慧音の死後、現世に一人残されていた妹紅。恋人を亡くし、心の片割れを失った時、彼女は何を思うのか?

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自分が思うより恋をしていたあなたへ

「幸せに、なるんだぞ」

 

 現の世界の存在に手を引かれ、瞬くように目が覚める。

 すると同時に、肌をもわっと蒸し上げるような暑さに気づいた。さらには、寝汗のせいで衣服が体にべっとりと貼り付き、私は不快感を覚える。

 

「……あっつ」

 

 夜の羽虫がさざめいている。

 私は、枕元にあったジャグを手に取り、隣のコップに湯冷ましを注いだ。そしてそれを口につけ、顔を少し上げながら、コップを傾ける。途端に、ほんの少しの冷たさが、口の中を刺激する。やがてそれは喉を通っていき、乾き切った喉に潤いを与える。その一連の刺激で、私はこの世界に全身全霊で存在させられている、と思い知らされる。

 

「また、この夢か」

 私は、数十秒前に聞こえた、いや、夢の中でかけられたいつもの言葉を反芻していた。それは甘きものか苦いものか、もしくは味がなくなったとでも言うべきか。私は私にとってその言葉がどういった味わいとなるのか、いささかわからなくなりつつあった。

 

「幸せ、ねぇ」

 

 慧音が死んでから、おおよそ半年が経った。

 とは言っても、ほぼ老衰だったらしい。慧音は亡くなるより数年前から、本格的に体を思うように動かせなくなっていった。

 歩行、風呂、トイレ……様々なことが少しづつ一人でできなくなり、一つ、また一つと、慧音の体から自由が奪われていく。それを見て、私は悲壮感と虚しさで心がいっぱいになった。

 

 私は慧音のそばで、つきっきりで介護をした。その度に慧音は「ごめんな、ごめんな」と私に謝るばかりだった。

 慧音がボケることは殆どなかった。やはり地頭が良いからなのか、はたまた、あの石頭が原因なのか。

 でも、私は謝罪なんか求めていない。私が本当に欲しかったのは、一日でも、一分でも、一秒でも長い、慧音と過ごす時間だった。

 そして私は最後まで、慧音の側にいることを望んだ。

 

 ある日、肌寒い夜の中、慧音の容態が急変した。私はその隣で、ずうっと慧音の手を握っていた。

 爪は乾き、色褪せ、皺が増え、肌の上から骨の輪郭がわかるほどに痩せていた。

 

 慧音が若かった頃、私は彼女の手が綺麗であることをよく褒めていた。

 指は適度に細く美しいラインをしており、爪には潤いが保たれていて、触ると暖かい。慧音はその両手で、私の手をよく握ってくれた。

 火を扱うが故に、他の人の体温が感じ取れない私でも、慧音の手の温もりだけは、微かにわかる気がした。

 

 その慧音の手から、だんだんと輝きが失われていく様は、儚さの奥にどこか寂しさを持っていた。

 これで何度目なのか憶えてはいないが、あぁそうだ、人はこうやって死んでいくんだ、と改めて実感した。

 

 

     ◇

 

 

「慧音、大丈夫……側にいるからな……」

「あぁ……妹紅、ごめん……な」

「謝らないでって言ってるだろ。ほら、私の体温、わかるか?」

 

「……本当なら、もっと……一緒にいてやりたかったんだが……」

「何を言ってるんだ、充分に決まってる。私、慧音と……過ごしてて、すっ……ごく楽しかった……!」

 

「妹紅…………」

「ん? なんだ?」

 

「幸せに、なるんだぞ」

 

 

     ◇

 

 

 部屋の電気はあえて点けず、オレンジ色の卓上照明の電源を入れた。

「慧音、今どこで何してるんだろ」

 そんな想像を意味もなく浮かべ、私は届かぬ場所へと想いを馳せていた。

 

 そして、机の横に置いてあった段ボールを開けてみる。中には分厚い本たちが綺麗に並べられ、極めて効率的に収納されている。

 慧音が書いた、歴史書や小説だ。

「相変わらず、難しそうなもの書くよなぁ」

 どれを読もうかと目を滑らせ、試しに一冊手に取ってみる。

 

 とある一人の写真家が、旅の途中で言葉を失くすほどに美しい花を見つけ、そこからその花の正体を突き止めてゆく過程で、様々な植物の生態を知り、やがてその世界に惹き込まれ、没頭する、といったあらすじだった。

「ふーん、こんなの書いてたんだな」

 

「……ははっ、ここなんて慧音らしいや」

 私は本を読み進めるうちに、その物語の世界に入り込みながらも、時折慧音がこの作品を書いている様子を思い浮かべていた。

 

   〜〜〜

 

『蓮の花が散りゆく時、また一人かけがえのない誰かを失う。そんな言葉があるじゃない?』

『さあ? 聞いたことはないが……』

『とにかく、人は死んだらどうなるかって話。どこかで隠れて見守っている、なんてよく言うけれど、人は死んでしまったらそれまでだと、私は思うわ』

 

『あんた、随分薄情なやつだなぁ』

『最後まで話を聞きなさい。……人は花と違って、例え想いは届かなくとも、その名前を持って、誰かの心の中で残り続ける。それってとても不変で、美しいことだと思わない?』

『………………』

 

『人間の死は二度訪れる。一度目は、肉体が死んだ時。二度目は、誰からも忘れ去られた時。そういう話が、昔から知られてるのよ』

 

   〜〜〜

 

 ヒロインの少女がそう口にした時、物語は終わりを告げた。ふと横に目をやると、朝日が昇り窓から光が差している。

「ふぁ〜あ、やれやれ、すっかり寝不足じゃないか」

 私は凝り固まった腰を上げ、居間に向かおうとした。すると視界の中に、部屋に置いてあった姿見が入り込んだ。何気なく自分の顔を確認すると、あることに気づく。

 

 

 

「あぁ……なんだ。私、泣いてたのか」

 決して欠伸のせいなんかじゃない。目元は少しだけ赤く腫れており、今も目尻からぽろぽろと涙がこぼれていた。そして、やがてそれは声に乗せられてゆき、袖で涙を擦って拭くことにより、私の顔がどんどんぐしゃぐしゃになっていく。

 

「そっか……そうだよな。私……慧音が死んで、悲しかったんだ……」

 ようやく、自分の本当の気持ちに気づくことができた。私は今、亡くなった人に向けて、涙を流している。今まで色々考えたけど、それ以上でも以下でもなく、結局最後に残るのは、人が死んだら、悲しいというだけ。

 

「ごめんね……慧音……私、いつかまた幸せになるよ…………」

 それが、慧音からの最期の願いだった。忘れない、忘れたくない。この約束も、慧音のことも。大好きだった慧音を、二度も死なせはしない。妹紅はそれを誓い、やがて再び眠りにつくのであった。

 




【あとがき】
 でぃんとと申します。拙作ながら、ここまで読んでいただきありがとうございました!
 とは言っても、まだまだ書ききれていないところはあるのですが。妹紅が慧音に向けて死後の世界へ手紙を送ったり、妹紅自身も文筆を始め、やがて上白沢慧音と並ぶ偉大な歴史家になったり、最後に蓮の花を見つけて、それを何に例えようか自分でも考えたり。とまぁ、書き出すとキリがないので、今日はここまでで締めたいと思います。これからも温かく見守っていただけると幸いです。改めて、本当にありがとうございました!

respect ZUN & Kenshi Yonezu
Contains a sample of “Lemon” 作詞・作曲 米津玄師
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