穏やかな日差し、ゆっくりと舞い散る桜。咲き誇った花々の香りが、優しく鼻腔をくすぐった。時間が進んでいることを忘れているような情景の中で、元気に駆け回る赤い着物の少女。狐は、"何を言う"でもなく、丸まりながら桜の木の根元でそれを見つめていた。
____そういえば、あの時も桜舞い散る春だった..........
狐は、ふと、目を閉じる。
獣は、長く、永く生きるほど...妖力だとか、霊力だとか、魔力だかを溜め込んで、世の理から外れた"化け物"と成ることがある。 かく言うこの狐もその一匹であった。でも、なぜそうなったかはもう覚えていない。人と同様の考え方ができるようになった時には、もうその頃の記憶は遠い時の回廊の向こうにあった。
...いわゆる、物心というものがつくまでは、人の時代が2つほど変わるくらいの年月を要した。
血で血を洗う、永遠に続くように思われた戦が終わりを告げ、太平の世が訪れてしばらくたった頃。 人里を外れ、誰も寄り付かないような山の中に住む、変わり者の男が居た。ボサボサの髪、病人のように細いのに、日ノ本の人間とは思えない背だけ高い奇妙な図体。薄汚れ、何か異臭を漂わせるその男。男は"人でなし"であった。穢多、非人。動物の死体や皮の加工をする、穢れを持ち、多くの人間から忌避される存在。
日暮れ。その男は仕事を終わらせ、川で身を最低限清めて住まいに帰ろうとしていた。夕焼けにも桜はよく映える。この光景が、男は好きであった。
家の戸を開けようとした時、中から妙な物音が響いていることに気づいた。また、なにか獣が死体の滓を漁りに来たのであろうか。仕事道具のナタを片手に、その方向に足取り重く向かっていけば、意外にもそこにいたのは...
「......童.....?」
「..........!?」
人間の、子供のようであった。一糸まとわぬ姿の子供が、獣の肉を、血で体を汚しながら食べていた。不気味な子供だった。その伸びきった髪は、決して日ノ本の人間ではありえない、金の色。鋭く尖った牙に、西洋人のように大きい瞳。だが、男が最初に抱いた感想は意外にも、
「き、きれいじゃ.......」
二人の"人でなし"。桜の舞い散る中、その出会いは突然であった。
「ちがう、おぬし何者じゃ!?どこから来た!?」
「あ...........う.........あ.....そこ....おやま............」
「........冗談じゃろう、山の中でずっと暮らしてたとでもいうのか?」
こくこく、と子供は頷いた。体つきはもう10つは超えてそうなものなのに、言葉を覚えたてであるかのように必死にひねり出している。なんとも不気味。これではまるで、妖______
「.......本来はいかんのじゃが、もう日が暮れるのにこの山道を歩くのは不味いのう.....。ついてこい」
「え............あ.......う、うん...........」
非人である男は本来、普通の身分の人間を避けて生きねばならないのだが、子供を一人で夜歩きさせるのも、どうにもできそうになかった。困った様子で、子供を居間に案内する。
「ワシの着物しかないが、我慢しとくれ。」
「....」
といっても、それで最後の一着なのだが。金が無い訳では無いが、特に多く持つ必要性もない。サイズがあっていないのか、子供はソワソワ落ち着かない様子だ。
それはそうと夕餉の時間である。川魚の丸焼きと、米以外のものが沢山混ざった飯、山菜がたくさん入った味噌汁が2人分並ぶ。
「ワシは一郎(いちろう)という、おぬしは?」
「........なまえ、ない....」
「なんと....。うーむ、捨て子か何かなのかのう......。気の毒じゃ、とりあえず仮の名前でも....」
そうやって男がうんうん悩んでる間に、子供はいただきますも言わずに、魚に齧り付いていた。なんと瞬く間に骨まで平らげてしまった。ほかのものに手をつける様子は無い。
「..................野菜も食べるのじゃ。」
「............」
「はぁ.......好き嫌いが激しいのう、ご馳走だというのに.....。 よし決めた、野菜嫌いが治るように、おぬしの名前を野菜にしてやる」
「おぬしは今日から"カタクリ"じゃ。」
「か....た....くり....」
「そうじゃカタクリ。沢山食わんと大きくならんぞ」
「......なまえ、カタクリ......えへへ......」
一郎と、カタクリ。誰も知られることなく進んでいく物語が、動き始めたようである。
カタクリの花言葉 『初恋』 『嫉妬』