?」
「(いやいや、まさかそんな。ははは)」
シンクレアは私の言葉に、軽く愛想笑いを浮かべると座席へと座った。ロージャはロージャで二つ後ろの席に座っていたムルソーへ軽いちょっかいを掛けている。
うーん、元の世界のロージャもよくしていたこととはいえ、性別が反対だとセクハラになりかねない気がするよ。まあ、私の知っているロージャの性格とそこまで変わらないのなら、その辺の線引きは大丈夫だと思うけど……。
そうそう、シンクレアの容姿はかつて彼の自我心道で見た、彼のお姉さんの姿を幼くしたように見えるね。提灯妖精Ego時の雰囲気に似ているかもしれない。この世界のホンルが名家のお嬢様なら、このシンクレアは宿屋の娘さんって感じだ。
そして言動のあちこちに見られる小動物みたいな振る舞いには庇護欲や可愛らしさを感じさせられる。と言ってもそれは元の世界のシンクレアにもあったものなのだけれど、こちらは更に多い。反面、頼もしさはちょっと減っているけれど仕方ないことだろう。全然許容範囲内だ。
ロージャはというと……うん、かっこいいね。しかも見上げるほどかなり身長も高い。囚人の中でもぶっちぎりだ。どんな女性陣よりも長いブロントヘアーを後ろで纏めているんだけど、今の洒洒落落と言った感じの彼によく似合っている。欠点と言えば何となくお金の使い方が荒そうな雰囲気があるのと、僅かにお酒の匂いが取り切れてないくらいかな?とはいえ先の二人のように険悪な雰囲気がある訳でもなく、こちらの話を聞いてくれるので遥かに気が楽だった。
「えっと、貴方は今までに僕たちが会ってきたダンテさんとは違うダンテさん……ってことでいいんですか?」
「(まぁ、そうだね。皆には悪いけど昨日まで話していた私とは違う私だと思っていてほしい。戻り方が分かれば直ぐに戻るつもりなんだけど……)」
「ふーん、やっぱりそんな頭してるだけあってこんなよく分からないことが起こるんだ?ダンテ、実はその時計頭外せるんじゃない?」
「
「(やめてね?)」
何処からかペンチを取り出し、私の後ろに向かってくるイサンを停止させる。
最終的には本社に送っているとはいえ、黄金の枝を数回取り込んだこともあるから、もし分解されたら大変なことになりそうな気がするし。今更だけど、私の頭って誰が作ったんだろう?まさか生まれてずっとこの姿ってことはないだろうけれど。
まあ、今は元の世界に戻る手掛かりが見つからないことの方が最重要で大問題だね。本当にどうしようか?イサンに解体してもらうしかないのかな?
ふと、視界の端で先程まで目を瞑っていたはずの良秀が片目だけ開いて、僅かに口元に弧を浮かべながら、私を見ていたのに気が付いた。良秀も私が見ていることに気が付いたのか、咥えた煙草を指で挟んで口を開く。
「ば・か・に」
「馬鹿の考え、休むに似たり……ですか?良秀さん、それは言い過ぎだと思いますけど……」
「だが良秀の言う通り、考えても埒が明かないことは保留にしておくべきだ。保証や確証の無い状態で管理人様を分解するなど、考慮する余地も無いだろう」
「(う、うん、そうだね……)」
「……むぅ」
イサンは僅かに肩を落とすと、座席へと腰掛ける。すると偶然だとは思うけれど、そのタイミングでまた扉が開いた。
「現在六時三十分。ウーティス、只今出勤しました。おはようございます、管理人様」
「ふわぁぁぁ……おおっと、悪い悪い。まだ眠くて。六時三十分。グレゴール、出勤しましたよーっと……ふわぁ」
入ってきたのはウーティスとグレゴールだけど、彼らだけ私の知ってる性別そのままということも無いみたいだ。まあ、いいや。これで囚人全員の性別が変わっていたことになる。
ウーティスは元々身長が高かったけど、この世界のウーティスはもっと高いね。気品がありそうな振る舞いなのは変わらないけど、よく鍛えられている角張った筋肉が、元軍人という肩書きに説得力を持たせている。軍服を着てもらって、勲章を胸に沢山付けたら、元帥とかそういう上の将官の人に見えるかもしれないね?ただ今のままでも十分、特殊な立場の人なんだろうなと思わせる雰囲気はあるけれど。
そしてそんなウーティスの隣に立っているからか、グレゴールはかなり小さく見えるね。寝癖も少しあって荒事とは無縁そうな人物に見えなくもないけれど、やっぱり異形の右腕がその印象をかき消してしまっている。それでも私の知るグレゴール同様に親切で、落ち着いた言葉も似合いそうな人だと感じた。
そう言うわけだから、特に問題は無いね。朝食を挟みながら、二人に事情を説明すると
「はぁ〜……そりゃまた大変だな、管理人の旦那も」
「それは一大事ですね。ですがそもそもわたくしたちと管理人様は……いえ、別世界の管理人様であろうと、管理人様は管理人様であり、わたくしの上官であることに変わりません。このウーティス、全力を以てお手伝い致します」
と特に何事も無く状況を共有することが出来た。この二人がこういう所で問題を起こすとは初めから思っていなかったけれど、今はとてもありがたく感じた。
さて、囚人が揃ったという事は勤務開始時間が近付いたということであり、そろそろメフィストフェレスが発車する時間であるということでもある。
扉が静かに開く。未だにこの時……私を含めた、囚人たちの緊張感が高まる時間は慣れない。ずしんずしん、ひょこひょこと二人の人物が運転席の方へと歩く。
大きい方の人物は先頭に近付いた場所で振り向くと、名簿を開き、全体に聞こえるように女性にしては低めの声で喋り始めた。
「ふむ。どうやら、全員居るようで結構だ。生物として最低限の規則を守ることはお前たちにも出来たみたいで安心したぞ。しかしダンテ、あまり不用意に私の名前を使わないでもらいたい。分かりますね?」
「(……ごめん)」
「申し訳ありません、と仰られています」
「次から気をつけてください。カロン、メフィストフェレスを」
「ぶるんぶるん。メフィが早く行こって言ってる。発車進行」
どうやら囚人だけでなく、ヴェルギリウスとカロンまで性別が逆みたいだった。カロンは中性的だからあまり差異を感じないけれど、ヴェルギリウスは見て分かるほど女性の姿になっている。それでも囚人たちが力を合わせて戦ったとしても、あのダウナーな雰囲気の女性には絶対に勝てないことは皆の顔に浮かぶ冷や汗を見れば一目瞭然だった。一体、どのくらい強いんだろうか……?
乗客の容貌がいくら変化していようが、メフィストフェレスは普段通り動き始める。
いつも襲撃を防ぐために、夜はメフィストフェレスを瓦礫の横や建物の影とか、目立たない場所へと駐車していた。
だから、私は私たちが居る場所がおかしかったことに気が付かなかった。窓は割れ、壁には罅が入り、人の住む場所の形になるように無理矢理取り繕った、そんな継ぎ接ぎみたいな歪さのある街並みを映し出す。でも、それだけ。それ以外のおかしい点が見当たらない。そしてそれはあまりにもおかしいことなんだ。だって今はT社……20区の路地裏を走っていたはず。そしてT社の巣はその特異点の性質上、そこにあるものは全て色が褪せて見えるはずなんだから。
だけど、景色が色を持っているという当たり前の光景に不信感を抱くより、それ以上におかしな感覚を私は感じていた。
「(なんで私は見覚えがあるんだ……?)」
そう、この景色に何故か見覚えがあったのだ。
もしかして私がこの時計頭になる前、記憶を失う以前の時に、この場所へ行っていた?
いや、違う。
少し注意深く見れば分かるくらい、もっと単純な事だった。
この場所は4区の路地裏だ。
「(でも、なんで今更4区に?)」
「今更……って、管理人さんは4区に来たことがあるんですか?」
「(ん?どういうこと、シンクレア?)」
シンクレアが私の言葉に返事を返す前に、メフィストフェレスが静かに停止した。
ざわざわと囚人たちが怪訝そうな顔で先頭を見つめている。その中で、口火を切ったのはロージャだった。
「ちょっと〜?動き始めたばっかなのにバスが止まっちゃったんですけど。ここが目的地にしては何も無いんじゃない?」
「ご飯が空っぽ、メフィは腹ぺこ。メフィ、ちょっと休憩するって」
「ふむ。安心しろロジオン。ここが定めていた目的地で間違いない。一旦のだがな。丁度良い。時間までの間、燃料を補充することにする。……カロン、そのヘッドライトを二回点灯させてくれ。舞台照明みたいにな」
「わかった。かちかち、ダンスタイムだよ」
「そ、そんなことをしたらとても目立っちゃうんじゃないですか!?」
「……
「なるほど!悪の群れをおびき寄せ、退治する作戦でありまするか!おお!悪の方から沢山集まってきたでございまするぞ!」
「口にするのも躊躇われるほど低俗な輩ばかりですね。敵方に戦闘を避ける意思が無いため、残念ながら今回は私の交渉術を披露する場が無いかと。管理人様、指揮の準備を」
「ほう。理解が早いやつは嫌いじゃない……メフィストフェレスの燃料は人間だ。出来るだけ殺さず、彼奴らをメフィストフェレスに食わせてやってくれ。いいな?」
バスの外から罵声と共に、誰かがバスの外壁を叩き付ける音が聞こえる。集まってきた襲撃者がバスを攻撃しているんだ。私はその程度じゃメフィストフェレスに傷一つ付かないことは知っていたけれど、囚人達に続いて出入り口から降りる。
それにしても、先程のヴェルギリウスの話……メフィストフェレスの燃料が人間なんて、本当に今更な話だけれど、それでもシンクレアを筆頭とする一部の囚人はショックを隠しきれない顔をしていた。
何故か噛み合わない会話。
普段と違う態度を取る囚人。
再び訪れた4区。
聞いたことのある内容。
性別が逆転しただけでは説明がつかない何かの理由が、頭の中で一つの仮説になっていく。
あまりに荒唐無稽すぎる。今までの旅でも涙や幻想体、W列車や大湖とか、常識を無視したことを沢山見てきたけど、それでもこの考えは信じ難かった。
そんなことが有り得るのだろうか?だけど、自分の中でほとんど確信になっている。
今だってそうだ。こんなに雑念混じりで指揮を取っているというというのに、囚人たちの力を十全に使い熟してしまっている。私の頭が冴えているわけじゃなく、明らかに囚人の
「敵部隊の全滅を確認しました。これ以上の敵対存在はいないようです」
「素晴らしい指揮能力ですね。流石は管理人様。このウーティス、心底感服致しました」
「(あー、うん……)」
「驚いたな管理人の旦那。昨日とはえらい違いじゃないか。もしかして、指揮官でもやっていたことがあったのか?」
囚人達が笑顔で褒めてくれているが、頭に入ってこない。
私が思っていることが正しければ、この後に会う人は、私が油断したがばかりに命を落とした、あの────
「お前たち、その辺にしておけ。そろそろ客人が来るぞ」
「客人?こんな場所に客人なんか来んのかよ」
「はい。私たちはダンジョンへ入った経験が無いですから、案内人は必要かとファウストが提案しました」
のしのしと、遠くから一人分の足音が聞こえる。
それは此方へと向かってくると、初対面のように声を掛けた。
その人は右目に眼帯を付け、白と黒の上着を着ていて、警棒のような赤い武器を持ち……
「あの、もしかして……リンバス・カンパニーから来た方で合ってます?」
……赤い髪をした、紛れもない
この謎の生首が似合う青年を助けた場合、原作キャラ救済タグは必要になるのだろうか…?
追記
あ・ざ…朝っぱらからざわざわうるせぇ
こ・も・み…こうなるんだったらもっと見ておくんだったな