朝の都電荒川線。電車が軌道上をガタゴトと進む。車内には私の他にも、学生。通勤客。学生。通勤客。学生。気持ち学生が多いかも。
次は、学習院下。羽丘女子学園の最寄り駅。車窓から見える沿線の様子。この路線で通学するようになって、四回目の春。雲一つ無い青空の下で桜色が映えている。
ゆっくりと減速。そして停車。扉が開くと、続々と羽丘の生徒が降りていく。今年はここを降りなかった。顔を下に向ける。胸の前には赤いリボン。身に纏うは明るいベージュ色のセーラー服。扉が閉まる。もう車内の学生は、私と同じ格好の子がほとんど。次は、面影橋。
面影橋を発車した電車は、ついに終点の早稲田に到着する。ここが、今日から通う高校の最寄り駅。
羽丘女子学園の中等部を卒業した私は、花咲川女子学園の高等部に入学した。
入学から一週間が経った。そろそろクラス内では仲の良いグループが固まって来る頃。……とはいえ、そもそも花咲川は内部進学組がほとんどだから、元々出来上がってしまっている雰囲気がある。私を含め外部生としては、少し入りにくい感じがする。それでも、うまく立ち回ることができれば、どこかのグループに属するくらいはできたはずだった。
昼休み。前の方では楽しそうに談笑しながら昼食を摂っているグループ。教室をぐるっと見回せば、他にもいろんなところに固まって皆、食事を摂っている。対する私は、今日も一人でお弁当を開いていた。結局、いずれのグループの構成員にもなれなかった。
なんとなく、こうなる気はしていた。ぼんやりとここ一週間の出来事を思い出す。一つ、教室の入り口前を塞いで話し込んでいたグループを注意した。二つ、掃除当番を真面目にしていない奴を注意した。三つ、班別学習でメンバーの一人と対立した。私は間違ったことをしたとか、言ったというわけではないと思う。でも、きっとそれは正しいことじゃない。
注意や指摘をするとき、言い方がきつくなってしまったり、言い過ぎてしまったりする。相手の顔に浮かぶ鬱陶しそうな表情。それに、怯えた表情。私が吊り目で目つきが鋭く見えてしまうのも、きっと良くないのだと思う。別に嫌がらせを受けているわけではない。ただ、遠巻きにされている感じ。たとえ環境が変わっても、うまくいくわけじゃない。
それでも、羽丘の高等部に進んでおけばよかったと思うことは無かった。羽丘にいたら、
どれだけゆっくりお昼を食べても、昼休みはニ十分ほど残ってしまう。他の子たちのように話し相手がいない私は、机の中からワイヤレスイヤホンとスマホを取り出す。スマホを机の上に置いて何を聴こうか悩みながら、いつものようにイヤホンの右側をケースから取り出す。よそ見をしていたこともあってか、手からイヤホンが滑り落ちて床に転がっていった。すぐさま下を見るけれど、足元には見当たらない。少し遠くに転がっていってしまったようだった。はぁ……と溜息を吐いて床を這うようにしてイヤホンの片割れを探し始める。
「これ、椎名さんのですか?」
上から声が聞こえてきた。見ると、私の目の前にイヤホンの片割れを差し出しながら立っている女子生徒。そのイヤホンは、まさしく私が落としたものだった。
「ありがとう。八幡さん」
透き通るような白い肌。水浅葱色の瞳。細い吊り眉と長い上まつ毛、それにキュっと引き結ばれた小さな唇が怜悧な印象を与える。濡羽色の髪の長さはセミロングくらい。髪先は耳より前が内に跳ね、耳より後ろは外に向かって跳ねている。この人は、八幡海鈴さん。授業で同じ班だったり、体育の時によくペアを組んだりする関係で、この学校で一番接触が多い。私は八幡さんに立ち上がってお礼を言うと、彼女の右手からイヤホンを受け取る。
「どういたしまして。では」
私にイヤホンを渡した八幡さんは自席に戻っていく。私の席の二つ後ろ。右手でスマホをいじりながら、左手には食堂で買える紙パックのジュースを持っている。
ギターか、それともベースか。自席に戻った私は、スマホをスクロールしながらふと考える。八幡さんの右手には、たこがあった。朝、楽器ケースを持っているのを見かけたことがある。冷静に、正確に音を刻んでいくベーシストだろうか。それとも、音を歪ませてガンガン鳴らしていく破天荒なギタリスト? ……だとしたら、イメージと違いすぎて困惑すると思う。
……バンド、組んでいるのかな。考えているうちに、頭が勝手にその問いを導出していた。バンドを組んでいる彼女を思い浮かべてみる。彼女は真面目だ。班別学習のときも、自分の役割をきちんと全うしていたし、班員とのコミュニケーションも欠かさない。……私が班員の一人と揉めたとき、仲裁してくれたのも彼女だった。いざというときに取り仕切りもできる頼れる人。バンドでもその能力を遺憾なく発揮していることだろう。想像が膨らんでいく。
……やめよう。しかし膨らんだのは、彼女に対する正のイメージだけではなかった。この胸の中に疼く醜い気持ちはやり場もなく自身を苛む。
……ああ、こんな自分が嫌いだ。
「使うものは全部ここに置いてあるよ。淹れ方はさっき教えた通りだけど、わからなくなったら手元にマニュアルあるから、それを見て淹れたら大丈夫だよ」
「はい、ありがとうございます。凛々子さん」
放課後、私はカウンターの内側にいた。ここはライブハウスRiNGのカフェテリア。私はつい先週からここでアルバイトをしていた。今はここの責任者である凛々子さんに、接客とドリンク提供のやり方について教えてもらっているところだった。
「それじゃ、私あっちの方に戻るね。わからないことがあったら沙綾ちゃんに頼ってね」
「はい。わかりました」
凛々子さんが自分の業務に戻っていく。その後ろ姿を見送った私は、もう一度さっき凛々子さんに聞いた内容を反芻し直す。まだこのカフェにお客さんは来ていない。今のうちだ。
さっき教えてもらったことを一通り確認し終えたところで、声を掛けられる。
「すみません」
顔を上げると、目の前のカウンター席に一人。私と同じ花咲川の制服。
「「あ」」
お互いの目線が合って、声が重なる。八幡さんだった。
「椎名さん。どうも。アルバイト先ここだったんですね」
「うん。八幡さんはスタジオ練?」
「ええ。そうです」
八幡さんの右にある楽器ケース。ギターか、ベースか。いや、そもそも。
「やっぱりバンド組んでるんだ」
「いえ、あくまでサポートですね」
「へぇ……。自分のバンドは無いの?」
「今は無いですね。専らサポートだけです」
サポートだけ。少し意外かも。……いや、彼女は仕事人って雰囲気もあるから、案外ぴったりかもしれない。
「……ところで、やっぱりというのは?」
前から予想していたこともあって、口に出てしまっていたらしい。彼女は首を傾げて聞き返してくる。
「学校にも楽器ケース持ってきてたから……それで」
そう言うと、八幡さんの口角が少し上がった気がする。
「よく見てるんですね」
「……席、近いし。見えるから」
何だろうか。見られていたことに気を悪くした、というわけではなさそうだし。
「私のこと、気になりますか?」
「は?」
思わず声が出る。慌てて周りを見回した。彼女以外お客さんはいない。ほっと胸を撫で下ろした。彼女の方に目を戻すと、彼女は悪戯な笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「とてもピュアなんですね。椎名さん」
「はぁ……。八幡さん、なんのつもり?」
「少しおしゃべりがしたかったまでです」
「バイト中なんだけど」
「これは失礼」
……調子が狂う。私は天を仰ぐ。それにしても意外だ。こんなに気さくな人だとは思わなかった。おとがいに右手を添え、目の前のメニュー表を眺めている彼女を再び視界に収める。
「注文いいですか?」
「……お伺いします」
「ではこちらのカフェオレを」
「カフェオレですね。少々お待ちください」
あんなに同級生と気軽に会話したの、久しぶりかも。彼女からの注文の品を用意しながら、私はふとそう思った。
「椎名さん。おはようございます」
「ん……。おはよ」
RiNGで会った次の日から、彼女との会話が少し増えた。とても真面目でクールな見た目とは裏腹に、冗談も言うし茶化してくるし。少し学校に行くのが楽しくなった。
「椎名さん」
「う……ん? 何?」
「バンドは組んで無いんですか?」
「何、藪から棒に」
「そういえば、椎名さんにまだこの質問をしていなかったなと」
「ストレッチ中で苦しいときに! それ、聞く?」
「苦しいんですか?」
「押しすぎ押しすぎ! さらに、力、かけんな!」
体育のときも、こうやって必ずペアを組むようになった。今は序盤のストレッチの時間。開脚している私は、彼女に背中を押してもらっている。結構、強めに。この時間は、先生に注意を受けないように気をつけながらぽつぽつと会話をする。
「……今、バンド、組んでない。ほら、交代」
「今は、ですか。では交代で」
今度は私が開脚した彼女の背中を押す。こちらも、強めに。
「ドラムでしたよね? またどこかのバンドに入らないんですか?」
「……もう、バンドは組まないと思う」
彼女の背中を押しながら私はそう答えた。彼女は私より身体が柔らかい。体育館の床と相対しているの表情は窺い知れない。
「そうですか」
身体を起こしてそう答える彼女の表情に動きは無い。彼女は基本的にポーカーフェイスで、考えていることが読み取りづらい。次は、肩のストレッチ。お互い両手を繋いで引っ張り合う。普段使っていない筋肉や腱が、グイグイ伸ばされるのを感じる。それよりも気になったのは、両手を繋いで相対しているせいで、お互いの顔も目と鼻の先にある。何だか気恥ずかしくて目線を地面に落とした。
「なんで、バンド組んでるかなんて聞くのさ」
「椎名さんのドラムを聴いてみたいなと思いまして」
「……は?」
ストレッチを続けながら聞いてみると、思わぬ言葉が返ってきて私は面食らう。ドラムをやっていたことなんて、初めての音楽の授業で、触ったことのある楽器について書かされたことくらい。あの授業の最後、皆のプリントを集めて持って行ったのが一番後ろの席の彼女だったから、あのときに見たのか。
「……何、私のこと好きなの?」
「好きですね」
ノータイムの返答。私の心臓が跳ねる。相対する彼女の顔に目線を戻した。さっきまでのポーカーフェイスが崩れて、目は細められ、口元には微笑を浮かべている。
「椎名さん、本当に純粋で面白いですね」
やられた。またまた彼女の手のひらの上だった。一気に顔が火照っていく。
「……うっさい」
私は彼女の手を離して顔を背ける。どうも彼女の前では調子が狂ってしまう。でも、嫌ではなかった。取るに足らないあんなやり取りに、安心感を感じている私がいた。
一日最後の
「予報、曇りだったのにな」
そう呟いた私の頭の中に、繰り返される記憶。雨が弱まるのを待つか、それとも走るか。……一旦、待ってみよう。雨はしとしと降り続ける。まるで、
「椎名さん?」
振り向くと首を傾げている彼女がいた。今日は彼女が日直だったから、ちょうどその仕事を終えて降りてきたところなのだろう。右手には折り畳み傘が握られている。彼女は私の手元を見てふむふむと頷くと言った。
「駅まで一緒に行きますか?」
「……」
「駅までは一緒でしょう」
「いや、でも……」
「それにこの傘なら、椎名さんと相合傘しても大丈夫な大きさがありますから」
入れてもらうか迷っていると彼女に押し切られた。彼女が私の前に出て傘を開く。目線で促された私は、彼女の左横に入れてもらう。
「……ありがとう」
「いえ。それでは行きましょうか」
彼女は何ともないと言った感じでそう言うと歩き始める。歩きながら彼女の表情を見た。ここ最近で見慣れてしまった横顔。普段は無表情で、クールな雰囲気。でも話してみると、意外と気さくでこんな私とも仲良くしてくれる。校門を出ると、真っ直ぐ駅の方へ。しばらく歩いていると彼女が尋ねてきた。
「椎名さん、今日バイトはあるんですか?」
「今日はシフト入ってない。……八幡さんの方こそ、サポートとか呼ばれてないの?」
「今日はお休みですね」
彼女の手元を見ると、確かに今日握られているのは、
「八幡さん、いつもベース持ってるから、持ってない姿は新鮮かも」
「大体どこかのサポートに入ってますから、そのせいですね」
私は話を聞きながら、彼女の手元から横顔に目線を戻す。空気が湿っているせいだろうか。彼女の髪がいつもより広がって、少しやつれたような雰囲気を醸し出していた。目の前に横断歩道が見えてくる。歩行者信号は赤。私たちは立ち止まった。
「疲れない?」
「今日みたいに休養もありますし、何よりも今だけですから」
「今だけって?」
「そのうち、活動しなくなるバンドが増えますから」
たったその一言で、呼吸を忘れたように苦しくなった。彼女はいつものように無表情。でも、目を見ると悲しそうに細められていて。水浅葱色の瞳がいつもより曇って見えた。
「もしかして、八幡さんも……ッ!」
彼女が唇の前で人差し指を立てた。私の言葉を止めた彼女は、やはり悲し気な目をしていた。
「私もきっと、椎名さんと
あったんだ。彼女にも
「あんなこと、よく聞くことですし、ずっと続くことなんてない。……そう、わかってはいるはずなんですけどね」
初めて見た、彼女の弱み。意外だった。彼女は強い人間だと、勝手に思っていた。
「だから、
「……ふふっ。こんな話をしたのは、椎名さんが初めてかもしれません。まさか看破されかけるとは思いませんでしたから」
「なんか、ごめん……」
「どう責任を取ってもらいましょうか」
彼女は苦笑しながら冗談っぽくそう言う。知ってしまった彼女の秘密。申し訳なさと、親近感も生まれていた。
「そうですね……。私のこと、
「え?」
「いつまでも八幡さんと呼ばれるのも、距離が遠いみたいですから。……私も、
私の名前。私は目を丸くする。高校生になってから、同級生にそう呼ばれたのは初めてだった。
「……わかった」
「では。立希さん、よろしくお願いします」
「こ、こちらこそ」
久しぶりの感覚だった。今まで、お互い苗字で呼んでいたから。いきなり名前で呼ばれると、少しこそばゆい。私は目を逸らして頬をかいた。ちらりと彼女の顔を窺い見る。きょとんとした顔で、彼女が私を見ていた。
「私のことは、呼んでくれないんですか?」
「そういうわけじゃないけど……」
彼女の期待する目線がこちらに刺さる。
「う、海鈴、さん」
「さん付けだとぎこちないですよ。いつも呼ぶときみたいにお願いします」
「コイツ……!」
ニヤニヤとこちらを見ている彼女を恨めしく思いながら、もう一度。
「う、海鈴……」
「ふふっ、よくできました」
そう言って優しく微笑んだ彼女に、さっきまでの悲壮感はなかった。信号の点滅。気がつけば、ここで立ち止まってから三回目の赤信号になっていた。
朝の都電荒川線。電車が軌道上をガタゴトと進む。車内にはいつも通り、学生。通勤客。学生。通勤客。学生。やはり気持ち学生が多い。
次は、学習院下。羽丘女子学園の最寄り駅。車窓から見える沿線の様子。昨日の雨で僅かに残っていた桜は全て散ってしまった。その代わりに伸びてきた若葉が、陽光の下に青々と照り映える。
ゆっくりと減速。そして停車。扉が開くと、続々と羽丘の生徒が降りていく。胸の前には赤いリボン。身に纏うは明るいベージュ色のセーラー服。ブレザーよりやっぱりこっちの方が好きかもしれない。降りていく羽丘の生徒を見ながらぼんやりとそう思った。扉が閉まる。次は、面影橋。
面影橋を発車した電車は、ついに終点の早稲田に到着する。花咲川女子学園の最寄り駅。いつも通り、ここで降りる。
学校までしばしの歩き。友達同士で集まってノロノロ歩く生徒の間をするすると抜ける。もう彼女は学校に着いているだろうか。
下駄箱で上履きに履き替えて、目の前の階段を上がる。またしても、おしゃべりしながら歩いている生徒をするすると抜けて、一年B組の教室を目指す。
教室の前扉から入って、自分の席の二席後ろを確認する。いた。歩いてそちらに向かう。彼女の目の前に立つ。スマホを見ていた彼女が顔を上げた。
「立希さん。おはようございます」
安心した。昨日がまぼろしじゃなかったんだって。
「おはよ。海鈴」
また、今日が始まった。
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