思考に耽る静寂を切り裂くように、携帯が震える音がする。
リゾットは顔色を変えず、目線だけを懐に落とす。本当ならば悠長に携帯を開く暇はないのだが、相手は雇い主である『Q』からであることは明白。
(……。このタイミングで、か……)
数十メートル先に漂う濃密な呪力の気配。緊迫したものではなく、それは非常にリラックスしていて自然体で、しかし少しでも虎の尾を踏むことがあれば――と思わずにはいられない圧がある。
しかし、なぜか追撃はやってこない。
おそらく届いたメールを見れば、その理由も分かるのだろう。この知らせが吉報なのか凶報かは分からない。
無駄のない動作で携帯を開き、文面に素早く目を滑らせる。
「……なに……?」
その事実に目を見張った、ほんの僅かな意識の間隙。
一陣の風が吹き抜けたかと思うと、まるで冬の夜が降りたかのように、周辺は薄暗く怜悧な空気を孕んだ。もちろん夜が来たのではない。
360度、そして頭上さえも。リゾットは
(呪霊を使役する術師……)
低位の呪霊も多いが、中には術式や領域を保持しているのではないかと思われる高位の呪霊もぐるぐると漂っている。
魚のサーディンランに取り残されたような気分だが、水族館のような幻想的な装いは一切ない。ほんの少しでも指を動かせば、耳障りな音と主に宙を這いずり回る呪いに喰われてしまいかねない一触即発の空気が漂う。
「さて、何か言い残すことはあるかい?」
「……」
呪いの群れを統率する主が、エイのような呪霊の上からそう告げた。
個の最強と肩を並べる、群の最強。
メビウスの輪のごとく廻り続ける呪いたちの影でその表情はうかがい知れない。しかし本人から感じる呪力の圧と低く静かな声からは、微かに怒りが滲んでいる。
(この世界に向いていないな)
リゾットは微かに目を細める。
裏の世界、打算と裏切りと血が跋扈するギャングの世界に居続けた彼だからこそ感じた印象であったが、同時に、仲間を傷つけられたその男の怒りはとても正しいもののように思え、それを懐かしくさえ感じていた。
「……祈りを捧げる時間でも必要かな?」
表情に変化もなければ焦りもなく、むしろ完全に戦意が削がれた自然体で佇むリゾットに、頭上に揺蕩っていた男は微かに首をかしげる。
確かに、昔はこれでも真面目に礼拝に行っていたな。とシシリーでの日課を思いつつ、リゾットは首を横に振る。
「いや、その必要はない……これ以上は徒労だと、もうわかったからな……」
この状況下で全てを諦めた、という意味ではない。
本当に、戦う理由がなくなったのだ。
特に、組織に対する忠誠心や信頼などを必要としない傭兵の身であるリゾットにとっては。
「……ああ、なるほど。【
「おい傑ー!! そいつ勝手に殺すなよ!」
呪霊の雑音に交じって、聞き慣れた声が呪いの向こう側から響いてくる。
軽快ながらもどことなく不満げな調子で呼ばれた男は、「やれやれ」と肩をすくめた。
応じるように、周辺の呪霊の気配が徐々に霧散していく。
もちろんお互いに警戒を解いたわけではない、が……夏油傑という男は、無駄な殺生をしたり執拗に相手を痛めつけるようなことをしない模範的な優等生のようだ。本心はともかくとして。
「悟、君はもう少し緊張感ってものを覚えたほうが良いね。だから油断して負けかけるんだよ」
モーセの海割りのように掃けていく呪霊たち。
その間を縫うように現れたのは、夏油傑が乗っているエイのような呪霊に倒れこんでいるあの五条悟だった。
「は!? 負けの「ま」の字もねえっつうの。お前が水差して中断させなかったら、こいつぶっ殺して俺が完全勝利してたわ」
「勝利もなにも、君、止めなかったらこの周辺更地にする気満々だったじゃないか……。黒閃を決めた高揚感は仕方ないが、君のことだから既に
呆れたように窘める夏油に、五条は「けっ!」と忌々し気に舌打ちを零す。
五条に吹き飛ばされた後、すぐに追撃が来なかったあの
個から複数まで、対人において絶大な殺傷力を誇る術式もといメタリカの力。
暗殺に特化した、一撃一殺の戦闘スタイルとして完成させているからこそ、リゾットは長期戦や被害を無視した遠距離・広範囲攻撃などを苦手としている。
もちろん回避や逃走のために動けはするが、リゾット自身、先の戦闘でかなり体力も呪力も消耗している。
ここで五条による渾身の【蒼】、またはそれ以上の
(少なくとも、無事では済まなかっただろう)
「さてと」
気を取り直すように、夏油がエイの呪霊から降りた。
そうして、もう一匹のエイの呪霊の上で仰向けになっている五条へと振り返る。
「彼女たちは安全なところで待機させているし、硝子や窓も、もう少しで駆けつけてくる。あと残ってるのは彼だけだ」
涼やかだが見定めるような視線がリゾットを射抜く。
「悟、どうするつもりだい?」
もはやお互い戦う理由はないが、それは【私情】を抜きにした話である。いくらリゾットがただの雇われの暗殺者であり、彼らが敵対していた組織は既に解散壊滅になっていようと、拷問なり尋問なりを仕掛ける理由などいくらでも生み出せる。
もちろん、それを素直に引き受ける筋合いはない。
無防備に見えながら、メタリカの射程距離内にきっちりと二人を捉えて、リゾットは刻々と審判を待った。
数秒にも満たない沈黙を破ったのは、話題を向けられた五条である。あれだけメタリカを受けて失血したあとだというのに、戦闘とそれに続く黒閃後のアドレナリンでも出ているのか、思った以上に彼はイキイキとしている。
五条は、形のいい唇を歪めて、「ハッ」と軽く鼻を鳴らす。
「どうするも何も決まってんだろ。こいつのスカした顔をボコボコにしねえと気が済まねえ」
「だから悟、今は任務中だよ。そういうのはあとに……」
「わーってるよ。だからこいつは──
「…………何?」
リゾットは目を眇め、五条を見上げた。同様に夏油も目を見張って、ぽかんとしている。
まるで「過程」を吹き飛ばされ、突然「結果」だけを見せられたかのような奇妙さだ。実際そういう能力は、リゾットの身に覚えがある。
「……言ってる事が分からない……イカれてるのか?……この状況で……」
先ほどまで殺し合いをしていたことも忘れ、リゾットはそう答えることしかできない。
「彼の言う通りだ、悟」と牽制し合っていた夏油にすら同調される始末である。
「キミ、自分が今何を言っているのか分かっているのかい?」
「当たり前だろ。呪力の根幹を掴んだとしても、こいつみてえな
「……つまり、弱点克服と対策のためにも、彼を雇おうって?」
「そ。このまま白黒ハッキリせず、こいつに海外にでも逃げられてもクソ腹立つしな」
「後者の方が本音ぽく聞こえるよ。……でもまあ、今回のことは私も流石にヒヤリとさせられたし、彼が別の組織……たとえば盤星教にでも即座に引き抜かれたら面倒ではあるから、買収しておいた方がいいのかもしれないけど……」
「……待て。なぜその方向で話が進んでいる」
五条側に寄って思案し始めた夏油に、リゾットは思わず制止をかけた。
いくら雇用主である組織が壊滅させられ、唐突にフリーになったとはいえ、このままだとわけが分からないうちに雇用契約を結ばさせられてしまいそうな勢いがあった。
組織を壊滅させられた直後に殺し合っていた相手から雇用を持ちかけられること自体が初めてなのもあり、リゾットなりに困惑しているというのもあった。
一方で、五条は「はあ?」と、非常に面倒くさそうな表情を見せる。
この男から始まった話だというのにあまりにもな態度なので、リゾットは自分の気が長い方であることを心から感謝した。
「あー、報酬とか福利厚生とか心配してんの?」
リゾット自身が雇われの暗殺者ということで、「傑がさっさと組織壊滅させたせいで、せっかく俺と戦って時間稼ぎして生き延びたのに無報酬だもんなお前」五条は組んだ腕を頭に添えて、そう呟く。
「……」
そういうことではない。とリゾットは思ったが、一方で沈黙する。
確かに規格外の特級術師をあれだけ足止めしたというのに、『Q』が壊滅したため無報酬ということは紛れもなく事実でもあったからだ。
それに何を思ったのか、五条は「わーったわーった」と軽く手を振って応じる。
「さっきのは勉強代ってことで俺の家から出しとくし、とりあえず向こう3ヶ月はQだかPだかの報酬の10倍でどーよ? 五条家お抱えで日本での生活サポート含めた各種福利厚生充実、手当も豊富なホワイト企業ってやつ?」
「ホワイト企業は自分のことをホワイト企業って言わないと思うよ、悟」
やいのやいのと言い合っている五条と夏油を尻目に、リゾットは引き続き沈黙したまま、熟考していた。
報酬のことを考えているわけではない。
今後の自分の立ち振る舞いについてだ。
(ここで姿をくらまそうが、こいつらは大して俺に関心を持っているわけじゃあない。目的は何よりも【星漿体の護衛】だからな……。だが、そうなれば俺の術式や所在は他の人間にも共有されるだろう……特に呪術高専を統括する上層部の老人たちは、聞いたところによると迫害意識の強い相当な保守派と聞く)
自分たちに都合の悪い人間など、術師非術師にかかわらず、積極的に排除しようと動くだろう。それが組織のトップというものだ。
それは、裏の世界の中でも暗殺という汚れ仕事を多く背負ってきたリゾットだからこそ分かる、経験則だった。
(特に俺の場合は、敵対していた組織の生き残り。国内の情報を持ち逃げされる、と考えられてもおかしくはない……)
そうした
(逆に、この五条悟や夏油傑はそれらとはまったく独立した存在だということも聞いている。直接戦ったからこそ……それを実感した)
五条悟のもとにつくということは、身を潜め暗殺者として日本で活動を続ける上では、一番安泰なのかもしれない。
まだ信用も信頼もしていないが、少なくとも殺そうとした相手を真っ当に評価し、自らの懐に入れ込もうとするイカれた器の大きさは、警戒するのも馬鹿らしいほどの計り知れない自信を感じた。
だがそれは、
(いや、それだけではない、か……)
鉄の壁すら射通しそうな視線を持ち上げた先にいる、特級呪術師の二人。
噂に聞いていた彼らと実際に相対し、分かったことがある。
確かにイカれた性質と実力を兼ね備えているが、彼らは少なくとも普通の人間であり、自分たちの力に誇りを持ち、お互いを認め合い、強い絆を持っているということだ。
そうでなければ、五条悟が夏油傑の諭しに応じて拳を下げることはないであろうし、夏油傑が五条悟が傷つけられたことに怒りを抱くことはない。
互いの実力を認め合い、月日を重ねて積み上げられた絆と誇り。
なんとなく、そこに懐かしさを覚える。
それでも。自分たちが灰色の運命の中で足掻くしかない奴隷だったとしても。
リゾットはそうした運命の中で果たした自分たちの使命に誇りを持っていたし、苦難の道を共にしたチームや仲間たちに強い信頼を置き、彼らのことを誇りに思っていた。
そしてそれは、失われても変わることのない事実だ。
風化することのない屈辱、そして郷愁を思い起こさせたこの男たちに関わることは、何か、大いなる意味となる始まりなのかもしれない。
(無事を祈ってはやれないが……知りたいぞ……はたしてお前たちが、『苦難の道』を超えた先に、何を得るのかを……)
人は誰しも運命の奴隷だと、どこかで聞いたことがある。
それでもなお足掻いたリゾットがあらゆる可能性と運命の線の中から手繰り寄せたのは、【勝利】であり、【独り】でもあった。
「いいだろう」
どこまでも冴え渡った静かな視線と声音で二人を見つめる。
そうして、これからの道行きを告げた。
「──俺は今後、五条家のもとにつき、
運命の奴隷であってくれるなよ、と。
そんな願いを、託しながら。
読んでも読まなくてもいい設定。
・パッショーネについて。
この世界にスタンドという概念はないけど、例の矢はある(術式に目覚められる無為転変な効能?)。ヴィジョン(スタンド)がある術式として具現化してる奴もいれば、ヴィジョンがない奴もいる。
・リゾット
例の場所でボスには勝ったが、仲間は全員失っている。
護衛チームとのわだかまりも解けたが、麻薬の真実(恥パ)に失意に暮れ、組織の裏切り者でもあるのでそのままパッショーネを抜けて、色々あって日本で仕事していた感じ。現時点で年齢18とか19。五条たちの一個上くらい。ボスを倒しているので護衛チームは全員生きてる。
このあと五条家の金払いの良さに驚愕する。
・五条悟
覚醒する手前くらい。知らん外人相手に一回死にかけたので、慢心と油断がわりとなくなってる。もしかしたら「赫」は使えるかも。反転術式は甚爾に後ろから刺された辺りで使えるようになるかも。
自分を殺しかけたリゾットを割と気に入っているのと、中からの攻撃への対策を考え中。金払いが良すぎるホワイト企業(ホワイト企業とは言ってない)
・夏油傑
最強だと思っていた相方が死にかけたので、油断がなくなってる。盤星教にもリゾットのようなヤバイ傭兵が雇われているんじゃないか?探りを入れたほうがいいのでは?と思案し始める。原作と比べてズレが生じているのでワンチャン闇堕ちしないか、しても闇堕ちする前にメロンパンにやられるかという微妙なところ。
本当は虎杖あたりの原作開始も書きたかったけど、そこまで行くのが長くて長くて…。未完で終わるよりは区切りいいところで区切ったほうがいいのかなと思いこうしました。
この後は、ボス(五条悟)の初指令で盤星教に侵入し、思わぬとこでVS甚爾(見えないけど勘でリゾットの存在に気づく)になる気持ちがありました。
番外編で……別世界線としてギャングまったく関係ない現地産ギアッチョが高専入学(虎杖世代で)もしくは死滅回遊から巻き込まれてVSカッシーとかVS裏梅とか書きたいな…氷VS雷と氷VS氷のロマンよ…。
感想などほぼ返してしませんが、ありがたく読ませていただいております。
それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました。