春が売っている――高松燈は目の前に販売されている燻製に使う桜チップを見て、思った。彼女にとっての春は集めるもの。だから買うものではないし、ましてや加工するものでもない。
どうして、生命を簡単に粉々にできるのだろうか。人としての活力になり得る美味しい料理を作るというのは理解できる。だからといって、見上げて愛でるものをこうも易々と砕いて売られているとなると、改めて生命の価値を考え直さなければならない……かもしれない。
とりあえず桜の燻製チップを手に取る。ビニール袋に詰められた木片、パッケージには商品名とメーカー名などが書かれており、どこもおかしくない販売品。しばし向き合っても、何の変哲もない商品だということ以外は分からない。
限られた手持ちで買ってみるかどうか……迷うこと、十分ほどでようやく決心した。試しに買ってみよう、うん、部屋の中に春を飾ってみよう。落とさないように両手で抱えながらレジへと進み、精算を済ませて帰宅する。
自室に戻って、早速開封した。柔らかい木の香りが
何故ならば、もう芽吹くことのない木片だから。枝から切り離された花びらも死骸、だから桜の燻製チップも死体だ。されど不思議と死を連想させない。
きっとまだ生きているときの息吹が残っているからなのだろう。身を粉砕された惨たらしい姿になっても、まだ命は残っている。果たして自分が死んだときにも、手元の桜のように高松燈という人間が生きていたと証明できるだろうか。
死した木片を目にして、彼女は改めて生命の執念を思い知る。途端、もう一度春を集めたくなった。桜チップを机の上に置いて、また外に出かけていく。
桜が咲いている通学路、小さなダンゴムシをよく見かける団地、春風で折れた枝が転がる河川敷。終わった生命も、始まる生命も集約される季節を高松燈は追いかけていく。道中で転んで膝を擦りむいても気に留めないほどに熱中して、収め切れない春を詰め込む。
ひとしきり収穫し終えて帰ろうとすると、ふと自分の傍を通り抜ける温かな風を感じて
ゆっくりと歩く花びら、懸命に走る燈。彼女の手が散った命を掴みそうになった瞬間、泥だらけのスニーカーが石につまずく。バランスを立て直す暇もなく、勢いよく転んで手や膝を擦る。
立ち上がってみれば、服に土汚れがつき、手には貼りついた黒茶に紛れて赤色が見え隠れしていた。痛みはそれなりに感じているが、興味の対象を追いかけることを優先。だが、花びらはどこかへと消えてしまっている。
仕方なく燈は家路につくことに。俯き加減で歩く彼女を見て、何か残念なことがあったのだろうと通行人は同情をするだけしてすれ違う。当の本人は淡々と今日感じた春について何度も考え直していただけだが。
帰宅したらしたで母親が小さく悲鳴をあげ、半分呆れた様子で汚れた衣服の面倒を見る。燈は燈で自身を清潔するためにシャワーを浴びては部屋着に着替えた。水気を拭きとった白い肌に繋がらない赤が目立つ。
豪快に擦った手のひらには適当に切られたガーゼを、小さな傷が控えめに主張する膝には絆創膏を貼る。痛みは治まらないが、活力の放流を塞き止められるならひと安心。不思議と心に開いた穴を塞いでくれたようにも感じた。
手当てが終わり、いよいよ自室にこもってノートに春を綴っていく。春が売られて、春を買った。自然の中で手に取る春とはまた違う身近さと生死が季節を繋いでいる。
春を追いかける痛みは、きっと穴が開いたときと同じだろう。自分で塞げない穴、誰かの助けを求める叫び声、気づいてくれた人の優しさ。春という言葉は温かく、柔らかく、されど簡単に命が散っていく。
つと放置していた桜チップの袋を見やる。開封されたままの口、鼻を慎重に近づければ柔らかく暖かい香りが微かに立つ。このまま春を閉じ込めて、独り占めしてもいいような気もするが、燈は言葉に変換しようとノートと向き合う。
伝えたいのだ、春という季節を。春は売られている、だから傍に置ける。