高校三年間は見ることもできないのだろうと思っていた顔が、一ヶ月で戻って来た。

涙を返してほしいのだが、「え~? そんなに寂しかったの?」って笑われそうだったから言えずにいる。

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桜メッキが剝がれない

「なあ千早! 一ヶ月で留学先から逃げ帰ってきた奴がいるってマジ!?」

 

 うちを尋ねてきた阿呆を前に言うべき第一声は、親から事情を聞いた段階で決めていた。

 

 玄関前で「ひさしぶり~」とか暢気に調子乗ってそうだった面を驚きに染めるのは思ったよりも簡単で、大口開けて固まっている顔を見るとじわじわと笑いが込み上げてきた。

 本当はその一言で終わらせるつもりだったのだが、楽しくなってきたのでもう少し遊ぶことにする。

 

「どうした? 一ヶ月で日本語も忘れちゃったのか? 絵本の読み聞かせしてほしい?」

「──っ! しなくていい! 別に忘れてないから!」

 

 追い打ちをかけると、予想外のことに思考停止していたらしい千早もすぐさま再起動して反論してきた。

 

「っていうか、そんな風に言うことなくない!? 私、割と傷心して帰って来たんだよ? そこはさー、『愛音ちゃん、大変だったんだね』とか言って慰めるとこでしょ?」

「慰める? 自業自得の産物のくせにか?」

 

 母親からは「愛音ちゃん、留学先から帰ってくるみたい」としか聞かなかったが、何があったかくらい想像がつく。

 小学校からの付き合いだが、こいつの調子の良さは今更な話だ。ここまでのことをやらかすなんて、流石の俺も想定外ではあったのだけど。

 

「そもそもお前、どうせ周りから『高校どこ行く~?』とか聞かれたときに、調子乗って『私は留学でもしてみようかな~』とか言い出したんだろ?」

「うっ」

「んでもって、周りから『千早ならいけるよ~』『すご~流石生徒会長~』とか煽てられて、引っ込みつかなくなったんだろ?」

 

 違う中学だったからその姿なんて一度も見てないが、もう目の前でやってたかのように想像がつく。こいつの調子のよさも、その周りに集まりそうな連中の言動も、大枠外れてはいないだろう。

 ミーハーで、調子に乗りやすくて、大言壮語が得意技。実際、それっぽく見せるだけの小手先の器用さだけは一丁前だから、周囲からは凄い奴みたいに見られやすいことも知っている。とはいえ、強めにつつけば簡単にボロが出て、大したこともない人間性が露呈する。

 

「結局、言った手前逃げられなくなって実際に留学してみたはいいけど、海外で会話もままならない相手にはお得意のメッキも一瞬で剥げて、大して会話もできないまま劣等感やら羞恥心に負けて帰って来た。違う?」

「ち、違わないけどー!」

 

 腕をぶんぶん振りながら抗議している姿は、それなりに可愛い女の子だったけど、あまりにも残念でお粗末な正体を知っていると百年の恋も冷めそうになる。

 

「で? いつまでそこに突っ立ってるの? 早く上がったら? 俺がいつまでも客を家に上げない非常識野郎みたいに思われるじゃん」

「はぁ!? こんな可愛い子を前にして酷いこと言ってる時点でもう非常識じゃん!」

「かわいい……? お前みたいなメッキまみれのブリキ女が……? 可愛い子っていうのは、パスパレの彩ちゃんみたいなのを言うんだぞ」

 

 とはいいつつも、こいつ面はいいんだよな。面は。性格については、人を選ぶだろう。

 

「いいからはよ上がれ。飲み物と菓子取ってくるから、先部屋行ってな」

「はーい。たくみんの部屋久しぶりだな~」

「卒業前にゴロゴロしてたろうが」

「一ヶ月も空いてたんだから久しぶりじゃーん」

「はいはいそですねー」

 

 このまま話していると一生会話できてそうな気がしてきたから、適当に返事をしてリビングへ向かうことにした。

 千早も靴を脱いで階段を上がっていく。楽しそうな鼻歌が遠くなるのを聞きながら、冷蔵庫からジュースの入ったペットボトルを取り出す。

 

 あの見てくれに騙されて声をかけた、小一の俺が哀れでならなかった。

 

 

 

「ねー、この漫画の最新刊どこー?」

 

 部屋に戻ると、ベッドを背もたれにして座っている千早が本棚から勝手に漫画を取り出していた。数分前にこの部屋に来た奴とは思えないくらいの居座り具合だった。

 「来週発売だからまだねぇ」と答えながらジュースとお菓子をテーブルに置く。

 

「千早って、マジで遠慮って概念ないよね」

「たくみんだってないじゃん」

「あるよ、千早以外には」

「私だってたくみん以外にはありますぅ」

「いや、お前にあるのは遠慮じゃなくて、被る用の猫じゃん。それっぽく見せてるだけで、図々しいのは全く隠れてないからな」

 

 これが俺の家でなかったとしても、「漫画見てもいい?」って聞きながら許可とる前に読み始めてるだろ。そういうのを図々しいというのだ、人は。

 

「でも、たくみん許してくれるじゃん?」

「断る理由もないし、お前別に汚すタイプでもないからな」

 

 死ぬほど身勝手だが、取り返しのつかないことはしないのがこの女だ。許せるけどムカつくラインを詰めてくるのが妙に上手い。まあ、長い付き合いになると大体累積分で一度キレて謝罪させることになる。

 そして、その頃にはこちらもこいつの人間性を理解するのでため込まずに言うようになる。つまり、こういう関係である。

 

「それで? 千早、高校どうするの?」

「この前、羽丘ってところの面談受けてきたよ」

「羽丘? ……ああ、あそこか」

 

 女子高だから正確なレベルは把握してないが、千早の学力なら余裕だということくらいは知っている。日常生活の知能レベルは察して余りあるが、学力が低いわけではない。塾に通わず模試でそれなりの成績を取っていることだって知っているし、中学で生徒会長をやれる程度には校内成績も優秀なのだ。

 褒めると天狗になって鼻がどこまでも高くなっていくから、絶対に言ってやらないが。

 

「知り合いはいないのか?」

「うん。近くで似たレベルの学校は別であるし、仲良かった子達が違うところ行くのは元々知ってるしね」

「まあ転入早々、アホな事情がバレて灰色の高校生活が始まらなくて残念(なにより)だよ」

「なんか含んでない?」

「今更だろ」

「もー」

 

 頬を膨らませながら千早がジュースを飲む。

 

「たくみんはさ、もうちょっと私のこと褒めてもいいと思うんだけど?」

「何褒めることがあるんだよ」

 

 特に思いつかなかったので素直に聞き返すと、千早は少し考える素振りを見せてから「あっ」と手を叩いた。

 

「頭いい」

「全国模試、俺より成績下だったのに?」

 

 記憶の中の少女が「これくらい全然だよ~」と満点の答案を見せびらかした。

 だから、自分も満点を取れるように勉強した。

 

「……カリスマ性がある」

「生徒会長のことが言いたいなら、俺もやってたけど?」

 

 記憶の中の少女が「クラス委員長? 仕方ないなぁ」とリーダーを引き受けた。

 だから、誰かに取られる前に自分も立候補した。

 

「…………社交的」

「俺と、成績表の右側で勝負したいわけ?」

 

 記憶の中の少女が「どうしたの? 手伝おうか?」と声をかけていた。

 だから、「俺もやるよ」と手を挙げた。

 

「………………」

「お前が俺に勝ってることとか、性根のずぶとさしかないじゃん?」

 

 千早に良いところを見せたかったから、全部やった。千早よりもできないと凄いと思ってもらえないから、なんでも千早以上になるまで頑張った。

 結局のところ、小学校高学年になる頃には桜色をしたメッキもだいぶ剥がれて、目の前にいるのが背伸びしたがりの見栄っ張り女だと気付いてしまったわけなんだけど。

 

「さて。ここまで聞いて。千早愛音さん、何か言うことは?」

「はいはい、新山拓未さんは凄いですー」

「ふふっ、だろ?」

 

 大して気持ちがこもっていなくても、褒められれば嬉しい。

 それがこの全身メッキ女であるならなおのこと。

 

「ま、俺ほどではないにしろ、それなりに要領のいい千早なら、途中編入でも上手くやっていけるだろ」

「そうかなぁ?」

「……どうした? 面談ダメだったのか? 珍しいな」

「いや、そっちは余裕だったんだけど、なんか、石拾ってる子がいてさ……」

「羽丘って幼稚園併設だったの?」

「違う違う。高校生。多分一年生だと思うんだけど。なんか、石拾ってたんだよね。ポケットに詰めてさ」

「石? 何のために」

「さあ?」

 

 全然イメージが付かないが、頑張って脳内で石を拾ってる女子高生を思い浮かべる。

 美術部とかで、アート制作に使うとか? ダメだ、まともな理由が思いつかない。少なくとも普通の感性ならポケットには詰めないだろう。

 

「なんか、上手くいくのかなーとか思って」

「ふーん」

 

 珍しくナイーブなことを言ってて驚いたが、よく考えたらこいつクラスメイトと会話できないから帰って来たんだと思いだした。珍しく今回の件を少し引きずっているらしい。

 そもそも落ち込んだり悩んだりすることがあまりない女なので、こちらも慰めるスキルなどない。一瞬だけ落ち込んだとしても、次の日にはもうケロッとしているタイプだから。だが、今回はいつもの千早にしてはデカいやらかしだったし、流石に気持ちの整理に時間がかかるのだろう。

 

 流石に何かしらはした方がいいんだろうと思って立ち上がると、黙って千早の頭に手を置く。

 

「…………たくみん、それ何? 慰めてる?」

「……それの最新刊でも、やってただろ」

「それは、そうだけどー」

 

 見栄っ張りで、自分の程度も把握してなくて、センスが壊滅的で、大して上手くもないものをそれっぽく見せる小手先の器用さだけは人一倍。

 その結果デカい失敗をして帰って来たのが、この千早愛音とかいうメッキまみれの女である。

 

「通いだしたら、どうとでもなるって。いつも通り図々しく背伸びしてりゃいいんだよ」

「それ褒めてるの?」

「褒めてる相手に言う言葉じゃないだろ」

「なにそれー」

 

 顔を見合わせて笑う。ほら、もう調子取り戻し始めた。

 

「たくみん、ありがと」

「……次は事前に連絡することを覚えろよ」

「えー、どうせたくみん暇でしょ?」

「暇じゃねぇ」

「あっ、ちょっと! 髪!」

「結んだりもしてないんだから気にすんな!」

 

 この見てくれに騙されて一緒に居続けている、高一の俺が哀れでならなかった。

 

 

 

 

 

 千早が帰ってきて一週間後。連続で遊びに来ることなんてほとんどない千早が、珍しく今週も乗り込んできた。やっぱり連絡はなかった。

 

「たくみんさー、ライブハウスとか行く?」

「ライブハウス? 全然行かねーけど、なんで?」

「なんか、バンド組むの流行ってるんだって」

「バンド? 羽丘で?」

 

 ガールズバンドが女子の間で流行っているのは知っているが、千早が明確にバンドを組まなければならないとは相当人気らしい。必要な努力は欠かさないが、逆に言えば必要ではない努力はギリギリまで回避しようとするのが、千早のメッキクオリティだ。

 最近はパスパレやRoselia、千早の気に入ってるsumimiとか、楽器を担いで歌ってる女の子の姿はネットやテレビでちょくちょく見かけるが、そこまでとは知らなかった。やはり注目していなければよく分からないものだ。

 

「なんか、先輩に有名バンドのメンバーがいたとか?」

「みたい。全然知らなかったんだけどさー。だから、バンドメンバー探さないといけなくなっちゃってー」

「なるほどな、それで詰まってるってことか」

「うーん…………クラスで仲良くなったグループの子達には、一緒にやろうって誘われたんだけど、楽器被ってるからヤなんだよね」

「ギター二人ってダメなのか?」

「だって、入ったら私絶対隅っこだよ!?」

「知らねぇよ。厚かましさだけならセンタークラスだから気にすんな」

「え? 私、センター向いてるって?」

「言ってねぇ」

 

 あまりにもひどい曲解を否定しながらノートを埋めていく。

 二人でいるからといって一緒に遊んだりはあまりしない。お互いに好きに本を読んだり、動画見てたり、宿題を片付けている。今も、俺は宿題を進め、千早は昨日俺が買ってきた漫画を読んでいる。こいつ、これ読みに来ただけだったりしないだろうな……。

 

「そんだけメンバーいたら学祭とか大変そうだな。軽音部だけで一個ステージ抑えてたりしてな」

「ちょっと思ったけど、うち、軽音部ないんだよね~」

「え? じゃあ、みんな部活でやってるわけじゃないの?」

「っぽいんだよね~。校内でやってる感じしないし、どっか借りてるのかなーって」

「そりゃ大変そうだな。部活からメンバーも探せないんだったら、クラスメイト順番に当たっていくしかないか?」

「そうなんだけど、もうみんなバンド組んじゃってるっぽいから、当てがなくてさー」

「一年で転入してすぐだから、人間関係も別にねーしな」

「それ~。たくみん、なんかいい案ない?」

「知らん」

 

 部活がない上でクラスのみんながやってるってことは、仲のいいグループとバンドを組んでいることはほぼイコールだろう。

 すると、クラスで孤立している人間と組むくらいしか思いつかないが、クラスで友達いない奴なんて、バンドというチーム活動に置いて絶対地雷になるだろうことは想像に難くない。

 

「バンド流行ってるなんて今知ったような奴に出せる案なんかねーよ。大人しくクラスメイトの奴に相談したら?」

「それしかないかー」

 

 千早は諦めたように息を吐きながら大きく伸びをした。

 漫画もちょうど読み終わったらしく、本棚にしまうと俺の方に近寄って来た。

 

「たくみん、外遊びに行こー」

「……え。たかるのやめてください」

「たーかーりーまーせーんー。ってか、そんなに真顔で言わないでよー」

 

 ガチめの拒否感を出したら普通に抗議された。

 こいつと出かけるとすげー振り回されるというか、自分が好きなところだけ行くから相手するのが大変なんだよな。

 

「いいじゃんいいじゃん。どうせ今日ずっと暇なんでしょ?」

「予定はないけど、お前他の人と違って俺と一緒の時、自分の好きなところしか行かないじゃん」

「え? だって、たくみん、行きたいところあったらすぐに一人で行ってるでしょ?」

「それはそうだけど、それがどうしたんだよ」

「じゃあ、それでも来てくれるってことは、別に行くところないし付き合ってくれるってことでしょ?」

「…………お前の理論、どうなってんだよ」

 

 何段か飛躍が入ってそうな理屈を振りかざされてビビった。

 行きたい場所には一人で行きたいタイプだから、人と出かける時は相手に会わせるつもりでいるのは確かにそうなんだが、それにしたって少しは気を遣えよと思う。

 

「今、駅前のところで期間限定のフルーツサンド出てるんだけど、ちょっと種類が多くてさー」

「一人で食いきれないってことね」

「そうそう」

「フルーツサンドね……」

「たくみんも好きでしょ?」

「そりゃ好きだけど」

「じゃあ決まり! 私、準備してくるからたくみんも家の前で待っててね」

 

 千早はそれだけ言い残すと、すたすたと部屋を飛び出していった。残されたのは、まだ途中までしか解かれていない宿題と、あきれた表情の俺。

 返事もしてないから出る義理なんてきっとないんだろうが、そうしたところで待っているのはチャイムの連打だろう。

 

「……しゃーねーな」

 

 千早と外に出るのは久しぶりなことを思い出しながら、タンスの服に手をかけた。

 

 

 数日後、無事にバンドを組めたらしく、喜びのメッセがスタ爆と共に来た。

 ウザすぎて一日ブロックした。

 

 

 

 

 

 次に千早が来たのは、それから二週間ほど経ってからだった。珍しくギターを持って家にやって来た。なんでも、ライブでやる予定の曲の練習が大変らしい。

 

「今日も夕方にはスタジオ練あるんだよねー」

「毎日ってもはや趣味というより部活だな」

「それー。私、そこまでガチでやりたかったわけじゃないのにー」

「ライブするならもう引くに引けないだろうし、諦めて練習しな。下手な演奏したら迷惑料徴収するから」

「えー!? そこは、私の演奏聞かせてもらうんだから、たくみんが私に演奏料払うべきじゃない!?」

「誰が素人の下手くそな雑音聞いて金出すんだよ」

「言ったなー! すぐにぎゃふんと言わせるから!」

「はいはい。うるさくないようにやってくれればそれでいいよ」

 

 中学時代の練習時点の演奏が最後だからどれくらい成長しているのかは知らないが、あれよりは聞ける演奏になってればいいなと思う。

 話を切って目の前の本に集中しようと思ったところで、ふと千早に尋ねようと思っていたことを思い出して振り返る。

 

「そういえば、千早のバンド名って何?」

 

 どうせ遅かれ早かれ誘われるだろうから、先にどんな感じなのか確認しておこうと思っていた。

 

「え? バンド名?」

「ああ。どうせ見に来いって言うんだろ?」

「あー…………それはそうなんだけど……」

「なんだよ、歯切れ悪いな」

「いやぁ、それがまだ決まってなくてさー」

「決まってないの? とりあえず形から決めそうな千早がいるのに?」

「それ、どういう意味?」

「言葉通りの意味だけど」

 

 解説するときは意味もなく眼鏡をかけ、運動するときは洒落たジャージを用意してくるタイプの女だ。バンド名を決めていない、なんていうのは意外だった。

 

「真っ先に見栄整えるタイプだろ?」

「そうなんだけど、そんな暇なくてー」

「……その曲か」

「やる度に変わるんだよ!? ありえなくない!?」

「そんなに違うのか?」

「全然違う!」

「そうか……そりゃ困るな……」

 

 毎日指示内容をコロコロ変更されたら、誰であれ困惑しそうだなとは思う。やったこともない俺にはどれほどの苦労かなんて分かりようもないのだけど。

 

「それにしたって、基本を簡単にしてもらったりしないのか」

「ダメだってさー」

「そら厳しい」

 

 この千早が言いくるめられてない辺り、作曲した子もだいぶ癖が強いんだろう。

 そして、それで投げ出していないところを見る限り、千早もそれなりにやる気があるらしい。こういう泣き言を言うような段階になるとやらない理由を探すばかりになるが、文句言いつつやる程度のモチベーションはあるらしい。

 

「今回のは、頑張る感じなんだな」

「…………まあ、一緒に進むって言っちゃったし」

「一緒に進む?」

「うーん、なんていうかー、迷子でも、頑張るというかー、一緒に進もう、というかー」

「はぁ。迷子……」

 

 繰り返すように口にしたところで、さっぱり意味を察することもできなかった。千早自身も完全に自分の言葉として飲み込めてない部分があるらしい。誰かがそんなことを言って、千早はそれを反芻しているだけ、みたいな。

 でも、きっと意志だけは本当なのだろう。なんだかんだで譜面らしきものから目を離す様子はない。

 

「ふーん……」

 

 本当に意外なことだが、何やらいろいろ俺の想像していないことが起きているらしい。その人間関係がどう転ぶのかは分からないが、とりあえずライブを見に行くだけはしておこう。

 千早は黙々とタブレットに表示している楽譜を見ながら弦を弾きはじめる。集中し始めたようなので、俺もこれをBGMにして読書に戻る。

 

「────、────」

 

 後で、千早には冷蔵庫にしまってあるケーキを出してやることに決めた。

 

 

 

 

 

「たくみんさぁ」

「なんだよ。ダル絡みやめろ」

 

 肩を掴んで振り回してくる千早を引きはがして息を吐く。

 

 ライブが終わって翌週。

 盛況に終わった様子だったので最低でも電話で自慢話を聞かされることになると覚悟していたのだが、そんな様子もなく。こちらからのメッセージにスタンプ返してきただけの千早は、自慢話も大して来なかった。結局、今日になって連絡もなくいきなり押しかけて、ずっと変なテンションで絡んでくる。

 

「なんか話したい事あるなら普通に言え」

「それは……そうなんだけどー……!」

「だから肩揺さぶるな」

 

 千早の手首をつかんで抑え込むと、向き合うように立つ。

 鈍色を返す瞳を見つめながら「ライブのことか?」と尋ねると、千早は小さく頷いた。

 

「なんか気にすることあったか? すげー盛り上がってたじゃねーか」

「うーん、そうなんだけど……」

「終わった後で、なんかあったわけね?」

「まあ、そうなんだよね……」

 

 千早の力が抜けたのを確認して、適当に座らせると自分も隣に座る。

 

「簡単に言うと、メンバーの一人を怒らせちゃったら、連絡取れなくなってー」

「怒らせた?」

 

 何やら込み入った事情というのを聞いてみる限り、なんだか本当に面倒くさそうな状況に陥っているらしかった。

 聞きながらちびちび飲んでいたコップをテーブルに置くと、俺は一つため息をこぼす。クソ面倒な話に付き合うことになった。

 

「えっと……」

 

 事情を聞きながら、頭の中で千早の言葉を必死にまとめる。

 

「つまり、あのライブで、半分のメンバーが元々やってたバンドの曲やったら、その一人がキレたってこと?」

「まあ、うん……」

「それで、その人と連絡がつかない、と」

「そうなんだよねー……絶対ヤバいよねぇ……」

「解散まで秒読みって感じだな」

「うわー-----ん!!!!」

 

 というか、よくもまあ解散した後のメンバーを引き取るような、爆発物処理班みたいなことをすることになってしまったものだ。千早も大概運がない。

 たまたま拾った相手が厄ネタを抱えていたところはツキのなさを笑ってしまいたいところだが、それで珍しく諦めずに努力し続けるようになっているのだから、このままで終わってほしくない気持ちもある。

 

「その人って、謝っても許してくれなさそうな感じなの?」

「そもそも、怒ってるところ、一度も見たことないんだよね」

「あー……よりにもよって枠か」

「そよさん、優しいから許してくれる……と、思いたいんだけどー」

 

 俺も千早も別にそこで、ごめんなさいして仲直りできない物があることくらいは知っている。今回に限ってはマジで何かしないとまずいのだろう。

 

「リッキーは勝手に怒ってるだけって気にしてなさそうだし。楽奈ちゃんも、相変わらずいつ来るか分からないし」

「……むしろ、どうやってライブやるところまで漕ぎつけたのかが不思議になってきたな」

 

 簡単な事情は今しがた聞いたので分かっているのだが、それにしたってなかなか自転車操業なバンドだ。

 

「……やっぱり、直接聞くしかないよね」

「千早?」

「うん、そうだよ。メッセ無視られてるんだから、もう会いに行くしかないよね。リッキーの時と一緒じゃん」

 

 勢いよく立ち上がった千早は、何やら納得したように頷いている。

 どうやらいつも通りの調子に戻って来たらしい。俺の言葉なんてもう届いてなさそうだが、元気になったらそれでいい。

 

「よし、たくみん!」

「はいはい。どこ行きたいの?」

「カラオケ!」

「りょーかい」

 

 テンションが上がって来たらしい千早を見ながら立ち上がる。

 

「たくみんの奢りね!」

「何言ってんだ、相談料代わりに千早が出すんだよ」

「えー? 女子に出させるとかダサいよー」

「千早以外に請求しねーから」

「は!? それどういうこと!?」

「俺は男女平等主義ってこと」

 

 あしらいながら「準備するからお前は出ろ」と千早を部屋から追い出す。

 簡単に着替えながら財布と鍵をポケットに突っ込む。

 

 そして、もう大して顔も覚えていない千早メンバーのことを思い出しながら、さっさと帰ってきてやれと目を瞑った。

 

 

 

 

 

 部活から帰ってきたら千早がいた。

 先週辺りは驚きの余りドアを開け閉めしてキョドったら死ぬほどバカにされたが、二週間毎日ともなると流石に慣れてきた。

 

「おかえりー」

「おう、ただいま」

 

 ここによく来るようになってからの千早が空元気なのはすぐに分かったが、「今はちょっと話したくない」といわれてしまったので、ずっと放ったままにしている。

 とはいえ、事情を聞いていたのだ。バンドがそのまま空中分解したんだろうと想像はつく。この図太さの化身である千早のメッキも、今回ばかりは剥がれて錆まみれになっているらしい。こんなに沈み続けている千早を見たのは、これが初めてかもしれなかった。

 

「今日部活だったの?」

「ああ。記録会も近いしな」

 

 一年だからまだそこまで大きく関わるわけでもないが、先輩達がトラックを走っている姿を見ればこちらも大なり小なり感化される。とはいえ、最近は千早が毎日来ているので、少し早めに上がらせてもらっているわけだが。

 

「千早は今日もギターの練習か?」

「うん」

 

 おそらくバンドが解散したというのに、千早は未だにギターの練習を続けていた。明らかに異常だった。でも、それだけ止めたくないと思えるものに会えたのなら幸福なんだろうか。

 

 制服のジャケットを脱いでハンガーにかけると、椅子の横にバックを降ろして椅子に座った。

 

「………………」

 

 こうなって──おそらく、解散して──から二週間が経った。

 

 千早はいつまでこうしているのだろう。

 毎日俺の部屋にやってきて、ギターの練習をして。いつも通りに戻ったというわけでもあるまい。今までと同じなら、スパッと止めてそれがなかった頃の千早に戻るだけだった。だけど、今は違う。絶対に心残りがあって、止めたくないと思っている人間のそれだった。

 

 一人で黙々とギターをかき鳴らす千早を見る。

 あまり楽しそうではない。前は文句を言いつつそれでも楽しそうにやっていたように思う。

 

 やはり、待っているのだろうか。俺が千早の背中を蹴飛ばすタイミングを。

 

「…………はぁ、疲れた」

「やっぱり大変なの?」

「基礎練メインだしな。地味なことし続けるから、すげー疲れる」

「確かに。飽きるよねー」

「確かにって、別に基礎練やって…………あー、前に言ってた指のマッサージってやつか?」

「うん。めっちゃ効くんだけど、やっぱりずっとやってると疲れるっていうか」

「動画とか見てると、なんか死ぬほど指吊りそうなレベルで動かしてる人とかいるもんな」

「あれマジで吊るよ。指もすんごい痛いし」

「ずっと絆創膏しているのそのせいか」

「まあねー」

 

 最近の千早はずっと指に絆創膏を巻いている。動物柄の可愛い柄だ。

 千早の趣味からは外れそうなので、もしかしたらバンドメンバーの子からもらっていたのかもしれないなと思った。

 

「…………なぁ、千早」

「どうしたの?」

 

 会話がふと途切れたタイミングで呼び掛けると、千早は譜面から顔を上げて俺の方を見た。

 

 

 

 

 

「一ヶ月でバンド解散して、一人でいじけてる奴がいるってマジ?」

 

 

 

 

 

 特に何も考えずに発した言葉は、千早をフリーズさせるには充分過ぎるみたいだった。

 こういう場面は、間髪入れずに追撃するといいと過去の経験が語っている。

 

「なあ千早。一ヶ月でバンド解散して──」

「──二回も言わなくていい!!」

「反応早っ。早押しクイズだってそこまで急がないぞ?」

「そもそも二回も聞く必要なくない!? 私が気にしてるの気付いてたよね!? ってか、解散したなんて言ってないよね!?」

「え、解散してないの?」

「してる!」

「やっぱりそうか。あんな話した後だしそうだよな」

「分かってて言ったの!? ありえなくない!?」

「今俺が言ったから、ありえたくない?」

「たくみん!」

「はいはい、さーせんさーせん」

 

 流石に言葉が過ぎたらしいので謝る。

 とはいえ、言った内容について間違っているとも思わないので、真面目にも謝らない。

 

「上手くいかなかったんだろ?」

「……まあね」

「内容に納得はいってない?」

「…………そりゃ、いらない、なんて言われて、納得できるわけないよ」

「いらない?」

「元のバンドを復活させるために利用してた、らしいよ」

「そうか…………」

 

 それは、一番千早に効くだろう。

 こいつは承認欲求で動いている生き物だ。だから、周囲から憐れまれることと、必要とされないことが一番苦手なはず。いつもなら全力で逃げ出している場面だろう。

 

「お前って、相手の気を遣うのあんまり得意じゃないだろ」

「普通さ、このタイミングでそういうこと言う?」

「まあ聞け」

 

 慰めるのは得意じゃない。

 俺とこいつの関係は、そういうものではなかったから。

 

「まだ諦めてないんだろ?」

「でも、もうやれることなんてないし……」

「そういいつつ、もしかしたらって思う理由もあるんだろ?」

「……まあ、ね」

「だったら、それ待っててもいいんじゃないか」

 

 できるかどうかではなく、カッコよさそうでやりたいことをやりたいから、こいつは自分を桜色にメッキしてきたのだ。

 そうありたい自分を目指して。

 

「覚悟ができるまで待ってればいいんじゃないか」

 

 メッキが剥がれたって、練習してきたのだ。

 諦めきれないと、錆びた体のまま見栄もなく這い続けている。

 

「きっと、タイミングが来る。それまではここにいればいい」

 

 錆びたって、メッキが剥がれて中身が露出したって、俺はお前への態度を絶対に変えない。だってもう全部知っているから。

 

「迷子でも、だっけ? 迷ってるってことは、前でも後ろでも正解なんて分からないんだから逃げてる方向が正解かもしれないだろ」

「……そう、だね」

「だから今は、剥がれたメッキの錆をどうにかすることだけ考えとけ」

 

 もう、こいつは俺の知ってる千早ではないかもしれないが、かつて俺が見た千早ではあるような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

「…………お前、頭おかしいだろ」

「はぁ!? 最初に言うのそれ!?」

「当たり前だろうが! こんな場に呼び出しやがって!」

 

 部屋の中は惨状以外に言葉が思いつかない程度には悲惨だった。

 

 千早から「助けて!!!!!!」というメッセージが来たため、夜遅くだというのに本人の家に行くことになったのが二十分前。

 先日あったライブ良かったなとか、この前の今日で今度は何があったんだよとか。いろいろ考えていたんだが、部屋の中を見た瞬間に思っていたこと全部忘れた。

 

「いくらピンチだからって顔合わせしたこともない部外者呼ぶな!」

「仕方ないじゃん! そよりん夜更かししないって言うし、楽奈ちゃんも寝ちゃったし」

「だからって俺を呼ぶな! ふんっ!」

「うわっ! なに!?」

「差し入れ!」

 

 千早にグミと飲み物を入れた買い物袋を投げつける。

 そもそも他にも人がいるなら言え。お前の分しかねぇんだよクソが。

 

 千早との会話をそこで終わらせると、起きている二人の女の子の方に視線を向ける。少し気弱そうな千早の同級生の子と、鋭い目をした千早と違う学校の子が座っていた。

 

「えっと、仲間内の作業してるところ、お邪魔してすみません。千早の友人の新山です。この度は千早が本当にすみません……」

「い、いえ。……えと、椎名です。こっちは燈」

「高松、燈、です」

「椎名さんに高松さんですね。よろしくお願いします」

 

 名前を記憶しておく。確か、ドラムとボーカルをしていた二人だ。

 

「ちなみに、そちらのベッドで寝てる方は……」

「そよりん? 長崎そよちゃんだよ」

「長崎さんね。もう一人の人はいないんだ」

「楽奈ちゃんはベッドで寝てる……」

「おっけ。一応全員いるのね。ちな、上の名前は?」

「さあ……?」

「お前マジで大概にしろよ……」

 

 起きたら挨拶しておかないと大変そうだなと思いながら、千早の隣に座る。

 とりあえず何かしら急いではいるのだから、手伝った方がいいことはあるのだろう。

 

「それで? 何困ってるんだ?」

「衣装! 明日ライブなのに完成してないの!」

「え、衣装?」

「うん。そっちの二人は新曲作るからって作業できないし、そっちの二人は寝てるしー!」

「……いや、明日ライブで曲終わってないなら、衣装作ってないで曲作り手伝うか、曲覚える練習しろよ」

「ほんとそれ」

「えー!? 衣装いるじゃん!」

「今までだって別に衣装とかなかっただろお前のバンド」

「そうだけど、ようやくバンドできたんだし、衣装欲しいじゃん!」

「知らんわ。ってか、そもそも名前も決まってなかっただろ。そっちは決まったのか?」

「うん、さっき決まったよ」

 

 千早が俺の質問に答えたところで、椎名さんが「は?」と声を上げた。

 

「本当にそれにすんの?」

「いいでしょ!? ね、ともりん?」

「う、うん。いいと思う」

「って言ってるけど?」

「ま、まあ、燈がいいって言うなら……」

「決まりね!」

 

 調子よさげに頷いて、なんかめちゃくちゃに落書きされた裏紙を俺に見せた千早が、自信満々な表情を浮かべた。

 

「迷子!!!!!」

 

 よく見れば、やたらめったら走っている線の中に、そんな文字も書かれているみたいだった。

 

「迷子、ってバンド名なの?」

「そう! 私達、みんな迷子だから」

「あー……」

 

 そんな話をしていたのは覚えていたが、そのまま名前になったのか。

 

「ってことで、明日までに衣装作らないとだから、たくみん手伝ってね」

「お前、服なんて作ったことねぇぞ」

「大丈夫。たくみん、家庭科の成績悪くなかったし」

「センスねぇ千早さんよりは評価良かったしな」

「あれはみんなが私のセンスに追いついてないだけですー」

「自分の名前使ったブランド名つける、自己顕示欲の塊みたいな女にセンスなんてあるか」

「はぁ!? 愛音って可愛いでしょ!?」

「…………布ってどれまで切ってあるの?」

「話逸らさない~!」

 

 千早を適当にあしらいながら、椎名さんと高松さんに合図を送る。このアホは俺が引き取るので、大事なところの作業はやってほしい。

 多分、椎名さんに意図は通じたみたいで、椎名さんはそのまま作曲の作業を始めていた。

 

「来ちゃったからには手伝ってやるから、さっさと説明しろ」

「……仕方ないなー」

 

 千早からデザイン案と、現状進んでいる分を見せてもらう。なんか、マジで布切ったところで作業止まっている辺り、本当に終わってるなという気持ちしかないが。

 

「これ、本当に終わるのか?」

「終わらせるのー。じゃなきゃ、また私服じゃん」

「別にそれでもいいだろ」

「よくない!」

「ええ、なんでだよ」

「一生やるバンドなんだから、最初は綺麗にしておきたいじゃん?」

「え? 一生?」

「一生!」

 

 自信満々な千早の言葉に疑問符を浮かべたが、千早は自分の発言の異常性に気付いてなさそうだった。

 

「……ん? どうしたの?」

「どうしたのって?」

「なんか、たくみん嬉しそうだったから」

「そうか?」

 

 自覚はなかったので首をかしげる。

 でもまあ、思い当たることはある。

 

「んー、これだけデカい貸しが作れたから、どうやって請求してやろうかなぁと」

「うげっ」

「おいおい気付いてなかったのかよ」

 

 千早は自分の居場所を見つけることができたらしい。

 あの千早が"一生"なんて言葉を使う日が来るとは思ってもみなかった。メッキにまみれた千早であれば、それこそ"一生"出てくることのなかっただろう。

 

「後でジュース奢るから」

「お前その程度で済むと思うなよ」

「ええー? はーい」

 

 千早が項垂れる姿に声を出して笑う。

 

 見栄っ張りで、自分をよく見せようと背伸びばかりしている。

 本心は、桜色をしたメッキの内側に隠れて錆びつかないように守られて、外から伺うことなんてできない。

 

「今度、累積分まとめて請求してやるから楽しみにしてな」

 

 次は、メッキを剥がした姿を目指さないといけないらしかった。


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