クズとヤンデレの建国記   作:稲荷竜

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第82話 『私』の決断

 もちろん我々が海の領域に出向いたのには『我が国を飢饉から救う』という目的がありまして、私はそのために行動をしていたつもりでいます。

 

 飢饉から救う、ために、豊かな海・森の領域との貿易の手はずを整える、ために、昼夜神殿に閉ざされた販路をどうにかする、ために、精霊信仰者を海・森の領域に増やす、ための、布教なのでした。

 

 しかし以前にも記した通り、布教による精霊信仰の勢力拡大というのは、緊急的な事案にかんして即効性を発揮するものではありません。

 

 民衆がよく知る『もっとも即効性のある飢饉の解決方法』は『精霊王が魔術塔に頭を下げること』であり、どうにもいよいよ、王城に怒鳴り込むぐらいに民も追い詰められている状況のようでした。

 

 とはいえ王城に詰め寄られても精霊王は失踪しているので、『精霊王を出せ! 隠しているんだろう!』と言われたところで、宰相以下家臣一同、困り果てるしかなかったことでしょう。

 

 その当時の状況、心労については想像するだけでも呼吸が苦しくなるほどのもので、精霊王国の状況をオデットから聞いた私も、とてつもない『まずいことの気配』に、数秒、呼吸ができなくなるほどでした。

 

「それは、その、私が出て行けば、おさまったりは、しないだろうか」

 

 答えはわかりきっていましたが、問わずにはいられませんでした。

 

 オデットは答えに窮するように無言になりましたけれど、「まあ、あなたがしたいようにしなよ」と、いつもの突き放すようなことを述べるのです。

 

 私はこれに他意がないことをよく知っていますが、シンシアはこの冷たい口ぶりが許せなかったらしく、ずいぶんオデットに食ってかかったような記憶があります。

 

 もともとオデットは他のすべての妻と折り合いがよろしくないというか、王妃というよりも側近・懐刀のような立ち位置であったため、どうにも、他の妻から厄介視されている気配をたびたび感じるのです。

 

 私は争い、特に命の失われるような戦いと、親しい者同士の戦いを嫌っているわけなので、この二人にはどうにか仲良くしてほしいと思い、私にしてはずいぶんと心を砕いて折衝につとめたように思います。

 

 しかしオデット自身がほかの妻たちとの関係をどうでもいいと思っているふしがあり、しかもその態度を隠さないので、これが難航し、どれほど仲良くさせようとしても、『争ってはいない』という程度までしかいかず、それ以上を強要することもできず、ささやかに胃痛の種となっているのです。

 

 この当時のシンシアはちょっと過敏だったようにも思われて、行動がいつもより過激なので、ずいぶん強くオデットの態度をとがめていましたが、オデットがぜんぜん気にせずいつもみたいに笑っているので、あまりの手応えのなさに疲れはて、あきらめたようでした。

 

「お兄様、どうなさいますか?」

 

 そうして私に決断を求めてくるのです。

 

 決断、したくない。

 

 いつもいつも、私は自分に『決断』という能力がないことを嘆き続けていますけれど、それはどうにか決断ということをしようとはして、しかし勇気か、力か、もしくはほかの私には認識できない要素が足らないあまりできないと、そういうことになっています。

 

 しかしこの時はははっきり『したくない』と思ったのです。

 

 それは自分にしたって珍しい強い気持ちでしたから、もしかすれば、私の生来備わった、しかし今までまともに働かなかった危機察知の能力みたいなものが、あまりに過剰な危機にようやく警鐘を鳴らしたと、そういうことなのかもしれません。

 

 もしくは、とっくに答えが決まっていたから、それを口にしたくないと、そういう気持ちだったのかもと、思うのです。

 

 王城が民に取り囲まれ、彼らは精霊王を差し出せとうったえかけている。

 彼らは明日食べるものがなくなるかもしれないという不安の解決を望んでいて、それはもちろん生命にかかわることだし、彼らも彼らで、必死なのです。

 

 必死であるというのは、あらゆることを許すための言い訳になります。

 

 もともと民というのは『今、目の前』しか見えませんし、『自分』しか認識できないものなのです。

 対面している相手も自分と同じ一個の生命だとか、あるいは今の苦難を乗り越えようとする意味だとか、そういうものを考えません。

 

 そして民は悪ノリをします。

 

 それは私が生贄として誘拐殺人されそうになったあの漁村の事件を振り返るまでもなく、誰かがちょっと『王城に攻め入ろう』などと発言して、不特定多数がそれに悪ノリすれば、彼らはもう自分たちではどうにもできないものに流されて、それをするでしょう。

 

『流れ』。

 

 私がたびたびさらわれて、ままならぬまま転がされるこの大波が、今度は民の足元にあり、それを押し流そうとしています。

 

 だから私は『戻らない』とは選択できないのです。

 王城にはルクレツィアもその娘のスノウホワイトもおりますし、宰相もアルバートも、大公国王の娘ということになったので私の義理の妹にあたるエリザベート元第二王子だっているのです。

 

 ああ、行きたくない。

 

 私の苦難と苦痛を(いと)う心は、いつでもそれに立ち向かうのを嫌って、避けよう避けようとします。きっとそれは私の生来の性分であり、永遠に消えない、生まれつき体にあるアザのようなものなのでしょう。

 

 だからこれは、私が生きてきた中で積み上げたものがさせた決断なのです。

 

「帰ろう」

 

 はっきりと言ったと思います。

 もう、クーデターという状況にあると知らされただけで疲れ果て、倒れそうなほどだったのですけれど、その言葉だけは、はっきりと言ったはずなのです。

 はっきりと言わないと、とても口から出て行かないから、私はその言葉を述べるのに、だいぶ覚悟と力を費やしたのです。

 

 しかし、この一言だけではなく、もう一つ、私は覚悟をもって発言せねばならなかったのです。

 

「シンシアとシンシアは、海の領域に残ってほしい」

 

 言うまでもなくシンシアは私などよりよほどしっかりしていて、私が出向いてどうにかなることは、彼女ならば片手間に片付けてしまうだろうと、そのぐらいの信用があります。

 それ以上に信用できるのは実力で、彼女の冒険者として他領域への遠征を求められるほどの力は、私が民の暴動のせいで殺されそうになったところで一万や二万の貴族ならぬ民程度、相手が導器(どうき)を持っていても蹴散らしてしまえるように思われました。

 

 これをてもとから離すというのは、絶対にしたくありませんでした。

 

 けれどしなければならないのです。あの時の、発言したとたんに撤回したいあの気持ち、嘔吐をこらえるように泣き言をこらえるあの、えづくような、そういう喉の苦しさ、それはもう、すぐに思い出せるほどなのです。

 

 けれど、私はシンシアの力を子シンシアの安全のためだけに使って欲しかったのです。

 

 私はこの時の決断を後悔しております。

 この時に城に戻ろうと述べたことも、シンシアたちを海の領域に残そうとしたことも、それほどの勇気や力をどうやって出せたのかわからず、二度とできないとそう思うのです。

 けれど、この時はできました。

 

 精霊王の功績として私が唯一誇るのは公衆衛生施設を整備させたことですが、個人として私が誇るのは、この時の決断と、それから……

 

 とにかくシンシアは私が命じればすぐに従うという感じではなく、いったん彼女の中で私の発言を咀嚼(そしゃく)して、彼女の『お兄様』がどういう意図で述べたのか推測する時間を必要とします。

 

 この時もシンシアは一拍おいて、それから、こう述べました。

 

「いってらっしゃいませ」

 

 この時に彼女が決めた覚悟は、もしも私の身になにかあれば、どのような手段を使っても雪の精霊王国にいる人民を一人残らず滅ぼすというものだったらしく、あとになってこの時とはまた違った恐怖と安堵が胸中を支配するのです。

 

 書いているだけですさまじい疲労感を覚える一幕はこうして終わり、私はオデットをともなって雪の精霊王国に帰ることにしました。

 

 これほどまでに疲弊するならば書かなければいいという話なのですけれど、心に問いかけてみれば、私は、この時のことだけは、記したかったようなのです。

 

 誇れるもののない人生を送り、肥大化した虚飾に苦しみ、あえいできましたから、きっと、数少ない誇りをこうしてなにかに記しておきたかったのかもしれません。

 

 しかしこうして思い返してみると、もう『戻る』『シンシアをおいていく』という二つの決断でいっぱいいっぱいになり、オデットを連れていくことは当たり前みたいにしてしまったのが、彼女に申し訳なく、こういううかつな行動が、オデットをより懐刀めいた他の妻と違った扱いのように思わせ、ほかの妻たちとの摩擦を大きくさせているのだなと……

 

 どの時期を切り取っても、私の人生はやはり、うかつなこと一つ、情けないこと一つ、なにかしらをしなければならない運命にあるようです。

 

 ああ、完璧とは程遠い、私の人生。

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