藤田ことねをスカウトしに来た男は、彼女を世界一可愛いと信じて疑わず、彼女のためにと髪を染めたり指輪をプレゼントしたりする、激重なプロデューサーだった──。
 ネタバレ要素は特に無いです。

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あたしのプロデューサーはヒくほどあたしのことを愛している。

 

 プロデューサーって、どんな人?

 こういうことをよく聞かれるのだけれど、──言外に物好きな人だねって言ってるのは分かってるからな覚えてろよ──答えるのはかなり難しい。

 特徴をつらつらと挙げるだけなら簡単だけれど、それで生まれる人間像は彼とかけ離れている気がするからだ。

 まず、あたしのことが好き。それはもう本当に好き。あたしはあたしのことが学園で一番可愛いと思ってるしあたしのことは大好きだけれど、それにしたって彼のあたしへの想いは度が過ぎてると思う。彼はあたしのことを世界で一番可愛いと思ってるし、あたしのことが大大大大大好きだ。実は勘違いなのではと思う隙すら与えない。

 

 それと、優しい。あたしのことが好きなのはそう。だけどそれ以上に、優しい。それは行動でもある。雰囲気でもあるし、目つきでもある。

 穏やか、と言い換えるべきだろうか。あたしに辛辣なことを言うことはあっても、明確に誰かに怒るということはしないし、バスの運転手とかコンビニの店員にいちいちありがとうございますって言ってたりする。アルバイトをしてる身からすれば、そういう人がどれだけありがたいかよくわかる。

 何というか、当たり前の善性を当たり前に持っていて当然のように行使する、みたいな。

 品性がある、というか。

 

 そして──怖い。

 厳しいという意味ではないけれど、なんとなく、怖い。

 思い切りの良さとか、達観したみたいな部分とか。人間っぽさがあんまりない。なのに、あたしへの執着があって、自身への執着がなくて。それが、たまに怖い。

 あと格好。これに関しては正当な意見。

 首の辺りで切り揃えられた綺麗な髪、左目をちらちらと隠す前髪、長い睫毛、顔立ち。それらも合わせれば、なんだか女の子っぽい。身長もあんまり高くないし。「私より背の高い人間は全員嫌いです」とか言ってる。それだけ見ればいいのだけれど、凄く派手なイヤリングを提げてたり、チョーカーで首をぎゅうぎゅうに絞めていたり、たまになんでもないところで指鳴らしたり指を怪しく動かしたりするのは、なんだかなあ。ただ、それを差し引いても綺麗な顔をしているのには間違いない。そっちがアイドルでも良いんじゃないか、とか、たまに思う。

 

 という訳で。こういう部分が全部出ているエピソードを紹介しよう。

 あたしをスカウトしたときの話だ。

 初対面。どうもこういうものですと名刺を慇懃に差し出し、そんな真面目さ、とうとう時代が来たか、なんだか綺麗な人だ、と、色んな事に感動しているあたしを、綺麗な黒髪と銀縁の眼鏡の向こうから透かし見ていた彼は、──未だに一言一句思い出せる──こう言ったのだ。

 

「私は、貴方が今まで誰にも目を付けられていなかったという幸運に感謝しています。貴方というイエローダイヤモンドが野晒しになっていたという事実に震えます。貴方の可憐さに光を向けてこなかった世界に、多大なる憎悪と、それ以上の感謝を、どうしても向けてしまうのです。それが何らかの神の思し召しだとするのならば、今すぐに十字架を首から提げて毎週日曜日に教会へ通っても、禿頭になって殺生を自戒しても良いと、心の奥底からそう思うほどです。──ええ。そういう理由で、私は藤田ことねという名の偶像を崇拝しています。どうか、私の、私だけのアイドルに、なってはくださいませんか?」

 

 怖えーって。

 いやもうほんと。怖えーって。

 当時からアクセサリーがっつり付けてるから猶更。

 友達が「君と共に世界一になりたい」って言われた、別の友達が「君の活躍を一番近くで見たい」って言われた、みたいな感じで、自分がどんなスカウトをされたかを自慢していたのを聞いて、あたしもロマンチックな口説き文句でスカウトされたいなーとか、羨ましいなーとか、そろそろあたしにもその位熱心にスカウトしてくれる人がいても良いよなー、駄目だよなーとか、そういう風に思ってた。

 思ってたんだよ。まさかこんなのが来るとか思ってないって。こんなレベルの熱意は要らないんだって。

 なんだそれ。なんだその逆宗教勧誘。

 怖えーって。

 何が怖いって目が凄く優しいし表情はちょっと不安そうなところ。意味分かんない発言になることは重々承知だけど、そんな表情をする資格は絶対にない。頭がおかしいのは良いけど初めてのスカウトがこれかと思うと普通にヘコむ。

 そのくせに。こんなに情熱的に言ってるくせに。

「……えーっと、なんであたしなん、ですか……? その、そんなに情熱があるんだったら、他の娘の方が良くないですか?」

 と、至極当然な質問をしたら、

「情熱とは少し違います。純粋に、アイドルをプロデュースする立場なら──この世界で一番可愛い女の子を選ぶのが至極真っ当な行為でしょうに。他のプロデューサーはすぐに情に流される」

 とか言い出す始末。

 なんだこいつ。

 

 ──後々、これはあまりに緊張し過ぎてキャラと違う言動になってただけだということが判明する。

 スカウトにあまり──いや、だいぶ向いていない類の人間なのだ。

 

 そんなこんなで、怪しさ満点ではあるものの。

 それはそれとして待望のスカウトだったし。

 ……当時は、まあ、正直言えば、選り好みできる立場でもないし。

 

「じゃあ、その……覚悟、みたいなのを見せて欲しいんですケド。どうです?」

「覚悟、ですか」

「あ、っそ、その……どんだけ本気なのか、ってことだけでも、見せて欲しいな~、なんてぇ……」

 

 偉そうに思うかもしれないけど、寧ろ謙虚な心持ちだと思う。

 あたしは、詐欺さえ弾ければ良いか、と思っていたのだから。

 例えば、貴方にはこういう曲が似合いますよ、とか。

 少しレッスンの面倒を見ますよ、とか。

 そのくらいで良かったのだ。それくらいは求めたかった。

 ……ちょっとだけでも、あたしのために心を砕いてくれるなら、それで十分嬉しいと思ったから。

 彼になら──それを求めても良いかなって、思ったから。

 

「覚悟。……ですか」

 すると、彼は口元を隠した掌を、小指から順繰りに畳んで。

「あ、厚かましいです……? 別に、大仰なことは良いんですよ? 些細なことでも良いっていうか……」

「いえ。理解しました、当然です。……藤田、ことねさん」

「は、はい」

 何やら考える素振りを見せた後、

「私に一日だけください」

 眼鏡越しの灰色の目で真っ直ぐあたしを見据えて、そう言った。

「は、はい。えと、ま、待てばいいってことですね?」

「そうです」

「一日なら、まあ……」

 気圧されるしかないあたしだったのだけれど、彼はそれとは反対に、安堵したみたいに息を吐いた。

「良かった。では、一日で用意して見せます。俺の……いえ。私の覚悟を」

「は、はあ……」

 ……なんか、軽くはない気合いが見て取れるな。

 何をする気だ。

 等身大の石像でも作る気か?

 ギャグでも何でもなく、脳を過る嫌な予感。

 その目の前で、なんだか妙に生暖かい吐息を漏らして、彼は静かに頭を下げた。

「ですので──どうか、その間に私以外のスカウトがあっても、それまではどうか断って欲しいのです。どうか、それだけ……約束してください」

「……いやいやいやいや! 頭下げる程じゃないですってえ! ど、どうせ他のスカウトなんて来ませんよ? あたし、全然目立ってませんし、何なら貴方が最初ですし!」

「まあ、それはそうかもしれません」

 おい。

 頭下げたまま言うなそんなこと。

 あたしが焦ってフォローしたのがバカみたいじゃねえか。

「でも、その約束だけは欲しかったんです」

「そ、それってそんなに大事です? まあ、そのくらいは約束しますけど。そこまでして?」

「ただの我儘です。他の誰かが貴方を見つけるかもしれないという事実だけで、十分に脳が焦げ付く」

「……」

「だから、居ても立っても居られなかった。スカウトに踏み切るまで、ずっと心臓が痛かった」

 

 みたいなことを思って、怪訝に目を細めたあたしとは対照的に。

 ──胸元の襟をぐちゃりと握って放つその言葉は淡々と、けれど同時に切実で。

 

「……では。準備をしてきます」

「あ、……じゃ、じゃあ……また明日……?」

 

 振り返れば、最初から最後まで、変な口説き文句だった。

 だけど、……それでも。

 

「……あたしのこと、好きすぎんだろ……?」

 

 それだけは伝わって、ちょっとどころかだいぶ嬉しかったあたしは、自分で自分がチョロいなと思ってしまった。

 

 浮かれていた。嬉しかった。

 ……その時点で既に、焦って走り去っていってゆく彼の背中に、照れ臭さに似た情念を抱いていた。

 

 

 ──そんな訳で翌日。

 勿論、他のスカウトなんて来なかった。

 ……あたしのために争わないで~、とか、やりたかったんだけどなあ。

 でも今思うと、そういう競合をやったらプロデューサーは泣いちゃう気がする。メンタル弱いし。

 

「藤田ことねさん」

「あ、来、……た」

 

 で。

 そんな彼が、当時何をしたかというと。

「お待たせしました」

 まず、見た目。

 あんなに綺麗だった真っ黒な髪を、さらさらな栗色に変えていた。

「……髪」

「はい。考えたのですが、黒髪と金髪は少々相性が悪い気がしまして。あまりそういう機会が無いようにはしたいですが、並んだ時にこっちが悪目立ちするように思います。なので、その違和感を払拭しようかと。並び立つに相応しい姿で、と」

「うわ、おっも……」

「……」

 

 重い。

 普通に重い。

 似合ってないわけじゃ無いですけど。それにしたって重え。もう既に断れないし。

 

「……それと、些細ですがスーツを新調しました。そろそろ買い替え時だとは思っていましたし」

「お、おお……それは真っ当ですね?」

「ええ」

 

 因みに後々、フルセット合計六桁のスーツだったことが判明する。

 真っ当じゃねえ。

 

「まあ、それはこっちの問題です。些細なことです」

「は、はあ。ま、まだ先があるんです? もうお腹いっぱいですよ」

 で、それで終わる訳もなく。

 次に彼が、気持ち得意げに示したのは、

「藤田ことねさんだけのオリジナル曲を作ります。作ってます」

「…………は?」

 はい。

 そりゃ落ちます。

「未経験ですが、経験者の意見を聞きながら、誠意作成中です。プロデューサーになれた暁には、貴方の意見も取り入れながら作り上げるつもりです。……一日では流石に用意できませんでした。許してください」

「一日でできるって言われた方が怖いですからそこは置いといて、そんなマニフェスト出されて食い付かねえアイドルはいませんけど! ま、マジで言ってるんですか⁉」 

「マジもマジ、大マジです。世界で一番可愛い藤田ことねに相応しい曲を作って見せます。誓います」

 本気の目をしていた。

 あたしに、少しでも心を砕いてくれたら──とか、そういうレベルじゃない。あたしのために、全身全霊。絶対にあたしをプロデュースしたいという覚悟。

 そして。

「あたしのこと好きすぎですね⁉」

「好、……き、ですよ」 

「……」

 

 そんな、強い意志を持ったみたいな目が。

 ……その言葉一つ言うだけで、泳いで、照れて。

 

 ……可愛いとこあるじゃん。

 んで、もう惚れてんじゃん。

 そうほくそ笑んでしまうのは許して欲しい。あたしはあたしのことを好きで居てくれる人が好きだ。あたしを褒めてくれる人が誰よりも好きなのだ。

 

「……どうでしょう。お眼鏡には適いましたか? 私は、貴方に相応しい人間でしょうか?」

 

 だから。

 まあ、ちょっとくらい様子がおかしくっても、それがあたしのせいなら仕方ない。

 あたしのことが大好きなことの証明なら、寧ろ嬉しい。

 というか──こんな一世一代のチャンスを逃してたまるか。

 

「──プロデューサーは多分、知ってますよね。あたしが貧乏なこと。アルバイト漬けにならないと、来年の学費も払えないかもしれないってこと」

「ええ。存じています」

「……あたしの夢は、稼げるアイドルになって大金持ちになることです。そんな不純な動機でも、良いですか?」

「……」

 

「私は、他者に対して根拠のない断定を与えるのは苦手です。責任を取れなかったらどうするのかとか、そういうことがいつも頭を過っていきます」

 

「その上で言います。叶えてみせます。それが藤田ことねの夢だと言うのなら。貴方と一緒に、経済が傾ぐまで、稼いでやりましょう」

「根拠は?」

「簡単です。世界で一番可愛い貴方が、アイドルとして売れない訳が無い」

 

「という訳で」

 そうして、彼は小さな箱を一つ取り出した。

「これを」

 

「……な、なんですか、これ」

「生徒に直接現金を渡すのは良くないでしょう。どうしてもというときには質にでも入れてください。いわば金券ですね」

「……は? え、……幾らしたんですか、これ?」

「それは秘密です」

 

 その中には、ご丁寧に日常使いできそうな、飾り気の少ない銀色の指輪が入っていた。

 彼はそれを摘まむと、そのまま腕を伸ばす。

 もう片方の手が、怪しく蠢く。

 

「手を取っても?」

「え、……ええ……?」

 そしてそのまま、細々とした白い手であたしの手を取って、小指に嵌めた。

 サイズもぴったり。

「お似合いですよ」

「あ、ありがとう……ございます……?」

「では、打ち合わせも兼ねて食事にでも行きましょうか。奢りますよ」

「奢りですか⁉ 一生ついていきまぁす‼」

 

 我ながら現金。

 そんなこんなで、世界一あたしのことが好きなプロデューサーに出会いました、と。そういう美談……美談にするには不穏過ぎる要素が多すぎるなとは思うけど。

 重いって。マジで。指輪とか勿体なくて付けれねえ。毎晩寝る前にぼーって眺めることしかできねえ。

 

 でも、重くない人は軽いって言うし。

 ……あたしにとって彼のスカウトは。

 この人となら、夢に見たアイドル生活を送れるんじゃないか、なんて──そんな淡い期待を抱くには、十分なものだった。

 そして、もう一つ。

 なんであたしをここまで好きになってくれたのか。

 あたしを好きになってくれた貴方が、どんな人なのか。もっと、知りたい。そう感じてしまった。

 

 ……そういうわけで。

 

「では。これから、よろしくお願いします」

「はい。いっぱい褒めて、いっぱい稼がせてくださいっ‼」

 

 ▲▼▲

 

 レッスン室。

 鏡張りの部屋で、しっかり汗水垂らして踊って、そして現在。

「プロデューサー。……そろそろ私のこと、見捨てたくなりました?」

「いえ。どちらかが死ぬまでは見捨てませんが。何故そう思いました?」

 上目遣いで聞くあたし。

 指をぐねぐねと動かしながら、問い返す彼。

「一切褒めてくれないからです‼ ……一生懸命おうたもダンスもレッスン受けてるじゃないですかぁ~。言われてる通りバイトも減らしてるんですよ……? 偉くないですか?」

「ええ。偉いです」

「感情が薄い‼ なんでそんなに淡々としてるんですか‼」

 そして、部屋中に炸裂したのはあたしの感情。何故なら、いっぱい褒めて貰えると思ってスカウトを受けたと言っても過言ではないのに、二週間経ってもまだちゃんと褒められてないから。

 いや、褒められてはいる。上手いですよとか。可愛いですよとか。ただ冷てえ。声が冷えてる。それで満足するなら翻訳アプリとかで言わせてる。

「世界一可愛いんじゃなかったでしたっけ‼ 私のこと、好きじゃないんですか⁉」

「貴方は世界一可愛いです。……好きでも、あります」

 

「……それで良いんですよぉ。もう~♡」

「どういう意味ですか?」

 可愛いは余裕で言える。好きは簡単には言えない。何故なら照れているから。これで一つ学びを得た。

 そう思ってちらりと顔に視線を戻すと、もう真顔に戻っていた。一瞬照れて向こう向いてたの見えてっからな。

 ふむ。

「……プロデューサーのそれって、絶対素じゃないですよねぇ。もう少し感情出してくれても、良いと思うんですけど?」

「……そっちの方が良いですか?」

「はい。私、プロデューサーのことまだあんまり理解してるわけじゃないですしぃ。アルバイトならともかく、もっと感情を共有してくれる人じゃないと、信頼とかも無いじゃないですか? このままだと嫌いになっちゃうかもですよ」

「それは困る‼」

 

「……困ります。凄く」

「……ふ~ん?」

「なんですか?」

「普通にそういう声出せるんじゃないですか」

「……ロボットじゃないんですから、多少はそうでしょうに」

「いやあ、割とロボットだと思ってましたよ? それってわざとやってます? それがかっこいいと思ってる人です?」

「酷い……」

 ちゃんと傷付くときは傷付く。

 了解。

「で。褒めてくださいよ。ちゃんと、心から。……あたしがそれに見合わないって言うなら、しょうがないですけど」

「そんなことはないです。ですが……」

「むう」

 

「プロデューサーって、私のこと好きなんですよね」

「そうですね。貴方は世界で一番可愛いですよ」

「好きなんですよね?」

「……好き、ですよ」

「ふぅ~~~~~ん?」

「嬉しそうですね」

「嬉しいですよぉ♡ 当たり前じゃないですか♡」

「……そうですか」

 多分、ドキドキしてるんだろう。 

 顔を背けていても、視線をこっちにちらちら向けてるのは見えている。さては純情だな? 

 アクセサリーとか髪型とかはちゃらちゃらしてる感じだけど、属性はやっぱり可愛いに寄ってる。気がする。

「じゃあ、あたし

の手料理とか、食べたくないですか?」

 

「……興味はあります。できるのですか?」

「うち、下にちびどもがいっぱいいて、家事の手伝いとかもちっちゃい頃からしてたんです。自信ありますよ」

「なるほど。食べたい」

 一番感情出てんな。

 やっぱりあたしのこと好きすぎだな。

 なんであたしなんだ。本当に。

「じゃあ、ちゃんと私が満足する褒め方してくれたら、振舞ってあげます。チャンスは一回。これでどうですか?」

「藤田ことねさん、隣に座ってください」

「話が早い、判断も早い。良いですね♡」

 安っぽい長椅子に座る、彼の隣に腰かける。

「プロデューサーと、今までで一番近くに気がしますね?」

「そうでしょうか。……はぁ。交渉が上手ですね。こうして近所の八百屋だの魚屋だのを泣かせてきたのでしょうね」

「はいっ♡」

「良いお返事だこと」

 

 あたしが彼の顔をまじまじと見つめたのは、この日が初めてだった。

 染めても尚綺麗な髪。長い睫毛。

 鋭利で尖った見た目のくせに、やわらかい視線。

 逆に惹き込まれそうな、物憂げでアンニュイな雰囲気。

 

「……貴方は世界で一番可愛い女の子です」

 そこから──ド直球な告白が飛ぶ。

「……そうかも、ですね?」

「そんな世界で一番可愛い貴方が、一生懸命努力している姿は──やはり世界で一番愛おしいです。王道な台詞にはなりますが、努力する女の子は好きなんです。自主練習も、よく頑張ってくれていると思います、。とっても嬉しいです。……言ってしまった後ですが、それはあんまり指摘しない方が良かったですか?」

「ま、まぁ……見せてるつもりは無いんですケド……無様すぎて見限られて無いかだけが、心配っていうか……」

「あんなに努力している担当を見放せるバカがどこにいるんですか」

「うひひ……」

 駄目だ好きになっちゃう。やばい上に重たいやつなのに。

 というかそんなに優しい声出せるんなら最初から出せってんだよ。死ぬほど嬉しいぞこんちくしょう。

 誰にも、こんなに褒められたことはない。

 努力するのが当たり前。結果を出して当たり前。

 そんな環境で、当たり前を褒めてくれる。私だけを見てくれる。……嬉しい。

「技術面を見ても、着実に前に進んでいます。最初は脚が縺れることが多かったですが、それも少なくなってきました。歌との両立ができるようになって、猶更綺麗な歌声に磨きがかかっています」

「うひ」

「世界で一番可愛い貴方が、更に可愛らしくなっています。俺の心はもうずたずたに引き裂かれて仕方がない。……だからこそ、藤田ことねさんの夢のために、もっともっと魅力的になって欲しいと、そう思います。私に応えてくれてありがとうって、感謝しています」

「……な、なぁんだ。やればできるんじゃないですか~♡ それで良いんですよぉ、それでぇ♡」

 目を薄く開いて。

 酷く優しい声色。

 それに込められているのは、もう本当に本当に、強い感情。あたしも余裕ぶって流し目を送ってみるけれど、あんまり余裕はない。照れくさい。

「……まあ、それは最初期に比べての話で、他のアイドルに比べればまだまだですが。あと、アルバイトを減らしたと言っても、全部ではありませんよね。何度も説明している通り、貴方の実力が発揮されないのは過労のせいですよ」

「……減点ですよ」

「プロデューサーであることを忘れたら首が飛びますから。本当は一から百まで褒めたいんですよ?」

 

「……これで、どうでしょうか?」

「まあ……百歩譲ってぎりぎり合格ラインってとこですかねぇ」

「……手厳しいな」

「プロデューサーが努力を評価してくれたから、あたしもそうしました」

 他に誰も無い部屋の中で、いつもより幾分か気楽に、会話をする。

 無意識に両足を前後に揺らしているのは、それだけのことが、それなりに楽しいからだろう。

「……でも。ありがとうございます。元気出ました」

「……弱ってたんですか?」

「勿論ですぅ。いつ見捨てられるかと不安だったんですから」

「そうですか。……不安にさせてごめんなさい。諸々、見直します……」

 彼は素直に謝った。

 眼鏡をかちりとかけ直した。指を曲げ伸ばしした。

「貴方の可愛い担当のご機嫌取りは、プロデューサーのお仕事ですよ?」

「そうですね。全く以てその通り。……学びを得ましたね」

 

 上目遣いの向こうで、彼は穏やかに笑った。

 困ったように、照れたように──それはやっぱり魅力的で、可愛らしくて。

 なんだか妙に、嬉しかった。

 

「っ、あたし、プロデューサーのこと、これでもーーーーっと、好きになりましたよ♡」

「本当ですか⁉」

「うわ食い付きすっご。も~、ずっとこんぐらい分かりやすければいいのにナ~?」

 

 だから、身体が触れそうな距離まで詰め寄って、そう言ってあげる。

 あたしなりに褒めてあげたということで。

 

 彼は照れながら笑って、それは良かったと言った。

 アイドル顔負けのギャップが素敵だった。

 

 

 

 ……因みに、手料理は寮にプロデューサーを入れられなくてご破算になった。

 凄絶な顔で、「またの機会で良いです」って言うものだから、流石に笑ってしまった。感情、今までどうやって隠してたんだろう。

 

 ▲▼▲

 

「『今日は、ありがとうございました。また明日からも、いっぱい褒めてくださいね』……う~ん、♡も付けちゃえ……っと」

 

「『善処します。ゆっくり休んでください』……うーん、堅いんだよなぁ……絵文字もスタンプも使わないんだからなぁ……どうしたら良いんだろ。『おやすみなさい。夢でも会えたらいいですね』……これ、良いんじゃない? よし、♡も付けちゃおっと。ファンサだファンサだぁ〜♡」

 

「『貴方の夢が切実に見たいです。その時はまたよろしくお願いします。おやすみなさい』……」

 

「いや、だから。重えって……」

 

「……」

 

 枕元に置いてある小さな箱を開く。

 小さな指輪。可愛らしいそれは、まだあたしには釣り合わない気がして、アレ以来一度もつけてない。

 

 ふと。彼が店で、この指輪を真剣に選んているところを想像してみる。

 

 あたしのことを思い浮かべながら、焦りながら、きっと私の前じゃ見せないような表情でじっくりとショーウィンドウを眺めている姿。

 この指輪を見つけて、店員さんを呼んで。ありがとうございますって、気持ち明るめの声で言って。

 大事そうに紙袋を抱えて、出て行く。

 

 あたしなんかのために。

 落ちこぼれなあたしなんかのために。

 

 そう思うと、ちょっとだけ、口角が上がる。

 

 

 

「……どんな夢見たっけなぁ……?」

 

 気付いたら朝だった。

 プロデューサーが出て来たか、定かじゃない。折角だから話のネタにでもしようと思ったのに。

 

「あれ、通知……」

『おはようございます。夢の中の貴方も、世界で一番可愛かったですよ』

 

「だからぁ。重いんだってぇ……『おはようございます、現実のあたしの方がよっぽど可愛いですよ……』」

 

「……なーんか、妬いてるっぽい感じになってるかも……? ま、いっか。どーせプロデューサーも気付かないでしょ」

 

『さては妬いてるんですか?』

 

「……流石は愛の重い男」

 

 ▲▼▲

 

「……これって、アイドルに関係あります?」

「ありますよ。普通に認知度に繋がるでしょう」

「まあ、そうかもですけどぉ。今日結構暑いのにこの格好って、結構過酷じゃないですか?」

「私も一緒にしますから。水分が欲しかったらいつでも言ってください」

 

 遊園地で、風船配りのバイトをすることになった。ライブ衣装で。

 これも学園から要請されたもの。プロデューサーに粘られて結局全部のアルバイトを辞めてしまった以上、実は文句を言っている暇は無かった気がする。

「これで、藤田さんが路頭に迷うことがあるなら──私が養います」

 据わった眼でそんなことを言われたら流石に押し切られると言うものだ。

 

 気付いたのだけど、あたしはプロデューサーのあの眼に弱い。本気であたしのことを想ってくれているという事実を真っ向からぶつけられると、どうしても反論しきれなくて弱い。

 一方の彼は、並大抵の要求なら、あたしがちょっと可愛い仕草をしただけで落ちる。けど、どうしても譲れないときには譲ってくれない。

 

「お願いしますよぉ……私からアルバイトを取ったら、何が残るって言うんですかぁ……?」

「貴方が残ります。世界で一番可愛い貴方がいれば、それで十分です」

「……なんか。そう言ったら誤魔化せると思ってません? 私のこと、甘く見られたら困りますよ?」

「本気です。今更言わずとも分かるでしょう?」 

「……プロデューサーのこと、嫌いになりますよ」

 これが、当時の最高火力の手札。何度かこれで押し通してきた。いや、使ったのはデザート頼むか頼まないかとか、レッスン増やすかどうかとか、そのくらいだったけど。

「じゃあ嫌いになってください。……それでも私は、貴方を嫌いになってはあげませんから。ずっと好きなままです。嫌った私に好かれてください」

 でも──カウンターがちょっとお洒落で負けた。

 泣きそうな顔でそんなこと言われたらもう無理だ。

 ……何気に褒められたし。

「……な、泣かないでくださいよ。私が悪かったですから……」

「は、泣いてませんけど」

 

 そんな美談──まあ美談で良いだろう、アルバイト辞めるかどうかって話にしては大仰なのは置いておいて──も、炎天下の中では霞む。

 しかしありがたいことに、業務内容は簡単。

「はいどうぞ~♪ 可愛い? ありがと~♡」

 取り繕ったかわゆい笑顔で、子供に風船を手渡しつつ、

「あっぢい……まだ夏は先だと思ってたんですけど……」

 定期的に後ろを向いてプロデューサーに愚痴を零す。それだけだ。

 大事なのは後者。あまり見られていないタイミングできちんと文句を吐き出しておかないと綺麗な笑顔は作れない。──プロデューサーもそれは分かってくれているらしく、素直に聞いてくれる。ありがたい。

「評判が良ければまた呼んでくれるとのことです。頑張りましょう。藤田さんの衣装はわかりやすくふりふりですし、子供は可愛いお姉さんが大好物ですから、あとは貴方次第で何とでもなります」

「……もう一息」

「遊園地なだけあって羽振りは良いですよ」

「もう一息」

「とっても可愛いですよ」

「よっしゃあ稼ぐぞぉ〜……うう……」

「はいはい、アイドルがそんな顔しない。水買ってきますね」

 ……いや、スーツ姿の方がよっぽど暑いだろうに、なんでそんなに飄々としてるんだ。

 いっつも思うけど根性がすげえ。

「プロデューサーって、暑いの得意なんです?」

 そう思って、帰ってきた彼に聞く。

 彼は結露したペットボトルにタオルを巻いて、あたしに差し出すと、

「いえ。全身に冷感シートを貼ってます」

「おい」

 関節を鳴らしながら、平然と言いやがった。

「なんで‼ あたしの分も‼ 用意してないんですか⁉」

「いや、貼ってあげても良いですよ。余ってるので」

「今すぐ控室に戻ります‼ 早くしてください‼」

「……まあ良いですが。傍から見られたらまずいのでは?」

「は?」

「え?」

 錯綜する会話。

 謎に赤い彼の頬。

 風船を家族連れにちゃんと渡しながらも、色々と思考を巡らせる。

 そして。

「……え、もしかして、プロデューサーが私の身体に貼る気だったんです?」

 気付いた。

 そうであって欲しくなかった。

「違うんですか?」

 そうだった。

「違うに決まってるじゃないですかぁ‼ 変態‼ ド変態‼ どういうプレイですかそれぇ‼」

「ファンの前ですよ」

「落ち着いていられるかぁ‼ あ、これどうぞ~」

 小さな手に、彩り鮮やかな風船を渡す。

 小さな女の子があたしを指差して、「かわいい‼」って言ってくれたのが聞こえた。手を振ってあげると一生懸命に振り返してくれる。可愛い。

「落ち着きましたか?」

 で、そんな純粋さを見たあとだと尚更不純さが際立つ。

「うっわ。冷静になると余計ヤバさが増すんですけどぉ……ええ……。一応聞いておきますけど、プロデューサーは今冷えピタどこに貼ってます?」

「脇腹とか、腋とか、肩とか、太腿とかです」

「うっわ……やっぱり普通にヒくんですけど……」

 

「両手使わないと中々難しいですよ?」

「……今一瞬、恍惚としてませんでした?」

「ファンの前ですよ」

「プロデューサーがそれしか言えなくなるのってぇ、図星なせいですか?」

「ファンの前ですよ」

「語るに落ちましたね?」

「私に口喧嘩を挑むなんて愚かですね。はい、どうぞ」

「普段ならそうですけどぉ……ん? いや、そうでもないな……?」

「気の所為です。きっと暑さでぼうっとしてるんでしょう。水でも飲んで落ち着きましょう」

 彼はそう言うとペットボトルの蓋を開けて、こちらへ差し出した。

 口をこっちに向けて。

「……あたしのこと、鳥か何かだと思ってます?」

「なんでですか?」

 なんか、鳥籠とかハムスター買ってるケースについてる水差しみたいな感じだ。少なくとも人間に水を与える体勢じゃない。

「んく……んく……」

 とはいえ、喉も乾いてたし、そのまま飲んでみた。

 ……なんだろう。

 昔まだちびどもがちっちゃかったころに哺乳瓶でミルクをあげたことはあるけど、姿勢がほとんどそれ。

 ……なんだろう。

 ちょっと安心するというか。

 落ち着くとゆうか。人前なのに、なんだか眠たいような気持ちになるとゆうか。……なんだか抱き締めて欲しくなるとゆうかぁ……。

「じゃあ、今ある分の風船が無くなったら戻りましょう」

「りょ、了解です……」

「……顔が赤いですよ。熱中症ですか?」

「いや、多分違う……というか、プロデューサーもだいぶ顔赤い……」

「いえ。……世界で一番可愛いな、と、改めて再確認しました」

「なんか、従来と意味が違う気がしません?」

 

 

 それから十分くらい経って、控室に戻った。

 エアコンの効いた部屋で、ライブ衣装の上着を脱ぐと、全身から籠もった熱が放たれた。我ながらよく頑張っている。しっかり褒めてもらわねば。

「先に汗拭いておいてください」

「はーい」

 今までやっていたバイトを全部やめさせられて、学園から与えられたアイドル絡みのアルバイトを主にするようになって以来──彼はどんな場所にも常に着いてきて、一緒に仕事をしてくれる。

 彼が着た着ぐるみの隣で手を振ってたこともあれば、あたしがライブでバックダンサーをやった次が彼のバックダンサーとしての出番だったこともある。

 彼も彼で大変だろうに、いつもあたしの傍にいて、褒めてくれる。

 ……最近はそれに甘え過ぎている気がする。

「じゃあ、貼りますよ」

「……」

 そんな引け目を感じていたこととかどうでも良いんじゃないか。

 そう思えてしまうくらい、なんかもう当然みたいな顔で、凄いことを提案している。

「枚数が少ないですね。肩と腋と脚にしておきましょう。血流の多いところを冷やすのが大事ですから」

「ほ、ほんとに……やるんですねぇ……?」

 

 まあ。

 女性として見られてなければ、そんなものか。

 さっきの水の件も合わせて、なんだかあたしのこと、手のかかる子供か何かだと思ってませんかね。

 そう思っていると、背後から肩に、ひんやりとした感触が襲った。

 

「どうですか? 気持ち悪くないですか?」

「お、おお。結構良いですねぇ、これ。賢い、有能、しゅきぃ……」

「……そうですか。あんまりやってると逆に身体を冷やしますから、あとでちゃんと剥がしましょうね」

 確かにこれなら──。

「じゃあ次は腋です」

 

「……あの、脇も、やるんです? ……ほ、本気で?」

「はい。熱が出た時に腋を冷やすのは常道でしょう。実際毛細血管が多いので。冷えた血液を全身に回すことで、効率よく体温を下げることができます」

「……」

 

 いや、それは流石に恥ずかしいんですけど。

 ……まあプロデューサーになら良いかなって思ってる心も、少しくらいはあるけど。にしたって恥ずかしい。

 いや、だけど。

 ここで女性としての魅力を見せてやれば──この男の鉄面皮を剥がせるかもしれないし。

 そもそも、こっちばっかり意識してるのは癪な気がするし。

 

 ……よし。やってやれ。

 

「……じゃ、じゃあ……はい。お願い……しますぅ……」

 

 万歳をする。

 汗ばんだ素肌が外気に触れて、ひんやりとする。

 

 

「……プロデューサー?」

 

 ……数秒待っても、全身を襲うはずの感触が、来ない。

 不審に思って目を開ける。

 

「……ど、どうしたん、ですか?」

「いえ」

 

 そこには──まあ、予想外というか想定内というか。

 あたしを凝視したまま、気まずそうに唇を噛んでいる彼がいて。

 

「思ったより卑猥でした」

 今まで見たことない顔だった。

「です……よね。そりゃぁ、そうですよ」

「もう少し眺めていたいです」

「最低過ぎますね。ドン引きです」

「……」

「あと。あたしに引かれて喜ぶの、そろそろやめません?」

「風評被害です」

 

 沈黙。

 万歳のまま膠着。

 

「ことね、貴方風船配りなんてやってたのね。見知った顔がいたからびっくりしたわよ。ほら、水買ってきたから……」

 

「さ、咲季……」

「……」

「……控室には一応関係者以外は入れないことになっていまして」

「は、犯罪者……」

「違うんです‼」

「違うんだって‼ い、一応同意の上っていうか、そういうのじゃねえから‼」

 

「……咲季さんとは仲が良いのですか?」

 幾らか気まずそうに彼は言う。

 結局あの後どうなったかは……まあ、語らないで良いか。

「まあ……多少はぁ……ですかねぇ……?」

「そうですか……」

 一見様子は変わらないように見えるが、しっかり声の張りが無くなっている。

 真っ当にヘコんでいる様子だった。

「ま、まあ過ぎたことですし、気にしないでください」

「ごめんなさい。私がもっと別の場所でやっていれば」

「……多分そこじゃないですよ、反省するの」

 と思ったら、だいぶズレてた。

 しっかりと女子高生の群れに風船を手渡しながら、細めた眼を向ける。

 彼は他の女の子に朗らかに笑顔を向けているから、こっちを向いてない。ちょっと腹立つ。

「でも、暑いのは確かにマシになりましたねぇ。もうちょいファンサ、頑張れそうですっ‼」

「…………それは良いことです」

「な、なんでちょっと、間があったんです?」

「いえ。気にしないでください。これは本当~~~~~に、どうでもいいことなので」

「ふうん? じゃあいいですけどぉ」

 今度は、小学生くらいの男の子。

 恥ずかしがるかな──なんて思っていると、彼はあたしを放って、くるりとあたしの後ろへ回り込んだ。

「え?」

「──どうした少年。風船では不満か?」

 

 ほぼ同時。プロデューサーが、その間に一歩で割って入る。

 

「ちょ、ちょっと、何やってるんですか」

「まあ待て」

 

 二人で、小さな背丈を眺める。

 眺める。

 眺める。

 

「あっ」

「っ、クソガキが‼ 俺男だぞ‼」

 

 ……そして進退窮まったか、彼は小さな身体に見合う俊敏さで──プロデューサーの尻を触って逃げて行った。

「……何だったんですかねぇ?」

「エロガキの目が腐ってただけでしょう。……にしても私の方も対象とは。やっぱり背が低いのが良くない……」

 両性的な美人だから、まあそう見えてもしょうがないんじゃないのかとは思うけど、失礼かもしれないし口に出さないでおく。

 

 ……いや、というか、当初の標的はあたしだったのか。そんで守ってくれたと。

「あ、ありがとうございます。よく分かりましたねぇ、凄いです」

「いえ。藤田さんに近づく男は全員注意してますから。俺よりいい男が出てきたら殺します」

「うわぁ……」

 過去一重かった。

 というかそのマインドでプロデューサーをしないで欲しい。助かったケド。

 

「……ところで。プロデューサーって、そういう口調であたしには話さないのに、あの子にはそういうこと言うんですね」

「何に妬いてるんですか? 意味が分からないんですが」

「……」

 

 なんだか無性に腹が立ったので、プロデューサーの尻を触った。

 柔らかかった。

 

「……私は男ですよ。楽しいですか?」

「知ってるし、別に楽しくないです」

「……じゃあ、頑張りますか」

 微妙な雰囲気を、眼鏡をカチリと押し上げて、彼が綺麗に流してゆく。

 流石、仕事ができる。

「もう少しで閉園ですよ」

「え、もうそんな時間ですか。……あたしもどうせなら、アトラクション乗りたかったのにな」

「遊びに来たんじゃないんですよ。どこかの休日でまた来れば……」

 

「……いえ。一つくらい乗せてもらえるよう、頼んでみましょうか?」

 虚を突かれた。

 今まで聞いたどの彼よりも、優しい声だった。

「……良いんですか?」

「ええ。今日はよく頑張りましたから。これで次のイベントにそれなりに人が来ると予想します」

「……ん?」

 

 彼はすぐに声色の感情を引っ込めて、代わりに微妙にしたり顔で、手提げかばんから何かを取り出した。

 

「貴方がお子さんと対応しているのをただ見ているだけの私だけだと思いましたか? その間に私はご両親に案内を渡していたのですよ」

 

 それは、チラシだった。

 二週間後に行われる、ショッピングモールでのミニライブの案内が書かれている。

 

「へぇ。なんでプロデューサーがいるのかと思いましたけど、学園側からこういう広告を出せって言われてたんですねぇ」

「いえ。独断です」

「……それ、アリなんです?」 

「許可は取ってます」

 こういう押しの強さはあたし以外にも適用されるんだ。

 まあ、プロデューサーだし、そりゃそうか。二重の意味で。

「このイベントには誰が出るんですか?」

「咲季さんも出ますし、貴方も出ます。ギャラも結構出ます」

 まあ、こういう人間だし。

「は?」

「貴方以外の宣伝を私がするとでも」

「聞いてないんですけど?」

「聞いてたら変に気張ったでしょう。子供相手には自然体の方が良いです」

 言いながら、彼は私に示していたチラシを、いくつかの言葉と一緒に帰りがけの父親に渡していく。

 口先の上手さで見た目の怪しさは相殺できているのだろうか。──そう思っていると、彼があたしの方を指差したのが見える。どうやらそこはあたしの可愛さで補っているらしい。やっぱり上手い。自分側を治そうとしないところはどうかと思うけど。

「……納得しました」

「そうでしょう」

 

 そんなこんなで。最後の風船が掌から離れて行く。

 

「お疲れ様です」

「お疲れです♡」

 手持ち無沙汰になった右手で、彼の左手を握る。

 彼は少しだけ目を見開いて、それから前に向き直った。

 

「じゃあ、お願いしに行きます?」

「そうですね。何に乗りたいですか?」

「分かってませんねぇ。こういう時の相場は、観覧車一択ですよ♡」

「それもそうだね。好きな女の子と観覧車で二人とか、役得だな」

 

「……プロデューサーさん?」

「ここからはオフだからね」

 

 照れたように、彼はあたしの手を握り返した。

 冷たい手だった。

 

 ▲▼▲

 

「うわぁ。結構高いんですねぇ」

「そうだね。高所は平気?」

「多分大丈夫なんですけど……あんま高いところ来た経験が無いので、自信は無いかな〜、みたいな感じですかね?」

「怖かったら隣来て良いよ」

「行きます」

 

「夜景が綺麗ですね」

「ほら、学園も見える。……本当に綺麗だね。一緒に見れて良かった」

「……結構、ぐいぐい来ますね」

「嫌だった?」

「嫌じゃないですけどぉ。寧ろ嬉しいで〜す♡」

 

 

「……本当に、良かったです」

「何がかな?」

「プロデューサーがあたしのこと好きなの、仕事だけなんじゃないかって思ってました。ちゃんと、心の奥底から、好きなんですね」

「あはは。ちゃんと伝えたかったんだけど、なかなか機会も無いしね。こういう時を逃しちゃいけないなって思って。……我儘に付き合わせたみたいになったかな」

「……ちゃんと、分かってますから。それだけじゃない、って」

「……そう。聡いね」

 

「感謝してるよ」

「どういたしまして?」

「困らせちゃった。……貴方はいつもあたしなんか、って言うけど、俺も同じ気分なんだよね。俺なんかに人生を預けさせて、不安だろうなって」

「そんなことないですよ?」

「……だから、ありがとう。信じて、頼ってくれる。それだけで、俺は本当に嬉しい。生きていて良いんだって、そう思える」

 

 

 

 

「次のミニライブ、なんだけど」

「はい」

「俺が作った曲、作詞の部分が完成したんだ」

 

「ついに……ですか」

「遅くなってごめん。その分、やれるだけのことはやった」

 

 

「正直、出来は保証できない。それでも、貴方に歌って欲しい」

 

 

「……プロデューサーとしてじゃ、できないお願いですね」

「そうだね。一介のファンとしての私情でしかないかな」

 

 

「……プロデューサーって、本当は高いところ苦手なんじゃないですか?」

「分かるの?」

「なんとなく。なんか、落ち着いてないなって」

 

「そうだね。……でも、貴方と一緒なら、平気」

「知ってますよ」

 

 

「……もうすぐで終わりか。あっという間だった」

「とっても楽しかったです。……ありがとうございました」

「いやいや。こっちこそ、ありがとう」

 

「あと、プロデューサー」

 

 

「……あたし、歌ってみたいです」

 

 

「あたしのことが大好きなプロデューサーが、あたしのために作ってくれた曲。皆の前で、おっきな場所で。精一杯、歌いたいです」

 

 ▲▼▲

 

「ふい~……楽しかったですぅ……」

「すっかり観覧車で遊んだだけの気分ですね。今日はアルバイトでしっかり儲けてるんですよ」

「はっ。ほんとだ。……いやあ、良い気分ですねぇ。がっつり大儲けだったんじゃないですかぁ?」

「そうですよ。よく頑張りました」

 汗で気持ち重たくなった衣装を眺める。

 努力の象徴みたいな気がして、なんだか誇らしい。

「流石に汗かきすぎましたねぇ。プロデューサー、この衣装、引き取ってください。クリーニングしておいて欲しくて」

 

 返事が帰ってこない。

「プロデューサー?」

「……経費はこちらで出すので、自分でやってもらうってのはどうでしょう?」

 ちらりと見ると、片付けを始めた彼は、こっちに視線を向けないでいた。

 それはもう不自然に、そっぽを向いている。

「……もしかしてですケド」

「違います」

「理性が保つ気がしませんか?」

「はい」

「う〜わぁ。……なんというかプロデューサーって、救いようもない変態なんですねぇ……」

 

「……だから自制したんでしょうに」

「あたしに引かれて興奮するのもしっかり変態ポイント高いですねぇ♡」

「なんてことを言うんですか」

「だって事実じゃないですかぁ?」

 

 震える手で、彼が荷物を収め終わった。

 相変わらず端正な横顔。口角を噛み殺して、そわそわとして、落ち着かない。それを眺めていると、妙に甘い嗜虐心が刺激されてしまう。

 

「じゃ〜あ。生殺し状態のプロデューサーにぃ。特別にぃ。今のあたしの体、直接嗅いでいいっていう権利をあげちゃいましょうか〜♡」

「ください」

「即答じゃないですかぁ。ヒくんですけどぉ♡」 

「こっち来てください」

「え」

 

 ……忘れてた。

 この男、あたしへの執着イかれてるんだった。

 

「そっちから来ないなら、こっちから行きますよ」

「……マジですか。冗談ですよ?」

「俺はいつでもマジです。あまり年上を刺激してはだめだという教育が必要ですね」

 

 ──あの、据わり切った眼だった。

 思わず動けなくなっているあたしに、彼は右手首を外側にスナップさせると同時、瞬く間に追いついて、刹那、しゃがみこんだ。ここまでの動きは極限まで洗練されている。瞬間移動レベルだ。

 

「……甘い香りがしますね」

「そ、そうですか……」

「柔らかい感覚です」

「あの……くすぐったいんで……もうちょい離れてもらえないですか……?」

「ごめんなさい。嫌です」

 おへそ。胸元。首筋。

 舐め回すみたいに、下から上へ。

 不自然に身体を震わせながら、上気した呼吸で、拙く言葉を吐き出している。

「……良い匂いです。入浴剤にしたいくらいです」

「あのぉ……レビューするの、一回、やめてくれませんかねぇ……?」

「愛が肺から漏れてるんです」

「ヒくんですけどぉ……」

「私をこれ以上気持ち良くしないでください」

「ライン超えてますケド、それ」

 立ち上がって、あたしのうなじに顔を埋めて、肩に体重を預ける。

 触れられない両手は、あたしの背中の後ろでうごうご。

 ──そして、首筋を撫でる小さな音で、彼の呼吸を知る。

 ……うーん、知りたくねえ。

「……そっちもするの?」

「だってぇ。暇なんですもん」

 というわけで、同じように彼の胸元に顔を埋めてみる。すんすんと鼻を鳴らす。

「香水つけてます? というか女の子用じゃないですか?」 

「よく分かりますね。……汗臭くないですか?」

「最初から冷えピタ貼ってたら大丈夫ですって」

「言い方に棘がありませんか……?」

 うわぁ。

 うっわあ。

 なんか。

 すっごい駄目なことしてる……。

 背徳的、とかじゃ語れない。なんかもう、普通にとんでもなく駄目なことをしてる。さっきまでは暑いのが嫌だったのに、伝わってくる体温は嫌じゃない。それどころか寧ろ、普通に受け入れてしまっている。

 甘ったるい香りがする。

 脳がぽやぽやする。

「……私以上に必死じゃないですか」

「あたしから離れてから言ってくださいー」

「ことねー!! 探したわよ、どうせなら一緒に帰り」

 

 

 

 

「……プロデューサー、そこに誰かいます? あたしからは見えてないんですケドぉ……」

「いて欲しくないです。咲季さんはいないと思いたいです。というかなんで閉園後もいるんでしょうか」

「…………あなた達って、そういう関係なの?」

「違います」

「……違うから」

 

 

 まあ、当然のように。

 プロデューサーも合わせて、死ぬほど怒られましたとさ。

 口封じも兼ねて三人で食事に行ったらすぐに忘れたっぽかったけど。単純で助かった。

 

「……どういう流れだとああいう感じに持ち込めるの?」

「あたしの方が知りたいっての……なんでああなったんだっけ……」

「どんな匂いだった?」

「香水つけてた。……良い匂いだった」

「……ふぅん」

「あったかかった」

「惚気けるのはやめてもらえる?」

「ちげーし」

 

 

 

 ……そういう会話も、ちょっとだけした。

 

 ▲▼▲

 

「……正直に言うと、これ見られるの死ぬほど恥ずかしいんですよ」

「あのぉ……早く、渡してくれませんか?」

 遊園地でも言っていた通り、歌詞が完成したということで。

 作曲は流石に何処かへ委託するらしく、その前にチェックをしてくれと頼まれた。……そう頼んだ癖に、彼は見せるのを死ぬほど渋っている。

「私は初心者なんです。分かってください。この言葉は好きじゃないですが、今だけは敢えて言わせてください。どうか、頑張りを評価してください」

「分かってますってば~♡ あたしへのラブレター、早く出してくださいよぉ。そんなに恥ずかしいんですか?」

「恥ずかしいです。言ってくれたら歌詞変えますので、あまり重く受け止めないでください」

「了解で~す。じゃ、ください♡」

 

「くださいって‼」

 

 まあ。比喩どころじゃなく、ある種本当にラブレターなのだから、そういう反応になるのも致し方ないのかもしれない。

 あたしのことをどう思っているのか、では済まない。一つの曲に、彼から見たあたしがまるまる映っているのだ。

 それも──あんな口説き文句を用意していた彼の言葉で。

 

「……うん、うん。……はあ」

「……」

「え、今までなんで渋ってたんですか。全然変なのじゃないですよ」

「そ、そうですか? また重いって言われないかなと」

「プロデューサーが重いのは今更じゃないですか。……なんか、お洒落で、綺麗です。あたしに似合うかは、ちょっと心配ですケド」

 あたしが歌うには少し大人っぽすぎるかもしれない、と、少し思った。

 けれど、彼は静かに首を振る。

「その点に心配は無いんです。ただ、貴方の魅力を引き出せる曲になっているかが分からないってだけで」

「それは……あたしの、努力次第ですねぇ……」

 

 ──もう一度歌詞に目をやる。

 そこに込められた想いに、こっちも想いを馳せる。

 

「……プロデューサー」

「はい」

 

 うん。

 まあ。

 重いな。

 ほんとにラブレターみたいだ。

 しかも、婉曲的に、貴方のためなら死んでも良いみたいな言い方をしている気がする。

 それに加えて、あたしのことをなんだか悪女みたいな書き方してる気がするのは──まあプロデューサーの心を奪った罪は重いってことなのかもしれない。

 

 ……ああ。

 総じて。

 プロデューサーは本気で、あたしのことが好きなんだな。って。

 すぐに分かる、そんな歌詞だ。

 

「ありがとうございます。あたし、この曲のこと……一生大事にします」

 

「……こちらこそ。ありがとうございます」

 

 彼は、最近よく見せてくれるようになった柔らかな笑顔を見せて、言った。

 あたしは静かに手に持った紙を握りしめた。

 

 ▲▼▲

 

「Cheap cheep cheep, 嘴みたいに啄んで」

 

 可愛らしい舌打ちをマイクに乗せる。

 立てた指を左右に揺らす。

 あたしの歌声は、店内アナウンスに混じって、ショッピングモールに響いてゆく。

 吹き抜けの上階層からも、大勢が覗いている。

 

「あたしは見惚れるあなたに口吻くちづけするわ」

 

 その中心で、あたしは歌う。

 イメージは、目の前で項垂れる彼を下から見透かすように。

 

 

「だから、その場で待っててね」

 

 ハチドリ。

 飛ぶことに身体を特化させた小さな鳥。代謝が良すぎて、花の蜜を常に啜っていないと死んでしまうらしい。

 代わりに得たのは尋常ではないホバリング能力。

 目にも留まらぬ速度で羽根を動かすことで、空中で身体の位置を固定。その場に留まり、通常の鳥が吸うことのできない小さな花の蜜を啄むのだそう。その羽ばたきの速度は一分間で八十回を超えるという。

 

 バイト三昧で痩せているあたしの身体をハチドリに。

 いつもあたしを見下げている彼を花に。

 そう喩えた曲──なんだろうか。

 彼が直接説明してくれたわけじゃない。それだけは勘弁してくれって懇願されてしまった。

 

「Lip peck R.I.P, 嘴みたいに啄んで」

 

 その割に、たまに物騒な歌詞が出てくるのはなんでだろう。

 まあ、そんくらい深い愛があるってことで。

 

「あたしは捥げた心から命を啜るわ 蜜無しには生きられないの」

 

 客席には、遊園地で見た顔も多くいた。

 あたしのために来てくれたんだろう。

 プロデューサー以外で、こんなにあたしのことを想ってくれた人なんていなかったんじゃないか。

 アイドルをやっていて良かったと心から思う。今まで、こんな規模のステージを一人で占領することはしてこなかった。

 気分が良い。

 ……気分が良い。

「どうか枯れないで 枯れるまで傍に居て だってあたしは綺麗でしょう?」

 にしてもしたことのない口調なの面白いな。

 どっちかっていうと咲季っぽい感じがする。

 

「……じゃあね」

 

 歓声と拍手が響いた。

 人生で初めて受けた喝采を、全身に浴びていた。

 

 ▲▼▲

 

「どうでした!!!?」

 舞台裏に引っ込むや否や、帰ってきた彼に聞いてみる。

「あたし、ちゃんとできましたよねっ!!!」

「……ええ。藤田さんは素晴らしいパフォーマンスをしてくれました。今まで見てきたどの藤田さんよりも可愛かった。……歌も踊りも、もう他のアイドルと比較しても遜色ありませんね」

「!!!! えへへ〜〜〜〜♡ そうですかぁ、そうですよね? もっともっと褒めてくださぁ〜い!!」

 ご機嫌になって、彼の目の前に詰め寄る。

 彼は顔を逸らす。追いかける。逸らす。

「……もう褒めてくれないんですか?」

「いえ。……ありがとうございます。本当に、感謝しかありません。……貴方のプロデューサーで良かった。貴方の実力を十分に見せてもらいました」

「ですよねですよね!! いやぁ~、あたしの可愛さを世界に知らしめる第一歩ですよこれは!!!」

「……楽しかったですか?」

「はい‼ でもこれも、ぜんっぶプロデューサーのおかげですっ‼ ありがとうございますぅ、大好きですよぉ、プロデューサァ~♡」

「……そうですか。私も、嬉しいですよ」

 

「……プロデューサー?」

 

 違和感を覚えて、不安になって、その声を見上げた。

 はしゃぐあたしとは対照的にテンションが低くて、妙に不安だった。

 

「……何か、駄目でした?」

「いいえ。本当に藤田さんは素晴らしかったです。文句のつけようもないくらい。やはり貴方には、トップアイドルの素質がありますね」

「……」

 

 ──その表情は、沈んでいた。

 最早、憎むのと同義なくらい、苦悩していた。悔しがっていた。

 普段はあんなにせわしない右手も握られたまま。

 

 一度も見たことの無い表情だった。

 

 ……初めて、彼から顔を背けたくなった程に。

 

「ただ、だからこそ──私の曲では釣り合わないと感じました。……それだけです」

 

 彼は──最初に出会った印象とは大きく異なって、感情を隠すのが下手だと思う。

 その言葉一つには、複雑に絡み合った嫌悪が含まれていた。

 

 他者に怒りを抱かない。あたしのことも、いっぱい褒めてくれて、何かをやらかしても怒るというより必死に説得するみたいな感じで接してくれる。

 そんな彼はけれど──彼自身には、ちょっとだけ厳しい。

 

「……あたしはプロデューサーの曲、好きでしたよ」

「……ありがとう」

 

 彼は笑った。

 ──とても、乾いていた。

 

 ▲▼▲

 

 車窓から外を覗く。

 風景は、次々に流れて行く。

「浮かない顔ね」

 無関係な足音から声がして、ふと視線を向ける。

 今は見たくない、自信満々な顔がそこにある。

「……ああ、なんだ。咲季か」

「なんだとは失礼ね。この花海咲季がわざわざ声を掛けてあげたというのに」

「そういうとこだよ」

 赤髪の少女は、さも当然みたいな顔で隣に座る。

 とは言っても、それを咎める程険悪な仲でも無いから、無感動に見送るに留めておく。

 ……ちょっと嬉しそうにするなよ。子犬か。

「どうしてそんな顔してるの。今日のライブは悪くなかったわよ」 

 瞬きを一つ挟んで、彼女は問う。

 ……移動にはいつも着いてくれているプロデューサーも、今はいない。こういう時は一緒にレストランにでも行くのだけれど、今日は用事があるからとさっさと帰ってしまった。

 溜息を一つ吐いて、仕方なく、会話に乗ってやることにする。

「上から目線……せめて良かったわよって言えばいいじゃん」

「それ、自分を負かした相手に言われて楽しい?」

「常在戦場かよ」

 当然のようにそーいうこと言うから。

 折角褒めてもらったのにちょっと自信がなくなるんだよ。って、ちょっと思う。

「それで? 悩みならお姉ちゃんに何でも相談しなさい?」

「……咲季じゃ意味ないと思う」

「どうしてよ。私に分からないことなんてあまり無いわよ?」

「そういうとこだってぇ。自分のことが嫌いになることとか、咲季にはナイでしょ」

「あるわよ」

 

「……今日歌った曲、プロデューサーが歌詞作ってくれたんだけどさ。どう思う?」

「歌詞、見せて」

 

 

 

「よく分かったわ」

「何が?」

「……あのプロデューサー、ことねのことちょっと好きすぎよ」

「それは知ってる。あたしもたまにちょっと怖くなることあるくらいだし。……でもまあ……あたしもカレのこと好きだし、そういう怖さも愛されてる実感だと思えば寧ろ悪くないって思うんだよねぇ。というか最早、ちょっと過剰なくらいがいいかなっていうかぁ……」

 

「…………まあ、人それぞれよね。あまり深入りはしないでおくわ……」

「いや、なんであたしが引かれるんだよ」

「引かれてるというか引っ張られてるというか……」

 普段とは逆に、咲季に微妙に引かれた。ショックだ。

 まあ──最近色々彼に甘え過ぎだなとは思うけれど、そこまでか。

 だとしたら暫く距離を取った方が良いかもしれない。それやると、多分泣かれるけど。

「サロメって、知ってる?」

 そんな思考を慌てて止める。彼女の一言で、意識を現実に引っ張り戻す。

「あー、なんだっけ。なんか有名な配信者の人?」

「そっちじゃない。オスカー・ワイルドの戯曲よ」

「……知らねー」

「……知らないでアレ歌ってたのね……じゃあ何も言わないけど」

「この曲、そんな要素もあったのかぁ。ハチドリは自分で調べたんだけど、解釈が合ってなかったかぁ……」

「そこよ。曲の完成度は悪くない。色んなモチーフを活用して、とても真摯に作られたことが伝わってくる。ただ、敢えて難癖をつけるなら、私たちが歌うにはハイコンテクスト過ぎる。こうやって文字を改めてなぞって、なんとなく意味が伝わってくるくらいには複雑なの」

 電車が揺れる。

 咲季の紅が、車窓から差し込む夕日の赤と交じり合う。

「どういう意味?」

「アイドルが歌う曲って、どちらかと言えば分かりやすさが求められてると思うのよ。可愛い‼ かっこいい‼ みたいな、分かりやすい主張が主軸にあるのがデフォルトよね」

「……まあ、確かに、そうかも」

「そういう意味だと、貴方の曲は直感で想いを理解するのは難しいわ。ただ目の前のアイドルに夢中になるには、小骨が引っ掛かるというか。そこは本人も分かっていて、ぱっと見はただ可愛らしく貴方側から愛を伝えてる、みたいにしてるのでしょうけど──言葉を選ばず言うと、小手先の行為にしかなってない。個人的な愛情が隠せていない」

 電車が揺れる。

 もうすぐで溶けてしまう夕日を、そっと眺める。

「結局、貴方のことが好きすぎるのね。その感情が溢れすぎて、ファン側の視点、貴方からの視点が疎かになってる」

 

 ──知ってる。

 だって。

 

「……この歌詞は、プロデューサーからのラブレターだから」

 

「……そうね」

「なにその微妙な顔」

「いや、その……妙にポエミーなのは、相手の影響を受けているからなのかしらと思って……」

 

 呆れたように彼女は首を振る。

 それから、こちらを向いた。珍しく気遣う様に、微笑んだ。

 

「……でも。最初に言った通り、悪くは無いと思うわ。そこまで気にすることじゃないんじゃない?」

「あたしは気にしてない。すっごく嬉しかったし、すっごく大好きな曲。……だけどプロデューサーの方がなーんか思いつめてるっぽくて……」

「……そう」

 

 

 

「……そういえば。咲季のプロデューサーって、どんな人?」

「最近、適当に褒めてればいいって態度が透けて見えて来たわ。そろそろ締め時ね」

「……そのくらいがちょうどいいんじゃない?」

「余裕ね……普通、愛の相互確認ってすごく難しくて大切なことなのよ?」

「おまえは誰なんだよ……」

 

 ──。

 

「みたいな感じですね。総評、ことねさんにはまだ早い‼ 粗削り‼ そして私情に偏り過ぎ‼」

「……はい」

「ですが、そのチャレンジ精神は嫌いじゃないですよ。それに、初めて書いたにしては十分いい出来だと思います。よく勉強したのが伝わってきますね」

「……ありがとうございます。根緒先生」

「あさり先生です。……それにしても、相変わらずロマンチストですねえ。教え子のこんな一面を見ると、なんだかどきどきしてしまいます」

 

 

「まあ、複雑すぎるところは少し修正しましょうか。ことねさんにこの歌詞は大人っぽすぎますから。ファンに余計な詮索をさせるきっかけになられても困ります」

「……」

「はぁ……」

 

「……まあ、そういうことだろうとは思っていましたけど。今まで距離を取っていた相手に、急に添削を頼むなんて──あなたに限っては、よっぽどのことが無ければ有り得ませんから。堪えたのですね。……反省ができるのは良い点です。が」

 

「独断で動くのはやめてください。相談を一度挟んでくださいと、何度も言っていますよね?」

「ごめんなさい……」

「……本当に、その悪癖はどうにかなりませんか? 髪を染めたのも、アルバイト先で広告を配ったのも、殆ど学園側には無許可でしたよね。……指摘すれば、まあそれなりに大きな罰則が入ります」

 

「では。わたしがそれをしないのは何故でしょうか?」

 

 

「……答えてください」

「えっ、そういう問題だったんです!?」

「自力で答えを探すことを諦めないでください。プロデューサーでしょう、あなたは」

 

「藤田さんがそれなりに結果を出しているから、です。その実績を評価されて、多少のことは目を瞑ってもらえているんじゃないですか?」

「不正解です」

「早い……」

「中間試験の成績が良かったのは、そうですね。あなたの手腕があってこそなのも事実です。ですが──それだけだと思っているのなら、愚かです。あの歌を書いたと胸を張ることすら憚られるくらいに、愚鈍です」

「……藤田さんが」

「不正解です」

「早いんですよ根緒先生。俺がここから正解する可能性」

「あさり先生です」

 

「あなたが真面目だからです。簡単に言えば、人間性を買ってるんですよ」

 

「さっきまでの説教の意味が消えましたが。正気です?」

「担任になんて目向けてんだ」

 

「……あなたが責任を軽んじているだけなら、別にどうなっても何とも思いません。ですが、そんな軽薄な人間ではないということはちゃんと分かっていますから、見捨てられないんですね。信じていますから」

「……」

「焦っているのは分かります。ことねさんの事情も、あなたがどれだけことねさんを想っているかも、少しは理解しているつもりです」

 

「けれど。疎かにしてはならないこともあります。丁度、アルバイトに時間を費やし、体調を顧みなかったことねさんのように」

 

「どうか、わたしにあなたを信じさせてください。そして、もっとわたしを頼ってください。あなたはわたしの、大切な教え子です」

 

「……少しは伝わりましたか? わたし、ちゃんと怒ってるんですよ」

「……ごめんなさい、根緒先生」

「あさり先生です」

 

 

「……でも。あなたがわたしの気持ちを理解してくれているみたいで、嬉しくも思っていますよ」

「根緒先生の気持ち、ですか?」

「あさり先生です。なかなか強情ですね……」

 

「ことねさんは、可愛いですか?」

「はい。世界一です」

「ですよね。……頼って貰えると嬉しいでしょう?」

「……はい。生きていて良いと思えるので」

「自分のことがダメダメだと嘆いているのを見ると、慰めてあげたくなると同時に、そんなことはないと否定したくなりますね」

「俺が抱き締めて耳元で延々と愛を囁きたいって思います」

「……」

「……冗談です」

「いえ、若いなと。わたしくらいになればそれでは済みませんよ」

「あさり先生!!⁉」

 

「まあ、そういうことです。教え子がしたいと言うことなら、何だって聞いてあげたくなるのが親心ですよ」

 

「そんな先生の目の前にいるんですよ。うだうだと自己嫌悪している暇がありますか?」

 

 

「……あさり先生」

「ええ。なんでもどうぞ」

 

 ▲▼▲

 

「うう……あたしのこと話してる人、すっくねぇ……」

 今まではどうせ誰も話してないだろうと思ってしていなかったエゴサーチ、ついに解禁。

 ……したは良いけど。

「まあ……積極的にSNSやってそうな層あんまいなかったししょうがねえ……」

 数人が写ってる写真の端にいたりとか、その他大勢の内の一人だったりとか、そんな感じ。何にせよ、めちゃめちゃ注目されたって程ではないということは確か。

 まあ、現実なんてそんなもんだ。

 そういう訳で、「みんな可愛かった」を全てあたしへの称賛に脳内変換してしまうことにした。みんな可愛かったが、特にあたしが可愛かった。そういうことだ。

「咲季……も、そんな感じか。良かった」

 ──これで咲季だけめちゃめちゃ褒められてたらもうあたしは人間ではなくなっていただろう。

 ちょっと個人で取り上げられてる数は他より多いようにも見えるけど、その程度は許容範囲。

 

「……」

 

 自然、指が動いた。

 

「どうかしましたか?」

「もっと褒めてください」

「欲張りめ」

 

 ベッドに寝転ぶ。暗い部屋の中で冴えた眼を擦り、機械越しの声と会話する。

 

「エゴサーチしたんでしょう。こっちでは特に問題ないように見えましたが、もしかして何か言われてました?」

「いや、なんというか……寧ろ何も言われてなくてですね……」

「……そっちですか。……それについては私のせいと言いますか。……ごめんなさい」

「プロデューサーのせいというか、普通に仕方がないことなんで、そこはいいとして。今日のあたしじゃなくても、もうほんとに何でも良いんで、プロデューサーがだ~いすきなあたしを、褒めて褒めてぇ、褒めまくってくださぁい♡」

「良いですよ。……丁度、貴方のことを考えていましたから。貴方と喋りたかったところです」

 もう十分かな。

 一か百しかないのか。あたしの環境には。

「どうしました?」

 そして声色で分かる。これは天然じゃなくてちょっと揶揄い気味な言い方をしている。

「いや。あたし、幸せ者だなって思って。……愛されてるなぁ、って」

「ええ。愛してますよ」

 ……これは割と本気で言っている。

「う、おう……流石ぁ……」

「どうしました?」

「いやぁ。どんな顔でそれ言ってるのかなぁ、って、思っただけです」

 

 本当に──。

 今、どんな顔をしているのだろう。

 

「……あんまり暗い顔してちゃだめですよ。プロデューサぁ……」

「……そうですね」

「……そうってことはやっぱり辛気臭い顔してたんです?」

「まあ、否定はできません。自分の愚鈍さに吐き気を催していたところです」

「好きな女の子と通話してるのに、ですかぁ?」

「今必死で笑顔を取り繕っています」

 

 今どんな顔してんだ。

 人はそれを変顔と言うんだぞ。

 

「……藤田さんはいつも明るいので、話してると気分が晴れますね」

「あたしは、あたしのことが好きですから」

「ですね。とてもいいことです。……私には、貴方がとても眩しく見える」

「……」

 

 ふと、言葉が出なかったのは。

 ──彼に、アイドルとしてじゃなくて、あたし自身のことを褒められたのは、容姿以外だと初めてかもしれないと、そう思ったから。 

 定かではない。けれど、多分、珍しいんじゃないかと思う。……眠たくなってきて、それ以上はまともに考えられないけれど、多分。

 

「……眠いですか?」

 

 そんなことを思っていると、すぐに指摘されてしまった。

 思わず笑ってしまう。向こうも向こうであたしの理解度が上がっている。

 

「分かりますぅ~? いやぁ、普段はここまで急に眠気が来ることは無いんですケド……」

「欠伸が聞こえたもので」

 

 早く寝なさい、と、言われる気がした。

 けれど、帰ってきたのは、静かにキーボードを叩く音だけだった。

 

「早く寝なさい、って、言わないんです?」

「……藤田さん、は、……」

 

「好きですよ? プロデューサーのこと」

 

 

 

 

 

 

「すみません。スマホを床に叩きつけました」

「壊れてないです?」

「貴方の可愛らしい声を遮るものは何もありません。正常です」

 

 こっちから聞こえる声は、故障したみたいにがったがたに震えていた。

「……何故分かったんですか」

 分かるに決まってるじゃないですか。

 あんなに湿っぽい声で名前を呼ばれたら、そりゃぁ。

「死ぬほど女々しい質問をしそうになってようやく留めたところだったんですよ」

 気味が良い。少しはこっちの心労も味わえ。

 不意に隠しもしないで好意を伝えられるこっちの身にもなれ。

 

 

「わかりますよぅ。なんででしょーか?」

「この学園ではその質問で俺を辱めるのが流行ってるんですか?」

 

 ──正解は。そう言ったあたしの声も、芯の抜けたものだった。

 

 よっこらせと身を起こす。

 微睡む瞼を擦る。

 なるべくマイクに口元を寄せて、囁くように、

 ──妙にうるさい心音を掻き消して。

 

「プロデューサーのことが、だぁいすきだから、でした♡」

 

 

 慣れた言葉の筈なのに、何故だか痛かった。

 慣れた言葉の筈なのに、何故だか震えていた。

 

 

 

 彼の返事は帰ってこない。

 あたしは無言で電話を切って、そのまま薄い長方形を投げ捨てて、目を閉じた。

 

 

 ▲▼▲

 

 今までの夢を見ている。

 彼とあたしの夢を見ている。

 改めて振り返るまでもない。辺鄙で忘れたくもない、忘れられない、そんな思い出だ。

 なんで今更になってこんなものを──。

 

「──あ」

 

 そこで気付く。

 覚えていたって、気付けないこと。

 今まで、知らないでいたこと。

 

「なんだよ、あたし。……必死過ぎじゃん」

 

 彼と出会った頃のあたしの表情は──愛嬌なんて欠片も無くて、何ともみっともない有様だった。

 飢えていて、疲弊していて──焦っている。

 彼に可愛いって言われていたという事実に腹が立つくらい、今と全然違う。

 

 あたしの表情は知らないうちに、やわらかく、多様に、ころころと変化していたみたいだ。

 それはちょうど、彼がそうであったように。

 

 彼に出会う前は、勿論お金も時間も無かった。

 けれど何より、余裕が無かった。一瞬でも脚を止めれば、そのまま足元が崩れ落ちるんじゃないかと思っていた。

 ──ああ、当たり前だ。

 腐って今にも崩れそうなステージの上で、誰が踊れるのだろう。ダンスに、顔に、少しの自信があったって何になる。

 

 

 ──そこから何かが好転したって訳ではない。

 少しだけ、上手くいくかもしれないっていう兆しが見えただけ。

 

 諦めかけていたことを、諦めなくていいかもしれなくて。

 それを全力で応援してくれる人がいて。

 彼は、羽ばたくあたしをいつまでも待ってくれる。

 

 

 もし仮に、足元が崩れたとしても。

 やっぱりあたしが駄目になって、堕ちてしまったとしても。

 彼は妙に気障っぽく、照れを噛み殺したみたいな表情で、抱き留めてくれるんだろう。

 

 

 

「……何だろ」

  

 

『今日から暫くレッスンは見れません。メニューはこちらで指定しておきます。無理のない範囲で』

 

 彼からの通知は、人生で二度目だった。 

 

 

 ベッドの隣に置いてあるサイドテーブルに目をやった。

 彼のくれた指輪の箱。

 彼のくれた歌詞の紙。

 

 それらをぼやーっと見つめていたせいで、その向こうで時計の針が進んでいるのに気付かなかった。

 久し振りの遅刻だった。

 

 ▲▼▲

 

「……おやすみなさい。良い夢を」

 既に終わった通話。

 誰にも届かない挨拶を一つ零す。

 

 

 

 

「去勢したい……」

 馬鹿げたことを呟きながら、パソコンに向き合う。

 色々な感情を叩き潰すように、キーボードを打つ。

 

 電子メール。送り先は、とある音楽ユニット。

 ──きっと、彼女に一番似合う曲を作ることができる人々。

 

 ▲▼▲

 

 眠れない。

 バイトに明け暮れていたときは死んだように眠っていたけれど、生活リズムがなまじ健康的になったせいで全然寝付けない。

 

 自主練を増やして体力を消費しようとしても、結局あまり効果は無い。全身が筋肉痛になっただけ。百害あって一利なしの究極系。

 ……最近のプロデューサーは何やら忙しそうにしていて、構ってくれない。

 レッスンも殆どトレーナーとばかりだし。

 

 

 眠れない。

 動画を流し見したり、自分のライブ映像を見たりしても、瞼が落ちてくる様子はない。

 今までどうやって眠っていたかを思い出したくなる。

 

 眠れない。

 羊は既に四桁を超えた。ジンギスカン食べたい。

 半端に時間だけが過ぎて行く。このままだと明日怒られるのは自明。

 

「眠れねぇ~……」

 

 

 ……いや、ほんと。

 今日は極端だけど、最近はずっとそう。

 寝付くまでに相当時間がかかる。そもそも一人は苦手なんだ。家族が多かったから‼ なんてことをうだうだ思ってるから寝られないんだけど‼

 

 

 あたしって、今までどうやって寝てたんだ。

 

 

「……あ」

 

 ──そこで、敢えて忘れていた顔を思い出す。

 

 少しの逡巡の後、歩き出す。

 

 ▲▼▲

 

「ぷろでゅーさぁ~……」

 

 ……末期だ。

 

 私情を断つために彼女に会わないでいたせいか、それとも彼女の歌声を延々とインプットしていたせいか。

 妄想力は次元を超えて、ついに現実世界に浸食し始めた。

 

「ぷぅろぉでゅぅさーあぁ~……開けてくださぁいぃ……」

「……どうしました?」

 

 まあ戯言はそこまでにして。

 校舎の一画、自身に割り当てられた作業部屋の入り口。

 就寝時間をとっくに過ぎたというのに、そこには藤田ことねが──世界一可愛いアイドルがいた。

 

「もう就寝ですよ。何なら日付超えますよ」

「わかってますよぉそんなこと。でも、眠れなくって……」

「だからって出歩きますか、普通。……まあ、来てしまったものはしょうがありません。取り敢えず中へどうぞ」

 

 心臓がうるさい。

 ソファに座る彼女は、普段三つ編みにしている髪を解いていて、いつも以上になんだか緩い雰囲気を纏っている。 

 薄手な黄色のパジャマはシンプルで、けれど可愛らしい。

 

「プロデューサーって、こんな時間でもまだスーツなんですか?」

「さっきまでリモートで会議をしていたんですよ」

「……お疲れ様です」

「実際、相当疲れました」

 彼は苦笑すると、やれやれと手首を振る。

 そう言う割に、彼の仕草は、表情は──最後に見た彼の、数万倍は生き生きとして見える。

「その割には、楽しそうな顔してますケド」

 ……なんだか、無性に腹が立った。

 もっと深刻そうな顔をしろ。

 あたしが眠れないのは──。

「……よく気が付きますね」

「浮気ですか? あたしを見捨てるんですか?」

「……」

 おら悩め。あたしを放っておいたことを申し訳なく思え。

「……そんなことをするはずないって、分かってるくせに。今日は構ってちゃんの日ですか?」

 

 

「……なんか、女誑しになりました?」

「貴方には言われたくないです」

「あたしは良いんですぅ。プロデューサーが勝手に誑されただけですから」

 彼は今まで眺めていたパソコンを閉じた。

 そして、あたしが座っているソファの方へと歩いてくる。

「ちゃんと食べてますか?」

「どうしてですか?」

 伸ばした両腕を無視して、あたしの目の前で腕を組む。

 そっとしゃがんで、目線の高さを合わせる。そっと、目を逸らす。

「いえ。貴方は細いままですから、お金が無かった頃の食生活のままなのではと思いまして。血糖値が上がらないから眠くならないのでは、と」

「……。ええっ、とぉ……」

「図星なんですね。……お馬鹿」

 溜息と一緒に、静かに頭を撫でられる。

「駄目ですよ。稼いだなら稼いだだけちゃんとした生活を送ってください。だから色々食事に連れて行ったでしょう」

「え。プロデューサーがただデートしたかっただけじゃないんですか、あれ」

「そうですけど、それだけじゃなくてもっと食への欲求をですね……」

「……美味しいもの食べたから暫くがまんだぁ~……みたいなマインドでした……」

「もっと食べてください……学費も貯蓄も奨学金とギャラで大体何とかなりますし……」

 そうして頭を掻くあたしの膝の上に、降ってきたのは──チョコレート菓子の包装だった。

「取り敢えず今日はそれ食べて寝ましょう。……ね?」

「……プロデューサーって、こういうのも食べるんですね」

「ええ。実はそこそこ甘党です」

 知らなかった。

「……やっぱり、プロデューサーって女の子みたいですね」

「じゃなきゃ貴方に対してここまで世話を焼かないです。はい、歯ブラシ新しいの開けときましたよ」

 お母さんみたい、と思いながら。

 他方、夜中に夜食に付き合ってくれるのは、お父さんみたい。

「プロデューサーって、プロデューサーみたいですね」

「何言ってるの?」

 

 

「どうです? 少しは、眠たくなりましたか?」

 鏡に映る、歯を磨いているあたしを見ながら、ぼんやりと思う。

「……これが発覚したら、普通に私が怒られますからね。明日からちゃんと食べて、しっかりと睡眠をとりましょう。太る太らないを気にしている暇はありません。貴方は痩せすぎです」

 紙コップに注いだ水で口を漱いで、確かに襲ってきた眠気を感じる。

 このまま布団に入れば、きっとすぐ夢の世界に旅立てるだろう。

 

 夢。

 

 あれから何度も思い出す。今まで見た夢を覚えていたことなんて殆ど無かったのに。

 

「……まだ、もうちょっと足りないかも、です」

「……そうですか。困ったものですね」

 

 振り返る。荷物を手提げ鞄に詰めている彼がそこにいる。──目が合う。

 久し振りにちゃんと彼の顔を見る。

 いつも通り。イケメンというよりは美人で、あたしのために染めた茶髪はサラサラで、派手なチョーカーやイヤリングのせいでどことなく怖くて、……なのに、今は眼鏡を外している目は、とても優しく光っている。それはきっと、あたしの前でしか見せないのだろう。

 いつも通りなのに。

 なんだか、初めて見るみたいだ、と思う。

 今まで、何度も何度も彼は変わってきたけれど──今回に限っては、きっと。

 

「一緒に羊でも数えます?」

 

 首を振る。

 あたしの我儘を厭うでもなく、やっぱり優しく返してくれる彼を、───く思いながら。

 

 そのまま歩みを進める。

 戸惑う彼に追い付いて、今一度両腕を広げる。

 

「プロデューサー」

「はい」

「独りが、苦手で。……ちょっと、寂しくて。だから──」

 

 

「……あたしのこと、寝かしつけてくれませんか?」

 

 

 ──あたしの全身を生温い体温と香水の匂いが包んだのは。

 それを言い終わるか終わらないかくらいの刹那だった。

 

 

 ▲▼▲

 

「……良いんですか?」

「私も、……夜はあまり得意では無いです。貴方ほどでは無いですが、それなりに賑やかな家族でしたから」

 

 ソファに座った彼に背中をぽんぽんと撫でられて、必死に彼に抱き着いて、なんだか赤子に戻ったみたいだ。

 最近学園に届いたらしいスモックを着ていたら、さらに様になっただろう。

 

「プロデューサーに、ずっと聞きたかったことがあるんです」

「……はい。なんでもどうぞ」

「あたしのこと、ことねって呼んでくれないんですか。なんで、俺って言わないんですか」

「格好をつけてるだけです。好きな娘の前で気を張るなんて、誰でもやることでしょう」

 

 大人ぶっているだけで、彼だって私とそう大差ない幼さを抱えている。

 でも、それでも。安心してしまうのは。

 きっと、あたしが飢えているからだ。

 あたし以外にはきっと引かれて終わりなのだ。──きっと彼は、あたしと一緒にいないといけないんだ。

 

「……変なこだわりですね」

「私はずっとそうです。変だ変だと言われて生きてきました」

 

 全身に預けられた体重は、あまりに軽い。

 背中に回された両手は、あまりに非力だ。

 ……今すぐ圧し潰したくなってしまうくらいに。首を絞めたらすぐに折れてしまいそう。

 

「……今度からことねって呼んで欲しいって言ったら。どうします?」

「そのくらいお安い御用ですが。嬉しいですか、それ」

「はい……」

 

 眠たくないっていうのは嘘だったのか、もう彼女はどっろどろに溶けている。

 うつらうつらとしている。と思っていたら、はっと目を開ける。その繰り返し。

 授業中の小学生と変わらない。

 ……なんだか、学園に届いていたスモックを着せたくなる。

 

「ことね。起きるんですか、寝るんですか」

「寝ます……」

「寝るんかい」

 

 言いたいことがあった。

 その筈なのに、言えないまま。

 

「ことね。寮には帰れますか?」

 

 

「ことね、……」

 

 

 

 ▲▼▲

 

 見たことのない天井。

 

 何故だか安心する匂い。

 

 色んな意味で重たい全身。

 

「……起きてください。起きてください、プロデューサー」

 

 あたしを抱き締めたまま眠っている彼がそこにいた。

 身体を揺さぶる。意味不明な音と、僅かな身動き。それ以上に動きなし。

 作戦変更。

 

「……おはようございまぁす♡」

 

 耳元で囁いた瞬間、ばちん、という音が聞こえかけたくらいの勢いで目が開いた。

 こっちがびっくりする。

 

「おはようございます、……こ、とね」

「ここ、何処ですか」

「俺の……いえ。私の部屋です。昨日あのまま貴方がどうしても起きなかったので。手は出してません。誓って」

 

 

 知ってます。

 車で送られたらそりゃ途中で目が覚めても仕方ないでしょ。

 ちゃんとお姫様抱っこでベッドに寝かせてくれた時の凄絶な顔も一番間近で見ましたし、狭い部屋でシャワー浴びるところから出てきて着替えるところまで全部薄目で見てましたし。

 

「……なんか、夢で愛してる愛してるって言われてた記憶があるんですケド……気のせいですかねぇ?」

「気のせいだと思います。私も帰ってすぐに寝たので覚えていませんし。ライブの夢でも見ました?」

 

 ……あたしが何も知らなかったら何も分からないくらいには上手なすっとぼけだった。

 残念なことに、全部無意味だけれど。

 

 

 多分、そういう一面を見ても、なんだか素の姿を見られて嬉しい、とすら思っているあたしは、もう末期だと思う。

 本当に無意味だ。必死に隠そうとしているところも──妙に愛おしく見えているのだから、今更取り繕わなくても良い。

 

「取り敢えず、朝御飯作ります。紅茶はお好きですか?」

「おお~。贅沢ですねぇ♡」

「トーストで良いですか?」

「もっちろんですっ‼」

 

「……あの、プロデューサー」

 ──咄嗟に。

 気持ちまだ目の開き切っていない、彼の背中に、声を掛けていた。

「はい。どうかしましたか、ことね?」

 

 振り返った彼は、相変わらず優しい声。

 けれどどこかぎこちない。

 

「……いえ。呼んでみただけです」

 

 確信に変わった心根を押し殺して、恐らく二度と言えなくなってしまったであろう言葉を隠して、あたしは笑う。

 きっと──出会った頃とは比べ物にならないくらい、自然に、安らかに。そんな自信と共に。

 

「……好きって言ってくれる流れだと思ったのに。残念です」

 

 ……そう思っていたあたしの心と顔は、その一言で引き攣ってしまった。

 

「あとで畳んでおいてくださいね」

 

 思わず布団に潜りこむ。彼がそう言って台所に向かっても、しばらくはそのままで隠れている。

 

 きっと、今のあたしは──洒落にならないくらい真っ赤な顔をしているだろうから。

 

 ▲▼▲

 

「……これ、全部あたしのお客さんですか?」

「ソロライブですよ? 当然です。みーんな、ことねの姿を見に来たんです」

 

「あたし、大人気ですねえ。……どんだけ儲かるかなぁ……♪」

「はいはい、アイドルがやっちゃいけない顔してますよ。抑えてください」

 

「……ありがとうございます。プロデューサー。こんな景色をあたしに見せてくれて」

「気が早い。ここにいる八割以上は貴方の曲一つしか知らないんですよ。大体それだって──86万回再生も行ったとはいえ、生歌で披露は初めてですし」

「だから、です。……プロデューサーが、そんな凄い曲をプレゼントしてくれたおかげなんですから」

「それはもう向こうにお礼言ってください。……何の謙遜でもなく、歌詞に私が考えたフレーズ一つも無いですし」

「あたしが入れたい言葉ばっかり入りましたしね」

「流石にヘコみましたよ。まあ、私の感性があんな純粋な曲ばっか作ってるとこと折り合いが付く訳ないんで当たり前ですけど」

 

 ──曲名は貴方が一番最初にくれた言葉ですけどね。

 あたしがあたしで居られる理由ですけどね。……なんで気付かないのかな。当たり前だと思ってるからだろうな。

 

「……あと。もしもアンコールが始まったら、そこからじゃなくて、何とかして客席に行ってくださいね」

「何回言うんですか。……変なサプライズでも用意してるんじゃないでしょうね」

「秘密です♡」

 

 ──勿論、あたしがこの世界で一番好きな曲を歌うに決まってる。

 その時だけは、貴方だけのアイドルになってやる。それが楽しみでここまで来たまである。

 

「『できる、できる、できる、できる。そうだ、信じてくれる人がいる』。……ですから、あたしのこと、ちゃんと信じてくださいね」

「ええ。そりゃあ、もう。ここまで来て信じない人間がいてたまるか」

 

「ことねは可愛いだけじゃなくて、なんとアイドルとしての実力もある。必死に踊って元気に歌ってくれたら、それだけで誰もが魅了されるに決まってる。俺が保証する。……頑張ってね」

 

 

「……呼ばれました。行ってきます」

「いってらっしゃ──待って。指、指」

「やっと気づきました? ……プロデューサーがくれた指輪です」

 

「……なんで付けてるんです? なんで薬指なんです⁉」

「だってえ。あの時は小指が丁度でしたけど、プロデューサーの言う通り太っちゃったのでぇ。もう入らなくてぇ」

「絶対嘘だ……」

「似合ってます? 似合ってますよね?」

 

 きっと、今のあたしなら釣り合ってくれている筈だ。

 だって、今のあたしは──。 

 貴方の重すぎる愛と過大すぎる信頼に、ようやく応えられる。その価値のある、アイドルだから。

 

 

「だって今の私は、名実共に、世界で一番可愛い女の子ですから‼」




作中歌はオリジナルです。一番だけ作詞しました。作曲は無理です。

曲名:Cheap Cheep / Lip R.l.P

Artist:藤田ことね
作詞:人格分裂

 ▲▼▲

嘴みたいに啄いて
あたしはどこまでも気まぐれに
見惚れるあなたに口吻するわ。じゃあね

白鳥みたいに澄ましてない 鳴らす羽音は隠さないの
見苦しくてもあなたに見て欲しい もがく私を慈しんで欲しい
それが私が堕ちずにいる理由

浮ついた脚 痩せて歪んだその身体は
頭を垂れるあなたに逢いたいから
触れられなくとも 
あなたを啄むから

宙に留まるあたしを目の前に
盆に載ったあなたは笑うのね

Cheap cheep cheep
嘴みたいに啄んで
あたしは見惚れるあなたに口吻するわ
だからその場で待っててね
Lip peck R.I.P
嘴みたいに啄んで
あたしは捥げた心から命を啜るわ
蜜無しには生きられないの

どうか枯れないで
枯れるまで傍に居て
だってあたしは綺麗でしょう? じゃあね

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