狩りを終えたキリトとアスナは、突然の雨に襲われた。アインクラッドきっての剣士たちも自然現象には敵わず、ほうほうの態で森の中へ駆け込むが……。
「ねえ、キリト君……手、繋いでもいいかな」
 過ごした時の分だけ、二人の関係は深化する。

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森の中で

 鈍色に光る鋭利な爪が黒衣の騎士の二の腕を浅く削いだ。

鮮血めいた赤色のエフェクトが発生し、視界の左上に固定表示されている細い横線(ライン)がわずかにその幅を縮める。

HP(ヒットポイント)バーと呼ばれる青いそれは、プレイヤーの生命の残量を可視化したものだ。

減少幅は二割弱、これを最大値の八割以上が残っていると見るか、二割がた死の淵に近づいていると見るかは人それぞれだが、この世界における死は現実世界のそれと直結しているため、左端へと近づけば近づくほど必然的に後者の考えが頭を離れ難くなる。

 

『これは、ゲームであっても遊びではない』

 

 狂気に侵された天才プログラマー、ゲームの開発者にして支配者である茅場晶彦の宣言により、世界初となるVRMMORPG《ソードアート・オンライン》は紛うかたなきデスゲームと化した。

HPがゼロになる、すなわち《敗北》すれば死に至り、ナーヴギアを外す、つまり《ルール違反》をしても殺されるという恐怖のペナルティの真偽を確かめる術はプレイヤー側にない。

 

 だが、『この状況こそが、私にとっての最終的な目的だ』というフレーズは、ゲームの開始から一日が経過し、一週間が過ぎてもなお浮遊城《アインクラッド》から解放されないその事実をもって、理由の如何を問わず彼の言葉を信じていなかった者も、それが本心であったと否応なしに思い知らされることとなった。

 

 死の恐怖に捕らわれ、パニックを起こした結果、十五センチに満たない浅瀬で溺れるかのごとく死亡したプレイヤーは少なくない。

これは無理からぬことで、平和な日本で生まれ育った人間にとっては、日常生活を営む上で死は対岸の火事でしかないのだ。

 

 だが、熟練の剣士たるキリトの動きは、少なくともこの程度のダメージによって乱れることはない。ワーベアが振りぬいた腕を引き戻そうとするその隙に、《ヴォーパルストライク》の血色の閃光が敵の胸元に突き刺さり、被ダメージに応じたノックバックが発生する。

その間に、彼は視界の隅で捕らえていた、新たに湧出(POP)した二メートルを超える半人半熊のモンスターへと向き直った。

 

「アスナ、こっちは任せた!」

「了解!」

 阿吽の呼吸とは正にこの事で、名を呼ばれる前からスイッチに入る準備を済ませていたギルド《血盟騎士団(K o B)》の副団長《閃光》アスナは栗色の髪をたなびかせつつ稲妻のような速さでもって敵に肉薄する。

 

「はッ!」

 

 ソードスキル《リニアー》。

細剣術の基本技ながら敏捷性ステータスに依存するが故に凄まじい威力を誇る、素早く繰り出された素早い一撃は見事にワーベアの喉を貫き、頭上に表示されるHPバーが一ドット余さず消え去った。

長い断末魔を振りまきながら真後ろに仰け反っていく灰色の毛に覆われた巨躯が、不自然な角度でぴたりと制止した直後、ガラス塊を割り砕くような大音響とともに、微細なポリゴンの欠片となって爆散する。

 

「次!」

 

 黒の剣士は周囲に新たなPOPがない事を視認するや、出現した敵が攻撃モーションに入るよりも先に低い姿勢で熊男の懐に密着した。

間髪容れず、右手の剣を真横に切り払い、水色のライトエフェクトをまとった刀が剥き出しの腹を抉り、血液の代わりに鮮紅色の光芒が飛び散る。

ギャッ、という鈍い悲鳴を耳にしながら、しかしキリトの剣は止まらない。

起こしたモーションに従い、システムが自動的に彼の動きをアシストして通常ではあり得ないほどの速度で次の一撃へと繋げる、これこそがソードアート・オンラインにおける戦闘を決定づける最大の要素、《剣技(ソードスキル)》だった。

 

 左から右へと跳ね戻った剣が再びワーベアの胸を切り裂き、黒衣の剣士は勢いのままその場で体を一回転させる事で得た遠心力を伴う三撃目でもっていっそう深く敵の体を刻む。

 

「グルルアァッ!!」

 

 熊男は斬りつけられながらも右腕を高々と振りかぶるが、キリトの連続技はまだ終わっていない。右に振り切られた剣がバネに弾かれるような勢いで左上へと跳ね上がり、クリティカルポイントである敵の心臓を直撃する。

 

 計四回の連続攻撃によって彼の周囲に正方形に描かれた水色の光のラインが、ぱっと眩く拡散した。水平四連撃ソードスキル《ホライゾンタル・スクエア》だ。

 

 ワーベアのHPバーは一気に半分を割り、レッドゾーンぎりぎりまで減少する。

そこへ、駆け抜け様にお疲れさまと言わんばかりにウインクを放ってみせた美しき細剣使いの剣撃が、態勢を整えかけた敵へと炸裂した。

 

「ラスト!」

 

 白の騎士服に身を包む女性剣士の中段突きが華々しいライトエフェクトとともに立て続けに三度鳩尾付近へ突き刺さり、次いで切り払い攻撃の往復、斜めに切り上げを経て最後に二度の上段突きが喉に決まる。

この連続八回攻撃のハイレベル剣技《スター・スプラッシュ》は戦闘中であっても思わず見惚れるほどの華麗さであったが、幸いなことにこの日のキリトは命の危険を冒すことなく鑑賞できた。

 

 

「本当、いつまでも終わらないかと思っちゃった」

「だな。お疲れさん」

「キリト君こそ、お疲れさま」

 

 流れるような動作で鞘にレイピアを収めるのを横目に、黒の剣士は軽く肩をすくめて相槌を打つ。

視界右下に表示されている時刻を確認すると、都合、三時間近く人熊とやり合っていたことになる。

 

「結構やれるもんだな」

「だね」

 

 武器を収めたキリトは、改めて自分の体に意識を移した。

長時間の戦闘による疲労はあったが、ソロの時のようにこめかみの奥に鈍い痛みを感じることはない。

背中を預けられる相手の存在が大きいのだろう。

おそらくこの世界において彼女以上のパートナーは、まずいまい。

アインクラッドにおいて五指に数えられる実力者であるのもさることながら、戦闘における息の合いっぷりが半端ではないのだ。

ここ数日で、その思いはますます強いものとなっている。

 

「ところで、その湧きまくっていたワーベアなんだけど」

「何か気づいたの?」

「気づいたというか何というか」

 

 ここは隠れたワーベアのPOP地点として有名であるが、それにしても今日の湧き様は異常のひと言に尽きた。

無論、偶然かもしれない。だが、キリトはもしかしたらという解に思い至ったのだ。

 

「推論でしかないんだけどさ。今日の昼飯」

「チキンサンドがどうかした?」

「うん、あれは美味かった。が、その後だ」

「その、後」

 

 おそらくは意識していないのだろう、さらりと飛び出した褒め言葉に少し照れながら、アスナが鸚鵡返しにつぶやく。

 

「デザートがあっただろ」

「ああ、蜂蜜がかかった……って、まさか」

 

 意図に気づいて目を丸くするK o Bの副長に、最強のソロ剣士はニヤリと口の端を持ち上げた。

 

「そう、そのまさかじゃないかと思ってさ」

 

 こじつけないしは都市伝説に近い話だが、もしこれが事実であれば情報屋が高く買い取ってくれるだろう。

現時点ではあれだけの数に対応できるプレイヤーは限られるものの、ギルド単位で挑めば特殊攻撃を持たない敵であるため、格好の狩場となり得る。

 

「成功したら、もう一回さっきのやる?」

「そうね。帰るにはまだ早いし、やっちゃいますか」

 

 はたして実験は成功した。条件設定は、蜂蜜を用意すること。

しかし、熊が蜂蜜に引かれて現れるとは、茅場晶彦流のジョークなのだろうか。

 

 

 仮想浮遊城アインクラッドの四季は現実と同期しているが、その再現度は生真面目すぎるきらいがあった。

夏は当然のように暑く、冬は骨身に染みるほど冷え込む。

気温以外に雨や風、湿り気やホコリっぽさ、更には蚊柱すらも気候パラメータとして存在しているらしく、いずれかが好条件であればたいてい他のどれかが悪い。

全てが好条件に固定されることは、年間を通して指で数えられるほどしかないと言っても過言ではないのだ。

 

 今日の気温はほどよく心地よい風が頬を撫で、羽虫が湧くこともなかったが、日が傾き始め、帰路につこうとした途端、にわかに雲が立ち込めたかと思うと激しく降り始めた。

いざ覚悟を決めればボスを前に物怖じすることのない名うての剣士たちも、天候にはかなわない。

大粒の雨から逃れようとほうほうの態で逃げ惑う姿は、相当にレアな光景だった。

 

 敏捷パラメータをフルに発揮し、全速力で吹きさらしのフィールド上から森へと向かったものの、生憎、雨よけとして役立ちそうにない。

植生は針葉樹が中心で、葉が雨を受け止め切れないのだ。

 

「アスナ、あそこにうろがあるぞ!」

 

 さすが、と言うべきだろう。

高い索敵スキルを持つキリトの目が、数十メートル先に格好の逃げ場を捕らえた。

 

「わかった! 足元に気をつけて!」

 

 視界が悪化する中、半歩遅れて併走するアスナが叩きつけるような雨に負けないよう叫び返す。

 

「そっちこそ!」

 

 仕様なのかそこかしこで地面から突き出している根に足を引っかけないよう改めて注意を下向けかけた黒の剣士は、不意に傍らの細剣使いが姿を消したのを知覚すると同時、全力で近場の樹木を蹴りつけることで急制動をかけた。

 

「きゃっ」

「アスナ!」

 

 キリトは即座に反転し、足を滑らせたのだろう、悲鳴を上げて宙を舞うアスナの体を横飛びで抱きとめると、今度は振り上げた足裏を正面に迫る木へと叩きつけて速度を殺し、着地する。

止まるのに使った足場が破壊不能オブジェクトでなければ、樹木を何本へし折っていたかわからない衝撃だった。

 

「……危なかったな」

「……うん」

 

 腕に抱いた女性剣士のHPバーが一ドットも減っていないのを確認して、黒の剣士はようやく険しい顔つきを解く。

背筋を雨水とは違う、冷たい何かが流れ落ちる。

HP残量からいえば命の危険はないものの、そのまま転倒していれば動きやすさを優先するが故の軽装が災いしてかなりのダメージを負っていたのは間違いない。

 

「それよりキリト君こそ平気? すごい音がしたけど」

 

 自身を捕らえるヘイゼルの瞳に浮かぶ気遣いの色に、キリトはニヤリと笑った。

 

「だいじょうぶだ。これくらいでどうにかなるような鍛え方はしてないからな」

「そっか。だったら、よかった」

 

 言葉どおり黒の騎士のHPバーにほとんど変化はなく、アスナの表情に安堵が広がる。

数秒の後、彼女の白い頬が微かに色づいた。

咄嗟のことで気にならなかったが、落ち着きを取り戻すと、腕で抱きかかえられた状態、いわゆるお姫様抱っこをされているのだ。

 

「あの、あのねキリト君」

「ん?」

 

 いつもの飄々とした顔で目を瞬かせいるところをみると、彼はまだ二人が置かれている状況に意識が及んでいないらしい。

血盟騎士団の副団長はますます頬が熱くなるのを知覚しながら、ごく控えめに指摘した。

 

「その、いつまでこうしているつもり……かな」

「あ、ごめん!」

 

 顔を真っ赤にしたキリトは、慌てて細身の体を足側から地に下ろした。

 

 

「さて、と」

 

 うろの中は優に二人が座ることのできるスペースを有していた。

 

「見たら、引っぱたくからね」

 

 ひとまず濡れたままの格好でいるのは望ましくないと、着替えるべくメニューウインドウを開きかけたところで、アスナは思い出したようにそんなことを言ったのだ。

 

「見ないよ。見ないから落ち着けって!」

「そこまで慌てなくていいってば。別に疑ってるわけじゃないし」

 

 ほんの冗談のつもりだったが、キリトの狼狽ぶりは凄まじかった。

予想していたよりも過度の反応が返ってきたことに口元を弓にしながら、白の細剣使いは手元で操作を進めていく。

 

 程なく着替えは完了し、双方が私服になったところでソードアート・オンラインで一、二を争う手だれはぶっきらぼうな言葉とともにパーティー用の共通ストレージにアイテムを移動させた。

 

「それ、遠慮なく使ってくれ」

「え?」

 

 アイテム欄の野営用のベッドロールと思しき物を目にしたアスナは、きょとんとして傍らの剣士を見やる。

すると、すぐに補足の説明があった。

 

「断熱は完璧だし、対アクティブモンスター用のハイディング効果もついてる」

「あ、ありがと」

 

 しかし、アスナは件のアイテムをオブジェクト化させる寸前で思いとどまった。

 

「だけど、ここで使うにはちょっと大きすぎない?」

「……そりゃそうだ」

 

 並んで座る分にはまったく問題ないが、いくらなんでもシュラフのようなものを広げられるほどの広さはない。

そんなことをすれば、二人のうちどちらかがこの場所を出なければいけなくなってしまう。

 

「そうだ。きみのアイテムには及ばないけれど、一応ハイディング効果がついた毛布があるの」

「へえ、そんなものがあるんだな」

「ええ。一枚しかないから、一緒に使うしかないけどね」

 

 え、とつぶやいたキリトはすぐ我に返って異を唱えようとしたが、それより先にK o Bの副長が朗らかに告げる。

 

「遠慮なんてしないでよ。昨日今日、知り合ったばかりの二人じゃないんだし」

 

 出会ってからというもの、ボス攻略を巡る意見の対立で口論は絶えず、デュエルによって決着をつけたのはそれほど古い話ではない。

だが、この場でまだ記憶に新しいエピソードを口にするほど、キリトは無謀ではなかった。

 

 降りしきる雨を眺めているうち、いつしか陽は落ちていた。

それでも、毛布のおかげで寒さを覚えることはない。

何より、一人きりではないことの心強さは、いかばかりか。

長らくソロプレイを経験し続けてきた黒の剣士は、認めざるを得ない安心感に、笑みとも苦笑ともつかない表情で静かに目を伏せる。

 

 その時だった。

 

「ねえ、キリト君」

「……なんだ」

 

 穏やかな呼び声に思わずドキリとしつつ、キリトは瞼を開いた。

薄闇の中、うっすらと見える美貌はまっすぐにこちらへと向けられている。

はしばみ色の瞳は、どこか濡れて見えた。

 

 返事はすぐになかった。

まさか空耳だったのかと考えかけた瞬間、アスナはやや語尾を震わせながら言葉を継いだ。

 

「……手、繋いでもいいかな」

「手? あ、ああ。別に、構わないけど」

 

 他に答えようはなかったのか。

かろうじて裏返ることだけは回避した返事に対する突っ込みはなかった。

代わりに、どういう意図で発された台詞であったのかを考える余裕もないほどの動揺に襲われていた黒の剣士の左手を柔らかな感触が包み込む。

 

「……雨、いつまで降るんだろうね」

 

 両者の声音は普段よりも少し上ずっていたが、鼓動の早さがその認識を阻んでいた。

ただ、繋がっている部分の熱だけは、はっきりと感じることができた。

 

「……さあ、な」

 

 《閃光》が盗み見た横顔は、心なしどぎまぎしているように映った。

こっそり見られたことを知れば、彼は怒るだろうか。それとも……。

 

「早く止めばいいのにね」

 

 アスナはそう言って、手のひらと肩の一部を通じて伝わる温もりにそっと目元を桜色に染めた。

内心では、ずっとこの時が続けばいいと思いながら。




 皆さま、はじめまして。SAO・SSです。
壁殴り指数はそれなりに高めかと思いながら書きましたが、いかがでしょうか。
ちなみに私自身は高い耐性を持ってますので、これくらいはまったく平気です。
最初はクラインを登場させるつもりでしたが、今回は二人のみといたしました。
彼はコメディもシリアスもこなせるいい男なのですので、またの機会に活躍してもらおうと思います。
それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。

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