エト視点のお話。
今日も軽やかな足取りである場所へ向かう。
ここの所、毎日足を運んでいる気がする。
それも殆どの時間を彼と過ごしていた。
年季が入ってそうなボロボロのアパート。
錆だらけの鉄の階段を駆け上がって1番奥の扉に立った。
ポケットからゴソゴソと鍵を取り出してじっと見つめる。
これは彼がいつぞやにくれた部屋の合鍵。
可愛く強請る事なんて当然出来なくて、聞こえのいい言葉であれよこれよと説き伏せて半ば無理矢理貰った。
貰った時は嬉しくて嬉しくて舞い上がってしまいそうになった。
その時の彼の呆れた顔と満更でも無さそうな顔には少し苛立ちはしたが、まあそれも受け入れてこそ出来た女。
手馴れた動きでガチャリと鍵を回して扉を開ける。
合鍵を貰ったその翌日は手が震えて上手く回せなかった。
悶々と考え事をしていたせいだろう。
決して緊張してたとか勝手に一人で舞い上がりすぎていたとかそんな物じゃない。
だが────こうやって毎日彼の元へ健気に足を運ぶのはなんというか。
「……────通い妻みたい」
そう口にした後、ブンブンと首を振って頬を"バチンッ"と叩いた。
何を言っているんだ。
そんな浮かれた考えに脳内を冷静にさせる。
まだそんな関係じゃない。
まだ────。
次々と妄想が止まらなくなって1人芝居をして勝手に自爆してしまった。
これも全部部屋の隅っこで眠る彼のせいだ。
私は靴を並べもせずに脱ぎ捨てて直ぐに彼の元へ向かう。
「うふ……うふふふ……。だらしない顔」
口を少し開けて眠る彼の頬を撫でた。
私の手に反応して息を少し漏らすと、身動ぎをしている。
頬から指を滑らせて首筋をなぞった。
ほんのり汗ばんでいて、その匂いが私の鼻腔を燻る。
まずはしっかり彼の身体を吟味するとしよう。
そう決意した私は首筋から手を離すと、寝相の悪さで捲れたシャツの隙間に手を入れて腹部を撫でた。
無駄な脂肪が無く、鍛え上げられた筋肉の自己主張が激しい肉体────なんて事はなく、むしろぽっこりと出た腹部に思わず笑みが零れる。
普段運動はあまりしていないのは知っているし、最近はまたお酒ばかり飲んでいるのだろう。
お腹周りを気にしていたのは少し可愛いなと思ってしまった。
「別に今のままでもいいのに……」
ポツリと漏らした本音。
どんな彼であろうと愛する自信はある。
でもあまり太りすぎたりはしないで欲しい。
健康面も心配になるし、何より私の
脂肪が多い人間はとにかく胃もたれする。
血液もドロドロで喉に絡み付いて飲み込みにくい上に、肉の油分も多過ぎる。
筋肉も普段使っていないせいで、固くてあまり美味しさも感じない。
かといって鍛えている人間がいいかと言われたらそれはまた別。
筋は固すぎるし、逆に肉の油分も少なくて味が数段落ちている気がするからそれも私の好みじゃない、
人間の中に"美食家"という存在がいる様に、喰種だって味の選り好みをする者はいる。
児童の血肉が好きな喰種、成人女性の血肉が好きな喰種。
ここまでならまあ普通というかそれなりの個体数はいる。
逆に老人を狙ったり、病に伏せた人間を狙う物好きの喰種もいた。
私は強い拘りはないが、出来れば中肉中背の人間がいい。
その点で言えば、目の前で阿呆な面で眠りこける彼はとても魅力的。
彼の血はどんな血酒よりも一瞬で酔っ払ってしまうし、その肉を食べたら他の人間じゃ満足出来なくなる。
身体の垢だって最高の香辛料。
唾液は身体が火照り、五感が研ぎ澄まされて敏感になる。
────だからたまにする粗相位、愛嬌という事で許して欲しい。
これも全部貴方のせいなんだから。
「早く起きないと食べちゃうよ」
そう口にして再び彼の頬を撫でた。
まあここまでして良く起きないものだと思う。
夢でも見ているのだろうか。
出来ればその夢は私であって欲しい。
おはようからおやすみまで私で埋め尽くせたらいいのに。
なんて思いながら不意に彼と向かい合わせで横になってみる。
ギシッと床が軋んだ。
こんなオンボロの部屋によく住めるなと常々思うが、地下に住んでいた私に比べたら数倍マシか。
味気無いこの六畳半の部屋も私の私物で彩りは良くなってきた。
というか、半分以上は私が持ち込んだ本や40インチのテレビにその他大量の私物。
持ち込んだはいいが、片付けが苦手な私は本は適当に積んで脱ぎ捨てた服はそのまま。
その度に彼が呆れながら片付けてくれるが、頬が緩んでいたのは見逃さなかった。
そんな同棲中の恋人ごっこが出来て幸せ?
勿論、私も彼の新たな一面が見られたのは嬉しい事この上ない。
ああ、今度はどうしようか。
彼と一緒に物件探しでもしてみようか。
結婚前のカップルみたいでとてもいいと思う。
でもどうせ彼の事だ。
そういうのは恥ずかしがって中々乗ってくれない。
私の事を意識しているからだろうか。
空っぽだった心は私でいっぱいになってくれた?
溢れるまで満たしてあげる。
私の幸せは彼の幸せで、彼の幸せは私の幸せなのだから。
私は中々起きない寝坊助に抱き着いた。
ああ、幸せ────。
心臓の鼓動を聞くのもこれで何回目だろう。
壊れて動かなくなるまでいっぱい聞かせてね。
✕ ✕ ✕
あれから目を覚ました彼に怒られてしまった。
怒られたというよりかは"またか"みたいな呆れ顔をされた。
これが毎朝の日課になっているのだから仕方ないと言うと、更に呆れた顔をしてきた。
そんな彼は私が淹れた珈琲を片手に朝のニュースをぼーっと見ていた。
私もニュースと彼の横顔を交互に見ながら珈琲を口に運ぶ。
ポタポタと流し場の方から聞こえた蛇口から漏れる水滴の音。
テレビから出る無機質に淡々と話すニュースキャスターの声。
珈琲を啜る音とマグカップを置く音。
ポツリと言葉を漏らした。
「────夫婦みたい」
彼はバッと私の方を見ると顔を真っ赤にして慌てふためいていた。
ああ、やっぱり意識してくれていたんだ。
私は嬉しさのあまりにニヤける顔を必死に抑えながら頬杖を付き、彼を見つめてその続きを期待した。
彼は頬を掻きながら照れ臭そうに"まだ早いです"と言ってきた。
まだ────まだ……?
じゃあその内、本当に────?
今度は私の顔が蒸発しそうな位に熱くなった。
バクバクと心拍数が上がるのを感じながらその先の未来まで妄想してしまう。
ああ、ダメだ。また私の悪い癖だ。
勝手にその先を想像して勝手に自爆して────これじゃまるで少女漫画に出てくるキャラクターじゃないか。
私の反応を見た彼もまた顔を赤くしていた。
ズルいなあ、ズルいなあ。
そんな事言われたら────誰だって期待してしまうよ。
暫く続いた沈黙にテレビから聞こえるCMの陽気な音楽でさえ五月蝿く感じた。
その沈黙を破る様に私は彼に今日の予定を聞いた。
どうやら今日は夜から日雇いの仕事を入れているらしい。
「じゃあ、日が暮れるまで私とデートしようか」
彼は快く頷いてくれた。
本当は一日中いたかったけど、仕方ないかと思いつつも、内心は穏やかじゃない。
私は1秒でもキミといたいのに。
恐らく帰ってくるのは明日の朝方だろう。
それなら翌朝は今日の朝よりもじっくり堪能させて貰おう。
私を一人にするなんて酷い人だよ。
「そうと決まれば早く行こうか。ほら、時間は有限だよ」
"どっこいせ"と言って立ち上がる。
彼も慌てて珈琲を飲んで準備し始めた。
それを横目に玄関へ先に向かう。
今日は彼を何処に連れ回そうか。
彼とお揃いの物をまた買おう。
少しでも私を意識して貰わないとね。
それから足りない日用品も買って────公園でゆっくりしようか。
それから────。
彼に肩を叩かれた。
どうやらデートに浮ついて深く考え事をしてしまっていたらしい。
首を傾げて"どうかしましたか"と聞いてくる彼に微笑んだ。
「何でもないよ。デート楽しみだね」
彼は頷いて私の手を握ってくれた。
私よりも大きな手に安心感を覚える。
2人で部屋から出て鍵を閉めてから彼に手を握られながら階段を降りていく。
私をエスコートしてくれるのは凄く嬉しいけど、ちゃんと自分にも気を遣った方がいいよ。
彼のぴょこんと跳ねた後ろ髪の寝癖を見て頬が緩む。
ああ、本当に幸せ。
ちょこちょこエト視点も入れていきます。