クズとヤンデレの建国記   作:稲荷竜

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第38話 公爵救援演説

 しばらく休んでいるあいだに妻たちはうまいことやってくれたようで、私は長い時間を現実というものにかかわらずにすごし、たっぷり休むことができました。

 

 私に現実に起こっているさまざまな問題を思い出させたのは、秘書として重用していた青年のもたらした手紙でした。

 

「ルクレツィア様からは、『放っておけ』と言われたのですが……」

 

 秘書は独断であることを詫び、その手紙を私に差し出しました。

 

 すでに検閲済みだったのでしょう、その封筒に押してあった封蝋は割れていて、その紋様はルクレツィアの実家たる公爵家のものでありました。

 

 寝室のベッドの上でこの手紙を受け取った時、私はなんとも嫌な気持ちになったのでした。

 

 そういえば世間はまだ戦争みたいなことをしているし、アナスタシアを殺した犯人は見つかったという報告もない。

 昼神教との関係はもはや改善さえできないほど壊れているだろうし、故郷に残してきた両親もどのように扱われているかわからない……

 

 私は手にした封筒の口から、これらの問題が突風となって顔に吹き付けてくるような、なんとも不気味な心地を覚えたのです。

 放っておけば無視できて、自然と解決したはずの問題が、今、こうして封筒を渡されてしまったことにより、現実的なものになって、私の双肩にのしかかってきたかのような……

 

 もちろん、私がこの封筒を受け取ろうが受け取るまいが、問題が厳然と存在し続けているのは、わかっているのですけれど。

 

 私はいっぱいの覚悟をこめて封筒の中身を取り出し、そこに入っていた手紙をあらためました。

 

 それは案の定公爵からの救援要請で、『きっと、戦線を放り出して精霊国軍を退いてしまったのだから、怒られるだろうな』と思っていた私の予想と違い、なんとも悲哀に満ちた、哀れを誘うような、救援懇願とでも言うべき手紙だったのです。

 

 とはいえ手紙の内容はやはり『果たすべき責任を果たしてほしい』というような、『娘の婿』に対するものではあったので、私はやっぱりこれを見なかったことにしたくなりました。

 

 しかし手紙の最後のほうに、私の両親の身柄を無事なままあずかっているという一文がありました。

 

 両親。

 

 もはや私の精神は彼らのもとを離れ、『精霊王』になりつつありました。

 それでも情がまったく消え去ってしまうわけではないのです。助けられるものならば、もちろん、助けたい……

 

 それに、自分の両親のことを心配する気持ちがわいてきて、私は今さらながら、ルクレツィアの心労をおもんばかることもできました。

 彼女は一貫して『放っておいていい』という態度でしたけれど、ここで私は、自国の状況を思い出したのです。

 

 そもそも我が国の兵力は少し前まで、ほとんど公爵兵によって構成されておりました。

 それが撤収するのに合わせて『自国軍』というものを整備はしましたが、これは未熟で、数も少なく、全体の三分の二ほどを冒険者に頼っている状況なのです。

 

 この三分の二の中の半分ほどが義勇軍というかたちで、いわゆる『給料』を辞して精霊国に力を貸してくれるのでもっていますが、我が国は現状、貧しており、まともに兵を動かせる状態にないのです。

 

 この問題は私よりもルクレツィアのほうがくわしいでしょう。

 つまり、ルクレツィアが両親の安否にまったく無関心なように振る舞っているのは、『兵を動かして両親を救援するには、国庫の中身が足りなさすぎる』という、現実的な問題をおもんばかってのことではないかと、ようやく気付いたのでした。

 

 妻の、優しさ。

 

 あまりにも美しい献身なのでした。妻として、いえ、人として、なんと気高いことなのでしょう。

 

 彼女のそういった聖女のような振る舞い、自己犠牲をもって(おおやけ)に尽くす様子、己への特段の厳しさは、学生時代から、彼女の美点としてずっとあり続けていました。

 

 しかし私は、この思い出から、目を背けていたのです。

 そうして言われるまま、本当に気にしないでいいのだと思い、公爵救援の兵も出さず、自室でぬくぬくと眠っている……

 

 私の感情は、周囲に立派な人がいすぎるのと、人生でいろいろあったのとで、すっかりすり減っています。

 しかし、妻の献身を認識してなお、刺激されないほどでは、ないらしいのです。

 もちろん『尽くされることへのおそれ』という、いつもの、人の優しさにおびえる気持ちもありましたけれど、この時ばかりは、『妻のために、その親を助けたい』という、立派な気持ちのほうが、矮小ゆえの怯懦(きょうだ)な心よりも、大きかったように思われます。

 

 私は秘書に命じて支度を整えると、謁見の間へ行き、ルクレツィアを連れてくるように告げました。

 

 ほとんど外で待ち伏せでもしていたかのような速度でルクレツィアが現れましたので、なんだかみょうにそわそわする(ルクレツィアはそわそわしない人なので、この時の様子は印象に残っています)彼女に、こう告げました。

 

「兵を挙げて、君の親を救いたい」

 

 もっと他に、国王らしい言い振りもあったと思うのですけれど、私がその当時に述べたのは、そんな程度の、簡素な一言だったように思います。

 

 ルクレツィアは話を聞いてしばらく『よくわからない』というような顔をしたあと、「ああ」と今その話題を思い出したかのようにつぶやきました。

 

 なんという素気なさでしょう。

 しかしこれに騙されてはならないのです。彼女は、精霊国の、ひいては私のために、自分の親を助けたいという本心を言えずにいるのです。ここで甘え続けては、さすがに彼女の夫を名乗り続けることは、許されないでしょう。

 

 私は、人生で一番とも言える計略を行使しました。

 

「実は、公爵が僕の両親の身柄も確保しているようなのだ。そのためにも救援に向かいたいと思うのだけれど……」

 

 それは本当になにげない雰囲気作りにすぎないのです。

 あくまでも私のための出兵提案である。……まったくの嘘ではありませんけれど、第一の目的とも言えない、ようするに、『ルクレツィアが本心を語りやすいようにする雰囲気作り』が、私の『計略』なのでした。

 

 この程度のこと、なにが計略かと言われてしまうかもしれません。

 しかし、これは私にとってまぎれもない大軍略だったのです。

 

 私は責任をとるのが嫌いです。すべてのことは、誰か私ではない者の責任のうえで、私の決断を必要とすることなく、勝手に過ぎ去ってほしいと、そう願って生きてきました。

 

 その私が、『私の願望のために出兵したい』と告げる。

 

 これは妻のためでなければ、とてもできないほどの大冒険なのでした。人生のうちで二回もできないであろう、大変な覚悟を必要とする発言だったのです。

 

「どうだろう、国が苦しいのは、僕もある程度は理解しているつもりだ。けれど、それでも見捨ててならないものは、あるのだと思う。互いの両親を助けて、その眼前で『精霊式』の結婚をしたいと、君はそうは思わないかな」

 

「すぐに準備をする」

 

 ルクレツィアの食いつきは予想していた倍はよく、彼女がいかに苦しみに耐えて、両親救援を本心では望んでいたか、それがうかがえるようでした。

 

 そこからのルクレツィアの行動は本当に迅速でした。

 

 あれよあれよというまに整っていく軍を見ながら、私は人生で初めて、『誰かのために、行動できた』という確信を得て、その感触の心地よさに暖かな気持ちになっていました。

 

 ルクレツィアが今まで尽くしてくれたことによって生まれた、『恩の負債』とでも言うべきものを、ちょっとは返せたのではないかと、そう感じたのです。

 

 私が命じたからといって国庫の中身が増えるわけではありませんが、私が命じればそれは誰にはばかることのない『国策』になります。

 もちろん臆病な私は国が傾けば民衆の怒りが自分におよび、おそろしい報復をもたらすものと信じていますから、私の責任において国がかたむくようなことをしたくはありません。

 それでもこのように権力を行使し、こしゃくな策略を講じてまでルクレツィアに出兵を決意させたのは、きっと、これ以上知り合いが死ぬところを見たくなかったと、そのような気持ちもあったのだと、思います。

 

 実際的な問題への対処はなにもできない私ではありますが、責任だけはとろうという気持ちで出兵を決意しました。

 

 その覚悟のおかげか、大変苦手としている『人前に出て演説する』ということまで、この時にはできました。

 

『公爵救援演説』というタイトルで精霊王史にまとめられたこの時の演説は、例によって『この文章を書いた人は、私と耳の構造が違って、言ったことを言っていないように受け取り、言っていないことを言ったように受け取っているのではないだろうか』という仕上がりで記録されていますが……

 

 実際の内容についても、いっぱいいっぱいで、もちろん原稿は事前に用意していたのですが、バルコニーの前に集まる人だかりを見た瞬間にそれは全部飛んでしまい、あとはもう、自分でもなにを言ったのか、わからないほどですから、はっきりと『この内容は違う』と言えない有様なのです。

 

 ただ、私はその演説の終了したあとに、あの雪深い日、この国に来たばかりのころに吟遊詩人として初めて成功を収めた日のことを思い出しました。

 

 人生で三度とない『会心』の手応えがあったのです。

 

 世界史を紐解いても、『全国民』が義勇兵として立ったのは、この時の『精霊国による公爵救援』が、初めてのようです。

 

 私たちは国がすっかり空っぽになるほどの兵力で、公爵の救援へ向かいました。

 

 とてつもなく大きなうねりの中、神輿に乗せられて行進しながら、この当時の私は夢の中にいるような気持ちでいました。

 

 それはもちろん悪夢ではありませんが、決していい夢とも言えない、なんだかありえないことが起こっているなあという、他人事のような感じで、全国民を率いたまま、祖国の軍勢の横っ腹へとぶつかっていったのです。

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