いつも夢を見る。
泣き喚いて許しを乞う人間を、シキは八本の手脚の先から糸を出してぐるぐる巻きにしてしまう。人間の姿はいつも年齢も性別もわからない、夢にありがちなぼんやりとした様相だった。
ぐるぐる巻きになった人間は顔だけが巻かれず、声も出なくなってその表情を恐怖に染める。
シキはまるで口付けでもするかのように頬を染め人間の顔に己の顔を近付ける。
そして────鼻からむしゃりと食べてしまうのだ。
シキはふと目を覚まし起き上がる。枕の横に置いたスマホは起床時刻を知らせるアラームが鳴っていた。
ぐう、とお腹が鳴って、脳裏には先ほどの夢の光景が思い浮かんだ。それを振り払い、シキは二番目の手を支えに立ち上がりながら三番目の脚で布団をめくった。
シキは「蜘蛛」の異形型個性をもつ人間だ。誰もが何かしらの特殊能力をもつこの世の中でも、いわゆる普通の人間、という見た目から大きく解離した人間は比較的少ない。
人間の手脚と蜘蛛の脚が合計で八本存在し、額にはガラス玉のような丸い目が六つある。おまけに体色は中身の血肉を感じさせない灰色。体格は異形型の中でも大柄で二メートル近く。
それなりに差別や偏見、好奇の目にも晒されてきた。けれど数年前に亡くなった両親からはたくさんの愛情を受けて育った。残念ながら同世代の友人には恵まれなかったが、両親亡きあとも周囲の理解ある大人に支えられながら生きてきた。
パックの米を温めてポットの湯で即席の味噌汁を作る。シキは手を合わせて朝食を食べた。
ヒーローになりたい。そんな子どものかわいらしい憧れを、両親は応援してくれた。
────シキがヒーローになってテレビに出るの、楽しみにしとくね。
優しい母の声を思い出す。
真新しい制服はシキの身体に合わせ、シャツと上着には三対の人間の腕と蜘蛛の脚のぶんだけ袖がついていた。ネクタイを結び、確かめるように一回転する。
数多くのヒーローを輩出する雄英高校。その制服である。
八雲糸生は雄英高校の一般入試をトップクラスで合格し、個性把握テストでも好成績を残した優秀な生徒だ。個性「蜘蛛」は汎用性が高く戦闘でも救助でも有用。人に圧を与える容姿をしているが、コミュニケーションも問題なく他生徒と馴染んでいた。
私生活においては両親が5年前から行方不明で一人暮らし。異形型の個性は同じく異形型の個性と惹かれやすいのもあいまって先祖代々「蜘蛛」個性。
一年A組の優等生であるはずのシキの運命は、林間合宿を境に大きく変化した。
最初の異変はUSJで起きたヴィラン侵入事件だ。
黒霧によって火災ゾーンにワープさせられたシキは、尾白を一足先にセントラル広場へ向かわせて1人で戦っていた。敵は統率が取れておらずひよっ子のシキでさえ簡単に打ちのめせるほど弱い。
「さて……これで終わりかな」
蜘蛛糸に巻かれ転がされる敵たちを見下ろしてシキは言った。次の攻撃がやってくる気配もない。尾白の後を追うべきかと考え────そして、不埒な欲望が脳内を過った。
シキの居る火災ゾーンはその名の通り火災を想定した場所だ。今立っている場所は火の手がなくしっかり換気された場所なので、窒息するということはない。すこし離れたところで火が轟々と燃え盛っている。こちらも厳重に管理されており、これ以上火が大きくなることはない。
たとえ炎の中で敵が焼け死んでいても、戦闘のはずみだと言い訳がきく。
敵を1人1人見物した。彼らは気絶しているからまだしばらくは起きないだろう。
(駄目だ、そんなこと! 私はヒーローになると誓った! だが……だが!!)
本能を抑えることはできない。
自然と口の中に唾液があふれてくる。周囲の物音さえ聞こえなくなっていく。
ごくり、と喉を鳴らす。
(食べたい!)
シキは1人の敵を貪り食った。噛みついたところから神経毒と消化液を流し込み、柔らかくなったところを啜り噛み進める。
なんて素晴らしい味。素晴らしい幸福。背徳感。
気が付けば、その敵は文字通り骨と皮だけになっていた。中身はすべてシキが吸い尽くした。
炎の中に投げ込むと、残った衣類や皮膚も炭になっていくのが見えた。
シキは後悔の念に駆られてうなだれた。
(ああ……
そして、林間合宿。
爆豪とともに連れ去られたシキは、椅子に縛り付けられたまま彼らの会話を聞いていた。テレビから流れる相澤の声は、2人を信じているというものだった。
「そういうこったクソカス連合!」
爆豪は先に拘束を解かれて臨戦体制を取った。
「だけどさあ……横に居るソイツはわかんねーよ?」
敵のリーダーである死柄木の声。シキはうつむいたまま唇を噛んだ。
「だって、もう
その言葉にシキは身を固くする。爆豪が信じられないとばかりに彼女を見つめた。彼女の口から否定の言葉が出るのを待っていたのかもしれない。
すべて知られている。
動悸をおさえられないシキにトガが近付いた。
「我慢しなくていいんだよ。だってあなたはもう敵。ヒーローになんてなれっこないんだから」
甘い囁きとともに拘束が解かれていく。
「わた、私は……ヒーローに…………」
「縛られなくていいの。自由になっていいんだよ? だって、チウチウするの、キモチイもんね?」
「おい、蜘蛛女! 耳を貸すな!」
シキはわずかな時間の間で思考を巡らす。
犯した罪が知られてしまっている以上、もう隠し通すことはできない。ならば彼らの言うとおり寝返って敵に加わる? そんなことはできない。
シキは内に秘めた欲望を抱えているが、ヒーローになりたいと願う気持ちも、その善良さも本物だ。罪なき人々に手を下すようなことはできない。
────そう、「罪なき人々」には……。
腕の上にある鋏角がトガの首を貫いた。
瞬間、その場の全員に緊張感が走る。
シキはトガの首を突き刺したまま、肩を揺らして笑った。
「なんでこんなことに早く気が付かなかったんだろう。敵を食べれば一石二鳥じゃないか!」
窓を割って飛び出すシキを敵連合の面々は追いかけようとする。しかし突然壁が崩壊し、敵たちはそれどころではなくなってしまう。
「もう逃げられんぞ敵連合…何故って!?」
オールマイトをはじめとしたヒーローたちが乗り込んできたのだ。
「我々が来た!」
外に待機していた警察やヒーローたちはシキの姿を目撃するが、その後の脳無出現や戦闘の本格化による混乱で捕まることなく逃げおおせてしまう。
「あはっ……ははっ……あっはははははは!!」
これが後の全面戦争においてたった1人の第三勢力となる、敵のみを喰らう敵……八雲糸生改め敵ネーム「アラクネ」の誕生だった。
オールマイトとその宿敵AFOが戦った神野の悪夢が終わり、雄英高校は全寮制として再スタートを切った。しかし、一年A組の教室は重くどんよりしている。
クラスの全員は既に爆豪の口からシキの行いを聞いている。いまだ足取りは掴めないようで、八百万の後ろの席に座る主は居ない。
「みんなも知っていると思うが……八雲について話しておくことがある」
相澤がそう切り出す。
「八雲は敵の1人である「渡我被身子」を殺害し、そのまま逃走。当然自宅にも居なかった。捜査のため無断で押し入ったが、訪問した形跡もなかった。ただ……」
彼にしては珍しく言い淀む。その様子に生徒たちも何が告げられるのだろうと身構える。
「冷凍庫から2人の遺体が見つかった。鑑定の結果……八雲の両親だと言うことがわかった」
その言葉に誰もが息を呑んだ。冷凍庫の中に両親の死体があることをシキが知らないなんてことは考えられない。
「遺体からは八雲の唾液と毒液が検出された。……まず間違いなく、八雲が殺害しているだろうというのが検察側の見解だ」
シキには強い食人願望があった。その欲求は幼少期から現在に至るまで続き、収まることを知らない。
同時に、彼女にはヒーローにならなければならないという強迫観念めいた願いもあった。それは欲望に負け殺害した両親との最期の約束であったからだ。
ヒーローになりたい気持ちと人を食べたいという相反する感情に板挟みになったシキは……ついに壊れてしまった。
「敵連合からはトガ以前に「3人殺害した」という証言があるようだが、もう1人の被害者は不明だ。しかし、USJ修繕の際に八雲の居た火災ゾーンから1人謎の焼死体が見つかっている。証拠は無いが可能性があるとしたらそれぐらいだろう……敵の発言を信用していいかどうかも怪しいがな」
教室内は無言に包まれた。誰も言葉を発せないでいると、梅雨がうつむいて涙を流し始めた。
「シキちゃんに聞かれたことがあるの……」
いつだったか、シキは梅雨に問いかけた。
「梅雨ちゃんは両親とも「蛙」の個性なのか?」
「ええ、そうよ」
「ということは、祖父母も?」
「たしかね」
「私もそうなんだ。両親も、祖父母も、その祖父母も全員「蜘蛛」個性だ」
シキの家系はほとんどが20前後で出産をしている。同年代の子供たちは個性社会黎明期から数えて第四世代から第五世代といったところか。しかし、シキは第七世代。今の小学生よりも世代としては先を行っているのだ。
「梅雨ちゃんは……自分を人間だと思うか?」
「……どういうこと?」
「私は……たまに自分が「人間」なのか「蜘蛛」なのかわからなくなる時がある……」
もしもこのままシキが同じ「蜘蛛」個性持ちと結婚し、「蜘蛛」個性の子供を産み、そしてその子供がまた「蜘蛛」個性持ちと結婚し……を繰り返していったとする。果たしてその子供は人間と言えるだろうか? シキには自信がない。
彼女の言葉は残念ながら梅雨には共感できなかった。だが自分の存在がよくわからなくなってしまうのは思春期にはよくあることだろう。
だから梅雨は友人の悩みに理解を示し、励ますことにした。
「大丈夫よ。心配しなくても。シキちゃんは紛れもない人間よ」
「そうかな……」
思えば、あれは彼女からのSOSでもあったのだ。
「私っ……あの時シキちゃんにもっと……もっと別のことができてたら……!」
蜘蛛は巣にかかりさえすれば鳥であっても補食する生き物だ。
とある生物学者はこう語る。
────もしも人間を捕えられる蜘蛛が存在するのなら、その蜘蛛は間違いなく人間をも食べてしまうだろう、と……。
八雲 糸生(やぐも しき)
ヒーローネーム候補(後の敵名):アラクネ
誕生日:7/22
身長:192cm
血液型:A
赤みのない灰色の肌に、四対の腕と脚をもつ。
一番目と三番目が爪の鋭い蜘蛛の脚。二番目が人間の腕。四番目が人間の脚。一番目の蜘蛛脚の上に鋏角がある。
目が八つあり、人間の目のほか、額に二列三つずつ目が並んでいる。
個性:蜘蛛
蜘蛛っぽいことならなんでもできる。
・蜘蛛と会話できる
・身体のどこからでも糸を出せる
・鋏角から毒を出せる
・口から消化液を出せる
・身長の約6倍の高さを跳躍する
・壁に張り付いて歩ける
・定期的に脱皮する
など
性格
まじめで物腰柔らか。
両親と最期に交わした「ヒーローになる」という約束が呪縛になっている。正義感もそこそこにあるが自分の大切な人を自分なりに大切にしたいだけ。博愛主義ではない。
その反面食人衝動が強く、ヒーローらしからぬ願望との板挟みになっている。