一家に一台欲しいですよね

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春は奴隷の季節

 春ははじまりの季節、と誰かが言っていただろうか。暖かい春風に吹かれながら、これから始まる新しい毎日に思いを馳せる。

 そう、というのも、この私、瀬田薫もこの春から一人暮らしを始めてみようと思ってね。どうだい、儚いだろう? 

 ただ、一つだけ心配なことがあってね。私は、あまり家事をしたことがないんだ。そのうち慣れていけたらと思っているけれど、今は舞台のスケジュールやバンド活動で忙しいからね、家事にまで手が回る気がしないんだ。

 そこで考えたのが、家事代行サービス。お金を払ってハウスキーパーさんに代わりに家事をしてもらうのさ。それだったら、慣れない一人暮らしも問題ないと思ってね。

 というわけで、今日が顔合わせの日だ。どんな儚いハウスキーパーさんが、私の家の儚さを保ってくれるのだろうか? 楽しみで胸がいっぱいだよ……! 

「はじめまして、国民の犬ドットコムより参りました、稲荷元弥(いなりもとや)でーす!」

「国民の犬ドットコム?????」

 

 〜

 

「ま、待ってくれ子猫ちゃん。その……国民の犬ドットコム、というのは?」

「え、登録してたでしょ? 覚えてない?」

「と……登録? 私が登録したのはそんな名前のサイトではなくて、家事代行ドットコムというサイトのはずだけれど……」

「あっそれ僕が作った偽サイト。ありとあらゆる家事代行サイトの偽サイトを作ってそこに打ち込まれたデータは全部国民の犬ドットコムに送る仕様になってるから」

 

 どういうことだろう。確か私は家事代行ドットコムというサイトからハウスキーパーさんを頼んだはずなのだけれど、国民の犬ドットコムという聞いたことがないサイトのハウスキーパーさんが私の家にやってきた。

 何も理解できていない私を置いてけぼりにしたまま、ハウスキーパーさんは話を続ける。

 

「僕、こうして偽サイトを作ってそこに釣られた人の中からご主人様を探すのが趣味なんだよね。でも、みんな僕が思うような負荷を僕に与えてくれなくて! そこに君が現れたんだ。だって君、一人暮らしなんでしょ? 家事、やったことないんでしょ? こんなの、絶好の負荷チャンスじゃないか!」

「さっきから君の言っている意味が何一つ理解できないのだけれど……負荷とは一体どういうことだろうか? ご主人様とは一体誰のことを指しているのだろうか? 何より、君は一体何者なんだい……?」

「え、だから、僕は奴隷でしょ。奴隷が仕えてるといえばご主人様でしょ。奴隷たるもの、負荷が欲しいでしょ。だから僕は負荷を求めて、ご主人様である君の元に来た。これでいい?」

「前提条件から狂っていないか?」

 

 劇中以外でこんなに自然に奴隷という言葉を聞くとは思わなかった。それぐらい彼は当たり前のように奴隷という言葉を口にしている。

 とりあえず、彼は私の奴隷になりたくて私の家にやってきた……のだろうか。確かに私は様々な子猫ちゃんを虜にしてきたけれど、奴隷になりたい、と頼んでくる子猫ちゃんは初めてだった。でも、流石に子猫ちゃんにそこまでさせることはできないから、どうにか帰ってもらおうと説得しようとしてみたのだけれど……

 

「大丈夫、僕は前向きで自発的な奴隷だからね。金銭面は何も心配しなくていいよ。基本無料で奉仕するし、お金がかかることがあれば全部僕が自腹で払うから。というわけで、この契約書に捺印を!」

「ま、待ってくれ子猫ちゃん。君の純粋な気持ちは嬉しいよ。嬉しいのだけれど、流石に私を応援してくれるファンの子を奴隷にするのは……」

「あ、それなら大丈夫。僕、全くもって君のファンとかじゃないから。なんなら初対面。顔も今初めて知った。ぶっちゃけ名前もあんまり覚えてない」

「えっ!?」

 

 なんということだろう、彼は私の子猫ちゃんですらなかったのだ。頭が大量の困惑で埋め尽くされ、思考が真っ白になる。

 彼は立ち尽くす私の腕を掴み、どこからか出した朱肉に私の人差し指を押し付けるとそのまま契約書に印を押させようとしてくる。

 

「もう別に捺印じゃなくて拇印でもいいから……っ! なんでそこまで嫌がるのさ、君だって奴隷欲しいでしょ? つべこべ言わずに僕を奴隷にしてよ!」

「ウッ……やめてくれ……!」

「無駄な抵抗はやめて今すぐ僕と契約を結ぼう! 奴隷にしよう! こき使おう! 無我、献身、奉公……! 無我、献身、奉公……!」

「ダメだ、力が強すぎる……!」

 

 必死の抵抗も虚しく、私の指は契約書に押され、私と奴隷を名乗る彼……稲荷元弥さんは望まない奴隷契約を結んでしまった。

 私はただ、ハウスキーパーさんを頼みたかっただけなのに。奴隷が欲しいわけじゃ、なかったのに。何より、奴隷という響きが瀬田薫のイメージにミスマッチすぎる。奴隷を飼っている瀬田薫を、私は儚いと思えない。

 

「ええと……元弥さん……でよかったかな? 君の気持ちはよくわかったよ。でも、奴隷という言い方はあまり儚くはないね。もっとこう……フレンドリーな呼び方をし合わないかい?」

「何言ってるんですか? 奴隷は奴隷でしょ」

 

 ダメだ、彼は話が通じない。どうして彼は奴隷であることに誇りを持っているのだろう。どうして彼はそこまで奴隷であろうとするのだろう。

 どうにも私にはよくわからない。瀬田薫として全ての子猫ちゃんの在り方を肯定したい気持ちはあるが、正直彼のそれは度を越している。

 

「ところで……元弥さん、仮に君が私の家でその……ど……どれ……ハウスキーパー」

「奴隷ね」

「奴隷として働く場合、どんな形で働くつもりなのかい?」

「あー、あんまり考えてなかったかも。じゃあ質問なんだけどさ、瀬田さん家のベランダって空いてる?」

 

 ああ、ベランダか。ちょうど前の家から野菜たちも連れてきたから、少し余裕はないかもしれないね。

 でも、最低限荷物を置くくらいならできるんじゃないかな、と私は元弥さんに伝える。

 

「ふむふむ、最低限荷物が置けるのか。なら僕も寝泊まりできそうだね。極上の寝床をありがとうございます、ご主人様!」

「え? え、ええと……すまない、もう一度言ってくれるかい?」

「え? だからベランダに住みたいって」

「それだけはやめてくれないか」

 

 一人暮らし女性のベランダに寝泊まりする自称奴隷の成人男性なんて、どう考えてもホラーの類だ。近所の人に見つかりでもしたら即社会問題になってもおかしくないだろう。

 そんなことで話題になりたくない。何より、子猫ちゃんをベランダに寝かせる瀬田薫を私は儚いとは思えない。

 

「お願いだから、せめてちゃんとしたところで寝泊まりしてくれないか……」

「でも奴隷だよ? 奴隷にマトモな寝床与える人っている?」

「……なるほど……あまりこの手は使いたくなかったが……いいかい、元弥さん。これは命令だよ。あそこに使っていない部屋が一部屋あるから絶対にそこで寝泊まりしてくれ」

「は〜い♡ワンワーン!」

 

 ……本当に、これでよかったのだろうか。今はまだよくわからない。わからないけれど、私は彼と過ごす毎日が平和であることを祈った。

 

 〜

 

 そうして始まった元やさんとの生活は、やはり波乱に満ちていた。

 

「薫くん、なんだか最近顔色悪いけど大丈夫?」

「大丈夫さ」

「本当に大丈夫ですかね、それ」

「大丈夫さ」

「ふぇぇ……心配だよ……」

「大丈夫さ」

「本当に大丈夫なの? 薫。なんだか笑顔がぎこちないわ」

「大丈夫さ」

「大丈夫? 奴隷の出番?」

「君のせいだよ」

 

 あの時も。

 

「瀬田さん、何やってるんですか?」

「ああ、これは今度私が出演する舞台のダンスシーンの練習だよ。次の稽古までに振り付けを仕上げないといけなくてね」

「わあ、ダンスの練習、大変そうですね……僕が代わりにやりましょうか?」

「どうしてそうなるんだい?」

「だって、ダンスの練習って負荷ですよね。ご主人様の負荷を肩代わりするのは奴隷の役目でしょ? だって、ダンス大変だよね。難しいよね。だったら奴隷にやらせない?」

「それでは意味がないんだよ」

 

 その時も。

 

「瀬田様、こちらがライブ前の差し入れになります」

「ああ、ありがとう黒服さん。後でいただくよ」

「ぐぬぬぬぬ……」

「瀬田様、今日着用される予定のライブ衣装のクリーニングは終えてあります」

「ああ、ありがとう黒服さん。後で確認しておくよ」

「ぐぬぬぬぬぬ……」

「……ええと……元弥さん……?」

「あの黒服、僕の敵です」

「どうしてそうなるんだい!?」

 

 この時も。

 

 そう、どんな時でも彼はいつでも奴隷であり続けた。元弥さんが幸せそうならいいと思うようにはしているのだけれど、最近はどこか無理をしているように思える。

 元弥さんが作ってくれる料理は美味しい。洗濯も家事も完璧だ。でも、本当に彼に頼り切りでいいのだろうか。いつも頑張っている彼にどうにか息抜きをさせてあげたい、気づけば私はそう思うようになっていた。

 そう、だから。私は普段頑張ってくれる元弥さんへのサプライズプレゼントとして、お花見をプレゼントしようと思った。

 彼が奴隷であることを忘れて、ありのままの自分としてくつろげるような、そんなお花見をプレゼントしたいと思ったんだ。

 そう決めてから、私はたくさん準備をしたよ。元弥さんにバレないようにアウトドア用品を集めたり、ハロハピのみんなとお弁当の中身を考えたり。そんなこんなで準備も終わり、ついにお花見当日になった。

 ああ、元弥さんの喜ぶ顔が楽しみだな。満開の桜の下で、彼はどんな儚い表情を見せてくれるのだろう。弾む心を抑えつつ、私は元弥さんを家から連れ出す。

 

「元弥さん、少し散歩に行かないかい?」

「え、いいけど……」

「フフ、決まりだね。ついておいで」

「あ、じゃあ首輪引っ張ります?」

「それはいいかな」

 

 そんなやりとりをしながら、私たちは桜舞い散る並木道を歩く。彼が私の家に来てから一ヶ月ほど経つが、こうして二人並んで歩くことはあまりなかったかもしれない。

 それに、今までさほど意識していなかったけれど、彼の横顔はシュッとしていて綺麗だ。つい、見惚れてしまう。まるで桜に攫われて消えてしまいそうな儚さがあって、少しだけ胸が苦しくなってしまう。

 でも、お花見にそれは関係ないからね。さあ、儚いパーティーを始めようじゃないか! 

 

「さあ、元弥さん。お花見の時間だよ! 子猫ちゃんたち、彼を迎えたまえ!」

「「はーい!」」

「え、なんで!? 弦巻さんと北沢さん、奥沢さんと松原さんまでいる!? 僕、何も聞いてないんだけど……」

「何を隠そう、このお花見はサプライズプレゼント……だからね」

 

 どうやら、彼はひどく驚いているみたいだ。これはサプライズ成功、かな。

 私は満開の桜の下で儚く彼に手を差し出し、改めて彼をこの儚いパーティーに招待するのさ。

 

「そう。いつも頑張ってくれている君に、サプライズでこのお花見を用意したのさ! 私たちで美味しいお弁当も準備したからね、たくさん味わっておくれ! フフ、どうだい? とても儚いだろう?」

「……なんで」

「……え」

「……なんで、そんなことするんですか」

 

 ……どうしてだろうか。元弥さんのテンションが、普段より低い気がする。

 おかしい、彼は喜んでくれるはずだったのだけど。普段奴隷として頑張りすぎて疲れちゃったから嬉しいよ、今日はゆっくり休むね、とのんびり過ごしてもらう予定だったのだけれど。

 

「ねえ瀬田さん、そういうのは、僕の役目でしょ!?!?!?」

「へっ!?」

「いいですか瀬田さん、瀬田薫さん! あなたの奴隷は誰ですか! 僕ですよね! ほら今から言いましょう奴隷の名を! ほら! 言え! 言いなさい!」

「ど、どうして……?」

「僕の名前はドウシテじゃなーい! このご主人様になんとか言ってやってくださいよハロハピの皆さんも!」

 

 どうして、だろうか。元弥さんはこのサプライズに喜ぶどころか、怒ってしまった。なぜ、そうなってしまったのだろう。

 美咲は落ち込む私に「まあ、無理もないですよね……」と励ましの言葉をかけてくれる。ああ、もしかしたら美咲はこのことを見通していたのかもしれないね。

 

「ねえ、稲荷さん。薫さんから聞いたよ。最近腰の調子が悪いみたいだね。膝も曲がり切らなくなったし、肩も上がらなくなってるって……やっぱり、無理は良くないと思うんだ」

「全然平気ですけど。元気ですけど」

「そうやって無理したらメッ! だよ! はぐみ、モトヤさんに無理してほしくないよー!」

「ええ、そうよ。元弥が無理したら、薫は笑顔じゃなくなっちゃうわ!」

 

 相変わらず怒っている元弥さんを宥めるために花音たちが言葉をかけるが、その言葉は彼には届かない。

 どうしたら、いいのだろうか。私は考える。こんな時、私は彼にどんな言葉をかけてあげたら、彼の心に寄り添えるのだろう。

 

「……元弥さん、どうして自分を大切にしないんだい? 周りのためだけに生きるのは、辛く苦しいものだよ。それが、本当に君の望んだことなのかい? 私は……これ以上元弥さんに苦しんでほしくないんだ」

「だって僕、奴隷だし。僕には何もない。何も出てこない。必要としてくれる人に身を捧げる、それしかできない。そうじゃなきゃ、生きてちゃいけないんだよ」

「……そうか。なら、君は自分自身に服従したことはあるのかい?」

 

 ……そうだ。彼は、どこまでも相手のことばかり考えている。それはとても素晴らしいことだけど、彼がどうしたいのかは彼にしかわからない。

 だから、私は彼の心に聞いてみることにした。きっと、そこに答えがあると思ったから。

 

「さあ、行こう。元弥さんの心の世界へ」

 

 私は元弥さんの胸に手を当てる。元弥さんと一緒に、元弥さんの心の世界を覗きに行くんだ。

 だんだんと視界が晴れやかになる。彼の心が、見えてくる。いや、見えてきたのだけれど……あまりにも……情報量が……

 

「ええと……真っ白……だね」

「真っ白ですね」

「何も、ないね……」

「何もないですね」

 

 真っ白というか……空っぽと、いうか……あまりにも、何もなかった。これには私も何も言えず、ただこの真っ白な世界で立ち尽くす。

 そんな私に、元弥さんはキラキラした目でこう話す。

 

「いいですか、瀬田さん。これが本当の僕です。やっぱり僕は空っぽなんですよ!」

「そんなに嬉しそうに言うことかい?」

「僕が正解なんでもう余計な口出ししないでください。稲荷元弥には何もない。向き合った上でコレなので、これはもう揺るぎない事実!」

「ああ、よ、よかったね……」

 

 彼が幸せなら、それでいいのかな。きっと、それでいいのだろう。それ以上を求めても、無駄なのだろう。これが彼の本当の自分なのならば、それを止める権利は私にはない。

 そんな中、遠くから何かが流れてくる。これは一体、なんなのだろう。

 

「あ、滅私だ」

「これは……貢献だね」

「うん、奉仕ですね」

 

 元弥さんの心の中に、滅私と貢献と奉仕が流れてきた。いかにも彼らしい二字熟語だな、と眺めていたら。

 最後に、ひときわ大きな何かが流れてくる。その文字は……

 

「無我……か」

 

 そう。無我だった。奥の方に詰まって、なかなか出てこなかったようで少し埃をかぶっていた。埃の被った無我、初めて見たな……

 それを見て、元弥さんは完全復活したようだ。出会った頃のようなキラキラした笑みを浮かべて、彼は叫ぶ。

 

「見ててください、瀬田さん。これが僕、稲荷元弥が生きる道です」

 

「滅私、貢献、奉仕、無我」

「そう、無〜〜〜我〜〜〜!!!」




その時初めて見た彼の心の底からの笑顔は、実に晴れやかだった……気がする。

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