警告!:何でも許せる人向け(ミシェイルとミネルバは本編のイメージとかけ離れています)
※pixivにも投稿済み
――アカネイア暦597年――
「パオラ・・・」
「ミネルバ様・・・」
間近で見つめ合い、囁き合って、互いの身体に腕を廻して、口づける。恋人同士になってからというもの、二人は相手に夢中で、二人きりになるとすぐにどちらからともなく触れ合った。今もミネルバの私室で二人の時間を楽しんでいたのだが――
「・・・コホン、」
という咳払いの音に二人は顔を離してドアの方を見た。そこにはマケドニアの第一王子ミシェイルが開け放したドアの前に怪訝な顔で佇んでいた。
「兄上?」
「ミシェイル王子?」
二人同時に訊き返し、ミネルバは両手を腰に当て兄の方に向き直った。
「兄上!部屋を訪ねてくるときはノックくらい・・・」
「二度、した。返事がないので心配になって開けた。」
「・・・そうでしたか。」
ミネルバはバツが悪そうに目を逸らした。自身もパオラも互いの存在に夢中でノックの音に気付かなかったのだ。
「父上がお呼びだ。すぐに父上の書斎に向かうがいい。・・・うん?これは何だ?」
用件を言い終えると同時に踵を返し部屋を出ようとしたミシェイルはドアの脇に置かれたチェストの下に布切れが落ちているのを見とめ、拾い上げた。それを広げて見ると――
「な・・・パ、パンティー!?こんな透け透けのものをお前が・・・?」
ミシェイルがぎょっとして思わずミネルバを振り返る。
「ああ・・・。何処へいったのかと思ったらそこに落ちていたのですね。パオラからかねて聞き及んでいた城下町で人気のストリップショーなるものを彼女を観客に見立てて昨夜、真似てみたのですが、最後の下着を人差し指でクルクル廻して彼女の顔に投げつけようとしたところ、スポッと指から抜けてしまったのです。今まで忘れていました。」
「ス、スト・・・?」
淡々と語るミネルバにミシェイルが唖然とする。ミネルバは兄の反応に僅かに眉を顰めた。
「パオラも『ヒューヒュー!!』と囃し立ててくれて盛り上がったのですよ?」
「ミ、ミネルバ様!」
パオラが顔を赤らめ慌ててミネルバを嗜める。
「おお、ミネルバ。」
突如ドアの方から聞こえた男声にその場にいた三人が振り返った。ミシェイルとミネルバの父・マケドニア王オズモンドだった。パオラが胸に片手を当てさっと礼をする。王は開け放たれたままのドアから部屋に入ってくるとミシェイルの脇を通り過ぎてミネルバの前に立った。
「ミシェイルを呼びに行かせたが、待ちきれずに儂自ら来てしまった。」
王は上機嫌で続ける。
「お前が乗る飛竜の用意ができたのだ。これからはお前も竜騎士だ。早速乗ってみるか?」
「本当ですか!?父上、ではすぐに・・・」
娘の満面の笑みに父も笑いながら身を翻した。そのとき。
「うん?ミシェイル、それは何だ?」
自身とドアの間に佇む息子が手に持っているものにふと目を止める。父が現れたと同時にさっと手を下ろしたものの、妹の下着をポケットに入れるわけにもいかず、そのまま片手に握っていたものの、不自然に握り締めた手から僅かに布地がはみ出ていた。誤魔化そうとしても余計に訝しく思われるだけ、と思いミシェイルはパンティーを広げて父に見せた。
「女性の下着?なぜそんなものをお前が・・・」
「これは、ミネ・・・」
言い掛けたが、オズモンド王の後ろでミネルバとパオラがぶんぶんっと高速で首を横に振るのを見て口を噤んだ。確かに、こんな下品な下着がミネルバのものだと知れば父はショックで卒倒してしまうだろう。そこでミシェイルは無難に。
「・・・落ちていたのを拾ったのです。それでミネルバに落とし主に心当たりがないか訊いていたのですが・・・」
と答えた。オズモンドがミネルバを振り返る。
「心当たりがあるのか?ミネルバ。」
「いえ・・・」
「ふむう。城のこの棟は家族とそなたの乳兄弟であるパオラたち姉妹、限られた侍女しか出入りせぬ。」
王は片手で顎髭を撫でつけながら腕組みをした。
「(大きさからしても)カチュアやエスト、ましてマリアのものではあるまい。・・・もし侍女の誰かのものであったら、きっとその者は副業で風俗でもしているに違いない。暇を出さねば。」
つまりクビ、ということである。ミネルバはよく尽くしてくれる侍女が濡れ衣で解雇されるのは耐えられなかった。
「お父様、実は・・・」
だから本当のことを言おうと口を開きかけたのだが・・・
「もしや・・・レナ様のものでは?」
パオラが咄嗟に王子の婚約者である貴族の令嬢レナの名を挙げた。レナはミシェイルと婚約してから定期的に城に招かれていたため、この棟にも足を踏み入れることがあった。
「レナ殿?レナ殿がこんな下着を・・・?いや、まだ彼女のものと決まったわけではないが・・・」
オズモンド王が驚きに目を瞠った後、いやいや、とかぶりを振る。客人であるレナが一体どのような状況で下着を落とすというのか、という基本的な疑問には動転していた王は考えが及ばなかった。
「今度レナ殿がいらしたときに訊いてみます。それより父上、飛竜を早く見たいです。行きましょう。」
「おお、そうであったな。では参ろう。」
ミネルバがさり気なく話題を変えて、王とパオラとともに部屋を出て行った。一人残されたミシェイルは所在なさげに手元のパンティーを見、小さく溜息を吐いてそれをチェストの上に置くと自身も部屋を後にした。
――アカネイア暦605年――
「あっはっは!」
ミシェイルの昔話(もちろん素性がバレないように名前は変えてある)を聞き終えたクリスは大笑いした。ミシェイルがマケドニアの戦いに敗れて後、飛竜であてどもなく飛び続けてアリティア王国にあるセラ村に辿り着き、偶然知り合った村の青年クリスの家に厄介になって数日が経つ。
「笑い事ではない。後日『落とし主はわかったのか?』と父に訊かれ妹が返事に窮して『いえ。恐らく・・・ですが、母上が生前うっかり落とされたものかと。』と答えたことで件の下着は父が大切に保管することになったのだから。」
クリスはまたあっはっは、と笑った。
「はは、俺には親も兄弟もいないからあんたが羨ましいよ。」
「もはや戻らぬ日々だ・・・」
夕食後の団欒の時間。クリスが笑い過ぎて滲んだ涙を拭いながら言うとミシェイルは視線を落とし、呟いた。
「ミカリス(ミシェイルはクリスにそう名乗っていた)・・・。親父さんのことは残念だったが、妹さんたちは少なくとも生きてはいるんだろ?いつかまた会えるさ。」
「・・・だといいが。」
――会えたとしても昔のようにはいくまい。
それでも。ミシェイルは素直にクリスの励ましが嬉しいと思えた。
――本当に、クリスの明るさと前向きなところには救われている。
ミシェイルはともにいてクリスほど居心地がよい者に今まで会ったことがなかった。出会って数日しか経たないのに旧くからの知己のように感じる。そして彼を見ていると切ないような、胸が苦しいような感じがすることがあった。――が、その感情が何なのかは、そのときのミシェイルにはわからなかった。
――アカネイア暦597年――
「あっ、兄上!歯は磨きましたか?」
城の廊下でバッタリとミネルバに会った時、何の脈絡もなくそう訊かれてミシェイルは眉を顰めた。
「? 朝、磨いた。それがどうしたと言うんだ?」
「今日はフィアンセのレナ殿が来る日でしょう?念のためもう一度磨いては?」
「話が見えぬ。レナ殿が来ると何故、歯を磨かねばならんのだ?」
首を傾げる兄にミネルバは驚いた顔をした。
「兄上!もしやまだレナ殿とキスもしていない、とか?」
「・・・・・・」
ミシェイルは妹の言ったことを理解すると、当惑して見返した。一般的に、特に高貴な生まれの女性は正式に結婚するまで純潔を守ることが当然とされていたため、城でのデートも庭園の散策やテラスで茶を飲むだけだった。
「別に・・・いずれ結婚式の時に“誓いのキス”とやらをすることになるではないか。」
「・・・は?なぜ父上がレナ殿を城に招いていると?兄上とレナ殿が愛情を育んでいけるようにとの配慮ではないか!」
――そうだったのか。
レナの定期的な城への来訪にそんな意味があったことにミシェイルは今、気付いた。
「だが父上が決めた縁談だろう?結婚に愛情は必ずしも必要ではない。信頼があれば十分だ。」
「また・・・どこぞの婚〇アドバイザーのようなことを・・・」
ミネルバが額に片手を当てて首を横に振り、顔を上げてキッと兄を見据える。
「確かに父上が決められたことかもしれぬが、それも兄上を愛しているが故なのだ。何故、それがわからぬ!」
そして兄にビシ、と人差し指を突きつけると。
「とにかく!結婚に愛情が必ずしも必要でなくとも、あった方がいいに決まっています。お二人の幸せな結婚を私も父上もマリアも、皆が望んでいるのだから兄上も努力していただかなくては!」
「わ、わかった・・・。だがどうすれば・・・?」
妹のあまりの剣幕に、お手上げ、というように両手を軽く上げて見せ、ミシェイルが問うとミネルバは片手を顎に添え、ふーむ、と唸った。
「・・・そうですね。静かな夜、二人きりで暖かい暖炉を前にソファーに寄り添って座り、愛の詩でも囁けば、兄上のルックスならきっとオちます。」
「暖炉?今、夏だぞ?」
「~~~~っっ!!もう兄上のことなんて知りません!」
そう叫ぶとミネルバは怒って行ってしまった。なぜ妹が怒ったのかわからずにその後ろ姿を見送ったミシェイルは我に返ると小さく溜息を吐いた。
――アカネイア暦605年――
「さあ、お立合い!世にも見事な剣舞が始まるよ!」
野太い男の声が叫んだ。街の広場で観衆の中心にいるのは片目を布で覆った若い、紫色の長い髪の女剣士だった。不敵な笑みを一瞬浮かべたのを合図に、彼女は倭刀を鞘から抜き、舞い始める。力強くスピードのある剣裁き、大胆な跳躍に着地、ショーとしての見せ場をふんだんに盛り込んだ流麗な剣舞。彼女のすらりとした長身に胸元や二の腕、腿が露出したセクシーな格好が抜群のプロポーションと相まって、観衆は感嘆の溜息を漏らした。
やがてショーが終わり、女剣士が倭刀を鞘に納め優雅な物腰で一礼をすると、大きな拍手が起こった。すかさず彼女の連れである厳つい中年の戦士が大きく口を開けた革袋を持って人々を回る。人々は拝観料を革袋に入れると徐々に散って行った。
「マリス殿。」
クリスは野営地での夕食後、マリスの許へ行き話しかけた。街のギルドからクリスとミシェイルが護衛を引き受けた隊商は今、アリティアとグラの国境近くに差し掛かっていた。父ダイスとともに隊商を護衛する仲間である彼女は、木箱に露出の多い脚を組んで座り、小瓶の酒を呷っていたが、クリスに話しかけられて布で覆われていない方の目で彼を見た。
「お前は確か・・・クリス、だったな。」
「ああ、クリスだ。昼間立ち寄った街でのあなたの剣舞、見せて貰った。今までに見たことの無い型だったが・・・我流か?」
「ああ。」
「余りにも流麗な・・・っ!?」
「何だと。」
「な、なぜ、武器を抜く?」
徐に立ち上がったマリスに倭刀の切っ先を突きつけられてクリスが思わず両手を上げる。
「まあ、一度目だ。許してやる。」
そう言って剣を納めたのでクリスもホッとして手を下ろした。
「俺の親父、ダイスは賭博が好きでな。親父の奴、金をいくら稼いでもすぐに使っちまう。だから覚えたんだ。見世物としての、剣技をな。」
「なるほど。」
そこでマリスはクリスを改めて上から下まで見た。
「お前も剣を使うのか?」
「ああ。」
「ふうん?けっこう鍛えてるっぽいな。・・・どうだ?お前に剣舞を教えてやろうか?もちろんタダじゃないぜ?」
「あー・・、教えてもらいたいのはやまやまだが・・・、今そんなに持ち合わせがないんだ。」
「チッ。」
申し訳なさそうに後ろ頭を掻くクリスにマリスは舌打ちしたが、品定めするように少しの間じっとクリスの顔を見る。
「?」
「お前。可愛い顔してるのな?・・・講習代、ワンナイトでもいいぜ?」
マリスがにやりと笑い、クリスの耳元に顔を寄せ、囁く。
「・・・・へ?」
「クリス!!」
次の瞬間、ミシェイルが血相を変えて二人の許へやってきた。
「ミカリス?」
「お目付け役のお出ましか。じゃーな、クリス。」
マリスはクリスから離れて木箱の上の酒瓶を取ると、背を向け空いた手をヒラヒラさせて去って行った。
夜半。月は明るく、風も凪いでいる静かな夜。寝静まったキャラバンの傍らでクリスとミシェイルは見張り番についていた。周囲への警戒を怠ることなく、眠気を紛らわせるために時折言葉を交わす。
「・・・あんたがいてくれるおかげで、受けられる依頼も増えた。感謝してるよ。」
焚火の炎をぼんやりと見ながらクリスが呟く。単独のものだけでなくペアを対象に募集している依頼が受けられるようになったのはありがたかった。
「行くあてのなかった俺にお前は居場所を与えてくれた。礼を言うのはこちらの方だ。」
「はは・・・」
それきり会話が途切れた。ミシェイルはふとクリスを見、焚火の明かりに照らされる彼の端正な横顔を見るともなしに見ているうちに、以前ミネルバが言った言葉を思い出した。
『静かな夜、二人きりで暖かい暖炉を前にソファーに寄り添って座り、愛の詩でも囁けば、兄上のルックスならきっとオちます。』
なぜ今、思い出したのか。ミシェイルが自問するが――ふいに今のこの状況が彼女が言っていた状況に近いことに気付く。実際には暖炉ではなく焚火、ソファーではなく丸太で、(寄り添ってではなく)少し間隔を空けて座っていたが。
――今がミネルバの言っていた愛を囁く絶好の時、なのか?
クリスと出会ってからひと月が経とうとしていているこのとき、ミシェイルはもうとっくに彼に恋していることを自覚していた。だが、とミシェイルは思う。
――今の良好な関係を壊したくはない。想いを告げることで傍に居られなくなる可能性もある。
ミシェイルの冷静な部分は自身にそう言い聞かせたが。友情を失うリスクがあっても伝えたいと思えるほど、ミシェイルの中でクリスへの気持ちが大きくなっていた。
ミシェイルは迷った末、意を決してクリスの方に身体ごと向き直った。
「クリス。」
「ん?」
クリスがミシェイルのどこか緊張した様子に不思議そうに彼を見る。
「一篇の詩を・・・聞いてくれないか?」
「詩?ああ、いいけど?」
ミシェイルはクリスを真っすぐに見つめ、口を開いた。
「あなたは太陽 光の中で私を目覚めさせ 暖めるもの
あなたは星 夜の平穏の中で休む私を 見守るもの
私の標であり 人生の旅路を 導くもの
移ろうすべての季節に 雨の日も 嵐の日も
喜びのときも 悲嘆にくれるときも 傍らにはあなたがいる
あなたなしで 私は息さえできない
あなたは私の 永遠の生命」
いわゆる”恋愛”のカテゴリに分類される詩でミシェイルが覚えているものはごく僅かで、これはその中の一つだったが、ほとんど今の自身の気持ちそのものだった。
「・・・・・・」
ミシェイルの詩を黙って聞いていたクリスは暗唱を終えて尚、じっと見つめ続ける彼に顔が熱くなる。そしてやっとのことで、はは、とぎこちなく微笑った。
「・・・あんたみたいなイケメンにそんな真剣な貌で愛の詩?なんて詠まれたら、勘違いしてしまいそうになるよ。それ、あんたの好きな詩なのか?」
「クリス、俺は・・・」
「よお、お二人さん、そろそろ交替の時間だよ。」
そのとき、テントのフラップを開けてダイス・マリス父娘が出て来た。
「ああ、じゃあ頼むよ。」
クリスが微笑って腰を上げたのでミシェイルも嘆息して立ち上がり、自分たちに割り当てられたテントへと足を向けた。
――アカネイア暦597年――
「今度、街外れの教会でチャリティーコンサートを開くのです。」
マケドニア城のテラスでお茶しながら、レナが目を輝かせて、言った。今日はミシェイル王子と彼の婚約者であるレナの面会日・・・もとい、デートの日だった。
「なるほど。」
ミシェイルが口元に運びかけていたティーカップをソーサーに戻し、努めて自然に見えるように微笑んだ。
「私も他のシスターたちとハンドベルの演奏をする予定なのですが・・・」
と控えめな様子でレナが続ける。
「良い機会ですからミシェイル王子、貴方も参加しませんか?」
「・・・・・・」
――俺が?
「・・・その。結婚する前にお互いが関わっている世界を理解していた方がいいと思うのです。」
ミシェイルの率直な気持ちとしては『面倒くさい』だった。郊外の教会に赴くくらいならその時間を文武に励んだ方がよかったし、結婚相手を理解する意欲もなかった。父のオズモンドもマケドニア国内すべての教会や孤児院に十分な寄付をしている。だから何もわざわざ自分が参加しなくとも・・・と思わぬでもなかったが。
「私も正にそのためにお城へ貴方に会いに来ています。」
言外に『私もそうしているわ。貴方がしないのは不公平よ。』とでも言っているかのようなレナの言葉にミシェイルは暫し沈黙する。と同時に。
『結婚に愛情が必ずしも必要でなくとも、あった方がいいに決まっています。』
先ほどミネルバに言われた言葉を思い出す。
――まずは相手を理解することから、か。
ミシェイルは心の中で溜息を吐いたが笑顔を作って、
「・・・・それは、いい考えだと思う。」
と答えた。
「まあ!よかった!王子は何か楽器を嗜んでおられますか?演奏しなくとも、聴衆の一人として参加していただいてもけっこうです!」
「・・・・ピアノなら、少々弾けるが・・・」
逡巡した後、告げる。ミシェイルは教養としてピアノを幼少の頃から習っていた。
「教会にはオルガンしかありませんが、大丈夫ですか?」
「何とかなるだろう。」
――ピアノもオルガンも鍵盤の配置は同じだ。
城でのパーティーの余興に弾く機会もあったことから、元より大勢の前で披露することに抵抗はなかった。
「よかった!」
王子の申し出にレナはひどく喜び、その日の面会(いや、デートだ)を終えると『当日はお城に迎えに来ますね~』と言って笑顔で帰って行った。
そして。チャリティーコンサート当日。レナは約束通り城に馬車でミシェイルを迎えに来た。
「ミシェイル様。今日は私の兄マチスの知人でミカリス、ということにしましょう。」
馬車が動き出すとレナが言い、更にミシェイルの服装を見て。
「ええと・・・それでは目立ちすぎてしまいます。マントは脱いで、兄のコートをお召し下さいますか?髪も縛って差し上げます。」
そう言って予め用意していたと思われる兄マチスのコートを傍らの包みから取り出し、差し出した。レナと結婚すればマチスは義理の兄になるとはいえ、はっきり言って欠片ほども尊敬していなかったミシェイルとしては彼の服を着るのも気乗りしなかったのだが黙って受け取り、馬車で移動する途中その地味なモスグリーンのコートに着替え、髪も後ろで一つに纏めてもらった。
程なくして街外れの教会に着くと、チャリティーコンサートに来たと思われる人々がちらほらと教会目指して歩いていた。そんな中、馬車から下りたミシェイルを周囲の人が皆、振り返って見るのに気づき、レナは不思議そうな顔をした。
「おかしいですね。兄が着ていても誰も振り返らないのに、なぜ人目を引くのかしら?」
「・・・・とにかく行きましょう。」
この場にマチスがいたらひどく落ち込んで立ち直れないであろう台詞をさらっと言うレナを促し、ミシェイルは歩き出した。
チャリティーコンサートは、大成功だった。老若男女皆が笑顔で拍手喝采し、当初予想していたよりも多額の寄付が集まった。
そして帰りの馬車で。
「王子の演奏、素晴らしかったです!私が今までに参加したチャリティーイベントの中でも今日ほど盛り上がったことはありません!帰り際も女性たちに『また、是非!』と口々に言われるほどでした。」
興奮気味に捲し立てるレナにミシェイルがおざなりに微笑ってみせる。
「喜んでもらえたなら、よかった。・・・あなたのハンドベルの演奏も素晴らしかった。」
思い出して取ってつけたようにレナの演奏に対する賛辞を述べたが、彼女は全く聞いていないようだった。ミシェイルが心の中で溜息を吐きながら、問う。
「・・・ところで兄君のコート、もう脱いでもいいだろうか?」
「え?えっええ!もちろん!」
マチスのコートを脱いで自身のコートを着ると、今まで忘れていた疲労感がどっと襲って来た。それに追い打ちをかけるように。
「次のチャリティーイベントの企画が決まったらすぐにお知らせしますね!」
上機嫌で宣う婚約者にミシェイルは馬車の向かいから疲れた笑みを返した。
――だが。“次”はなかった。突如復活したメディウスによってマケドニアは否応なく戦乱に巻き込まれ――レナは国外に出奔、ミシェイルとの婚約は破棄された。
――アカネイア暦605年――
クリスとミシェイルが護衛している隊商は無事に目的地であるグラ王国の首都に到着した。お得意先の大店に荷を納品し終えると、雇い主の商人がクリスたち護衛4人のところへやってきた。
「今夜は空き部屋に泊めてもらえることになった。それで今夜たまたまホームパーティーをする予定だったってことなんだが、お前たちもどうだ?準備と片付けを手伝ってくれるなら手ぶらで参加していいとよ。」
「美味い飯と酒にありつける、ってんなら、もちろん参加するぜ!」
「親父が参加するなら、俺も。」
とダイスとマリス。クリスがミシェイルを振り返った。
「折角だし俺たちも参加しないか?」
「お前がそう言うなら・・・」
「よし、決まりだ。親方、俺とミカリスも参加します。」
クリスは笑顔で答えた。
そして夕方、ホームパーティーが開かれた。お得意先はほとんど豪商と言ってもいい規模の商家で居住スペースも広く、テラス窓を開け放してガーデンライトが灯った明るい中庭と一続きにした会場に続々と人がやって来た。ダイニングのカウンターやテーブルにはエールとジュースのサーバー、クラッカーカナッペやパン、チーズや燻製肉のスライス、魚のパイ包み、サラダ、野菜スープ、エッグタルトなどが所狭しと並んでいて、パーティーに来た人々も何かしら持ち寄り、品数は更に増えていった。
めいめいがジョッキを片手にあちこちで談笑する中、クリスとミシェイルも皿に取り分けた料理とエールの入ったジョッキを持ち、テラスにあるテーブルの一つに着いた。
「セラ村では冠婚葬祭のとき以外でこんな風に大勢が集まることなんてなかったから、新鮮だな。」
「俺もホームパーティーなるものは初めてだ。」
素朴な家庭料理に自家製のエール、人々の楽し気な笑い声。そして目の前には気の置けない友。
――これが平穏、というものか。
少し前まで自身が身を置いていた殺伐とした世界が遠い昔のことのようで、それと同時に今のこの時間がとても貴重に感じられる。そしてそれはミシェイルがクリスと出会ってから時折感じていたことだった。彼と出会えたこと、彼の傍にいられることが、奇跡のように思える。神など信じていない自分が、それを感謝したいと思うほどに。
――何故?
クリスと他愛ない話をしつつ、ミシェイルが自問し――突如として自覚する。
――俺はクリスを愛している。
気づいてしまえば、納得がいった。セラ村に辿り着いた当初、いずれは再起を図る心積もりだった自分が今では村での平穏な生活が続くことを願うようになっていたのだから。
――いつか彼が俺だけを見てくれるようになったら。
無意識にジョッキを口元に運びながら、クリスを見つめて、思う。
――俺を見て微笑み、俺の名を呼んで欲しい。そしていつまでも、共に・・・
少し、ぼんやりしてしまっていたらしい。
「ミカリス?」
名を呼ばれてはっとした。クリスが訝しそうな顔で見ていた。
「どうしたんだ、酔ったのか?」
「ああ、いや、・・・ぼうっとしていただけだ。」
「よお、クリスにミカリス。」
その時ふいに声を掛けられて二人は振り向いた。マリスだった。
「男二人でべったりってのはいただけないな。一人でいれば二人ともモテるだろうに。」
「別にモテたいとは・・・」
クリスが言い掛けるが。
「周り、見てみろよ。」
とマリスが顎をしゃくった。釣られて周囲を見てみると、何人もの女性たちがある者は何かを期待するように、ある者は仲間と何か囁き合いながら二人を見つめているのがわかった。
「・・・全然気づかなかった。」
「話しかけないのか?」
「・・・・俺、そういうの苦手で・・・」
クリスが言葉を濁したのでマリスはミシェイルを見た。
「あんたは?ミカリス。」
「俺も別に・・・」
「お前さんたちが動かないと娘さんたち皆が”私にも可能性があるかも”と思って他の男連中が割り込む隙がないんだよ。」
とマリスの後ろから現れたダイスが口を挟む。ミシェイルはフン、と息を吐き、椅子の背に凭れかかった。
「それなら、伝えてくれないか?俺は過去、一方的に婚約破棄されたことがあって、女性に声を掛ける気にならぬのだと。」
「「「えっ!?」」」
クリス、マリス、ダイスの三人は驚いてミシェイルを見た。三人が三人とも痛ましい目を向けるのに可笑しくなってフ、と笑うとミシェイルが続けて言った。
「クリスも唯一の肉親を亡くしてそう日が経っていない。だから今はそういう気分になれないと、そう言ってやればいい。」
「わかった。なら親方にはそう伝えるよ。お得意先の坊ちゃんが娘さんたちに話しかけても相手にしてもらえなくて困ってたんだと。」
ダイスはそう言って肩を竦めるとマリスとともに行ってしまった。二人を見送ってミシェイルはクリスに向き直り、
「これでゆっくり飲めるな?」
と言って微笑った。
「ミカリス、さっきの話だけど・・・」
ホームパーティーが終わり、中庭の方を片付けて廻りながら、クリスがミシェイルに話しかけた。
「うん?」
「婚約破棄された、って話。」
「ああ・・・、もう昔のことだ。」
「けど、辛かっただろう?失恋して自ら命を絶ってしまった人の話を聞いたことがある。あんたがそうならなくてよかったよ。」
「・・・・・・」
自死。そんな選択肢は微塵も思い浮かばなかった。婚約破棄されたとて、自分の中ではせいぜい腹いせにレナの兄マチスを前線に遣る程度の些末なことだった。
「・・・お前は俺が生きていてよかった、と思うのか?」
「それはそうさ。生きているからこそこうして出会えて、今も依頼を一緒に熟すことができるんじゃないか。・・・よし。これで中庭の片づけは終わったな。キャラバンの皆のところに戻ろう。」
ミシェイルは反射的に屋敷の方へ戻ろうとするクリスの手首を掴み、グイと引き寄せた。
「ミカリス?」
「・・・俺が。」
「え?」
「もし俺が、今もそのことを辛く思っていたなら、」
そして空いた方の手でクリスの顎を捉えて上向かせる。
「・・・お前は俺を慰めてくれるのか?」
クリスの同情につけ込む卑怯な訊き方だとわかっていた。とうに酔いは醒めていたが、今なら何を言っても酒のせいにできるという打算もあった。募る恋心を抑え切れず、そうまでしてもクリスに触れたかった。
――これをきっかけにクリスと恋仲になれたなら。
一縷の望みを抱いて、ミシェイルがクリスを見つめる。が――
「ははっ・・・」
驚いた顔で見上げていたクリスは我に返ると乾いた笑いと共に掴まれていない方の手で自身の顎を捉えるミシェイルの手をやんわりと外した。
「・・・だーかーら!あんたのその貌でそんなこと言われたら、洒落にならない、って!」
「クリス!揶揄っているのでは・・・」
「おおーい!そっちは終わったかー?」
そのとき、テラスの方からダイスの呼ぶ声が聞こえた。
「ああ!今行く!」
クリスが返事をし、掴まれた手首をさり気なくミシェイルの手から抜き去ると屋敷の方へと歩き出した。
「クリス・・・」
ミシェイルは少しの間その場から動けずに、哀し気な貌で立ち尽くしていた。
◇
その日の空は曇っていた。二頭の飛竜が並んで南へと飛ぶ。ふいに一頭の飛竜がもう一頭の飛竜に近寄り、飛竜を操る赤い鎧の細身の竜騎士――ミネルバが騎手に話しかけた。
「兄上・・・どうか、泣かないで。」
「!! ミネルバ・・・俺は泣いてなど・・・!」
だが自身の頬に手を遣ったとき、もう一人の騎手――ミシェイルは自身の頬が涙で濡れていることに気付いた。あまりの居た堪れなさに俯き目を閉じる。
「・・・あなたの涙・・・。見たのはいつ以来か・・・」
ミネルバが遣る瀬無い顔で兄を見、そして前を向いた。
「兄上・・・・。私は・・・私は本当は、あなたと争いたくなどなかった・・・!ただ・・・昔のようにあなたとマリアと一緒にいたかったのです。・・・けれどその私の我儘は今、あなたを愛する者から引き離してしまった。」
~*~*~
隊商の護衛を終えてクリスとミシェイルがセラ村に帰って幾らも経たぬうちに、暗黒戦争が終結したこと、アリティアで騎士登用試験が始まったことを知らされた。
クリスが騎士になるために王都へ発つ前夜。ミシェイルは漸く彼に自身の想いを伝えることができた。
そして。クリスの『帰る』という約束を信じてミシェイルはセラ村で彼の帰りを待ち続けた。
――クリスが帰って来た暁には二人でこの先どうするか決めればいい。
そう思っていた、のに。数か月ぶりに会えた彼の口から出た言葉は。
『ミシェイル王子。貴方はマケドニアに戻るべきです。』
『俺はマルス様の近衛騎士になりました。貴方と俺の生きる道は交わらない。』
完全な破局、だった。
~*~*~
そして今。ミシェイルはクリスとの再会の場に申し合わせたように突如現れた妹・ミネルバとともにマケドニアへの帰途に就いている。
『婚約破棄された、って話。』
『辛かっただろう?失恋して自ら命を絶ってしまった人の話を聞いたことがある。あんたがそうならなくてよかったよ。』
いつかのクリスの言葉がミシェイルの脳裏に浮かんだ。
――そうだな。失恋というものは。辛くて哀しくて、死んでしまいそうだ。
ミシェイルの頬を新たな涙が伝う。
「さらば、クリス。俺の愛した人・・・」
呟きは風の中に涙とともに、消えた。